Top過去ログ一覧
私たちの物語 - 暴力・虐待・過去ログ No.5
メッセージ数:100件

<100> まる ■2004年10月14日 木曜日 00時39分25秒
 怖い。怖かった。いや、まだ怖い。
怒りで荒くなった、夫の足音。
 私の猫!何かされる?

 降りていった。
 荒々しい。引き戸を叩きつけるように閉める。

きっかけは、猫のささやかないたずら。
 「叱るつもりで追っかけてた」
 「どうして、ささいな事で、カッカして身体表現するの?」
 「悪い癖だと思ってるよ!」
 「あなたがしたこと、すぐよみがえってきて、怖いんだよ?」
 「されたと思ってるだけじゃないのか?!」

自分の暴力、覚えていない、彼。
 殺される、そんな、気がしていた。

 今私を守るのは、離婚の意志。
今何かすれば、法的手段に出ると、彼が知ったから。本気で怒った私の、やり口の汚さを、知ったから。

 家族を殴るのは、当たり前だと思っていたんだって。
 家族だから。

少し落ち着きました。
<99> 黒ネコ ■2004年10月07日 木曜日 03時14分20秒
今、DVについての論文を書いている。
本を読んでて一番気になるところは、「DVがこどもに及ぼす影響」という項目だ。
なぜかそこにひきつけられる。
そして読んでいたら、なぜかこのサイトに来たくなった。
思いを吐き出したくなった。

不思議だ。
私はDVについて何にも思っていない。
ただ過去に自分の身近でそういう行為があったということ。
ただそれだけのことだと思っていた。

それなのに子どもに及ぼす影響に目が行ってしまう。
そこをじっくり読んでしまう。
どうしてなのだろうか。

特に気にしていないと思っていたのに、実は気にしているのだろうか。
冷静に受け止めているつもりだったのに、実は傷ついていたのだろうか。
わからない。
自分のことなのに、わからない・・。
<98> NAC NAC ■2004年09月19日 日曜日 20時48分59秒
同居人の虐待を知っていて、何でまた同居生活に戻るんだ? それっておかしくない?
被害者の親というだけで周りからは面と向かって非難はされないが、まともな親なら自分の子どもを虐待するような同居人とは2度と住まないだろう。
いくら親が泣いてみせたところで死んだ子どもは帰ってこないし、その前に「自分が何でそんな愚かな行為を繰り返したのか? 見過ごしたのか?」向き合って反省するほうが先だろう。
深い反省もなしにTVの前で泣いてみせたところでとんだ茶番劇だ。
子どもは親のものじゃないんだよ。
ほんと自覚のない親で、批判されて当然なのにねぇ。
なんかおかしいよなぁ。
<97> モハメッド ■2004年09月16日 木曜日 05時36分45秒
「社会的暴力・虐待」

 神戸のサッカークラブにトルコのイルハンがきたときはフォワードとしてチームの戦力になれるのか私は一抹の危惧を抱いていた。
 ドイツ生まれのトルコ人であるイルハンは主にドイツ語で話すそうだ。2年前のワールドカップで活躍し一躍有名になったが、年齢は確か27歳ぐらいだったと思う。ドイツのクラブでレギュラーが取れず自分勝手な行動をすることが多く干されていたようだ。それで祖国のトルコに活躍の場を求めてトルコに移住したようだが、やはり最初はなじめなかったようだ。
 彼はアジア人のように恥ずかしがる一面も持ち合わせているそうだ、ムスリム(イスラム教徒)でもあるので、ドイツで差別された体験があるそうだが、それが彼のチームに溶け込めずに勝手な行動に走る原因ではないだろうか?と考えている。
 彼は結局ひざの故障が原因で日本に戻ってこず、案の定ごたごたを起こして日本をさった。彼がドイツで民族差別による、暴力や虐待を直接受けたことは無いようだが、サッカー選手としての能力はドイツで認められなかった。
 彼のわがままで自分勝手な行動は彼の資質だけではないと思います。彼の社会的家庭的事情でそのような行動をとらざるを得なかったのだと思います。
 
