虐待と脳の神経伝達物質

人間の脳の中には、脳の神経細胞の間でやりとりされて信号を伝える「神経伝達物質」というものがあります。この神経伝達物質にはさまざまな種類のものがあり、それぞれ特定の感情や気分の変化に関係しているといわれます。最近の調査では、鬱病や抑うつ傾向にある人々の脳内では、神経伝達物質の1つであるセロトニンの分泌不足が見られることが分かっています。

人による神経伝達物質のバランスについては、体質や遺伝や生活習慣などなどさまざまな要因があるといわれていますが、最近では、子ども虐待などのトラウマによっても、これらの神経伝達物質のバランスや脳の構造そのものにダメージを受けることが明らかになりました。

2002年9月24日の米ボストン・グローブ紙記事によると、ハーバード大精神医学準教授のマーティン・ティーチャー博士が1993年に行なった思春期病棟での調査において、虐待を受けて育った子供たちのうち54%になんらかの脳波の異常がみられ、この数値は虐待の経歴がない子供たちの27%を大きく上回っていました。また被虐待児の多くに、論理的思考をつかさどる大脳皮質や、記憶に関連して働く器官である海馬へのダメージがみられたということです。

また脳の感情をつかさどる部分にある扁桃体という小さな器官は、私たちの身に危険が迫ったとき神経系統に警戒信号を出す働きがありますが、虐待を受けつづけた子供たちの場合、この扁桃体が危険のない時まで「警戒信号を出しっぱなし」の状態に変化してしまうことがあるそうです。

さらに、虐待で受けた脳の構造へのダメージは神経伝達物質とも関連しており、エピネフリンやドーパミン、セロトニンといった情緒に影響を及ぼす神経伝達物質のバランスを崩壊させることもまれではなく、典型的な例として、虐待を受けてきた人々は脳内で分泌されるセロトニンの量が減少し、そのことが長く続く抑うつや衝動的な怒りの原因となっている、と述べています。


脳へのダメージは修復できるか

トラウマ研究の権威であるベッセル・ヴァン・デル・コルク博士は同記事の中で、プロザック(セロトニンに働きかける抗うつ剤の一種)のような薬もトラウマ治療の一助になると認めた上で、「虐待を受けた子どもたちが脳の生理的バランスを回復していくためには、それまでの虐待の中で身についてしまった人生への悲観的な予測をくつがえすような、ポジティブな経験こそ必須である。たとえば子どもに対し「ひどい目にあってきたね」とひとこと言葉をかけるだけでも、脳の化学物質は変化しうる」と述べています。

記事では5歳で父親からの性的虐待を受けて保護された、サリーという女の子の症例が報告されています。虐待のトラウマによって感情をうまく調節できなくなり、1日に3時間泣きつづけていたサリーに対し、彼女の保護にあたったアレクサンドラ・クック博士は、オフィスの机の周りを好きなだけ走り回らせ、水彩絵の具を画用紙にぶつける「めちゃくちゃお絵描き」によって激しい感情を表現させるなどのセラピーを試みました。そして週1回のこのセラピーを継続して4ヶ月経った後、サリーは以前よりもずっと穏やかになり、激しい感情の混乱を見せることはもうなくなった、と報告しています。

いくつかの動物実験では、ダメージを受けた脳の組織が修復可能であるという結果が出ています。記事ではまだ人間に関しては実験データの裏付けがないとしながらも、クック博士は、虐待経験でダメージを受けたサリーの脳がセラピーのポジティブな経験を経ることで自らダメージを修復することができたのではないか、という仮説を立てています。

いささか前置きが長くなりましたが、私たちACも、もし成育歴でのネガティブな経験によって脳に生じたアンバランスのために抑うつ状態や発作的な怒りにとらわれ続けているのだとしたら、そしてそれがどうも「修復可能であるらしい」、つまり「一生治らない傷ではない」のだとしたら、受けてきたダメージをさまざまなアプローチによって自分で修復する試みは、大いにやってみる価値があるのではないかと思います。

明らかに不健康な環境への正常な反応である虐待やACの問題に対し、薬なり栄養なりで被害者の脳味噌だけ何とかしてしまってハイ終わり、的なアプローチは好きではありませんが、それでも脳の生化学的な部分も感情との関わりにおいてかなり馬鹿にできないところがあるように思います。管理人の経験からいっても確かに、バランスのとれた食事や睡眠を確保し、サプリメントなどで適宜栄養補給している時の方が、そうでない時と比べて、キレやすくなったり抑うつ状態に落ち込んだりすることが少ないようです。


必須アミノ酸

脳内で分泌され、天然の抗うつ作用のあるセロトニンなどの神経伝達物質は、食物に含まれるアミノ酸から生成されます。これらのアミノ酸は体内で合成することはできず、必ず食物から摂取しなくてはならないことから、必須アミノ酸と呼ばれます。
必須アミノ酸はたんぱく質を多く含む食品に含まれ、動物性たんぱく質の方が植物性たんぱく質よりも必須アミノ酸が多いとされています。

アミノ酸 生成される神経伝達物質 主な作用 不足による症状
レシチン アセチルコリン 記憶力、老化防止 記憶障害、老人性痴呆
フェニルアラニン ドーパミン 快感、運動調節 多幸感の欠如、筋硬直
ノルアドレナリン 精神安定 鬱状態、情緒不安定
トリプトファン セロトニン 精神安定、満腹感 鬱状態、情緒不安定、(抗うつ剤副作用などの場合)肥満


