1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■1718
/ inTopicNo.1)
柊さんへ(かなり長文です)
▼
■
□投稿者/ クラゲ
-(2004/11/19(Fri) 01:13:56)
柊さん、こんにちは!
> 「友達」には言わなくてもいいのかも。って思います。
このことば、ちょっとしたショックでした。いい意味で。
そうか、友達にはいわなくていいのか…、そういう通念があるのか…。
この↑一行が今の自分の頭の中の状態です。
柊さんの中ではかなり消化されて実行に移すまでになっているように見えます。
おおげさに見えるかもしれませんが、私にとって、大切だった価値観の修正をすることになるので、どうもいますぐ行動に移せるか分かりません。
ちょっと混乱しているというか。
でも、修正してそれに慣れれば、もっと生きやすくなる気がするので、変えてみたいという気持ちが強いです。
> でも、「友達」以外の人間関係ではそういった言葉が時にはコミュニケーションの潤滑油になったりしますよね。。。
> 例えば、同じ会社に勤めてるっていうそれだけのつながりの人間関係であるとか、仕事上お付き合いがある方とか…
まったく同感です! この部分は納得できているので、自分でも比較的楽です。
> あと、思い出したんです。私が過剰に感謝するのか。これも、母や祖母からの洗脳が大きいです。
私も洗脳の部分が大きいとしか思えません。それほど強く信じていたから。
信じる気持ちが頑ななほど強くなったのは、ここ数年です。
ある時点から、年を重ねるにつれて母の世界にひっぱられてる感じがします。
> 「私なんかと…」とか自分をへりくだることによって、相手に不満があっても我慢してるんです。
この部分、はっとしました。私が考えてもみなかった見方です。そんなからくりがあったのかなぁ。
よく整理できてませんが、正面から相手にあたらないで不満な部分を交わすってことなのかな?
…もう少し考えてみたいです。
> ”この人は私なんかと友達になってくれるんだから、私と一緒に遊んでくれるだけもありがたい。だから、文句なんて言ったら駄目よね”って。そんな感じです。> 何か、嫌いって思っちゃいけない。そんな感じです。私は嫌いな人があまりいないのも、そういう考えがあるからかもしれません。
あー、なんだかすごく大切なことに気づき始めた気がします!!
結果が柊さんと同じなんです。理由づけの仕方がちょっと違うようだけど。
私も「嫌いって思っちゃいけない」に通じる観念があると思います。
自分の場合は、「そうそう嫌いな人はいないよ」と思っているの。
あくまで集団の中にいるときです。
本当に、ことを荒立てるほど嫌いな人って滅多にいないの。
でも、そう信じたいだけなのかな、本当は。
私には明確に「文句いっちゃいけないのよね」という意識はないように思います。
ただ、みんなと仲良くやるのが当たり前と思っている。それが一番心地いい。
で、どの集団でも特定の仲良しグループができがちなんですが、私はどの人とも同じぐらいの交流をしようとする。
そして、気づくと一人。ただ、集団の中の一人一人とはごくいい関係(のつもり)だったりするんです。
あと、職場に関しては、自立こそ求められている世界といいますか、だからあまり集団うんぬんでは悩まないでこれました。
所詮、演じることが前提だと思えていたし。
そのさみしさが時折プライベートで吹き出すことはあったけど。
> 母や祖母の洗脳も大きいのですが、それをそうだと信じ込むもうひとつの理由が友達関係にもあります。私と似たような考えの子が多いんです。。。
> どこにいってもそうなんです。今、幼稚園で同じバス停になるママさんたちもそんな考え方の人多いです。割と、自分を低く見積もってる人ばかりです。だから、みんな話しが合うのかもしれません。うーん…ACだらけ?
そうなんですか。周りに似たような考えの人が多ければ、疑問がわくことがないのも自然ですよね。
正直にいって、一瞬、柊さんがうらやましく思いました。
ただ、「自分を低く見積もっている」というのは、人のことであっても私は痛くてしょうがない…。
私は多分、よっぽどの自己否定でなければ、そういう部分からくる態度を謙遜→思いやりと解釈していたのかも知れません。
そういう方たちの中で、柊さんご自身は、居心地はどうでしたか? ACに気づく前とか。
私の場合は、そういう人たちとの接点はあまり多くないんです。
自分が多少居心地いいなと思っても、相手の人たちはちょっと違うと思っているよう。
よーく考えてみると、自分からみても多少の違和感はあるんだけど。
私は、そういう一歩引くような態度や考えをもちつつ、自我もけっこう表しているからだと思います。
堅い母の元でしつけられてそれに縛られつつも、反発もしていたんです。
そこは柊さんと違うのかな?
