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私たちの物語 - 暴力・虐待・過去ログ No.3
メッセージ数:60件

<60> 牧人 ■2004年03月14日 日曜日 15時32分31秒
精神的な暴力・虐待・脅しは常に受けていた。
言われる前に、自分で自分を虐げたりする事もあった。
自分を一番批判する人は自分だった。
思い出したんだ。
自分も「暴力」振るってた事を。いろいろ破壊してた事を。
年齢一桁だって、関係ない。今思い出しても、何てひどい事を、と恐ろしくなる。(前置きで年齢語る自体甘えだよな…。)
行動を一起こした事で、5以上傷つく。思いのほか影響力がある。
間違いなく、家でも学校でもDVと言われそうな事していた。
昨日母が、昔私が残した爪痕を直そうとしていた事で思い出した。
10代でこの有様だ。
<59> NAC NAC ■2004年03月12日 金曜日 05時23分23秒
ここのところ、そしてこれから「幼児連れ去り」または「虐待」「殺傷」は急激に増えていくだろう。
そして、私にはよくわからないが、「TVや新聞・ラジオなどでそうしたニュースが流れると、有形無形にそうした嗜癖を持つ人の内面奥深くを刺激して、そうした犯罪に走らせる・連鎖する」ということはないのだろうか?
これだけ連日のように悲しい事件が報道されているのに、昨日も26才の男性が隣の女の子を殺してしまう痛ましい事件があった。
以前TVで犯罪心理学?の専門家がそうした人たちの共通項について話していたが、
彼らに共通するのは
1.女性と適切に接することができない。会話ができない。
2.それゆえ、自分の妄想の中で女性像を作り上げ、当然妄想だからその女性は自分の思うがままだ。
3.次第に現実と空想との境界線が無くなり、自分の言動の是非を判断できるような大人の女性は避け、自分の思い通りになりそうな小さい女の子ばかりを相手にしようとする。
4.そして彼らにとって幼児は「物」または「人形」同然だ。
5.だから誘拐しても彼らに罪の意識はまったくない。

それを聞いて私は妙に納得して、「なるほどな」と思ってしまった。
彼らには「幼児も生身の人間」という感覚がない、または麻痺して感じられなくなっているのだ。
だから平気で子どもを誘拐して監禁し、または「躾と称して虐待」するのだ。
ほんと恐ろしい。
そういうところから見ると、昨今のロリータ巨乳も分かるような気がする。
どう見たってアンバランスなのに、そうしたものが巷に溢れている。
溢れているってことは、当然それだけ需要=「嗜癖の下地」があるからだろう。
スケベな私も人の趣味をとやかく言えた義理ではないが、それでも「ロリはちょっとなぁ・・・」ってのが私の感覚だ。
まっ別に犯罪を犯さなければ、何を見ようと、何を妄想しようと個人の自由である。
私の高校時代の友人で「大学卒業後警官になった」Aなる人物がいるが、私の知る範囲ではAは未だかつて女性と付き合ったことがない。
まっAが女性と付き合う付き合わないは縁もあり、これまた個人の自由であるが、昔私がAの部屋に遊びに行った時に「ロリもの」の漫画本がいっぱいだった。
正直私はそれを見て嫌悪感を感じ、「こんな本のどこが面白いの?」って感じだったが、Aは別に誰に迷惑を掛けたわけじゃないし、だから私はその感想を黙っていた。
でも私が女性なら、「ロリ好き」「マザコン」の男には決して近寄らないであろう。
彼らが好きなのは「なんでも言うこと聞く」幼児、もしくは「なんでも面倒を見てくれる」母親なのだ。
男の私でも「おぇ〜」って感じで、そんなのはごめん被りたい。

長くなってしまったが、人間は親にきちんと育てられ、やがてきちんと親離れして、自分ひとりでも生活していけるよう自立するのがベストだ。
その育て直しを今自分はやっている。
そういう私だって家庭環境によっては「ロリータおたく」になっていたかもしれない。
なんとも気味悪い話だ。
<58> 善雄 ■2004年03月09日 火曜日 21時30分27秒
僕は子供のころ、大柄な父に理不尽な暴力を受けました。何も抵抗出来ない小学生の僕を、父は気分次第でよく殴り、蹴りました。僕は大人になり、父譲りの恵まれた体格を持ちました。最近、父が脳梗塞で倒れました。僕が小学生の頃された事をやりかえしてやろうと思います。僕に殴られ、蹴られした時、父は後悔するでしょうか?自己反省の心のないあの人は。
<57> NAC NAC ■2004年03月08日 月曜日 04時44分45秒
自分の子どもが強くなるために「親が子どもにタバコの火を押し付ける」ことがどうして必要なのだろう?

