「幻想の絆」を維持する子供たち - 機能不全家庭での子供の役割

嗜癖や共依存や夫婦間暴力などの問題がある家庭以外にも、たとえば親が全く家庭を顧みなかったり極端に厳格で話しづらい家庭や、あるいは親自身が未熟なエゴの持ち主で子供を自分の完全な「身代わり人形」とみなしたり、子供と同レベルで競争し子供に嫉妬している、といったような家庭では、子供が自分の感情を話してもきちんと安全に受け止められる場所はありません。「あなたの悩みはなんでもお母さんに話していいのよ」と言っても、たいがいそれは気持ちを受け止める風を装ってさまざまな心理的取引を提示し、子供の心に侵入し支配しようとする試みであったりします。

皮肉なことに、そういった自己の発達にとって不安定で危険な家族であるほど、子供たちは何とかその家庭を維持しようと無意識に強く努力します。自分を育ててくれる家庭がどこにもないということは、大人に依存しなくては生きていけない子供たちにとって物理的な死を意味することだからです。生き延びるために、きれいな飲み水がなければたとえ汚れた水でも必死で飲むように、子供たちは機能不全家庭を支配する暗黙のルールを読み取り、機能不全家庭を維持するための役割の中に必死で自分を適応させます。

以下はそういった家庭の中で子供たちが適応してゆく主な役割です。

【ヒーロー(英雄)】
勉強がとりわけよくできるなど、目立った活躍で世間に評価される子供。その子のさらなる活躍に熱中して、両親の冷たい関係が一時的に良くなったりする。

【スケープゴート】
ヒーローのちょうど裏返しにあるのが「スケープゴート」。病気やケガ、非行、薬物濫用や精神病など、一家のなかの「ダメ」を全部背負うような子供。この子さえいなければすべて丸く収まるのではないかという幻想を他の家族メンバーに抱かせることによって、家族の真の崩壊を防いでいる。

【ロスト・ワン(いない子)】
とにかく静かで、文字通り「忘れ去られた子供」。家族内の人間関係を離れ、自分の心が傷つくのを免れようとしている。

【プラケーター(慰め役の子)】
一家の中でいつも暗い顔をして溜息をついている親(多くの場合、母親)を慰める「小さいカウンセラー」。末っ子に多い。

【クラン(道化役の子)】
慰め役の亜種として、たとえば親たちの間に言い合いがはじまって家族の中に緊張が走るようなとき、突然トンチンカンな質問を浴びせたり、唄い出したり踊り出したりするような子供。

【イネイブラー(支え役の子)】
「偽親」とも呼ばれ、子供たちの中の一番上の子に多い(長男がヒーローやスケープゴートをやって忙しいと、その下の長女などがこの役につくこともある)。未熟な親に代わって他人の世話を焼いてクルクル働きまわっている子供。
男の子がこの役について、依存的な母親との間に「まるで夫婦のような」関係ができていることもあり、これがいわゆる「情緒的近親姦」と呼ばれるものである。母親が欠けていたり無能力だったりして女の子がこの役についている場合、父親による性虐待を招くことがある。


いくつかの文献に見られる「AC(アダルトチルドレン)の特徴」

家族の中でだけ適応的な、つねに周囲の顔色をうかがって役割の中に自分を押し込めるような生き方が身についてしまった子供たちが成人して家を離れたとき、さまざまな場面で自己決定権というものをどう使っていいのかまるで分からなくなってしまっていたりします。あるいは「親のようにはなるまい」と思って育ちながら、無意識の中で処理されていない親への罪悪感や怒りのために、結局は親と同じような生き方を繰り返してしまっていたりします。

このような、子供の頃の親との関係からくると思われる生きづらさの問題を自覚するに至った人が、AC(アダルトチルドレン)です。

以下はいくつかの文献に述べられたACの特徴です。

1. ACは何が正常であるかをつねに推測する。「これでいいのだ」という確信が持てない。
ACの知っている“家庭生活”とは「少しヘンじゃないか?」というものから「生き地獄」のようなものまでさまざまだが、その家族の“典型的な一日”を抜き出してみると、そこにはまったく普通の家族にみられないような緊張状態が横たわっているものであったりする。「普通」を経験したことがないACは「何が“普通”なのか」がわからない。
また、機能不全家庭でのつらすぎる現実の日々をやり過ごすために、ACは「けっして実現することのない空想の世界に生きる(※)」という防衛法をとることもある。このようにまったく「今・ここ」でない空想に焦点を当てて日々を生きていることが、「何が“普通”なのか」ということに対する混乱をいっそうひどくすることがある。

