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私たちの物語 - 引きこもり・回避行動・過去ログ No.6
メッセージ数:120件

<120> NAC NAC ■2004年03月25日 木曜日 22時58分03秒
117で書けなかったことは「家族」の方で(後半の後半)書いたので、大体はOK。
だからここでは「先週の金曜20:00、3チャンネルで引きこもりの番組が流れていて、居間で自分は親父と一緒にその番組を見ていた(母親はまたも入浴中で、「わざと?」)」ことを話す。
内容的には(自分の感覚では「まとめ」的で)大したことなかったのだが、問題は親父の観る態度だ。
「子どもの感情を想像できない」馬鹿親父はその番組を、こともあろうか農業新聞を見ながら観ていた。
その「ながら行為」に私はカチンときて、番組放映中は大人しく私は黙っていたが、番組終了後、早速私は親父に食って掛かった。
「何なんだい親父のその見方は? うちに引きこもりがいねぇなら俺も文句は言わねぇよ。でも現実にうちに引きこもっている弟がいる。それもあんたの息子だ。その関連番組が自分の目の前で流れているのに、何でそんな『ながら行為』で番組観れるわけ? もしここに弟が居て親父のその態度を見たらなんて思うよ? そういう子どもの気持ちがわかんねぇの? そんなんだから弟は引きこもってんだよ」
と自分が親父に毒づいてやったら、
当の親父は「うるせぇ。俺が何見ようと俺の勝手だろう。構わねぇだろうそんなのは」ときた。
その答えに私の暴力的感情は活火山状態となり、「この糞親父いっぺんぶちのめさねぇとわかんねぇのか?」と思ったが、最近「我慢」を覚えつつある私は(このくらいでは)まだ爆発しない。
「そりゃ何見ようと親父の勝手だよ。でも今目の前に流れているのはうちの弟に関連している番組でしょ。うちと全く関係ない番組じゃないんだよ。なんで親が子どもの問題に真っ直ぐ目を向けようとしないの?」
と自分が更に問い詰めたら、
あのボケは「うるせぇ。もっと静かに言え。おりゃぁ(俺)押しまし(争い)きれぇ(嫌い)なんだ。親に口答えすんならとっとと出て行け」といつものお約束で逃げを打つ。
あとはもう「出口の見えない」口論が30分以上続いた。

なんでうちはいつもこうなのだろう?
どうして建設的会話ができない者ばかりなのだろう?
今まで子どもの感情を「ダブルミーニング」で抹殺しておいといて、それに気付いた子どもが自分の感情を出すと面白くない顔をする父親。
ほんと毒親だ。
こんな親だから弟はその「嗜癖の犠牲者」となり、未だに引きこもっているのだ。
裏を返せば、「親父が変われば弟も変わる」
そして「親父を変えようとしたら自分が変わらなくちゃいけない」ってことだ。
逆算的には・・・

でも人生そうそう簡単にはいかない。
そこには感情が絡むからだ。
そして「諸悪の根源」である親父には、情緒というものが全くと言っていいほどない。
だから厄介なのだ。
ピテカントロプスに私は言語から教えるようなものである。
ほんと「天然記念物」め。

そして口論中に毒親も墓穴を掘った。
あまりにも奴が「仕事が大事だ」とほざくもんだから、私が「じゃ俺がやってやるよ。俺が農業やるから、その分あんたカウンセラー行ってくれるかい? だったらおりゃぁやるよ。どうだい、親父できるかい?」と問い詰めたら
親父は「おめぇなんかにできるわけあんめぇ」(見下し笑い)ときたので 
私は「あぁできねぇよ。そんなの最初からできるわけねぇだろう。親父だってカウンセラー行って、最初からカウンセラーの支持通りにできるかい? だったらすげぇや。どうなんだい?」と更に親父を問い詰めたら
奴は「あぁいいよ。その代わり俺のこと食わせてくろよな? できるわけねぇんだから」ときたので
私は「言ったな。今『カウンセラー行く』って言ったよな。おっかさんも今聞いたろ? 親父が『カウンセラー行く』って言ったの?」
と(番組終了後に風呂から出てきて一緒に居間にいた)母親に振ったら 
母親は愚かな父親を庇って「うん」と言わなかった。
私はその時「どこまで間抜けなんだこの夫婦は。典型的『共依存』じゃねぇか」
と思い、さらに「まっいいや。親父は今言ったんだからな。自分の言葉に自分で責任取れよな。で、何時だったらいいんだい? カウンセラーに予約取っとくから」
と先を促したら
親父は「そんなのわかんねぇよ。農業は天気次第なんだから」ときた。
私は「はぁ? 今『仕事は俺がやるから』って言っただろうよ。何で親父が仕事の心配する必要があんだよ? 『俺がやる』って言ってんだろうよ」と返したら
奴は四の五の屁理屈つけて「こんなの面白くねぇ」と口論から、そして現実から逃げてしまった。
毎度のことだ。

