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私たちの物語 - 暴力・虐待・過去ログ No.8
メッセージ数:160件

<160> NAC NAC ■2005年05月26日 木曜日 04時27分03秒
昨年11.28暴行事件〈120〉の続き、というか最終章? 〈159〉を読まれた方、今回私は加害者ではありません、被害者です。念のため。

長くなるので結論から。
今日(正確には昨日)夜の電話で加害者Sから「明後日の午前中に某所で待ち合わせして、今回掛かった治療費約\18,000・弁護士相談\5,250、〆て\23,000で示談にしてほしい」とあったので、大人の私は(大した怪我をしたわけじゃないし)これからの自分の精神的安定を優先してそれを呑むことにした。
事件発生から半年。その間の私の怒り・ストレスを考えれば\23,000じゃ安過ぎだ。ちょっとバンパーぶつけたって部品代+\50,000が相場なのだから。
まして理由はどうあれ人を10発前後も殴る蹴るしておいて前科も付かず会社もクビにならずじゃ、当然被害者の私としては面白くない。
本当なら私は最低でも慰謝料として\1,000,000は欲しいところだ。それが実費\23,000。某通販会社でも真似できないくらいのびっくりプライス「もってけドロボー」!
当然「金に煩い」私は今回の示談の金額に納得はしていないが、暴行の怪我は既に自然治癒しているし(これが大怪我しているなら別だ。その場合私は納得いくまでとことん闘う)、仮に民事で勝ったとしてもそれまでの怒り・ストレス・外野の妨害・恨みなど諸々考えたら「ここは欲張らず切りのいい所で終わりにしよう。つまらんことにいつまで拘っていても前進しねぇや」そう思うことで自分を納得させることにした。
明後日(正確には明日)和解交渉の場に着くのでまだ完結ではないが、ほんと今回の暴行事件で私は色々学ばせてもらった。自分の心の動き、加害者Sとの心理ゲーム(後で「こころの持ちよう」に書く)、外野の撹乱など、ストレスは溜まったが中々お金では買えない経験だった。そして私自身2度目はもういい。
また今回私の良かった所は
1.相手に暴行され反撃できたのにしなかった「冷静さと我慢」(もちろん致命傷になりそうだったら柔道経験者でトンパチの私は黙っちゃいない)
2.皆に相談した上で終始一貫した「結果がどうなろうと自分は筋を通す」意思の強さ
3.「金の斧、銀の斧」目先の利益に目を奪われて自分を見失わなかったこと
以上3点

逆に悪かった所、反省点は
1.仲がいいからといって誰彼構わなく相談したことで一部洩れ、後で心理ゲームで加害者Sに突っ込まれる要因を作ってしまった「(ACならではの)過信」と「不注意」
2.信頼おけるKさんに仲裁役を頼んだまでは良かったが、最初から加害者Sに直接話してもらうべきだった。お陰で不要な外野の撹乱で引っ掻き回された「見通しの甘さ」と「不用心」
3.「何かおかしい」と思い何とか場面転換を図れたが、危うくSの心理ゲームに引っ掛かるところで自分に隙があった「内面への鈍感さ」
以上3点

結論として一番いいのはこうしたトラブルを起こさない・巻き込まれないことだが、生きていれば色々あり(特にACは)、もしそうした場面に遭遇した時には「常に自分に『待った』をかけること」(特に私のように突っ走りやすいタイプは)
知識と経験にも依るが、最高の(またはよりベターな)選択は冷静な状況判断と未来予測からもたらされる。故に感受性と想像力の欠如は致命的だ。

まっ何事も勉強だね。 
 
<159> NAC NAC ■2005年05月13日 金曜日 02時32分35秒
今日はここから。初めに長くなるやつを処理しておく。〈153〉未掲載分

題は「酔っ払い運転のおっさんとトラブった自分」そして「いくつかの副因を経て問題は大きくなる」

ではスタート。
時は花見時で3月末の金曜、時刻は22:30頃。その日私はラーメン大好き小池さん夫婦と食事したあと、別れて一人車を運転してレンタルビデオ(今回はエロなし)を返しに行く途中に事件は起きた。
私が60キロ前後で見通しのいい国道を東に向かっていると前方の側道から白い乗用車が1台出てきて、私の前でふらついている。最初私は「ラジオかCDでもいじっているのかな?」と思ったが、頻繁にふらつくので「こりゃ(花見の時期だし)酔っ払ってるわ」