(※「もし…だったならば」「もしお父さんが酒をやめさえすれば」「もしあの人が優しい男に変わってくれたら」「もしお金さえあれば」「もしダイエットして、“やせた、最高の私”になりさえすれば」…すべてはバラ色に変わるはずだ、何の悩みもなくなるはずだ、という、決して現実化することのない「もし…」をベースにした空想に生きつづけることは、つらい現実からの逃避であると同時に、「現在の自分」のあらゆる不満に対する「説明」を提供してくれる。だからしばしば、不倫をくり返しながらいつも「あの人が奥さんと別れて私と結婚してくれれば」と夢見る人や「やせてキレイになりさえすれば」と願う過食症者は、本当は心の奥底ではその願望が実現してしまうことを怖れている。もしその「幸せのゴール」としての夢が実現してしまえば、その先どんな人生の不条理や不満に出会っても、「まだ幸せのゴールが手に入ってないから…」という理由づけで自分を納得させることができなくなってしまう)

2. ACは物事を最初から最後までやりとげることが困難である。
アルコールなどの嗜癖者は、「今度あれを買ってあげよう」「どこそこに連れていってあげよう」、あれをしよう、これをしよう…といったように、現実に直面するのを避けるためにしばしば、安請け合いな約束や未来への計画をあれこれと口にする。これらの約束や計画は決して実現されることはない。そればかりか、あまりに次々と軽々しく口にされる“新しいプラン”に埋もれて、最初の約束はなんだったのかということさえ忘れられてしまう。このような環境のもとで育ったACは、「計画や約束といったものは実現されっこない」という信念を身につけてしまう。
また、これらの問題を抱えた親は、どうやって計画を実現させるかという問題解決のスキルを子供に教えるということがめったにない。そのため、ACははじめから「どうやってそれを実現すればいいのか」を知らない、ということも多い。

3. ACは本当のことを言った方が楽なときでも嘘をつく。
嘘は機能不全家庭ではほとんど“生活のベース”になっているものである。嗜癖者の親、問題を抱えた親の首尾一貫性のなさ、守られない約束、不誠実といったものに加えて、周りの家族全員が問題を抱えた人間を包み隠し、問題それ自体を小さく見積もろうとしたり、問題がないようなふりをしたりすること(否認)が習慣化している。

4. ACは情け容赦なく自分に批判を下す。
嗜癖者の親はよく「おまえがそんなバカな子だから、飲まずにいられないんだ」などと、嗜癖行動を子どものせいにする。まだ批判能力のない子どもはこういった言葉を額面どおり受け取って、内面化してしまう。どれだけ成果を上げても心の中の親の声が“自分の存在そのもの”をけなすため、いくらがんばっても「まだ十分ではない」。
またACは自分を見るのと同じように、他人に対しても情け容赦のない白黒思考的な批判を押しつけてしまいやすい。

5. ACは楽しむということがなかなかできない。
嗜癖問題のある家庭での生活は「連続したトラウマ」のようなものである。嗜癖家庭では親たちが心から笑ったり楽しんだりしている光景がめったにない。また子どもは自分の家庭の問題が暴露されてしまうのを怖れて、同級生や友達を家に呼んで一緒に遊んだりゲームをしたりすることもできない。このように「自然に楽しむ」ということを十分に学習したことがないため、ACにとって「楽しむこと」はどこかぎこちない、居心地の悪いものになりやすい。

6. ACは真面目すぎる。
人間がジョークを言ったり受け入れたりできるのは、自分の人生を真面目にとりすぎず距離を置いた視点から見られるときであるが、人生そのものが深刻なトラウマの連続であるとき、心の傷がいまだ生々しいとき、人間には自分を笑う余裕はない。

7. ACは人と親密な関係を築くことがたいへん難しい。
ACが育った機能不全家庭では、どんなものが普通の「親密な人間関係」なのか、というモデルがない。機能不全家庭の親の多くは「そばにおいで、あっちへ行け」といった首尾一貫しない「愛情」のメッセージを子どもに送りつづけている。今日は抱きしめられたかと思うと次の日は殴られる、といった親子関係の中で、子どもは「見捨てられる恐怖」を強く抱いて育ち、その結果、人間関係の中で自分の要求を主張できないまま他人にしがみつくことになりやすい。
また「このチャンスを逃したら愛情は二度ともらえない」という感覚にとらわれているため、たとえばつき合ったばかりで結婚の話を持ち出すなど、人間関係を早急に発展させようとしてあせって、他人に「息が詰まる」という印象を与えやすい。

