1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■223 / inTopicNo.1)  過去がつながらないです。
  
□投稿者/ くみ -(2004/03/28(Sun) 14:05:41)
    はじめまして。くみと申します。
    都内の大学に通う学生です。昨年から学内の相談室に通っています。
    私は周りの友達からは、明るく元気な子と思われていると思います。でもホントは表面と心が正反対なのです。

    幼少の時いつもひょうきん者で周りの人を笑わせてばかりいて、自分が無かったように思います。優秀な姉に対するコンプレックス、母親と姑の喧嘩の間に入っていた事が関係しているように思います。いわゆる「ピエロ」です。当時太っていたので、よくクラスメートからからかわれていました。男勝りだった私は負けていませんでしたが、本当はコンプレックスで自分を変えたくて、中学に入る前までにかなりのダイエットをしました。当時は気づかなかったのですが、実は摂食障害(拒食症)でした。パンの一口も喉を通らなくなっていました。
    中学では昔の自分を捨てたくて色々努力しました。今考えるとかなり強迫的(強迫観念)で間違った努力だった思うのですが。テストでは常に上位で、学級員、バスケ部長、ピアノと塾をやっていたので毎日殆ど寝ていませんでした。おかげで毎日金縛りでした。そして再び摂食障害(拒食症)を繰り返しました。確かに明るかったので友達は沢山居ました。でも立ち止まる事さえも怖くて、どんなに体を壊しても自分をコントロールできませんでした。その後の燃え尽き症候群に耐えられなくなった私からは、期待かけていた先生は周りからいなくなっていきました。
    その後高校では一転して暗く、全く御飯が喉を通らない時期が続きました。視線恐怖と幻聴があり、頭で言葉がグルグルしていて鬱っぽかったです。しかし皆勤賞を取りました。立ち止まる勇気が無かったのです。熱があっても体を壊しても学校に行きました。毎日目立たないように生活しました。
    大学に入学して昔の私を知らず知らずのうちに繰り返していました。サークルに入り毎日練習して、アルバイトもフル回転でした。時間を少しでも空けてしまうと、昔の自分に戻ってしまいそうでとにかく怖かったからです。だから無意識の領域に追いやっていました。そして思い出さないように、体を酷使しても目をそむけました。でもやっぱり燃え尽き症候群になってしまいました。休息の取り方が分からなかったからです。結局ストレスに気づけなくて体を壊し、入院してしまいました。そして人間関係でつまずいてサークルもバイトも止めてしまいました。

    過去がどうしてもつながりません。一貫した自分のイメージが持てないです。浮いたり沈んだり激しすぎて、昔の自分が自分なのかさえ分からないのです。自己イメージが定まらなくてとても辛いです。
    どうしたらいいのでしょうか。アドバイスお願いします。           
    自分の事ばかり長々とごめんなさい。
引用返信 削除キー/
■227 / inTopicNo.2)  Re[1]: 過去がつながらないです。
□投稿者/ はなぽん -(2004/03/29(Mon) 18:25:14)
    お邪魔します。
    なんか、私の学生時代とよく似ているので、レスしたくなりました。

    私は、10歳以降、大学に入学して一人暮らしをはじめるまで、両親の喧嘩(怒鳴りあい)に巻き込まれていました。そして、聞き分けの良いいい子を演じていました。母親の言う「正論」に逆らうことができず、私を否定する言葉ばかり聞かされていたのです。そのせいか、他人の「評価」や「怒気」がとっても怖くて、できるだけ「周りが楽しく」あるように、まるで別人格のような、姉御肌の明るい元気な人になって、他者と接していました。

    大学に関しても、「お金がないから」塾禁止、私立禁止、浪人禁止、留年禁止と、禁止ずくめで、結局国立の大学、しかも、囲い込まれるように、父の上司たちが多数在籍していた地元の国立大学を受けることになり、何とか合格しました。それでも、一人暮らしをすることで、親から逃げられる喜びには変えられませんでした。たとえ、「お父さんのお金で借りてる部屋なんだからいいでしょ。それとも、親に見せられないような生活してるの?」と「正論」をぶたれながら、合鍵を持たれていても。

