1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■5981
/ inTopicNo.1)
Re[12]: ご迷惑でなければ
▼
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□投稿者/ HANA-KO
-(2007/05/25(Fri) 22:47:15)
フーさん、こんばんは。
教えていただいた東ちづるさんの本を読んでいます。
まだ途中ですけれど、確かに、考えさせられますね。
(AC関連の本は極端すぎるところもあって、ちょっと身近に感じられない部分もありました)
> HANA-KOさんの両親もおそらくは同じだったんだと思います。(ACの世代連鎖)でも大きな違いがあります。それは
>
>>私も回復の道を歩き出したいと思っています。
>
> ACに気が付いて改善しようという意思をもったことです。回復には時間がかかると思いますが、少なくともその意思は絶対子供さんにつたわると思います。
ありがとうございます。
フーさんをはじめ、ここに居る皆さんとともに、少しでも成長できるようにしたいです。
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■5977
/ inTopicNo.2)
Re[11]: ご迷惑でなければ
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□投稿者/ フー
[MAIL]
-(2007/05/23(Wed) 00:39:02)
HANA-KOさんこんばんわ。
> フーさんは、回復されてきて、うつや抑制(動けないかんじ)は良くなりましたか?
これはもうものすごい改善です。以前はいつも断崖絶壁に滑り落ちる寸前でしがみついているような感覚でしたし、いつも「死にたい」と思っている状態でした。うつはまだありますが全然軽いし、「死にたい」というのは意識に上らなくなりました。やっと自分の感覚に耳を傾けれはじめたという感じです。
前回の補足になりますが、計らずも今回実家の母が訪ねて来、今日帰っていきました。改めて書込みの内容も考えたりしながらすごしました。母は買い物にいったり掃除やら食事やらなにかと世話を焼いてくれます。よく見られるほほえましい母と子の関係です。しかし、私の心の中は「ああうっとうしいなあ。はやく帰らないかなあ。」気が重いのです。昔から親孝行なことはほとんどする気がしません。昔は「なんて自分は親不孝なんだ。冷たい人間なんだ。」と自分を非難していました。今はこの感覚にもっと耳を傾けてみます。なぜ親孝行したくないのか。この感覚は「その手に乗りたくない」という感じです。母は、どうやったら息子が喜ぶかばかり考えています。私の反応で、意見や好みをころころ変えるのです。もし母が、自分の意思でここに行きたい、これを食べたい、といえばたぶん私は喜んでそれをすると思います。しかし母がしようとしているのは、息子が自分を愛するように私の心をコントロールすることなのです。これが「その手に乗りたくない」という感覚の正体だと思います。
これは全く自分がやってきたことと同じなんですね。いつもどうやったら周りに受け入れられるかを考えて行動している。
今の自分は、そのような自分のやり方が実は人に対して不誠実で無責任あるということは学習しました。
前回まで、どこか家族におかしいところがあるはずだ。という前提で私は書いていましたが、かならずしも適切では無いかもしれないと今回思い直しました。というのも、上記の行動自体が悪いというよりは、そこに自分はどうしたいという意思が無いことがもっとも問題だったのではないでしょうか。
子供は、親が何をしてくれたかより、親がどう生きていたかを見てそれを手本に育つのだと思います。
>今、私も自分が感じていることが全くわかりません。一生懸命問いかけてみるのですが、どうしたいのか、どう感じてるのかわかりません。
>これまではこうあるべき、こうすべき..みたいなもので動いてきたようです。(できてないんですけど)
HANA-KOさんの両親もおそらくは同じだったんだと思います。(ACの世代連鎖)でも大きな違いがあります。それは
> 私も回復の道を歩き出したいと思っています。
ACに気が付いて改善しようという意思をもったことです。回復には時間がかかると思いますが、少なくともその意思は絶対子供さんにつたわると思います。
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■5974
/ inTopicNo.3)
Re[10]: ご迷惑でなければ
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□投稿者/ HANA-KO
-(2007/05/22(Tue) 22:34:32)
フーさん、こんばんは。
書いてくださって、どうもありがとうございます。読ませていただきました。
ご家族の境遇は違っても、感じ方や言葉の端々に「あっおんなじだ」というところがあって、共感できるというか安心できるのです。
今、私も自分が感じていることが全くわかりません。一生懸命問いかけてみるのですが、どうしたいのか、どう感じてるのかわかりません。
これまではこうあるべき、こうすべき..みたいなもので動いてきたようです。(できてないんですけど)
少しずつ自分を育てて行きたいのですが、自分の片鱗さえまだ見つかりません。
そういえば、昔から自分はプラスの感情があまり無いな〜と(そのころはお気楽に)思っていました。いやだとかめんどくさいとかマイナスの感情はあるのですが...
またかなり大人になるまで、もしかしたら今でも「愛する」という言葉にしっくりくる感情が自分の中にはないな〜と思っていました。
ほんとにほんとに多分、貧弱な自分ですね。
フーさんは、回復されてきて、うつや抑制(動けないかんじ)は良くなりましたか?