その場その場の調和を気にしつつ、はねっかえり人生を送っているところがある(わけわかりませんよね)。
その二つの部分の混在が自分を複雑にしていて、自分がどんな人間なのか、一言で説明できません。
とっかかりは自己主張のはっきりしたタイプとけっこう話すけど、付き合いを続けると自分のセンチなところも出てきて、それで違和感を感じ始めます。
仕事や自分の趣味の活動を精力的にしていたここ数年(鬱で動けなくなる前)は、やっぱりはっきりタイプの友人との交流が多かったです。
今の私はそういう人たちのふるまいに違和感を感じつつあって。
それぞれの思っていることをできるだけ率直に話せる関係がすきなんだけど、白黒はっきりって人間では私はないし。
> 全く、同じことを感じていてやってました。だから、友達は少なくなかったです。家族がわかってくれないから、友達に救いを求めてたのかもしれません。でも、嫌われたくないから、ちょっとがんばってた気がします。
小学校の頃から演じているところがあったというのは、私の場合、このスレッドでいただいた返信を読みながら気づいたんです。
柊さんが以前、小学生の頃から演じていたと言われたときは、気づいていなかった。
私も同様だと思います。家族に満たされない心を友達と通い合わせたかった。
私の場合、友達>家族という構図は早くから意識していました。
記憶は定かじゃないけど、中学一年ごろはすでにそう思っていました。
その観念はずーっとあって、今でも崩れてはいません。
だから、既婚であっても、友人のことがこんなに気になるのです。
ちなみに夫のことは、近しい友人の一人のような感覚で捉えています。
ようやっと夫婦とか家族を肯定的に捉えられるようになってきたので、少しは変わってきましたが。
友達が一番というのは、心情的な部分でわかってくれるから。
だから、友人にはそれなりに気をつかっていたかなー。
自然でいていいんだと思っていたし、そうできる友人が親友だと思っていました。
時期ごとに一人か二人ってとこだったけど、その存在さえあれば、他でまた元気に演じることができていました。
最近は…結婚したり環境が変わったりで、そう感じる存在が実はなくって、それでこんなやきもきしているんでしょうね。
> これを考えてたんです。私は誰に見せることができるんだろう。。。って。
> 今のところ、旦那しかいないですね。
私もそうです。。このHPで少しは本音をいえるようになって助かってるところ。
> 私もそう思います。集団生活ではある程度必要だと思ってます。自分を素直に出せる相手がいるなら、演じる場面があってもいいのではないかな?とかそんな気持ちにもなってるんです。要するに演じてる私も私の一部なんだ。って。
そうなんです。集団生活の部分で真の自分が出せなくて、ときおりしんどくなるけど、自分に必要だとわかっているから肯定的に考えることができます。
演じている私も私の一部、まさにそんな感じで認める気になってるんです。
またつらつらと書いて長くなってしまいました。
やっぱり深く話すといろいろな共通点もあるし、見えてくるものがありますね。嬉しいです。
それでは、また。。
引用返信
削除キー/
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■1709
/ inTopicNo.2)
Re[5]: クラゲさんへ
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□投稿者/ 柊
-(2004/11/18(Thu) 09:33:27)
おはようございます!
> ほんと、実は関係は自然であり「対等」なはずで、「わざわざ」ではないんです
>よね。
そうですよね。「友達」に関していえばそれが当てはまりますよね。
「友達」には言わなくてもいいのかも。って思います。
でも、「友達」以外の人間関係ではそういった言葉が時にはコミュニケーションの潤滑油になったりしますよね。。。
例えば、同じ会社に勤めてるっていうそれだけのつながりの人間関係であるとか、仕事上お付き合いがある方とか…
あと、思い出したんです。私が過剰に感謝するのか。これも、母や祖母からの洗脳が大きいです。「私なんかと…」とか自分をへりくだることによって、相手に不満があっても我慢してるんです。”この人は私なんかと友達になってくれるんだから、私と一緒に遊んでくれるだけもありがたい。だから、文句なんて言ったら駄目よね”って。そんな感じです。私は嫌いな人があまりいないのも、そういう考えがあるからかもしれません。
何か、嫌いって思っちゃいけない。そんな感じです。
母や祖母の洗脳も大きいのですが、それをそうだと信じ込むもうひとつの理由が友達関係にもあります。私と似たような考えの子が多いんです。。。
どこにいってもそうなんです。今、幼稚園で同じバス停になるママさんたちもそんな考え方の人多いです。割と、自分を低く見積もってる人ばかりです。だから、みんな話しが合うのかもしれません。うーん…ACだらけ?
クラゲさんはどうでしたか?(すみません。質問ばっかり。。。クラゲさんのお話見てたら、私が言葉にならないところを言葉にしてくれること多いです)
> とにかくよくもわるくも情感の深い家系だな〜と、ちょっと因縁のように感じて
>しまう自分もいます。
わかります(涙)
> それから、思い当たる理由のひとつとして、自分のことを注視してくれる人の存
>在をどこかで切望しているところがあるから、ということもあります。
これも、ぴったし!!!です。すごい!!何でわかるの?(って私のことじゃないですね)って思いました。
> 「自分のことを心底わかってくれる人はそうそういない」という観念が、子ども
>のころから頭にこびりついているせいだと思います。
そうなんです!そうなんです!!
> 家族の中で自分だけが性質が違うように感じていたし、学校に行けば、まわりと
>仲良くはするのだけど、結局演じている部分もあって、
全く、同じことを感じていてやってました。だから、友達は少なくなかったです。家族がわかってくれないから、友達に救いを求めてたのかもしれません。でも、嫌われたくないから、ちょっとがんばってた気がします。
> 深いところの自分を見せることができたのはほんの特定の人だけでした。
これを考えてたんです。私は誰に見せることができるんだろう。。。って。
今のところ、旦那しかいないですね。
> 演じること(こういいきっていいかわからないけど、自分にとってはそういう感
>じです)が集団生活ではある程度必要と納得はしているから、
> その部分と、情感がけっこうある素の自分とのバランスを保てればいいと思いま
私もそう思います。集団生活ではある程度必要だと思ってます。自分を素直に出せる相手がいるなら、演じる場面があってもいいのではないかな?とかそんな気持ちにもなってるんです。要するに演じてる私も私の一部なんだ。って。
引用返信
削除キー/
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■1707
/ inTopicNo.3)
ハコ男さんへ
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□投稿者/ クラゲ
-(2004/11/18(Thu) 01:48:11)
2004/11/20(Sat) 02:01:28 編集(投稿者)
2004/11/18(Thu) 09:51:35 編集(投稿者)
ハコ男さん、返信ありがとうございます!
