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私たちの物語 - 暴力・虐待・過去ログ No.6
メッセージ数:120件

<120> NAC NAC ■2005年01月04日 火曜日 03時24分58秒
人間の心は複雑だ。ましてACなら尚更厄介だ。
最近の私は暇だと「どうやって(私が暴行を受けた)KAに復讐しようか?」そんなことばかり考えている。
そして私はKAの住所がわかっているので「家に火を着けたろか?」とか「車パンクさせたろか?」「落書きしたろか?」「近所に怪文書を撒いたろか?」「玄関前にうんこしたろか?」と、KAに対する嫌がらせを考える毎日だ。

「眼には眼を。歯に歯を」
それじゃ自分もKAと同じ「最低レベル」と頭ではわかっていても、殴られたままの自分の感情が許さない・許せない。
これも「向こうの口裏合わせと圧力で不起訴になるんじゃないか?」という不安から来る自分の怒りの行き場のなさがそうさせるのだろう。
これで不起訴にでもなって、もし誰もいない所で私はKAと2人きりになったら、間違いなく私は「跡が残らないよう」KAをぶちのめすであろうし、法律と理性がなかったら私がKAを血祭りにする確立はかなり高い。
それだけ私は今回のKAらの言動に対して憤っているということだ。

心の平安というものは難しいものである。
<119> NAC NAC ■2004年12月24日 金曜日 22時56分11秒
気持ちのいい時に私はこんなのを書きたくはないがしょうがない。〈118〉のつづきだ。今回は短い(たぶん)

なんでKAから私への謝罪がないのか?はっきりした。
奴さんらは、その場にいたほぼ全員に「Kに味方したら・・・」と圧力掛けているのだ。どうりでKAが私に謝罪しないはずだ。
こんなことなら私は2週間も待たずに当日KAを訴えてしまえばよかった。「変な情けが墓穴を掘る」典型的パターンだ。
ここでどうしてそれがわかったかというと、仲裁役のWさんが「『一部始終を見ていた』Aさんの奥さんがKAの所属する某有名クラブから主人のAさんを通して圧力が掛かった」ということを知って、私に教えてくれたからだ。
私は裁判になったらAさん夫妻にも証言をお願いしようと思っていたのだが、これで一つ望みは絶たれた。たぶん他も同じだろう。
だからといって私はAさん夫妻やSさんを責めない。なぜなら私の側に立ってというか、「事実を証言する」「しない」は基本的に彼らの自由だからで、孤立無援の私としては彼らの良心に期待するしかないからだ。
私は今「被害者」の立場であるが、もし私がAさん夫妻「証言者」の立場だったら、「絶対権力者の側には立たない」とは言い切れない。やはりどうしても「損得」を考えてしまうだろう。
そして自分の中で「損得」を考えたら、これからもモトクロスで遊ぶことを考えたら、私よりも知名度・信頼度のあるKAの所属するクラブ側についた方が賢い選択と言えるだろう。
他に例えて言うなら、自分の会社と自分の知人が争っていて、自分は「自分の会社が明らかに悪い」ことを知っている。でも、もしそれを自分が公言したら、まず(遅かれ早かれ)自分は退職に追い込まれるだろう。
安定した生活・収入源と友人関係を考えた場合、たぶん私は前者を選択してしまうだろう。そしてその時自分に家族がいれば尚更前者を選ぶだろう。
世の中、悲しいかな「事実が必ず通る」とは限らないのだ。
今回の事件、現時点では「起訴できるか否か?」不透明だ。
ただはっきり言えるのは「自分としてやれるだけのことをやって、後は警察と検察に期待するしかない」ということだ。
自分の中で筋を曲げなければ、例え不本意な結果に終わったとしても「自分は間違っていなかった」と、堂々と胸を張って第3者にも喋れる。もちろん不起訴となってしまってはいくら事実とはいえ、大きなことも言い辛いが。
ほんとこういう事件になると、私の周りにいる人たちの人間性の一部がよく出る。中には争いごとを好む人間もいて、ここぞとばかりに権力者に取り付いて私を非難し、いい顔をしようとする輩もいれば、「俺は中立」と筋を通す人もいる。
まっそういった意味では今回は(まだ終わってはいないが)私にとっていい「人間観察の勉強の場」となった。
故に、私は「これからどういった人達と付き合っていったらいいのか?」がはっきりしたので、後はそれを実践するだけだ。
私も人のことをとやかく言えた義理ではないが、「腐った蜜柑の中にいると自分まで腐ってしまう」それだけは気を付けて行こう。
自分の心を診れるのは冷静かつ素直な自分だけだ。
<118> NAC NAC ■2004年12月16日 木曜日 14時02分28秒
どうやら一区切りつきそうだ。〈117〉のつづき