    でも、今だからわかるのですが、私は成長のどこか一点で、精神的な成長を止めてしまっていたようで、それを学生時代にはわからなくて、半分以上大人になっていた友人たち、特に部活の友人からは、どんなにピエロを演じても、総スカンを食らいました。

    一人暮らしで、友人も得られず、時に宗教の勧誘に引っかかりそうになりながら、私が求めたものは、「たった一人でいいから、味方が欲しい」ということでした。

    私がようやく「立ち止まる」ことができたのは。大学卒業から7年、専業主婦になったときでした。それまでは、留年、休学禁止だったので、とにかく4年で大学は卒業し、大学のあったところからさらに遠くの町で就職して会社の寮に入り、自分の金で生活を維持し、とにかく独立して生活し、親元に帰らなくて良い状況を維持すること。そのためだけに走り続けていたのです。大学3年のときに、とっくに燃え尽きていたのに、走っていないと親に飲み込まれてしまいそうでした。走っていたと言うよりも、自分が作った流れの中に身をおいて、流されながら、一日づつ過ごしていただけだったようにも思います。立ち止まりたいという欲求は、見ないようにしていました。

    結婚相手は、学生時代に「たった一人の味方」になってくれた男性です。馬鹿な私は、その男性さえも、独立生活を維持するために捨てようとしたのですが、彼のほうがよく私のことを知っていてくれたようで、引き止めてくれました。でも、立ち止まることができたのは、結婚後3年もたってからのことでした。彼が「好きなようにしてもいいよ」と言ってくれたからです。不思議なことに、健全に見えた彼の中にもAC的なところがあり、私は自分のことを「ハードAC」彼のことを「ソフトAC」とひそかに命名しています。

    現在の亭主は、私のカウンセラー的な役割を果たしてくれています。幸せ自慢のハッピーエンドに見えるかもしれませんが、私のAC自覚と本当の親との戦いはその後に勃発し、現在私は先の見えない状況にいて、亭主にも、おなかの中の子供にも、泣き言を聞かせっぱなしです。昔の記憶は嫌なことばかりで、楽しかったことは何一つ思い出せないし、人ごみの中で「誰かに見られてる」気がしてしょうがないときもあります。(誰も私のことなんか気にしてないと繰り返し言い聞かせてはいるのですが・・・)でも、一番つらいのは、「私にはいいところなんてひとつもない」という思いにとらわれるときです。そんなはずはない、でも、信じられない。私は、どういうときに腹が立つのか、何がうれしいのか、何をしたいのか・・・最近、買い食いしたくてたまらなくて、これは妊娠中の食欲増進なのか、過食の気配なのか、自分でもわかりません。

    くみさん、友達でも、彼でも、カウンセラーでも、ここの書き込みでも、なんでもいい、誰でもいいです。あなたが望む形で、心を安らげることのできる人、もしくは場所を見つけられることを祈っています。


引用返信 削除キー/
■230 / inTopicNo.3)  ありがとうございます。
□投稿者/ くみ -(2004/03/30(Tue) 02:37:09)
    こんばんは。くみです。

    けいとさんへ

    お返事をどうもありがとうございます。
    唐突ですが作曲が出来るなんて凄いですね。写真など内面を表す「表現力」を持っていることはとても羨ましいです。そして過去に一貫して「創作が好き」というご自分に気づかれたことは、とても凄い事だと思います。
    けいとさんが過去を見つけるために、音楽や写真を手掛かりにしていらっしゃるのを読ませていただき、とても参考になりました。私も昔から常に焦りを感じている心の裏側で、本当は私にも何か一貫した「自分」がいたんじゃないかなって今は思います。一生懸命探してもうわべだけの自分で長く生活してきてしまったから、見えないし、気づけないのかもしれません。過去の自分に対するイメージはバラバラで、思い出せば出すほど自分を嫌いになってしまい、辛くなる事も多々多々あります。でも私も少しずつ一貫した自己を、過去の体験を振り返りながら探していこうと思いました。そして自分の気持ちに正直に好きなものを素直に選択していけたらいいなと思えました。沢山のヒントをいただき、ありがとうございました。