> 自分もニコニコ顔か暗い顔のどちらかしかできませんでした。
> 小学校低学年のときは「○○君はいつも笑ってる」高学年、中学校では「おまえって暗いよな〜」。素の自分は暗くて表情がない。でも承認欲求、誰かに認められたい気持ちが強くて道化役を作ってニコニコする。幼稚園のときからそうだったと思います。
あー、そうなんですね。
なんだか自分のことみたい。
私も学校で「いつも笑ってる」といわれて、え、心はこんなにセンチで暗いのにっと思って驚いたことがありました。
やっぱり承認欲求だったのかな、私の場合も。
実は、そう思い当たり始めたのがごく最近で、でもって笑顔で人とそれなりにうまくやっていた自分を否定したくない気持ちが働くようで、
自己分析が進んでいませんでした。
笑顔の裏にも何かがあるんだな…。
> 今では少しづつ感情を感じられるようになり、特に親に対する怒りの感情ですけど、変な話怒りを感じることによって、明るくなれた気がします。少しだけど、演じることなく笑えるようになったというか・・
怒りを感じることによって明るくなれた…って、なんだかすごくすがすがしい。
感情、喜怒哀楽すべてがそれぞれ大切なんでしょうね。
私は育った環境から、特に「怒」を抑える作用は強いみたい。
> 恥ずかしながら読みかけて止めてしまいました。ただちょっと自分も自分の周りをハコで覆ってるような気がしたので・・・
そうでしたか。子どもの頃にこの作品を読んでいたら、何のことやらわからない主人公だなと思ったかも知れないけど、
最近読むと、それって私!と思ってしまいました。(この一文、後日訂正入れました。)
私はいつも「傍観者」だな…ってとこも含めて。
引用返信
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■1705
/ inTopicNo.4)
はなぽんさんへ
▲
▼
■
□投稿者/ クラゲ
-(2004/11/18(Thu) 01:25:53)
はなぽんさん、またまた返信ありがとう!
> そうですね。「感謝」をあらわすことがいいことであるというのは、ある意味常識であるのかもしれません。しかし、私の場合、感謝しすぎて、うっとうしがられたり、しつこい、という風にあしらわれたりしたことがあります。思うに、そのあらわし方を、母から学んでいるので、母の世代の人には受け入れられるのですが、同年代の人には過剰であるらしいのです。それで、友人の行動から、同年代の人たちの感情表現の程度を学んでいると言うわけなんです。
そうですね。感謝をしすぎてうっとうしがられるのは、それはそれで耐えがたい気がします。
だから、調整って必要ですね。
自分の場合、その点の観察がまだ確かではないのですが、この感謝の表しっぷりはかなり母の影響を受けていると思います。
例の私の友人との通信がその後続いているんですが、彼女は私と同年代なんです。
でも、確かに私と感情の表し方はまったく違うようです。
ようやっと気づいてきました。
> 断ち切る、と、言うわけではなく、友人の、「手紙を送る」という好意を、好意と受け取れなくなる限度があると言う意味です。手紙を受け取りたくないから、返事を書かない、ということです。友人の「普通」を受け入れているように見えて、実は、鬱陶しい・・・冷たいようですが、本音です。
なるほど…。そういう意識もあるということ、参考になります。
自分にも無意識の中にそういう流れがあるのかも知れないし。
> そうですね。
> 私も冷静に考えるようにして入るのですが、時々さびしくなります・・・
はなぽんさんにもありますか…。時折どっかさみしいって。
> 1698を書いている途中で息子に泣かれて、おたおたしてしまいました。
お忙しい中、書き込みありがとうです!
> 自分なりに発信することと、相手の「普通」を受け入れること。
> 一筋縄ではいかないやっかいなものですよね。
> 相手は、感謝の表現を聞いて、ぶっきらぼうに振舞っているけど、本当はうれしいかもしれないし、うっとおしいかもしれない。でも、それを気にしすぎていたら、何もできない。クラゲさんはクラゲさん。クラゲさんとどう付き合うかは、お友達の範疇の話。そういう風に割り切れたら、共依存の舞台を降りることができるのかもしれないですよね。そして、それは、私にもあてはまることです。
そうですね。やっぱり私はまだ相手との境界が甘いのか…。
実は共依存ってことについて、まだまだ認識不足だという感があります。
あ〜、道は長い! 見えていないことがまーだまだありそう!
> おかげさまで、私も、考えの整理がついてきましたよ。
> 一緒に考えることができてうれしいです。
あー、それはよかったです。
はんぽんさんが真摯に問題に当たってらっしゃるお姿、よく覚えています。
私もまたお願いします!
引用返信
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■1704
/ inTopicNo.5)
Re[2]: 思いやりの表現
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□投稿者/ クラゲ
-(2004/11/18(Thu) 01:01:52)
キーコさん、返信ありがとうございます。
> 二人の間には、「認識の大きなずれ」があるようです。
> もう少し、相手の話を綿密にきくと、今まで気づかなかったことを、発見します。
> こういうケースが起きる度に、「アバウトな感覚でしか、互いに相手の姿をつかめていないのだ。」と感じます。
おっしゃること、そうだよなぁ…ととても納得しました。
結局そうなんだ、相手をわかっているような気でいても、その「わかった」は私なりのものでしかないんですよね。
そのズレが前提だってこと、どうも忘れがちですね。
ひとつ思うのがね、キーコさんの息子さんはクレームをつけてくれる。
私の友人は何も言わない。
私の親もそうでした。姉弟もそう。
みんな言わない人たちなんです。な〜んにも。
で、親、特に母親だけは、核心には触れないで、態度や口調で不満感を、思いもしないときに私にぶつけてくる。
だから私からみると、クレームをつけてくれる身内の方がいらっしゃるというのはいいなというのが本音です。
話をする突破口を作るという歩み寄りがあるから。
キーコさんはそれで傷つかれることもあるかもしれないのに、一方的にいって気持ちを逆撫でしてしまったらごめんなさい!
でも、キーコさんなら受け留めてくれるという信頼感があるから、息子さんはあえていってくるんじゃないかなーと勝手に想像しています。
私の場合、相手がいってこないのは、状況や、自分側にも原因があるのはうすうすわかっていて、むしろそこに注意してみる必要があると思うのですが…。
> それと、感受性の細やかな人は、「気づく・感じる分」だけ、どうしてもシンドイと思います。
> 「なんて、無神経なんだ!」とこちらが感じても、「多分、相手はまったく感じていない。」と思われるケースに、何度かであってきました。
そういうこと、よくあります。
そう、気づいたり感じる部分が多い分、しんどいです。
> わたしも、人と話しをして、無反応や認識のずれを感じたり、予想もしていなかった答が返って来て、頭にくることが よくあります。
> あまりにも、「理解不可能なケース」が、たくさん起こるので、一時は、かなり追い詰められて 悶々としていた時期もありました。
多分、私は今、その悶々の時期にまだいるのだと思います。
ひどい時期は過ぎ、それなりに心の整理はついてきたので抜け出たと思っていたんです。
でも結局、悶々としているその間、人との接触を避けていた分、実は何にも変わっちゃいなかったんじゃ?と疑い始めているところです。
> 近頃、人の話をどれだけ聴いても、「相手を、理解することは出来ない。」と、改めて考えるようになりました。
> 「この考え」を大切にして、今は ひとと出会うようにしています。
この考えを前提に人と接すること、私も忘れないようにしたいと思います。
キーコさん、どうもありがとう!
