1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■6601
/ inTopicNo.1)
己の核&グレーゾーン
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2008/05/03(Sat) 22:48:48)
なかなか動かない自分、自分から動こうとする内発的なものが無いことを、長い間感じてきた。
それでも、一定心は安定し、自分も取り戻してきていたし、外にも出て行っているのだが、でも、そのような日常的な動きのなかでも、自分のこころのなかから、体のなかから出てくる、内発的な動きというものが無いから、家事とかあるいは用事で出るとかということの他のときには、何もしない、無為のときが、ずーっと、私の連れ合いだった!
ここ最近、何か動こうとしてきていたのだが、それは、なんとなく動こうとしていたのだということに思い当たった。
「自分はこれをやる」という、己のなかの核が無いのだ、と、いうことにも思い当たった。
しかしだ、じゃあすぐ核ができるかというと、そうは行かない。
核を、どこから持って来るんだと思ったときに、思い当たるものがもう1つあった。
それは、今までは「避(よ)けることに、一所懸命だったんだ!」ということだった。 だから、そういう内発的な、「自分からやろう」というような核は、できていなかったんだと、思い当たったのだった!
おふくろのありとあらゆる私の否定攻撃から、まともに受けながらも、己を保持しようということに一所懸命だったんだ、と。
現実に、耳元で好きなように言われることばを素通りさせることもやってきた。
今でも、要するに自分の支配下に組み入れようとするあらゆる硬軟両様の術策に絡み取られないように、私は基本的におふくろに対しては絶縁体であることを貫いている。
おふくろのことは考えないようにしているから、エネルギーを削がれることは少ないが、しかし、肝腎要の、自分のなかの力が、育っていないんだ。 だから、自分のために使われる時間がたっぷりあっても、結局、何もしないで過ごすことがほとんどだったのだ。・・・
「そうか〜、避(よ)ける人生だったのか〜」と気づいたところで、初めて、自身の力を着けていこうと、それこそ内発的に思った。
そうすると、自分のしていること全て、自分の態度も含め、してきたことも含めて、全部自分のこととして、つながりを持って感じることができた。 今までは、認めたくないことが、自分ながらあれこれあって、あのときの自分、このときの自分と、結構断絶していたのだ、いや、実際は全部繋がっているんだけど、気分として認められなかったのだ・・・・。
それが、良いことも悪いことも含めて、全部私のこととして把握されるように思えるのだった。
それにしても、だからと言って、すぐに自分の力が見出せるものでも、ましてや大きくなるものでもない。 現実には、ほとんど、姿も形も見えないのだ。・・・
この辺からがグレーゾーンの話しになる。
ちょっと前まで、私は、1つ1つのことにびくついていた。 自信が持てないのだ、自分のやること為すことに。 だから、1つ1つ確認しなければならなかったのだ、「これでいいのか、よさそうだ、あっ、いけないかもしれない」と。・・・・・
一定私は動いていたし、外にも出るし、人とも話すのだが、しかし、そうだったのだ。・・・・ それは、今にして思えば当たり前で、自分というもの、「自分はこれをやる」という内発的なものが無いんだから、言わば、自分のなかの基準が無かったんだから、当たり前と言えば当たり前だったんだ!・・・・
そういうときが年単位で続いていた。 ついこないだあたりから、いちいち白黒はっきりさせなくても、グレーゾーンのまま、必要なことをやっていくほうがだいじだよと、これは経験が積み重なって、変化が訪れた。・・・・
私の場合は、今毎日やっている食事作りをやらなければ、干上がってしまうのだ。 もう丸々2年になろうとするが、3度3度の食事作りは、簡単ではない。 食事のために、身を縛られているような感触さえあるのだ!
