私たちの物語 - 暴力・虐待・過去ログ No.17
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<340> うろこ |
■2009年05月19日 火曜日 20時30分58秒 |
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<フラッシュバック注意>
せっかくよくなっていたPTSDだったのに。不安障害併発で、ぶり返してしまった。 あの頃、家族よりも友達よりも、信頼し、愛し、一緒にいようと思った彼は、いつしか暴力を私に向けた。楽しかったデートの帰り、疲れたからと私が運転を代わった。対向車のない田舎の一本道、スピードもあまり出してなかった。 私は楽しかったその日を思い、彼に笑いかけた。 彼はいきなり「何で笑う」と言って、助手席から私の顔を殴った。 メガネが飛んで、急ブレーキを必至で踏んだ。何が起こったのか解らなかった。話を聞いていくと、その日家を出る前、下宿しているおじさんに殴られたという。仕事のストレスもあったという。3.4時間かけて、聞き出したのはそれぐらい。私はなぜ殴られなければならなかったのだろう。
その後も、時々、色んな事が続いた。首を絞められ、殺されそうにもなった。 顔に青あざができていても、会社の人たちは見てみないふりをした。 私はなぜ、殴られなければならなかったのだろう。 今でもわからない。 わからないから、いつ、どこで、誰から暴力をふるわれるか怯えている自分がいる。立ち向かえない自分がいる。 暴力は、人を変える。ふるう方は勿論、ふるわれた方も。 いつかは消える記憶だと思いたかったけど。まだ追いかけてくる。 彼を選んだのは私だ。だから責任は私にあるのかもしれない。 DVなんて言葉もあまり聞かなかった時代だ。 相談しようにも、あまりの田舎でどこへ行くにも車で2時間はかかるような場所だった。それに彼は私を束縛していた。
プリーモレーヴィという人の言葉に出会った。 「奥底の経験をした者は、その経験の記憶の中に生きなければならない。 それは義務である。」 これはアウシュビッツからの生還者の言葉だ。 DVよりも酷い日々であっただろうと思う。でも、共通するものがある。 その記憶によって、それまでの自分とは違う自分になってしまったという事だ。いつか、乗り越えられるだろうか。いつか・・・
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<339> まさ 改め 雅 |
■2009年05月13日 水曜日 20時37分54秒 |
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< ドクハラ?>
(宗教と関連したトラウマが書いてあります。その手のトラウマをお持ちの方はそれを含んでお読みください。気分を悪くされるかもしれません。免疫の無い方はどうぞ他のカテゴリーに移動してください)
自分の感情と身体の感覚を頼り今まで生きてきた。
感情的にどぎつい精神科医にも可能な限り穏やかに接してきた。
また試練が来た。転院です。
皮肉にもその前のクリニックでの対人関係トレーニングが、
つまり傾聴とアサーティブトレーニングが、今の主治医の誤解を産み、
こいつの無理やり、”自立しろ!!!”的な押し付けを頑張って聞き流し、
近所の作業所に居場所を変えた。もう1年ちょっと経過。
ここでも書いたけど、自称作家と宣言したり、自尊心を上げるために必死の
行動と言動をしていたと思う。
自分は権威者と言う人間が怖いし、
その道(精神科治療で)名の通っている精神科医はなおのこと怖い。
彼らは治療と称して暴言を俺にぶつけるし、俺に理解できない話をする。
自分も可能な限り本屋で自分の病気の治療のための本を立ち読みして勉強したし、 自分の病の治療は自主性が大切と感じているから、
本で読んだ知識ですがと断りつつ、この高名な精神科医に質問したが、悪く捉えられ、相手はたじろいでいた。
罪悪感が増えて、持っていた自尊心が減少したんだ。
今は移行中なので、国の庇護を使い(これも辛い、自尊心を低下させる要因の一つ)
薬は近所の薬剤師に正直に打ち明けて、漢方薬をやりくりして買って飲んでいる。
もう、精神科医療に失望と自分の判断力の無さを感じ、自分を責めた。
自分はもしかしたら、精神科医に、精神科医療に宗教の感覚を持ち込み、
相手を救い主として崇めていたのかもしれない。
回復にしても強引にゴールを言えと言う、男性心理士。
俺は可能な限り頑張って心の底にあるイメージを話したが、
力で強引に出された気がしたし、以前の宗教者の責任者と重ねて、心が傷ついた。
パワーハラスメントがたくさん存在している現実。俺はどう生きればいいのか ?