あれから私へのHの脅迫はない。そしてKAからの謝罪も相変わらず全然ない。
でも仲裁役のWさんから私が聞いたところによると、Hは「いつかK(私)に仕返ししてやる」とか言ってたらしい。とんだ逆恨みだ。馬鹿はこれだから困る。基本的に今回の暴行事件は私とKAの問題なのに、Hは「身内だから」「クラブから犯罪者出しちゃまずい」と横からしゃしゃり出てきて、脅迫が通じなけりゃ逆恨み。もう典型的犯罪者パターンで、短絡的思考回路だ。
私はHからの40分んにわたる脅迫を殆ど黙って聞いていたが、何度Hの矛盾点を論理的に突っ込んでやろうと思ったことか!
でもそうしてしまうと「Hの怒りに油を注ぐだけ」と私はわかっていたので、私は大人しく(時にはHの矛盾に失笑しながら)冷静に聞いていたのだ。ほんと録音して皆に聞かせてやりたかったぐらいだ。
ここで「バイクばっかり乗って人間的なところを成長させてこなかった」Hの話は中断するとして、KAの話に戻る。

それにしてもKAは凄い男だ。人を殴っておいて翌週末も平気な顔をしてバイクになっているんだから! いったいどういう神経をしているんだろう? ACの「困ったちゃん」の私でもその無神経さは疑わざるを得ない。
たぶんKAは、奥さんや子供には今回の暴行事件を話していないのだろう。
もし私がKAの身内だったらとっととKAに謝りに行かせる。じゃなきゃ離婚だ。
それは道徳的に当たり前のことだが、経済的にもKAは「今年家を新築してローンがいっぱい残っている」と前自分で言っていた。私は詳しいところはわからないが、KAが裁判に負けて「前科者」となったらローンは解除になるのか? そして「KAは前科者」ということが彼の会社の人事部に知れたら、KAは解雇、もしくは周りの目で居ずらくなって会社を辞めざるを得ないだろう。
50からの、それも前科者の再就職。このご時世にかなり厳しいのは誰が見ても明らかだ。
たった一言「あの時は俺もカッとなって殴っちゃって悪かったね」とKAが後日頭を下げれば、こちらも顔見知りだし「何が何でも裁判」というわけではなかったので、自分が医者にかかった診断料\30,000さえもらえれば、私もKAを訴えることもなかったのだが、KAは仲裁役からこちらの意図(落しどころ)を聞いているのに、2週間経っても私への謝罪の意思を全く見せない。
マジでKAは裁判で勝てるとでも思っているのだろうか? 
ちゃんと証人もいて、こちらは同級生の現職警察官や30分\5,250の法律相談にも相談しているというのに。
それと今回訴える前に私は千葉県のK警察所に足を運んで、たまたまそこに居た暴力団担当のS氏にも「1警官として、1第3者として」アドバイスを受けた。
それによると「Kさんが『傷害』で相手を訴えればこちらはいつでも受理するけど、過去の判例や客観的に見て、今回の怪我は「どこまでが転倒による怪我で、どこからが暴行による怪我なのか?」判別しにくいので、初めから『傷害』で訴えるよりは、証人もいて100%立件できる『暴行』で訴えた方が裁判官の心証もいいよ」ということで、私はS氏から非常にナイスな助言を頂いた。
私も法律には無知なのだが、ここで知らない人の為に簡単に傷害と暴行の違いを。
本当に簡単だが、傷害とは「誰が見ても明らかに傷跡が残っていて、裁判で証明するのが楽(と言ってはなんだが)」 方や暴行は「これといった傷跡は見えにくくて、証明するのに特に第3者の証言が必要な場合が多い」 以上、間違っているかもしれないが両者の違いはざっとそんなところだ。
先日もお笑い芸人の暴行事件の判決があったが、あれも加害者が初犯で反省しているということもあり、簡単な略式裁判(罰金30万円)で結審した。でもそれは刑事での処罰で、民事ではない。
たぶん私の裁判も年明け同じような結果になるだろう。
そしてKAが裁判で負けてから私に謝ったってもう遅い。こちらは仲裁役も頼んで2週間も待ってやったんだから。
立場が全然逆だっつうの。私がKAだったら「速攻で訴えを取り下げてもらえるよう」手を回して、私との面会を求めるだろう。

「1言謝らないために前科者」そういうことをKAは50年も生きてきて身に付けてこなかったのだから、ここで痛い思いをして身に付けてもらうしかない。
自分のけつは自分で拭かないとねぇ。それが社会のルール「責任」ってもんだ。
それにしてもよかったよ、KAに暴行されてもあたしゃとりあえず意識もはっきりしているし、なんとか(痺れはまだ残っているものの)五体満足だから。
これで暴行されてうち帰って自分が意識障害になって、相手も誰だか思い出せなくなってしまったらほんと泣くに泣けないよ。
「カッとなったら殴ってもOK」の無法者のKAには、断固として社会的責任とってもらわないとね。
ほんと悲しいよ。
<117> NAC NAC ■2004年12月16日 木曜日 12時56分26秒
今のところ新たな展開がないので、今日の書き込みで今回の暴行事件を一区切りとする。〈116〉のつづきだ。

