1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■288 / inTopicNo.1)  今までのことを整理してみました(フラバ注意)
  
□投稿者/ はなぽん -(2004/04/12(Mon) 14:33:16)
    私がこのサイトにたどり着いて、一ヶ月が過ぎました。出産が近いので、このサイトに来る前、来てから感じたことなどを整理してみたくなりました。

    ここに来た当初は、あちこち読みまくりました。じっくり読んだり飛ばし読みをしたりしながら、私が感じていた私の問題には、ACと言う名前がつけられるのだと言うことがよくわかりました。そんなことは全く知らなかった頃に、私には私の問題の自覚だけがありました。

    はっきりとした問題の自覚は5年前。部署移動で配属された先の直接の上司との出会いにありました。この上司は、私の両親の嫌なところを全部持っている人でした。例えば、いらいらすると物に八つ当たりをして大きな音をたてる、どなる、嫌みったらしいしゃべり方をする、舌打ちをする、好きな相手には媚びる、嫌いな相手は徹底的に攻撃する、精神論的な正論を振りかざす、など。
    私は2年耐えて、会社を辞めました。
    そして、両親と似た人がいる場所は、とても居心地が悪く、耐えられても1年か2年が限度であることを認識しました。

    更なる問題の自覚は3年前、剣道の道場で、「どうして私は闘えないんだろう」という疑問がわいたときでした。
    それ以前は、稽古でも試合でも、相手の「闘う気持ち」と向かい合ったとき、それは私のことを「否定し、なじり、責める」母親をイメージさせ、私は相手とも、自分の中の母親とも同時に闘わざるを得ず、結果として相手と真剣に向き合うことができませんでした。その事が、「試合で強い人とは仲良くなれない」という価値観を私に植え付け、自分の殻に閉じこもる様になっていました。
    疑問を解く鍵は、「自分の価値観や先入観を白紙に戻して、周囲にいる剣道を学ぶ人たちと同じ行動をしてみること」でした。正直言って、苦しかったし、かなりの荒療治でした。でも、少しづつ、「親から刷り込まれた価値観」が、「剣道の価値観」に置き換わっていきました。それは、はじめは受け入れるのは大変だったけれど、いったん受け入れると、とても楽で、居心地のいい価値観だったのです。
    3年かかって、私は、不思議な体験をしました。試合に出場したときのことです。自分の体も心も記憶も、観客も審判も先生も、何もなく、そこには相手しかいませんでした。自分が打ち込む瞬間、スローモーションのような映像が目に焼きつきました。試合の後、生まれて初めて、私は私として一体化し、一人の人間として、相手と闘うことができました。
    正方形の試合場には、母親の影はありませんでした。自分を否定するものも、攻撃するものも、なにもありませんでした。さらに、私の存在を頼るものもありませんでした。先生の言うとおりにあれをやってみようとか、昨日指摘された欠点とか、私の得意技とか、そういうものはすべて雑念として取り払われていて、なんにもありませんでした。
    何の恨みもない試合の相手と正々堂々と闘うということは、強烈に自分を肯定することが何より必要だったのです。自分がどんな人間でも、たとえ、父親に似ていて、母親から嫌われ、誰にも好かれない人間であっても、それでも、これでいいんだ、この私で闘うんだ、この私しかいないんだ!そこが、私のスタート地点だったのです。

    「闘える」という自信は、更なる挑戦へと私を駆り立てました。それは、「子供を産み育てること」です。
    それまでは、「剣道」にかろうじて支えられながら、「就職」「結婚」を経て「専業主婦」になった私は、「女性の生き方の価値観」を母親から刷り込まれていたんですが、どうしても「子供を産む」、同時に「母親になる」ということには踏み切れませんでした。悔しいけれど、私は母に似たところも、父に似たところもあります。特に、父からは、「父の母方の親戚には嫌なやつが多くて、お前はそっちの血を引いている」といわれていました。私に似た子を産むことは、世間に対する罪悪だと思っていました。
    子供がいないのに専業主婦になったことについては、上司の存在に耐えられなかったこと、亭主が許してくれたこと以外に、両親が「親孝行」を私に強制してくるネタのひとつである、「大学に行かせてやった」「そのおかげでお前は好き勝手にやっているんだろう」という鎖を切りたかった。親から逃げるために、自分のことを良くわからないまま突っ走ってきた年月をリセットし、落ち着いて考えたかった。今、私は「親のおかげ」じゃなくて、「亭主のおかげ」で生活しているんだ、という状況を作り出したかった。とにかく、私の生活の中から「両親の影」を排除したかったんだ、と思います。
    「専業主婦」になれたことは、結局、剣道に関わる時間を増やすことができ、子育てをする母親達を観察する機会を得、子供達を観察する機会を得て、すこしづつ、自分の母親以外の母親の子育てを学ぶことができました。また、「子供」は決して一種類ではないということも知りました。私の中を流れる悪しき血についても、いろいろな性格の中のひとつではないか、と思いました。十分ではないにしろ、何とかなるのではないかと思いました。私は私の判断で、子供を産むことを決めました。

