Top >>ACリソース >>コミュニケーションスキル >>「毒になる親」との対決
「毒になる親」との対決

「毒になる親」と勇気を持って正面から向き合い、苦痛に満ちた過去と困難な現在についてはっきり話をするということは、心の最深部に横たわっている“恐れ”に顔をそらさず直面するということであり、それだけでも、今まで親のほうに傾いていた心理的な力のバランスを変えはじめることになる。

確かに、この“対決”をすることによって「毒になる親」たちが自分の非を認めたり責任を受け入れたりすることはほとんどあり得ないが、大切なことは、この“対決”は親を変えるためでなく自分のために行なうということである。対決が成功か失敗かを決めるのは、自分にどれほどの勇気がありどのような態度を取れたかということである。


“対決”の前にクリアしておくべき条件

1. その結果予想される親の「拒絶」「事実の否定」「怒り」そのほかのネガティブな反応によってもたらされるであろう不快な結末に、対処できるだけの強さが自分にあると感じられる。

2. ひとりだけで孤立しておらず、理解してくれる友人やカウンセラーなど多くの人たちから十分な励ましがある。

3. 「手紙書き」と「ロール・プレイ」による練習も十分してあり、「自己防衛的にならない対応の仕方」も十分練習してある。

4. 子供時代の自分自身に起きた不幸な出来事について、自分には責任がないことがはっきりと確信できる。


“対決”の核心部分

1. あなたが私にしたこと
2. その時の私の気持ち
3. そのことが私の人生に与えた影響
4. 現在のあなたに望むこと

この四点が、どのようなタイプの「毒になる親」との“対決”でも必要な核心部分であり、あなたが言わんとすることはほぼすべてこれに集約される。


自己防衛的にならない対応の仕方

親の激高している顔、哀れを誘う表情、涙を流している顔などを頭のなかに浮かび上がらせ、彼らが怒って吐く言葉や、事実を否定してあなたを非難している声を耳のなかで再現してみる。親が言いそうなセリフを声に出して言ってみることによって、そういう親の言葉に過敏になっているあなたの心が反射的に反応しないように自分を慣らす。そして、自己防衛的になって相手を攻撃することなく冷静に対応する練習をする。

(対応例)
●あなたはもちろんそういう見方をするでしょうが、
●私のことをそんな風にののしったりわめいたりしても、何も解決しませんよ。
●そういう決めつけは受け入れられません。
●あなたがそのようなことを言うこと自体、こういう話し合いが必要だという証拠です。
●私に対してそんな言い方をするのはよくないことです。
●私の話を最後まで聞くと同意したでしょう。
●あなたがもう少し冷静な時に、もう一度やり直しましょう。


親の典型的な反応と、それに対する応答例

1. 「そんな話はウソだ」「そんなことが起きた事実はない」
「事実の否定」をすることで自信のなさや不安をごまかしてきた親は、当然それまでと同じように事実をねじ曲げた見方を展開しようとし、「覚えていない」と言ったり、あなたが嘘をついていると非難することもある。この反応はアルコール中毒の親にはよくあり、時にはアルコールのせいで本当に記憶がなくなっていることもある。
対応例:「あなたが覚えていないからといって、この事実がなかったということではないのですよ」「あなたが覚えていなくても、私は覚えています」

2. 「それはお前が悪いんだ」「自分のせいじゃないか」
「毒になる親」は自分の責任を認めるということはまずなく、必ずあなたを非難する。例えば、「あなたは言うことを聞かなかった」「あなたは難しい子供だった」「自分はベストを尽くしたがあなたはいつも問題ばかり起こした」「あなたは気むずかしくて手に負えなかった」「そのことは家中のみんなが知っている」等々。また、「自分の問題は何ひとつ解決できないくせに、どうしてこんな風に親を攻撃してばかりいるんだ」という具合に、この話し合い自体あなたが問題ばかり起こす子供の証拠だというかもしれない。さらに、話をすり替えて逆にあなたを説教しようとすることもある。それらはすべて、話題を自分からそらせようとするものでしかない。
対応例:「そうやって私のせいにするのは勝手だけど、そんなことをしても、私が子供の時にあなたがしたことの責任を逃れられるわけではないのですよ」

3. 「そのことはもう謝ったじゃないの」
「今後は気をつける」とか「愛情のある親になる」とか言っておきながら、それは口ばかりで騒動がおさまると元の木阿弥、何ひとつ変わらないというケースもある。最もよく聞くセリフは「だから悪かったと言っただろう。それ以上、どうしろと言うんだ」
対応例:「謝罪してくれたのは感謝するけど、それが口だけではなくて、心からすまなかったと思っているのなら、今後は私が話をしたいと言った時にはいつでも応じてくれて、私といい関係を保つよう努力してくれるということですね」

4. 「できるかぎりのことはしたんだ」
親としての能力に欠ける親や、夫(または妻)が子供のあなたを虐待するのを見て見ぬフリをしてきた親は、ほとんどの場合逃げ腰の態度をとる。どれほど自分が苦労したかを強調し、「どれほど大変だったか、お前にはわからないんだ」という言い方をするので、同情心や哀れみにより、子供の側はつい言いたいことが言えなくなる。親の苦労を認めるのはいいことだが、そのために、あなたが虐げられ苦しめられた事実を犠牲にしないことが大切である。
対応例:「あなたが苦労したことは分かるし、もちろん私を苦しめようと思ってわざと苦しめたのではないのでしょう。でも、あなたは自分の子供を苦しめたのだという事実を、あなたには知ってもらいたい」