    はなぽんさんへ

    お返事をどうもありがとうございます。
    そしてとても暖かいお言葉ありがとうございます。
    私は学校へは自宅から通っているのですが、今就職活動中で家を出る為に自宅から離れた就職先を見つけています。はなぽんさんのレスを読ませていただき、とても似ていますね。とにかく家を出たいです。
    学内のカウンセリングでACや心理的な問題を知って、はじめは母親にいろんな思いをぶつけました。でも全く分かってもらえなかったので、途中からあきらめてしまいました。今は同じ家に居ても、心の中に侵入されるのではないかという怖さと、自分を保つ為に全く会話はありません。でも本当は緊張しないで安心できる居場所が今一番ほしいです。でも私にとって表面的には親密に見えてしも、核心的な部分がなかなか言えません。例えば好きな人が出来た時は、最初は普通に話せても、仲良くなればなるほど途端に怖くなってきます。ダメな自分を見られてしまうような、特に心に侵入されてしまうのではないかといった自分でも良く分からない状態になってしまいます。だからいつも仲良くなると避け始めてしまいます。本当は好きなのに、正直になれないことに問題があると思います。自分の気持ちに素直になれなくて、自信のなさや過去に振り回されていることは私がまだピエロの延長線上にいる気がします。
    はなぽんさんは旦那様にどのように、心を開いていけたのでしょうか。
    もしよろしかったらアドバイスお願いします。

引用返信 削除キー/
■232 / inTopicNo.4)  Re[3]: ありがとうございます。
□投稿者/ はなぽん -(2004/03/30(Tue) 15:36:01)
    くみさん、こんにちは。けいとさん、はじめまして。よろしくおねがいします。

    くみさん、私も親には理解してもらえず、こちらから一切連絡を取らないようにしています。私の精神安定のためです。そうするようになって、8ヶ月ぐらいになります。離れて暮らしていても、親の干渉はやまなかったのです。妊娠したのと同時に、私の怒りは形と言葉を持って、初めて親に命がけの口答えをしました。

    学生時代、今の亭主とはサークルみたいな集まりで出会い、付き合い始めたときは「この人は私の話を聞いてくれる人なんだ」と思っていました。お互いの過去を探るような会話のなかで、同じような過去のエピソードに対する感想がよく似ていました。なんとなく、居心地がよかったんです。

    彼にはバンド活動が、私には部活があり、常にべったりとすごしていたわけではありませんでした。でも、味方を得たことで、周囲への対応の仕方は変わっていきました。他人が怖くなくなっていきました。でも、彼が怖い。彼の反応が、彼に嫌われるのが怖くてどうしようもない。私のように悪い人間を、そうそういつまでも好きでいてくれるわけがない。でも、一緒にいないとさびしい。

    私は、親にも言ったことのない言葉で彼に甘え始めました。「バンドと私と、どっちが大事?」って。彼は「どっちも手放したくない」と答えました。もし、私が同じことを聞かれたら、やっぱりそう答えるだろうなぁと思って、納得しました。その後、「私に似てる人なら、私じゃなくてもいいんでしょ?」と聞きました。彼は「お前でないとだめなんだ」と答えました。

    その頃から、彼が見ている「私」の人格は、私がみている「私」の人格とはちょっと違うらしい、と思うようになりました。私が「私のだめなところ」と思っているところが、彼には全く気にならないらしい。私には全く自覚できない「私のいいところ」が、彼には見えるらしい。ならば、当てにならない「私の主観」よりも、彼の目を信じてみようか・・・と。

