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私たちの物語 - 引きこもり・回避行動・過去ログ No.12
メッセージ数:240件

<240> ぬり ■2005年11月13日 日曜日 20時56分32秒
 今の私は14歳のころに見た占いで「この生年月日に生まれた人は同性愛者傾向にあります」という診断を見て、「ああ、今まではがんになりたい、神様」って言ったら・・・神様は私をがんにする。って思って、もう一人の私をいじめていたけれども、そのとき、その占いを見て「これだ、これ使おう」って思ったんだ。同性愛者傾向にある。それは、男の子との恋愛にとてもあこがれていた私を再びうちのめすものだった。そのころは男子ともまともに話せなかったからだ。きっと私は一生男子と話せないままに同性愛者として生きるんだわなんて思ったの。
 私は「これだ‘‘」これ今度現実に身を呈さないために使う自分いじめのひとつの道具って決めた。そんなことをしている自分をどこかで「恐ろしく」本当に「恐ろしく」思っていた。
 同性愛者でもいい、って今は思うの。私は確かに分裂している。ほんとに。
 でも、もう私生きたくないの、このまま本当の自分を見せないで、偽自分で偽って。同性愛者にならないために自分から同性愛者になってしまおうなんて思っていた。
 それは、私のいつものやり方なのだ。自分の気がつかないでかっこわるくなるのは怖い。自分がきずかないうちにレズになって、女の人を愛するよりも私はにせの自分でにせの人生を歩んで、本当の人生、本当の私を見ないで、そしたら、本当は汚い、レズになるかもしれない自分を見ないですむでしょう?
 ずっとにせでよかった。レズになるなら自分からレズのふりをして。
 そんな人生ほとほといやになった。
 ひきこもりしている、それも誰もきずかないように
<239> いつか ■2005年11月11日 金曜日 21時32分44秒
どうして、何時の間にか引きこもってしまったのだけれども、理由が少しずつはっきりと整理されてきたように思う。
<238> ミヤ ■2005年11月06日 日曜日 23時12分11秒
頭が割れそうに痛かった。
体が鉛のように重かった。
お出掛けの約束守れなくてごめんね。
今日もごはん、作れなくてごめんね。
こんなママなのに一緒にいてくれてありがとうね。
<237> ミヤ ■2005年11月05日 土曜日 02時55分08秒
眠れない夜はいつまで続くの?
夜はきらい。でも朝がくるのはもっときらい。
外の音が聞こえるのがきらい。こわい。電話がきらい。
それでも我慢我慢で、泣きながら「母親」という仕事をこなしている。
いつになったら、のびのびと青空の下で笑えるのだろう。
<236> ミヤ ■2005年11月05日 土曜日 02時14分41秒
隣に住んでる母親と3年間、顔を会わせず、口も聞かなかった。
いや、正確にはその時の私は夫の監禁状態にあった。
毎日、心の中で叫んで泣いていた。誰か助けて。お母さん、助けて。
やっと、お母さんに会えた時。救急車を呼ばれていた。
待っていたのは、病院という監禁だった。
お母さん。私はやっぱりあんたが嫌いだよ。そう思った。
<235> アーネスト ■2005年11月02日 水曜日 22時18分12秒
とりあえず外に出て人と会ったから ―恐れまくって怯えまくって,恐れを止めてアサーティブモードになるまで30分かかったけど― とにかく「恐れにもかかわらず,行った」のだからそのあるがままの状態 ―恐れて萎縮もしたけど― ということを神ともう1人の人間と自分に認めたい。誉めたい。