私にはわからないし、いくら自分の頭を捻っても毒親への同情はできない。
し、血(智)の通った人間ならできたもんじゃない。
それでも繰り返すこの悲劇。
たぶん私もそのうち事件の報道に慣れっこになっていき、こうして怒ることも少なくなっていくのであろう。

ほんと「親を選べない」子どもにとっては悲しい世の中だ。
<56> ゆめみ ■2004年03月01日 月曜日 00時42分38秒
 私の母親からうけた虐待。小学生の頃厳しかった母は 私のやった粗相に腹を立て お風呂場で体を洗っていた私を押したんです。すると私のひざが 水の流れる排水の入り口のすのこに ズボっと入りました。身がえぐれて血が・・・白い脂肪が見えていた。

その後、母はオロナイン軟膏を塗りながら「あなたが悪いのよ!」と私を責め、救急車も呼ばず、「身がくっつくかな?」と言った。次の日 病院に連れて行かれる途中「自分で足を滑らせて転んだって言うのよ!!お母さんにされたなんて言ったら・・・」と嘘をつかせました。すごく悲しかった。あの時 自分の事しか考えていない母に疑問を抱いた。私のことがそんなに嫌い?

<55> 赤 ■2004年02月29日 日曜日 03時07分15秒
私は完全に家族と縁を切りました。

あなたは・・・

自分を大事にして・・・

苦しいよね・・・

分かるよ、手に取るように・・・
<54> 赤 ■2004年02月29日 日曜日 03時03分52秒
苦しかった、自殺未遂までいったあの家。

あいつは、出たほうがいいのに、気づいてるかな。

俺は、完全に家族と切った方がいいと思う。

というか、自分が死にそうになったから・・・

まずいぞ、このままじゃ、死ぬぞ・・・

とりあえず、出ろ、その家、地獄の家だからな。

俺は自殺未遂までいった。

お前には、同じ道を歩ませたくない。

どうなるか解ってるんだから、俺と同じ運命を選択するなよ。
<53> ノラネコ ■2004年02月24日 火曜日 16時34分56秒
私はあまり、親に叩かれた覚えはない(全然ではないけど)。
どちらかというと、口で罵られることが多かった気がする。
逆に、姉がよく母に叩かれていた。
それも顔じゃなくて太ももや背中。
母は、私たちが大きくなってから
「○○(姉)は叩くとすぐ後が残るから、お父さんにすぐバレちゃって」
と笑いながら言っていた。