ここで私が考える選択肢は2つ。
@車間距離を多めに取る
Aパッシングないしクラクションで相手に訴える

そして私が選択したのはAで、@を選択しなかったのは私の後ろに6,7台繋がっていたから。
迷わずパッシングする私。でも1回だけじゃ前のふらふらは治まらず、続けて数回パッシング。それでも効果なし。終いに前車は中央線を越えてふらつくようになり、田舎の深夜と言えど交通量はそれなりにあるわけで、私がクラクションを鳴らさなければ対向車と衝突していたかもしれない場面もあった。
そして見通しのいい直線から緩やかな左カーブに差し掛かると、その出口で前車は止まったかのようなのろのろ運転になる。前はまた見通しのいい直線で対向車なし。

ここでまた私の考える選択肢は2つ。
@こちらものろのろ運転
A「ここがチャンス」とばかりに前車を抜く

いらちな私が選択したのはもちろんA。そして私がいざ加速して前車を抜かそうとすると、何を思ったか前車は負けじと加速し出し、「何考えてんだこいつ? いったいどんな奴運転してんだ?」と私は助手席越しに相手を見ると、窓を開けた赤ら顔のおっさんだ。私の血管ブチ切れ5分前。

ここでも選択肢は2つ。
@それでも前に出る
Aここは引き下がって再度後ろにつく

横に並んで加速された時点でかなりカチンときていた私だったが、愛車がディーゼル、それもターボじゃなく加速は無きに等しいため、私は大人しくAを選択。
そして前方T字路に見えるは赤信号。「ベンツだったらぶつけてやるところだけど、ここはきっちりクンロク入れとかなあかんの」と私は減速しドアを開け降りるつもりでいたら、前車は信号無視で行ってしまった。「あちゃ〜行っちゃったよ」