    その後、遠距離で4年付き合って、別れ話がひっくり返って結婚したとき、私はまたもや「親の価値観」に縛られることになりました。共働きだったのですが、「女は家事をしなくてはいけない」「女は子供を産まなくてはいけない」「だんなさんを大事にしろ」頭の中に響く母の声。それを振り払うために、亭主にいろいろ「宣言」しました。「食事は早く帰った方が作る」「洗濯は自分の分は自分でする」だって、私の仕事は男の人とおんなじ仕事で、けっこう大変だった中で、母の声と戦いながらの生活だったのですから。

    実は、亭主は、私に家事労働を完璧にやれと、一度も言ったことなどなかったのです。ただ、私が勝手に「そうしなければいけない」と思い込んで、当然亭主もそうして欲しいはずだと思って、一人で苦しんでいただけだったのです。その証拠に、亭主は「好きなようにしていい」と言ってくれていました。その言葉の意味が、「勝手にしろ」ではなくて、「二人の家庭なんだから、二人が居心地よければいい。だから、思うようにやっていい」という意味だと気付くまでに、3年かかったんです。今は、彼も私もお互いの、訳のわからない「いらいら」や「不機嫌」に敏感に反応する性質だということで、それさえなければすべてOKと、ようやく「夫婦の形」ができてきました。

    ほんとうに、彼を信じて疑って・・・を繰り返してきました。彼に対する疑いは、実は、自分に植え付けられた、親の価値観に対する疑いだったと、今、思っています。そのことについては、実の親に対する噴火直前の怒りとなって、私の心の中にあります。もし、親と同居していたら、家庭内暴力で新聞沙汰になっていただろうなと、本気で思っています。

    実は、けいとさんが作曲をなさるように、私にもひとつ大切な趣味があります。それは、「剣道」なのです。

    そもそも、母親に「健康のため」といわれて、小学生のときにはじめたのですが、剣道の道場には、学校の先生とも、親とも、親戚とも違う、円熟した「大人」が一人か二人は必ずいるもので、はじめはそういうところに惹かれていました。

    でも、剣道が好きになればなるほど、母親は「まだやるつもり?」「負けず嫌いなんだから・・・」「少しは女の子らしく」と、私の気持ちを制限し始めました。先生の言うことだけ聞いていればよかったのに、母の言葉は私を侵食し、いつの間にか私は、「稽古や試合で勝とうとすることは悪いことだ」と思い込み、らんらんと目を輝かせて私に打ちかかってくる見ず知らずの相手になすすべもなく負けて、「これでいいんだ。あんなに本気でかかってくるほうが失礼だ」なんて、見当違いなことを本気で信じていたんです。

    それでも、剣道をやめることができなかったのは、そこに何かがあると感じていたからなのか、私がしつこい性格だからなのか・・・剣道において、相手が私を攻める時の「目」は、まさに私の心の中を見抜き、弱いところをずばっと突いてくるものでした。いつも、試合で、初めて出会う相手の視線の強さに圧倒され、心臓の辺りに、串刺しにされるような痛みを感じていました。人としてというよりも、動物的な、本能的な、強いものに対する恐怖。「お前は弱い」といわれているような・・・それがいやで、試合から逃げたこともありました。まさに、心に侵入される恐怖でした。

    疑問は突然わいてきました。会社をやめ、道場で子供の指導を手伝うようになったときのことです。「どうして私は闘えないんだろう?」だって、毎回子供たちは、拙い技術でも一生懸命相手と闘っているじゃないか。悔しければ泣くし、楽しければ笑うし、勝てば喜ぶし・・・それから私は「観察」し始めました。日々の稽古で、子供の大会で、大人の大会で、みんなどうやって闘っているんだろう、って。