今まで、ごまかしながらやってきましたが、どうもそうも行かなくなってきてますし、何よりもっと良い人生を送りたい!と切実に思います。
私も回復の道を歩き出したいと思っています。
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■5967
/ inTopicNo.4)
Re[9]: ご迷惑でなければ
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□投稿者/ フー
[MAIL]
-(2007/05/20(Sun) 22:33:15)
HANA-KOさんこんばんわ。
>もしご迷惑でなければ、ご自分の家庭への思いがどのように変わっていったのか、お話しいただけますか?
私も回復途中です。いろいろ書いていると、自分でも新たな発見があったりして良いのです。
ACからの回復を目指しだしてからまず次のことを実践を始めました。
◎本音はダイレクトに心に届く。
どんなに稚拙な言葉でも本音で行動すると、みんなに伝わります。でも本音を隠しているとどんなに筋を通して論理的に説得しても、結局伝わらずうまくいかないのです。本音で行動する。それが「どうしたいか」で行動することでした。
昔から、自分がずっと気になっていたことがありました。
父は自分が中学のときになくなりましたが、私は父と会話をした記憶が無いのです。
ずっと一緒に住んでいたので、そんなはずは無いのですが、覚えているのは父が怒ったときに「何でそんなにばかなの!」といわれた記憶だけです。
あるとき気が付きました。あーそうか、りっぱな父親であろうとするあまり、父は本音を語っていなかったんだ。本音じゃないから覚えていないのか。怒ったときに思わず出た本音があの言葉だったのか。
結局、本音しか伝わらなかったんだ。子供には。。。。
で、今の自分は(今の自分は子供はおりませんが)結局同じことをしているんじゃないか。
人に不愉快な思いをさせたくないと本音を隠している。
父と同じだ。。。でも、父は自分に似ていく自分の子供をみて、思わず言ってしまったのがあの言葉。
僕はしょっちゅう「あーなんてぼくはだめなんだ。ばかなんだ。だらしない」と自分を非難している。それは父が自分にしたことを、結局自分にしつづけている。もし子供が自分に似てきたら、多分同じことをする。と強く感じました。
このときからです。とにかく本音で語ろう、ごまかしをなくそう。自分を非難するのはやめよう。
本音でもし軋轢が生じても、本音である限り解決の糸口はみつけられるけど、ウソはつきつづけるしかない。
それは自分の本音をさがす過程だったともいえます。自分が自分にだまされているからこれがむつかしい
しかし、自分が本音を言ったかどうか知る手段があります。それは、ごまかしがあると、後でうつを感じるのです。
◎良いことも悪いこともしかるべき理由がある。
うつや不安を感じるのにもちゃんと理由がある。心の底では自分がウソをついていることがわかっている。
本当は正直だからこそ、ウソをついた自分に対する抗議、それがうつなんだと。
自分が何か行動したあとで、その結果うつや不安を感じたら、どこかにウソがかくれているのです。
「あれ?自分はしたいようにしたはずなのに、うつを感じている。どこでごまかしをやったんだろう?」
そんな問いかけを何度もやりました。そして、よーく考えるとそれが見つかるのです。
次に大きな問題、小学校でいじめられても隠しとおし、成人してからもうつで自殺願望をもちつづけて苦しんでいるにも関わらず、家族の前では立派な社会人になったかのように振る舞いつづけてきたこと。このごまかしを清算しようと考えました。
母に話しました。
そのとき感じたこと、自分がうちの家族はここはおかしいんじゃないか。というと母はこういいます。「いいや、どこの家庭もそうよ。」「みんなそうだったよ」「あんたの考えすぎよ」
まず否定からはいります。くさいものにはふたを。不誠実さをかんじました。
僕のいっていることが正しいか間違っているかはさておき、おかしいと感じていること、それをまず受け入れてほしいのです。
僕はこうやって自分の感じていることを否定され、自分の感覚をないがしろにするようになったのか、と思いました。
◎おかしいと感じたならば、何かがおかしいのです。(西尾和美)
いままでごく普通と思っていた母も、そういう目でよく観察するといくつかの節目で「おかしい」ことがいろいろあるのです。
・祖母がなくなった時、親戚間との軋轢が噴出。「え?母ってもっと聡明な人だと思っていたのにこんなに自己中心的?」
・母に私の父のことを尋ねても、(たとえばなれそめとか)さっぱり父の人物像が見えてこない、語るのを避けているようにも思える。
・母と同居する弟が結婚した後、弟夫婦と険悪な関係に陥ったこと。(それまでほんとにやさしい母、弟と思っていたのが)
この過程で感じたことは、あんなに長く一緒に暮らした家族だったのに、ほんとに自分は家族の一面しか知らなかったんだということでした。
一時期母にわかってもらおう、変わってもらおうとがんばりましたが、なかなか難しいです。よく考えると、親も昔きちんと育てることができなかったのに、今やり直せといったって無理なんですよね。自分がカミングアウトすることはひとつの通り道をして必要だったとしても、もはや自分をきちんと育ててくれるのは自分しかないんですよね。自分が幸福になろうとしないかぎり、だれも幸福にはしてくれない。
ところが私は、何をしたら自分がうれしいのかわからないでいる。だからまずは辛いこと、やりたくないことをできる範囲でやめていきました。今は自分がどうあれば幸福なのか?それを探しています。
長文すいません。参考になるかわかりませんが、書いてみました。
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■5963
/ inTopicNo.5)
Re[10]: 読んでみます
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□投稿者/ HANA-KO
-(2007/05/19(Sat) 02:26:30)
SILVER7さん、
ありがとうございます。読んでみますね。
引用返信
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■5962
/ inTopicNo.6)
Re[8]: ご迷惑でなければ
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□投稿者/ HANA-KO
-(2007/05/19(Sat) 01:39:46)
フーさん、こんばんは。
このスレを立ち上げてから、何冊か本を読みました。
(フーさんに紹介していただいた本もこれから読んでみます)
私のうつには原因が見当たらない...と思っていたのですが、