こちらに書いてみて本当によかったです。見えてきたことがいろいろあります。
引用返信
削除キー/
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■1700
/ inTopicNo.6)
↑間違ってしまいました
▲
▼
■
□投稿者/ はなぽん
-(2004/11/17(Wed) 23:30:12)
ごめんなさ〜い!間違えて送信してしまいました。
削除キー入れてなかったのです。
1698を書いている途中で息子に泣かれて、おたおたしてしまいました。
続きを書こうと思ったのです。
> ちょとした心の表現のやり取りが日常会話の中でできないことはさみしいけど、相手に求めず、自分なりに発信し続けていくことを選ぼうと思います。
> そう思ったら、少し気が楽になりました。
> お互いに、ことばになっていることだけが心のすべてではありませんものね。
自分なりに発信することと、相手の「普通」を受け入れること。
一筋縄ではいかないやっかいなものですよね。
相手は、感謝の表現を聞いて、ぶっきらぼうに振舞っているけど、本当はうれしいかもしれないし、うっとおしいかもしれない。でも、それを気にしすぎていたら、何もできない。クラゲさんはクラゲさん。クラゲさんとどう付き合うかは、お友達の範疇の話。そういう風に割り切れたら、共依存の舞台を降りることができるのかもしれないですよね。そして、それは、私にもあてはまることです。
おかげさまで、私も、考えの整理がついてきましたよ。
一緒に考えることができてうれしいです。
ではまた。
引用返信
削除キー/
編集
削除
■1699
/ inTopicNo.7)
Re[3]: 思いやりの表現()
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□投稿者/ はなぽん
-(2004/11/17(Wed) 23:19:14)
■
No1686
に返信(クラゲさんの記事)
> はなぽんさん、こんにちは。
>
> 返信ありがとうございます。
>
>>友人はACではないです。
>>私は、この友人から、ACではない人の行動を、勝手に学んでいます。
>
> むしろ学ぶぐらいの気持ち…そういう発想は私にはそれほど強くなかった気がします。
> 今すぐにはどうとはいえないけど、ちょっと考えてみようと思います。
>
>>私だったら、「どういたしまして」と返信を打つところなのですが、それが妥当なのか、過剰なのかはいまいちわかりません。でも、それが私の「普通」だから、たぶん返信すると思います。
>
> 自分の場合、感謝の気持ちが人一倍強いように思えることがこれまでありました。
> 「過剰」かも知れないという意識はあったのですが、
> 自分には「感謝」の気持ちなら、いくら表してもいやなものではないという感覚があります。
>
>>昔、別の友人から手紙が来たとき、返事を書いたら、また返事の返事が来たので、返事の返事の返事を書いたら、またまた返事の返事の返事の返事が来てしまって、つらくなったのでそのままにしてしまったことがあります。
>
> どこかで断ち切る(というほど強いものではないのでしょうが)ときが必要ということでしょうか…。
> それをある程度社会で身に着けてきたとは思っていたのですが、心の底はときどき泣いていて、
> 今また、調和を保ちつつ自分らしくいく方法を模索しているところなんです。
>
>>手紙が来たら返事を書く。もしくは、手紙を書いたら返事が来る。それでひとつのやり取りが終了するはず、というのが私にとっての「普通」なのですが、この友人にとっては、「自分の手紙を受け取ってもらって終了」というのが「普通」なのです。たぶん。
>
> いわれてみて、そうなんだろうなぁと思います。
> 人それぞれのやり方を尊重することは忘れたくないと常々思います。
>
> ちょとした心の表現のやり取りが日常会話の中でできないことはさみしいけど、相手に求めず、自分なりに発信し続けていくことを選ぼうと思います。
> そう思ったら、少し気が楽になりました。
> お互いに、ことばになっていることだけが心のすべてではありませんものね。
>
>>ACじゃない人は、ACの人よりも、軽やかにつきあい、軽やかに会話し、軽やかに生きているように見えます。相手の感謝も挨拶のうち、「今度遊ぼう」も約束ではなく挨拶、もしくは好意の表現、みたいな。
>>
>>そんな風に感じたことないですか?
>
> 感じたこと、あります。思い出させてくれてありがとう、はなぽんさん。
> おかげで、またちょっと違う角度でものを見ることができそう、かな?