セクハラすら受けている。デイケアでもあったし、作業所でもあった。
すごく悲しいし、治ったはずの対人恐怖症もまたできた感じがする。
やはり社会環境の問題なのか?それとも自分の人生の処世術に問題があるの?
自分は可能な限り勉強を重ねてきたし、いろんな方に教えを請い、教えてと言いながら生き抜いてきた。
ACを卒業したと書いたけど、この問題はこの知識だけで対処できる問題では 無く、
脱ACと宣言しても、根の問題は繰り返し出て来る。
そう意味では図に乗っていました。
近所の小さな精神科の電話番号を探し、2回ほど掛けたけど、
受付のお姉さんらしき人も、PSWも転院と言うと、言う言葉の裏の感情がころっと変わる。
これはショックな体験です。自分は転院の手続きを自分でしたのは久しぶりだし、
初対面から攻撃モードの感情を俺にぶつけてきたので、
やはり、過去の体験を話し、自分の話し方は穏やかだが、
苦しい体験から学んだことですと伝えた。
相手の(男性PSW)の口調は大変きつい、感情的に血が昇った雰囲気を電話口から醸し出す。
俺は相手の話を聞きながら、自分の感情を感じようとした。感情は恐怖感情。
しばらく、精神科を無断で通院を拒んで、自宅療養でしのいでいたので、
以外にも相手の攻撃に対して冷静だった。どっちが精神病だと電話を切ってか
ら感じたんだ。
恥をしのんで、この小さな精神科の情報を集めに動いた。行きつけのタバコ屋
の主人に自分のことかいつまんで話、この近所の小さな精神科の評判を聞いて
見た。
聞いた話では、近所の人が来ないで、遠くから来る人が多いと教えてくれた。
これは?
自分が住んでる町は田舎だが、やはり精神科への偏見から近所の方が来ないのか?
それとも、できて新しいので、まだ問題だらけの会社の精神科なのかと、
余計な詮索をしだす。
自分は今までの通院体験から患者の出入りと患者同士の裏事情のコミュニケーションで、通院先の現実を確認する癖が付いてしまった。
サバイバル・スキル?
そんな想いを書いてみた。とても転院が怖いし、
このことも知り合いに相談してある。
万が一のことがあれば、他の転院先も探す必要がある。
数年前と事情が変わっている。また、俺も現実的な方法を選択することに数年前より慣れてきた。
後は自分の直感で判断し、自分を守る選択、自分の生活を守る選択をして、
人生の流れに乗る以外は無いと感じました。
読んでくれてありがとうね。
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<338> まさ 改め 雅 |
■2009年04月26日 日曜日 07時26分41秒 |
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<心理的な暴力を受けていた>
正直、ここで書くことすらいいのかなと思うの。
自分の女性らしさを肯定しつつ書いてみたい。
自分が男性らしさを失ったのは、ある団体での生活だった。
女性の割合が多く、男性らしい発言がタブーだったし、世間では会社の上司に
当たる立場の人間が、演壇で、終末思想を煽っていた。
今は、変な時代だからさあ、そのイメージが蘇るんだ。
俺の受けた心理的な暴力は男性性を否定して、オカマの様に生きることだった
んだ。言葉遣いが綺麗と言われる。演壇で俺も多くの男女を相手に一席ぶって
いたからさあ、言葉を選ばないと話をする権利が無くなる場だったんだ。
同時に、俺自身もろくに調べもせず、宗教文書の教えを声高に話したことは、
自分がやった最大の罪だと思う。
かつての仲間は、まだ、終末思想漬けで生きている。
あの宗教的な笑顔で笑っているよ。最近見たが、俺はものすごい怒りと気持ちの悪さを思い出した。
この感情が不快な記憶と怒りと受けた心理的なねじ込みを思い出させる。
相当な圧力と、世間と同化することへの異常なまでの罪悪感を植えつけてきた
この輩は、実家以上におかしかった。
ああ、俺の生き直しと再生は果てしない旅だな。
ゴールがあるけど、心理的な暴力を受けると、そのゴールが消えてしまうの。
心理職とか、人に者を教える人間は、言うことの責任感を感じて欲しいの。
俺の様に自己喪失の連続人生を生きた人間は、すぐに知識を求めて作家さんに
依存する。それはかつての宗教体験からのトラウマがそうすると自分は感じるの。
でもね、ほんの少しだけ、自信の軸が出来た^^;
ある作家さんのイメージワークだったよ^^;
紹介はしない。人によって必要は違うし、紹介したら、俺はその責任を深く感じて、自分を責めてしまうから。
ブログを書いているけど、休止しているのは、自分がもっとさあ、自分の感情を自分で管理できるだけの力を取り戻したいから。
また、人生を生き直すよ。1からね。
読んでくれて、どうもありがとうね^^;
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<337> aiai |
■2009年04月20日 月曜日 08時33分41秒 |