そう考えると、ケンカをした時
姉は必ずと言っていいほど手を出し、私は必ず口で言い負かしていた。
その理由が分かった気がした。
<52> NAC NAC ■2004年02月18日 水曜日 07時45分28秒
一昨日の夜、某国営放送の「クローズアップ現代」という番組で「虐待」関係の内容を流していた。
当然私は意識を集中して観ていた。
番組の途中、司会者の女性が「被害者は足が動かせたのに、なぜ逃げなかったのか?」というような質問をしていた。
それを聞いて私はカチンと来た。
「足があるから逃げ出せる? 何を言ってんだこの人は。何もわかっていないじゃないか。『被害者は足があっても逃げ出せないほど、虐待する親に精神的支配を受けていたんだ』ってなぜ想像できない?」って私は思った。
でも想像できないからといって、別にその司会者の女性が悪いわけではない。
恐らくその司会者は機能する家族で当たり前に育ったか、幸いにもそうした「毒親による心の呪縛」を経験したことがないのであろう。
太陽の光を受けて育った人に、そうした「心の暗黒の世界」を想像するのは難しい。
かくいう私もこの年で「感情鈍磨の親に支配され、自分は情緒喪失のACだった」ことに気付かされたからこそ、今の私はその子の痛みの何百分の一かが想像できるのだ。
だから私は番組を見ながら「無意識にある昔の自分の感情」に触れ、涙を流したのであろう。
そして番組の中で、私はもう一つ改めて「小さかった頃の自分の感情」に気付かされた。
その専門家の言葉は私の心に確実に突き刺さった。
無意識の自分、小さかった頃の自分が一番聞きたくない、認めたくない言葉だ。
「そうした子は、小さい頃から『親に裏切り続けられた』経験を持っているから、基本的に心の底から人を信用するってのが難しい」というような内容の言葉だった。
私のこころは、感情は、「ぐわっ」と泣き出した。
忌まわしい自分の過去を拭い去るには、私は涙を流さざるを得なかった。
「親に裏切られた・・・・・」
私のこころは葛藤した。
「いや、そんなはずはない。でも・・・・・」
認めざるを得なかった。
親の精神的支配に抵抗できなかった、抵抗する術である「自分の感情・意思・思考」を奪われた小さい自分の感情を、今の自分が認めてあげないことには精神的に前へ進めない。
だから私は自虐的にも精神的「茨の道」を選ぶのであろう。
「ずっと自分の感情を出せずに、聴いてもらえずに、『こどもが純粋に求める』親の愛情に裏切り続けられた」
私は悲しい。
自分で今この文章を書いていても涙が溢れてくる。
なぜ私は泣かなければいけないのだろう?
「泣かなくちゃいけない」と頭ではわかっていても、なぜ泣かなくてはいけないのだろう?
なぜこの年で自分の過去が無意識のところで刺激され、これほど寂しい気持ちを味わわなければいけないのだろう?
私だって普通の家族で育ちたかった。
普通に会話して、普通に遊んで、普通に抱きしめてもらって・・・・・
そんなこどもとして当たり前の欲求が余りにも満たされなさ過ぎた。
「自分を守る術をしらない」小さいこどもが、唯一「自分を助けてくれるであろう」親に裏切られたら、無視され続けたら・・・・・
その痛みは今の自分でも量りきれない痛みだ。
だから私の無意識はずっと「わかってくれよ」と叫んでいたのかもしれない。
ごめんなさい、私のインナーチャイルドたち。
お母さん、気が付くのが遅かったよね。遅すぎたよね。
ずっとあなたの感情を独りぼっちにしてごめんなさい。
もうあなたを独りにしないからね。
これからはずっとお母さんが一緒だよ。
ずっと、ずっと、一緒だよ。
<51> りりー ■2004年02月17日 火曜日 00時40分53秒
両親に叱られたとき、本当に悪かったと思って謝った記憶が全くない。
外に放り出されても、押し入れに閉じ込められても、ご飯を食べさせてもらえなくても、泣いてわめいて謝っても無駄と感じていた。親の気が済むかどうかだけが問題。これは躾じゃないと思うわ。
だって、謝罪なんて意味がないと思いながらも、
顔を殴られるのが怖かったから上手に謝ることを学んだだけやもん。
<50> まんまる ■2004年02月13日 金曜日 06時45分27秒
DVの人間が作ったものがみんなに認められるなんて恐ろしいものだ。
心の底にあるものは見えないのだろう。
お得意の「虚像」に騙されてはいけない。
<49> ミルキー ■2004年02月05日 木曜日 15時19分48秒
私は、何度も何度も親の性行為を見た。
観たかったわけじゃない。私のいていい場所はそこだった。
何度か家のドアの前で待っていた。

これって性的虐待に値するのだろうか?

