怒りの管理

虐待的な「毒になる親」に育てられた子供は小さな頃からみじめな思いに慣らされているので、子供の頃に自分の家では普通と違うことが起きていたことについてぼんやりとした記憶しかないことも多く、ほとんどの場合、内面に抱えている怒りに気づいていない。
「毒になる親」に育てられた人間が怒りをどう扱っているかというと、おそらくつぎのいずれかであろう。


1. 怒りは心の奥深くに押し込まれ、抑うつ症や身体的な病気を引き起こしている。

2. 怒りはその人の内部で受難と犠牲の悲壮な精神に転換されている。

3. アルコールや薬物の力を借りて、あるいは大食いやセックスで怒りを麻痺させている。

4. ことあるごとに怒りを爆発させ、いつも緊張し、フラストレーションに満ち、疑り深く、なにかというと人と口論する。


残念ながら、こういう状態になってもその人の問題は何ひとつ解決することはない。
怒りは自分をはっきりさせ、受け入れることができることとできないことの限界を示すために使った方が有益である。そのために怒りを管理する方法をいくつか以下にあげる。


1. 怒りが起きたら、その感覚を嫌がらず、自分が怒っていることを自分に対して許してやる。怒りが感情のひとつであることは、喜びや恐れがそうであるのとなんら変わるところはない。感情というのは正しいとか間違っているとかいうものではなく、ただそういうものがそこに存在しているという事実があるだけなのである。それはあなたの一部分であり、あなたが人間であることの証拠なのだ。
怒りはまた、あなたにとって何か重要なことを知らせてくれるシグナルでもある。それは、あなたの権利が踏みにじられた、あなたは侮辱された、あなたは利用された、あなたのニーズが満たされていない、などかもしれない。また、怒りは何かが変わらなくてはならないことを常に意味している。

2. 怒りは内面にためておかないで外に出す。とはいえ、もちろん人にぶつけるのではない。怒りを表現するためには、人に乱暴したりののしったりする必要はないのである。枕を思いっきりたたく、怒っている相手の写真があればそれに向かって大声でわめく、車のなかや家でひとりの時に叫び声をあげる、または相手が目の前にいると想像して言いたいことを言う、などをして、とりあえず外に出す。これらは代替行為ではあるが、身体にたまった怒りを消散させるのに効果があり、心理学的治療でも実際に使われている。また、あなたがどれほど怒っているかについて、信頼できる友人と語り合うのもいい。とにかく怒りというのは外に出してからでなければ処理することはできないのである。

3. スポーツや運動など、身体的活動をする。体をよく動かすことで筋肉をほぐすと、心にたまった怒りもほぐれてくる。スポーツクラブに通うのでも、テニスやジョギングでも自転車でもなんでもよい。それができなければ部屋の大掃除でもディスコに踊りに行くのでもよい。活発な身体的活動はエンドルフィンという脳内麻酔物質の分泌を増加させ、これが心の安定に寄与するのである。
怒っている時には、そのことをはっきりと自分に対して認めたほうがよい。そのほうがエネルギーが増し、建設的になれる。その反対に、怒りを心の奥に抑えつけているとエネルギーは渋滞して低下してしまい、何もやる気が起きなくなる。

4. 怒ることで自分のネガティブな自己像をさらに拡大しないようにする。特に、親に対して強い怒りを抱いた時に罪悪感を感じることはよくあるので、そういう時には「私は怒っている。私には怒る権利がある。怒ることで罪悪感を感じても少しもかまわない。このように考えたからといって、私は悪い人間でもないし間違っているのでもない」と声に出して言う。

5. 怒りは自分がどんな人間であるかを自分に対してはっきりさせるために使うことができる。怒りは自分について学び、親(あるいはどんな人でも)との関係においてどんなことは受け入れられ、どんなことは受け入れられないかを知るためにたくさんのことを教えてくれる。つまり、自分の許容できることの範囲を決めるのを助けてくれるのである。
怒りはまた、親の言いなりになったり、親がいいと言ってくれないことを恐れる気持ちに陥ることから自分を解放する力を与えてくれる。怒りは、親の考えを変えさせようとする達成不可能な闘いに自分のエネルギーを浪費することから転換し、再び自分のものとして使えるようにするのを助けてくれる。



出典: 『毒になる親』スーザン・フォワード著 玉置悟訳 毎日新聞社