自分の感じること(何か食べたい、めんどくさい、など)すべてに、
そんなのはダメだ!と自分でいちいち否定していることに気付きました。
そして外(世間一般または他人)の基準を良しとして、そっちがふつう、自分はダメみたいに考えていたように思います。
そんなことずーっと続けてきたら、うつにもなるし、ストレスにも耐えられる訳ないですね。
クセは抜けないですけど、これに気付いただけでも収穫です。
> 西尾和美さんの本に書いてあったことですが、あなたがそのようになったのは(自分から殻に閉じこもった)、その家庭環境のなかで生き抜くためにとった適応の結果なのであって、そうすることで子供のあなたは一生懸命に生きてきた。‘自分の性格のせい‘なんかじゃなくてそうすることが必要だったのです。
ありがとうございます。涙が出そうになりました。
涙が出れば回復に向かって行くのでしょうね。
一見良い家庭に見えて...というパターンの場合、自分勝手な愛情の押し付け、過干渉...というのが多いのではという思い込みがあります。
私の家庭は、あまりきっちりとはしておらず、どちらかというと放任なかんじでした。
思春期のころはそれが他の家庭よりも良いと思ったりもしました。
でも今、私は、自分の感情がわからない、自己肯定感がとても低い、抑うつ状態であるという現実があります。
だからきっと、ACの回復プロセスが必要なのだろうと感じています。
> これっていうのは今はわからないのが当然なんです。だってそのなかでずっとくらしてきたんですから。自分も回復過程のなかでだんだん気が付いて行きました。いろんな謎だったことが、だんだん解けていきました。私の例もお話してみたいですが長くなってしまいますので、この辺にしておきます。
もしご迷惑でなければ、ご自分の家庭への思いがどのように変わっていったのか、お話しいただけますか?
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■5961
/ inTopicNo.7)
斎藤学とのQ&A
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2007/05/18(Fri) 14:50:28)
HANA-KOさん、表記のタイトルのサイトがあります。
http://www.iff.co.jp/saito/
2005年9月からのアーカイブをたどっていかれると、参考になるかもしれません。
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■5957
/ inTopicNo.8)
Re[7]: ACにたどり着いた
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□投稿者/ フー
[MAIL]
-(2007/05/16(Wed) 22:42:40)
HANA-KOさんこんにちわ。
> なんか自分から殻に閉じこもって(自分を出せずに)しまっていた...
> でも自分の性格のせいだと思うとちょっとツラいです。
>
ここのくだりを読んで、ぜひお伝えしたいことがあります。
私の両親も教育熱心な人で、はじめは私も家庭に問題があるとは思っていませんでした。だからこそ、こんな風になったのは自分が悪いんだと、自分のせいだとおもってずっと苦しんでいたのです。
でも、そうじゃないんです。
西尾和美さんの本に書いてあったことですが、あなたがそのようになったのは(自分から殻に閉じこもった)、その家庭環境のなかで生き抜くためにとった適応の結果なのであって、そうすることで子供のあなたは一生懸命に生きてきた。‘自分の性格のせい‘なんかじゃなくてそうすることが必要だったのです。
※ 子供時代のあなたがどんな性格であろうが、それを養育する義務は親にあるのであって、あなたがその性格で親を喜ばせなければいけなかったわけじゃない。
この親と子の関係が逆転している子供をアダルトチルドレンと呼ぶわけです。
>でも...家族については、やはり大きな問題がなさそうに思えます。
これっていうのは今はわからないのが当然なんです。だってそのなかでずっとくらしてきたんですから。自分も回復過程のなかでだんだん気が付いて行きました。いろんな謎だったことが、だんだん解けていきました。私の例もお話してみたいですが長くなってしまいますので、この辺にしておきます。
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■5952
/ inTopicNo.9)
Re[8]: HANA-KOさんへ
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□投稿者/ HANA-KO
-(2007/05/16(Wed) 06:54:12)
SILVER7さんこんにちは。
私の質問のために、がんばって書いてくださってほんとうにありがとうございます。
とてもとても感覚的なことなのですね。
私はまだまだこれから道のりが長いとは思いますが、
このスレを立ち上げてからの間も、いろいろと考えさせられました。
そしてお話できたことをとても嬉しく思っています。
少しずつ進んでいけたらよいと思います。
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■5951
/ inTopicNo.10)
Re[6]: ACにたどり着いた
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□投稿者/ HANA-KO
-(2007/05/16(Wed) 06:47:48)
フーさん、こんにちは。
本読んでみようと思います。どうもありがとうございました。
フーさんの体験談も大変参考になりました。
このスレを立ち上げてから、だいぶ日がたちましたが、
いろいろなことを考えさせられてきています。
> 私を例にしてお話します。なぜうつなのか簡単にいうと、自分の感情表現ができていない。自分の要求が満たされていない。問題は、自分でそれを抑圧していてそのことに気が付いていない。自分がつらいとか悲しいとか、こうしたいとか、それを抑制するのが当たり前になっていて自分で‘気が付いていなかった‘のです。
> 自分の行動の動機は常に「どうすべきか、どうあるべきか」でした。
このへんが、自分も全く同じだなぁと感じます。
自分のほんとうの「感情」がまだわかりません。
考えばかりが空回りしています。
でも...家族については、やはり大きな問題がなさそうに思えます。
昨日父と話して、自分の子どものころのことを聞きました。
両親は私のことを見守ってくれていた感じがしました。
でも母との関係はちょっと微妙で、私に無関心であったような気もします。
なんか自分から殻に閉じこもって(自分を出せずに)しまっていた...