>
>
引用返信
削除キー/
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■1698
/ inTopicNo.8)
Re[3]: 思いやりの表現
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□投稿者/ はなぽん
-(2004/11/17(Wed) 23:08:12)
> 自分の場合、感謝の気持ちが人一倍強いように思えることがこれまでありました。
> 「過剰」かも知れないという意識はあったのですが、
> 自分には「感謝」の気持ちなら、いくら表してもいやなものではないという感覚があります。
そうですね。「感謝」をあらわすことがいいことであるというのは、ある意味常識であるのかもしれません。しかし、私の場合、感謝しすぎて、うっとうしがられたり、しつこい、という風にあしらわれたりしたことがあります。思うに、そのあらわし方を、母から学んでいるので、母の世代の人には受け入れられるのですが、同年代の人には過剰であるらしいのです。それで、友人の行動から、同年代の人たちの感情表現の程度を学んでいると言うわけなんです。
> どこかで断ち切る(というほど強いものではないのでしょうが)ときが必要ということでしょうか…。
断ち切る、と、言うわけではなく、友人の、「手紙を送る」という好意を、好意と受け取れなくなる限度があると言う意味です。手紙を受け取りたくないから、返事を書かない、ということです。友人の「普通」を受け入れているように見えて、実は、鬱陶しい・・・冷たいようですが、本音です。
> それをある程度社会で身に着けてきたとは思っていたのですが、心の底はときどき泣いていて、
> 今また、調和を保ちつつ自分らしくいく方法を模索しているところなんです。
そうですね。
私も冷静に考えるようにして入るのですが、時々さびしくなります・・・
引用返信
削除キー/
編集
削除
■1694
/ inTopicNo.9)
Re[3]: 思いやりの表現
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□投稿者/ ハコ男
-(2004/11/17(Wed) 12:57:48)
> 笑顔に関しては、実は私は以前はニコニコ顔の人間でした。
> 鬱や人間不信で笑えなくなって、人の目を見れなくなって、それでもようやく「ニコ」ぐらいは戻ってきた。
> でも、ほんの通りすがりの人にもわかるんですね、きっと。
> その「ニコ」の奥にある警戒心やおびえが。
> へたしたら、こびていると取られたと思えるときが数回あったり(これには心底落ち込みました)。
> だから、すてきな笑顔で返してくれる人は以前のようにほとんどいません。
自分もニコニコ顔か暗い顔のどちらかしかできませんでした。
小学校低学年のときは「○○君はいつも笑ってる」高学年、中学校では「おまえって暗いよな〜」。素の自分は暗くて表情がない。でも承認欲求、誰かに認められたい気持ちが強くて道化役を作ってニコニコする。幼稚園のときからそうだったと思います。
今では少しづつ感情を感じられるようになり、特に親に対する怒りの感情ですけど、変な話怒りを感じることによって、明るくなれた気がします。少しだけど、演じることなく笑えるようになったというか・・
> 追伸:あべこうぼうは読まれますか?
> (もし不快だったらどうぞ無視してください。私はたくさんは読んでいませんが好きなもので。)
恥ずかしながら読みかけて止めてしまいました。ただちょっと自分も自分の周りをハコで覆ってるような気がしたので・・・
引用返信
削除キー/
編集
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■1693
/ inTopicNo.10)
Re[1]: 思いやりの表現
▲
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□投稿者/ キーコ
-(2004/11/17(Wed) 12:42:07)
2004/11/17(Wed) 14:49:54 編集(投稿者)
クラゲさん、こんにちは。
わたしには、高校生の息子がいて、彼から、最近よくクレームをつけられます。
息子の気持ちは、「真実」だと思いますが、当のわたしは、単に「自分の気持ち」を語っただけなのです。
二人の間には、「認識の大きなずれ」があるようです。
もう少し、相手の話を綿密にきくと、今まで気づかなかったことを、発見します。
こういうケースが起きる度に、「アバウトな感覚でしか、互いに相手の姿をつかめていないのだ。」と感じます。
(以前は、「息子のクレーム」の大まかな原因は、長年の付き合いから、ある程度まで察しがつくような気がしていました。
でも 今は、それもあやしいものだと思うようになりました。)
それと、感受性の細やかな人は、「気づく・感じる分」だけ、どうしてもシンドイと思います。
「なんて、無神経なんだ!」とこちらが感じても、「多分、相手はまったく感じていない。」と思われるケースに、何度かであってきました。
わたしも、人と話しをして、無反応や認識のずれを感じたり、予想もしていなかった答が返って来て、頭にくることが よくあります。
あまりにも、「理解不可能なケース」が、たくさん起こるので、一時は、かなり追い詰められて 悶々としていた時期もありました。
近頃、人の話をどれだけ聴いても、「相手を、理解することは出来ない。」と、改めて考えるようになりました。
「この考え」を大切にして、今は ひとと出会うようにしています。
引用返信
削除キー/
編集
削除
■1692
/ inTopicNo.11)
Re[4]: クラゲさんへ
▲
▼
■
□投稿者/ クラゲ
-(2004/11/17(Wed) 12:17:47)
柊さん、問いかけどうもありがとう!
柊さんのお話に、そ〜うそうそうなんです!と思いました。
理由の部分については、ちょっと自分はあいまいなところがあるんですが…。
> 私もあるんです。これは親や祖母からの影響と、私の場合”自己評価の低さ”からきています。
> ”私と友達になってくれるだけでもありたがい”とか思ってしまうんです。だから、一緒に遊んだ後も”貴重な時間を割いてわざわざ私のために一緒に遊んでくれてありがとう”なんです。
> でも、こうやって書いてて??と思いました。相手は別に「わざわざ」ではないんですよね。柊と遊びたいから遊んだだけなんでしょうね。
> クラゲさんはどんな感じですか?
「わざわざ」と感じるところ、あります。
(なんだか、こんなところまで共感してもらえるとわかったことで、正直、一瞬涙が出るぐらい嬉しく思いました)
自分でも、おおげさなほど感謝の気持ちがあるなーと、いつからか思っていました。
ほんと、実は関係は自然であり「対等」なはずで、「わざわざ」ではないんですよね。
母の影響、私もあります。なんというか…家系かな。母方の女性だけに顕著に見られるような…。
とにかくよくもわるくも情感の深い家系だな〜と、ちょっと因縁のように感じてしまう自分もいます。
それから、思い当たる理由のひとつとして、自分のことを注視してくれる人の存在をどこかで切望しているところがあるから、ということもあります。
「自分のことを心底わかってくれる人はそうそういない」という観念が、子どものころから頭にこびりついているせいだと思います。
だから、「ああ〜わかってくれるのね! ありがとうありがとう」と感謝の気持ちが強くなってしまうような気がします。
家族の中で自分だけが性質が違うように感じていたし、学校に行けば、まわりと仲良くはするのだけど、結局演じている部分もあって、
深いところの自分を見せることができたのはほんの特定の人だけでした。
「自己評価の低さ」に関しては、そういいきれるほど自分にとって明確な意識がまだないんです。
というのは、評価の低さと評価のおおざっぱさ(というのかなんというか…)が混在している気がするのです。
ちなみに評価のおおざっぱさの部分は父親似だと思います。
多分、自分の幼少を見つめる作業が、私はまだまだできてないんだと思います。
ただ以前から気づいていたのは、ここぞというときに自信がもてないということ…。
それはやっぱり自己評価の低さなのかな。
>>今また、調和を保ちつつ自分らしくいく方法を模索しているところなんです。
> 私と同じです。そうなんです。この言葉ぴったり当てはまります。
そうですか。共感を示してもらえてなんだか元気づけられます。
演じること(こういいきっていいかわからないけど、自分にとってはそういう感じです)が集団生活ではある程度必要と納得はしているから、
その部分と、情感がけっこうある素の自分とのバランスを保てればいいと思います。
>>ちょとした心の表現のやり取りが日常会話の中でできないことはさみしいけど、
> わかります。一番、付き合いが長い友達に対してもそうです。
あー、柊さんもそうなんですか。またもや嬉しい共感です。
学生時代や社会に出てまもないころは、それでも思いやりのことばのかけあいって、もう少しあったように思うのです。
心の表現をふだんしないことが大人なの?ってもう、思春期の少女みたいなこと考える自分が今でもいます(いつも隠していますけど。ハハ)。
うーん、聞かれてみると、自分のことを語るって難しいですね。
機会を与えてもらえたようで、とても助かります。ありがとう!