    観察の結果、「稽古や試合で勝とうとすることは当たり前のことだ」という発見をしました。闘えない自分の中にあったのは、母親の呪縛、自信のなさ、相手主導で行動してしまう行動パターンなどなど。そして、私が信じられる先生が、「闘うっていうのはこういうことだ」と繰り返し教えてくれたおかげで、「こんな自分でも、闘ってもいいんだ」と信じられるようになりました。しかし、そう信じたからといって、簡単にはいきません。試行錯誤の過程は、前向きな「自分探し」になりました。時にはヘドロのような汚い自分の心の底の「ごみさらい」が必要だったり、私によく似た目をした子のカウンセリング的なことまでして、ようやく、見ず知らずの互角の相手と、「闘う」意思を持って、私らしい試合ができるようになったときには、疑問がわいてから、3年たっていました。

    心に侵入される恐怖は、お互いに心を読みあうという戦いのスタイルに変わっていきました。長い試合時間のうち、8割は互角で読みあい、1割は読まれている、でも1割は私が読んでいる。「私が読んでいる」時間が私の勝利のチャンスなんだと。相手が桁違いに強いときは、秒殺されますが・・・でも、強い相手には素直にあこがれるし、がんばればああなれる(はず)と、自分の弱さを卑下しなくなってきました。闘いのスタイルの構築が、自分探しの終着点となりそうな予感を得て、私はいくばくかの自信を持つことができました。「私は、闘える!」

    私は問題を認識してから解決するまで、3年かかる人間のようです。これを書いていて気付きました。実の親に対する怒りも、落としどころが見つかるまでには、3年かかるかも知れませんね。

    もし、私に剣道がなくて亭主だけだったら、甘えたおして破局を迎えていたかもしれない。亭主がなくて剣道だけだったら、道場に生きがいを求めすぎて自滅していたかもしれない。

    世の中にはいろんな人がいて、みんな生きていてもいいんです。だから、私もあなたも生きていていいんです。自分では気付かなくても、私たちはものすごくたくさんの人たちの中で生活していて、最低限自分の足で立っていること、それさえできていれば、時に寄りかかり、寄りかかられても大丈夫。嫌ならはねのければいいし、いいなら受け入れればいい。逆に、はねのけられても、受け入れられても、いい。だって、自分の足で立っていられるから。今の私は、周囲に対してこんな心境です。実の親にはこんな悟ったようなことは言えないけど。

    くみさんにかこつけて、好きなことを書いてしまったようです。ちょっと恥ずかしいです。こんなことをだらだら書いてしまったことは、くみさんのためだけではなく私のためにもなっていることをご理解いただいて、大目に見てください。私もまた、AC克服のための道の途中にいます。いっしょに歩いていきましょう。


引用返信 削除キー/
■235 / inTopicNo.5)  Re[4]: ちょっと書きすぎちゃったかなぁ
□投稿者/ はなぽん -(2004/03/31(Wed) 09:35:41)
    上の記事、なんか書きたいこと書きすぎちゃって、くみさんへのレスになってないような気がして、申し訳ないです。今朝気になって読み返して、「あーやっぱり・・・」って。
    実は、おととい産婦人科でトラブルがあって、昨日もう一度診察で、自分で思っていたよりも疲れていたみたい・・・書き始めたらとまらなくなってしまいました。
    って、言い訳ですね。ごめんなさい。そのうち、耐えられなくなったら、消させてください。
引用返信 削除キー/
■236 / inTopicNo.6)  こんにちは。くみです。
□投稿者/ くみ -(2004/03/31(Wed) 13:22:45)
    こんにちは。くみです。
    けいとさん、はなぽんさんお返事をどうもありがとうございます。

    はなぽんさんへ
    はなぽんさん、今お返事書かせていただいている所でした。昨日は就職活動で忙しく、お返事を返せなくてごめんなさい。はなぽんさんから頂いたお返事は、いつもとても嬉しく読ませて頂いています。沢山悩んだ人でないと出てこないような言葉に、いつもあったかさを感じています。そして自分と似ている所に親近感を感じています。もしよろしければ、消さないで頂きたいです。そしてお体だけは大切にしてほしいです。


