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私たちの物語 - 暴力・虐待・過去ログ No.2
メッセージ数:40件

<40> まんまる ■2004年01月14日 水曜日 01時39分25秒
メラメラと攻撃したくなる心は、時々やってくる。
あれだけ恐い思いをしてきたのに、あれだけ後悔してきたのに。

分かってる。
親と同じ思考が染み付いているだけなんだ。
違うやり方を見つけようとしてるんだけど、なかなか見つからない。

親にぶつけ返してみても、親と同じ人間に成り下がるだけ。
関わりは、もうたくさん。
どうなっても、もういいよ。
<39> NAC NAC ■2004年01月12日 月曜日 23時16分47秒
小さかった頃の自分の痛みを、私は自虐的にも引っ張り出して向き合っているから、そうした「虐待」関係の事件を見聞きすると、無意識に重ね合わせてしまって、自分の感情のもとであるインナーチャイルドの痛みが「過敏」になるのであろう。
裏返せば「過敏にならざるを得ない」ものを、自分のインナーチャイルドは持っている、ということでもある。
いったい「適切な怒り」とはなんだろう?
その事件の加害者に、自分が直接なり間接的にも傷付けられたわけではない。
でも実際は、私は投影して?感情移入して(自ら?増幅させて)怒っている。
ちょっとしたことでも自分が「怒り易い」ものを、30年間私は無意識に溜め込んできてしまった。
だから、もし自分の親が痴呆になったら、「間違いなく、受けた自分の心の傷を晴らすため親を虐待している」可能性は非常に高いであろう。
だからNAC NACなのだ。
<38> まんまる ■2004年01月10日 土曜日 23時34分44秒
自分の事って分からないものだ。
「攻撃を受ける」のは家族に対してばかりではない。
「攻撃を向ける」人間の心の中が問題なんだ。
自分はどうなんだ?
<37> NAC NAC ■2004年01月10日 土曜日 20時36分10秒
親は子供がかわいくなかったら叩いてもいいのか?
蹴ってもいいのか?
虐待してもいいのか?
そんなことは私が言わなくても、取り調べの警官が説教していることだろう。
じゃ、「子供をかわいいと思わない、思えない自分はかわいい」とでも思っているのだろうか?
だったらすごい。
とても私には理解できないし、そんな親面した馬鹿を理解したくもない。
そんなアホ親には、通天閣の上から墓石落し、別名「ツームストンパイルドライバー」を、私は喰らわせてやりたい。
なんでそんな「自分の精神が未熟と気付かない」なまま、親になってしまう人が多いのだろう。
子供を作れば、作ってしまえば、もう親なのか?
「自分は子供の情緒を育てていけるほど、自分の精神が成長しているのか?」と、
なんで親になる前に自分と向き合わないのであろう。
「自分は子供にとって本当に必要な親なのか?」となんで自分を疑わないのであろう。
親ってなんなのか?
子供ってなんなのか?
家族ってなんなのか?
痛ましい事件は私にいろいろ考えさせてくれる。
<36> まんまる ■2004年01月07日 水曜日 00時44分40秒
認めます。
「子どものお使い」で弱視(難聴ではありませんでした)の子どもさんのお話での
母親の姿は、私と同じでした。
あまりにもそっくりなので、見ることが出来なかった、認めることも出来なかった。
結末は見てないので分かりませんが、
私は子どもをとても傷つけてしまいました。
<35> NAC NAC ■2004年01月04日 日曜日 21時23分56秒
私はやっとわかった。