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最近、暴力されてた過去の事をはっきり思い出してしまった。 あるきっかけがあったのだが、それの時変な感じを経験した。 殴られたために、痛かったところ、それはその当時のことだのに、 思い出したら、からだのその場所が痛い。痛烈に痛くなった。 あれ、病気になったのかなと思ったくらいだ。 時間がたってだんだんと、気持ちも楽になると、消えていった。 これは、身体が覚えているだろう。人間の身体は暴力されたことなど 覚えてしまっているんだろうなと、分かった。 すごいものだ。これでは、私の病気も治らないはずだ。
今思えば、私が毎日横になって寝ている状態だったのは、あいつの暴力のせいだったんだ。なぜ、気がつかなかったのか、不思議。結局は、あいつの言葉のために、自分が悪いと思いこまされていたのだろう。矛盾だらけの言い訳なのに、私はすっかり、思考力さえもなくなっていたのかもしれない。そう思うと、やるせない。辛い。過去の自分を抱きしめて、痛みをとってあげたい。
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<336> りつほ |
■2009年02月22日 日曜日 19時57分34秒 |
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毎日毎日、あれだけのことをされ続けて、よくまあ殴り殺さなかったものだと思う。 死ぬ寸前までいって、もし他人の手で事態が変わらなければ、あのまま死んでいたと思う。 家に帰るたびに、火事で全員焼死していないかなぁなんて願望を描いて、やっぱりそんなことは起きていなくて、毎日失望する。 死んで欲しかったのは確かだ。空想では何度殺したか知れない。 けれど結局、殴れたこともないも同然。 今になってそれをほめられることもあるけれど、的外れだと思う。 生き物を、それもあんなものを、殴るのが心底気持ち悪かっただけなのだ。 彼らにはそういう感覚がないのだろうが、多分それを一生理解できることはない。 何故あんな生き物がいるのだろう。
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<335> 清 |
■2009年02月17日 火曜日 17時57分23秒 |
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終わってしまったことなのにずっと私の後をついてくる。 全てを忘れてやり直したいのにそれは絶対にできないと思う。 だけど前に進みたい。 私は十分苦しんでる。あなたも苦しんでいますか?オトウサン。
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<334> あい |
■2009年02月16日 月曜日 00時48分39秒 |
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しなければ良かったと思ったこと。 母親は私が父親と変な関係にあると、信じ込んでいた様子だったから、 いじめたんだと思っていた。40代になって電話で対決しようと思ったから、話した。「あんたは、どう思っているか知らないが、あの男(父)は、あんたの男なんだよ!!!!」大声で怒鳴った。母も大声で怒鳴った。 父は、性的な事を私にしていた。私の所為じゃない。今思えば、たいした事じゃないと思えるくらいになった。 母は嫉妬深かった。父が男の欲望を満たし、私は子どもで何もわからない。 母は父を責めるべきだった。でも、私を攻めた。 こんなもんだ、こんな女が母だと思いたくない。 はっきりいえること、あの人は私の母ではない。これだけは、まよわない。
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<333> あい |
■2009年02月11日 水曜日 22時51分26秒 |
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暴力・・・心にダメージを受けるような行動も含まれるね・・ 何十年も前のことなのに、いまだに鮮明に覚えている事がある・・・ いじめの離婚から、数年経ち。最近落ち着いてきた。
実はその旦那、私とある人との仲をひどい方法で裂いた。 胸が痛む、今でも思い出すと・・痛い・・ いつか、忘れられたらいいと思う・・・ 二十数年の結婚生活の記憶は抜け落ちてしまい、何も残らない・・ ただ、結婚前の20代の頃の自分が戻ってきてしまった・・ あの頃悩んだこと、あの頃経験した痛み。あの頃のrealな自分が戻ってきて 現実感もスッカリ戻り、自分としてくらしている・・・
あの暴力の中で私は、自分をなくしていたんだろうな・・・ もう、すべての記憶が戻らないことが、神の恵みだと思う 苦しみを早く、忘れて、新しい人生を歩んでいけるからね。
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<332> a |
■2009年02月06日 金曜日 18時19分39秒 |
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もう疲れた。 この間やっと親と対決した。 初めて言いたいことを言った。
「あなたのためを思ってやったのにそれが(あなたが)理解できなかった」 の一点張り。 何のために私は勇気をふりしぼって話したのだろうか。 もうこの人たちとは解りあえないと思った。永遠に。