多くの女性は人生の大半をこれに費やし、さらには育児と夫の世話に親の世話に費やし、仕事もこなしていくのだから、私が「しんどいしんどい」と言うのも、おこがましいのだが・・・・。
とにかく、ケリがつかなくても、やることはやっていかなければならない、そのときの気持ちは、まさしくグレーゾーンなのだ。 そして、白黒はっきりさせないままやっていくことのほうに、むしろ充実感がある。 キャパシティーが大きくなったような気持ちにもなる。 少々不適切なことがあっても、やっていく、可能なら途中で訂正する、と、いうような感じでもある。・・・・
なにより楽なのだ。 びくつかなくていい。 なんか、おおらかな気持ちでいることができる。 びくつくのは、心臓にも悪いのだから。・・・・
そんな、グレーゾーンで自分の力、内発的な力も、着けていこうと思ったのだった。・・・・
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■6605
/ inTopicNo.2)
Re[1]: 己の核&グレーゾーン
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□投稿者/ はなぽん
-(2008/05/06(Tue) 21:31:50)
こんにちは。
内発的な力、ですよね。はなぽんも、この件では大変悩みました。
今まで続けてきた趣味についても、本当に自分がやりたかったから続けていたのか、続けることがいいことだからと意地を張っていただけなのか。
会社を辞めたことも、本当に自分がやめたかったのか、インナーマザーのささやき「自分にはもったいない会社だ!」みたいなものに負けてしまったからなのか。
子供を産んだことも、本当に自分がそうしたかったのか、世間的にそうするのがいいから産んだのか。
そんなことを、いろいろ考えました。
仕事の事なんかは、「仕事か出産か」と、二者択一的にしか考えられず、「両方ほしい!」と主張するのは「悪い子」「わがまま」みたいの勝手に思い込んでいました。今なら、きっと、会社を辞めずに、全部手に入れようとすると思います。そうすることで総スカン食らうかも?とか、給料減るかも?などのリスクを背負う覚悟で、やりたいことを言い通してもいいんだと、思えるようになったからです。
本当に、「親との対決」以前と以後では、自分のものの見方や感じ方ががらりと変わりました。以前は、思い込みとか、こうあるべき、とかいうフィルターを通してものを見ていました。だから、友達の本当の姿も見えないまま、「どうせみんな私のことなんか嫌いなんだ」というフィルターのこちら側で勝手にいじけていました。以後は、視界良好であります。フィルターは無くなりつつあり、ようやく自分の頭に、ありのままの世界が映し出されるようになりました。
いま、冷静に自分のことを眺めましたら、はなぽんは無収入であります。何によって日々食べているのか?それは、だんなの稼ぎで食べている。なぜ、だんなは養ってくれているのか?それは、一個の家庭を担う戦力として認めてくれているからであろう。というわけで、今はなぽんが寄って立つところの「家庭」が、はなぽんが今現在生きる場所なのです。だから、「家庭」を、はなぽんのために大切にしたい。それが、家族のためになる、と思うようになったのです。これが、はなぽんが、生まれて初めて感じた「内発的な力」です。
それで、先日、道場に行きまして・・・いやぁ・・・涙が出るほどうれしかったし楽しかったです。「剣友っていいなぁ」と、これまた生まれて初めて、しみじみ思いました。知略を尽くして戦うことも、面白いなぁ、と。続けていて良かった。ここで、他者からの働きかけが、はなぽんのやる気を刺激して、もっとやる気が増すという相乗効果を、やっぱり生まれて初めて感じました。
ご飯の支度については、ママ友さんから、ケーキ作りを習いまして・・・でも、ケーキはご飯にならないのでなんとなく敬遠していたら、インターネットでぱんづくりのHPを見つけ、一度作ったらはまりました。白くてやわらかいパン生地をコネコネして、発酵させたら膨らんで・・・化学実験みたいで面白いです。料理を楽しいと思ったのも、生まれて初めてです。
そもそもはなぽんは、「おいしい」と言う感覚もすっぽり忘れておりました。「出されたものを出されただけ文句言わずに食え!」でしたから・・・「おいしい」「おいしくない」とはっきり言うだんなが、正直、うっとおしかったです。今も、「おいしい」と思うことは少ないかな・・・こんなはなぽんが毎日ご飯を作っているんだから、家族はたまったもんじゃないでしょうね。
昔、学生のころ、一人の友人が「自信を持つのに根拠はいらない。根拠があるのは本当の自信じゃない」と言っていまして、この言葉がずーっと忘れられませんでした。はなぽんは自信なんてかけらもありませんでした。根拠のある自信は少しありましたが、全面的に、何の根拠もなく自分を信用するなんて、なんか、こう、衝撃的だったんです。でも、それがきっと、自己肯定感と言うものなのでしょうね。今は良くわかります。
今のはなぽんは、こんな感じで生きています。SILVER7さんも、パンをこねてみませんか?
