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私たちの物語 - 暴力・虐待・過去ログ No.14
メッセージ数:280件

<280> りる ■2007年10月30日 火曜日 23時11分52秒
私をいじめてきた連中を
死に至るまで、ボコボコにしてやりたいよ…。
<279> ぺあ(FB注意) ■2007年10月12日 金曜日 22時28分35秒
 私は自傷するとき、すんごく警戒している時。すんごく不安な時。すごく嫌なんだけど、頑張らないといい会社に入れない、その辺で野垂れ死にする、ろくでもない奴になる時って思って、嫌な思い抑圧しまくって頑張ってしまう時。弱いものを見たとき。弱くても周りにOK出されて、のびのび生きている人見たとき。
<278> ぺあ(FB注意) ■2007年10月10日 水曜日 11時19分58秒
 目尻をあっかんべえってやるところを傷つける。痛い。そんな想像して、誰かからくるはずの私への暴力、言葉のからかい、集団での私への何やってもこいついいぜっていう皆一斉にその子たちのストレスぶつけられる日々・・・今も続いている、一人でいてもその子たちがいて、私が新聞読んでいてもどこかで狙っている気がするの。怖いの。自傷はとめられない、念のため、傷つかないため、ぼろぼろにされないため、笑われまくって傷つかないために。どんなに頑張ってもやまないいじめ、皆からされ続けるのは、私に原因があるんだと思い続けた。おとなしすぎる、暗い、何にも話さない・・・見るもの聞くものに全く自信がない・・・・それは家庭でそう育ったから。それなのに、あなたの性格をもっと改めなさい、だからいじめられるんだよって言われ続けた日々。躁うつ病を教えてもくれないで、対向車線に飛び出そうと考えている父に子供の私が気がつかないわけないでしょう?自分の病気認めないで、自分を必要とされたいって、いっぱい自己犠牲的な世話焼きに奔走する父、ただ甘えて、問題ないことだけを大切にするお金づかい荒い、時々彼女の気分で爆発する母、いらいらして私をこばかにする姉。
 いきなり、父が人格変わるように怒り狂って、母を憎しみの目で見て、あげつらいばかにし、喜ぶ父。そんな家庭にいて、自信持てますか?子供の中で無邪気に歓声あげたり、周りおかまいなしに、自分のやりたいことゴーゴー勢いもってできる子の中にいて、誰かの責任を背負うこと、特に、辛そうな人の、そういう役しかやったこと無い子が、自信もっと、おとなしくなくて、嫌なこと嫌って言っていきていけますか?

 家ありきなんだよ。分かれよ。勝手なことばっかりみんなで言いやがって。母親も私の弱さ自信のなさを大うけして、よくからかわれた。父は母のからかいに姉からのばかにしに、守ってくれたね。