長ったらしい文章でごめんなさい。
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■1691
/ inTopicNo.12)
クラゲさんへ
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□投稿者/ 柊
-(2004/11/17(Wed) 09:49:07)
> はなぽんさん、こんにちは。
横レス失礼します。。。
> 「過剰」かも知れないという意識はあったのですが、
> 自分には「感謝」の気持ちなら、いくら表してもいやなものではないという感覚
>があります。
私もあるんです。これは親や祖母からの影響と、私の場合”自己評価の低さ”からきています。
”私と友達になってくれるだけでもありたがい”とか思ってしまうんです。だから、一緒に遊んだ後も”貴重な時間を割いてわざわざ私のために一緒に遊んでくれてありがとう”なんです。
でも、こうやって書いてて??と思いました。相手は別に「わざわざ」ではないんですよね。柊と遊びたいから遊んだだけなんでしょうね。
クラゲさんはどんな感じですか?
> 今また、調和を保ちつつ自分らしくいく方法を模索しているところなんです。
私と同じです。そうなんです。この言葉ぴったり当てはまります。
> ちょとした心の表現のやり取りが日常会話の中でできないことはさみしいけど、
わかります。一番、付き合いが長い友達に対してもそうです。
柊
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■1690
/ inTopicNo.13)
Re[4]: 思いやりの表現
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□投稿者/ クラゲ
-(2004/11/17(Wed) 09:42:21)
サキさん、
> 私、クラゲさんを傷つけてしまったのではないか、心配しています。
そんなことないですよー。
特にサキさんのメッセージを読んで、というわけではなくて、自分で感じていたことをつらつら書き加えてしまったため誤解を生んでしまったのかも。
ごめんなさいね!
> クラゲさんの感じられるその感覚は私もよくあるのです。
> 「あ〜〜、またかわされた。言わなきゃよかった。」
> っていうの。
> この感覚のこと、上手く言葉に出来ずにいたから、
> クラゲさんがこうして、スレ立ち上げて下さったこと嬉しかったです。
どうもありがとう。他のことばが出てこないけど、ありがとうという気持ちです。
サキさんは思いやりの表現を自由にできる方なんだなぁと感じました。
こうしてわざわざ思いやってことばをかけてくれて。
見習いたいと思います。
また、お話しましょうねー。
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■1688
/ inTopicNo.14)
Re[3]: 思いやりの表現
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□投稿者/ サキ
-(2004/11/17(Wed) 03:06:47)
クラゲさんへ
私、クラゲさんを傷つけてしまったのではないか、心配しています。
クラゲさんの感じられるその感覚は私もよくあるのです。
「あ〜〜、またかわされた。言わなきゃよかった。」
っていうの。
この感覚のこと、上手く言葉に出来ずにいたから、
クラゲさんがこうして、スレ立ち上げて下さったこと嬉しかったです。
恥ずかしいなんて、そんなふうに思うこと全然ないですよ。
思わせたとしたらごめんなさいね。
私の方が、よっぽど恥ずかしいスレ立てています。
また、お話してくださいね。サキ
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■1686
/ inTopicNo.15)
Re[2]: 思いやりの表現
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□投稿者/ クラゲ
-(2004/11/16(Tue) 23:59:51)
はなぽんさん、こんにちは。
返信ありがとうございます。
> 友人はACではないです。
> 私は、この友人から、ACではない人の行動を、勝手に学んでいます。
むしろ学ぶぐらいの気持ち…そういう発想は私にはそれほど強くなかった気がします。
今すぐにはどうとはいえないけど、ちょっと考えてみようと思います。
> 私だったら、「どういたしまして」と返信を打つところなのですが、それが妥当なのか、過剰なのかはいまいちわかりません。でも、それが私の「普通」だから、たぶん返信すると思います。
自分の場合、感謝の気持ちが人一倍強いように思えることがこれまでありました。
「過剰」かも知れないという意識はあったのですが、
自分には「感謝」の気持ちなら、いくら表してもいやなものではないという感覚があります。
> 昔、別の友人から手紙が来たとき、返事を書いたら、また返事の返事が来たので、返事の返事の返事を書いたら、またまた返事の返事の返事の返事が来てしまって、つらくなったのでそのままにしてしまったことがあります。
どこかで断ち切る(というほど強いものではないのでしょうが)ときが必要ということでしょうか…。
それをある程度社会で身に着けてきたとは思っていたのですが、心の底はときどき泣いていて、
今また、調和を保ちつつ自分らしくいく方法を模索しているところなんです。
> 手紙が来たら返事を書く。もしくは、手紙を書いたら返事が来る。それでひとつのやり取りが終了するはず、というのが私にとっての「普通」なのですが、この友人にとっては、「自分の手紙を受け取ってもらって終了」というのが「普通」なのです。たぶん。
いわれてみて、そうなんだろうなぁと思います。
人それぞれのやり方を尊重することは忘れたくないと常々思います。
ちょとした心の表現のやり取りが日常会話の中でできないことはさみしいけど、相手に求めず、自分なりに発信し続けていくことを選ぼうと思います。
そう思ったら、少し気が楽になりました。
お互いに、ことばになっていることだけが心のすべてではありませんものね。
> ACじゃない人は、ACの人よりも、軽やかにつきあい、軽やかに会話し、軽やかに生きているように見えます。相手の感謝も挨拶のうち、「今度遊ぼう」も約束ではなく挨拶、もしくは好意の表現、みたいな。
>
> そんな風に感じたことないですか?