それにしても(私には)頭が痛い。携帯で40分にわたるHの脅迫が、私には全くといっていいほど理解不能だ。普通そんなことするか? もちろん普通じゃないからそんなことするんだろうが。
30年間歪んで生きてきた私の感覚・常識では「スポーツであれ、会社であれ、集団に属している又は世間の注目を浴びる人は、より一層自分の言動に細心の注意を払わなければいけない」と思うのだが、そんな私の価値観からすると今回のHの脅迫は「自分で自分の価値を落とす」だけだ。私は翌日Wさんをはじめ、速攻でモトクロス仲間数名に「昨日の夜Hから脅されたんだよ」と携帯で言いふらした。
狭いモトクロス業界、いくら向こうのクラブが口裏合わせて隠そうとしても、そんな噂はあっという間に広がるだろう。そしてそれは個人の愚行からそのクラブ自体の信頼失墜に繋がる。そんな先のことは冷静になれば、良識あれば誰でも分かることだ。猿でもわかる。
でもある意味猿以下のHには、そんな「自分の言動が今後どう影響するか?」などという「ちょっと立ち止まってから考える」癖はついていないのだろう。いくら彼が「モトクロスで俺は国際A級なんだぞ」と威張ってみたところで、それじゃ世間で「馬鹿」と言われるだけだ。
それにしてもHはなぜそんな愚行を犯したのだろう?
ここで、書き忘れてしまったが、私を殴る蹴るしたKAはHの親父の弟だ。
そんな彼らの関係から私が想像するところでは、KAをはじめ向こうの関係者は今回の暴行事件を甘く見ていたのだろう。
そんな非常識なところへ、私が「暴行したことに対して謝罪しなければ訴えますよ」と常識を持ち込んだので、向こうは泡食ってよく考えもせず、それでHが仲間内でいいところ見せようと「国際A級の俺がぺいぺいのK(私)をガツンとかましてやったらKは腰引いて訴えを却下するだろう」などと浅はかな思考回路から起きたのではないか?と推測される。
「馬鹿につける薬はない」というがまさしくその通りで、これでモトクロス国際A級と言えども「技術と人格は別」ということがはっきりしたわけだ。
ほんと情けない話で、「父ちゃん涙出てくらぁ」だ。
どんなスポーツであれ、やっている者はその頂点にいる人に対して少なからず尊敬の念を抱く。それがこの有り様じゃなぁ。
ちょっと余談になるが、最近バイクメーカーYのHPに(そこの若い)「契約ライダーMが車輌窃盗で逮捕され契約解除」と出ていた。
因みに私とYとは今年の新車試乗会で4回ほどお世話になり、顔見知りになって菅生でライディングテクニックまで教えてもらったことがあり、その時の私のYに対する印象ではとても犯罪をするような人には見えなかった。
まだ現時点の情報では「M逮捕」というだけで、裁判で刑が確定したというわけではないし、「誤認」の可能性もなきにしもあらずだが、厳しいだろう。

話は戻って、仮に私がHの立場だったら(あくまでも「たら」だが)、脅迫などと馬鹿な真似はせず(当たり前だ)「Kさん、今回うちのクラブ員が殴って痛い思いさせて悪かったね。俺からも謝るよ。ほんとすみませんでした。で、あれなんだけど、(嘘でも)KAもあぁいった性格で頑固できかないから、ここは一つ俺の顔立ててもらうという形で、誠に申し訳ないんだけど、KAに謝罪させる場所と時間を俺がセッティングするから、悪いんだけど、ちょっと足延ばして来てもらえねぇだろうか?」と言うだろう。それが「上に立つ者として仲裁に入る」のが筋ではなかろうか?
私はお馬鹿でスケベだが、人間として筋の通らないのは大っ嫌いだ。そういった曲がったことに対して私は基本的に退かない。例え相手がA級であれ、その脅しによって自分が除け者にされようともだ。自分の信念(もちろん周りからの意見を参照した上で)を曲げたら自分が自分でなくなってしまう。それだけは絶対嫌だ。

つづく
<116> NAC NAC ■2004年12月14日 火曜日 12時50分18秒
〈114)のつづき

暴行された翌朝、私は起き上がろうとしたのだが鞭打ちで上半身も起こせず、寝返りも打てない。
既に親は畑仕事へ行って家には誰もおらず、自分の携帯電話も車の中。結果、私は無断欠勤となって翌日社員に怒られてしまった。当然だ。因みにその時の私の言い訳は「シフト表間違えてしまいました」といい、暴行云々の話はしなかった。
1日中ベッドで寝ている私。そんな私が考えることはと言えば「昨日の暴行事件」のことばかりで、いくら考えてみても「ぶつけたのは私が悪い。けどそれに激怒して相手が殴ってしまったら、そりゃ別問題でしょ?」それを私は延々と繰り返し考えていた。
そして翌日仕事から帰ってきた夜、私はいつもモトクロスでお世話になっているWさんのところへ今回の件のことで電話相談し、Wさんから「電話じゃ長くなるから明日うち来なよ」と言われたので、お言葉に甘えて、翌日夜私はWさん宅にお邪魔した。
その一部始終を書くと長くなるのでここでは端折るが、今回の暴行事件に対して第3者であるWさんの意見は私と同様、「ぶつけたのはK(私)さんが悪い。だけどこれはモトクロスやっていれば誰だってぶつけたりぶつけられたりはある。Kさんが故意にやったってんだったら話は別だけど、あれは狙ってできるもんじゃない。結果起こってしまった事故だ。それに対してKAさんがKさんに1発2発ならまだしも(本当はそれもだめなのだが)、怪我して無抵抗の人間を10発も殴る蹴るしちゃもうKAさんは訴えられても言い訳できないよ。誰が見たってそうじゃん。じゃなくちゃ皆レースなんてやんないよ」って意見だった。よかった、Wさんも良識ある人で。もちろん私も「Wさんなら良識ある」とわかっていて相談したのだが。
そしてその3時間以上に及ぶ(雑談も含む)相談の結果、私が出した結論は「『KAさんから私に暴行したことへの謝罪がないようならこちらは訴える可能性もありますよ』ということを遠まわしに、WさんからKAさんが所属する某有名クラブに伝えてもらう」ということだ。
そして、その時点で私が下した決断をWさんにお願いすると、Wさんは引き受けてくれ「明日にでも向こうのクラブへ行って『KAさんが今回の暴行事件に対してどういう腹積もりなのか?』探ってくるよ」と言ってくれた。
私は仲裁役を務めてくれるWさんに礼を言い、深夜Wさん宅を後にした。