何で親父はカウンセラーに行く気もないのに「売り言葉に買い言葉」だけで「行くよ」なんて言うのだろう?
「そう言わせるよう」仕向けた私も私だが、なんでそこで親父は熟慮できないのだろう?
だから親父は精神的に未熟で「親にはなっちゃいけなかった」親だったのだ。

それが「嘘」だとわかっていても子どもは期待する。
そして「本来なら守ってもらうべき」親に裏切られ続けて、子どもの心は傷付いていく。
その毎日の連続が子どもの「人間不信」の蓄積となっていき、こうして私も弟も「親の愛情の無さ」に苦しんでいるのだ。


答えは簡単だ。
もうはっきりしている。
「人間の基礎は家族」
その家族でどう育てられたのか?
自分は何を学んだのか? 
そして毒親に何を身に付けされてしまったのか?
それを今「親と同居することで私は追体験して確認している」に過ぎない。
余りにも深くて暗い過去の感情を伴って・・・・・
<119> カノン ■2004年03月25日 木曜日 21時37分05秒
4月1日に映画に行く約束をしている。
4月12日に友達が東京に行くため、送別会がある。
どちらも今からとても不安だ。
年末には同じ友人たちとの忘年会をドタキャンしているし
2月15日に行く約束をしていた映画を観に行ったたのは結局3月になってからだった。

外に出ても、何かがきっかけですぐに帰りたくなるし、一緒にいる友人にも
イヤな思いをさせ、迷惑をかける。
悪いことはわかっている、けれどどうしたらいいのかわからない。
<118> laila ■2004年03月24日 水曜日 19時36分55秒
今日映画にいくつもりだったけど、怖くて行けなかった。今では後悔してるけど、
行くか行かないか迷ってる時がいちばん辛かったりする。
人ごみも、視線も怖い。それに耐えられるエネルギーもないような気がした。
<117> NAC NAC ■2004年03月24日 水曜日 03時02分42秒
間違ってESCを押して2時間ものを消してしまった。
ショックでちょっと休憩。
<116> mai ■2004年03月22日 月曜日 09時15分57秒
下に、自分の深いところまでも書いたので、もし傷つかれた方がいらっしゃったら・・本当にごめんなさい。傷は・・気づいたところから、少しずつ必ず、癒えていっているものだと思うのです。
<115> キーコ ■2004年03月21日 日曜日 22時19分00秒
絶対に欲しかったのは、自分のための「こもり部屋」だ。主婦になると、そういう場所を持たない人が多いらしい。
とにかく 都会に引っ越してきてから、「秘密の基地」を持てなくなって 苦しくって仕方がない。
「不可思議な匂い」のする場所が 田舎にはいっぱいあったから、SOS!の時には、そこに 引きこもって、英気をやしなっていた。
<114> mai ■2004年03月18日 木曜日 11時28分38秒
今までがんばってきたことを・・誉めたい。
<113> mai ■2004年03月18日 木曜日 11時22分08秒
引きこもっていた時、当時はACという言葉も聞かなかったし、自分の親に対する本当の気持ちにも気づいていなかったけれど・・・
助けを求めることも、甘えのように思っていたけれど・・
やっぱり、自分の存在を丸ごと受け止めて、慰めてもらえるような存在を求めていたんだと思う。