このコーナーで前回私が書いた文章に対して「自分はほんとは何が言いたかったのか?」
それは「命の尊さ」だ。
自分で言っても照れを感じるが、正月に、某国営放送の朝の連ドラ(沖縄舞台のやつ)の総集編で、本土から来た男の子が不治の病でなくなる場面で自分が涙した時、浮かんできた言葉だ。
自分はその時「あっ、俺は『馬鹿ップルの事件』でほんとはこれを言いたかったんだ!」って気付いた。
だけど3,4日前の自分の脳みそにはその「大事な言葉」に蜘蛛の巣がかかっていた。
画面上の男の子の境遇に対して、自分が居たたまれない感情が起こり、その涙が私の心の蜘蛛の巣を振り払ったのであろう。
なんであれ、相手の辛い姿を見るのは辛い。
どうしても自分の無意識の「忘れたかった痛み」が引っ張り出される。
逆を言えば、そういうところを刺激されるから私は共感?できるのかもしれない。
私は今まで「子供を育てる」をそのまま疑いこともせず、ただ「子供を育てる、情緒を育てる」ぐらいにしか捉えられなかった。
だけど、その番組のお陰で私は「子供を育てるってことは命を育てるってことなんだぁ」と照れもなく、自分で妙に納得してしまった。
私の意識の闇の部分でもまだ「子供をものと捉えている」ところがあるのかもしれない。
だから私のインナーチャイルドは「子供に対してそんな認識じゃまだまだでしょ」ってサインを、思考の浅い私に送ってきたのかもしれない。
私の認識では、確かに「子供を育てる」という表現よりは「命を育てる」という表現・認識のほうが言葉的にも、責任という意味においても私の中で「重み」を増す。
私は未だ未婚で独身だが、「(仮にだが)自分が精神的にも経済的にも親になる前にやるべきこと、やらなくちゃいけないことは、今の自分が想像つかないほどいっぱいあるんだぁ」ってのだけはわかった。
今の自分が「はい、あなたの子ですよ〜」といきなり明日から親になったらどうなるか?
私は恐ろしくて想像したくない。
自分の生まれてきた子に対して申し訳ない。
お父さんは弱虫で、ずっと(お父さんが)小さい頃に感じていた痛み「寂しさ」、トラウマ?から無意識に逃げてきたし、今もまだ全部は怖くて、その「寂しさ」を一つづつ自分で認めるのが辛くて、こうしてもがいている最中なんだ。
そんな自分の思い出したくもない「寂しさ」と向き合えないような人が、どうやって、これからいろいろ遭遇するであろう「我が子の痛み」と向き合えるのであろう。
私が自虐的に「茨の道」を選択するのも、こうしたところが少なからず影響しているのかもしれない。
「こどもにはなんの罪もないんだ。それをわかってあげれない親こそが問題なんだ」
相手の痛みや感情を想像する力。
それが今の私には一番欠けている。
<34> まんまる ■2004年01月03日 土曜日 23時02分31秒
「子どものお使い」
これはいつも苦手。
あんなに大事にされている子どもを見るのは悔しいのが本心かも。
今日は途中まで何とか見れた。
子どもが少し楽しんでいるようだから、変えられなかった。
でも難聴の子のお使いは辛くて、子どもに断って切った。
見るのが耐えられない。
以前の私を見るような気もしていたたまれない。
でも、いい訳じみた、そしてその状況にかっこつけているような
ナレーションに違和感を感じてしまった。
自分だけが辛くて耐えているつもりみたい。
まわりにいるスタッフの気持ちの分からないくらいに。
子どもに対する「ダブルメッセージ」
ビンビンに感じる。
いやだいやだいやだ。
手まで出たような・・・。見れなかった。
声を張り上げて、ののしる声・・・・自分と重なる。
なんで暴力なしで、向き合えないのか。
なんでそれを美徳としてみなに伝えるのか。