そして翌日夜、私は「どうでしたか?」とWさんに尋ねると、これまたびっくり! なんと向こうは今回の暴行事件を「Kの証言に味方したらもうコースじゃ遊ばせねぇぞ」と皆に圧力掛けて有耶無耶にしようというのだ。
馬鹿もここまでくると何も言えない。人間追い詰められた時に本性が出るのだ。「それが有名クラブのすることか? あんたら協会の役員もやっているんだろ? いくら口裏合わせたって狭いモトクロス業界、噂はあっという間に広がり、結局は自分たちの首絞めるってのがわからんのかねぇ?」
予想外の(私からすれば)常識外れの対応に私は「『俺はこんな奴ら(ぶつけられたら殴ってもOK)と一緒に遊んでいたのか』と思うと、なんか情けなくなるよ」と、内心人間不信にさせられた。ショックである。
人間生きてりゃ誰しも間違いはある。それが故意にせよ、自分の力じゃどうしようもなかったにせよ。問題はそこで、または気付いた・気付かされた時点で素直に自分の過ちを認め、相手に謝罪できるかどうかだ。
やってしまったことはしょうがない。過去は取り返せないのだから。後は自分でできることをやって、その後は相手なり社会的判断・制裁に任せるしかない。
私はそのKAさんが所属するクラブの対応に頭にきて「すぐ訴えたろか」思ったが、「他の人の意見(モトクロス関係者外も含む)も聞いてみよう。診断書さえ取れば訴えるのはいつでもできるから」と、後日Wさん以外に、私と仲のいい遊び仲間・自助グループ内の信頼できる人・同級生の現職警官など10名以上に「あくまで私の一方的状況説明なんだけど」と前置きした上で私は当時の状況を説明し、それについて私の取った言動に対して第3者的参考意見を皆にお伺いした。
お蔭様で私が親しくお付き合いさせてもらっている人は皆良識ある人ばかりで、すべからく上記のWさんと同じ意見だった。当たり前だ。
しかし、その当たり前が通用しない人から先週の夜、私に対して携帯で脅しがあった。
その人とは、KAさんが所属する某有名クラブの国際A級(バリバリの現役ではなく、今は第一線からは退いてお遊びとしてやっている。年はわたしより5歳くらい下)のHさんだ。
携帯の呼び出し音で画面を見ると、見たことのない電話番号が表示されていて、私は「いったい誰だろう?」と思いつつ出てみると、相手はいきなり「Kか? Kか? レタス(私の仇名)か?」と言うので、私は「誰だ? 人を呼び捨てにするなんて。失礼な奴だなぁ。でもどっかで聞いたことある声だなぁ」と思いつつ「失礼ですけどHさん?」と聞いたら、H「そうだよ。おめぇ今どこにいるんだ?」 私「どこって実家ですけど」 H「実家どこなんだよ?」 私「I市ですけど」 H「じゃ待ってろよ、今ぶっ殺しにいってやっから」ときた。私は「はぁ?」って感じで、
続けてH「おめぇよぉ自分がしたこと(KAの謝罪がなければ訴えようとしていること)正しいとでも思ってんのか? あぁ、正しいと思ってんのかよ?」といきなり喧嘩調子だ(因みに私とHは今まで揉めたことはない)。
私は「なんだ、いきなり」と思いつつ「もしかしてKAさんとのことですか?」と聞いたら、Hは「そうだよ。おめぇよぉふざけてんじゃねぇよ。おめぇよ自分がしたこと正しいとでも思ってんのかよ」としつこく聞くので、
私は「私は馬鹿ですから自分がしたことが正しいかどうかはわかりません。それは第3者が判断して決めることですから」と言ったら、
Hは「おぉしわかった。第3者が判断すれば納得するんだな」と言うので、「まぁ」
H「じゃこっちもよぉ裁判やってやるよ。おめぇの不評集めて『精神的苦痛受けました』って裁判やってやるよ」と馬鹿なことを言う。そんなHは「完全に鶏冠にきてまともな判断がつかない」といった状態で、私はまたもや「はぁ?」だ。


おっと今日は13:00から私はカウンセリングなので、中途半端であるが続きは次回にさせてもらう。
簡単に次回の予告というか結果「暴行事件当日から2週間待ってもKAから謝罪の意思が見られなかったので、私は『暴行事件』ということで千葉の某警察署の刑事課に訴えました」
そして私の側の事情聴取&現場検証はもちろん済みで、裁判は年明けになります。
人間自分のしたことに対してはきちんと責任取らなくちゃね。自戒自戒。
<115> ロヴィン ■2004年12月12日 日曜日 17時31分02秒
僕は人に暴力を振るったことがほとんどない。でも想像の中でやったやつはある
<114> NAC NAC ■2004年12月05日 日曜日 04時29分32秒
〈113〉を書き上げるだけでも(タイピングスピードの遅い私は)2時間ちょっと掛かってしまった。本当はこの辺で小休止したいところなのだが、今日のストレス溜まりまくりの私はまだまだ1/3も書き込んでいないので(たぶん今日は2部までだろう)先を急ぐ。