 もういい加減にしてほしい。自傷して周囲をとばして生きてきた。そうじゃなければ、意味分からない恐怖の学校を生きられなかった、また家庭の常に「問題のない、ふつうの子供」のふりを親のためにしていけなかった。自傷がなければね。
 自傷。自分で想像するの、気持ち悪いこと自分の恐怖嫌だと思うこと全部。信じていた神様にお願いするの、自分が絶対になりたくないことを。
 痛い、気持ち悪い、自分を汚く思う、他の子と違うおかしい子だと思う。これ全部あいつらに学校でされ続けてきたことだよ。今度は自分で自分にやったんだ。
<277> ぺあ(FB注意) ■2007年10月09日 火曜日 22時09分40秒
 未だにやっぱりどうしてもあの子のしたことは離れないよ。
顔が口蓋なんとか・・・というので手術していて、辛かった子らしい。
でもあんな子さえ会わなかったら、どんなに良かったかって思ったよ。
 私に狙い定めているのは分かっていた。小学校時代のことなのに、今でも恐怖は止まらないんだ。でも、あの子は、私以外にもやっていた。健康度チェックする皆の名前入りのマグネットMさんのやつに、あの子は隠れてホッチキスでばしばしうって、その子の反応見ていた。Tさんに無理やりキスしようとしていた。Tさんは、「いやだ!」って言っていたから、すごいと思ったな。中学に入ってからも、Nさんをお供に、いっつもつれていて、会話少し聞いたら、「ばあか」みたいなことを言っていた。髪をいっつも引っ張られていた。でも、バスで酔いまくって泣いている私に「泣かない」って優しく看てくれた時もあったんだ。私をかばってくれた時もあった。許しているつもりだった。
 それでも耳の中に蟻を入れたこと、それについて大喜びされた事は、私の中で消えない時の止まった感覚を与えた。信じられなかった。心ががたがた崩れた。もう16年も前のことなのに、未だに右の耳が痛いの、時々、心と一緒に痛むんだ。
 恨まない。それでも医者目指しているなんて信じられない。でももう許したい。あの子も辛かったって分かるし。あの子も悪いところばっかりじゃないのも分かっていた。仲良い時もあったし、楽しい時もあった。それでも、身体につけられた暴力はやっぱりからかいを超えて、私の心に澱のようにたまっていった。支配欲の強い子なんだろうな。
 許したい。あの子の家族が2人もなくなった話し聞いた。もう、許したい。それでも、未だに痛いんだ。痛むんだ。悲しいんだ。いじめっていつまでもいつまでも終われない。悲しい。当時はいじめとも思わず、されるがままで生きていて、過呼吸になったり、自分はがんだと思い込んだり、強迫神経症のようになったりしていたけど。
<276> ぺあ(FB注意) ■2007年10月05日 金曜日 12時40分16秒
痛いな。右の耳が泣けるくらい痛いよ、痛いよ痛いよあの頃の恐怖もまだ消えない。かすれるような恐怖。痛いな。右の耳が痛いです10歳のGWの終わった次の日の草取りの時間の前のお昼休み、掃除の時間に入れられた、近くにいて助けて欲しかったI川さんの着ていた洋服が白いブラウスだった。
 あの子の嬉しそうな顔「OOOOの耳聞こえなくなるかも〜鼓膜破れるかもよ。耳が聞こえなくなる。脳までいって脳まわるかも」すっごいすっごいすっごいにたにたにたにた本当にこの世の愉快極まりない顔して私に言ったN,Aさん。変な名前男みたい。死ねよ。お前の家族死んでよかったねてゆうかお前がころしたんだろ?人の心へいきでころせるんだものね、良かったね〜しんで死ねよお前も死ねよ死ねよ何結婚してんの>このぶすがきたねえんだよはなが何外科医めざしてんの>お前の其の顔自分のメスで殺せでも私にはもう二度と罪悪感背負わせてくんなこのぶすが良かったねしんでよかったねおめでとさん
<275> ぺあ(FB注意) ■2007年10月05日 金曜日 12時35分06秒
和式トイレの中におしり突っ込んで其の中でぼちゃんって落ちることばかり考える。性器に思いっきり私のいやなものを突っ込んでやりたい。いじめられた痛み再現してもう二度と私を他者からいじめられないようにしたい。
 あの子たちには何もわからない!!!父が躁うつ病だったことも私さえ24にならなければ彼が自死しなければ知らなかった1!!1
 なのに私がいっつも悪くてずるくて恵まれている。私は頑張って自分にうそつきまくってこの社会で生きる為に心はもう疲れて自傷してもう寝たい、ひきこもりたい、休みたいっていうのが将来の私の夢だった。いつからかな?もともと幼稚園の先生を喜ばすために「私は幼稚園の先生になりたいです。Hの先生みたいな」って先生の微笑んだ顔見ながら言っていたから、もともと私には誰かを喜ばせたいという思いが強かったんだけど・・・・それがあの耳にありをいれられてあの子の憎悪一身に背負って私を責めて、いじめがクラス全部にエスカレートした頃から私は、ずっと大人になるまで生きられないかもって思っていた。いつかここで死ぬかもって。そうして、中学高校の頃の夢は「休みたい」だった。とにかく、こっから離れて「休みたかった」「もう休みたい」それだけだった、私の夢。高校の頃心的外傷という本の紹介を読んで、私はこの心の消えないなまりを注がれたような感覚は、もしかしてPTSDなんじゃないかって思った。それから大学でこういう勉強したいとは思っていた。それでも未だに辛い、そのただなかにいるいじめや自傷を他者に研究をして発表するのはつらかった。
 浪人時代なんて毎日新聞見ながら私の殺人事件のっているかな〜なんて本当には思っていないけど、それでもそれくらい思っていたの。
 毎週金曜になればなぜか泣けて泣けて泣いていた。予備校の友人は私が大学受験失敗したから落ち込み続けているんだって思っていた。私ってこうかくとうつ病なのか?とにかく親密になれば友人からは私はいつも落ち込んでいるように見えるらしいのだ。
 でも食事はできるし眠れるけどね。