 実は私も少年時代にサッカーをやっていたのですが、体の疲労が取れないようになってさぼったりしていたことがありますが、チーム内での信用を失い。切れた凧のように浮遊した時期を送らざるをえませんでした。
 高校ではそのような体験からサッカーとは違う球技に挑戦しましたが、やはり疲労が取れず練習についていけなくなりましたが、怠けているということでひどい集団リンチにあい、ハンバーグにされてしまいました。
 今、考えてみれば鬱のひどい状態だったのですが病気だとは気づきもしませんでした。
 現在、私は元気になりやっと自分の人生を生きることを考えることができるようになりましたが、自分勝手な奴に迷惑をかけられると殴りたいと切実に思いますね。
 私は冷静に自分を振り返っていますから、子供や弱者を殴りたいとか考えもしませんが、殴りたいと思うのは主婦や一部の老人に多いですね。パチンコ店でのマナーが悪すぎて迷惑なこのうえない体験が多くあります。

 イルハンの当時のインタビュー記事を読むと彼は祖国トルコにすむことよりも、ドイツで服飾のデザイナーで成功したいというようなことを言っておりました。
<96> NAC NAC ■2004年09月16日 木曜日 01時50分01秒
「親から命を軽んじて育てられた子どもは大人になっても人の命を軽んじる」
これはあるラジオ番組でゲストの弁護士が言った言葉だが、今回の死刑執行で「まさしくその通りだな」と私は思った。
差し詰めウチはそこまで酷くないが、引用するなら「親から情を軽んじて育てられた」ってところか。
だから私も人の気持ちに疎い、疎かったのだろう。
何せ自分の感情にも疎かったのだから。
十分納得である。
それにしても自分の息子が人殺ししておいて、その親が酒飲みながらインタビューに答えるってのもあたしゃどうかと思うけどねぇ。
まず親がしっかりしなくちゃねぇ。子どもは親を見て育つしかないんだから。
当たり前のことなんだけどなぁ。
<95> 柊 ■2004年09月13日 月曜日 13時57分18秒
フラバ注意です。(身体的虐待)

6歳ぐらいのころ、私はよく夢にうなされて「お母さん、お母さん」と言って泣いてました。私は寝言を覚えてないけど、朝起きると母が「あんた、お母さんに怒られる夢見てたんちがう?」ってバカにしてよく笑ってました。
どんな夢見てたかすぐにわかってたけど母には言いませんでした。小さいころからずっと、「母はいつか、いなくなってしまうかもしれない」って心配がいつも付きまとっていました。なぜなら、すぐに暴力をふるう父に愛想をつかせていつか出ていくんじゃないか?って思ってたから。だからよく母が知らない男性と家を出ていく夢をよく見ていました。
小学校に入ると、今度は父が暴力を振るったときに警察や祖母に電話するかしないかで悩みました。母が顔から血を流してたときも警察に電話しようか、でも電話をすれば更に父の暴力がエスカレートするんじゃないかな?警察は夫婦の問題だからと言って相手にしてくれないだろう。おばあちゃんは「お父さんが暴力を振るったらすぐに電話しなさい」と言ったけど、おばあちゃんに電話したら、私が告げ口した怒りを母にぶつけてまた暴力がとまらなくなるんじゃないか?もしかしたら、母は殺されるのかも。って小学校1〜2年の私はずっとそんな心配をしていました。
親はいつも言ってました「子供を生めば親の気持ちがあんたもわかる」。子供を生みましたが、「そんな小さい子供にそんな心配させる親は最低だ」ってことがわかりました。
<94> 二重ソウェイル ■2004年09月07日 火曜日 00時07分22秒
今日、部屋を壊しました。
道路を汚しました。公共物を破壊しました。
人の植木を壊しました。
自殺したいです。
助けてください。助けてください。
人を殺すかもしれません。
助けてください。
<93> ひかり ■2004年09月05日 日曜日 15時15分08秒
“酒乱”※フラバ注意・とくに父からの暴力