弟の父親に風呂場でお尻を見せなきゃいけないことがあった。
母が喜ぶから、しかたなくやった。

<48> NAC NAC ■2004年02月03日 火曜日 00時39分44秒
岸和田の事件の後の、「母娘傷害事件」
あれで私の思考は停止させられた。
私の頭を、感情を、想像力を、どんなに揺さぶっても「自分の娘がその友達を悪く言っているから、私も娘の友達を刺した」
いったいどうやったらそういう思考回路になれるのであろう。
まだ、「自分の目の前で自分の娘が苛められていて、ついカッとなってその苛めっ子を殴ってしまった」ってなら、暴力論はさておき、「親としての『こどもを守ってあげたい』感情」は私にもわかる。
だが今回の事件は明らかにそんなのとは次元が違い、「常軌を逸している」としか、私には言いようがない。
だから私の思考にブレーキが掛けられたのだ。
もちろん「常軌を逸しているから事件になる」のだが、こうして日本の犯罪も、特に「虐待事件」は「アメリカの10年後を追う」ように、確実に増え続けていくのであろう。
大事なのは「自分が自分の心と常に向き合う癖を付け、そうした虐待を『躾』と真顔で言う親に、大人に、まず自分がならないこと」「自分の子どもを、家族を、そうした嗜癖のある人間になるべく近寄らせないこと」「そうした嗜癖を見抜き、『巻き込まれないよう』距離をとって、境界線を引いて、生きて行く力を自分に身に付けさせること」
私が大人として、将来の父親として、「事前にすべきこと、習得しておかなければいけないこと」はいっぱいある。
そうしたものを、今回の事件から私は学ばせてもらった。
「20年後は自分もそうかもしれない」
その戒めだけが自分のこころ救ってくれる。
<47> NAC NAC ■2004年01月27日 火曜日 22時27分06秒
「たった一枚のドア」
鈍感な大人にはそう思えても、それが子どもの心の扉であり、「SOS」だったのかもしれない。
周りの大人たちは、今回そのドアをノックすることすらできなかった。
そのまえに大人たちは「このドアが虐待されている子どもの心の扉かもしれない!」と、「自分の意識を置き換えてみる」ことすらできなかったのであろう。
そんな大人たちにあったのは「訴えられたくない、余計なトラブルに巻き込まれたくない」そんな「決して少なくない無関心」だったのであろう。
無関心、置き去り・・・
だから子どもたちはさまざまなサインを、「自分の感情をわかってほしくて」いろいろな形で出しているのに、何で大人は気付いてあげれないのだろう?
つくづく残念な話である。
自分はどういう(精神的に)大人になりたいのか?
そういうものを、今回の事件は私に突き付けている。
だから私は自分と向き合うのだ。
そして向き合うしかないのだ。
<46> NAC NAC ■2004年01月27日 火曜日 19時16分27秒
続きである。
機能しない家族と機能しない学校、特に公的機関。
私は公務員全般を悪く言うわけではないが、「所詮『お役所仕事』なんだろう?」と、民間人の私は多少の妬みも持って、勝手にそう思ってしまう。
私が見聞きしたマスコミの報道には、「担当部署に報告を怠った役人」=「(第3者の私から見れば)間接的加害者!」の謝罪が掲載されていなかった。
あるのは所長のみである。
所長が立場上謝罪するのは当然としても、私は「それはおかしいだろ? 当の本人は?」と思った。
報告を怠った「怠慢」な役人には「自分は忙しかったから、とか、あの年なら虐待する親から逃げ出せるだろう」ぐらいの想像力しか働かなかったのだろうか?
その当人にどういう事情があったのか?は私は知らないが、それでもかわいそうな人間である。
人間として、感情の生き物として。
「想像力の欠如」
「思いやりのなさ」
「無関心」
「他人事」
「自分さえよければ」・・・
「そんな『どす黒い』ものがその役人の心に巣食っている」のが、私には想像できる。
そう批判する私にも「そういうもの」は少なからずある。
私が言いたいのは「子供の感情を想像もできない人間を、なぜそのような救助機関に付かせるのか?」ということである。
自分が子供の感情を想像できないなら、その仕事を「きちんとできる人」に任せればいいだけの話である。
だから「お役所仕事」と言われても仕方がないのだ。
民間ならこうはいかない。
仕事のできない人間は、それなりの部署に格下げだ。
話が脱線するので元に戻るが、
その担当者にはたった一枚、たかだか一枚のドアかもしれない。
でも、そのドアの向こうに「声を押し殺して、痛みを押し殺して、助けを求めたくても声すら出ない」そうした子どもの感情を、叫びを、訴えを、その役人は想像できなかったのだろうか?
「もし自分の子どもだったら?」
「もし近所の子どもだったら?」
って、想像もしなかったのだろうか?その役人は・・・・・
仮にその役人がきちんと報告していたとしても、結果は同じだったかもしれない。
自分にできることは各々限られているし、限度がある。
なら自分の務めだけでも、きちんと果たすべきではないのか?
「自分の仕事は子どもの権利、子どもの生死にまで深く関わっているんだ」
そういう認識がないなら、とっとと民間から「できる人」を導入すればいい。
単純に「はい、あなたはミス犯したからほとぼり冷めるまでこちらに配置換えして、しばらく大人しくしていてね」では、この先も悲劇は繰り返されるであろう。
「子どもの感情を想像できない、聴けない」
あまりにも精神的に未熟な大人が、昨今多過ぎる。
そんな私にできるのは、「子どもの感情に目を向けること、彼らの気持ちをまるごと受け止めること」
そうした「練習」の積み重ねである。
「心が貧しい大人」
そういう大人に私はなりたくない。
私がなりたいのは「情緒豊かな大人」である。
だから私は自分のインナーチャイルドと会話して、愚かな自分を少しずつ修正していくのだ。