5. 「楽しかった時のことを覚えていないの?」
多くの親は、あなたが子供の時の楽しかった出来事を持ち出して反論しようとする。それは、そういう思い出に注意を向けることによって、自分の行動の暗い部分に触れるのは避けようとしているのである。どこかに遊びに行った時のこと、あなたのために何かしてくれた時のことなどについて語り出し、「あれだけしてやったのに、そのお返しがこれだ」「いくらしてやっても、お前は不満なんだ」などと言う。
対応例:「私のためにしてくれたことには感謝している。だが、そういうことがあったからといって、あなたが私に暴力をふるったこと(あるいは、いつもひどい言葉で傷つけたこと、私を踏みにじって侮辱したこと、過干渉とコントロールで私を苦しめたこと、暴力を振るうアル中であること、等々)を埋め合わせることにはならないんです」

6. 「育ててくれた親に対して、どうしてこんなことができるんだ」
まるで自分が犠牲者になったかのように振る舞い、あなたの“残酷さ”はとても信じられないなどとショックを受けた表情をして涙を流したり、悲嘆にくれる親もいる。こうして加害者は被害者のように振る舞い、被害者が加害者のように扱われる。
対応例:「悲しい思いをさせて申し訳ないけれど、だからといってこの話をすることを止めるわけにはいかないんです。私も長いあいだ傷ついてきたんですから」


“対決”後の親の反応

後になって親が怒って逆襲してきた場合、感情的な言葉で言い返すのは避け、あくまでも冷静に対応する。

(対応例)
●「あなたのその怒りの原因について話し合うのなら喜んで応じるが、私のことをそのようにののしったり侮辱したりするのはもう許さない」
●「その件については、あなたがもっと冷静になった時に話し合いましょう」
●「あなたがそんな風にして私を困らせようとするのをやめる気になったら、私はいつでも話に応じますよ」
●「私はリスクをおかして自分の気持ちを正直にしゃべったのです。あなたも一度そうしてみたらどうですか」


兄弟姉妹の反応

子供は家というシステムのなかの一部である以上、あなたと親との“対決”がほかのメンバーとのあいだにも影響を及ぼすことはおのずから避けられない。兄弟や姉妹があなたと同じような目にあっていた場合、彼らはあなたの行動を支持することもあるだろうが、もし親による“からめ取られ度”があなたより強ければ、あなたの語る事実を否定するだろう。また、あなたと同じような体験をしたことがない場合には、彼らはあなたの行動を理解できないかもしれない。

もし兄弟姉妹があなたが家庭の平和を乱したと信じ込んで感情的になり、親の味方をしてあなたを攻撃してきた場合も、親に対応する場合と同じように冷静さを保ち、自己防衛のために反射的に反撃しようとしないで対応することが必要になる。

(対応例)
●意見があるのなら喜んで話し合うが、私を侮辱するようなまねは許さない。
●あなたが親の味方をしたい気持ちはわかるが、私の言ったことは事実だ。
●私はあなたの気分を害しようと思ってあのような行動をとったのではない。私自身のためにどうしても必要なことだったのだ。
●あなたとの関係は大切だが、私はそのために自分がしなければならないことを中止するつもりはない。


その他の家族メンバーなどの対応

親のなかには、家族のほかのメンバーや親戚を巻き込んで味方につけ、あなたを悪者に仕立て上げて自分の罪を逃れようとする者もいるだろう。そうなると、中にはあなたの味方をしてくれる親戚もいるかもしれないが、親しい親戚の中には詳しい事情も知らずにあなたの親の味方をして、あなたにつらく当たる者も出てくることだろう。

だが、どういう状況になっても、あなたは自分の心身の健康と正気を守るために必要で建設的な行動を取ったのだということを彼らに誠実に説明することは大切だが、彼らがどちらの側につかなくてはいけないと感じるような話し方はすべきではない。

ときには親の友人や僧侶や牧師などが何かを言ってくることもあるかもしれないが、それら外部の人間には必ずしもすべてを詳しく説明しなくてはならない義理はない。

(対応例)
●「あなたが心配してくれることには感謝していますが、これは私と親との個人的な問題なのです」
●「あなたが手助けしようとしてくれているのはわかりますが、この問題はあなたには理解できないことなのです。だからいまあなたと特に話し合いたくはありません」
●「あなたは、ご自分のよく知らないことに対して独断的な決めつけを行っています。事態がもう少し落ち着いてきたら、あらためてお話ししましょう」


出典:スーザン・フォワード著 玉置悟訳 『毒になる親』 (毎日新聞社・講談社+α文庫)

個人的な意見としては、“対決”はかならずしも実際の親相手である必要はないし、むしろ実際の親がもう何度も話し合ってもちっとも人の話を聞こうとしない人間なら、これからの自分の人生において未だ自分の心の中であれこれと指図し支配してくる「インナーペアレント」に対し心の中でひとつひとつ論駁を加え、親の支配を断ち切っていく、という方がいいのではないかと思います。この対応例はそういう心の中の対話に関しても、大いに参考になると思います。(蔦吉)