みんな わたしも、自分を取り戻していけるって・・・信じてる。
長年のことだったけれど、ずっと寂しかった自分に気づけて、そのまま受け入れていっているから・・
必ず、なにか次につながってゆく、そして、人生・・という少し長い目でみたら、きっとその人その人に合った形で、帳尻が合ってゆく・・と思えるから。

自分に絶望ばかりしていて、将来になんの希望もなく、死にたいと思っていたことも多かった者が・・(実際、未遂をしたこともある、親に本当の自分の方を向いてほしかったのだと思う)今をまた生き直していっているように思えてきたこと・・不思議に思う。

失敗しても、コケても、今まで傷を負ってきたんだから、人より劣っているところがあっても当たり前・・?と思えるようにもなってきた。それにACでない人だって失敗はするしね・・。
逆に、私たちは、かなり免疫・・のようなものもついているから・・芯が強いところもあるのでは・・と思ったりもする・・。

気持ちを“感じられる”ようになってきたことを大切にいきたい。

色々えらそうなことを書いてしまったかもしれません・・ごめんなさい。
<112> りりー ■2004年03月17日 水曜日 01時31分52秒
子供の頃とか、とにかく昔のことを思い出すのが嫌でした。
自分を責めてしまうから。

感情をコントロールすればするほど攻撃的になって、
それを隠すために偽善者になりました。
いつも笑顔で愛想良し。笑い続ける人形みたい。
それを続けているうち、何も感じなくなりました。
でも、寂しさと怒りだけは抑えこんでも後から後から沸いて出て、
何かに依存して、何かにキレて、自己嫌悪…の繰り返し。
私、子供らしい時期は記憶に無いです。大人になっても中身は子供の頃と変わらない。心の痛みを隠すために、小さくても色々努力したんだろうな。
<111> 洋輔 ■2004年03月16日 火曜日 22時23分06秒
裏切られること、嫌われること、拒否されること
マイナスのイメージ
受けたくないから貝になって誰とも話さない
壁を作って自分を隠す
だけどホントは受け入れらたい、信頼されたい、求められたい
プラスのイメージ
自分をだめにしているのは自分
信頼しないと信頼されないに決まってる
話し掛けなきゃ友達も出来ない
頭でわかってるのに何にも前進しない
ひきこもって1年やっと始めたバイトも怒られっ放しで適応できない
陰で「はきがない」「つかえない」「ミスだらけ」言われてるのはわかってる。
見返すつもりで空回り
辞めたい衝動に毎日かられて、でも辞めきれないでしがみつくのは
またひきこもりに戻ることへの恐怖。
心がひきこもってたらバイトをしてたって意味がないのに。
<110> きよた ■2004年03月16日 火曜日 02時54分12秒
仕事ほっぽらかして数日逃げてます。
グループ作業なんで、電話が毎日かかってきて、メールで罵倒されてます。
そして「なんとかしなくては」と立ち上がり、「でもはらがくくるまであと何時間後」という間に現実逃避の世界に入る。これの繰り返しです。

胃が痛い。
でも数分後に現実逃避、そしてまた立ち上がり…
もううんざりです。今に始まったことじゃないんです。

ここ数年続いてます。
きっかけは、いつもわかりません。
それまで、意欲十分に働いていて「じゃあちょっと休憩してから休憩空けからはこうしていこう」で仮眠でもう駄目。
現実に戻れなくなり、電話も出れない、自分のすべき事も全部消し飛んでます。
時々覚醒しそうになるけどこわくて見ないふり。
そして泣きながら謝る。
さすがに仲間も信用できないと言ってます。
そりゃそうだと思います。
自分でも自分に裏切られたと愕然とします。

今回がラストチャンスだと自分でも思ってたし、その分ショックでかいです。
やってしまった穴も大きいし、最後にってのもありもう…

家にいてこの腑抜け状態で怒鳴り込まれたらと思うと、家にもおとといから帰れないです。

わかっているけどわかりません。
<109> たむ ■2004年03月15日 月曜日 18時24分46秒
他人と会話してて愛想笑いしてしまうところがある。
もちろんどんな人でもそういう時はあると思うけど。
暗い奴とか、怒ってるとか思われるのが嫌なので、
無理に笑い声を出す。
ありのままで居ていいのだろうけど、
どうしても他人がどう思うか気になってしまう。
その後、嫌な気分になる。胸が痛くなる。
<108> NAC NAC ■2004年03月15日 月曜日 03時12分59秒
初めから長くなるのはわかっていたので2部構成にさせてもらった。
読まれる方は107を先に読まれたし。でも、まっその辺は自由です。

