1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■5870
/ inTopicNo.1)
「やさしさ」ってなんだと思いますか?
▼
■
□投稿者/ もときち
-(2007/04/26(Thu) 13:35:33)
2007/04/26(Thu) 13:37:26 編集(投稿者)
こんにちは、こちらでスレを立てるのは初めてです。
文章力があまりないので矛盾なども生じるかもしれませんがご容赦ください。
自分の「やさしさ」はニセモノだ
思い出したようにこんな思いがよぎり、そして自分を罰します。
昨日、こんなことがありました。
相方(ダンナ)と携帯ゲームでよく遊ぶのですが、仕事から帰ってきた相方が「職場で機体を壊された、ショックやわ〜!」と言ってきたのです。
そのとたん、自分に襲いかかってきたのはイライラと不安と脱力感。
自己防衛モードに突入してしまったのです。
「相手よりしんどい状態になったら、相手はそれ以上何も言えなくなる」
分かっているのにまたやってしまった・・・また相方の不安を受け止めることができなかった・・・。
そんなことがあって、今また自分を責めているところです。
自分が誰かを思いやる言葉や行動は、つきつめれば自分自身を守るためにやっていることで、そんなものはただの偽善ではないか・・・と。
私が理想とする「やさしさ」は
「自分が悪者になることになっても、相手のために見返りを求めず行うもの」です。
でも私は自己防衛本能が先に立ってしまって、人から非難されることはおろか、テレビ番組を見ていて「この人不機嫌そう」って思ったらたまらなく怖くなってチャンネルを変えてしまうくらいです。
理想とは天地ほどかけ離れています。
そうなると、「結局私は自分が一番カワイイだけの偽善者」という白黒判断しかできません。
高校生のときくらいからこのループから抜け出せません・・・。
皆さんは「やさしさ」ってなんだと思いますか?
そして、理想と現実はどれだけ近づいていますか?
思うところを書いていただければ嬉しいです。
引用返信
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■5871
/ inTopicNo.2)
もときちさんへ
▲
▼
■
□投稿者/ 花梨
-(2007/04/26(Thu) 19:29:25)
もときちさんへ
初めまして、花梨です。
そういう考えをめぐらせること自体が
あなたが優しい証拠ではないかしら・・・
あたしの思う優しさは・・・・
器ではなくて一枚の布。
破れてもつくろって、相手を誰かを
包む布。
色はきなりでねぇ、やわらかいの・・・木綿かな。
(ものすごく抽象的でごめんなさいね)
だって器だとあふれちゃって受け止められないでしょう?
布でくるまれるイメージは、たぶん自分がそうされたいから。
そこから始まる優しさだってOKではないですか?
それを偽善っていわれたら・・・ね。
優しくされてうれしい、と思ったら
誰かにそれをしてあげる・・・
そういうつながりの中で心も安らかになるような気がします。
なんだかわかりづらくてごめんなさいね。
引用返信
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■5874
/ inTopicNo.3)
Re[1]: 「やさしさ」ってなんだと思いますか?
