1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■6207 / inTopicNo.1)  会社でのコトとクランの子。
  
□投稿者/ しょう -(2007/08/17(Fri) 00:14:11)
    2007/08/17(Fri) 00:14:45 編集(投稿者)

    お久し振りです。しょうです。
    当時はモハメッドさん(見ていらっしゃるでしょうか;)には大変お世話になりました。
    色々あり、なにやらいい加減になってしまった気がします…。

    あの時学生だった私も今は社会人になりました。
    しかし今はフリーターになりました(少し前はニートでした)
    会社に通っていた頃自分は本当にACだなぁ、と実感させられることばかりでした。
    私は出身学校や特技の関係で新人の中でも期待を掛けられていました。
    配属先も会社で中心部と言ってもいいようなところを任せられる予定でした。
    それに答えられるように会社のこと、仕事のことを覚えないと、と思っていました。
    でも、ある日失敗をしてしまいました。酷く悩み落ち込みました。
    そこからはもう最悪でした。
    その失敗を気にして小さなミスが目立ち、また大きな失敗もしてしまい。
    それによるストレスで毎日貧血やらの体調不良、そんな中で仕事をするので毎日失敗ばかり。新人だから仕方ないよ、と上の人は慰めてくれるのですが、他の社員さんたちはどことなく態度が冷たく感じてしまったり(考えすぎかも知りませんが)
    それが怖くて怖くて…。
    突然涙が出てきたりすることも増えて、このまま車に轢かれてしまいたいと車に突進し出したりと危ない状態が続き、ある日とうとう発狂状態に陥ってしまいました。叫びだし暴れだしずっと「ごめんなさい」と震えながら口にしていました(でもその時どこか変に冷静にその自分を見ている感じでした)
    親もそこまでなった私に驚いて病院に連れて行き最近まで病院通いしていました。
    隣の県の病院まで行ってたのですが、そこでいい先生とカウンセラーさんに出会いなんとか落ち着きました。
    結局会社には退職届を出しに行くことも出来ず親に全てやってもらう形となりました。
    上の人からは「ある意味の潔癖症、完璧主義者」と評価されました。
    他人からの評価を酷く気にする性格で、職場ではもう息が詰まりそうでした。
    同期ともあまり性格が合わず、それを指摘される度に同期にあわせられない自分を責めてしまい、失敗しても落ち込み自分を責めて、他の社員さんの評価に怯えていました。
    自分の上にのしかかる期待にもこたえなくちゃいけない、だから弱音なんて吐いていたらダメなんだ、頑張らなきゃいけないんだ、という気持ちもあり、つらいと思っても無理やり会社に通ってたお陰で限界まで自分を追い詰めた結果がこれです。
    今でも会社のことを考えると怖くて仕方ないです。二度とあの場所には足を運べないと思います。

    今は落ち着いて友達が働いているところでバイトとして再スタートを切りました。
    時給は良いとは言えないですが、中学からの親友と呼んでも差し支えない友達が居てくれるのは私にとっても大きいです。
    周りの人達も本当に優しくて、のしかかる責任も軽くて。

    私はクランタイプの子供だったので今でも天然だね、と評価されるような性格しています。
    ただ個人的に度が過ぎていないか心配になります…
    クランタイプの方はこちらでは少ないような感じがするのですがどうなんでしょうか。
    天然って言えばどことなく聞こえの良い性格も知れませんが、相手の発言をちゃんと返せない、突拍子も無いことをやってしまう子ってやつなので…
    人によればムカつく性格かもしれないです。
    そういうのも最近は怖いなぁと。
    会社に行ってる間に他人の評価を気にしすぎたお陰で酷い人間不信にも陥って今も回復しきれていない部分があります。
    もともと人を信じるというのが難しい子だったので。

    折角勤めた会社を三ヶ月以内で辞めてしまったのも世間的にはアレなのかなぁ、と思うとちょっと心が痛む感じですね^^;

    まとまりない文章でごめんなさい。
    ここはこういうお話書いてもいい雰囲気があるので書きやすいです。
引用返信 削除キー/
■6210 / inTopicNo.2)  Re[1]: 会社でのコトとクランの子。
□投稿者/ マフマルバフ -(2007/08/18(Sat) 01:42:01)
    こんにちわ しょうちゃん。
    ホント久しぶりですね。