それでは2部を始める。
そんな番組を見て自分の中に「もやもや」「怒り」「寂しさ」が溜まった今日の朝、私は自分の不注意で味噌汁の入った鍋を焦がしてしまった。
それは完全に私のミスだから、いくら非難されても仕方がない。
だが、私の父親は言うに事欠いて、それとは全然関係ないことまで持ち出して私を非難する。
「なんでこんなに馬鹿な親なんだろう? これじゃ子どもだ」
所詮その程度の「境界線を引けない」親父なのだが、そうとわかっていても私はカチンときて、その上あまりに親父がしつこいので、私の怒りモードは完全にスイッチオンとなった。
私は上記の言葉をそっくりそのまま親父に言ってやった。
「自分が鍋焦がしたのを親父に怒られるのはわかる。でも今親父が俺を非難したのは鍋焦がしと何も関係ないことだろう。なぜそんなことをこの場で持ち出す必要があるんだ? えっはっきり言ってみろよ」
と早くも私は臨戦態勢だ。
その私の問いに対して糞親父は「うるせぇ。親に口答えするんじゃねぇ。そんなんだからリストラされんだ」ときちんと回答しない上に、ご丁寧にも私の怒りに油を注いでくれた。
当然火力を増した私の怒りの炎は燃え上がった。
あとは爆発するだけで、私は一瞬躊躇したが、それでも私は親父の胸倉を掴むのを止められなかった。
そして私は親父にこう言ってやった。
「なんでいつもそうやって子どもの話が聴けねぇんだ? 昨日(引きこもりの)TV観たんだろう? あれ観て何も感じなかったのか? 何とも思わなかったのか?
えっどうなんだ、はっきり言ってみろよ」
と私は親父に詰め寄った。
そしたら親父は「俺だって思ったよ。ただ言わねぇだけだ」ときた。
私はまたもや怒りが増幅した。
「だったら言ってみろよ。今この場で言ってみろよ。いくら自分で考えたって言わなくちゃわかんねぇだろうよ」
と更に親父に詰め寄ったら
糞親父は「俺は言わねぇよ。お前なんかに言わねぇよ」ときた。
私の活火山は2度目の爆発だ。
ほんと私は自分の腕力に物を言わせて「親父をぶん殴ってやろうか」と思ったし、そうしたかったのだが、若干理性が勝って?親父の胸倉を掴んだまま押し倒すだけに留まった。
毎度のことだが、法律と理性さえなければ、私は鈴木実ばりの「スリーパーからの逆さ落とし」を、あのボケナスにぶちかましてやりたい。
そして失神後も逆十字を極め続けてやりたいくらいの「幼少からの怒りの蓄積」が私にはある。
私だって「子どもが親の胸倉掴むってのは余り好ましいことじゃない」くらいはわかる。
でも頭ではそうわかっていても、私のインナーチャイルド「怒れる戦士」の怒りは収まりようがない。
親にに分かってほしいから自分の感情を訴えているのに、それを奴は「頭から否定する」否認の連続だ。
だから私は情緒喪失のACになったのだ。
こんなボケナスの元でまともな子どもが育ったらそれこそ「奇跡の子」だ。
そんな子は「突然変異で全く別の遺伝子を持った新種」と言ってもいいだろうが、現実にはそんなことは絶対ありえない。
それは13年間「親に自分の感情を言葉で訴えられない」弟の引きこもりが如実に表しているからだ。
そんな私は時々ふと夜空を見上げ現実逃避する。
「UFOでも来て自分を火星までさらってくれないかなぁ。そしたら人類初の火星着陸になって未来永劫自分の名前が歴史に残されるんだけどなぁ」と。
でもいくら星を眺めたところで異星人はやってこない。
そうそう「Xファイル」みたいなことは起こらないのだ。
そうとわかっていても、時々自分の思考回路のスイッチを完全オフにしたい気持ちに私はなる。
それだけ現実と向き合いながら「変えれるところは変えていく」「変えられないものは受け入れる」作業・訓練がいかに厳しいのか、を物語っている。
話は戻って、結局朝の一悶着は効果のないまま、出口の見えないまま、いつも通り親父のお約束の決り文句「出て行け。親に暴力振るうのは親でも子でもねぇ。どこの子供だって親こと殴る馬鹿はいねぇから。とっとと出て行け。2度とうちの敷居跨ぐな。もう帰って来なくていいから。こんなのと一緒に居たって碌なことがねぇ」で幕を閉じた。
私も「だめだこりゃ。自分で子どもに暴力振るわれるような精神的虐待を続けてきておいて、今その付けがこうして自分に回ってきているのに、それすらも自分で気付いていない、わかっていない」
ほんと今朝私はこうして不愉快な思いをした。
何でうちの親は相変わらずこうなんだろうね?
その答えがわかっているがゆえにムカツク私であった。
反省、反省。
<107> NAC NAC ■2004年03月15日 月曜日 02時02分59秒
昨日のNHK21:15から引きこもりの番組が放送されていて、内容は、奈良に住む栃窪さん(男性で15年間引きこもり。社会経験有り)が新潟の自助グループに参加して、そちらに生活の拠点を移そうと決意するまでの半年間を追ったドキュメンタリーであったので、見た方もいらっしゃるかと思うが、(13年間引きこもっている弟をもつ)私も最後まで親と一緒に番組を見た。