今日の午前2時頃のこと
1階の方から人をどなるこえが聞こえた
すごい罵声だった。。。その他にも大勢の人がいたらしく
ざわついている声が聞こえる
その中で罵声が続く
そのうちにドスっと鈍い音がした
続くようにバシンと叩きつける音だ
嫌でも分かる自分の耳元で聞いてきた音だ
人を殴り蹴る音
周りの人間がとめているような気配は感じられない
私の部屋からは大勢の人が取り囲み
その輪の中に二人の男の人がいる、それは紛れもなく
殴っている人と殴られている人
そしてその人らの影だけが見える
人を叩きつけ殴り蹴り罵声を上げて声だけが
長く長く続いた
輪になっている人たちは誰もその常態を止めようとはしていない
そんな状態がどれほど続いただろうか
私は警察を呼んだ
“下で喧嘩をしています、男の人が殴られているみたいなんですけれど”
“分かりました、警察が向かいます”
その会話中もあの音が続いてる
結局警察は随分な時間がたってからやってきた
そのころには音も声も止み
たまに聞こえる罵声だけになっていた

私はその間怖くて怖くて仕方が無かった
たまらない恐怖心だった
身体は痙攣とも思えるほどに振るえ
息は上がり今にも過呼吸を起こしそうになぅていた
そう、私は私の恐怖心から逃げたくて警察を呼んだのだ
怖かった、本当に怖かった
父親が酒を飲み暴れていたのを思い出す
いつからか母親をかばう私たちにも暴力は向けられた
体中をアザだらけにして逃げ出したこともあった
母が包丁で足に怪我をして病院に行ったこともあった
そんな過去を私は思い出しパニックを起こしていた
父親から逃げられない恐怖
目は血走り、息遣いは荒々しく、奥歯をギシギシと鳴らし
こぶしを固めて私たちに向かってくる
どんなことをしても逃れなれない永遠とも思える長い時間‥
そこには地獄があった。。。

私はこの恐怖心を乗り越えられるのだろうか
少し落ちている心を持ち上げなくては
                   ひかり
<92> 二重ソウェイル ■2004年08月25日 水曜日 12時35分02秒
多分、何も起こらないので気にしないでください。
<91> 二重ソウェイル ■2004年08月25日 水曜日 12時33分45秒
これから人を殺します。
さようなら。
<90> モハメッド ■2004年08月11日 水曜日 02時16分11秒
「私の暴力物語」

 隣のおっさんがホモ化現象をきたして、イライラがつのるばかり。
けり倒し、殴り倒したい怒りを抑制している。
<89> NAC NAC ■2004年07月08日 木曜日 21時54分26秒
今日のニュース「40代の女性教師が『言うことを聞かない』男子児童の首を絞めて押し倒した(この問題教師には前科あり)」を聞いて一言。
「暴力」という一線を超えてしまったら再犯の可能性は高い。
何でそういう「自分を制御できない」危険人物を野放しにしておくかね学校は。
相手をコントロール・支配できないからといって無意識で?暴力に訴える。
そして当の本人は罪を犯してから平気?で「絞めるつもりはなかった」と殺意を否定する。
その乖離したコメントに対して私は「おいおい、人の首を絞めといて『殺意はなかった』はねぇだろ? 首絞めりゃ誰だって死ぬっつうの。お前はアホか? よくそんなんで教師やってられんな」と呆れるしかないが、そんな嗜癖の犠牲者となった子どもの奥底には「一生消えない」深い傷が残るだろう事は容易に想像できる。
「何でそういう困ったちゃんの教員免許を剥奪できないのか?」私にはほんと疑問だが、「点数だけで自分の情緒を意識して育てて来なかったから」追い詰められるとそうなっちゃうのよねぇ。
ほんとお馬鹿さん丸出しだ。
<88> 黒ネコ ■2004年06月28日 月曜日 01時42分22秒
フラバ注意!!