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■6607
/ inTopicNo.3)
Re[1]: 己の核&グレーゾーン
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□投稿者/ スケッチぶっく
-(2008/05/07(Wed) 16:00:15)
2008/05/07(Wed) 16:15:23 編集(投稿者)
SILVER7さん、こんにちは。
お久しぶりです。
わたしは、どうにか「自分の気持ちが感じられる」所までは、
なんとかたどり着けたようです。
でも、それを認めて、受け入れてゆく・・・というところで、
「浮き沈み」しているような状態で、
人の手を借りながら、おっかなびっくり、
「自分」を認めてゆく・・・ということをやっています。
心の奥底からわき起こってくる気持ちを、受け止めるだけで精一杯なので、
自分の中から「この目的に向かって、動いてみよう。」というような積極的な気持ちは、
ほとんど持てない・・・ような気がします。
それでも、上流から下流に向かって水が流れるように、
受け入れるだけとしか思えない事柄の中にこそ、
自分の望みが 隠されているのかもしれない・・・という仮説を立ててみました。
「気が遠くなるような時間と、労力をかけて、
今まで生きてきたし、これからも 生きてゆかなければならない。」
「そんな気持ちが、
次から次へとわき起こってくる わたし」と付き合うだけで、もう精一杯!・・・
来る日も来る日も、これのくり返しで、
目に見えるような大きな変化は、なにひとつ起こりません。
「そんな自分や人生」を、ただ受け入れるしか仕方がないのだけれど、
自発的に、自分で選んでゆくことが出来ないことを、はっきりと自覚しながら、
それでもあえて、その自分と付き合ってゆこう・・・というところに、
わたしは、自分の活路を見出したような気がします。
「ただ受け入れるしか仕方がない。」・・・という立場に置かれ、
そのような姿勢を 取らざるを得ない状況の中だからこそ、
つかめる「何か」が在るのではないかと、
きれいごとではなくて、本気で考えるようになりました。
「連日、苦しい、つらい・・という気持ちが、山ほどわき起こり、
ただ『それら』を受け入れるしかない中で、
『何か大切なもの』を、自分は受け取っているのではないか。」
と思いはじめているようなところが、確かにあります・・・。
常に感じたり、抱けるような「もの」ではありませんが、
以前は持っていなかった「この気持ち」が、
今は、わたしの中に在るようです・・・。
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■6610
/ inTopicNo.4)
Re[2]: 己の核&グレーゾーン
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2008/05/11(Sun) 23:05:44)
近いうちに、レスします。
なんか、昼間、ごそごそしていて、夜、PCに向かうと、時間が足らなくなるのです♪
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■6611
/ inTopicNo.5)
Re[2]: 己の核&グレーゾーン
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2008/05/11(Sun) 23:08:08)
スケッチぶっくさん、久しぶりです。
すみません、もうちょっと待ってください。 なかなか落ち着いて書くことができなくて・・・・♪
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■6616
/ inTopicNo.6)
Re[2]: 己の核&グレーゾーン
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2008/05/17(Sat) 23:46:21)
やっと、返事を書くことができます。
私は、グレーゾーンで、ずーーっと、やってきていたようです。
今、最初の書き込みを読み直してみると、私が出発点に立ってというか、前に進むことができるようになっているという、報告を書いていたんですね。
書き込みの後も、レスを頂いてからも、グレーゾーンでやってきたように思います。 あまり、晴れ晴れとした気分ではないが、しかし、食事の支度をするのに、重荷を引きずるような、だから、それに踏ん切りをつけてからかかるというより、作り始めは遅れても、作ること自体は、意欲を持ってやっているように思います。
今日なんかもね、今日の昼までカレーだったから、おでんのような煮物にするかなと思って冷蔵庫の前まで行き、そのつもりで中のものを出していくと、いろいろ出したけど、結局、煮物は豆腐とフキの、もう湯がいて皮をむいて保存してあったのを、甘味噌仕立てで煮ようということになり、ソラマメも買ってからだいぶん経つので、傷まないうちにと鞘を剥いて、塩ゆでにし、最初におでんのなかにと思っていた小芋も、皮付きのまま湯がいたら、つるっと皮がむけることを最近聞いていて、その手があったと、皮むきの手間を取らずに湯がいたのでした。 いろいろな煮物になりましたが、結構うまかった!