感じたこと、あります。思い出させてくれてありがとう、はなぽんさん。
おかげで、またちょっと違う角度でものを見ることができそう、かな?
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■1685
/ inTopicNo.16)
Re[2]: 思いやりの表現
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□投稿者/ クラゲ
-(2004/11/16(Tue) 23:27:32)
サキさん、コメントありがとうございます。
ひとつひとつ答えをいただけて、よくわかりました。
> 確かに、自分では大事に発した言葉を、さらっとかわされると
> 踏みにじられた気持ちになりますよね。
そうなんです。心を込めているだけに、ショックが大きいというか…。
> いわゆるあっさりしているのかもしれませんね。
本当にそうだと思います。
考えてみれば、ACに気づく前から付き合いのある友人知人たちは、あっさりした交流をする人たちの方が多いかもしれません。
多分、集団の中の一人という感覚では、一般的な付き合い方なのだと思います。
私はおそらく、ひとりひとりをごく個人的に捉えすぎるのですね。
> 友人として選び間違えているのか、わからないんですが、
> 話す相手を間違えた、というのは私も良くやるんですよ。
すごく当たっている気がします。話す相手を間違えた…って。
私はそれをよくするのだと思う。
というか、この話はこの人にというような考え、区別といっていいのでしょうか、それをあえてしようとしていないところがもともとありました。
それじゃいけないとは気づいてきたのだけど、やっぱりまだ納得していないのかな。
それでも友人に対して、この人には真の感情を多少は表してもよいという信頼感があり、慎重にいったつもりではいたのですが、
やっぱりひとりよがりだったーと反省しています。
今はこんなことでスレッドまで立てた自分がちょっと恥ずかしい。。
それから…もしも、私の書いた親記事の内容が、感情のことばに反応を示さない人たちへの批判のようにとれたらごめんなさい!
ACや性格でことばが出ないときがあるというのは私もわかるのです。
私は本当のところ、心の中をほとんどみせちゃあいないのだと思います。
責める気持ちはないんです。
今回の疑問は、ACでないことを前提としたつきあいの中でのことだったし、
そんなに多くを求めているわけでもないのになんで?という思いがあって…。
約一年前から沈殿して浮上して、かなり整理したつもりで、ちょっと変わった自分で接したつもりだったんだけど、
結局感じることは変わってなくてがっくりというところもありました。
これがひとりよがりなのよね…。よーくわかった!
どうもありがとう、サキさん!
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■1682
/ inTopicNo.17)
Re[1]: 思いやりの表現
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□投稿者/ はなぽん
-(2004/11/16(Tue) 14:52:33)
こんにちは。
私の話なのですが、先日、友人の家に遊びに行きました。
帰ってきて、その日のうちに「ありがとう」メールを打ちました。
返信は、今のところ無しです。
友人はACではないです。
私は、この友人から、ACではない人の行動を、勝手に学んでいます。
この場合、遊びに行った私がお礼を伝えたところで、この話はお終いなのでしょう。それが、彼女にとっての「普通」なのだと思います。別に嫌なことがあったわけでもないし、お互い忙しいわけですから、私を嫌って返信してこないわけではないと思います。(そう思うように努力をしています。)
私だったら、「どういたしまして」と返信を打つところなのですが、それが妥当なのか、過剰なのかはいまいちわかりません。でも、それが私の「普通」だから、たぶん返信すると思います。
昔、別の友人から手紙が来たとき、返事を書いたら、また返事の返事が来たので、返事の返事の返事を書いたら、またまた返事の返事の返事の返事が来てしまって、つらくなったのでそのままにしてしまったことがあります。
手紙が来たら返事を書く。もしくは、手紙を書いたら返事が来る。それでひとつのやり取りが終了するはず、というのが私にとっての「普通」なのですが、この友人にとっては、「自分の手紙を受け取ってもらって終了」というのが「普通」なのです。たぶん。
ACじゃない人は、ACの人よりも、軽やかにつきあい、軽やかに会話し、軽やかに生きているように見えます。相手の感謝も挨拶のうち、「今度遊ぼう」も約束ではなく挨拶、もしくは好意の表現、みたいな。
そんな風に感じたことないですか?
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■1681
/ inTopicNo.18)
Re[1]: 思いやりの表現
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□投稿者/ サキ
-(2004/11/16(Tue) 11:04:42)
クラゲさん、こんにちは。
読ませて頂きました。
私も相手の「無反応」にあれ?と感じたこともあるんですが、
私自身相手のそうゆう言葉を流してしまうことがあります。
> その理由について、想像はいくつかしてきました。
> 照れるとか?
それもあります。
> 感情を出してしまうと自分がくずれるかもしれないから?
それが大きいです、私の場合。自分を守りたいこともあります。
> 感情的なことがきらい?
きらいというよりも、「今」は避けたいっていうこともあるかもしれません。
> 共感がない?
それはないです(あくまで私の場合ですが)
> 落胆するというのは私が相手に多くを望みすぎているという証拠。
> その部分の調整を試みようと思う反面、また心を閉じようとしている自分が何割かいます。
> やさしく穏やかな気持ちでいる自分でいると、いつも踏みにじられるようにさえ思えて。
> …これは被害者意識だとは思うのですが、正直なところです。
確かに、自分では大事に発した言葉を、さらっとかわされると
踏みにじられた気持ちになりますよね。
> 私は友人を選びまちがえているのでしょうか?
