私の弟は引き篭もって13年になるが、親から与えられた軽トラで外出だけは毎日?している(らしい)。 そして今日話すのはその車の中だ。 私の車の中もバイク関係でお世辞にも綺麗とは言い難いが、それでもレース毎に整理整頓している(つもりだ)。 そんなんで弟の車をとやかく言えたものではないし、実際に「何で助手席に新聞や広告、パンフレット、切り抜きをたくさん置いてあるの?」と聞いたことはない。 そして弟の軽トラは実家に誰かいても毎回必ず鍵を掛けている。 私などは(田舎ということもあって)昼間の実家では自分の車に鍵を掛けないことが多い。もちろん夜は別だが。 そういう私から診ると弟は奇妙だ。 でも分からないわけでもない。 その車内の「閉じられた空間」こそが、弟が「息できる場所」なのであろう。 私は引き篭もり経験がないので弟の気持ちがよくわからないが、新聞や広告など、活字だけなら自分の感情が傷付く可能性が低く、自分の世界だけで生きていける。 そう考えると軽トラの鍵はまさしく弟の心の在りようを表していて、鍵を掛けなければ生きていけないくらい弟の心は病んでいるのだ。 今は「何でそうなの?」と弟を問い詰めるよりは、「それも弟の無意識の自己表現なんだ」と思って付き合っていくしかない。
答え(親の意識が変わるのが一番)がわかっていても機能しない家族。 感じない、または感じようとしない・できない者に何を期待しても仕方がない。 感情ってのは双方向の会話と想像から作られるのだ。
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