普段私を快く思っていない一部の人は私に対して非難轟々だ。それはそれで図らずとも自分がKAさんにぶつけてしまったのだから仕方がない。私はただ黙って謝るのみだ。
そうして「結果的にぶつけてしまった」KAさんに謝罪した上で私は2ヒート目に出た(ちょっと左手親指が痺れていたが・・・・・)。
再度皆がスタートしてから出る私。そしてまたもや1ヒート目と同じような展開になり、ラスト2周で、4位を走るKAさんを5位のY君が抜いた時に私も一緒に「後々面倒だから強引にここでKAさんを抜いたろか?」思ったが、「でも万が一接触したら洒落になんねぇから、今度は確実に安全な場所で抜かなくちゃ!」と私はより慎重になる。
そうこうしている間に逃げようとする4位のY君。私は5位のKAさんに梃子摺っている場合ではないのだが、敵も然る者で中々ラインを空けてくれない。やっと私がラストラップの大ジャンプの飛び出しでインからKAさんを抜いた時には既にY君は見えなくなっていて、私は「5位を守りきる」ブロック走行に切り替えた。
しかし、「このまま俺がKAさんを抑えてチェッカーを受けたら、1ヒート目『俺にぶつけられた』KAさんとしては、ぶつけられた上にラストラップで俺にかわされたんじゃ面白くなくなって、より俺への怨みつらみが増すんじゃねぇか? それも長い目で見たらあんまりいいことじゃねぇし、ここはKAさんをもう1回前に出すか?」 と私はわざとS字でミスをしてKAさんを前に出させ、尚且つその後もチェッカーまで私はKAさんに後ろからプレッシャーを掛け続け(抜くつもりは更々ない)、2ヒート目のチェッカーを私より前で受けさせてあげた。
最後私をブロックできて、KAさんはさぞ満足したことだろう。
う〜ん何て大人な対応なんだ俺は。これも「最後尾スタートなのにKAさんに追いつき、抜こうと思えば(多少強引だが)私はいつでも抜けた」余裕からである。
草レースで無理して抜いてトラブル起こすよりは、こうして「抜こうと思えばいつでも抜けるんだよ」で、心理的に自分で納得した方が賢い選択ってものだ。
こうして無事2ヒート目を終え、その後表彰式も終えた私は改めてKAさんに謝罪し、尚且つKAさんが片付け終わって帰る時も私は「今日はすみませんでした」と謝った。
それに対しKAさんは「KI君(私)も頑張ってね」と、KAさん特有の嫌味な言い回しを私に言い放ったが、(内心その言い方に対して「何でここまで卑屈にならなあかんのやろ?」と私はカチンときたが「我慢我慢」と自分に言い聞かせ)私はぺこり頭を下げた。
そして結局この日最後(昼前解散)まで、KAさんから「謝罪する間も与えず無抵抗の私を一方的に殴る蹴るした」ことへの謝罪の言葉は一切なかった。
そんな彼の中では「ぶつけた方は殴られて当然」という価値観なのだろう。
「それがレースを20年以上している奴のすることか? 仮にも(KAさんは)レースでマーシャル(先導車)しているのによぉ。誰だってぶつけられりゃ怒るのはわかるよ。俺だって怒る。だけどだからといって殴っちゃ拙いでしょってんだよ。仮に一時の感情で殴ってしまったとしても、後で『あん時は俺もカッとなっちゃって、殴って悪かったね』って言われりゃ、殴られたこっちだって『いやぁ悪いのは私ですから』って言えるだろうよ。『落とし所を探す』それが大人ってもんだろ? 世間一般だって『車乗っててオカマ掘られました。だから頭にきて相手を殴りました』じゃ通用しないっちゅうの。それは『明らかに傷害罪となる』って良識ある人はわかっているから、例え頭に来たって皆殴らねぇんだから。そんなことはガキだってわかるんだっちゅうんだよ」
そんなモヤモヤを抱えつつも、考えても私は苛々するだけなので、実力を出し切れず体力が余り気味の私はその後も30分残って、得意のS字を仲のいい人にお願いして診てもらいながら練習して「できるだけいい気分で」コースを後にしたのだが、しかしこの時点での私には、翌日以降から始まる悲劇を想像だに出来なかったのだ。

悲劇は重なるものである。

つづく 
<113> NAC NAC ■2004年12月05日 日曜日 03時07分48秒
参った。今私の頭の中は非常に混乱している。書き込むことでできるだけ整理したい。また書く前から長くなるのは目に見えているので、3部構成になると思う。

