私が不登校児だった頃、田舎ということもあって、不登校に対して理解のない対応ばかりされた。いろいろあって、実家を離れて療養所に入り、その後、自分を知らない人ばかりの学校に入ったことで、不登校は表面的には治った。
でも、どうも私は「不登校児」をいまだに卒業していない。
あの頃、「学校に無理にいかなくていいよ」「君はよくがんばってきたよ」「そんなに大人の期待に応えようとしなくていいんだよ」
そんな風に、私としっかり向き合って教えてくれる人がいたなら、私の人生も、ずいぶんと変わっていただろうな・・・と思う。まったく別天地だと思う。
療養所に入ってた時出会ったJ先生は、私が勉強や発育の遅れを取り戻そうと、ものすごくがんばっていた割に、私が期待するほどには思い切りほめてはくれず、この調子でがんばれなどとも一度も言わなかった。
私が、勉強とか楽しんでやっていたというよりは、大人の期待に応えるためにやっていたのを、感じ取っていたのかもしれない。でも、せっかくがんばっている姿勢をやめさせるわけにも行かず、ただ見守るよりどうしたらいいのか、わからなかったのだろう。
いつかJ先生が私に書いてくれた言葉。「休んでいた時間を、無と思わないで」控えめなJ先生が、せめてもののメッセージとして、私に送ってくれたんだな、と思う。今ほど不登校の理解がなかった時代に、重心障害児の教育に永く携わってきたJ先生の、やさしさだと思う。
大人の期待する方向へ、何か良いとされる方向へ、ひたすら向上しなければいけない、という強迫観念が根深く今も残っていて、どうしたらそこから自分を解き放ってやれるのか、まだ見えてこない・・・
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