    けいとさんがおっしゃられた様に、私も相手に少しでも心を開く事で自分の存在価値を見出そうとしていました。自分を決める物差しがいつも友達だったり、周りの人だったり、親でした。だからみじめな自分にぶつかって、自分が分からなくなっていました。簡単に相手の言う事に呑み込まれたり、その度に孤独感を感じていました。意地を張っているのか自分の意見なのかわかりません。今でも決定権が自分にある事を強く言い聞かせないと、周りを気にしてばかりで流されてしまいそうになります。就職活動をしていても、とても怖いのですが。でも今までは内面を出来るだけ見ないようにして走り続けていたので、辛いけれどマイペースを守る事と、今の自分ときちんと向き合いながら進めていけている今の自分は、以前とは違うのではないかなと思います。

    まだACの事など友人に言ったことはありません。でもけいとさんとはなぽんさんのお話しをうかがって、「勇気」と「少しづつ心を開いていける事」がとても大切なんだなと分かりました。そして心を開ける場所は近くにあるのかもしれません、というお言葉は本当にその通りなのだと思います。HPの方々や、カウンセラーの方や、友人や、彼氏をつくるなど、身近な人に話せずに、ましてや遠くの誰かに話せないですもんね。ほんとに少しの勇気、周りを見る私の見方なのかもしれません。

    はなぽんさん、旦那様との出会いが、色々な意味ではなぽんさんを大きく変えた存在になった事、とても素敵だなと思いました。私はやめてしまいましたがテニスサークルに入っていた時、2つ上の先輩を好きになりました。でもどう頑張っても好きな人ほど、(この年で恥ずかしいのですが)一日ひとこと言葉を交わすのが精一杯で、目の前に現れると元気に振舞おうとしていました。でもだんだん話していくうちに元気な自分以外を見せる事はどうしても苦痛で、逃げるしかないと思いました。(笑)その時は人間関係がきっかけで・・何て理由つけていたのですが、根本の原因はそれだけだったように思います。相手は何も思っていないのに、勝手に想像でものを考えてしまったり、分かってもらおうと努力をする前に逃げてしまいました。普通だったらしないと思います。あまりにも臆病な自分を認めたくなかったです。でも伝えなきゃ伝わらないんだなと思いました。私は小さい頃から自分の傷つく事を言われると、気づかないふりをして「抑圧」したり話題を変えたり、常に核心には触れないようにしてきました。だから本当の所の悩みは誰にも話した事は無かったです。でもどこかで誰かに分かってほしいと思っていたし、言わなくてもひょっとして分かってくれているじゃないかなんて本気で思っていました。とても甘えていたのだと思います。だから外向的な表面とは反対に、ある意味言葉はいらないと思っていた私は、極度に内向的なのかもしれません。

    現在カウンセリングのおかげで、少しマイペースになる事を覚えました。でもその分辛いし不安です。私には「予期不安」があって、就職が決まらなかったらどうしようとか、家を出る事が出来なかったらどうしようという気持ちがだんだんマイペースになる毎に募ってきています。そして悪循環になりそうで怖いです。でも形がどうあれ両親から離れてる為に頑張ろうと思います。

    けいとさんとはなぽんさんのお話しをうかがって、みんな苦しくて、あったかくて、人と深く関わってみたいなとそんな風に思えてきました。孤独感が減った気がします。

    文章があまり上手くない上に、自分の事ばかり話しているように思い恐縮ですが、内面を言葉にする事も、頭の中が整理されていきますね。

    はなぽんさん、両親についてお互い格闘のような日々ですが、どうかお体には気をつけてほしいです。

    けいとさん、本当にお恥ずかしいのですが自宅のパソコンにメールをつかっていないんです。私も全く上手くないのですが風景とか海外写真が好きで、ホームページ作成中なのです。ホームページを発信する時にメールをつけましたら、是非ご連絡させていただきたいです。よろしくお願いします。
引用返信 削除キー/
■238 / inTopicNo.7)  横レス失礼します。
□投稿者/ もで -(2004/03/31(Wed) 18:47:52)
    No232に返信(はなぽんさんの記事)

