1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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No5194 の記事


■5194 / )  Re[1]: 事実を知らせた方がいいのか(長文注意)
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2006/07/28(Fri) 01:02:43)
    No5183に返信(さつきさんの記事)
     さつきさん、単刀直入に書きますが、伝えたとして、どれぐらい受け入れられるでしょうか?
     伝えるとしたら、別の場所かもしれませんね。
     学校当局とか………。

     同窓会の世話人は、たまたま世話をしているわけでしょうから、また、同窓会の運営についてが職掌でしょうから………。

     他にも、同じような人が居られるかもしれませんね。
     そうでなくても、ちゃんと、一石を投じることはたいせつなことですね。
     相手が、平気な顔で、尊敬されながら(事実はわかりませんが)存在している、これは、虚構ですね。
     
     虚構が、まかり通っていますね。 権力のあるところ(いろんな種類の権力ですが、要するに、パワーゲームの勝者)、虚構だらけです。

     だから、弱者が一石を投じるときには、覚悟が要ります。
     協力者がいると、心強いですが………。

     私自身も、さつきさんとはちがう内容での弱者の一人ですが、私がしている対決は、「NO」を、言うことです。
     しかし、私の周りにいる勝者だったり普通の生活をしている人は、私の言うことに耳を傾け、たとえば、私の気持ちを聞こうとしたりして理解しょうとすることは、ほとんどありません。
     ただ、「NO」と言明することで、私のテリトリーと言うか領地と言うか、存在できる場所と言うか、とにかく、私は、こういう人間だという地歩を示しています。
     何より、まず、私自身が、存在できるようになりました。

     どこにも居場所がなかったような感覚だったんですが………。


     さつきさんは、本人に向かってではないけど、今回その人がいる場所へ出ないということを明確に伝えたわけですね。 間接的ではあるかもしれないけど、その人の手の内に入ることに、「NO」と、言ったんですね。

     いったん、自己を明言すると、存在のすべての承認欲求が出てきたのでしょうか?
     
     相手の非を天下に認めさせたい、と、いう、欲求でしょうか?
     なんか、自分だけが忸怩たる思いをしているのは許せないという、相手にも正当な評価を求めるという思いが伝わってきます。
     これ、うっかりすると、共依存になると、思いますよ。

     あるべき姿を、相手にも求めるということですね。
     自分が、あってはならない目にあったんだから、相手だって、それ相応の目にあって当然だと、思われているのかもしれませんね。

     これは、ある種の罠と言ってもいいかもしれません。

     相手は、あなたの欠席を知った上で、さらに気にかけているということが伝わってくる。 頭にきたあなたが、何らかのアクションを起こすとすると、嫌がるあなたにちょっかいを出す相手という構図が、復活することになりませんか?!

     対立しているようで、役割分担を演ずるという、共依存そのものですね。


     相手への想い(マイナスの内容であれ)という、人物に絡まっているものから離れなければならないのではないでしょうか?

     彼は、何をしたのか?
     それに対して、さつきさんは、「YES」か「NO」かと、いう風に、事象として、いっぺん、自分の思いから切り離さないと、いわゆる、情に絡め取られてしまうのではないでしょうか?

     そして、闘うときには、戦略、戦術を持って、ゆるぎなくやらなければならないと、思います。 パワーを持っているものを侮ることは、慎まなければなりません。

     私は、今回、さつきさんが「NO」と言われたことは、ある意味、決定的だったと、思います。 絶縁宣言だったわけですから。 だからこそ、彼は、未練たらたらなわけでしょう。

     私だったら、人づてに伝わるように、もう一発かましますね。 「なにか、私に御用事ですか?」ってね!♪
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