書いて気がつきますが、結構楽しんでやっているんですね。
これは、大事なことですね♪
もしかしていつか、パンを作ってみようなんて思うのでしょうか?!♪
掃除は相変わらずできていませんし、庭も草ボウボウ、生垣も伸び放題です。
自分の時間はパソコンに向かっていることが多いのですが、昼間横になることはめっきり少なくなりましたし、夜更かしも1時間ぐらい短縮されています。
そうですね、グレーゾーンのなかでも、自分らしさを作る作業は、行われているのかもしれませんね。
はなぽんさん、親御さんとの対決は、どのようにやられたんですか?
ほんとうに、「対決」だったような印象を受けますが・・・・。
「対決」の前までは、>思い込みとか、こうあるべき、とかいうフィルターを通してものを見ていた<のが、そのあとからは違ったんですね? インナーマザーの権威が無くなったのですかね?
それから、>生まれて初めて感じた「内発的な力」<のところも、示唆に富んでいるように、思われます。
自分の居るところ、自分の存在態様を、客観的に見られたようですね。 「居てもいいんだ」というか、「役割」というか、それこそ、自分の存在自体を肯定的に見ることができた、捉えることができた、みたいですね。
「存在が思考を決定する(だったかな?)」という認識論上の法則がありますが、まさしく、それに当てはまるようですね。
はなぽんさんのレスを読んでから、殊にこの4〜5日ほど、私自身の状況を変えることを真剣に考えなきゃならないかなと、思っています。 いくら、おふくろのことは考えないようにしていると言っても、毎日鼻を突き合わせている環境では、どうしても視野が狭くなるのではないかと・・・・。 考えることが、せいぜい食事のことだけでいっぱいになってしまうよな〜と・・・・。 買い物に外に出るのも、そのためだし、あと、おふくろをリハビリに連れて行き連れて帰るのも、おふくろのためだし・・・・、と。 何らかの形で、外で働くなり動くことを考えたほうがいいかな、と。・・・・・・・・・
嬉しさがそのまま伝わってくる、はなぽんさんのレス、嬉しかったです。 その他にも、いろいろ思われたことや変化があったことなど、また、書いてください。
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■6617
/ inTopicNo.7)
Re[3]: 己の核&グレーゾーン
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□投稿者/ はなぽん
-(2008/05/18(Sun) 01:02:39)
はなぽんの親との対決は、第一ラウンドが、電話での怒鳴りあい。(泣きながら・・・)第二ラウンドが、非難の手紙の応酬。第三ラウンドが、音信不通。結局、だんなにジャッジに入ってもらって、長いブレイクの後、はなぽんの怒りのマグマの噴出が止まって、物別れに終わりました。ははは・・・(照)
インナーマザーの権威、無くなりました。相手の意見を、黙って聞くことに対して敗北感が無くなりつつあります。日々、修行したりしなかったり・・・友達に、自分の荷物を相手に少し持ってもらうように、愚痴を言うこともできるようになりました。聞いてもらったことに対して、過剰に恩を感じることもなくなりつつあります。
はなぽんは、楽しいことを見つけるよりも、今やっていることの中に楽しみを見つけるほうが、ずっと簡単だと思うんですよ。お料理、楽しみを見つけられたこと、
本当に良かったですね。SILVER7さんの心の中で凍り付いていたものが、溶けて動き出しているような印象を受けました。「外に出たい!」なら、「出ちゃえ!」ですよね。
はなぽんの目下の取り組みは、学生時代の事なのです。親はもうどうでもいいです。別スレを立てますね。
ではまた。
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■6623
/ inTopicNo.8)
Re[2]:遅レスです
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2008/05/21(Wed) 00:41:08)
やっと書けます。 遅レスになって、すみません。
受け止めるという能動性でしょうか?
いや、私、ちょっとそういう気持ちになって過ごすことができたんですが、これ、素晴らしいことじゃないでしょうか?
