1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■6624 / inTopicNo.1)  おひさしぶりです(フラバ注意)
  
□投稿者/ ぺん -(2008/05/21(Wed) 06:58:39)
    ここに来るのは半年ぶりくらいになります。
    覚えていらっしゃる方がいるだろうか?と少し心配ではありますが‥‥。

    かなり長くなると思うのですが、気持ちを分かって下さる人がもしいてくれたら‥‥と思い、書き込むことにしました。


    私は以前、こちらで書き込みをしたことをきっかけに、
    30歳にして突然、父から性的虐待を受けていたことを思い出しました。

    私は幼児期からの母からの虐待により精神に障害を負って、でも苦しい中一生懸命生きてきました。
    その中で主人との家庭生活や仕事も充実感を得るようになって、
    私幸せを掴んだんだ、そう実感していた矢先のことでした。

    当初はそれでもなんとか状態を持ち直したかに見えましたが、その後、
    私はわざわざ自分から不幸になりにいくかのように不倫にのめり込み、
    はてには自殺を何度も図り、精神科に入院しました。

    主人はそのとき、それこそ命がけで、私を絶対死なせないと懸命に不眠不休で走り回ってくれました。
    主人のような人と結婚していなければ、おそらく私は今この世にはいなかっただろうと思います。
    ここで詳しくは触れませんが、そんな主人に対して、私は本当に色々な思いを抱いています。


    今は自宅で専業主婦的な感じで過ごしていますが、状態は安定しているとは言えません。
    そんな中で、私はとあるきっかけから、
    統合失調症なのに、父が受診をさせないため、30年間も未治療の状態にあった母を、
    父の激しいDVから逃れさせ入院させることに力を尽くすことになりました。
    複雑で不幸な事情の絡み合いで実現させることができずに、私ずっと苦しんで来た。
    主人の大きな支えのお陰で、先週、その大変な大仕事を成功させることができました。

    だけどその中で、当然私は父と関わらなければならない場面がたくさんありました。
    父は戸籍上、母の扶養者ですから、父の同意書がないと入院させられません。
    父は、いま大人になった私の目から見れば(世間では全くそんな風に見られていないけれど)
    異常な人格を持つ人物にしか見えませんでした。気味が悪いどヘタレ男。
    病院の先生も看護婦さんも、母の入院の同意や母の病状の確認の際、父ではまるで会話が成立せず、
    私に母の保護者を代行を頼むより仕方がない状況でした。

    お母さんのために耐えましたが、父がそばで話しかけてくると、
    気持ちが悪くてたまらなくて、震えと吐き気が止まりませんでした。

    私はどうして、こんなどうしようもないくだらない人間のために
    自分の人生に取り返しのつかない傷を背負わされなければならなかったんだろう‥‥。


    周囲の人に父から受けたことを話しても、
    この独特の言葉にならない苦しみは、なかなか理解してもらえません。
    虐待の事実自体を疑う人もいます。
    「あなたの勘違いだと思えない?」「自殺なんてバカなことするんじゃないよ。」
    「今は幸せなんだから、そのために必要な道のりだったんだと思えない?」
    みんな、私のために良かれと思って言ってくれているのはわかります。
    ‥‥でも、とても孤独な気持ちがします。

    苦しくおぞましく、親に人間として扱われる存在ではなかったことを痛感させられる
    自分と言う人間の統合性が失われる、私がバラバラになる‥‥
    本当に本当に、長い長い年月を、被害者はのたうち回って苦しまざるをえない。

    どうして?どうして?
    相手はきっとほんの憂さ晴らしにやってたんだろうに、
    娘の人生がそれによってどれほど苦痛に満ちたものになるのかなんて、想像だにもしていないんだろうに。

    お腹の奥底がずんと重くて痛いよ、
    どす黒い何かをはらまされているような、ブラックホールがあいたような‥‥。


    まとまりのない文で申し訳ありません。
    しかも、苦しみが私にとってはあまりに特異なものすぎて、上手く言葉で表現できなくて‥‥。
    でも、どなたか分かって下さる人はいませんか?


引用返信 削除キー/
■6626 / inTopicNo.2)  Re[1]: おひさしぶりです(フラバ注意)
□投稿者/ はなぽん -(2008/05/21(Wed) 21:15:37)
    こんにちは。

    「大藪順子」(おおやぶのぶこ)さんというフォトジャーナリストをご存知ですか?やふーか何かで検索すれば、著書の紹介などいろいろヒットすると思います。

    彼女は、レイプ被害者です。幼少時の虐待ではないのですが、彼女の苦しみとべんさんの苦しみがとても似ているように思えました。もしかしたら何かの助けになるかもしれないと思って紹介します。


引用返信 削除キー/
■6628 / inTopicNo.3)  Re[2]: はなぽんさんへ
□投稿者/ ぺん -(2008/05/23(Fri) 08:04:30)
    はなぽんさん、ありがとうございます。
    ご紹介くださったこと、本当にありがたかったです。

    大薮順子さんの著書、ネットで検索してみました。
    彼女の言葉と写真にほんの少し触れてみただけで、涙がいっぱい溢れて止まらなくなってしまいました。

    とても不思議な感覚だったのですが、著書の表紙になっている大薮さんの顔を初めて見た時
    なぜだか「自分にとてもよく似ている」と感じました。よく見たら全然似ていないのに。

    はなぽんさんが言って下さった通り、
    彼女の通ってきた苦しみは、今の私の苦しみと本当によく似ている。
    それだけでなく、彼女の考え方や感性といったものも、不思議と私とよく似ていると思いました。

    「縁」というのはこういうものなのかもしれないな。
    縁を繋いでくださったはなぽんさんに、感謝。。

    父からの虐待を思い出す前の、いっぱい迷って転んでばかりだけど
    でも一生懸命幸せになろうとがんばっていた頃の自分の感覚を思い出しました。

    その頃の私と同じ私にはもうなれないけど
    いま「苦しい」と感じているのは、私の心がちゃんと生きている証拠なんじゃないか、
    彼女が明るく生きている姿は、きっと未来の私の姿でもあるんじゃないかと思いました。

引用返信 削除キー/
■6629 / inTopicNo.4)  どういたしまして
□投稿者/ はなぽん -(2008/05/23(Fri) 21:31:12)
    2008/05/23(Fri) 21:57:20 編集(投稿者)

    はなぽんが、大藪順子さんを知ったのも、偶然からでした。
    縁なのでしょうね。きっと、良い縁ですよ。

    いつか、べんさんの怒りや悲しみがすべて出尽くして、心の平安を得られますように。

    最近、毎日聞いて(聞かされて)いるアンパンマンマーチより。

    そうだ! うれしいんだ いきるよろこび
    たとえ むねのきずは いたんでも

    ではでは。
引用返信 削除キー/



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