▲
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□投稿者/ こくーん
-(2007/04/26(Thu) 23:20:20)
もときちさん、こんにちはv
お昼にこちらを拝見して、合間合間に『優しさ』について考えて過ごしていました。
今、現段階で私が思ったのは、
『優しさ』って、意図して行うものではなくて、自然に沸き起こるものなのでは
ないかな…ってことでした。
> 自分の「やさしさ」はニセモノだ
>
> 思い出したようにこんな思いがよぎり、そして自分を罰します。
>
> 昨日、こんなことがありました。
> 相方(ダンナ)と携帯ゲームでよく遊ぶのですが、仕事から帰ってきた相方が「職場で機体を壊された、ショックやわ〜!」と言ってきたのです。
> そのとたん、自分に襲いかかってきたのはイライラと不安と脱力感。
> 自己防衛モードに突入してしまったのです。
>
> 「相手よりしんどい状態になったら、相手はそれ以上何も言えなくなる」
>
> 分かっているのにまたやってしまった・・・また相方の不安を受け止めることができなかった・・・。
>
> そんなことがあって、今また自分を責めているところです。
>
> 自分が誰かを思いやる言葉や行動は、つきつめれば自分自身を守るためにやっていることで、そんなものはただの偽善ではないか・・・と。
このエピソードを読ませていただいて、
(本当はこんなことしたくなかったのに…相方(さん)の不安を受け止めたかった
のに…)
と、もときちさんは思われたのではないかな?と思ったのです。
そして、その気持ちが『優しさ』なのではないかな…と。
私たちは過去に辛い経験をしてきて、『こうであるべき』というものに縛られていて、
そうでなければ、自分はダメなのだ…と思ってしまいがちです。
思うような『優しさ』が出てこない場面も多いかもしれません。
でも、やっぱり、このもときちさんの気持ちは『優しさ』の発露であるように、
私は思いました。
> 私が理想とする「やさしさ」は
> 「自分が悪者になることになっても、相手のために見返りを求めず行うもの」です。
> でも私は自己防衛本能が先に立ってしまって、人から非難されることはおろか、テレビ番組を見ていて「この人不機嫌そう」って思ったらたまらなく怖くなってチャンネルを変えてしまうくらいです。
> 理想とは天地ほどかけ離れています。
> そうなると、「結局私は自分が一番カワイイだけの偽善者」という白黒判断しかできません。
> 高校生のときくらいからこのループから抜け出せません・・・。
>
>
> 皆さんは「やさしさ」ってなんだと思いますか?
> そして、理想と現実はどれだけ近づいていますか?
> 思うところを書いていただければ嬉しいです。
私も自分は偽善者だと思ってしまいがちで、人に『優しいね』などと言われれば、
必死になって否定してしまったりして、後でそのことに落ち込んだりします。
『自分は○』と思うより、『自分は×』と思うほうが受け入れやすい…。
ちゃんとしたお返事になっていないかもしれませんが、思うところを書かせて
いただきました。
あまり、ご自身を責めないで下さいね。
もときちさんのお気持ちが安らかでありますように。
引用返信
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■5875
/ inTopicNo.4)
Re[1]: 「やさしさ」ってなんだと思いますか?
▲
▼
■
□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2007/04/27(Fri) 00:11:02)
2007/04/27(Fri) 00:23:02 編集(投稿者)
はじめまして。
私も、ずいぶん長い間、偽善者でしたよ。
「これは、その振りはしているけど、その人のためにやっているんではない。自分を配慮のある人間と思ってもらいためだ」と、いうようなね。
苦しかったですね。
だから、もときちさんが、自分を責めておられるというのが、よくわかります。 しかし、責めても、苦しさ消えないでしょ?
そして、ずーっと、澱(おり)のように残るんですね。 そして、自分を否定する大きな要因になりますね。
少しは少なくなりゃ、まだいいけど、ならないんですね。 累積するんですね。 だから、自分でも嫌になるし、自分の値打ちがどんどん低くなるばっかしなんですね。
これは、ACには、たいへん危険なものの一つですね。
人から受けた傷ではないんですね。 自分が作り出しているんですね。
いくら、防衛機制(心理学での専門用語のようです)とは言えね。
でも、もときちさんのを読んでいると、もときちさんのは、そうなった大きな要因があるように感じられますね。
人から非難されること、
人の不機嫌な様子、
人のしんどそうな様子、
人の不安な様子、
と、並べただけで、そばにいたくない、近寄りたくないように思いますね。
そして、おそらく、もときちさん、このような人からたいへんな目に会っているのではありませんか?