ここでも選択肢は2つ。
@ブチ切れて追いかける
A交通法規を遵守する

良い子の私が選んだのはA。気持ち的には絶対@なのだが、私は忘れもしない2月27日に東名高速静岡でスピード違反で捕まってからまだ3ヶ月経っていないので、「ここで調子こいて追っかけて自分だけパトカーに捕まったらそれこそ最悪」と思い、私は「クソ親父め」と我慢して諦めた。
のだったが、見通しのいい直線道路、前車は500m先のコンビニ駐車場に入っていった。
私は「ラッキー! しめしめ、こりゃ行くしかあらへんの」と、青信号を待って加速。血管ブチ切れ3分前。
そして着きましたコンビニ駐車場。「おっさん車はどこや?」と見渡すと、隅の方にエンジン掛けて止まっている。「どうやらまだ車内におるみたいやの」 そのまま2分私は様子を見るが、もはや戦闘モードは止められない。
「よっしゃ行ったろ」 降りておっさん車の運転席側に立つ私。端から喧嘩腰だ。
「おっさんさっきはなめたマネしてくれたの。どこ見て走っとんねん? ふらふらして危ないやんけ」と私が切り出すと、おっさん「ふらふらしてねぇよ」と赤ら顔でのたまう。なかなか私の怒りを増幅してくれるナイスなおっさんだ。
「あぁ ふらふらしてねぇだぁ? なめとんのかコラ。 とっとと表出んかい」と啖呵を切る私。
車から出てくるおっさん。しばし口論。
あくまですっ呆ける(酔っ払っているので当たり前なのだが)おっさんに私は1/4切れとなり、右手で相手の襟首、左手で相手の右袖口を掴んでいつでも投げられる体勢に。
それでも決して「すみませんでした」と言わないおっさんに対し、私は1/3半切れ状態。心の中では「ここでおっさん俺のこと1発殴ってくれんかの。そしたら容赦なくシバけんのになぁ」
でもさすがに柔道経験者がコンクリートの駐車場に酔っ払いを叩きつけるのはまずいので、私は腕力に任せおっさんを押し倒し、右膝を相手の胸に当て襟を掴んだままの右肘で軽くギロチンチョーク。周りにはコンビニの客も数名いたらしいが、そんなのお構いなしで私は「なめてんじゃねぇぞオラ、しばくぞコラ」と怒号を発しながら気管を絞める。ちょっとぐったり来かかったところで私は一度緩め、「オラとっとと立たんかいボケ」とおっさんが起き上がるのを待つも、当然起き上がれない。私は強引におっさんを起こし謝るのかと思ったが、おっさんは「私に何をしたのか」認識しておらず、さらに私が「何処で飲んできたんや?」と聞くと、かわいいおっさんは「あっち」と指をさす。すかさず私は「飲んどるやんけ。少しでも飲んどったらふらふらするんや。なめとんのかコラ」と自分でも「漫才みたいやな」と思いつつも半切れになり、再度おっさんを押し倒しさっきより長め、かつ強めのギロチン刑に。私は頚動脈ではなく気管を絞めあげているので段々おっさんの目が落ちていくのがわかり、「このままやったらマジ死んでまうわ。ムカつくけどもうこの辺でええやろ」と右肘を緩め、立てないおっさんを起こす。
おっさんも私にそこまでされて身の危険をようやく認識できたのか? 己の非を思い出したのか? やっと私に「すいませんでした」と謝った。私も「よかったのおっさん、俺がチンピラじゃのうて。これがチンピラやったら今頃おっさんイワされとんぞ。今日のところはこれで許したる。気いつけて帰りや」とおっさんを放した。
ほんと仏のような男だ私は。これが大阪・八尾で起こっていたなら私は間違いなく山本の恩智川におっさんを蹴りこんで鯉のお友達にしてやるところだ。それか柏原霊園まで連れてって生きた墓石にするかだ。

以上、柔道経験者としてはあるまじき行為だが、大声出して自分がすっきりしたのは確かだ。できればブチ切れておっさんをシバキあげたかったが、そこまでやると立派な犯罪だ。
こうして私とおっさんがトラブルまでに何回も選択の場面があったのだが、結果トラブルように私は全て選択している。どれか1つでも私が違う選択肢を選んでいたならこのような結果にならなかっただろう。
そしてその深層には「大義名分のもとに溜め込んだ怒りを爆発させたい」私の欲求があり、裏返せば「自分の怒りに着火するような状況を自ら選んでいく」パターンが私の中にあるということだ。
もちろん私の怒りの大元は親なのだが、それが親に向かって吐き出せないから外に向かうのだ。
無意識は気をつけねば。時として自分で自分の首を絞めることになるのだから。
<158> アーネスト ■2005年05月12日 木曜日 22時46分12秒
なんでボロ雑巾のような扱いをされたんだろう?モノ扱いされたんだろう?
痛さよりもショックだった。
<157> アーネスト ■2005年05月12日 木曜日 22時44分55秒

(FB要注意)


自分が兄に殴られたのは自分のせいだと思っていた。
8歳の頃,母への当てつけとしか思えない目的で胸倉を捕まれ殴られた。怖かった。今でも怖い。この事件は漠然と引っ掛かっていたんだけど,その2,3年前まで信頼していた兄だったからこそ尚更に辛かった。その2,3年前の記憶が抜けてて,ただ殴られた記憶があった。
<156> アーネスト ■2005年05月01日 日曜日 13時15分39秒
朧気だが,祖母に平手打ちを受けた覚えがあるのだ。
絵的というかそういうイメージが残っている。まだ6歳ごろかな。
<155> ほーる ■2005年04月21日 木曜日 04時00分07秒
包丁がまな板の上に無造作においてあるだけで不安でしょうがなかった。
それで私は家族にご飯を作っているのだ、と思うと気分が悪くなった。
はさみやカッターが出されたままになっているといやだった。
出したものは出した人がしまうべきだが、どうも気になって戻してしまう。
こいつで何かされる、と言う風には思わなかったけど、
こいつで自分がなにかやらかしてしまう、
古びた記憶と言うよりは少し前の妄想がフラッシュしていた。
自分が信じられない頃はそうだった。
あの時からそもそも信じるべき自分なんてもういないと思ってたし。
三ヶ月くらい前の話。
古い記憶の方は、あー、どこかで置いていかないとねぇ……
<154> kiwi ■2005年04月19日 火曜日 23時08分30秒
いくつの時だったか…多分5歳くらいだと思う。