8. ACは自分にコントロール不可能と思われる変化に過剰反応する。
嗜癖問題のある家庭でサバイバルするうちに、ACの多くは「誰も信用できない、信じられるものは自分しかない」といった感覚を身につけ、周囲を(自己主張ではなく、隠微で遠回しなやり方で)コントロールする癖が身についている。その結果、周囲に「支配的」「融通がきかない」と思われやすい。このコントロール癖は、もしコントロールを失えば機能不全家庭が一気に瓦解へと向かうように、自分の人生もコントロール不能になってしまうのではないか、という恐怖に基づいている。

9. ACはつねに他人から肯定され受け入れられることを渇望する。
生まれたばかりの子どもが自分についてどんな感情をもつか(=自己イメージ)は、ほとんど周囲の環境にゆだねられている。子どもは成長していく過程で、強く関わりを持ってくれる他者(たいていの場合、子ども自身の親)からのメッセージによって「自分が何者であるか」のイメージを形づくっていく。
機能不全の親の場合、このメッセージが「愛しているよ、あっちへ行け」といった首尾一貫しない、あるいは否定的なものであることが多い。このようなメッセージを取り入れて育ったACは「自分は何者であるのか」という自己イメージが混乱し、肯定され受け入れられることを求めながらも、他人からの肯定のメッセージを受け取ることができない。

10. ACはつねに自分は他人とは違うと考えている。
ACは、普通の子どもたちが家のことなど気にすることなく「子ども」でいられた間も、つねに機能不全家庭の崩壊を防ぐという役目があり、「子ども時代」を満喫するという経験がなかった。このことが、同級生や友人や、他の社会的な集まりなどで他人と一緒にいても常に「どこか違う」「なんとなく居心地が悪い」という感覚につながっている。
また、機能不全家庭の崩壊を防ぐという仕事で手一杯なあまり、同年代の子どもたちのグループに入っていくといったような社会的スキルを身につける機会を失して、次第に孤立したまま大人になってしまった、というケースもある。

11. ACはつねに責任を取りすぎるか、責任を取らなさすぎるか、どちらかである。
子どもを愛する能力がない機能不全の親を喜ばせようと、がんばってがんばって過剰に責任をとりすぎた、あるいはついにどんながんばりも無駄に終わったと知ったとき、もう期待を抱いて失望しないために何もしないことにした…といった子ども時代の経験が大人になってからの「責任」についての感覚にも影響している、あるいは、子どもの頃から機能不全の家庭の中で「責任を分担して、共同で何かをする」ということを全く教えられずにきたなど、色々なケースがある。
またACは自己肯定感が低いため、「真価を知られてしまう」、自分が無価値であることが知られてしまうという恐怖から、NOと言えずにあれもこれも「できます」と責任を取りすぎたり、また「やって失敗する(=無能がバレてしまう)のを避けるため、仕事そのものにはじめから全然手をつけない」ことで責任を放棄していることもある。

12. ACは過剰に忠実である。無価値なものと分かっていてもこだわり続ける。
ACの育ってきた機能不全家庭は安全の欠如と恐怖に支配されているにもかかわらず、全員が家庭の崩壊を防ぐために“足抜け”は許されない、といった場所であった。そのためACは早く立ち去った方がいい虐待的な環境の中でも「それが普通だ」と思って忠誠を尽くしつづけていることがよくある。
また、ACは親密な関係を築くことが難しいため、一度相手と人間関係を持ったら次はいつ同じように友達を得られるかわからない、と信じ込み、関係の崩壊を防ぐために相手の明らかな不誠実に対しても目をつぶって耐えていることがある。

13. ACは衝動的である。他の選択肢があると考えずに、ひとつの事に自らを閉じ込める。
機能不全家庭の中では親のしつけや愛情のメッセージは首尾一貫しない、混乱したものであることが多く、そのため子どもは「自分の行動」と「その結果」を結びつけて考えるスキルを欠いて育つ。このためACは生活の中で決断ということがなかなかできなかったり、また衝動的な行動の結果として自己嫌悪を深めていくことが多い。

(J. Woititz 『Adult Children of Alcholics』、解説部分参考『The Self-Sabotage Syndrome - Adult Children in the Workplace』)