    母に妊娠を告げたとき、その自信はもろくも打ち砕かれました。
    母は、私を、母の言いなりになる娘の立場に縛りつけようと、私が否定した「母のやり方」をぐいぐいと押し付けてきました。でも、私はもう、言いなりになることはできませんでした。それは、母に対する不快感となって、私の心から湧いてきました。でも、それをうまく言えませんでした。かろうじて不快感だけを伝えられたはずですが、その後、私はパニックを起こしました。
    生まれて初めて認識した、母親への強烈な不快感、父親への不信感、忘れられなかった子供の頃の記憶、いろんなものが私の心に浮かび、私はものすごく不安定になりました。毎晩泣いていました。でも、闘うべきだと思いました。それも真正面から。つらくても、泣いても、苦しくても、闘うしか、私には方法がありませんでした。電話ではうまく言えないことを、両親に当てて手紙に書きました。ワープロで20枚を超えるその手紙に、子供の頃から抱えていて、口に出しては無視され、否定され続けてきた記憶と本音と、両親に対する不信感を書きました。そして、母には、電話で、「母に私の子供を弄り回されたら、きっと私は子供を床にたたきつける」と、言いました。

    父からの返事は、ひたすら謝り逃げ回るものでした。母からの返事は、私の同情を得ようとする内容でした。どちらも自分達を守ろうとするものでした。私への理解や共感はありませんでした。私は悔しかったし、悲しかった。すべての原因である親には、理解して欲しかった。
    その頃から、本屋に行って、心理学や子育ての本などを読むようになりました。剣道だけでは支えられない何かを認識したかったのと、「子供が生まれるまでに」というタイムリミットを意識して、あせってもいました。
    妊娠8ヶ月のとき、東ちづるさんの本の帯にACという言葉を見つけました。読んでみると、それは、彼女と彼女の母親とのカウンセリング記録であり、和解へのプロセスでした。それを読み終えた私は、うらやましさを感じるとともに、私と母はそうはなれないであろうということを強く感じました。

    その後、ACという言葉を頼りにここに来て、長文を書いて、皆さんの言葉を読んで、レスを書いて、そういうことを1ヶ月続けてきてわかったことがあります。

    私は、ここに来る前に、ACとしての私自身の心の問題の大まかなところは、剣道を通してずいぶん解決して来たのだということ。荒療治ではあったにしろ、まだ苦手な場面があるにしろ、以前よりは生きやすくなってきているということ。

    亭主との長い付き合いのなかで、時々、爆発するように、自分の本音を吐き出して
    きたことは、良かったのだということ。そして、亭主がそれを理解しようとしてくれたことや、世間の正論に毒されずに「たった一人の味方」になってくれたことが、私にとって、何よりの癒しになっていたこと。そして、私自身を肯定する勇気を与えていてくれたこと。

    私を不安定にさせた、親との闘いにおいて、剣道の価値観でも支えられなかったものは、子供の頃に蓋をして厳重に鍵をかけていた、心の中のバケツ。そのバケツの鍵を開けて、中を見てしまった私。そこに入っていたのは、あふれんばかりの、コールタールのような、真っ黒い、どろどろした、私の怒り。