書き忘れてしまったが、校長も校長だ。
ご自身で反省されることを、私は望んでやまない。
<45> NAC NAC ■2004年01月26日 月曜日 17時36分47秒
大阪岸和田の虐待事件。
惨い・・・・・
今こうしている間にも、「言葉にできない子どもの悲鳴」が全国で聴こえているのだろう。
私はMSニュースの、その事件の意見を読んで、想像して涙腺が緩んで泣いてしまった。
私のインナーチャイルドは正直だ。
ちゃんと相手の、その子の痛みを想像できる、感じられる。
でも私の子がいくら感じてあげれたところで、その子の脳、引いては「人間としての感情」に思い障害が残るであろう。
どうしてこうなんだろう?・・・・・
何が憎くて親は自分の子どもを虐待するのか?
彼らは自分の怒りを、寂しさを、ぶつける相手が違うのではないのか?
なぜ何の罪もない子どもを犠牲者にするのか?
自分の気づかない嗜癖に子どもを巻き込んで、いたぶって、いったい何が面白いのか?
そんな親を刑務所にぶちこんで更生を図ったところで、犠牲になった子どもの魂は救われるのだろうか?
「惨い」
惨すぎる事件である。
<44> NAC NAC ■2004年01月24日 土曜日 23時15分50秒
三重の「処分に困ったから子どもを捨ててしまった」事件。
当人たちは当然問題大有りだが、本当は、それぞれの養育者を問題にすべきなのではないか?
彼らをいくら刑事罰?に処したところで、心の根本的解決には程遠いであろう。
そんな彼らが刑期を終えて、また同じような不幸を繰り返す可能性は非常に高い。
そのとき不幸になるのは誰だ?
それはきまって子どもだ。
「理不尽な親に抵抗したくても抵抗できない、小さな心の抵抗すら許されない」子どもたち。
だから私たちは「自分で望んでなったわけではない」ACなのだろう。
「小さい子どもの心の痛みを想像する」
「あ〜でもない、こ〜でもない」わたしにできるのはそれだけだ。
<43> シャローナ ■2004年01月24日 土曜日 21時59分02秒
私は暴力を振るわれたことはない。だから自分が虐待を受けているとは思わずにずいぶんと悩みの原因がわからずに苦労した。でも親が子供自信であることを阻害するということは虐待なのではないかと思う。うちはそういう虐待は日常的に自覚なくやられていた。ずいぶんと傷ついた。自分を失った。自分の人生がくるってしまった。もっともっとこういうことを明らかにしたい。
<42> kuribo ■2004年01月22日 木曜日 19時49分04秒
 あの33年間、私は父、母と言う囲いの中で監禁されていたようなものだ。
外に出る事も許されずに・・・・
暴力、暴言辛かった。主人にさえ言えなかった。
今、外に出ようにも、外の世界がまるで分らない。
情けない・・・ ようやく普通の生活を取り戻したが、時に優しい言葉も、暴力になるのではと、悩む私・・・・
夜になるのが怖い・・・また始まってしまったようだ・・・
信じたい・・・信じたい人は沢山居るのに・・・
自分が閉じてしまう・・・
不安、怒り、怖い・・・・
<41> ミルキー ■2004年01月14日 水曜日 16時24分05秒
またやって来た。悪魔め。
またピアノの脇を通って私の寝てるところに来るんだな。
私はまだほんの小さい子供じゃないか。
お願いだから来るな!
来るな!来るな!来るな!来るな!
でも分かってる。
この足音は悪魔だ。
この先に起こることももう分かってる。
nao me bates.nao me bates.fazfavor...
nao quero............................

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This script written by Shintaro Wakayama.