1. アダルトチルドレンは周囲が期待している通りにふるまおうとする。
「条件つきの愛情」によって育ったアダルトチルドレンは「見捨てられる不安」におびやかされているため、自分本来の欲求を押し殺し周囲に期待されている通りにふるまおうとする。その結果、他人の評価をいつも気にして傷ついている。
中には医療やカウンセラーの治療を受けるようになってから、治療者たちに見捨てられるのが怖いために、自分を病人とみなす治療者の視線に迎合し、余計に抑うつ的になってしまう人もいる。

2. アダルトチルドレンは何もしない完璧主義者である。
アダルトチルドレンは極端に自己評価の低い、自尊心のそこなわれた人である。それが彼らを完璧主義に導き、かえってなにもできなくなっていることが多い。何かをすると自分の中の内面化された批判の声がその成果をけなすので、怖くて手が出せなくなる。他人の批評や批判はたいていこの種のアダルトチルドレンを追いつめる。

3. アダルトチルドレンは尊大で誇大的な考え(や妄想)を抱いている。
成人としての自己評価が低く、他人に自分の真価を知られるのを怖れ、恥じることから、尊大で誇大的な考えにしがみつき、周囲を無知・下俗と罵ることにより、自分に従う者だけを自分の周りに集めようとする。

4. アダルトチルドレンは「NO」と言えない。
アダルトチルドレンは見捨てられるのが怖いので、他人の誘いや要請に「ノー」が言えない。他人のいいなりになりやすいため、思わぬ事件や犯罪に巻き込まれたり、また人間関係が重荷になって引きこもったりしがちである。人間関係が長続きせず、行動に一貫性が保てない。

5. アダルトチルドレンはしがみつきと愛情を混同する。
アダルトチルドレンは孤独を怖れるために、自分より弱い人、自分の世話を待っているような人を見つけると、その人を支配して自分から離れられないようにしようとする(共依存)。
共依存とは「いつわりの親密性」であり、アダルトチルドレンは本当の親密な人間関係を楽しむことがなかなかできない。アダルトチルドレンは支配欲と愛情を混同しがちである、ということもできる。

6. アダルトチルドレンは被害妄想に陥りやすい。
アダルトチルドレンは自己評価が低いので、他人に良い評価をされていても信じることができない。そのため他人の言葉やふるまいの背後にある悪意を読み取ろうとする「マインドリーディング(空想的読心)」を絶えずやっている。これがアダルトチルドレンを孤立させ、その孤立が自尊心をさらに低下させるという悪循環に陥っている。

7. アダルトチルドレンは表情に乏しい。
ありのままの感情を認知したり表現していては生き残れないようなところで育ってきたため、不安、悲しみ、寂しさ、怒り、喜びなどの感情を認知することが不得手であり、ましてそれを表現することには恐怖さえ感じている。

8. アダルトチルドレンは楽しめない。遊べない。
アダルトチルドレンは楽しむということに罪悪感を抱いており、他人に誘われて遊びに出かけても、他人が自分をどう思っているかということに気をとられてほとんど楽しめない。結局、独りで部屋にこもることが多くなり、他者不信をさらに深刻なものにしている。

9. アダルトチルドレンはフリをする。
アダルトチルドレンはまず自分自身に対して嘘をつき、自然な感情を否認して生きている。感情に対し罪悪感をもったりする必要はないのだということを知らない。

10. アダルトチルドレンは環境の変化を嫌う。
アダルトチルドレンは必要に迫られて「いつわりの自己(共依存的自己)」を身につけたが、これは彼らにとっては必死にたどりついた救命ボートのようなものなので、はたから見るとどんなに不適切で苦しそうであっても、なかなかこれから離れようとしない。
またアダルトチルドレンは長い間、親の(物理的・心理的)侵入にさらされながら生きてきたので、他人から変化をすすめられると侵入されたように感じてしまう。

11. アダルトチルドレンは他人に承認されることを渇望し、寂しがる。
アダルトチルドレンは(最初に育ってきた時点で「あなたはそのままで私の愛と関心の対象です」という無条件の愛情を受けられなかったため)自己評価が低すぎて、「あなたはそのままでいい」という他者の言葉が聞き取れない。他者からの「あるがままの自己の受け入れ」が得られないことに早々と失望し、常に「さびしさ」の痛みを抱え、これがアダルトチルドレンに人生を苦しいもの、生きる価値のないものと感じさせる。
またその失望は「愛を求める他者」に対する怒りや恨みを鬱積させ、ときにこれが思春期の親虐待(いわゆる「家庭内暴力」)や、妻や愛人に対する暴力などで爆発する。
すべてのアダルトチルドレンが鬱積した怒りや恨みを暴力で放出するわけではないが、彼らに固有の抑うつ感、無力感や心身症、嗜癖などの背後には、この種の激しい憤りが隠されている。