人と接する時間が長引けば,今日みたいなことは減ってくるかな,時間のロスが?
相変わらず全身麻酔ばりの,用意周到さが情けない。
<234> ほーる ■2005年10月31日 月曜日 01時06分41秒
こもる前だったかな。
あなただけが頼りなのよ、と母親に告げられたのは。
この人は私のどこを見てそんなことが言えるのか、と思った。運転するのが怖くて免許がとれない自分を責めていた頃だ。
誰も本当の私を見てくれない。見ようともしない。
そればかりかカゾクのすべての責任を私になすりつけていこうとしている、という風に感じていた。そしてそれは事実だった。
そんなのイヤだし、私は無力なのだ。
そういう無言のアピールに数年を費やしてしまっていた。
結果は出ていて、それを認めることにこれだけの時間が必要だった。
いまも昔も、私の周囲には誰もいない。
いないことがどうというより、必要を感じないことがヘンだと思う。
たぶん母親に自分を見て欲しいという気持ちが終わらないのでそういう欲求が弱いのじゃないかと思う。高い段階になかなか移らないのだ。
月日が経っても母はまだ頑なに私の存在を無視している。その結果を受け容れていても気持ちがついてこない。悪循環を断ち切るにはどうしたらいいのだろう。
例えばなにかをしようと立ち上がっても、こうしたら母はどう言って来るだろうか、とか傷つくだろうか、とか思ってしまう。
自分の気持ちからくる決意と、母に見て欲しいというポーズの違いがはっきりわからない。それでも、何かしなければそれも進まないし……で焦っている。
私のためになればそれでいいのだ、と誰かに言ってほしい。
揺れている。
<233> あろは ■2005年10月29日 土曜日 21時29分14秒
私の責任って、何だろう?自分で、自分の食事の世話をすること。平日朝8時半までに職場に行くこと。体を清潔にすること。一日に一回風呂に入ること。一日に一回(出来たら2回)、歯磨きをすること。部屋を出るとき、部屋に入ったとき、鍵を閉めること。服を洗濯して清潔さを保つこと。私は、私自身の人生における選択について責任がある。
<232> アーネスト ■2005年10月27日 木曜日 04時55分29秒
今までは万人から承認されそうなもの,誉められそうなもの,受け入れられそうなものを選んできた。自分が何が好きなのかはあまり考えたことがなくて,自分で考えないという点ではラクだった。でも行く先々で,失敗が起こったとき、自分で決めたからって言えない自分がいた。だから少しずつ自分で決めたことをやっていきたい。それから自分で決めた=最後までやり通すではない,のかなと最近思う。勿論,協同作業とかは別で,それは途中で辞めたとは言えないし、やる前から考える必要があるけど,例えば1人でやるものとか,途中で考えが変わってもいいのかなって思ってる。
<231> ぬり ■2005年10月25日 火曜日 18時15分41秒
 外界には演技でも楽しそうな顔をしているけど、実の私はこの世から切り離されている。それを安全だと思っていた。この世から切り離すためには、自分に心の痛みを与えないといけない。がんになりますようにって神様に言っていたり、あの人の彼女を思い浮かべていたり、ずっとずっとずっとよ、気が付けば意識的になればずっとずっとずっと、意識覚醒状態で生きてきた。誰からも守ってもらえると思ったことはなかった。
 心の中で自分にナイフをぶっさすこと。あの子は私が殺したとか私は同性愛者だって思うこと。ずっとずっと14歳から現実世界からひきこもりをしていた。勿論、外界は普通にふるまっていたけれども、でも、心のどこかで怖いぬりこが「がんになりたい」とか今のあいつの彼女の顔をず〜〜〜〜〜と思い浮かべていたり。。。。だって、怖いから、この世が怖い。私はもうあの頃の憎しみを誰かにぶつけることはできない。。。
<230> ぬり ■2005年10月25日 火曜日 17時34分43秒
 FB注意 私は心がひきこもっている。心がひきこもり状態なのだ。私は安全な場所にいられない。私はずっと心の中で自分を痛めつけてきた。大丈夫?って言って欲しかった。私は、「がんになりたい」自分は同性愛者でそのことを隠しながら生きているという演技をしながらこの世と関わっている。だって、本当の私はきっと醜いだろうから。きっと私はこの世のどこにいっても生きられないから。
 だって、外界は全然安全じゃないんだよ???私はつねられても心が痛くて、いすをあの子たちに引き下げられたから。。。私は床にドシンとしりもちついた。
 本当は泣きたかったのに。怖くて。私はずっとこの世を恨んでいた。神様もでもあの子も。生きたい。なのに、心が怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて、この世のどこにも生きられなくて、がんになりたいとか一生に他人に合うときは切り札としての「痛み」がんになりたいとか、自分が汚く汚く汚く思えるようなことを想像して、この世の怖さから逃げている。
 ずっとしたくないけど。。。でも私のあの時の思いは、この世にあんな怖いものがあるなんて。。。
<229> NAC NAC ■2005年10月19日 水曜日 19時10分05秒
一昨日私はふっと思い立ち、幼稚園時のアルバムを探して見ていた。
そこには引きこもって10年以上になる弟が、当時ぶどう園で母親と膝の上に座ってにっこりかわいく写っている写真や、親戚で私と一緒に花火をしている写真、自転車に2人乗りしている写真があり、「今はひきこもって怒りや寂しさを溜めた不気味な顔つきしてるけど、こんなかわいい時もあったんだなぁ。(答えはわかっているのに)なんでこうなっちゃったんだろう?・・・・・」