私はひとりで電車に乗って、絵画教室まで通っていた。
ある日の帰り道、駅を降りて、信号待ちをしていたら
赤い羽根募金の箱を持った人が、一生懸命、募金を呼びかけていた。
信号が青になったので、私はそのまま横断歩道を渡って自宅へ向かった。
でも途中で思った。
「今、電車賃の残りで十円玉が何枚かある。これを募金したい。」
くるりと踵を返して、赤い羽根募金の人のところへ戻ろうとした。
そのとき、突然向きを変えた私を見て、
自分達の後を追いかけてくるのかと思ったのか、三人のキレイな若い女の人が
笑いながら、キャー!って、悲鳴を上げたんだ。
ただの悲鳴だったけど、私にはちゃんと分かった。
「変な子!不気味!触りたくない!下級の人間!」
あの人たちは、私を馬鹿にして、快感を感じていた。
私は彼女達を脅えさせちゃいけないと思って、募金は諦めた。

とっても傷ついた。
道ですれ違っただけの、初対面の、私のこと何も知らない人にとっても
私って、変な、普通じゃない、気持ちの悪い、生き物なんだって。

その後、誰が私のこと、可愛らしいって言っても信じられなくなった。
ホントは醜い不気味な最悪の生き物だって思ってるのに、ウソついてるんだ。
私に好意を持ってくれている人の言葉も信じられなくなった。
<153> NAC NAC ■2005年04月11日 月曜日 06時58分04秒
今日は時間がないので、次回忘れないようテーマを決めておく
「酔っ払い運転のおっさんとトラブッた自分」
<152> いつか ■2005年04月09日 土曜日 22時38分03秒
面倒見ないこと。
服が、秋、一着しかなかったときがあった。
何処にも着替えが無かった。あれほど手縫いが自慢の母だったのに。

その頃髪も切ってなくて、くせっ毛で笑われた。悲しかった。どうすればいいのか解らなかった5年生のころ。
母は寝てばかりだった。
姉が非行に走り始めたころ。
父も、怒ってばかりだったなー!暗くて冷たい家。
<151> こくーん ■2005年04月06日 水曜日 02時40分16秒
人のいらだち。怒号や叫び声。バタンッと物を荒く扱う音。
アンテナがあるかのように、それを感じてしまう。声や音を拾う。
心臓がドキドキし始める。コワいという気持ちが暗雲のように視界を閉ざす。
逃げられない、と思う。立ち向かえない、と思う。
<150> こくーん ■2005年04月01日 金曜日 06時20分33秒
弟がいないとき、母が仏壇に向ける読経(その宗教ではこう呼ばないらしいが)。その声がイヤだった。私には狂おしい叫びにしか聞こえなかった。
『どうして私がこんな目に遭うのですか。どうにかしてください』と言っているようにしか聞こえなくて、耳を塞いだ。止めるように言っても止めてもらえなかった。あれは、確かに暴力だった。
…なのに、それを、私にしろと言うのか、貴方は。
<149> いつか ■2005年03月31日 木曜日 00時43分28秒
148ですが、少しフラバ注意です。あと、名前間違ってしまいました。
ごめんなさい、です。