でも自分の性格のせいだと思うとちょっとツラいです。
非常に遠慮がちで、臆病で、繊細な子どもでした。そして周りへの働きかけ(親も含め)がとても弱かったのだなぁと思いました。
とりとめもなく書いてしまいました。
引用返信
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■5949
/ inTopicNo.11)
Re[7]: HANA-KOさんへ
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2007/05/15(Tue) 23:33:41)
> それまでの自己解釈とまるっきり違う
> 自分の側から自分のことを捕らえ直す
> このへんもう少し詳しくお話し願えますでしょうか?
お尋ねのところは、私が書いたこの文章の、だいじなところですね。
今でも、そのときの感覚を覚えていますが、ことばにするのは難しいところがあります。 それでも、だいじなところですので、努力してみます。
砂が水を吸い込むように、そっくりそのまま、ACについての事柄は吸収されていきました。 初めて聞くことばっかしでしたが、何の抵抗もなく、前から知っているような感じでした。
そうですね、それまでの自己解釈は、・・・20代の頃、私は、『遅れてきた青年』とか、『失われた地平線』とか、文学作品の題名を借りて、自分のイメージと重なるものがあるように感じていたのですが、Lost Horizon、失われてしまって、取り返すことができないもの、欠損品みたいな自己イメージがありましたね。
精神科の診断名は、それに名札を付けるような感じでしたね。 だから、名札の方から、その症状に当てはまるものを自分のなかから探し出して、さらに絶望するという構図だったように思います。・・・・・ 最初っから、欠陥品という認識ですね。
だから、その後の私の悪戦苦闘も、その苦しさから逃れる、脱出する、這い出ることが目的だったと言っていいと思います。 実際、私は、私の様子を、蟻地獄のなかにいる蟻のように、また、底なし沼にはまった馬や人のように、嫌でしたが、それこそ何度も何度もイメージしていました。
だから、それは、また、矛盾するかもしれませんが、その苦しさを捨てて楽になるということが後ろめたいことのようにも、感じていたんです。
そういう根本的認識を持っているところへ、ACの概念がもたらされたんです!♪
たとえば、物理的虐待は無くても心理的、精神的虐待とか、ことばの暴力とか、ネグレクト(養育放棄)とか、私の感じている苦しさが、そのまま語られていました。
それは、感じてはならないことを感じているというような僻(ひが)みに類する認識だというのではなくて、実際に、行われていることとして取り上げられていました。 表舞台に上げられていたのです。
これは、私が感じていることが、「ほんもの」なんだ(!)という、まったく、それまでとは180度異なる見方でした!♪
私が、自分の側から、自分のことを捉えなおす視点と言ったのは、このことですね。
だから、あらゆることが、真逆に見えてきた(!)と、いうことです。
特に親に対して、私が感じている感じ方(ろくでもない親!)が、間違っていないんだ(!)ということは、それまで、誰も、そんなことを言ってくれていませんでしたからね、かなり、インパクトが強かったです。
私は、いい歳になっていましたから、なんで、こんなことを、早く言ってくれなかったんだと、思いました。 ほんと、子ども時代に帰るように、自分のたどってきたさまざまなエピソードを、場面を、たどりなおすような感じでしたね。
やっと、それぞれのときの自分に承認を与えることができるようでした。
いわば、自己否定の塊になっていたものが、暖かい血が流れて、体も心も温かくなっていくような感じと、言いますかね。 今、思い出しても、たまらないですね。・・・・・・
今日は、これだけにしておきます。・・・・・
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■5939
/ inTopicNo.12)
Re[5]: ACにたどり着いた
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□投稿者/ フー
[MAIL]
-(2007/05/13(Sun) 12:49:38)
HANA-KO さんこんにちわ。
> 本の名前を教えてくださいますか?
“私”はなぜカウンセリングを受けたのか 東ちずる です。
彼女の体験談の形の本なので、ACを勉強したりワークするという意味では、下記の本
アダルト・チルドレンと癒し―本当の自分を取りもどす 西尾和美
インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法 ジョン ブラッドショー
などのほうが適切なのですが、一見とてもよい人が抱える問題について、彼女が訴えたかったことが私の場合にとてもあっていました。
> 病名がついたということは、病院にも通われたということですか?