そして昨日、数日ぶりに私は弟と顔をあわせたが、当然(いつもと同様お互い無関心を装い)声掛けはしなかった。
そうした私と弟の間には昔から会話はない(基本的に家族内でまともな会話がない)⇒兄弟愛がない。あっても、ほんと必要最低限口を開くだけで、30年暮らして、兄弟で会話した時間はおそらく1時間にも満たないだろうし、親子間でも1週間分ない。
寂しい家族だ。それもワーカホリックだから仕方ないのだが・・・・・

当時(寂しさに耐えられなくて)既に乖離していた私はカウンセラーにつながって自分の心を開くごく最近まで、「寂しいとはどういう感情なのか?」わからなかった。30年も生きて きたのにね♪ おかしな話だが事実だ。
でも正確にはわからなかったのではなく、思い出すのがあまりにも苦痛で、感情未発達の小さい私が機能不全家族内で生き残っていくための自衛手段として、無意識のところに無理やり感情を押し込んで忘れたままとなっていただけだ。
それが掘り起こされた今では十分弟の寂しさもわかる。なぜなら自分の寂しさがわかるから。
その一方で兄弟なのに上記の無関心(どうしていいのかわからないも含め)。それが偽らざる私の弟に対する2面性だ。

ほんと私は何に対しても無関心だった。親から傷付けられて心が閉じているから当たり前と言えば当たり前なのだが、そうした無関心の中で生きていくには自分も無関心になって同化するしかなく、「苦痛を苦痛と感じなくなる」ほんとかわいそうな子供時代だった。
どのくらい私は周りに対して無関心だったかというと、完全に離人して自分だけの世界にいたのだが、小さいころ弟と一緒に、家族や親戚と数回旅行や遊び(晴れの場)に連れてってもらったのだが、弟が、あるいは親が、引率者が、自分の周りで何していたのか? 普通は記憶を思い出しやすい晴れの場なのに、私には全然思い返せない。

なぜ?

元々子供は自己中心的だが、私の場合それともちょっと(というか大分)違うような気がする。
思い返せるところでも、そうした晴れの場でも私たち兄弟は親から感情のサポートがなかった。例えば「今日は何々してどうだった?」とか「あの時は何々だったね?」とか。
仮にそうした機会があったのかもしれないが、私の中には「愛情って暖かいんだ」と思い返せるほど蓄積されていない。それだけ小さい私は傷付けられ過ぎたってことだ。
泣くことさえも選択肢になかった小さい私。想像するだけで私は泣けてくる。