全体を通しての感想を先に述べると、「TVが入っているといえど、栃窪さんは一生懸命自分の感情を・意思を親に伝えようとしていた」し、「栃窪さんの親も自分の親と同様に『子どものサインがわからない、感じられない』という面では一緒」だった。
その番組の前半私はなんとか耐え凌げたが、後半は栃窪さんの気持ち、弟の気持ち、私の気持ちの3つがリンクして、私は泣きたいのをずっと我慢していた。
本当は自分も親の前で「自分もこれ(栃窪さん)くらい辛かったんだよ。寂しかったんだよ」と泣きたかったのだが、「(自分の過去の経験から)どうせ親にはわかってもらえないだろう。そしたら涙を流した分だけ自分が深く傷付く」という自己防御が働いて、私はずっと心の中で泣いていた。
自分の親なのに、自分の感情が出せない。
出したところで親に聴いてもらえない。
それどころか親は頭から子供の感情を否定するか、親の答えを子どもに一方的に押し付けようとする。
なぜ毒親はそんなことをするのだろう?
どうして親子の会話に「ダブルミーニング」が必要なのであろう?
引きこもっている子どもは親に答えなんか求めちゃいない。
「ただ黙って自分の話を聴いてくれ」と「わかってもらいたい」親に言っているのに、なぜ毒親はその意味がわからない? 
なぜ自分の嗜癖、抑圧、コントロールで、子どもの感情を無視する? 抹殺しようとする?
そんな「信頼できない」親にどこの子どもが自分の感情を曝け出そうとするだろうか?
子どもが悪いんじゃない。
子どもに信頼してもらえないような親のこころ・情操教育が問題なのだ。
そこのところを栃窪さんの親も、私の親も、まるっきりわかっちゃいない。
当たり前だ。
両方の親に共通しているのは「感情鈍磨」で、自分自身の寂しさがわからない・意識できないような「自分と向き合えない」親が、いったいどうやって子どもの寂しさがわかるのだろうか? 
そしてそれと向き合う痛みをどうして実感できようか?
そういう「情緒喪失だった」私でさえ、以前は引きこもっている弟の気持ちが全くわからなかった。
というより、想像しようとすらできなかった。
カウンセラーに通う前の私の中では、「感情」に関することは全てタブーであった。
自分の感情が深く動かないのに、相手の感情まで想像できるわけがない。
今でこそ私も「あ〜でもない、こ〜でもない」と、自分の感情が自由に成りつつあるから(正しい・間違っているは置いといて)弟の気持ちも想像だけはできるようになったのだ。
だから私は親に「弟の気持ちが分からないなら、カウンセラー行って子どもの気持ちを勉強してきてくれ」と何度も訴えているのに、私の毒親はそんな子どもの願いをも無視する。
当然私のインナーチャイルドは大いに傷付く。
「なぜ子どものために自分の意識を変えようとしないのか?」
「これが俺の親なのか?」
「これでも人の親なのか?」
そういう精神的虐待を、私と弟は小さいころから毎日のように受けてきたのであろう。
そして、いつしか「自分の寂しさに蓋をして苦しいとも感じられない」くらいにまで自分の心を乖離する・・・・・
そうすることでしかあの冷たい家族内では生き残ってこれなかった辛い現実。
ほんと不幸な家族だ。
いや、こんなのは家族じゃない。
家族であって家族じゃない。
心がどこかで通じ合っている、接点があるから家族なのだ。
「お互いの感情の交流を許せない・認めない」ような集団は、私の感覚ではロボットの集まりでしかない。
ロボトッはいい。
いまのところ彼に必要なのは電気または動力源だけだ。
だけど人間は違う。
私と弟、そして栃窪さんに必要なのは、自分たちを理解してくれる親、または仲間の存在だ。
そういう人たちが自分の側にいるかいないかは、精神の安定の意味からいって大きなウェイトを占める。
だから栃窪さんは「自分を無条件で受け入れてくれる」新潟に生活の拠点を移そうと決心できたのだ。
そして私も同じようなものをカウンセラーと自助グループ、コーチングに求めていて、今確かに私の心は少しずつ満たされつつある。
だから今こうして私は回復しつつあり、1年前の鬱の私では想像もできなかった。
大体まともな神経・価値観の人なら、子どものころから親に十分に話を聴いてもらってきた人と、全くといっていいほど無視されてきた人とで、どちらが人間的に情緒豊かになっていく土台形成ができているか?大体察しがつくであろう。
答えはもちろん前者である。
そんなことは言わずもがな、考えるまでもない。
でもそんな基本的なことですら、私の親はわかっていない。
自分の親でお恥ずかしながら「よくこんな精神的未熟さで、SEXだけで親になったもんだ」と私は呆れてしまう。
ほんと馬鹿な親を持つと子どもは精神的に苦労する。
そして苦労はまだまだ続くのだ。