> やはり、ご自分の中でいろいろ気付いて回復してきたということですが、
> その中で病院やカウンセリングは利用されました?
> そしてどの程度役に立ったと思いますか?
>
行ったこともありましたが、病院やカウンセリングはほとんど役に立っていません。自分が思うに、ACというのはACでない人には理解不能だと思うのです。逆にACの人はACの人同士共依存しやすく、依存によって互いに回復を阻害しあってしまう危険が常にある。治療やカウンセリングの本質的な難しさがあると感じています。お金も時間もかかりますし。
自分は、次のような方法をとるのが現実的だと感じています。
ACの正しい知識を持って、
自分や家族の問題に気づき、
実際の社会で自分の行動を修正し、
その結果を実際に体験する。
> 私は、今はうつで、うつは原因がわからず繰り返されてきました。
> フーさんの問題もお聞かせくだされば、と思います。
私を例にしてお話します。なぜうつなのか簡単にいうと、自分の感情表現ができていない。自分の要求が満たされていない。問題は、自分でそれを抑圧していてそのことに気が付いていない。自分がつらいとか悲しいとか、こうしたいとか、それを抑制するのが当たり前になっていて自分で‘気が付いていなかった‘のです。
自分の感情や要求はまちがったもの、悪いものという感覚をおそらくは成長過程で学んだわけです。自分はACの回復の途中で、いまでも、自分の感覚や要求を感じることがきちんとできていません。それを取り戻す作業中なのです。
自分の行動の動機は常に「どうすべきか、どうあるべきか」でした。
いまは「どうしたいか」で行動するように修正しつつあります。不思議なことですが、「どうしたいか」で行動するようになってから、仕事面でも精神的にも急速に改善してゆきました。問題は以前の私は「どうすべきか」を「どうしたいか」と勘違いしていて、というかその区別ができなかった。「どうしたいか」は自分の感覚です。「どうすべきか」は自分の感覚を無視しています。
自分の感覚を無視するということは、自分に対する最大の冒涜です。うつは自分が傷つけられていることを自分に教えるきわめて‘正常な精神的反応‘なのです。
HANA-KO さんがうつを感じていることはとても正常なことなんです。
なぜ自分が自分の感情を無視するにいたったのか、それは幼年期に親に私の感情を受けいれてくれなかったもらえなかった。いい子に振舞うことで、受け入れてもらおうとし習慣的に自分の感情を無視することを学んでしまった。
ACのことを理解していくにつれて、いままでいい親としかみていなかった親も、見え方が変わってきました。いい親を一生懸命演じようとしているウソ。いまでは時にそれが不誠実にさえ見えます。それは子供にたいして自分の感情を表現してはいけないという無言のメッセージでもあったのだと思います。
自分はりっぱな人間であろうとしてたくさんのウソを自分についていて、自分がそれに気がついていませんでした。ACに気が付いてからそれを少しづつはがしていって、今に至りますが、今でもまだウソをついてます。なぜなら時々うつを感じますから。昔の習慣はなかなか変えられません。でも昔のような焦りはありません。少なくとも良い方向に向かっているという実感がありますから。
いろいろ伝えたいこともあるのですが、ほとんどは書籍で得られる知識でもありますので、これくらいにしますけど、聞いてみたいことなどありましたら遠慮なく書き込みください。
>
>
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■5937
/ inTopicNo.13)
Re[6]: HANA-KOさんへ
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□投稿者/ HANA-KO
-(2007/05/12(Sat) 02:26:47)
SILVER7さん、こんばんは。
長い間、葛藤を続けて来られた成果なのですね!ほんとうに頭が下がります。
講演会などから情報を得る手段もあるのですね。参考になりました。
私ももがき続けて道が見えてくるのかな...
> 私が薬を服用していたのは、その1960年代です。 が、1970年代初めには、服用をやめました。 私の飲んでいた薬では、効果があまり見られなかったし、それと、薬に頼っていたのでは、自分に対処する力がついて良くなったということにならないからと思ったのです。
私も10代からときどき鬱の波が来て、最初はよくわからなかった。
でもだんだん他の人はあまりこういう感じがないのだ、ということがわかってきました。
薬を飲み始めたのは3年ほど前ですが、最近ではSILVER7さんと同じように、
薬だけでは治らないのではないか、と思い始めています。
(そこでACにたどり着いた訳ですが)
良くなることはあるのですが、再発してしまう、また比較的良くなっている状態でも、やはり健全な人とはちょっと違うらしい...ということを自覚してしまいました。
> で、最初、ほんとうに、0.01%、自分の欲求のレベルを落としてみたんです。
> そうして、2年後に、丸裸というか、まるで正直に、自分がまったく無気力になっていることを、自分で認めました。
> それからが、第1次自己再建時期でしたね。 まあ、実を言うと、それから2年ぐらい、何もする気が起こらないままだったんですが・・・・・。 2年ぐらいすると、そういう状態に飽きてきましてね、すこうし、体を動かすようになり、亀が首を出すように、外の世界にも、出ていくように(時間をかけて)なっていったと、いうことですが・・・・・。
私も今「出来なければならない」「出来て当然」と思うことが多くて、それが出来なくて...ずっと苦しんでいるところでもあります。
その内容は本当にたいしたことでなく、家事など普通のことなのです。
「出来なくていい!」と思うと、毎日毎日どんどん出来なくなって行って...