だから、もときちさんの自己防衛には、ちゃんと、ワケがあるように思われます。
問題は、どうしたら、無くなっていくかということでしょうね。
私は、今、偽善を感じることが、たいへん少なくなっていることに、この書き込みを見せてもらって、気がつきました。
今日も週1の卓球に行ってきたんですが、まだ、4回目ですから、人をあまりよく知らないんですが、プレー中もかなりのアクションが出てくるんですが、以前だったら、全部意識していて、それだけで、とてもプレーできるものじゃなかったですが、かなりなアクションでも別に不自然ではないんですね。
休憩中でも、他の人に話しかけるとき、ちょっと、自分に好感を持ってもらいたいという意識が働いていますが、・・・だから、だいたい自分の方から話しかけていますが、・・・それでも、まあ、その程度は許されるかというほどの、許容範囲かなと感じています・・・・。 私としては、それよりも、何よりも、自由にプレーできることの方が、よっぽど、うれしいですね。
どうして変わったのかな〜、今は、自分でも、よくわかっていません。
決定的だったのは、共依存を自覚して、ちゃんと対応して欲しかったおふくろへの期待を一切無くしてからでしたね。―――人のために何かをすることをしなくなったのです。 それまでは、人のことばっかし考えていた。 人が先で、それに合わせて自分の行動を考えていたんですね。
ただし、そうでもない行動も、その前から、だいぶん作られてきていましたね。 根幹のところは人優先だったけど。
最初は、やっぱり強迫観念から脱していくところからのように思います。 斯くあらねばならないという「あるべき姿」という絶対的なものがあったんですが、0.01%欲求水準を下げることから始めて、2年がかりでそれをゼロにし、自分に正直にということが、それに代わっていったんですね。 それから10年ぐらい経って、人の目が気にならなくなっていることに気づき、やがて、仕事が一定継続できるようになっていったんです。
その次に、強迫観念ではないけど、やらなければならないことと思っていたイデオロギーの世界から離れたんですね。 そうして、自分のしたいことをしていくという風にだんだんなっていったんです。
だから、一方で、自分らしく生きること行動することが、作られていっていたと言えるのではないでしょうか?
そういう素地があって、共依存を自覚した。
それから、初めて感じた「自分」というものをいとおしみ、育て、今、外に出かけていっています。
どうしてでしょうね、偽善をしなくなってきているのは・・・・・?
もときちさん、素直に、もときちさんが感じておられること、相方さんにも話してみられたらどうでしょう?
心の秘密を共有してくれる人がいると、もう、大きく変わりますよ♪
引用返信
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■5878
/ inTopicNo.5)
花梨さんへ
▲
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■
□投稿者/ もときち
-(2007/04/27(Fri) 16:14:49)
はじめまして花梨さん、レスありがとうございます!!
生成りの木綿・・・いろんな形の心でもそっと包んでくれそう。
でも、「破れても繕っても」というフレーズに木綿のやさしさと強さが感じられます。
布にくるまれたい・・・気持ちよさそう。
そうですね、私もそんな優しさに包まれたいです。
「自分がしてほしいことを他人にもしてあげよう」っていいますよね。
そういうところから始めてもいいのかな・・・。
花梨さんはきっとすごくふんわりした方なのでしょうね。
ご意見、ありがとうございました。
引用返信
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■5879
/ inTopicNo.6)
SILVER7さんへ
▲
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■
□投稿者/ もときち
-(2007/04/27(Fri) 16:54:53)
2007/04/27(Fri) 16:56:17 編集(投稿者)
SILVER7さんはじめまして、レスありがとうございます!!
> 私も、ずいぶん長い間、偽善者でしたよ。
> 「これは、その振りはしているけど、その人のためにやっているんではない。自分を配慮のある人間と思ってもらいためだ」と、いうようなね。
>
> 苦しかったですね。
>
> だから、もときちさんが、自分を責めておられるというのが、よくわかります。 しかし、責めても、苦しさ消えないでしょ?