私が中学生の頃だったろうか。
ある日、兄が「あの時オレが泣かんかったらお前は生まれてなかった。
オレに感謝しろ」と言ってきた。

私がまだ母のお腹にいたころ、お金のことを聞く母にキレた父が、
「お前はオレの金ばかり聞きやがる!」
と言いながら母の首をぐいぐいと絞めたらしい。
その現場を見た当時2歳だった兄が、わんわん泣いたらしい。
その声を聞いた近所の人が警察を呼び、
私と母は九死に一生を得たらしい。

その話しを、私は昔から知っていた。
母は私にしょっちゅう父の悪口を言っていた。
今まで受けた暴力の内容、父の家族の異常さなど
つぶさに聞いていた。
だから、その事件も知っていた。

だからと言って、兄に恩着せがましく言われても・・
私は「あっそ。だれも助けてなんて頼んでないけど」と答えた。
私と兄の日常会話はこんな感じ。
昔から人が聞いたらびっくりするようなことを、
笑いながら話す。

これは、父の暴力・母の無配慮が産んだ結果だろう。
<87> サキ ■2004年06月22日 火曜日 20時53分54秒
フラバ注意!

母の体罰は儀式のようだった。
「来なさい」と、弟のいない部屋に呼ぶ。
「パンツをぬぎなさい」
そこで抵抗すれば髪をひっつかまれて、引きずり倒され、蹴られる。
だから、私はパンツ をぬぐ。
とても静かだった。母も冷静のようだった。
そして、長いものさしで、たたかれる。ずっと。
物差しはたまに、そろばんだったりもした。
おしりをかばった私の爪は、赤黒くなった。
それを母は「手でかばうサキが悪い」といった。

私は悪くなかったよ。
まだ10歳頃だった。
私、あなたは悪くなかったよ。もう忘れよう。ね。鬼の親から生まれちゃったけど、
もう離れて暮らせるから。
絶対私は悪くない
<86> 黒ネコ ■2004年06月21日 月曜日 04時00分57秒
私が幼い頃から、父は母に暴力をふるっていた。
些細なことでキレては、暴れていた。
けれど、それに反するように私と兄には優しかった。

だけど、一度だけ父に蹴られた記憶がある。
小学校4、5年の頃だった。
私は父が買ってくれたクリスマスプレゼントで遊んでいた。
説明書を見ながら遊んでいたが、
途中からこっちの方がやりやすいと思って、自分なりのやり方をしだした。
近くにいる父に「違う」と言われた。
「これでいいの」と答えた。
そんな押し問答が数回あったと思う。
すると父がキレて、私の背中を数回蹴った。
少し離れたところに兄がいて、それを目撃していた。
私は「このこと、お母さんには言わないで」と兄に口止めをした。
このことで両親がケンカすることが怖かった。

こんなふうに些細な事まで覚えているのに、
なぜかこの記憶は、もやに包まれたように曖昧だ。
まるで現実じゃなく、自分で作ったか、夢の出来事だったように・・
けれど、こんな事を自分で考えるだろうか?
兄も父も何も言わない。
やっぱり現実じゃなかったのだろうか?
永遠の謎だ・・。
<85> 牧人 ■2004年06月17日 木曜日 01時03分35秒
禁じても、人としてサイテーな事もがんがんやるよ。

「お前が悪い」

自分が傷ついてよーが、私も加害者になろーが、訴えられようが関係ない。

貴方の不幸が私の幸せ。至極の、幸せ。

ものさし持って無いんだもん。
せめて貴方のが折れる様を見てたい。
<84> 牧人 ■2004年06月17日 木曜日 01時00分45秒
むかつくとき

勝手にルールを作る。

あーあハイ言っちゃったー。ルールだから仕方ない。
言ったアンタが悪いんですよ。ハイ罰ゲーム。

って考えになる。

やっちゃいけない事をした。
貴方は反省しない。やり返したら視点を変えて私を貶めにかかるだろう。
手加減しない。手を出した時は、本当に最後の時。
二度目はありえない。落ちるところまで落ちるつもりだ。

手の内は見せない。
だけど見せたい。「無い」と思い込んでいるお前に。


新たにお前さんをACにする。構わない。どうでもいい。
「牧人のせいで○○は悪くなった」?どんどん言え。あいつは変わらない。
騒ごうが黙ってようが事態は変わらないんだよ。
<83> NAC NAC ■2004年06月09日 水曜日 03時35分50秒
フラバ注意。