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<331> 心 |
■2009年02月05日 木曜日 19時54分08秒 |
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被害から逃げて、離婚決着も片付きましたが..6年経っても、悪夢は見ます。 被害当時のままの悪夢です。 もし奇跡的に新しい家庭を持てたら..って想像してウトウトしてたら、悪夢の再現でした。あのとき、死んでくれたらって何度思ったか.。。 今は離婚加害者は...刑務所内..何時か刑期済んだら出て来る 遭わずに人生終りたい
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<330> 玲 |
■2008年12月18日 木曜日 06時35分12秒 |
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暴力、虐待。
人間の残酷さの表れ。
人を嫌いになりたくない。
暴力、虐待。
無くなればいいのに。
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<329> uzpqsxvny |
■2008年09月13日 土曜日 08時52分59秒 |
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9ho0cN <a href="http://gqvnhcwmtahh.com/">gqvnhcwmtahh</a>, [url=http://eleoxgwpaahj.com/]eleoxgwpaahj[/url], [link=http://fkxrrdircrpj.com/]fkxrrdircrpj[/link], http://bhzcyuqwhhpz.com/
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<328> ぺん |
■2008年09月04日 木曜日 05時52分44秒 |
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神様がいるとして、その人が私に与えた運命は「残酷な生い立ち」だと恨む気持ち、 あまりにも不平等だと言う気持ちがこの一年間ずっとあった。
でもなんでだろう、今ようやく立ち直りはじめて、 神様と言う人が私に与えた真の運命は「闘うこと」なんじゃないかと思い始めた。
自分の心と向き合う勇気さえ持てずに逃げ回った末に 人間として最も卑怯な暴力によって人の心を蹂躙する人間の子供として生を受けた。
私はだからこそ、その暴力に屈しない。 暴力の犠牲になったからこそ、その根底にある醜い心に負けない、正しい心で幸せになる。 そのために乗り越えるべきことが、私の人生には本当にたくさん用意され続けている。
親は自分の力を周囲の人を不幸にするためにしか使えない人だった。 私はその力による害悪を乗り越えて、幸せになる。 自分の持っている力を周囲の人を幸せにするために使える人になるんだ。
規模はまるで違うけど、ガンジーが貫いた「非暴力不服従」という闘いと同じように。
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<327> まさ |
■2008年08月31日 日曜日 09時25分34秒 |
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心の中の暴君
心の中に住んでいる暴君。俺に中に相変わらず大きな顔をしているな。
だがな、俺は真剣に君を説得し、その間違いを突きつけるんだ。
世界がおかしいから、犯罪が多いから、犯罪に走るのもいいことだと、君は
言うな。だがな、それは間違いであり、この世界を闇へ走らせる間違った、
信念だ(信仰) お前の元凶は、犯罪を暗に肯定する、様々な情報操作、
その被害を理解できないで、その影響を受けた親、教育者たち、隣人だ。
彼らを責めることが出来るかい? 俺は、病の真実を知り、その過程を 詳細に学んだ。今も専門家に聞いている。
自分の中の悪は、いくらでもあるんだ。こんなことを書くなと、お前は言う
けど、書くぞ。皮肉にも、ある組織の教典に、「悪に対してみどりごであれ」
あり、そうして来たが、詳細に知識を取り入れることで、悪に対して冷静になった。
ああ、苦しいがこの自己変容の過程で、お前は死んでいくだろうな。
もう一人の自分よ、お前は、もう消滅してくれよ。俺を虐めるな。
悲しみも、苦しみも、愛を感じて浄化して、成仏したまえ。
そんな余計な感情は、もういらないんだよ。
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<326> ぺん |
■2008年08月15日 金曜日 09時26分49秒 |
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もしも「神様」という人が存在するのなら、 彼は私のことを一体どうしたくてこんな境遇の中に生を受けさせたのだろう? 何を思ってこんな残酷な人生を私に与えたのだろう?