12. アダルトチルドレンは自己処罰に嗜癖する。
親たちのために生きてきたアダルトチルドレンは、親たちの期待からはずれたことを自覚すると自己処罰の感情にとらわれる(多くの場合、「自分で自分を罰している」という意識を欠いた、「ふるまい(無意識の言語)」のかたちをとったメッセージとして示される)。
具体的には、過食症者によくみられる窃盗癖(彼らの関心をひいているのは窃盗ではなく処罰であり、だからこそ「捕まるまで」盗み続ける)やリストカットなどの自傷癖、自己破壊的なアルコールやドラッグの使用(「もう目覚めなくてもいい」という無意識の自殺願望)、達成後の抑うつ(アダルトチルドレンは自分が希望していた結婚や就職などを果たした後にひどい抑うつと無気力におちいることが多い)などに、彼らの自己処罰の心理がひそんでいる。

13. アダルトチルドレンは抑うつ的で無力感を訴える。その一方で心身症や嗜癖行動に走りやすい。
アダルトチルドレンはいつも自分の存在を承認されなかったことへの怒りと「さびしさ」を抱え、その苦痛を「退屈感」へと感情鈍麻させている。(本来の怒りとさびしさを否認しつづけていることで成り立っている)退屈感から、物質(アルコール、薬物、食べ物)、行為(仕事、ギャンブル、窃盗、買物、食事)、人間(恋愛嗜癖、共依存、子どもへの侵入)などの嗜癖に走りやすい。

14. アダルトチルドレンには離人感が伴いやすい。
アダルトチルドレンは「自分が自分でないような感じ」「自分と外界とが薄い膜に隔てられている感じ」「自分の行為が自分から発しているように感じられず、それを漫然と見ている自分がいる感じ」といった離人感にとらわれやすい(精神科医に相談すると「うつ病」の部分症状と片づけられたり、「精神分裂病」の初期症状と誤診されたりすることもある)。他にも、アダルトチルドレンはいままでの自分の生活の中で思い出せない部分や人格から解離した部分をたくさん抱えている。この種の解離性障害の多くは家族内トラウマ(家族からのあからさまな、あるいは見えにくい虐待)を原因として発生する。

(斎藤学『アダルトチルドレンと家族』(学陽書房)より)


「AC(アダルトチルドレン)」は病名ではない

AC(アダルトチルドレン)という言葉は精神病や神経症などの病名ではありません。また(誤解している人が本当に多いのですが)、「大人になりきれない子供っぽい大人」といったような誹謗中傷の言葉でもありません。もともとの意味ということで言えば「Adult Children of Alcholic」「Adult Children of Dysfunctional Families」のように、「(さまざまな問題を持った家庭で育って)成人したかつての子供」という程度の意味です。

つまりACとは、「かつて子どもだった大人」という、子どもの頃からの親との関係を整理していく上で自分の立場をあらわすひとつのラベルなのです。

またACとは、自らの生きづらさの原因を探るためのひとつの自覚であり、そこから回復するための「セルフヘルプの言葉」であるともいえます。

ですから当サイトの管理人は、「アダルトチルドレンを治す、治療する」とか「アダルトチルドレンから脱出する、自立する」という言い方にはどちらかというと反対です。「病名」ではなく「立場」を表わす言葉にすぎないのだから、「問題から回復した、健康なアダルトチルドレン」「自立したアダルトチルドレン」がいてもいっこうにかまわないし、むしろ「アダルトチルドレン」を忌まわしい烙印か何かのように考えてそれを「捨て去る」ことだけにやっきになることで、親との関係を整理することを放棄し、親を美化したまま、「いじめられっ子がいじめっ子になる」ように自分の子供や身近な弱者を抑圧してしまう危険の方が大きいのではないかと思います。

「ACの特徴なんて、そんなのを挙げればそれこそ雑誌の星占いみたいに「誰にでも当てはまる」じゃないか」という意見もありますが、それはその通りです。大切なことは、ささいなことから重篤な症状までを含めて、自分がそれを「生きづらい」と感じ、何とか原因を探ってそこから回復したいと願うかどうか、ということです。「AC」という言葉はそのための道具として大いに活用すればいいのだと思います。


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