    わずかの時間に随分いろんな体験をされたようですね。
    特に4月前後は卒業・就職とめまぐるしく周囲が激動しますからたいへんですよね。

    私は卒業と就職の間に社会体験をつむ充電期間のようなものが必要ではないかと考えたりしています。
    特に日本社会は卒業・就職のレールしかないですからね。だったら高校時代に学校指定のアルバイトでもさせりゃいいじゃないか!と思うのですが、そうしたことはさせずに学校の枠にはめこんでしまいますから、誰だってスムーズに仕事に慣れることがむずかしいのに何事もまじめに目前のことに取り組んできた人は特に卒業・即会社の仕事っていうことに重大なプレッシャーがかかると思います。

    卒業・就職・すぐに退社。このケースはかなり多いようです。
    そして辞めていく人たちの理由はさまざまなようです。

    ただ、これまで頑張ってきたことはいったいなんだったのか?深い挫折感に捉われウツ状態になるようです。

    そこから抜け出して、アルバイトができるようになったことは「自分を誉めていいのではないでしょうか。」

    私も理由はしょうちゃんとは随分ちがいますが「最初に勤めた会社では自分がどうしていいのか分けが分からないまま人間関係につまずき、長いことトラウマとなってその会社の近くを通ることもできませんでした」。
    ・・・・この問題もカウンセラーに話していく中でじょじょに解決していきましたけどね。

    クランタイプ・・というのが勉強不測で私はイマイチよく知りません。・・・ごめんちゃい。

    最近あったことを少し話しますね。

    詳しくは話せませんが60代の方でした。無敵のエリートだったようです。しかし人生の半ばで身体にハンディを背負って無収入となり挫折感から立ち直れていない感じのようでした。
    その人が言うには人生は「宗教・芸術・科学」が必要であり、この三つがあればいいのだ、と言っておりました。
    アメリカ的発想に私は違和感をもちました。
    「そこに哲学・思想は必要ありませんか?」と聞きたかったのですが雰囲気的に聞いてはまずいようでしたので控えました。

    私はそれ以来その人にたまに会うと声をかけるようにしました。
    俺はエリートだ!という、その脆いプライドを傷つけないようにしてはいますが馴れ馴れしく声をかけると機嫌がわるくなるようです。
    先日出かけた先でバッタリであった時は「おおう、元気か!」とこっちが言いたいところでしたが、随分元気な感じになられているようです。

    挫折を長く抱えた人はちょっとした人との交流がよい刺激になるのではないでしょうか?
    これはただで得られるものではなく、本人がどう受け止めて解釈していくかでしょう。
    他人が言ってわかるものではありませんよ。

    。。それじゃまた。
引用返信 削除キー/
■6225 / inTopicNo.3)  Re[2]: 会社でのコトとクランの子。
□投稿者/ しょう -(2007/08/21(Tue) 00:16:53)
    こんにちは。お久し振りです^^
    まだこちらにいらっしゃってなんだか嬉しいです。

    私は三月の半ばから研修が始まったんですけどね...早いスタートでした。

    やはり人間関係というのは誰しもが躓く場所なのかな、と思います。
    私の場合は会社まで交通機関が非常に不便であった点もマイナスだったかもしれないです。
    下手すると通勤に往復2時間は取られてしまうので。もっと近場で利便性のいい場所に勤めていればせめてあと1時間"自由"の時間を得られたのかもしれません。
    朝、親が起きるよりも早く起きて、親が起きる頃に家を出て、帰りは父親と同じくらいに帰宅、そのままご飯とお風呂入って疲労により倒れるように就寝。それだけしか繰り返せない毎日ははっきりいって生きている意味あるのかな、私。という物凄く暗い思考でした。
    仕事もあまり与えられず、就職して二週間は八時間座っているだけでした。時間の経過をこんなに遅いと感じたことは今まであったかと思う位でした。毎日時計の針が少しずつ進むのを見て、早くこの場から帰れるのを待っていました。周りでカタカタ動く機械音、難しい顔をして仕事をする先輩の社員さんたち。喋ることも許されずに座っているだけ。
    最初の二週間くらいがそんな状態だったのでもう既に最初から精神的にもこてんぱんだったと思います...。

    クランタイプはこちらのACの定義に書いてあったものを参考に言っただけなので正しい内容じゃないかもしれないです^^;すみません;

    エリートから転げ落ちた方というのはどういうものなのでしょうかね...。
    私も多分きっと変なプライドある方だと思うんですが...。
    人との交流って大事だと思うのはものすごく頷きました。
    私なりのムリヤリの解釈かもしれないのですが。
    人生に必要なモノというのは人によって色々あるんじゃないかな、と思いました。
    高校のときの先生が「この世にはお金で買えないものは確かにある、でもお金が無いと得られないもののほうが沢山ある」と言っていました。
    つまりは理想と現実は違うというやつですよね。
    ああ、なんか意味分からないかもしれないです。すみません^^;