私は先日元チェアマンのAさんと2週間振りのご対面で、某ファミレスで久し振りに「(Aさんの)乖離の地雷原を歩く」ような真にスリリングな会話を味わったが、その中で私は「妄想型のBさんの話をAさんの知る範囲、話せる範囲でいいから私に教えてくれないか?」と頼んで、Aさんに話してもらった。
それによると、Bさんは1994年から「自分で自助グループを立ち上げては潰し、またネット依存で、新しくできた所を常にチェックし、そこに行っては引っ掻き回し」の繰り返しをしていたみたいで、そういった意味ではかなり自助グループ(の潰し方)に精通?しているらしい。
私はどうやら「嗜癖のパワーゲーム」の主人と奴隷を勘違いしていたみたいだ。
「AさんがBさんを」でなく、「BさんがAさんを支配していた」みたいだ。
そう考えると以前Bさんが「Aさんはよく反応するからなぁ」と言っていたのも私は頷ける。
その時私はそこまで考えが深く及ばなかったが、Bさんは「どうやったらAさんが反応するか?」無意識でわかっていて、それを逆手に取った今回の「ハグ事件」だったのではなかろうか?
だったら恐ろしい。
ほんとに恐ろしい。
人の怒りを無意識でコントロールするなんて。
まさしく嗜癖の成せる業だ。
そうしてBさんはAさんを挑発し、その怒りを出させた上で、今度は甘いことを言って「砂糖水」でAさんを引き寄せる。
それと同じパターンを繰り返す度にAさんとBさんの依存関係は強まっていく。
だからAさんは懲りずにBさんの部屋に上がってしまったのだろう。
後は毒蜘蛛の巣に掛かった昆虫と同じで、Aさんは無意識で無抵抗のままBさんの嗜癖の餌食となるのを待つしかない。
だから依存なのだ。
私がAさんから引き継いだ発足当時からの参加者ノートには「発足2週目から既にBさんが参加している」のが記されている。
最初見た時は私も「ふ〜ん、Bさんはこんな早くから参加していたんだ」ぐらいにしか思わなかったが、実はBさんは上記のようにネットで常にチェックしていたのだ(と診てまず間違いないだろう)。
ほんと恐ろしい人間だ、Bさんは。
まさしく「人間の皮を被ったモンスター」と言っても過言ではない。
なぜ私がそこまで言うかというと、これもその時Aさんから聞いた話だが、BさんはAさんの首を絞め暴行した後(フィルムが入っていたかどうかは定かでないが)写真を撮ったらしいのだ。
私はAさんからその話を聞いた時「恐ろしいもの」を感じ、すぐアメリカなどの猟奇殺人を連想した。
暴行した上写真を撮るなんて、かなり狂った人間のすることだ。
「遠からずBさんは大きな犯罪を犯す可能性が非常に高い」ってのがこれではっきりしたわけだ。
「それでもBさんを訴えない」AさんもAさんだが、彼女も「自分に依存してくれる相手を保護したい」そんな無意識からの欲求の表れかもしれない。

