| 2005/03/27(Sun) 12:36:31 編集(投稿者)
大門さん、おはようございます。いつもどうもです。
ちょうど昨日、9年ぶりに腐れ縁の幼馴染からрェあり、時候の挨拶もなく、いきなり○○新聞とってくれないかと頼まれました。 この人はいつもそうなんですけど。頼みごとがある時だけ人に接触してきます。 自分の生活だけで精一杯だからと断ったんですが、「2ヶ月で1,800円なんだけど」となかなか引き下がらない。 そんな問題じゃないだろーと苛々するのを抑えて根気よく断ったものの疲れました。
以前にも、 ・入院する間、犬を三匹預かってくれないか(預かれるワケがない) ・あなたの会社に入社させてくれ(人にそんな頼み事をするような人は当然×) ・水道高熱費が払えないからお金を貸してくれ(ボンビー生活で人に責任は負えない) 等、ありましたが、その断った後は強い罪悪感に苛まれたものです。 罪悪感を感じてしまうと、そんな感覚を味合わされたことにあらためて不愉快になったり。
でも、最近考えるんですが、私が頼まれてしまうのには、私にも問題があるのだろうか。 相手に対して、この人ならNOと言われないであろうという隙を見せてしまっているのか、とも考えたりします。 もともとあまり愛想が良いタイプではないことを考えると、隙があるのじゃなく、私の責任感を利用しようとされるのか。 難しくて分かりません。
ここの《ACリソースの(人を見分ける)安全を脅かす不適切な人物の特徴》に ◆「NO」という言葉を低く見積もる、というものがありましたが、 他人がNoと言わなければならない状況への配慮が下手な人が、簡単に人に頼み事をしてしまうのか。
昔は、村とか町とか地域社会がひとつの集合体として家族性を持っていて。 門扉は開放されていて、子供は地域全体で見守ったり叱ったり、隣近所で助け合いをするのは当然だったんですよね。 雨が降れば、お隣の洗濯物も取り込んだり。卵や味噌が切れたら、お隣さんから借りたり貸したり。 頼むのも頼まれるのも当たり前の時代。 現代は昔とは違い、安全面でもそういう訳にはいかないですが。
境界に対して敏感すぎるのも慎重すぎるのも、自分自身がACだからなのか 現代病なのか、昔が間違っていて今が正しいのか、果たしてその逆なのか それとも自分自身が決して人に頼み事が出来ないからなのか。 私には正直よく分からないです。
でも、暗い顔してお金がないの、と暗に借金を要求されるよりは お金を貸してと率直に言われる方がまだ気持ちいいですねけどね。 えと、論点ズレてるだろうか。
ここから編集で追記です。 今年に入って親が死にましたが、死ぬ直前まで恨み言をたれ悪態をついて 死んだ後の葬儀のことやら、香典についてまだ采配しようとしてました。 腹立てても身が持たないから、適当に返事しといた。 無い袖は振れない訳だし、生き残る人間の都合を優先しなきゃ仕方ないかな、と。 まだ論点ズレてるかも。
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