本当は先週お邪魔したときに私は書き込みたかったのだが、昼間の草レースの疲れで私は眠くなって思考能力が落ち、結果今日に延びてしまった。
そしてこれから私が話すのはその草レースで起こった暴力事件であり、結果から言うと私が被害者で、レース暦20年以上のKAさんが被疑者だ。
では顛末を話す。
先週末、仲間内だけの草レース(10分+1周の2ヒート)があって、今日お見合いを控え怪我をしたくない私は皆がスタートしてから出た。
いくら本気半分・遊び半分とはいえ、気を抜いていたら怪我するし、無理をしない程度で私は最後尾から追い上げ、「ラスト1周」の表示が出された時にはペースの落ちてきた4位のKAさんと5位のY君に私は完全に追いついて、しかし中々彼らの前に出れず、「これじゃ4位のKAさんには届かなくても絶対Y君だけは抜いてやるんだ、最後まで諦めるな」と自分に言い聞かせ、最終コーナーで私はY君のインを突き、その勢いのまま私はゴールライン直前でY君をかわすことができた。
それまでは良かった。問題はそこからだ。
ゴール前「もうラストだから」とアクセルを緩めがちのKAさん・Y君に対して、6位走行の私は「1つでも前へ」と最後までアクセルを緩めない。
それは「いくら草レースといえどお互い競っているわけだし、レースはチェッカー潜るまでは何が起きるかわからないから、最後まで諦めるな」が私の信条だからで、これは勝負事なら当たり前のことだ。
そんなアクセルを緩めない私と、「もう抜いてこないだろう」と高をくくっているKAさん。スピードの差は歴然だ。
そんな2人の意識の違いがゴール後の接触事故に結びつく。
私はY君を抜いた勢いのままジャンプでチェッカーをくぐったのだが、その着地点に(私からすれば)「気を緩めた」KAさんがいて、なんと私はそのKAさんにバイクもろとも上から乗っかってしまったのである。もちろん2人とも大転倒だ。
その時(Y君を抜く時)の私の意識というか感覚(思い込み)では、「KAさんも後ろにライダーがいるってのはわかっているんだから『抜かれまい』と最後までアクセル開けて、故に私がこの勢いで行ってしまってもKAさんには絡まず大丈夫だろう」という「だろう」判断で私はジャンプした。
その私の読みは見事に外れ、結果私はKAさんにぶつけてしまった次第である。
それについては私に弁解の余地はなく、誰が見ても「KAさんにぶつけた」私が悪い。それは私自身も十分認めているし、後で私はKAさんに謝罪した。
ここでレースを知らない人に断っておくが、基本的にレース車両というものは公道を走るような保安部品は一切付いていない。故に保険などない。
だから(傍から観て「明らかに故意」とわかるような接触事故以外)「ぶつけた」「ぶつけられた」はお互い自己責任で、ぶつけられた方がぶつけた相手に感情的に口で怒るのは勝手だし、また人間である以上そうした感情が自然と湧き上るのも仕方がないことだが、暴力はいけない。そして相手に損害賠償を求めることはできない。皆そうしたリスクをわかってやっているのだ(もちろん私も)。
だから(故意にせよ無きにせよ)「ぶつけられた」からといって相手を殴る人はまずいない。
それは「レースはスポーツ」という大前提の下で皆やっているからで、一々「接触しました」という理由で喧嘩していたら、それこそスポーツとして成り立たない。
もし万が一自分の怒りに囚われて相手に暴力を働いた場合、それはどんな人であれ、サッカーやアイスホッケーのようにペナルティー(罰則)をくらう。
それは罰金であったり退場であったり、スポーツを観た人・経験した人なら誰でも知っている・わかっている当たり前のことだ。
その当たり前のことが「怒りで我を忘れた」KAさんには通じなかった。
2人もろとも転倒して、その動きが止まったとき私は尻餅状態で動けなかった。
そこへ私より先に起き上がったKAさんが(私に謝罪する間を与えず)物凄い形相で「何考えてんだこの野郎! レースなんか止めちまえよ」と言いながら(無理しないと)起き上がれない私に殴り掛かって来た。
私がはっきりと覚えているだけでも私はヘルメット越しにKAさんから頭部を3発以上殴られ、首筋から左半身に掛けて蹴りを4,5発は(最低でも)もらった。
その間の私の心境は「おいおい、怒る気持ちはわかるけど殴っちゃ拙いだろ? そっちがそう出るんだったら俺も逆ギレして起き上がって殴り返したろか?
 でもそれじゃ本当に(柔道経験者でもある)俺が悪者になっちまうし、第一俺がそんなことしたらもう2度と皆と遊べなくなってしまう。それは嫌だ。今は転倒した痛みが大きくてKAさんに殴る蹴るされても自分はそれほど痛く感じないし、致命傷にもなっていないのだからここは我慢して相手の気が済むまで殴らせておくか?」という感じで、そのまま私はKAさんのサンドバックと化していた。
やっとKAさんの暴力が止み、ゴール地点から一部始終を観ていたSさんが私のところに寄ってきて、「大丈夫ですか?」と私のヘルメットの顎紐を緩めヘルメットを脱がせてくれた。
それに対して「あぁ大丈夫です。すみません。ありがとうございます」と私は言いつつ、内心「何でこんな目にあわなきゃいけねぇんだ? 確かにぶつけたのは俺が悪いけど、だからって無抵抗の人間に謝罪する間も与えず一方的に暴力振るっていいのか? そりゃ違うだろ? だけどぶつけたのは俺の方だしなぁ。やっぱ我慢するしかねぇのか? でもそれも可笑しな話だよなぁ・・・」そんな問答を繰り返し私は釈然としなかったのだが、「それでもやっぱここは我慢して謝るしかねぇよなぁ、ぶつけたのは俺なんだしよぉ」そう思って私はなんとか痛い体に鞭打って起き上がり、接触して脱げてしまった自分の右のブーツを履いてKAさんに謝りに行った「ぶつけてしまってどうもすみませんでした」と。
私の謝り方が悪かったのか?KAさんの感情がまだ収まっていないのか? その私の謝罪に対してKAさんの反応はなかった。
無理もあるまい。彼としてはぶつけられたのだから、怒って当然だ。逆に私が彼の立場でも怒るだろう。
だけど私は(「明らかに誰が見ても故意」とわからぬ限り)ぶつけた相手に対して暴力を振るうような愚かな真似はしないだろう。
それは私の中で既に述べたように「どんな理由があれ、相手を殴ったり蹴ったりしたら、それは即『傷害罪』で訴えられるよ」という当たり前のことが、そこそこ身に沁みているから私はKAさんに殴られっ放しで我慢できたのだ。
これが自分が逆ギレして相手を殴り返したり、逆にKAさんにぶつけられて自分の怒りの感情のまま彼を殴ってしまったとしたら、KAさんの性格・資質からいって彼が私を「傷害罪」で訴えるのは容易に想像できるし、仮にそうなってから私がいくら反論したって所詮「後の祭り」で、世間一般からは「あんた馬鹿だね」と言われるのが落ちである。
だから私は暴力は振るわないのだ。そして「虎になりそうな」自分を戒めるのだ。

