1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■8333 / inTopicNo.1)  私は聞くことができない
  
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2008/12/06(Sat) 23:30:45)
     マイブログからの引き写しですが・・・・・、

     今、NHK総合で裁判員制度についてやっているが、私は、早いうちに聞くことができなくなった。
     最初のドラマは、洗い物をしながらで、大方耳だけで聞いていたが、そこでも、現場写真がショックだったと言っていたが、私も、正視することは、できないと思う。
     一つ一つのことには、「これも役目」と思えば耐えられるかもしれないが、それが連続する緊張感には、私は耐えられない。
     私は、身体的虐待は受けていないが、心理的、精神的虐待は、言わば受け続けてきたし、そのなかで自分を見失ってしまったし、現在、それを取り戻して回復過程にあるが、精神的緊張感には長くは耐えられないのだ。 また、過去に受けた、また、現在も受けている虐待を連想させる、犯行現場写真や被告や被害者の言動、あるいは、審理の過程の緊張感には、過剰に反応するところがあるのだ。 私は、その緊張の連続には、耐えられない。
     私のところには、今回の裁判員候補通知は来なかったが、将来来たときには、私は辞退したいと、思う。 ただ、この辞退理由が、正しく理解されるか否かは定かではなく、不安は、残ったままになる。

     チラッと映った場面を見て、思わず書いてしまった。 隣の部屋からは音声が、言葉がほとんどわからないまま聞こえてきている。 が、私の部屋のテレビは消されたままである。 私は、その、緊迫した音声だけでも、耳を塞ぎたくなるのだ。
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■9431 / inTopicNo.2)  Re[1]: ツ篠ツづ債閉キツつュツつアツづツつェツづツつォツづ按つ「
□投稿者/ qhemrtjzp [MAIL] -(2010/02/05(Fri) 02:49:34)
引用返信 削除キー/
■9559 / inTopicNo.3)  Re[2]: テつ偲つテつづδ催つ陛つキテつづつュテつづつアテつづδテつづつェテつづδテつづつォテつづδ暗つづつ「
□投稿者/ tujsjqeaf [MAIL] -(2010/02/05(Fri) 03:03:27)
引用返信 削除キー/



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