昨日は昨日、今日は今日、明日は明日...って考えられないんですね。
> それは、それまでの、精神科の診断名に従った自己解釈とはまるっきり違うものでした。 それこそ、月とすっぽんと、言うぐらい!♪
> 目を洗われるような思いでしたね。 自分のさまざまな状態や気持ちには、ワケがあるんだ(!)と、いう、気持ちでした。
> 自分を否定的に思う「負の気持ち」に捉えられていたものが、そう思わなくていいのかもしれないぞ、と、自分の側から自分のことを捉えなおすという視点が、出てきたのではないでしょうか?
このくだりを読んで、私もうれしくなってしまい少し勇気がわいてきました。
それまでの自己解釈とまるっきり違う
自分の側から自分のことを捕らえ直す
このへんもう少し詳しくお話し願えますでしょうか?
私が良く行くうつコミュニティの管理者の方も、
うつはお薬で楽になりますが、治すのは「自分」です。と言っていたのを思い出しました。
歴史ある(!)体験談、ほんとに勇気をもらいました!
引用返信
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■5932
/ inTopicNo.14)
Re[5]: HANA-KOさんへ
▲
▼
■
□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2007/05/11(Fri) 16:45:41)
HANA-KOさん、
私は、病歴というか、精神的葛藤歴というかは長いんです。 今、ウン10歳ですが、精神的葛藤が問題になったのは10歳からです。
ACを知ったのは、1995年でした。 すぐ、自分がそうであることはわかりましたが、その段階では、今から思えば、知識として理解していた時期なのではないかと思います。 わが身のこととして、全身でACと取り組んできたのは、何度も書きますが共依存を自覚してからで、それは2002年でした。
私は最初、知人に誘われて斎藤学さんの講演会を聞きに行ったのですが、それから機会あるごとに聞きに行っていました。 日本嗜癖行動学会の公開シンポジュウムに、ジュディス・ハーマンさんが来られたときにも聞いていました。
ただし、私は、なぜか、本をあまり読まないんですね。 持つのは、いっぱい持っていますが。・・・・ ですから、多くが耳学問ですし、あとは、自分が経験してきたものです。 私は、嫌というほど苦しみましたし、その最中は辛かったのですが、今となっては、貴重な財産です。 赤っ恥だって、猿も恥ずかしくなるぐらいかきましたし、2度と人前に出られないようなことも(もう、忘れましたが・・・・)、さまざまやりました。
ACという概念が生まれるだいぶん前の1960年代には、精神科の治療も受けました。
私が薬を服用していたのは、その1960年代です。 が、1970年代初めには、服用をやめました。 私の飲んでいた薬では、効果があまり見られなかったし、それと、薬に頼っていたのでは、自分に対処する力がついて良くなったということにならないからと思ったのです。 その代わり、薬を飲まないことで引き起こされるどのようなことも、自分に引き受けていこうと思ったんです。 幸い、私の場合は特に変わったことは無く、無気力と閉じこもりが徹底したと、いうことでしたが・・・・。 しかし、この方法は、誰にでも勧められるものではありません。 私の場合は、そのときまでに、葛藤歴20年が過ぎていましたから、性根が座っていたんだと思います。 実際、ひどい欝のときなどには、安定剤などを服用すると、うんと楽になりますから、薬が必要不可欠なときと場合があることは、論を待ちません。
嫌というほどの苦しみから逃れる出口を探して、自分に正直になっていくことに辿り着いてゆきました。
そのときに「あれでも、もしかしたら」と、すがったのが、治療を受けていたときの医者のことばでした。 「SILVER7君は、欲求水準が高すぎるんだ!」と、言われていたのです。
高すぎることは無い、当たり前だ、これはやって普通だと、「自分のあるべき姿」を思い描いていたわけですが、やってもやってもだめになるんですね。 自分で思っていて自分ができない、身を裂かれるような(!)思いが積み重なっていましたから、「あれでも、もしかしたら、自分の方の思いの方が強すぎるのかもしれない。 精神科の先生が私のことを見て、そう言っていたのだから」と、思ったんです。
ほんと、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』じゃないですが、藁をもすがる気持ちだったですね。
で、最初、ほんとうに、0.01%、自分の欲求のレベルを落としてみたんです。 当時、閉じこもっていましたが、そういう自分の状態を否定的に見て、家の中にかがんでいながら、「悪いことをしている」、「悪いことをしている」と、思っていたのを、0.01%、そう思わなくてもいいかもしれないと、自分に許したんです。 そうしたら、そのとき、その日だったか、すごい、楽になりましたね。
ただし、その日の内には、自責の念が倍ぐらいになって巻き起こって、せっかくの楽な気持ちは、閉じ込められてしまいました。 それから、だいぶん経ってから、また、なんでも苦しくなっていたときに、「もう1度、許してみようか」と、試みました。 1カ月置き、何週間か置き、何日か置き、と、心の中の強固な「抵抗勢力」との駆け引きで、まるで間欠温泉みたいに「水準を下げる」ことをやりました。
そうして、2年後に、丸裸というか、まるで正直に、自分がまったく無気力になっていることを、自分で認めました。
それからが、第1次自己再建時期でしたね。 まあ、実を言うと、それから2年ぐらい、何もする気が起こらないままだったんですが・・・・・。 2年ぐらいすると、そういう状態に飽きてきましてね、すこうし、体を動かすようになり、亀が首を出すように、外の世界にも、出ていくように(時間をかけて)なっていったと、いうことですが・・・・・。
第2次は、こないだ書きました、共依存自覚後です。
そのときまでに、特にACを知ってから、自分を説明するのに、これに代わるものは無いと思えるほど、砂が水を吸い込むように吸収していきました。
それは、それまでの、精神科の診断名に従った自己解釈とはまるっきり違うものでした。 それこそ、月とすっぽんと、言うぐらい!♪
目を洗われるような思いでしたね。 自分のさまざまな状態や気持ちには、ワケがあるんだ(!)と、いう、気持ちでした。
自分を否定的に思う「負の気持ち」に捉えられていたものが、そう思わなくていいのかもしれないぞ、と、自分の側から自分のことを捉えなおすという視点が、出てきたのではないでしょうか?