    そして、解決できていないことがあります。
    それは、親との関係をどうしようかということ。距離感や、どこまで受け入れるかといったことです。

    子供が生まれたら、親に会わせるかどうか?
    これについては、重要なキーワードを思い出しました。
    祖父母の家で、いとこ達がまだ赤ちゃんの頃、母がオムツをかえているのを何度も見ました。自称子供好きの母はとろけそうな笑顔でオムツをあけ、おまたにキスをしていたんです。それをみていた私の心に湧いた嫌悪感を思い出しました。記憶にない頃、私は何をされていたんだろう?という気持ち悪さ。「母に弄り回される私の子供が穢れる」という私のイメージは、そこに根ざすものでした。
    子供を親に会わせるかどうか決断をする前に、私はもう一度、親と対決し、会話の中で、嫌なこと、受け入れられないことに対して、面と向かって「NO」を言わなくてはいけない。理屈はいらない。嫌なものは嫌。そうしなければ、オムツを替えないで、と言うことができません。言えなければ、また、侵食されてしまう。私が侵食されれば、私の家庭も、子供も、すべて侵食されてしまう。

    理解して欲しいという気持ちは、薄れてきました。あの親にはわからないんだろうなぁ・・・という風に思えてきました。でもなくなったわけではありません。
    今の私は、怒りをどう処置していいのかわかりません。想像の世界の中で、私は、親の家にいて、何か親の一言にぶちきれて、手当たり次第に物を投げつけ、大暴れしています。包丁を振りまわすイメージもあります。
    うっかり親や親戚からの電話に出てしまうと、その後いらいらしたり、悲しくなったりします。電話の内容を何度も反芻します。何事もなく終わった電話に対しても後悔します。
    亭主は、「嫌なことをされたことに対して、文句を言ったり怒ったりするのはいいけど、関係を断ち切りたいがために、復讐しようとか、育ててもらった恩は返したと言うのは、問題が違うところにすり替わってしまうからやめたほうがいい」と言います。確かに、冷静に考えればそのとおりなのです。しかし、相手が他人であれば受け流せる問題が、相手が親であるという一点において、受け流せずに、ダメージをうけてしまう。これは、今現在心の中にある怒りのせいなのか、まだ気付かない何かがあるのか、結論が出ていません。果たしてこの怒りは収まるのでしょうか?

    こんな状態で、私は近々出産を迎えます。子供を迎えるにあたって、正直言って不安だらけです。が、覚悟を決めます。親に対する怒りは親に向けます。子供には向けません。これだけが、最低限の、私の覚悟です。
引用返信 削除キー/
■290 / inTopicNo.2)  Re[1]: 今までのことを整理してみました(フラバ注意)
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2004/04/13(Tue) 01:24:14)
    No288に返信(はなぽんさんの記事)
     そして、何より、剣道で、それまでの先入観やら何やらを考えるのではなくて、他の剣道をやっている人たちがやっているようにやってみたように、染み付いている過去のことは過去のこととして、自分のやりたいことを、自分が、‘こうなりたい'という自分を、この、一歩から造っていったらどうだろう?!

     何にも無いところから、‘自分のなりたい自分'に!


     創ったり造っていく仕事or作業をすると、相対的に、過去は小さくなっていくんですよ。


     「怒り」のなかにはね、得られなかったものを求める気持もあるんじゃないかな?
     無条件に、愛して欲しかった人たちなんではないでしょうか、ご両親は?
     だから、心理的に縁を切るということは、自分のその気持も振り捨てるということだから、なかなか踏み切れないのではないだろうか?

     はなぽんさん、ご存知無いかもしれないけど、このページRecovery Noteには、自分の子がACであることを知ったことから、自身もACであることに気付き、子どもの気持を一生懸命わかるようになろうとしているお母さんが何人かおられるんですよ。
     斎藤クリニックの斎藤学さんが言っておられたけど、「親が変われば、ACの子どもはすーっと良くなる」んだそうです。

     気付いていない親に気付いてもらう方法は、私が思うに只一つではないでしょうか? ‘親と同じ道は歩かない'ということを、言葉でも、態度でも示していくことではないでしょうか?
     
     ‘自分の道を歩いていくこと’、‘自分のなりたい自分になっていくこと'ではないでしょうか?!!!