と、言うか、もう、そういう気持ちになってきています。
受け入れるという能動性ですね。
これは、私の言うグレーゾーンよりも1歩先を行っているように思います。 グレーゾーンだったら、まだ、白か黒か決着はつけないまでも天秤にかけているようなところがあるのですが、「受け止める」ということになると、黒も白もグレーも緑も青も赤も、そのまま認識するということになりますね。 圧倒的に、そのほうが楽だし、現実をよく把握できるように思います。
受け取る前にあれこれ考えたり心配したりすることがないわけですから、たいへん単純ですね。
事態を受け取ると、じゃ〜、どうするかという、次のステップになるんですね。
だいじなことは、この時、他の誰でもない、受け取った自分自身として、「どうするか?」と、考えているんですね。 自分自身が、主人公になっているわけです。
答えがすぐにわからなくても、誰かが代わりに考えるのではない、持っている自分の力が弱いなら弱いとしてそれも受け止めて、「どうするか?」と、自分に問い、自分で考えを見出そうとしている、・・・・ここが、素晴らしいと、思います!
正直、なかなか文意がつかめなかったのですが、先ほど読み返してみましたら、サラサラサラと、初めから終わりまでつながって理解できるようでした。・・・・・
受け止めるという能動性、野球で言えばキャッチャーに例えられますね。 球を受けるのが仕事ですが、チーム全体も、試合自体もプロデュースするポジションですね。
その日のその時のチームメンバーのコンディションをそのまま受け入れて、それで、どうプレーを組み立ててゆくかと考えてゆくわけですね。
>きれいごとでなく、本気で<と言われるのも、わかるような気がします。
>以前は持っていなかった「この気持ち」が、今は、わたしの中に在るようです…。<と、言われるのも、手応えのようなものを感じておられるのでしょうか?
引用返信
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■6625
/ inTopicNo.9)
Re[3]: :遅レスです
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□投稿者/ スケッチぶっく
-(2008/05/21(Wed) 13:13:31)
SILVER7さん、お返事ありがとうございます。
長い間、投稿しなかった・・・というか、
「こわくて、投稿することが、どうしても出来ない状態にいた・・・」のですが、
ようやく投稿することができました。
今から一年ほど前のことになりますが、
長男とのかかわりに悩んでいた妹から、
「息子との関係」について、アドバイスを求められました。
妹は、いつも「わたしには安心して、何でも話していいよ。」と言ってくれていたので、
多少の不安はあったものの、わたしは、「妹のこの言葉」を信用して、
「今まで胸に秘めていたこと」を思い切って、話すことにしました。
妹と子どもとのかかわり方が、「父母と同じことを行っている・・・、
原家族で学んできた暴力的なパターンをくり返している。」と述べました。
わたしは原家族の中で、「お守り役」を担ってきたので、
妹にすれば、
「いつものように、姉が自分の全面的な味方になって、なぐさめ、励ましてくれる。」
と思い込んでいたようです。
だから、わたしの話は、妹には一切通じませんでした。
彼女にとっては寝耳に水で、まったく理解できなかったようで、
「非常に厳しい対応」が、後で返ってきました。
わたしの心の中には、
「他の人たちは、もうあきらめてしまったけれど、せめて妹とだけは・・・。」
という強い気持ちが、まだあったので、
彼女から、厳しい対応をされて、すっかり混乱してしまい、
「不用意に、一言でも発すれば、おそろしい目にあう!」という、
子どもの頃の、あの気持ちが またぶり返してきました。
それから、山のように押し寄せてくる
「わたしの中の恐怖や怒り、不安・・」と、連日向きあうことになりました。
自分でも、ほんとうにあきれているのですが、
相変わらず「自分と向き合って、ただ固まっているだけ・・・」という状態が、
ずっと続いています。
それでも明らかに以前と違うのは、
「そんな自分を認められるようになり、
今も、まだまだ難しいのですが、なんとか受け止めてゆこう・・・」
という気持ちになってきたことです。
衝動的に動いたり、ただ操られるのではなく、
「自分」を少し信用して、
「自分自身」に聴いてみようかな・・・ということが出来るようになりました。
とにかく毎日、激流に飲み込まれないように、アップアップしている・・・ので、
今の自分が、どんな風になっているのか、よく分かりません。
でも「手応えのようなもの」を感じるとしたら、
息子が自分のやりたいことを見つけて、
人とのかかわりの中で、生きている姿を見られること・・・・、
そして、
それを喜べる気持ちに、今の自分が成れている・・・ことだと思います。
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