現状カウンセラーや自助グループで自分の感情を吐き出し、なんとか引きこもらずにいる私でさえこうなのだから、10年以上も引きこもっている弟の寂しさは計りきれないものがある。のは、まともな人なら用意に想像がつく。
だけど私の親は相変わらずワーカホリックで、世間体ばかり気にして子供の感情には無頓着だ。
何でこんな無慈悲なことができるのだろう?
「虐待されて育ったことを修正しないまま親になってしまった人はそれしかできない。なぜなら心潤す暖かい経験がないのだ。だから無意識のところの思い込みでそれ以外に選択肢がない」そう答えはわかっていても、私は親の変化を期待してしまう(現状では絶対無理なのに)。

無意識に子供は親を信じようとしては裏切られ、それでも信じようとする。そしてまた裏切られる。我が家もその繰り返しだった。
そしてその最たる犠牲者が弟だ。立場が違えば私が引きこもっていただろう。
あの時、弟が事故が原因で進路を変えざるを得なくなった時、家庭内で誰も弟をサポートしてあげられなかった。それどころか前途を悲観するような言動ばかりで、弟の傷付いて不安定な感情を察せず、思いやることもできず、労われず・・・・・
愛情の欠片もない家族だ。でも当時私はそれを何とも思わなかった。何せ愛情がないのが当たり前だったから。
弟は辛かったと思う。今の自分にさえ想像できないくらいに辛かったんだと思う。
これほど苦しんでいるのに家族内で誰にも相談できない。話したところで頭から否定されるだけで、全然自分の感情をわかってもらえない。
それも自分がカウンセラーや自助グループで聴いてもらって、それが如何に大切なことなのか!その重要性がわかるから、今になって私は弟の気持ちの一部を想像できるのだ。
1日5分だけでもいいから親が意識的に子供の感情を聴いてあげる時間を作って交流してくれば、弟もこんなに長くはなっていなかっただろうし、仮になったとしても愛情の貯金があれば短くて済んだはずだ。
戻れることならあの頃に戻って、例え親が無関心でも私は弟とたくさん遊んで楽しい思い出をいっぱい作り、生涯話し合えるような基礎を作りたい。
それが安心であり、信頼できる仲だ。

機能不全で仕方なかったとはいえ「兄として何もできなかった、してはいけないことをしてしまった」今までの過ちを悔いているから私はこうして書いている。
大事なのは感情だ。それが人間らしくする。
<228> さなえ ■2005年10月05日 水曜日 22時41分27秒
元来ひきこもり体質の私がやっと昨日バイトの面接に行った。
今日はそこの事務所から電話があり、そこは派遣なので
他の仕事もやらないかと持ちかけられた
私には出来そうもなかったから断ったのだがその電話の相手の対応が
後味悪くてその後嫌な気分を引きずっていた
予約した仕事(2日のみだけれど)が無事終わったら
早くこことは縁を切りたいと思ったほどだった。
バイトの派遣会社ってあまり良いイメージ無い。
かといって前の正社員は嫌だというか
最初から自分には到底無理な仕事であった。