> そして、ずーっと、澱(おり)のように残るんですね。 そして、自分を否定する大きな要因になりますね。
> 少しは少なくなりゃ、まだいいけど、ならないんですね。 累積するんですね。 だから、自分でも嫌になるし、自分の値打ちがどんどん低くなるばっかしなんですね。
> これは、ACには、たいへん危険なものの一つですね。
確かにそうです。
「誰からも非難されない方法、ものの考え方」みたいなものを常に考えて行動しているように思います。
そんな自分に嫌気がさしたりしますし、楽になりません。
「楽になりたいなんて甘えたことをいうな」って思ったりもします。
> いくら、防衛機制(心理学での専門用語のようです)とは言えね。
>
> でも、もときちさんのを読んでいると、もときちさんのは、そうなった大きな要因があるように感じられますね。
> 人から非難されること、
> 人の不機嫌な様子、
> 人のしんどそうな様子、
> 人の不安な様子、
> と、並べただけで、そばにいたくない、近寄りたくないように思いますね。
> そして、おそらく、もときちさん、このような人からたいへんな目に会っているのではありませんか?
>
> だから、もときちさんの自己防衛には、ちゃんと、ワケがあるように思われます。
これは理由があります。
自分の父親がワガママお坊ちゃんみたいな人だったんです。
最近はだいぶ丸くなりましたが・・・。
ちょっとでも要求を言うと文句をいい不機嫌な顔をする、そんな人でした。
「お前はワガママ」って言われたことが今でもショックで、自分の要求を相手に伝えること自体が罪なのだ・・・と思うこともあります。
もしかすると、無意識に封印してしまった記憶があるのかもしれませんが・・・。
> 問題は、どうしたら、無くなっていくかということでしょうね。
>
> 私は、今、偽善を感じることが、たいへん少なくなっていることに、この書き込みを見せてもらって、気がつきました。
> 今日も週1の卓球に行ってきたんですが、まだ、4回目ですから、人をあまりよく知らないんですが、プレー中もかなりのアクションが出てくるんですが、以前だったら、全部意識していて、それだけで、とてもプレーできるものじゃなかったですが、かなりなアクションでも別に不自然ではないんですね。
> 休憩中でも、他の人に話しかけるとき、ちょっと、自分に好感を持ってもらいたいという意識が働いていますが、・・・だから、だいたい自分の方から話しかけていますが、・・・それでも、まあ、その程度は許されるかというほどの、許容範囲かなと感じています・・・・。 私としては、それよりも、何よりも、自由にプレーできることの方が、よっぽど、うれしいですね。
>
> どうして変わったのかな〜、今は、自分でも、よくわかっていません。
> 決定的だったのは、共依存を自覚して、ちゃんと対応して欲しかったおふくろへの期待を一切無くしてからでしたね。―――人のために何かをすることをしなくなったのです。 それまでは、人のことばっかし考えていた。 人が先で、それに合わせて自分の行動を考えていたんですね。
> ただし、そうでもない行動も、その前から、だいぶん作られてきていましたね。 根幹のところは人優先だったけど。
>
> 最初は、やっぱり強迫観念から脱していくところからのように思います。 斯くあらねばならないという「あるべき姿」という絶対的なものがあったんですが、0.01%欲求水準を下げることから始めて、2年がかりでそれをゼロにし、自分に正直にということが、それに代わっていったんですね。 それから10年ぐらい経って、人の目が気にならなくなっていることに気づき、やがて、仕事が一定継続できるようになっていったんです。
> その次に、強迫観念ではないけど、やらなければならないことと思っていたイデオロギーの世界から離れたんですね。 そうして、自分のしたいことをしていくという風にだんだんなっていったんです。
> だから、一方で、自分らしく生きること行動することが、作られていっていたと言えるのではないでしょうか?
>
> そういう素地があって、共依存を自覚した。
> それから、初めて感じた「自分」というものをいとおしみ、育て、今、外に出かけていっています。
>
> どうしてでしょうね、偽善をしなくなってきているのは・・・・・?
