1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■3522
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人の顔色ばかりを気にして生きてきた
□投稿者/ なでしこ
-(2005/05/30(Mon) 11:46:19)
私は30代後半の1児の母親です。
私がACと気づいたのは、2年ぐらい前のことです。
育児に追われるなか、育児の悩みを抱えることが多くなりました。
そんななか、ACのことを知りました。
思い返すと、私は小さなころから人の顔色ばかりを伺う性格になってきました。
両親(特に母親)や友達、近所の人、親戚など、密接に関わる人には、常に
「嫌われてはいけない」「私が損をすればいい」「私のほうが下にいるんだ」と
なぜか思ってきました。だから友達や彼氏が出来ても、意見をあわせたり、嫉妬心が激しかったりして、自分自身が人と関わっていくなかで疲れていました。
そこで、考えてみるとやはり母の影響がとても強かったと思います。
比較的、表面的には穏やか家庭でしたが、母は常に世間体を気にする人でした。
私に対しては「○○ちゃんは、しっかりしてるのに、あなたはだらしないわね。」
「○○ちゃんより、まだあなたのほうがマシかもね」
「あなたは、なにやってもダメなんだからね」「あなたは、皆のなかでもちょうちんもち(←ひきたてやく)の役なんだから」とか、冗談まじりですが、常に言われてきました。私は怒るわけでもなく、いつも「へへへ・・・」とおどけてました。
たまに、腹がたちすぎて母に怒って「そんなこと言われたくない」と言うと、
「まあ、、、えらそうに一人前に怒こってるわ」とバカにされる始末でした。
もちろん、母から見れば、悪意はなかったと思いますが、今思うともっと褒めなくなてもいいから、他人と比較せず、あるがままをただ認めてほしかったと思います。今は母とは近くに住んでおりますが、接触はしてません。
母も何も言ってきません。私はこの先、子供のためにも、もっと強くなりたいんです。なかなか、今までの性格を変えることは難しいかと思いますが、どうしたら
人の顔色を気にせず、あるがままの自分で生きていけるでしょうか?
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