    読んでいて思わず涙が出そうになりました。「私は、闘える!」という言葉。
    私も、自分が思っているより弱くはないのかもしれない、と思えました。

    どんなに辛くても、倒れたくても倒れられない、死にたくても死ねない。そんな自分を疎ましく思っている時期がありました。その頃は、「どうして中途半端に体が丈夫なんだろう?そのくせ、どうしてこんなに心は弱いんだろう?」と本気で責め続けていました。
    私もひょっとしたら、自分が持っているイメージと隠されている自分は違うのかもしれない…ひょっとしたら、もう少し動ける人間なのかもしれない。
    内から沸いてくる力を分けてもらったような気分です。ありがとうございます!

引用返信 削除キー/
■239 / inTopicNo.8)  Re[5]: 横レス失礼します。
□投稿者/ はなぽん -(2004/03/31(Wed) 19:39:04)
    くみさん、もでさん、そういっていただけると、救われたような気分になります。上の文章は、消さないでおきます。読んでくれて、ありがとうございました。


引用返信 削除キー/
■241 / inTopicNo.9)  (削除)
□投稿者/ -(2004/04/01(Thu) 02:24:44)
    この記事は(投稿者)削除されました
引用返信 削除キー/
■247 / inTopicNo.10)  写真を貼り付けてみませんか?
□投稿者/ はなぽん -(2004/04/01(Thu) 17:46:53)
    けいとさん、こんにちは。
    写真って、あんまり撮ったことないけど、そういうものなんですね〜。写真って、やってみると奥が深いんでしょうね。
    仕事以外のことを、好きで追求するって、いいですよね。やればやるほど、ジグソーパズルのピースがはまっていくように、世界が開けてくるような感覚が、私は好きです。
    夢中になっているとき、私は自分自身を味方につけてるなぁって感じます。
    人の目を気にしているときなどは、自分自身が敵にまわっているように感じます。

    ところで、けいとさんの勝利写真、このサイトのお絵かきスクラップブックのBBSに貼ってみませんか?見せていただきたいのですが、なんとなく、個人的なやり取りではもったいないような気がします。くみさんも見れますし。もでさんが読んでくれていたように、他の人も私たちのやり取りを読んでいてくれているのかもしれないって思ったもので。
    いかがでしょう?


引用返信 削除キー/
■249 / inTopicNo.11)  (削除)
□投稿者/ -(2004/04/01(Thu) 23:31:43)
    この記事は(投稿者)削除されました
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■252 / inTopicNo.12)  みました
□投稿者/ はなぽん -(2004/04/02(Fri) 13:19:43)
    私はけいとさんの背中を思いっきり押してしまったようですね。
    写真にしろ、絵画にしろ、誰かに見て欲しいっていう気持ちは、製作者なら誰でも持つものですよね。私も某文化的活動をしていて、年に一回展覧会に出しているものですから。あんまり自分のことを書きすぎると、誰か知り合いにばれそうなのでここでは差し控えますが・・・

    過去の芸術家の、有名な作品を美術館などで見ると、いつも思うことがあります。
    作者は、こんなところに作品が飾られるなんて、思いもしなかったんだろうなぁって。ガラスの向こうで、ライトに照らされて・・・たとえば、自宅に飾ったら?太陽光の下で見たら?ろうそくの火で見たら?見ている私の側のことは、結構軽視されていますよね。
    どんな雄弁な評論家の言葉よりも、物を言うのは作品のはずなのに、って。作品と見る人の間にガラスの壁を作る美術館が、私はあまり好きではないんです。

    けいとさんの写真も、一度誰かの目に触れたら、けいとさんがどんなに正確に思いを伝えたくても、どんなに言葉を尽くしても、その写真に力があるならば、写真自身が一人歩きして、写真自身が何かを語り始めるんじゃないかなぁ。見る人に発信したり、見る人を引き込んだり。で、けいとさんの手の届かないところで、誰かがその写真と会話をするんでしょう。きっと。それって、素敵じゃないですか?