しかしわずかな時間だがバイトがあると思うとすごく憂鬱である。
気が重いし早く終わってほしい。
<227> sora ■2005年09月22日 木曜日 10時32分52秒
本当は引きこもってなんかいたくない。
たくさんの友だちを作って楽しく話したいと思うのに・・・
いざ人と関わりだすと古傷が急にうずきだしてとても辛い。
痛くて痛くてどうしようもなくなる。
それが悲しい。
<226> 黎 ■2005年09月01日 木曜日 20時46分03秒
あたしの中の「良い子」は
両親に弱い。
認めて欲しい、気持ちが強い。
ひきこもりの傾向は強い。
それを悟った両親は
世間体をまず考えた。
悲しい。
嘘でもいいから
あたしを心配して。
<225> アーネスト ■2005年08月19日 金曜日 16時17分56秒
責任について思うこと。親から独立して1人の人間になる。自分はまだ甘えてる。
父親は「お前らが独立するまで俺も頑張る」といった。いやいやあんたが頑張るから俺らも独立できないんだと思ってしまったが,やはり自分に問題がある。少なくとも,兄にとっては依存を促がすだけだろう。自分のお金でやることは責任が伴なう。というか,嫌でもシビアになるのだろう。恥ずかしいがいまだそんな経験はない。ギターくらいだ,自分で買ったものは。部活も,CDもその他色んなものが親のお金。人に出してもらったお金ではシビアになれない。こんなこと言う立場ではないが,やはりそうだと思う。 でもなんとかしないと。病気になるのも自分の責任だ。回復するのも。俺は引きこもりになりたくない。でも来年、一発で受かる気持ちがしない。やはり臨任をしながら?ということになるのか?友達の話しでは短期間でわりとできてる。俺は要領が悪い。でもダラダラは良くない。なんとかしてキビキビというか遊ぶなら遊ぶ勉強するなら勉強という感じでしないと。とにかくリズム悪すぎ。
<224> NAC NAC ■2005年08月05日 金曜日 01時37分41秒
先日巨人系のチャンネルで引きこもりの特集があったので、私はお行儀良く自室で観ていた。
その時我が両親は何していたかと言えば「寝ていた」 英語で言うとSleepingである。
すばらしい(私の英語力ではない)、なんて平和な親なんだ。農家の朝は早いしな(ってそういう問題じゃねぇだろ)
私は一瞬「叩き起こしたろかこのボケは」思ったが、虚しい結果が見え見えなので無駄な労力は使わないことにした。
そして番組ではO先生の出番である(そのやりかたについて私は「どうかな?」と思うところがあるが、現状「これがベストですよ」というやりかたもないので、ここでその批判は省く)。
が、今回ひきこもりの子供を持つ(それだけに限らないが)親の共通点を発見。
それは自分たちのやり方が通用しないとなると最後は「お前なんかいらねぇ、出て行っちゃえ、もう戻って来なくていいから」の印籠出し。うちもそう。
う〜ん、真に愛情こもったお言葉で、子供の心に追い討ちかける。でも馬鹿親に罪の意識はない。すばらしい。
さすがにO先生も「自分と向き合わねぇからそういう言葉出んだろ」みたいな事を怒鳴っていたが、まさしくその通りです。
あたしゃ感心しちゃったね「こいつらホント子供の気持ち分かんねぇんだな」って。
どうして?
そんなの簡単です。家族間で健全な会話というものを親が意識して築いて来れなかったのでしょう。
会社の経営コンサルタントやってても父親として自分の家族の現状診れないんじゃなぁ、それもどうかと思うよね。
すべて仕事に託けて自分と家族と向き合って来なかった結果で、その付けが回ってきただけだよねぇ。

子供は引きこもりたくて引きこもるわけじゃないから。
引きこもらざるを得ないものが家族内にあるから、その足りないものを引きこもりという形で訴えているだけだから。

私の弟は訴えてもう10年以上なのに、親に変化なし。それって「お前の寂しさなんか知りませんよ、愛してませんよ」っていう存在否定、まさしく虐待だよねぇ。

自分の子供なのに何で痛みを想像できないのかねぇ? 
だから引きこもるんだよ。
<223> hole ■2005年08月02日 火曜日 03時04分04秒
皮肉


先月は一度振込みのために外出した。
先々月は何度か。古本屋に行った。買おうと思った本をパラ見してたら鉛筆で線が引いてあるのを見つけて、店員にこれ安くなりませんか?と掛け合って値引きしてもらった。
先々先月は二度くらい。確実に私の時間は過ぎている。
親は数年何も言ってこない。関心がないのだろう。以前は親との時間は大抵兄に掻っ攫われていた。兄の起こす揉め事に両親は数少ない時間を充て、その間私はいない子だった。だから偶に私に充てられる時間には、無理をして最大限親にとって都合のいい子を演じたように思う。単純に兄の逆を行ったのだ。いまは子どもが大人になりそこなって、どちらにも関心がないだけだろう。