長くなりましたが、これを書いていて、改めて思っていたのですが、それぞれの段階で、その時点までの積み重ねがあるんですね。 恥もいっぱいかいてきたけど、その積み重ねが、教訓にもなっているんですね。 今でも、かつての赤っ恥を思うと、心が引き締まってきます。・・・・・・・・
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■5930
/ inTopicNo.15)
Re[5]: HANA-KOさんへ
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2007/05/11(Fri) 00:33:51)
HANA-KOさん、レスが遅くなっていますが、ご質問は、大事な問題を含んでいるように思いますので、明日にでも、時間を取って書きます。 もう少し、待ってください。
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■5927
/ inTopicNo.16)
Re[4]: ACにたどり着いた
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□投稿者/ HANA-KO
-(2007/05/09(Wed) 06:23:07)
フーさん、こんにちは。質問に答えてくださって、ありがとうございます。
> 病名がない状態というのがつらかったですね。病名がつくだけでも相当楽になりました。私の場合は東ちづるさんの本に出会ったのがきっかけでしたが、
本の名前を教えてくださいますか?
私も読んでみようと思います。
病名がついたということは、病院にも通われたということですか?
やはり、ご自分の中でいろいろ気付いて回復してきたということですが、
その中で病院やカウンセリングは利用されました?
そしてどの程度役に立ったと思いますか?
> ただこの症状があなたの場合に当てはまるのか良くわかりませんので、もしなにかあなたの場合と共通点などがおありでしたら、どういった問題があるのかについてもお話したいと思います。
そう言っていただいて、ほんとにありがとうございます。
私は、今はうつで、うつは原因がわからず繰り返されてきました。
フーさんの問題もお聞かせくだされば、と思います。
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■5926
/ inTopicNo.17)
Re[4]: HANA-KOさんへ
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□投稿者/ HANA-KO
-(2007/05/09(Wed) 06:14:16)
2007/05/09(Wed) 06:24:16 編集(投稿者)
2007/05/09(Wed) 06:24:10 編集(投稿者)
SILVER7さん、こんにちは。レスありがとうございます。
SILVER7さんのご経験談、たいへん参考になりました。
先日、ACに関する本を何冊か注文してみました。(まだ届いてませんが)
今の私は回復に至る道の手前に居ると思いますが、
自分で治ろうというよりも、多分、誰か(専門家)に治してほしいという
依存的な気持ちが強いのだと思いました。
SILVER7さんは、ご自身で自分の気持ちを見出していったとのことですが、
その過程で、病院や医師、カウンセラー、そして書籍等による知識などを
どのように利用されましたか?
そしてそれはご自身の回復にどの程度役に立つものでしたか?
なんだかヘンな質問で、すみません。
ほんとうに、これからどうしていこうかと迷っています。
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■5922
/ inTopicNo.18)
HANA-KOさんへ
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2007/05/07(Mon) 23:05:40)
2007/05/07(Mon) 23:24:34 編集(投稿者)
2007/05/07(Mon) 23:22:10 編集(投稿者)
遅くなりましたが、少し、書いてみます。
他の方に書かれたレスも読ませてもらいましたが、ACの特徴と列記されているところが、当てはまるんですね。
「う〜ん」と、考えさせられます。・・・・・
ACについては、まだ、日常会話で話されるほどには普通になっていませんからね。 その特徴や中味の話になると、AC同士でないと通じないようなところも多いですからね。 さらに、家庭内の問題として、外になかなか出てこないところもあるから、まず、自分自身が気づくこと自体が遅くなるんですよね。
それでも、心の問題、あるいは家庭内の問題がタブーでなくなってきていますからね、これから、もっともっとフランクに話されるようになるといいですね。
お尋ねのことですが、・・・・自分で、自分の気持ちや考えを確かめながら進めていくと、いうことになるでしょうか。・・・・・・
自分の感覚一つとっても、先入観念ではないですが、また、まるで刷り込みみたいに、あるいは条件反射のように、いわばパターン化した感覚というものさえあるんではないでしょうか?