    どうもぐだぐだ話してしまう感がありますね…。
    明日もバイトです。仲良くしてるバイトの人と同シフトなので楽しくやれそうです。
引用返信 削除キー/
■6226 / inTopicNo.4)  Re[3]: 会社でのコトとクランの子。
□投稿者/ マフマルバフ -(2007/08/21(Tue) 00:46:11)
    しょうちゃんへ。
    しょうちゃんのご指名を受けて光栄のきわみでしたよ。
    しょうちゃんの文章は数回読ませてもらいました。
    昨年からの軌跡を考えると大変なご苦労をされたのだなと感じ入っておりました。


    わたしも身辺の事情がいろいろとあり、考えつくしまもない中で返事を書いてしまいました。しょうちゃんの辛さを共感することが伝えられていないことに気づきました。

    卒業して最初の職場でつまずくとそれがトラウマとなり後に尾を引いてしまうものですが短期間にアルバイトができるまでこぎつけたのはしょうちゃんの努力の成果であろうと思います。想像を越えたプレッシャーがあったのですね。
    ここで少し涙がにじみましたよ。

    会社に勤め、苦悩するなかで自分をACと自覚できたことはよかったのではないでしょうか。
    ・ ・・・・ACの問題を自覚できたならもう自分を責めることはしないで下さいね。
    ・ といっても簡単にできることではなかっただろうと思います。
    苦悩のするなかで、しょうちゃんが気持ちの整理をして冷静に現実をみていることに私なんか驚いています。

    。。。。。。。。。。。。今 送信しようとしたらしょうちゃんのレスが入っていて少し書き直しますね。
    友情が金で買えないとつくづく思います。
    気持ちが少しでも通じる人がいるとどれだけ救われるでしょうか。
    そして大切にすると同時に友人に頼り過ぎないようにもしなければなりません。

    まぁ何ていうか、金だけにふりまわされず確固とした自分への信頼感を築いていこうよ。
    そういう面では野鳥観察は私にいろんな経験をさせてもらいましたよ。
    毎日の生活におわりはないですよ。焦らず淡々と生きていくことも大事ですよ。

    じゃぁ。

引用返信 削除キー/
■6245 / inTopicNo.5)  共依存?
□投稿者/ しょう -(2007/09/02(Sun) 23:27:24)
    こんにちは。
    忙しさと、言葉をまとめることがなんだか出来なくて(ぐだぐだレスが続くと鬱陶しいのでは、という考えが…でもお話し聞いてもらうのすきっていうワガママな私なんです。)