たとえやり遂げても、その瞬間の恐怖は消えないのではないか。
私は消えなかった。恨みは残ったままだ。

おかしい、絶対におかしい。
<33> NAC NAC ■2003年12月30日 火曜日 23時39分24秒
こちらには初めてお邪魔しますNAC NACです。
コーナーがコーナーですので、予めフラバ予防に私がこれから話す題を先に言っておきます。
先日の「馬鹿っプルの死産子バッグ詰め事件」です。
ですが、それでも読まれる方は一応注意して読んでください。
それでは始まります。
なんて言ったらいいのか私はわからない。
毎回この手の事件には、只でさえ容量少ない私の思考を停止させられる。
今回、幸せをしらない親の下で不幸にも犠牲を強いられ亡くなった子供の痛みに、魔供に向き合うと私は「強烈な怒り」が出てくる。
だから自分で意識的にブラインドを下ろして、自分の怒りは述べながらも、自分の心のバランスも保つ。
なんて言ったらいいのかわからない。
でも心の中はざわざわしている。
言葉が見つからない。
だけど興奮している。
自分の心の中で「闘牛」が暴れている、出番を待っている画が浮かんだ。
だから自分の「怒り」の部分は恐ろしい。
こうして「怒れる」食材(と言っては、亡くなった子に申し訳ないが)を自ら捜し求めて、自然と無意識にそちらに角が向くのであろう。
自分の「怒り」をキャッチするアンテナは鋭い。
「怒りのあるところにNAC NACあり」だ。
ヤバイ、今マジで意識が飛ぶかと思った。
なぜか「気絶してか、死んでか? キーボードに突っ伏している自分」の画が浮かんだ。
「あっちの世界に引っ張り込まれる、ブラックホールに引っ張り込まれる。そしたらもう戻ってこれない」危険性を感じたから、私は「はっ」として目覚めたが、やばかった。マジやばかった。
一時的なトランスならなんとかなるかもしれないが、今のは私にとって未経験で、一線を超える、超えてしまう「恐怖」を私は感じた。
何とか意識を正常に持って行こうとするが、今の私は明らかに頭の中を巡る血が止まっている(脳梗塞の前触れ?)ような感覚か、ドロドロした血、全く成分の違う覚醒物質が流れているような感覚だ。
そういう画を感じること自体が既にヤバイ証拠だ。
ちょっと休憩だ・・・
ネットカフェに缶詰ももう限界にきているのかもしれない。
もう8時間も見たくない自分と向き合っている。そりゃアホでも疲れるわ。
紅茶に砂糖を入れてブレークだ。
やっと充電できた。時刻は23:25。
例の事件に戻る。
毎度の事だが、犯人は自分たちの事しか考えられないような畜生だ。
「死産した子供を通報したら駆け落ちした自分たちの居場所がわかってしまうから、死産した子をバッグに詰めて隠した」そうである。
無駄だと分かっていても、そいつらに罵声を浴びせてやりたい。
「こどもは物か? 自分たちの浅はかさで『どーにでもしていい』と頭に歪んでインプットされているのか?」
部外者の私が青筋立てて何を言ったところで、そいつらの犠牲になった子供は帰ってこない。
私がこうして書いたところで無駄なことかもしれない。
結局、私は傍観者を決め込むしかないのかもしれない。
何の役にも立てないし、立とうとしても無理だ。
私にできるのはその事件に対して「辛いな」と感じることと、自分が親になった時にはそういう「虐待者」にはならないよう今から自分を戒めるだけである。
<32> ばろん ■2003年12月24日 水曜日 00時29分38秒
言葉の暴力・・・・子供についひどいことを言ってしまう。
おまえのせいだ、おまえなんかきらいだ、ママはもうでていくよ・・・等々
あとですごく後悔する。こんなかわいい子になんで私はつらくあたってしまうのだろう?ごめんね、いつもごめんね。本当はとってもいい子なのに・・・
子供がいっしょうけんめいに私のご機嫌をとるのがわかる。
この子を見ていると幼い頃の私を見ているようだ。
<31> MARU ■2003年12月19日 金曜日 03時55分25秒
自閉症で知恵おくれの、兄に、殴られ続けてきた。
自閉症は、そんな、パニックがあるものだ、と、大人になってから、やっと、正しく理解した。
ヒットラーが、子どもの頃、精神病の家族に苦しめられて、あんな風になってしまった、と本で読んで、泣いた。

子どもの頃、殴られる私に、母が言った。
「お兄ちゃんは、天使みたいに純真な子なんや。あんたが、お兄ちゃんの事を嫌ってて、心の冷たい子やから、お兄ちゃんには、それが分かって、それであんたを殴るんや」って。
学校で、苛められた。「お前の兄ちゃん、キチガイだろ」って。私は、母の言い付けを守って、立派に闘った。兄を守った。

誰一人、味方になってくれなかった。
父は、仕事(後で知ったが、浮気と)で家にいない。たまにいると、暴れる兄に、バケツで水をかけて怒鳴り付けるだけだった。
胸がスッとした。
父を憎んでいた母は、父が兄を痛めつける程に、ますます私に辛く当たった。「あんたはお父さんにソックリや」と吐き捨てた。
ある日、またもや殴り掛かってきた兄に、用意したナイフを突き立てた。
錆びてて、役に立たなかった。彼に攻撃の意図が理解できたのかどうか、ますます殴られた。目の上に青痣ができた。友達に「どうしたの」と聞かれ、「コタツの角でぶつけちゃった」と笑った。言えるワケがなかった。

障害で、何も分からない兄を、憎んでしまった。甘い物に目がない兄が、一日に何リットルも飲む為のコーヒー用の砂糖瓶を、塩に入れ替えたのは私だ。憎くて仕方なかった。兄が、コーヒーがしょっぱいと騒いで、だけど自分では解決できなくてうろたえた。胸がスッとした。
けど、すぐに私の仕業とバレた。
もう一人の(健常者の)兄が、私に「陰険だな」と吐き捨てた。