まるで、なにかに追われてでもいるようにね。
ところが、それとは違う感覚、あるいは感じ方というものもあるような感じがするとか、あるいは他の感じ方があるということを聞く、と、いうことが、あったりしませんか?
いつも、寒いとばっかり感じていたが、ふと、そうでもない感じもあるな〜みたいな・・・・・。
あるいは、ちょっと話が変わりますが、ACに多いのは、「×××と感じてはいけない、思ってはいけない」という風に、感覚や感情を一つのレールの上に乗せようとする意識が強く働くってことがありますよね。
たとえば、そんなときに、「待てよ、これ、ほんとに、自分の感覚?」と、問うてみるってことではないでしょうか?
医者もカウンセラーその他の専門家も、いい人だったら、クライエント(来談者、依頼人)の方としても、「よく、話を聞いてもらえた」と、いうような満足感があるでしょうが、その場合でも、援助者はあくまでも外側からの援助をする人ですよね。
そして、ACの場合、もっともだいじなことは、直していく、あるいは良くなっていく主体は、自分であるということです。 だって、誰かや何かに依存することで、自分を保っていることが多いのがACですからね。 だから、冗談ぽく言えば、「依存大敵」です。
「自分」が無いように思えても、それこそゼロから、「これ、ほんとの自分?」と聞いていくっていうことではないでしょうか?
おこがましいですが、私が「自分」を見出してから2年間ぐらいは、そういう風に確かめて、確かめていったときでした。 私は、自分の「共依存」を自覚したときが、「自分」を見出したときでしたが、しかし、その「自分」は、何も持っていませんでした。 ゼロでした。 服もまとっていない、赤剥けの手足も目鼻も定かでないような赤子の姿でした。 一方、旧来の、それまで過ごしてきた自分の感覚、感情、思考、行動が、皆、私にくっついているんです。 だから、一つ一つ、それを払いのけながら、あるいは、「これだろうか、あれだろうか」と、自分の感覚自体を確かめていきました。
外側から見たら、「あいつ、何してるんだ?」と、思われたのかもしれませんが、私は、のるかそるかでしたね。 それしかなかった。 私の場合は、ウン10年、「自分」ではない「自分」をまとって生きていたわけですからね、他の道はありませんでした。
しかしながら、この作業は、やって、嬉しいものですよ。 すこうしづつ、「自分」が、見えてきますからね。
私の経験も交えて、書いてみました。
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■5920
/ inTopicNo.19)
Re[3]: ACにたどり着いた
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□投稿者/ フー
[MAIL]
-(2007/05/07(Mon) 02:49:55)
HANA-KOさんこんばんわ。
> フーさん、レスありがとうございます。
> フーさんは、これまで書籍のワークを中心に回復されてきたということでしょうか?
実際にはかなり紆余曲折があるのですが、良い本に出会ってから急速に回復が進んだのは事実です。正しい知識があるぶん回り道せずにすんだという感じです。それに掲示板上でアドバイスするのはあまり適切ではないのです。「いいっぱなし、聞きっぱなし」が原則といわれています。その理由は
http://recovery-note.net/readme/general_guideline.htm
にかかれています。
アドバイスを受けるというよりは、様々な人の体験を聞いて、何か自分なりに気づきを得るというほうが適切かと思います。そのときにやはり基本的な知識はベースに持っておいたほうが良いと思うからです。
> フーさんは、それ(不安とうつの原因)に気付いてから、何か変わりましたでしょうか?また家庭に問題があったとどのように気が付いたのですか?
病名がない状態というのがつらかったですね。病名がつくだけでも相当楽になりました。私の場合は東ちづるさんの本に出会ったのがきっかけでしたが、「よい両親に育てられ、がんばりやで仕事上も成功しているにもかかわらず、心の中は自殺願望でいっぱい」という状態が私と酷似していたからです。やはりなにか家族に問題があったんだ!が気付きのはじめでした。
そして彼女自身がそれを克服したという事実があり、こんな状態から抜け出せるという希望がわきました。希望があるっていいですよね。
ただこの症状があなたの場合に当てはまるのか良くわかりませんので、もしなにかあなたの場合と共通点などがおありでしたら、どういった問題があるのかについてもお話したいと思います。
これから子育てという時期、とても大変だと思いますが、この問題に気が付かないままでいる方もたくさんいるなか、今この問題に気が付かれたというのはとてもラッキーなことだと思いますよ。
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■5919
/ inTopicNo.20)
Re[3]: ACにたどり着いた
▲
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2007/05/07(Mon) 00:30:17)
HANA−KOさん、今日は遅くなりましたので、明日にでも、レスします・・・・。
明日、古〜い友人が、久しぶりに、やってくるんです。 あんまり寝不足にならないようにしとかなければいけませんので・・・・・。
ほんとうは、私の方から行かなきゃならないのに、私が、ちょっと、手が抜けにくいもんだから。・・・・・・・
あんまり時間取れないって言うんだけど、気の置けないところで、郷土料理でも食べようと、思っています。・・・・・・
では、では、また。・・・・・・
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