自分の力ってすごいなとほめてやるというよりも、 むしろ不思議に思う。
こんなにも必死で立ち上がったのに、生きようとしたのに その度に容赦なく叩き潰される、私の「生きたい」というこころ。 もう無理だと思った。 それでもまた立ち上がれというのは、あまりに残酷な話だと。 なのに。 ふらふらのぼろぼろなのに、でもまた私は幸せになりたいと動き出した。 苦しみを理解して助けてくれる人を探し出した。 このまま諦めたくない。悔しい。
あんな愚かな人間の愚かな犯罪行為のために 私の人生が犠牲になるなんて嫌だ。 あんな人間の罪に私が屈してたまるものか。 幸せに生きる権利を奪われてたまるものか。
あんな愚かな人間に負ける私でいたくない。
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<325> りざーど |
■2008年08月03日 日曜日 23時19分22秒 |
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どうせ、この人も豹変するんだろうなって思ってしまう。
幼い頃から、複数の人間に暴力を振るわれてきた私には
他人が皆、善人の仮面を被った犯罪者に見える。
第三者がいる前では、優しそうに微笑んでいるけど
私と二人きりになると、突然豹変し、拳を振り下ろす。
殴ることで、弱い子供の私を支配下に置き、満足している大人たち。
劣等感? 自己顕示欲? 欲求不満?
その理由は、さっぱり判らないけど
おかげで、誰も信じられなくなりました。
他人が怖くてたまりません。
豹変しない人って居るのですか?
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<324> ラビット |
■2008年08月01日 金曜日 00時11分24秒 |
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久しぶりの書き込みが暴力になってしまった。さっき父親に首を掻きむしられ、傷ができた。ほんのささいな出来事からこういう結果になった。正直今かなり同様してる。一瞬で心が空白になった。母親と姉がとめに入ってきた。僕が警察を呼ぶというと、お願いだからやめてと叫ぶ。父は病気なんや、堪忍してあんたが大人になって。姉はあんただって前に母の首しめたことあったやん。と。
どれ一つとして大丈夫やったかの声はなかった。そっか、そんな家族か。
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<323> ぺん |
■2008年07月23日 水曜日 01時53分59秒 |
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だれもわかってくれない。だれもわかってくれない。だれもわかってくれない。 だれもわかってくれない。だれもわかってくれない。だれもわかってくれない。
孤独感に支配されてしまっている。 わたしだけ。わたしだけ。わたしだけ。わたしだけ。わたしだけ。わたしだけ。
ほんとは孤独じゃない、それはわかってる。 わかってる、、、
父親に小学生の間性器に指をつっこまれて、もてあそばれていた人が他に誰もいない。
同時に母親からも日々激しく殴られ蹴られ髪の毛を引っ張り回され、寒空の中放置されていた、 その母もまた父から毎日殺されるような暴力を受けていた、母は精神を病んでいた、 私を助けてくれるものなどどこにもなかった。 現実をそのまま直視していたら、死ぬ以外の選択肢がなかったから 生き延びるために記憶を30年間封じ込めていた‥‥そんな人が誰もいない。
思い出してしまった後のショックや苦しみがどんなものなのか、分かる人なんて誰もいない。
性虐待という犯罪そのものが、 被害者をとても耐えられるものではない孤独感にたたき落とすのだと知った。 被害者の人格をいとも簡単にバラバラに壊すことも知った。
私は、親にとって、確実に、「にんげん」ではなかった。
親から人間扱いされなかったモノが、どうやって人間らしく生きられると言うんだろう‥‥
でも、たぶん、人間じゃないのは私の方じゃない。 人間じゃないのはアンタだ‥‥
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<322> りざーど (*FB注意) |
■2008年07月21日 月曜日 00時34分53秒 |
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どんなに辛くても、 どんなにしんどくても、 助けを求めることをしなかった。
助けてもらいたい気持ちは、きっとあったんだと思うけど 誰かが自分を助けてくれるというのを知らなかった。
「助けを求める」ということ自体が私の中に無かった。
自然に助けを求める事が出来て、 周りから気遣ってもらっている人を見ると とても不思議に思えた。
きっと、あれが普通なんだろうな・・・と。
だけど私には、それが無い。
どんなに殴られても、 どんなに蹴られても、 声を発することなく、じっと耐えていた。
誰にも助けを求めず、誰にも言わず。 それが、私にとっての普通だった。
もし、私が誰かに助けを求めていたなら きっと殺されていたかもしれない。
私にとって、助けを求めるということは 命と引き換えに近かった。
恐怖の只中に居れば居るほど、助けを求めない。
この世に安全な場所があるなんて知らなかったから。
今居る場所が、全てだと思っていたから。
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<321> ハイビスカス |
■2008年07月12日 土曜日 00時27分01秒 |
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からだとこころは
ただしく つながっているようで。
末端冷え性の私の身体を診た漢方医は
「つらいを我慢してきたからだじゃねぇ。。」
と 仰っていました。
かわいそうに かわいそうに と。
あぁ
わたしの こころとからだ。
少なからず この今からは
わたしが うーーんと 愛してあげなきゃ。
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Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama. |
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