私はさ来週新たに自助グループを開く予定でいるが、Bさんの行動パターンからして8割方来るだろう。
迂闊に彼を刺激すると何するかわからないので、仮に集会場に来たとしても「私は(暫定的)チェアマンとして穏便に運営できるよう」今からシュミレーションしておこう。
何せ相手は予測が付かない「妄想型」なのだから。
<82> NAC NAC ■2004年06月09日 水曜日 02時33分15秒
先週末私は遅番の通勤中にTラジオの「Dキャッチャー」で、「長崎同級生少女殺害事件」について社会学者の宮代信治(漢字が間違っていたらごめんなさい)氏がコメントしていて、私は注意深く聞いていたのだが、その中で「乖離とネット人格」というキーワードが私のアンテナに引っ掛かって、私は聞き終えて「まさしくそれだ!」と思った。
今回の事件で象徴的な加害者少女の言葉は「(被害者女性に)会って謝りたい」
私も大多数の人と同様「はぁ? 自分で人殺しといて何言ってんだ? 亡くなった人に会って謝れるわけないだろ」と思ったが、後から宮代氏のコメントを聞き「まさしくそれが答えだ」と合点がいった。
普段は何気なく日常生活を送っていても、こうした「顔の見えない」ネットだと自分の攻撃性を前面に押し出す「ネット人格」なる輩が少なからずいる。それは2チャンネルを観れば明らかだ。
そうした人は実社会での怒りを吐き辛くて「誰からも邪魔されない」自分の空間に閉じこもり、妄想し、乖離していく。
だから当人には「自分が人を殺した」現実感が掴めないし、故に核心に触れようとすると「『人を殺した自分』を認めたくなくて」無意識で黙ってしまうのだ。
「相当深い乖離」と私は診た。
そういう私も以前は情緒喪失で乖離していたが、それでも「頭にきた⇒殺す」という風にはならなかった。
そういった意味で今回の加害者女性は完全に思考回路が飛んでいる。
一体どのような家庭環境・生育暦だったのだろう? そして親は? 
まず「まともじゃない」のは確かだろう。
まともに機能する家族で育てられたなら、子どもに「乖離の芽」は育たない。
それは自分の場合でも明らかだ。
子どもが「自分の存在を自ら消さなければいけない」ほど追い込まれた家庭環境。
私の場合だと、
まず親が「自分と向き合う」術を身に付けていないまま「毒しか与えられない」親になってしまった。
そうして自分の内面と向き合えないから、自分の本当の感情「孤独・不安・寂しさが親にわかってもらえないから怒りにつながる」ってことがわからない。
そうした「視たくない」自分の感情を、自分の意識でまざまざと経験していないから子どもの感情がわからない、同じ目線(気持ち)に降りられないのだ。
そうした自分の痛みさえ気付かない者に相手の痛みがわかるわけがない。
私は親と口論になった時「何でそうなの?」と何度も親に問い詰め核心に触れようとするが、その答えはいつもワンパターンで、「こいつマジで馬鹿なんじゃねぇか?」と蔑んで来たが、たぶん私の親も「自分の無意識に封じ込めてきた感情に触れられるのが怖くて」無意識で感情を閉ざし、乖離しているのだろう。
だから「思考回路を深く働かせる必要がない」ワンパターンの答えを繰り返すのだ。
それが私の親の歪んだ精神的防御方法なのだろう。
だから私は「歪んで当たり前」「乖離して当たり前」 
弟も「引き篭もり続けて当たり前」
だって「そんな親を見て『マイナスが普通』で育ってしまった」子どもだったのだから。
私も一歩間違えば、また当時既にネットがあったのなら「ACである私もそうなっていた」可能性は捨て切れない。

「乖離とネット人格」
それは「ハグ事件」のBさん(「妄想型境界性人格障害」の可能性高し)にもつながり、改めて書き直す。
<81> 埴輪 ■2004年06月04日 金曜日 23時10分19秒
朝起きて
顔を見るなり父はこう言った。
「何だその顔は」
「お前の顔を見てると気分が悪くなる」
そして殴る。
逃げるだけの姉と違って私はにらみ返す。
だから余計、父親には嫌われた。
母親は、病気になってからは止めてくれなくなった。
味方は誰もいない。
犬さえも、私を愛してくれなかった。

人に愛されているとはじめて感じたのは
初めてできた親友とのかかわりの中で。二十歳の時。
二十歳になるまで、私は心から信用する人は誰もいなかったんだ。
悲しい。
そうだ、そんな人生だったな。忘れてた。

先日、勤め先の健康診断で、レントゲンを撮った。
結果が書かれた紙を見て、上司が
「あんた、肋骨一本欠損してるって」
と言った。
私はびっくりした。思い当たるふしがあったから…。
すると上司は
「うそだよ。冗談」
…。
もうすこしで「ああ、やっぱり」と言うところだった。

お父さん、私は忘れていないから。
お父さん、今の私をちゃんと見てますか。
あなたが半径2m以内に来るととても不愉快。
あなたと私的な会話をしない。
あなたは私のことをなにも知らない。
お父さん、私友達に「表情がないね」「笑わないね」って言われてたんです。
知ってますか。
時々死にたくなって、たまに色々サクっとやったんです。
知ってますか。

あなたに壊された部分の修復が、まだ済んでいないんです。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.