多く含まれる食物 サプリメント
レシチン 大豆製品、卵黄、魚、牛肉赤身など 「アミノ酸タブレット」など、複数のアミノ酸が入ったものの中に含まれていることが多い。単品は輸入サプリショップなど。
フェニルアラニン 動物性たんぱく食品、大豆製品など
トリプトファン 牛乳、チーズ、ナッツ、大豆製品など 「アミノ酸タブレット」などに含まれているものがある。単品は輸入サプリショップなどで手に入るが、「抗うつ剤との併用は避けてください」と注意書きしてあるものが多い。
※なお、米国では1990年頃に、遺伝子組み替えトリプトファンの摂取によって体調不良を訴える人や死者まで出た「トリプトファン事件」もあるので注意が必要。


ビタミン・ミネラル

下の表は脳内の神経伝達物質やストレスに関連した主なビタミンとミネラルの働きです。

主な作用 不足による症状
ビタミンB1 抑うつと不安発作の軽減。グリコーゲンがエネルギーに変わる際の助酵素 細胞のエネルギー不足
ビタミンB3
(ナイアシン)
神経系の正常な機能。偏頭痛を和らげる 偏頭痛、神経症、皮膚炎など
ビタミンB5
(パントテン酸)
自然の緊張緩和物質。アミノ酸の代謝に関係。 めまい
ビタミンB6 脳内のγアミノ酪酸(GABA)合成に必須 集中力の低下、てんかん
ビタミンC 副腎皮質のステロイドホルモンの酸化を防ぐ。ストレスと戦っている時、多く消費される 壊血病、皮下出血など
ビタミンD カルシウムの吸収を助ける くる病、骨軟化症、骨粗鬆症など
ビタミンE 脳細胞の酸素を得る働きを助ける。レシチンの酸化防止 生殖機能の低下
カルシウム 神経伝達物質の“発射スイッチ” 加工食品や清涼飲料水に含まれるリンはカルシウムを排出してしまう働きがある。
血液中の不足によって脳細胞内に過剰になると、伝達物質の過剰分泌=神経過敏・イライラの原因となる
マグネシウム セロトニンを合成するのに必須 無気力、集中力の低下
亜鉛 学習能力の低下、味覚障害
カリウム 脳細胞の代謝バランスの他、筋肉の運動にも関わる 過食嘔吐や下剤・利尿剤の濫用などで失われる。
無気力の他、運動障害、低カリウム血症による突然の心臓停止など


多く含まれる食品 サプリメント
ビタミンB1 玄米、豚肉、レバー、にんにく、大豆製品など コンビニ・薬局などで安く手に入る。
ビタミンB3 酵母、肉、魚、レバー、豆類、胚芽など
ビタミンB5 胚芽、酵母、牛乳、豆など
ビタミンB6 麦、とうもろこし、魚、豚肉など
ビタミンC 新鮮な野菜、果物、緑茶、紅茶など
ビタミンD 肝油、卵黄、バター、酵母、緑黄色野菜など
ビタミンE 米・小麦胚芽、ごま油、緑黄色野菜など
カルシウム 小魚、牛乳、チーズ、海藻類など
マグネシウム 小麦胚芽、麩、ほうれん草など 1種類のミネラルではなく「マルチミネラル」の中に含まれているものが多い。
亜鉛 牡蠣、海藻、ナッツ類、玄米、そばなど
カリウム バナナ、柑橘類、トマト、海藻など 「カリウムのサプリメント」はまだ日本では一般的でない。ネットの輸入サプリショップなどで1000円くらいから。


【参考:主なコンビニサプリの商品情報】
ファンケルオンライン | Healthy web
DHC Online Shop
ウイダー オンラインショップ
明治製菓 SAVAS/LOLA
大塚製薬 オオツカ・プラスワン


またビタミン・ミネラル類は体内で一定量に保たれていて、一度に摂りすぎても尿や汗などに排出されてムダになってしまったりするものなので、サプリメントなどを摂る際には、下の表 - 厚生労働省による「第6次改定 日本人の栄養所要量」 - などを参考にするといいと思います。

【第6次改定 日本人の栄養所要量(1日当り)より】
15〜17歳 18〜29歳 30〜49歳 50〜69歳 70歳以上 妊婦 授乳婦 許容上限摂取量
ビタミンB1(mg) 1.2 1.0 1.1 0.8 1.1 0.8 1.1 0.8 1.1 0.8 +0.1 +0.3 -
ビタミンB3(mgNE) 17 14 17 13 16 13 16 13 16 13 +2 +4 30
ビタミンB5(mg) 4 4 5 5 5 5 5 5 5 5 +1 +2 -
ビタミンB6(mg) 1.6 1.2 1.6 1.2 1.6 1.2 1.6 1.2 1.6 1.2 +0.5 +0.6 15〜17歳: 90/18歳〜: 100
ビタミンC(mg) 90 90 100 100 100 100 100 100 100 100 +10 +40 -
ビタミンD(μg) 2.5 2.5 2.5 2.5 2.5 2.5 2.5 2.5 2.5 2.5 +5 +5 50
ビタミンE(mgα-TE) 10 8 10 8 10 8 10 8 10 8 +2 +3 600
カルシウム(mg) 800 700 700 600 600 600 600 600 600 600 +300 +500 18〜69歳: 2,500
マグネシウム(mg) 290 250 310 250 320 260 300 260 280 240 +35 +0 15-17,69〜: 650/18-49: 700
亜鉛(mg) 10 9 11 9 12 10 11 10 10 9 +3 +3 18〜69歳: 30
カリウム(mg) 2000 2000 2000 2000 2000 2000 2000 2000 2000 2000 +0 +500 -


参考文献
四訂 標準食品成分表(永岡書店)
Superlearning 2000 S. Ostrander/L. Schroeder Souvenir Press
"How Abuse, Neglect Damage The Brain" - Sep. 24, 2002 Boston Globe