1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■118 / inTopicNo.1)  どれぐらい書けるかなあ
  
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2004/02/06(Fri) 13:05:13)
     いまは、まだ午前中。 今週頭ぐらいから、夜型をやめて昼型に転換しつつある。
     夜、PCに向かっていた時、突然、「そうだ、これは、もう止めにしよう。明日の朝、開こう。」と、思った。 そして、0時前かちょっと過ぎぐらいに、布団の中に入った。 私としては、何年ぶりだったか、仕事をしていたとき以来かもしれなかった!
     幸い、その後も、01時を過ぎることはあっても、基本的にその日のうちぐらいに、いやいや、その日を過ぎたぐらいになっているなあ、もうちょっと早めて、0時までにするといいなあ、でも、一応、続いています。

     この、夜更かしは、我が家の習慣というか、おふくろの、恣意的(しいてき=気持のおもむくままの)生活の結果の一つで、わたしは、単純に、それに巻き込まれていたわけです………。 それがウン十年で、習慣というのは、なかなか改まらなくて、もう、直らないかと思っていましたが………。


     なおさんから質問にあったところですが、子どもたちが一番母親を必要とするときがいつなのか、私は、よく知りません。
     母親に限らず、親のサポートというところでは、15才くらいまでは要るんじゃないかな? それ以降は、子どもが自分で歩いていくのを、陰ながら応援する、あるいは見守るということじゃないかな?
     もちろん、もっと小さい時から、赤ん坊の時から、子どもは、親とは違う、独立した存在ですから、子どもは何よりまず自力で生きていると思うのですが、「手助け」が要るのが15才くらいまでじゃないかなと思うんですが………。


     私の母親は、私が10才のとき、小学校5年になったときから、労働組合の専従執行委員(県本部勤務)になりましたから、ご存知ないかもしれませんが、当時の労働組合というのは会議が多くて、長くて、また、県本部勤めとなると、県下各支部からの要望にも応え、また、青年部、婦人部、文化部、法制部等々という各分掌があって、その部門の仕事もあるというわけで、たいへんな過重労働で、おまけに日曜休日も、何か催しがあるという具合で、幼い私は、一挙に、独りぼっちにされたのでした!
     おまけに、それまでの居住地から、県本部のある県都へ引っ越し、転校もしましたから、ほんとに、一挙に、身の回りが転換したんです。

     私は適応性がかなり高かったみたいで、学校の方は、それまでやったことのない水彩画が、図工の時間では当たり前になっていて、たいへん戸惑ったぐらいで、あとは、友達もできたし、特に困った覚えはないんですが、問題は、家に帰ってからでした。
     家では、一人ぼっちでした。 食べることは、組合が借り受けていた専従執行委員向けの共同住居で、他の家族持ちの委員の家族と一緒に、夕飯は食べて、風呂もそこの子達と一緒に入ったりしていたのですが、風呂がすんで、自分たちの部屋(ごくごく小さい離れ。2畳か3畳か4畳半ぐらいと6畳ぐらいだったんだろうか)に帰ると、夜は、完全に一人っきりでした。 当時は、TVはまだなくて。ラジオはあったように思いますが………。
     
     これが辛かったですね。 それこそ、いろいろとサポートがまだ要るときに、説明もなくというか、フォローもなく(「ごめんねえ、一人ぼっちにして」とか言って、2人になれる時間のときなんかに、いろいろ様子を聞かれたという覚えがないんですよね)、孤独になっちゃったから、たまらなかったんですね。
     それで、火鉢のなかにあったタバコの吸殻を「どんなものだろう?」と吸い始めたのが運の尽きで、それが止められなくなっていることに気がついて、愕然としました!
     でもって、「僕は、悪いことをしている」と、思ったんですね。 このように、当初から、内向でした。
     余談ですが、引っ越して間無しに撮ったときの金太郎のようにまあるい顔が、夏休みに撮ったときは、三角おむすびのようになっていましたね。

     これが、私の場合のネグレクト(養育放棄)でしたね。 私の場合は、食事も、着ることも、学校で要るもろもろのお金も、享けてきましたが、心の栄養だけが、得られなかったんですね。 それも、いろいろな要素がからんで、もっとも必要とする時だったように、思います。

     長くなりましたから、この辺でいっぺん切りますね。 また、話題によって、第2章、第3章・・・・と語ることもあろうかと思います………。
引用返信 削除キー/
■119 / inTopicNo.2)  SILVER7さんへ
□投稿者/ なお -(2004/02/10(Tue) 04:01:58)
    No118に返信(SILVER7さんの記事)
    SILVER7さんへ。

    お話聞かせていただいてありがとうございます。

    色々と参考にさせていただきました。

    最近、体調が良くなくて……(風邪でもないのに、微熱が続きます)。

    また、体調が良くなりましたら、
    お返事させていただきます。

    それではまた……。

引用返信 削除キー/



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