    いきなりガラリと話題の方向転換になってしまうのですが、共依存に悩み始めています。
    ぐっさりきたのが、親への無意識な依存かもしれません…ね。
    結婚してほしくない、彼氏とか作って欲しくないという親への私に対する依存を全力で受けて、現在も恋愛とかしたくない状態だなぁ、と思いました。高校時代も私彼氏作らないから!なんて冗談で言ったり断ったりを繰り返して結局本当にそのままになってしまいましたよ。
    思うと、これが共依存ってやつなのでしょうか…ね。ただ単に恋愛に本気で興味が無いだけかもしれませんが^^;あと母親が、私みたいにはならないで、父親みたいな人とは結婚してはいけないよ、を聞きすぎたのも無きにあらずかもしれないです。
    被害妄想も酷い上に、人から嫌われるのが極端に怖いです。誰かと接した後は私のあの時の言葉はあの人に不快を与えてしまったんじゃないか、それで嫌われたり影で悪口を言われていたらどうしよう、と思うこともしょっちゅうで…(高校時代それで学校に行けなくなりそうになりました)
    おかげで友達に物凄く依存してると思います。気付いたら凄い依存具合だったと思います。
    自分を犠牲にしても友達をつなぎとめていられるなら構わないと本気で思うのは少しおかしいみたいですね…^^;骨折程度でいいなら友達を繋ぎとめておけるなら構わない感じです。どうぞくらいの気持ちです。
    小学生時代友達を繋ぎとめておくために、叩かれるのも我慢して、酷いイジメじみた行動も耐えてたことがあるので、かなり酷いかもしれないです...。何も気付かずにその頃はやってましたが。
    バイト先が同じ友達に恐ろしいくらい今依存してしまっていて、それに気付いて落ち込んでしまっています...。
    自分の知らない人間関係を築かれるのが嫌だったり(それによって自分はいらない存在になるのが怖いんです)
    仕事している最中も無意識にその子の近くにいってしまったり(行こうとかそんな気持ちがないから余計恐ろしいです)
    あの子に嫌われたら私はどうしよう、という感じです。
    私にとって友達は大切だけど怖い存在です。嫌われたら、突き放されたら生きていけないです。
    友達に好きな人ができたんです。友達がシアワセになってくれるなら応援したい、と思って応援しました。うまくいきました。
    その人と嬉しそうにいると寂しいんです。私はいらなくなったのかな、友達と恋人は違うから、友達の私はいらないのかな、と思うと寂しくて寂しくて。思わず今日他の友達を呼びつけて寂しいと訴えてしまいました。友達が恋人とかなら私は凄く鬱陶しい人に違いないと思います。
    私は友達に凄く必要とされたいです。ずっと構われていたいし、必要と言われたいんです。
    私は、アルコール依存が酷い両親の酷い夫婦喧嘩を見続けてきたので、恋愛とかよく分からないんです。だから、なんでみんな恋愛のほうにいくのかなー…と常々思ってしまって。
    私はきっと恋愛=傷つくものだと認識してしまっていて、友達に逃げているのかしもれないですね^^;むずかしいです。
    今も寂しくて、他の友達に寂しいって訴えたけど、信じてあげるしか…と言われて。
    信じたいけど信じられない自分が最低だなぁと落ち込むばかりです。
    ちょっとしつこい人かなー私、程度に思ってたんですが、あまりにも最近依存しすぎ!と思ってしまいます...。
    突然の話題変えごめんなさい。
    毎回文章もおかしくてすみません;
    もう少し言葉を上手く使えたら良いんですが;;

    でわ。
引用返信 削除キー/
■6248 / inTopicNo.6)  Re[5]: 共依存?
□投稿者/ マフマルバフ -(2007/09/06(Thu) 00:19:34)
    しょうちゃんへ。

    レスをつけることにここで遠慮はいらないですよ。
    しょうちゃの気持ちを最優先したほうがいいと思います。

    僕はいつでもしょうちゃの言葉に耳を傾けています。どこに居たって声は届くんだというような気持ちを持ってください。

    さて しょうちゃの親への依存、友人への依存についてはもう少し考えてから返事をしますので もう少しお時間をくださいね。

    じゃ。
引用返信 削除キー/
■6252 / inTopicNo.7)  Re[5]: 共依存?
□投稿者/ マフマルバフ -(2007/09/06(Thu) 22:14:52)
    しょうちゃん。
    しょうちゃはいろいろな問題に気づき、友達に相談したりして人の意見を聞くこともできる。そこに私は救われる思いがします。
    共依存というものも捉えかたによって随分変化するようで私は原家族からの共依存から脱皮するのにずいぶん時間がかかっちまいました。
    しかしそれをしょうちゃにどう説明したらいいのかわかりません。

    まず 親(この場合母親)の苦労の聞き役であったことから必要以上に必要とされてしまったご苦労があります。聞く側にとっては耐えがたいストレスとなっております。
    これはある意味親からの従順さを過度に要求されてきたともいえると思います。
    これは養育されている子供の側からみれば逆のことであろうと思うのです。子供の側こそ聞いて欲しい、受けとめて欲しいのでですよ。
    だからのびのびとした自己感情を表現できなくなるよね。
    人間関係の対応と言うスキルがバランスよく身に付いていかないのだと思う。

    それよりも鬱屈してストレスはどんどん溜まるばかりで放出できず、親しい友人がいれば親との関係を友人との関係でも未熟なまま引き継いでしまうのだろうと思うのです。

    親にとって子供は思い通りだったかもしれませんが子供にとっては友人は思い通りにはなりません。
    まずこのパターンをよく自覚することです。
    細かく言うとキリが無いほどです。
    しょうちゃは目前のことにばかり捉われず、振り回されないように自分の遠い未来に、あるいは遠い目標に目を向けてほしいです。
    「自分こそが幸せになる権利があるのだと、それは親の受け売りの人生ではなく そこから脱皮してこそ幸せっぽいものを手に入れられるんだと」
    これはハリウッドスターのような華やかな幸せではありませんよ。
    すごく地味でささやかなことにも喜べる、毎日三度三度ご飯を食べるような地味で大切なことだろうと思います。

    少しでも伝わったかな?しょうちゃ。

    じゃあ。

引用返信 削除キー/



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