<148> いうか ■2005年03月30日 水曜日 23時40分48秒
もう親とは二度と会わないけど、最後に会ったとき、よーく観察できた。一泊の間に、寝てる部屋に平気で入ってきて話かけるし、呼ばれてすぐ行かないとたちまち機嫌が悪くなるし。姉妹で盛り上がって仲良くお茶してるといきなり罵りだして、腕振り回して叫んでる。それから一人ずつ呼んで居ない人の悪口が始まり、媚びてくる。
昔は怖かったけど、そこまで怒らせた私が悪い、ゴメンねお父さん、と罪悪感のかたまりになってたけど。なーんだ、思いっきり拒絶できたし、嫌いだって伝えられた。
強くなったな、私。
そして、もう二度と会う事も無いのだ。
<147> soulmen ■2005年03月30日 水曜日 03時57分04秒
親父なんかボコボコにしてやろうと思ってた。
俺がやられた暴力を全て返してやろうと。
ところが、俺がちょっぴりグレ始めたら、途端になにも言わなくなった。
代わりに、俺がトイレに入っているとわざと電気を消したり、洗面所をわざと長くつかったり…。
<146> いつか ■2005年03月25日 金曜日 01時14分09秒
なんて稚拙な、、、。
殺されたり、大怪我したり、それが虐待だと思ってた。
男だったらよかったのに、お前の前に一人流産してねー!
これもとっても傷つく言葉。
何も感じなかったな、ずーっと言われてたから。
許せないよ。
<145> いつか ■2005年03月23日 水曜日 00時30分56秒
虐待に、精神的なものがあるとは知らなかった。
激しく罵る父。きれると本当に怖かった。そして悲しかった。
くら―い家。散らかり放題。
意地悪な家族!
<144> モハメッド ■2005年03月23日 水曜日 00時16分56秒
「けんか」

 父親の目をまじまじと見ると怖いと思うときが今でもある。酒を飲んで正常でなくなっているからだ。
 今、冷静に考えてみると、父親と会う前から私の気持ちが深々と滅入りこんでしまっているからであった。
 私は小さいときから抑うつ的で長じてもその状態からなかなか抜け出る事が出来なかった。
 周囲に気配りできないせいか、職場でけんかになりそうなことが度々あった。実際取っ組み合いのけんかをしてみると、けりはつかない。喧嘩してしまうとそれまで怖気ていたのが、冷静に相手をののしり、退かせている自分に驚いてしまう。
 平常にもどると、また、びくびくしている自分に戻る。暴力に対するトラウマの後遺症に気付いたのは最近なのだ。
 こちらが怒りにまみれているときに喧嘩を吹っかけてきたバカが昔いたな。威勢の強さで既に決着はついている。きょろきょろしだすと武器を探しているから、追いかけて物を持つ前に襟首をつかんでひっくり返すと職場だから、諌める奴が出てくる。
 自分の強さに自信を持っていいものだが、それでも私は鬱になり、トラウマの後遺症を乗り越えることは、まだできなかった。
 喧嘩をするとすっきりして、相手を憎むようなことはないようです。
 
 今はトラウマの後遺症はあまり出ないようです。そして、ややこしい奴や共依存的(巧妙に人間関係を操作する奴)は見抜けますから、近づかない、距離を置くようにすることはしています。
 人にできるだけ迷惑をかけないような自分なりの生き方は出来つつあるように思うのです。。。。が。。。
<143> soulmen ■2005年03月21日 月曜日 02時18分33秒
高校の時に決闘をした。
相手とは数ヶ月の渡って因縁があった。
俺のパンチは避けられ、そのまま取っ組み合いになった。
気が付くと互いに額と額をくっつけて、怒鳴りあっていた。
そのうち、どちらともなく涙を流し始めた。
最後には抱き合っていた。
<142> HO ■2005年03月17日 木曜日 20時56分25秒
怒っている人が投げつける物を見つけようと泳がす目。殺意を覚える。
<141> こくーん ■2005年03月17日 木曜日 06時18分48秒
自分に対して、肯定の言葉はシナリオがあっても上手く出ないのに、
否定の言葉は淀みなく出てくる。
もしかすると、私にとって最大の加害者は、他ならぬ私自身だったのかもしれない。

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This script written by Shintaro Wakayama.