SILVER7さんは時間をかけて、自分が作り出した「こうあらねばならない自分の姿」の鎖を外していかれたのでしょうね。
人のためではなく、自分のために生きていく・・・。
分かっているけど、まだ実感がわかない状態です。
> もときちさん、素直に、もときちさんが感じておられること、相方さんにも話してみられたらどうでしょう?
> 心の秘密を共有してくれる人がいると、もう、大きく変わりますよ♪
いいっぱなしで言ったことは、あとで相方に言ったりします。
相方は理解しようとしてくれています。
いい人です。
まずはワガママ言うことから慣れていこう・・・って言ってくれています。
まだワガママを言うにはすごいエネルギーを使いますが(苦笑)
SILVER7さんのレスをさせていただくことで、自分が聞いてほしかったことを伝えることができて、少し気分がスッキリした気がします。
ありがとうございました。
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■5880
/ inTopicNo.7)
こくーんさんへ
▲
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□投稿者/ もときち
-(2007/04/27(Fri) 17:34:13)
こくーんさんこんにちは、レスありがとうございます!!
> お昼にこちらを拝見して、合間合間に『優しさ』について考えて過ごしていました。
> 今、現段階で私が思ったのは、
>
> 『優しさ』って、意図して行うものではなくて、自然に沸き起こるものなのでは
> ないかな…ってことでした。
自然にわき起こること・・・そうですね。
ついつい「今自分はこういう動きをしないといけない!!」って思ってしまいます。
そういうときはあとですごいしんどい(自分を騙した疲れなのでしょうね)し、ひきずります。
逆に、自然な流れで相手を思いやれたときは満足感・・・というか自分の心も浄化された気分になります。
>>分かっているのにまたやってしまった・・・また相方の不安を受け止めることができなかった・・・。
>>
>>そんなことがあって、今また自分を責めているところです。
>>
>>自分が誰かを思いやる言葉や行動は、つきつめれば自分自身を守るためにやっていることで、そんなものはただの偽善ではないか・・・と。
>
> このエピソードを読ませていただいて、
> (本当はこんなことしたくなかったのに…相方(さん)の不安を受け止めたかった
> のに…)
> と、もときちさんは思われたのではないかな?と思ったのです。
> そして、その気持ちが『優しさ』なのではないかな…と。
実は・・・私の場合は、「しんどいことやっぱり言わないほうがよかったかな」って言われて初めて「ああ、またやってしまった・・・!!」っていうかんじです。
やさしさというか・・・まだ「罪悪感」の方が強いです。
> 私たちは過去に辛い経験をしてきて、『こうであるべき』というものに縛られていて、
> そうでなければ、自分はダメなのだ…と思ってしまいがちです。
> 思うような『優しさ』が出てこない場面も多いかもしれません。
> でも、やっぱり、このもときちさんの気持ちは『優しさ』の発露であるように、
> 私は思いました。
ありがとうございます。
私はすごく「こうあるべき」っていうのが強くて理想とちょっとでも違うと「自分はダメ」って思う癖があります。
思うような「やさしさ」が出せることは少ないです。
> 私も自分は偽善者だと思ってしまいがちで、人に『優しいね』などと言われれば、
> 必死になって否定してしまったりして、後でそのことに落ち込んだりします。
> 『自分は○』と思うより、『自分は×』と思うほうが受け入れやすい…。
私もそうです。
肯定されると否定してしまいます。
私の場合はホントは肯定されたいのに、いざ肯定されると不安になる天邪鬼です。
こくーんさんのご意見は同じ事で悩んでいるのは自分だけじゃないんだ!って思うことが多いです。
こくーんさんも自分を押し殺すことを求められて、その通りにまっすぐ生きてこられたのでは・・・?
(間違っていたらすみません)
どうぞ、ご自愛くださいね。
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