つづく
<106> たむ ■2004年03月14日 日曜日 23時13分16秒
人としゃべる時に目を見れない。
どういう反応されるか怖いからかなあ。
人の反応見ながらしゃべるとしゃべりたい事も
うまく話せなくなるからだろうか。
受け入れてもらえるか信じれないのかもしれない。
<105> シャローナ ■2004年03月13日 土曜日 21時18分50秒
何か避けてる 人といるときに特に
人を避けているだけかと思っていたけど
実は人といるときに何かがあって
それを人にばれないようにして取り繕っていて
それが辛くなってきていてもたってもいられなくなる
だから避ける
<104> 杏仁 ■2004年03月10日 水曜日 19時56分03秒
今日はお出かけの日だったのに。
完全に寝すごしました。ぐーすか。

でも、もう自分を責めないわ。
あーららーやっちゃった、とは思うけど。

いい天気。ベッドパッドを干して大掃除。


<103> 杏仁 ■2004年03月10日 水曜日 19時46分42秒
やーな感じ。
<102> NAC NAC ■2004年03月08日 月曜日 05時02分47秒
今までレタスの箱折りしかしなかった弟が、軽トラで畑からの収穫物運搬までするようになった。
「どういう風が吹いてきたのか?」今の私にはわからないが、まっいい傾向である。
どうかこのまま暫く続きますように。
<101> たむ ■2004年03月07日 日曜日 12時58分53秒
ずっと自分がやれないのは、人前に出ると不安反応が出て、人と居るのが苦痛だから、それを治せば大丈夫だと思い取り組んできたけど、本当はこのままでいいと思ってる自分も居る。何故ならずっと引きこもってられるから。治さなければという思いはあるけど、治したいという思いはもうないかもしれない。

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This script written by Shintaro Wakayama.