    けいとさんの経験は、私が剣道を通じて、毎日顔をあわせているにもかかわらず、周りにずいぶん迷惑をかけてきた過程とよく似ているので、なんとなく共感できます。でも、人とのつながりの希薄さは、毎日会っていても、ネット上でも、おそらく変わらないと思います。あの頃の剣道仲間とは音信不通です。でも、いいんです。あの頃私はそうだった。迷惑かけてごめんね。でも、今は違う。変わったんだよって。

    自分が変わらないと周りも変わらないんですよね。

    剣道で闘えるようになった私を見るちびっ子剣士たちの視線が変わりましたし、別分野の展覧会出品作品も明らかに変わりましたし、それを見る周りの反応も変わりました。子供を産み育ててみようと言う気持ちも生まれ、それが実の親との確執を浮かび上がらせました。押さえつけてきた怒りを認識しました。幼稚園児の頃の自分の行動パターンを思い出し、「私って、負けず嫌いで傍若無人なやつだった」でもそれは、親にとっては悪いことでも、そういう性格でもいいんだと思えるようになりました。そこから生まれる強さもあるんですから。でも、実物の「親」との対決は、これからです。私自身が「母親」になるのもこれからです。先は長いなぁ・・・

    おっと、ここはくみさんのスレでした。くみさんの話題からずいぶん遠ざかってしまいました。くみさん、横レスばかりでごめんなさい。
    就職活動、大変でしょうが、くみさんのために、がんばってくださいね。

引用返信 削除キー/
■254 / inTopicNo.13)  (削除)
□投稿者/ -(2004/04/02(Fri) 15:29:02)
    この記事は(投稿者)削除されました
引用返信 削除キー/
■258 / inTopicNo.14)  こんにちは。
□投稿者/ くみ -(2004/04/03(Sat) 11:08:30)
    けいとさん、はなぽんさん。こんにちは。

    けいとさん、とても大切なそして素敵なお写真を見せていただきありがとうございます。
    けいとさんのお写真を見て、人と人はつながっているんだなぁ、私はひとりじゃないんだなぁと、とても暖かい気持ちになりました。
    写真の持つ力の大きさを凄く感じました。きっとけいとさんのお写真が海外まで伝わった時も、こんな風に沢山の人の心を動かして、境界線さえも超えていったのではないかなと思います。

    全て私の勝手な主観で、本来の気持ち、形を変えてしまっていたら申し訳ありません。
    素敵なお写真ありがとうございました。
     
    カウンセリングを始められたことで、自分探しは過去を見る事だけじゃないとおしゃられているのを読ませていただき、私も必要以上に過去を振り返りすぎていました。無理やり過去をつなげる事ばかりを考えなくても、全てが積み重なって今の自分があることを、意識の隅の方に追いやっていました。そして今の自分がなおざりになってしまっていたなぁと・・。辛い過去を含めた今の自分を見ることは一番大変だけど、それ以上に喜びを深く感じられる自分になれた事は素敵な事なのだと思います。真剣すぎるくらい悩むけど、裏を返せば「誰よりもより良く生きたい」という自分の本当の気持ちが見えてきたからです。
    けいとさんのカウンセリングのお話を聞いて、過去じゃなく、いまの自分の自己確立に全力を注ごうと思いました。

    けいとさんとはなぽんさんには、沢山のアドバイスや励ましを頂いたのに、私はいつもこんな感じでアドバイスのひとつも出来ずにすみませんでした。本当に自信がないなぁと反省しました。
    けいとさん、はなぽんさん、沢山の暖かいメッセージをありがとうございました。



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