つづく
<112> 柊 ■2004年12月01日 水曜日 11時07分01秒
フラバ注意!!
義妹の子供が小学校に入学したばかりの頃の様子を話してくれた「この子は帰り道は友達と寄り道しながら帰ってきてたから、まっすぐ帰ってこなくっていつも時間がかかってたのよね」その話を聞いて、私の顔が強張ったのを義妹には気づかれてないと思う(多分)。あの時のことを思い出してしまった…忘れてたのに…
そして、私が子供を生み上の子が2歳を過ぎた頃大人の足で5分でいけるスーパーへ二人で歩いていった。息子は寄り道しながら色んな落ちてるものを興味津々で拾って遊びながら行くから5分でいけるはずが片道30分かかった。行きはよかった。帰りになるとだんだん私はイライラしてきた。誰が待ってるわけでもないし、別に早く帰らなければいけない理由もないのに私の心の声が「早く帰りなさい」と急かしてる。だけど、一向に帰る気配のない息子にだんだん私はイライラしてきた。
その日以来、息子と買い物に行くときは3歳までベビーカーに乗せるようになってしまった。息子は自分で歩けるのに。。。
私が駄目だった。どうしても、あの日のことを思い出すから。
私が小学校1年のときに、子供会の行事に母と二人で参加した。帰り道、私は寄り道しながらのらりくらりと帰っていった。すっかり帰りが遅くなって家に帰ると家の中はすごいことになってた。
たんすの中の母の洋服が全部引き出されて床に落ちていて、母の服1着がビリビリにやぶかれていた…全部、父がやったことだった。
帰りが遅い母にいらついて、やったらしい。
後から母に「あんたがさっさと帰らないから、お母さんの服はお父さんにやぶかれたんよ」って悲しそうに言われた。
私のせいなんだ。私が悪いんだ。。。
<111> レイン ■2004年11月27日 土曜日 11時28分33秒
暴力は小5くらいまでだと思う。小6で、手首を切ってから母は、私をひざに乗せてぼろぼろ涙をこぼした。母の涙は、生暖かくて「気持ち悪かった」そのあと、離婚するつもりだったらしい。私がそのことでまた、父の前でおいおい泣いた。「これから先、ずっと、お茶碗洗いも洗濯も掃除もみんな私がしなくちゃならない」と言って・・・そのあとなぜか、離婚はやめたみたいだった。母は荷物をもって家を出ていたのに。今、思うとわたしが泣いたのが悪かったのかもしれない。それ以後、母の虐待は、「精神的」なものに移行していった。それは、もっともわかりづらく、そのくせ、真綿で首を絞められるような苦しい年月だった。

