1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■546
/ inTopicNo.1)
死に近づく母について思うこと。
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■
□投稿者/ りりー
-(2004/05/19(Wed) 02:23:22)
今日、母の死期が近づいていると、実家に帰ったときに聞かされた。
覚悟はしていたが、これで自分の時間が持てるようになる、とも思った。
現実逃避かもしれないけど…。でも、そう思ったことは事実。
そして、こう思ったことを、母の死後、激しく後悔するだろうとも思う。
こんなことを感じることにさえ、煩わしさを覚えている。
私は家族が、私と離れたところで元気でいてくれることを望んでいた。
タイミングが悪過ぎる。子供の頃の価値感を持ち続けていた頃か
全ての憎しみを手放した後なら、私は親想いの優しい娘でいられたのに。
でも、過去には戻れないし、未来にも行けない。
母の死に関する本音が自分でもわからなくて、この先の予想がつかないのが怖い。
今の状況でわだかまりを持ち続ける私。
今の自分を受け止めたいけど、あまりにも辛過ぎます。
すみません、誰にも言えないことだから、誰かに聞いて欲しかったんです。
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■548
/ inTopicNo.2)
Re[1]: 死に近づく母について思うこと。
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□投稿者/ うめきち
-(2004/05/19(Wed) 05:36:22)
りりーさんのお母様との間の事をよく知らないのですが、何かしら通じる所があるように思え書き込み致します。
私も身近な者の死を「これで・・」と思った事があります。
私の場合は祖父でした。
祖父は同居していた訳ではないのですが、車で少しの距離に住んでおり、長男の孫で当時家業を手伝っていた私が一番、祖父からの風当たりがきついでした。
くだらない用事で呼びつけられたり、「お前はいい親を持って幸せなのに他の孫は可哀相だ」だの「お前は仕事があるのに他の孫は仕事が見つからなくて可哀相だ」だの何だの、訳の分からない理由で怒られたり、他の孫には言わない小言も色々言われましたし。
他の孫には来る度に小遣いをあげたりしてるのに、私には逆に催促したり・・。
同じ孫なのになぜ自分だけと恨みもしました。
祖父は永らく病気を患っており入退院を繰り返し、そのたびに入退院の準備・送り迎え・お見舞いに来た人の接待etc・・。
父も母もいるのですが、父は指図するだけ、母は気の利かない人で・・。父の兄弟は「長男が居るから」と、お客様気分でしたし、結局は私が右往左往でした。
「余命何ヶ月」と言われてから元気になり退院、また数ヵ月後に入院と、何度となくくりかえし・・。亡くなる前も、何度となく夜中に呼び出されては寝る暇も無く仕事に行きました。
祖父が亡くなりお葬式で奔走し、祖父を出棺した時、つい・・「これで・・」と、ほっとした事を覚えています。
他の孫は泣いていましたが、私は涙も出ませんでした。
酷い孫だな・・って自分でも思いました。
でも、毎日のように電話で呼び出されていた事を思うと「これでやっと電話に怯えて暮らさなくていいんだ」「やっと祖父の我儘に奔走しなくていいんだ」「やっと終わった」と、本当に素直にそう思ってしまいました。
祖父が亡くなって・・、49日・1年忌と済ませ、やっとゆっくり祖父のことを考える事が出来る気がします。もう少し祖父に優しくしてあげられれば・・とか・・。
でも、その時は毎日の事に精一杯でした。
まだ、旧態依然としている封建的な父と、我儘勝手にやっている母が残っています。
だいぶ年老いてきており、両親の時、私はどう思うのだろうと思うと、とても切ない気持ちで一杯になります。
りりーさんの場合はもっと身近なお母様の事だし、事情も違うでしょうし・・。
私がこんな事を言っていいのか分からないのですが。
どうか、お母様の事をそう思ってしまうことで、ご自分を責めないで下さい。
色々考えてしまうかも知れないけれど・・。
辛いと思いますけど・・。
まずは今出来る事をすることだけを考えて、他の事は深く考えないように。
これからまだ色々辛い事もあると思いますけど、自分を大事にしてくださいね。
私みたいな者もいる事を伝えたくて・・。長々失礼しました。
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■556
/ inTopicNo.3)
Re[2]: 死に近づく母について思うこと。
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□投稿者/ りりー
-(2004/05/20(Thu) 06:06:51)
うめきちさん、レスありがとうございます。
>私みたいな者もいる事を伝えたくて・・。
嬉しかったです。不安が安らぎました。
うめきちさんのお祖父様のお話を聞いて、私の今の心情は母に対するものだけではなく
祖母へ対するものも大きいと認識することができました…
母がまだ動けた頃、仕事を辞めて実家に戻ろうとしたことがあったんです。
でも、祖母は「いい年の大人にブラブラされても…近所の目もあるし」と言われて
そんな風に思っていたことにショックを受けました。
後で知ったことですが親戚や近所に私のこと、嘘ついてたんです。
勤め先や交際している人のこと。
それでね、仕事頑張ったんです。無条件で愛してもらえないし、帰る場所もないし。
これから先、ずっと一人かもしれないし。
なのに、母が寝こむと呼び返されるようになって、帰らないとガッカリされました。
家事も要請して、休みの度に帰ってくる家族思いな孫、と近所に自慢して。
あと、連鎖を考えると母を育てた祖母への恨みもある。と思います。
母も入退院を繰り返し、治療方法が無くなり家族は実家で看取る決心をしました。
ずっと意識がない状態なので、それだけが救いです。
きっと死ぬことの恐怖や苦痛を聞けば泣いて泣いてすがり付いてしまったと思います。