かつては仲良かった。家族の中で、一番仲が良かったのに。幼稚園に上がる頃には、兄が普通じゃない、庇ってあげなければならない、と分かっていた。

頑張って、イイ子をやろうとしたけど。居場所がなかった。
母は、妹ばかり可愛がった。
(健常者の方の)兄が、反抗期に入ると、母は「そんなに言う事聞かんのやったら、お母さん家出るわ」。なぜか私に「あんたが家の事やって」と、妹を連れて、荷造りを始めた。私は捨てられた。

(健常者の)兄が、私立中学受験に落ちた時、母は「えぇカッコばっか言うて、落ちやがって」と言った。ゾッとした。兄も捨てられたのだ。
その兄が、私を強姦した。「お母さんに言うなよ。言ったら殴るぞ」と言われたけど、言うわけないじゃん、と白けた気持ちで思っていた。

書いてみて、分かった。
家族じゃないよ。
何一つ、家族らしい事、して貰ってないよ。

今となっては、唯一、最近が少しパニックも落ち着いて、機嫌よく私に話し掛けてくる、自閉症の兄だけが、一貫して私の家族だったのかも知れない。

なのに…
まだ、捨てられない。期待。
<30> まんまる ■2003年12月14日 日曜日 04時19分38秒
私は帽子をかぶれない。
父からいきなり頭、顔を叩かれたから。
顔に何か物が近づく事はダメだ。顔をかきむしってしまう。(軽く)
頭に何かが触れるだけで、怒りが爆発しそうになる。
突然据わった目になった瞬間、私の目の前が真暗になり、屈辱でいっぱいになる。これが蘇ってくる。

寒くなったから、帽子はかぶってみたいのだけれど。
<29> ミルキー ■2003年12月13日 土曜日 03時36分51秒
ママなんでいつも私を殴ったの?
泣いてて息が出来なくても、私にまたがって殴り続けたママ。
なんでいつも私だったの?
弟より私のほうが素直で嘘つかなくて、ママを大切にしてたのに。
新しいお父さんが来て、弟が生まれてから、
私はずっと邪魔だった?
居なきゃいいと思ってた?
<28> 埴輪 ■2003年12月12日 金曜日 01時24分04秒
私が失敗を極端におそれるのは
おとうさんがキレることに対する恐怖と同義です。
私は自分の体をはって、
なぐるということが、人を説得する上で何の役にもたたないことを学んだのです。
でも、まだ心の中に、恐怖がいます。
<27> kuribo ■2003年12月04日 木曜日 14時48分11秒
ここには、暴力も、暴言も無い。
でも、世の中に着いてゆけない。
暴力と、暴言の中に居た私と、ここへ、戻ってきていた私は別人。
ここに居る私が無い。  どう対処すればいいのか。
外の世界は、あの場所より、安全なのに。
でも、怖い。 今から自分の家族と安全な場所を気築いてい行かなくては・・・・
でも、どうやって築いてゆけばいいのか分からない。
戸惑う自分が居る。 自分が変わらなくてはいけない。
優しさを、どう受け止めていいか分からない自分が居る。
<26> 埴輪 ■2003年12月02日 火曜日 09時39分18秒
朝起きるなり、「何だその顔は」と言われ
いきなり殴られた。表情が気に入らなかったらしい。
何もしてないのに。
こんなんで、自尊心が育つ方がむりがある。
思い通りにならなければ殴る。
私にどうしろと言うのだろう。
お母さんが、止めようとしてくれたのは覚えている。
同時に、後ろで見ているだけの時もあったのも覚えている。
お父さんはお母さんを殴らなかったけど、卑怯だ。
なんで子供ばっかりなぐられなきゃいけないの。
なんでお母さんはよくて私たちがだめなんですか。
どこがちがうんですか。
ただ、いらなかったんですか。
<25> 埴輪 ■2003年12月01日 月曜日 20時46分48秒
子供は、親の暴力に対抗する手段なんて持ってない。
ただおびえるだけ。
次に親を怒らせないように「努力」するんだ。
最近おとうさんが怒らないのは、私が挑発しないから。
…こんなこと、長年考えつづけて、マトモなオトナになれますか。。。
インナーチャイルド君はどこにいるんだろう。
たとえ私が会えたとして
どんな慰め方をしたらいいというのだろう。
慰めたからと言って、痛みは消えない。
そんなことより、
私はその子に、お父さんを怒らせない知恵を与えようとするんじゃないだろうか。
おかあさんは、私が殴られていたとき、何してたっけ。
痛いの痛いの飛んでいけって、それで飛んでいくなら病院はいらない。
それならば、痛みを感じないという美学を身に付けるしかないんだ。
痛みでなくなんて、弱い者のすることだ。
私は泣かない。お父さんがぶっても。
でも泣いてしまうのだ。だから一人で涙が引くのを待つんだ。
<24> 埴輪 ■2003年12月01日 月曜日 01時38分47秒
わき腹の件だけは、強烈に記憶に残っている。
幼少時に、風呂場で口論になって引きずられた。
ドアのところのサンにわき腹を強く打ちつけた。
ホントに痛くて、あれだけは忘れられない。
他のことは、漠然とした記憶に埋もれてしまったけど、
わき腹のことは忘れない。
さっき、回想をしていたら
なんだか急にその部位が痛くなって
眠れなくなった。痛い、というより、違和感というやつだ。
いつもは大丈夫なのに。
<23> 悠 ■2003年11月23日 日曜日 20時38分00秒
どうしても抑えきれずに、刃物を取り出す。
ぐっとあてて一閃、ちりっとする痛み以上に流れる赤に安心してた。
自分への暴力は、虐待は、他人に迷惑をかけない分、頻繁だった。
長袖の季節は、心も楽。
半袖の季節は、リストバンドやブレスレット類で誤魔化してた。
ずっと気づかなかった親。
気付いても、「跡が残るからやめとけよ」ヒトコト。
そんなに私はどうでもいいのかなぁって思ってた。
いらないのなら、いなくなってしまおうかと思ってた。
長女で、しっかりしてしまっていた自分が嫌で嫌で、外で作り上げていた阿呆な馬鹿な自分。
それでも勉強だけは他人より出来てしまって、余計に期待を背負わされた。
今、出来の悪い弟たちに親が放棄してしまっている期待、それは全部私の肩に乗せられた。
つらいと、思えたのはいつからだろう。
それまでは、それが当たり前で、期待されることは嬉しいことで、応えることが当然だと思っていた。
多分、違うんだと。
反撥しても、親の期待を裏切っても、自分の進みたい道に進むのが当たり前なのだと。
早く、そう思えばよかったのだろうけれど。
でも、その考えは、誰も教えてくれなかったから。知らなかった、から。
自分のやりたいこと、ってなんだろう。どこにあるんだろう。
わからなくて、苛々して。そんな自分が嫌で嫌でたまらなくて。
また、傷が増える。
赤い色に、安心している。
逃げ、たい。
逃げ、ラレナイ。
<22> 埴輪 ■2003年11月20日 木曜日 09時20分28秒
懺悔です。