今でも、私は、私を生きていない。私は母とだぶった人生を歩いてしまう。どうしたら、これを「はがせる」のだろう・・・・?私の人生にかぶっている母を・・・。
<110> ミルキー ■2004年11月25日 木曜日 11時09分17秒
こんなにべらべらごめんなさい。
読んでる方へ 全部フラバ注意です。
最近思い出がいっぱいでてくる。
どう対処していいかわかりません。
暴れたくなるのを必死にこらえて、ここで吐き出させてもらってます。
ごめんなさい。
<109> ミルキー ■2004年11月25日 木曜日 11時05分23秒
小学校1年生、初めて通知表をもらって帰ったときの話。
私は次の日からお休みなのが嬉しかった。
その頃、勉強しろなんて一言も言われたこと無かったし、第一母は朝起きないから私も学校行かないでそのまま寝てたりしていた。
通知表は3段階だった。
3までしかなかった。
母に通知表を見せると、なんで4も5もないんだ!と怒り出した。
私は母に5段階じゃなくて3段階だと説明した。
母はそんな嘘つくな!と殴りだした。
私は泣きながら お願いだから先生に電話して聞いてみてと頼んだ。
母は電話も何もしないで私を殴り続けた。
通知表は3段階だったのに。。。
ちなみに本当に成績が悪かったとしても、母は私に怒る権利なんてなかった。
私が学校に行こうが行くまいが母の知ったことじゃなかった。
<108> ミルキー ■2004年11月25日 木曜日 10時51分37秒
いつだったか母が作った夕飯においしくないと言ってしまったことがあった。
母は怒り出した。
まだ7,8歳の私に「親の作ったもんを食えなくなったら、自立するときだ!」と言いながら殴った。
泣いている私に母は、「これもこれも全部ママが買ったんだからお前のじゃない!お前のもんなんて一つも無い!」と言いながら私を裸にして家の外にだした。
私は本当に裸だった。
隣に住んでたおじさんが心配して泣いてる私を見に来た。
私はパンツすらはいていなかったので、恥ずかしくて泣きながら隅っこに座っていた。
母は隣のおじさんに「放っておいていいんですよ」って言った。
悲しかった。
<107> ミルキー ■2004年11月23日 火曜日 07時04分31秒
そのお金は 母が前の日に弟の父親が持ってきたお金を酔っ払って燃やしてしまったうちの一部だった。
<106> ミルキー ■2004年11月23日 火曜日 07時02分57秒
小学校から帰ってきた私は近くにある公園に行くのが日課だった。
いつか学校から帰ってきた私に母は今日劇観にいく?と聞いてきた。
私は公園に行きたかったので、行かないと言って公園に出かけていった。

帰ってくると母は私を捕まえて 怒鳴りだした。
13万円を床にたたきつけて お前はこれだけのお金をゴミ箱にやったんだ!と言い始めて私を殴りだした。
私にとってその頃お金と言えば 100円もらって駄菓子やで10円のお菓子を買うくらいだった。だから万単位のお金はすごいものだと思った。
私は全部私が悪いと思った。だって私が行かないって言ったから。

でも今は知ってる。私は悪くなかったし、なんの劇だか知らないけど13万もしないと思うし、そのお金は
<105> ミルキー ■2004年11月22日 月曜日 11時37分33秒
ある日母は 友人を家に呼んでパーティしていた。
私は遅くなったので一人で寝てしまった。
パーティにお酒はつきもの。
私はあまりにも重いので目を覚ました。
母が私の上に乗っかっていた。
母は酔っ払っておかしくなってた。
殴りだした。いつもの様に。
母の友人はそそくさと帰りだした。
最後の一人が出るときこっちを見て、「頑張ってね」って言った。そしてそのまま帰った。

頑張ってねだって。なんで助けてくれなかったの??

母は殴り続けて気がすむと、泣きながら私に新しいブラウスを着せながら「ママはこれを着てもらいたかっただけなの。」と言った。
子供にブラウスを着せるのに 殴る必要があるのだろうか。。。

私は次の日いつものように 「ママ酔っ払ってて何も覚えてない」って聞かされた。
<104> ミルキー ■2004年11月22日 月曜日 11時25分03秒
七五三のとき赤い着物を着せてもらった。
お参りにも連れて行ってもらった。楽しかった。写真とって、外食して 友達も呼んで。。。
全部終わって 着物を脱いだら腹痛が始まった。
母に「お腹痛い。帯がきつかったせいかな?」って言った。
母は、あんなに楽しかったのにそんなこと言うのか!といいながら飛び掛ってきた。母は痛いといった私のお腹の上に座って、殴り続けた。
見えていたのは 牛乳がかかった赤い着物。
覚えているのは 泣いているせいで息が出来なくて窒息しそうだったこと。
痛みとかは覚えてない。記憶に無い。
<103> ミルキー ■2004年11月22日 月曜日 11時15分06秒
あの人は私を殴った次の日 「ママ酔っ払ってて何も覚えてない」っていうのが口癖だった。
じゃぁなんであんなに傷だらけだったんですか?
<102> ミルキー ■2004年11月22日 月曜日 06時06分41秒
私には 虐待されていたことは確実に起きたことと解っているのに、その現場の記憶が乏しい。その前後ははっきり思い出せるのに。
殴られ中の記憶と言えば、白い壁。かかっている七五三の赤い着物に牛乳飛び散る。天井。近くにあった椅子。などなど。
10歳より先はよく思い出せる。
母の表情も、発言も。
ぜ〜んぶ 私の責任じゃない。
あの人 私のこと道具と思ってたんだ。
よく生きてきた。
自分を誉めてあげよう。
<101> サキ ■2004年11月14日 日曜日 14時35分06秒
そう言えば、母は暴力にはまっている時期があった。
さぁ、はじめるわよ!って調子だった。その顔はイキイキしていた。
物で私を叩くのが楽しそうだった。
私が苦しむ顔を見ることが楽しくて仕方なさそうだった。
そして、夜、父が私の傷を見つけるのを母は待っていた。
「あなたが私を見てくれないから。ストレスでこの子にこんな事をしてしまう」
のだと言う。
愛情を得る為に私を叩くのだった。

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This script written by Shintaro Wakayama.