誰かにほのめかしたことはないが最近また死にたい気持ちが強い。この家で死ぬことはできないと定めたのだが、気持ちではどうしようもないし、ある種生存には役立つ感情なのかもしれない。手軽に、誰にも影響を及ぼさずに生きている実感のある方向へ行きたいのだろう。そこには欲望がある。
それと同調してか食欲旺盛だ。十時間くらいねている。病気のようでいていつでも体は丈夫だ。いつでも空虚だ。ひきこもっていなければ、何に費やされていただろう。

父がまた兄を理不尽に叱った。それを意識したくないものだから関係なさそうな話題で私に八つ当たりをする。それでも前よりマイルドになったことには私自身の変化を感じる。私の言葉が言葉として微かにだが成り立っている。親のほうは相変わらず家をホテルのように利用している。いつものようにテーブルに食事を運ぶ。
そうして私はまた自分の”欠けた世界”の中へ没頭できる。
底つきを起こさないこの家は夢のよう……想像力さえなくせば、私は不安と無縁で生きていられるだろう。時々この世界を出たいのか、出たくないのか、出られるのか、出して欲しいのか、壊したいのか、移動したいのか、無効にしたいのか、わからなくなる。これで何日目。
<222> こくーん ■2005年07月30日 土曜日 22時33分17秒
ストレスや気が乗らないことがあると『体調不良』に逃げがちだ。実際に偏頭痛があったりもする。度々体調不良を言い訳にしている気がして、嫌な気分になる。
子どもの頃からその傾向はあった。もともと身体は丈夫なほうではなかった。大病はなかったが、風邪をひいたりすることは多かった。母は、熱が下がっても『念のため』といって1日多く休ませたりした。弟も度々熱を出していた。
母が冷たかったとか私を見てくれていなかった…という気持ちは小学生の頃にはなかったと思っている。専業主婦だったし。なのに、病気をしたら母は優しい、という気持ちがどこかにあった気がする。病気になって家にいれば、外(学校?)のコワいことから逃れられると思っていた気がする。
そして、私は『病気』に逃げることを覚えてしまった。この言い訳には誰も文句は言わない…そう思ってしまった。
そんな自分が今はとても嫌いなのだ。あまりに弱くて。
<221> 柊 ■2005年07月30日 土曜日 17時41分54秒
5年前に見た新聞に「ひきこもりになる子供の親のタイプ」のチェック項目が載っていて、やってみるとほとんどの項目に私の両親はあてはまってました。すごくびっくりした。ACとか言葉をあまり知らなかった時期だし、自分は普通の家庭の子供だっと信じて疑わなかったから…そこで、自分の生い立ちに疑問を感じて、どこかの門を叩けばよかったのに…なんでそうしなかったんだろう。何度も何度も心療内科に行くことをためらいながら数年が過ぎていった気がする。
私が引きこもりにならなかったのはひきこもれる部屋がなかったのもあるけど、あったとしてもひきこもりにはなれなかっただろう…
ひきこもると、親から捨てられてしまう恐怖が強かったからかもしれない。
働かざるもの食うべからずだったから、働いて家にお金を入れなければ親から捨てられるって気持ちが強かったのもある。でも、それだけかな?何でかわからない。

何で親の組んだ住宅ローンの返済を私が手伝わなくてはいけなかったんだろう…それよりも家を追い出してくれればよかったのに。いや、出ていけなかった私が一番悪いのかな。親が悪いの?わからない…
何で家出できなかったんだろう。家出ができなかった自分を責める日々…結婚じゃなくって、家出で親から逃げ出せばよかったのに。そんな後悔ばかりしてる。

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This script written by Shintaro Wakayama.