犬を、15年間飼っていた。
だが、我が家には「ペットは家族」という思想は無縁だったようだ。
「おとうさん、アレは力が強くて困る。好き勝手な方へ走る。散歩が大変だよ。」
「そういう時は、蹴れば言うことを聞くんだ。」
…。
お父さんが、私たちにしているように、犬を扱った。
愛情なんて感じたことはない。
外で見る動物はかわいい。ウチの犬以外の動物を乱暴に扱ったことはない。
でもウチの犬だけが格別にバカだと思った。
何でもすぐ吠える。
犬種がわるいんだ。だからバカなんだ。
散歩とエサやりは惰性でやっていた。
邪魔だと思っていた。
だから私は猫がいいと言ったのに。
犬なんて全然言うこと聞かないじゃない。
二年前に、突然消えてしまった。
老犬だからそろそろ死ぬだろうと思っていたけど
どこかへ行ったっきり帰ってこなかった。
どこかで野たれ死んでいるだろう。
正直、ホッとした。
もう、犬は二度と飼わない。
今は、かわいそうなことをした、と思ってる。
思っているけど、ペットにすらそういう接し方しかできない私は人間失格…。
はじめてあいつがウチに来た日を覚えている。
おびえていた。
それがいつのまにか、力が強くなって、ほえたり噛んだりするようになった。
あいつも、愛情とかいうのを教わらなかったんだ。
ホントにかわいそうなことをした。
なんて詫びればいいんだろう。
あいつは自分が何のために生きてるんだろうって、疑問に感じたことはあるだろうか。
愛情って、人間にあたりまえのように備わっているもの?
最低限の能力であり、もっとも大切な能力であるとしたら
私は人間じゃないということになる。
<21> かず ■2003年11月09日 日曜日 00時46分41秒
チェーンが怖いから、私は結婚なんてしない。
もしかしたら、私の言葉が、私の手が、足が、存在が、愛する人を傷つけるかもしれない。
私で終わりにすればいい。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.