117で書けなかったことは「家族」の方で(後半の後半)書いたので、大体はOK。 だからここでは「先週の金曜20:00、3チャンネルで引きこもりの番組が流れていて、居間で自分は親父と一緒にその番組を見ていた(母親はまたも入浴中で、「わざと?」)」ことを話す。 内容的には(自分の感覚では「まとめ」的で)大したことなかったのだが、問題は親父の観る態度だ。 「子どもの感情を想像できない」馬鹿親父はその番組を、こともあろうか農業新聞を見ながら観ていた。 その「ながら行為」に私はカチンときて、番組放映中は大人しく私は黙っていたが、番組終了後、早速私は親父に食って掛かった。 「何なんだい親父のその見方は? うちに引きこもりがいねぇなら俺も文句は言わねぇよ。でも現実にうちに引きこもっている弟がいる。それもあんたの息子だ。その関連番組が自分の目の前で流れているのに、何でそんな『ながら行為』で番組観れるわけ? もしここに弟が居て親父のその態度を見たらなんて思うよ? そういう子どもの気持ちがわかんねぇの? そんなんだから弟は引きこもってんだよ」 と自分が親父に毒づいてやったら、 当の親父は「うるせぇ。俺が何見ようと俺の勝手だろう。構わねぇだろうそんなのは」ときた。 その答えに私の暴力的感情は活火山状態となり、「この糞親父いっぺんぶちのめさねぇとわかんねぇのか?」と思ったが、最近「我慢」を覚えつつある私は(このくらいでは)まだ爆発しない。 「そりゃ何見ようと親父の勝手だよ。でも今目の前に流れているのはうちの弟に関連している番組でしょ。うちと全く関係ない番組じゃないんだよ。なんで親が子どもの問題に真っ直ぐ目を向けようとしないの?」 と自分が更に問い詰めたら、 あのボケは「うるせぇ。もっと静かに言え。おりゃぁ(俺)押しまし(争い)きれぇ(嫌い)なんだ。親に口答えすんならとっとと出て行け」といつものお約束で逃げを打つ。 あとはもう「出口の見えない」口論が30分以上続いた。
なんでうちはいつもこうなのだろう? どうして建設的会話ができない者ばかりなのだろう? 今まで子どもの感情を「ダブルミーニング」で抹殺しておいといて、それに気付いた子どもが自分の感情を出すと面白くない顔をする父親。 ほんと毒親だ。 こんな親だから弟はその「嗜癖の犠牲者」となり、未だに引きこもっているのだ。 裏を返せば、「親父が変われば弟も変わる」 そして「親父を変えようとしたら自分が変わらなくちゃいけない」ってことだ。 逆算的には・・・
でも人生そうそう簡単にはいかない。 そこには感情が絡むからだ。 そして「諸悪の根源」である親父には、情緒というものが全くと言っていいほどない。 だから厄介なのだ。 ピテカントロプスに私は言語から教えるようなものである。 ほんと「天然記念物」め。
そして口論中に毒親も墓穴を掘った。 あまりにも奴が「仕事が大事だ」とほざくもんだから、私が「じゃ俺がやってやるよ。俺が農業やるから、その分あんたカウンセラー行ってくれるかい? だったらおりゃぁやるよ。どうだい、親父できるかい?」と問い詰めたら 親父は「おめぇなんかにできるわけあんめぇ」(見下し笑い)ときたので 私は「あぁできねぇよ。そんなの最初からできるわけねぇだろう。親父だってカウンセラー行って、最初からカウンセラーの支持通りにできるかい? だったらすげぇや。どうなんだい?」と更に親父を問い詰めたら 奴は「あぁいいよ。その代わり俺のこと食わせてくろよな? できるわけねぇんだから」ときたので 私は「言ったな。今『カウンセラー行く』って言ったよな。おっかさんも今聞いたろ? 親父が『カウンセラー行く』って言ったの?」 と(番組終了後に風呂から出てきて一緒に居間にいた)母親に振ったら 母親は愚かな父親を庇って「うん」と言わなかった。 私はその時「どこまで間抜けなんだこの夫婦は。典型的『共依存』じゃねぇか」 と思い、さらに「まっいいや。親父は今言ったんだからな。自分の言葉に自分で責任取れよな。で、何時だったらいいんだい? カウンセラーに予約取っとくから」 と先を促したら 親父は「そんなのわかんねぇよ。農業は天気次第なんだから」ときた。 私は「はぁ? 今『仕事は俺がやるから』って言っただろうよ。何で親父が仕事の心配する必要があんだよ? 『俺がやる』って言ってんだろうよ」と返したら 奴は四の五の屁理屈つけて「こんなの面白くねぇ」と口論から、そして現実から逃げてしまった。 毎度のことだ。
何で親父はカウンセラーに行く気もないのに「売り言葉に買い言葉」だけで「行くよ」なんて言うのだろう? 「そう言わせるよう」仕向けた私も私だが、なんでそこで親父は熟慮できないのだろう? だから親父は精神的に未熟で「親にはなっちゃいけなかった」親だったのだ。
それが「嘘」だとわかっていても子どもは期待する。 そして「本来なら守ってもらうべき」親に裏切られ続けて、子どもの心は傷付いていく。 その毎日の連続が子どもの「人間不信」の蓄積となっていき、こうして私も弟も「親の愛情の無さ」に苦しんでいるのだ。
答えは簡単だ。 もうはっきりしている。 「人間の基礎は家族」 その家族でどう育てられたのか? 自分は何を学んだのか? そして毒親に何を身に付けされてしまったのか? それを今「親と同居することで私は追体験して確認している」に過ぎない。 余りにも深くて暗い過去の感情を伴って・・・・・
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