それから病人であっても過去のことを責めてしまったかもしれません。
もしかしたら今も奇跡的な回復を望んでいるのかも。バカみたいですが。
老齢である祖母にも、死の間際にいる母にも、私は変わってくれること、無条件の愛情を求めていたような気がします。
自分の心の余裕のなさ、愛情の浅さ、自分勝手でわがままな部分を受け入れられなくて
自己否定感が増していましたが、
母のことと祖母のこと、分けて考えると、少しはゴチャゴチャした心を整理できそうです。
それで自分がどう変わるのかわからないけど…。
うめきちさんの苦しかった思い出を話していただいて、
何と言えばよいのかわからないですが、話して下さったうめきちさんの苦悩と頑張り、
伝わってきました。認めるというと偉そうで申し訳ないのですが、そんな気持ちです。
読んで下さって本当にありがとうございました。
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■584
/ inTopicNo.4)
Re[1]: 死に近づく母について思うこと。
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□投稿者/ 波
-(2004/05/28(Fri) 11:47:09)
■
No546
に返信(りりーさんの記事)
管理人さん、不適当でしたら削除してください。
りりーさん、今頃レスされてもお困りかもしれませんが最初のカキコを
拝読した時からずっと考えていました。
既にお母様を看取られたのでしょうか?もし、そうでしたらこれから
書くことは忘れてくださいね。
私も母を亡くし、死の前、数年は週に数回病床を訪ね、最後の数ヶ月は
毎日、そしていよいよ最期という2週間は病院に泊まりました。
リリーさんのように遠方ではなく車で40分くらいの所でしたので
頻繁に行く事も可能でした。しかし、家庭と仕事を持っている身には
体力は限界でした。
これは心からそうしたくて病院通いをしたのではありません、そんな風に
考えられる訳がありません。小さい頃からの私への”仕打ち”は忘れる事が
出来ず周りの目を気にして”良い娘”を演じるためにせっせと病院に
通ったに過ぎません。
死が近づいた時、私の(精神科)主治医から「恨みつらみも沢山あるよね、
それをお母さんの耳元で話してみてごらん」と言われ、実際そうしました。
聴覚だけは死の直前まで残っているといわれますが本当かも知れません。
泣きながら繰り返し話す私の話の後で、母は一筋涙を流したのです、
全く意識がないといわれていた母に聞こえていたのでしょうか?それとも
単に横向きで圧迫されていた涙腺から水分が出ただけなのでしょうか。
あの時、母の涙を見て「赦そう」と思ったのに今でもゆるすことが出来ずに
苦しんでいます。逆に「自分の手で殺せば気が済んだのかも」という思いが
ふっとよぎります、自分が怖いです。
りりーさん、ごめんなさいね、あまり関係のないレスになってしまったかも
知れないのですが”何か”書かずにいられなかったのです。
読んでくださってありがとうございました。
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■600
/ inTopicNo.5)
波さんへ
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□投稿者/ りりー
-(2004/06/03(Thu) 01:53:30)
波さん、レスありがとうございます。
私は色んな言い訳を作っていたのかもしれません。
行き来する時間は関係なかったように思います。
時間を大切にしたいというのは、本当ですが
今よりも近ければ私はもう倒れているか正気を失っているのではないかと。
私も世間体を気にして帰っています。
周りの人は、私を立派だね、優しいね、大変だね。って誉めてくれるけど
そう言われても、素直に受け入れられないです。
そんなつもりでしていることではないから…。
なのに、子供が親のために苦労するのは当たり前、それが普通みたいな顔されると
すごく腹が立つし…なんだか自分がわからないです。
家族に頼りにされたとき力になれないと罪悪感を感じますし、
失望されると私の存在価値がなくなるように思います。
それも怖いのだと思います。
今、家族は母のことで団結しているんです。
私はその輪から抜けきることができないんでしょうね。
母の死後(現在は存命です。)のことを考えると気が重いです。
> 死が近づいた時、私の(精神科)主治医から「恨みつらみも沢山あるよね、
> それをお母さんの耳元で話してみてごらん」と言われ、実際そうしました。
私は小声ですが恨み言を囁きました。(お返事いただく前です。)
聞こえてないだろう、でも、聞いて苦しめばいい。そんな気持ちでした。
その後は普通に世話することが出来ないです。
私の行動すべてが嘘なんじゃないかって。それが苦しいです。
> あの時、母の涙を見て「赦そう」と思ったのに今でもゆるすことが出来ずに
> 苦しんでいます。逆に「自分の手で殺せば気が済んだのかも」という思いが
> ふっとよぎります、自分が怖いです。
波さん、私もそうです。本当に”ふっ”と思います。
すぐに打ち消しますが…。
本来なら生きているうちに赦せたらどんなに幸せかと思います。
そう出来ない自分を責める気持ちも大きいです。
でも、無理しても許せるものじゃないという気持ちも大きいです。
過去は変えることができないから…。
今は「自分の気持ち」よりも「母の気持ち」を考えてしまい
自責の念に囚われています。多分この先もだと思うのですが。
> りりーさん、ごめんなさいね、あまり関係のないレスになってしまったかも
> 知れないのですが”何か”書かずにいられなかったのです。
いいえ、波さん、随所に優しいお気使いを感じました。感謝しています。
ありがとうございます。
波さんのお話があまりにも今の私の心情と一致していて
甘えて心の内を書かせていただきました。
こちらこそ読んで下さってありがとうございました。
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