     おしまいになりますが、「しっかり、元気な赤ちゃんを産んでください!」。

引用返信 削除キー/
■299 / inTopicNo.3)  Re[1]: 今までのことを整理してみました(フラバ注意)
□投稿者/ sara -(2004/04/14(Wed) 10:47:38)
    こんにちは。
    私もACなので、子どもを持つまでの間にそれはそれは葛藤がありました。
    うちの場合は母親が父親の縁戚関係を嫌悪していて、
    彼らを貶めるような発言を、子どもの前でも平気で繰り返していました。
    おかげで、そんなだめな父親の家系の血をひいているのだから
    私もだめな人間なのだと思うようになり、まったく自分に自信の持てないまま
    大人になってしまいました。
    はなぽんさんと同じく、そんな自分の血を引く子どもを持つことに
    恐怖に近い感情を抱いていて、結婚後も子どもを欲しいとは思えませんでした。
    だから、はなぽんさんの気持ちがとてもよくわかります。

    そんな私も、今は2児の母親ですが、やはり初めての子どもを産んだあと
    すぐになにもかもハッピーに物事が進んだわけではありません。
    子どもの育て方を巡って、親とのかなり険悪なやりとりもありましたし、
    自信のなさからくるいらいらに振りまわされて、思い通りにならない子どもに
    あたってしまい、深い自己嫌悪に陥ったこともあります。
    ちょっとでも感情的に怒ってしまうと、子ども時代を思い出して
    怒っている自分の姿と母親の姿がダブってしまい、あんなに決心したのに
    今の自分は母親と同じことを子どもにしてるのではないか、
    やっぱり私はだめなのかと、
    ものすごい自己嫌悪が襲ってくるんですね。

    でも、夫に言われたんです。
    うちの子たちはすっごいいい子だと。
    欠点もあるし、文句ナシの優等生ではないかもしれないけど
    明るくて、のびのびしてて、健康で、好いてくれる友達もたくさんいる。
    こんないい子に育ったのだから、お前はちゃんとやってきてるんだよって。
    そのひとことで、かなり気持ちに余裕ができて、楽になれました。

    子どものころの私は、自分の家よりも、親戚の家のほうが好きでした。
    感情をのびのびと解放させて、いい子でない私を見ても
    おじやおばは、いらいらと叱りつけたりしませんでしたから。
    小さいころは親が迎えに来ても、帰りたがらず
    「ここの家の子になる?」と聞かれれば、喜んで「うん!」と言っていたそうです。
    なので、母親は私の子どもたちに同じことをしようとするんです。
    実家に連れていって、めちゃくちゃに可愛がり
    「おばあちゃんの家の子になる?」って聞くの。
    でも、うちの子たちは「やだ!だって私たちはパパとママの家の子だもん!」って(笑
    母親としては、子どもたちに「うん」と言わせて、私にぎゃふんと言わせたいので
    あの手この手でちやほやして、求める返事をさせようとするんですが
    最後には子どもたちに「おばあちゃん、しつっこいよ」と嫌がられています。
    それが、母親への最高の仕返しになっているかもしれません(笑

    はなぽんさんも、生まれて来る赤ちゃんと、だんなさまと、
    幸せな家庭を築いてください。



引用返信 削除キー/
■300 / inTopicNo.4)  レスをありがとうございます。
□投稿者/ はなぽん -(2004/04/14(Wed) 11:13:49)
    SILVER7さん、saraさん、ありがとうございます。

    実は、産婦人科の検診がとてもストレスフルで、医者とのやり取りとか、使われた薬のこととかで、ちょっと参っています。

    それで、うまく書けないけれど、SILVER7さんの文章にも、saraさんの文章にも、お礼が言いたかったんです。どうもありがとうございました。お二人の文章は、何度も読み返して、私の力にさせていただきたいと思います。

    いろいろありすぎて、混乱してきて、しばらく、何も書き込めないと思います。
    子供を産むのは、私にとって、精神的に、本当に大仕事です。
    でも、母親になったら、また、このHPの力をお借りすることになると思います。
    そのときは、また、よろしくお願いします。

引用返信 削除キー/
■302 / inTopicNo.5)  Re[1]: 今までのことを整理してみました(フラバ注意)
□投稿者/ きーそん -(2004/04/14(Wed) 16:24:29)
    はなぽんさん、こんにちは

    もうすぐ、ご出産なんですね
    ご安産でありますよう、心よりお祈りしています

    赤ちゃんと共に、新しい世界に生まれ出られますように‥
引用返信 削除キー/
■305 / inTopicNo.6)  Re[1]: 今までのことを整理してみました(フラバ注意)
□投稿者/ くみ -(2004/04/14(Wed) 17:44:53)
    こんにちは、はなぽんさん。

    お体を大切に、
    元気な赤ちゃん産んでください。

引用返信 削除キー/



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