1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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No5898 の記事


■5898 / )  Re[3]: Reすこしご意見伺いたく
□投稿者/ フー [MAIL] -(2007/05/01(Tue) 22:48:52)
    K太郎さん こんばんわ
    >
    > 僕は、47歳です。

    私は46です。ちょうど同じくらいですね。

    > ACという言葉に出あったのがほんの2年くらい前です。

    私もいろんな心理学の本やら、カウンセリングやら受けましたが、堂々めぐり。
    5年ほど前ACという言葉にであってから、やっと実質的な回復への道をたどったと実感しています。

    > だから、世間のいろいろな親密さというのもある意味、共依存的なものが含まれているんじゃないかと思えるのです。

    そうですね。親密さ、愛というのの大部分が共依存と混同されているのが事実です。そこでなおさら、そうでないものというのを実感したいとも思っています。
    >
    > 僕が自覚できたことは、人はみんな孤独であたりまえだということでした。

    あ、それは僕も思いました。つまり今まで自立していなかったんだと。ACでない人は一人であるということをしっかり受け止めているということが。

    > ただ挨拶をするだけでもそれも親密さなのかなあと思えるようになりました。

    しらない人とちょっとつまらない雑談をすることが楽しかったり。
    そんなに深く知り合う必要なんかないんだと
    確かにそう感じることが少しづつ出てきたようにも思えます。


    > 本当の愛って何なんでしょうね。
    > 確かに愛だと思っていたものが、執着に過ぎなかったということは良くあることですよね。
    > 愛は人の中にあるというよりも
    > 人と人の間に働くもののような気がします。
    > 誰かが誰かを愛するのではなく
    > 誰かと誰かの間に愛が働く
    > マザーテレサさんはそれをキリストと言っていたんですよね。


    そうですねー。私が疑問に思っているのはもっと具体的にいわゆる男女間の愛というもので、いったんは親から自立した男と女が再度結ばれて(依存しあって)、親に依存するしかない子供を作って、という以上それは本質的にきわめて共依存的行為であって、共依存ではない恋愛ってそもそも存在するの?ということなんです。つまりACでない人の恋愛というのがさっぱり理解できない。私が感じる恋愛感情というのが常に共依存的でありきわめて危険であることが今では自覚できるようになりましたが、ではそうでないものって何?これはACでない人に聞いても、多分AC自体が理解できないだろうし、ACの人は共依存=愛だからこれもまた理解されないしいうことでして。K太郎さんのおっしゃっているその愛がこの場合にもあてはまるのか否か、具体例があるのかそれともあくまで観念的なお話なのか。(ちょっと立ち入ってしまって大変失礼なのですが差し障りない範囲でお聞かせねがえれば)、




    > そして自分の生きてきた道はやっぱり自分が好きで歩んできたものだったような気持ちが少し僕の中で起きています。

    あー、そういうふうにはあまり感じたことがなかったです。今後そんなふうに考えられるようになるのかな。


    > やっと、自分が感じることを認めることそれを外に表現することが少しづつできるようになってきました。
    > そんな中で本当に面白いと思うことを飽きてしまってかまわないから自分にやってみることを許しています。

    いま手放しでほんとに面白いと思えだり好きだと思えることっておありでしょうか?
    私は手放しで・・・というのがまだありません。すべてのことにまだ疑問府がついてしまいます。もしおありならいつぐらいからそう思えるようになったのでしょうか。

    いろいろ質問してしまってすいません。一つ一つのお話が今後の参考になるといいますか、とても助かります。
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