> 期待はもたないようにしているつもりなんですが、どうしてこうも思いやりをことばにできないのか本当にわかりません。
そうゆう人もいる。のだと思います。
いわゆるあっさりしているのかもしれませんね。
友人として選び間違えているのか、わからないんですが、
話す相手を間違えた、というのは私も良くやるんですよ。
参考になるかわからないのですが、書かせて頂きました。
引用返信
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■1675
/ inTopicNo.19)
Re[2]: 思いやりの表現
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□投稿者/ クラゲ
-(2004/11/16(Tue) 08:22:26)
2004/11/16(Tue) 08:51:12 編集(投稿者)
2004/11/16(Tue) 08:32:41 編集(投稿者)
ハコ男さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
日常では聞くことのなかなかできない、人の心の内を少しだけ見せていただいたように思います。
ハコ男さんの例を読んでいると、ありがとうと口に出せなかったハコ男さんのことを相手が必ずしも責める資格(というのもおおげさですが)
があるのだろうか?と思いました。
自然に口からでなかったものを責めることができるのでしょうか…。
誰が誰に、○○と言えと強制することができるのでしょうか。
ことばが強くて不快にさせたらすみません。あくまで自分自身へのといかけです。
自分自身について、やっぱり自分は相手に何かしたあと、こうして欲しいと期待しているんだなぁ、
そして、それは相手によってはコントロールにつながる危険がある、と思いました。
今回こういう気持ちがぶり返したきっかけになったメールのやりとりをした友人は、ACではありません。ちなみに気丈なタイプです。
ただ、長年の知り合いとはいえ、遠方に住んでいるため、
私が知らないだけで彼女が精神的な何かを抱えているということはないとは言い切れません。
体や空間を隔てた向こうにいる別の人格がどう感じているかは私にはつかみきれない。
思ったような反応が得られなくても、それが相手の無意識であれ選んだ反応。
正直、また彼女との通信を止めたい気持ちが一瞬よぎりましたが、なんとか思い直しました。
対策というのもなんなのですが、自分でこうすれば、少しは気にならなくなるかもと考え付いたことがあります。
それは、相手がどうであれ、自分は思いやりの気持ちを変わらず表し続けようということ。
自分のことだけ話すメールを何通受け取っても、私は私なりに、自分のことを伝えるのに加えて
相手に「風邪ひかないでね」とか「いつもメールありがとう」などと伝えていく態度は保とうと。
> …でも私が周りにどういう態度取っているかというと、誰かに好意を示したことなんてないんです。自分がただのわがまま野郎だと気付きました。自分では愛情、好意に飢えながら、自分では自分のされたいことは人にしない。
これ、私にも当てはまっているかも知れません。思い当たることがあります。
私は好意や自分自身をそれなりに見せているつもりなんです。
でも、相手に見えるほどはっきりしていないかもしれない。うん、多分そう。
わがまま野郎…って私もそうだ。
> 今ではACに気付いて1年になりますが、誰かに冷たい態度を取られても自分で納得できるようになりました。でも自分で誰かに好意を示すことはできないのです。誰かと目があって相手は笑っている、でも自分は笑い返せない、目を伏せてしまう。
そうですか。一年でそういう変化を達成されたのですね。
私は気づいてから半年ほどかな。
冷たい態度をとられても動揺しない自分を、実現したいと切望します。
そのためにも、まだまだ試行錯誤が必要ですね。
笑顔に関しては、実は私は以前はニコニコ顔の人間でした。
鬱や人間不信で笑えなくなって、人の目を見れなくなって、それでもようやく「ニコ」ぐらいは戻ってきた。
でも、ほんの通りすがりの人にもわかるんですね、きっと。
その「ニコ」の奥にある警戒心やおびえが。
へたしたら、こびていると取られたと思えるときが数回あったり(これには心底落ち込みました)。
だから、すてきな笑顔で返してくれる人は以前のようにほとんどいません。
ハコ男さん、読みながらいくつか気づきました。どうもありがとう。
すでに回復に向けて前進されているようですが、お互いにさらに進めるといいですね。
追伸:あべこうぼうは読まれますか?
(もし不快だったらどうぞ無視してください。私はたくさんは読んでいませんが好きなもので。)
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■1672
/ inTopicNo.20)
Re[1]: 思いやりの表現
▲
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□投稿者/ ハコ男
-(2004/11/16(Tue) 01:41:11)
私はACだから、感情表現がものすごく苦手です。
体験談になってしまうのですが、先日もある方に昼ごはんをおごってもらったのですが、「ありがとう」を言うタイミングを逃してしまい相手の機嫌を損ねてしまったようなのです。同じ日の午後に別の方に缶コーヒーをおごってもらい今度はちゃんと「ありがとう」を言ったのですが、言わなきゃという義務感からで自分でも気持ちのこもってない「ありがとう」だったような気がします。お昼の時も自然に感謝する気持ちが感じられれば「ありがとう」を自然に言えたと思うのですね。
高校時代、テニスをしててミスをしたとき、「ごめん」と言っても相手に「お前、ごめんとか言っても本当はごめんって思ってないだろ?」と言われたこともあります。
クラゲさんへの返事になるか分らないけど、私がクラゲさんの友人だったらものすごく傷つけてしまうんじゃないでしょうか?
> 落胆するというのは私が相手に多くを望みすぎているという証拠。
> その部分の調整を試みようと思う反面、また心を閉じようとしている自分が何割かいます。
> やさしく穏やかな気持ちでいる自分でいると、いつも踏みにじられるようにさえ思えて。
> …これは被害者意識だとは思うのですが、正直なところです。
私もかつて周りの人からちょっと冷たい態度を取られるだけで、すごく傷ついて、理不尽な目にあった気になってました。でも私が周りにどういう態度取っているかというと、誰かに好意を示したことなんてないんです。自分がただのわがまま野郎だと気付きました。自分では愛情、好意に飢えながら、自分では自分のされたいことは人にしない。
今ではACに気付いて1年になりますが、誰かに冷たい態度を取られても自分で納得できるようになりました。でも自分で誰かに好意を示すことはできないのです。誰かと目があって相手は笑っている、でも自分は笑い返せない、目を伏せてしまう。
クラゲさんの友人は特にACではないのですよね?自分の答えじゃ参考にならないかもしれませんが、もし自分だったら・・ということで思い当たること、共感するところもあったので書いてみました。
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