 思い出したな・・・・。風邪でスキー旅行行けなくなったときに、父が無理やり「せっかく予約したから」と連れて行こうとした。まだ11歳だった。私は、父にも母にも「あなたたちは行っていいよ」って行ったんだ。内心「やったー一人になれる!」って思った。「一人になれば私は素直な感情はけるからね」父も母も姉も私を置いて旅行にいった。私はそれが心底嬉しかった。ほんとに。だって、こいつらといると私はあの人たちの思考読み取って演技し、彼女たちが安心する「何言われても気にしないおおらかな無邪気な子供っぽい明るいキャラ」を演じ続けるから。あの人たちの印象操作をし続けるんだ。

 あの晩一人で頭冷やすためにタオルを濡らしながら・・・本当にひゃっほ〜って思っていた。まだ11歳の風邪で吐きまくっていた私の心情だった。それくらいいっつも圧迫されていたんだ。
 ラジオを夜中の2時に聞きながら、本当に幸せだった。したに住んでいる祖母と祖父が一応泊まっていってくれたけど、3日のうちの一日かな。

 でも私には結構どうでもよかった。私は一人になる状況をいじめられてからはずっと楽しみにしていた。だって、そうしたら好きなときに自分の素直な感情をだせるじゃない?それが幸せだった。誰の目も気にしないで。それが私の子供時代に許された感情発散だった。
<274> ぺあ(FB注意) ■2007年09月30日 日曜日 16時15分43秒
 指の切り傷に、思いっきり汚いものとかを塗りつけてやりたい。そう思っている。そうしたら、自分いじめられるな。そうしたら、あの頃の小学校時代の私のこと憎くてたまらないっていう目していた奴に報復してやれるな。
 自傷なんて私できるんだよ!!!!1
 憎い目していた、あの子。鼻が変形しているんだって。だから??・
 しらねえよ。
 
 もうやめたい。自傷。それでも、空き缶見れば、指突っ込んで口のとこに思いっきり傷つけてやりたくなる。包丁見ても、はさみみても、今度は母を指してやりたくなる。
 あのコントロール下に置いてやろうか。私のされてきたあの支配下においてやろうか。「良いこと」をやってくれるこの環境に「No」という気持ちさえ押さえ込まれて、それでも学校でのあのいじめに「私の感覚異常」だと自分が暴力受けているのに、「こんなことで騒ぐのはおかしいね」と笑い続ける。そうして、私に高圧的な子が毎日電話かけてくれば、母は大喜び。「あの子・・・」母は私が弱って、からかわれるのを見るのが面白いみたい。ばかにしたくて、いじめたい。子供のような純真な気持ち持っている人なんだ。
<273> ぺあ(FB注意) ■2007年09月07日 金曜日 09時40分22秒
ふぅ、小学校5年に木の学校の堅い堅い2枚ドアを反対からばぁんと人がドアを私方向に、すごい力で押しやって、いた私の左額直撃した、たんこぶ削りたくなる、がじがじえぐっていためつけたくなる。私には責任はないと自分に言い聞かせる度、その自傷願望が出てくるよ。痛いよぉ。ぐちゃぐちゃに一番痛いとこをすごいことしてやりたくなるの。当時は私は周りの気持ちに敏感で、いつも誰かに満足してもらうために生きていた。ピアノ教室にはTさんを迎えにいく、雨の日は傘もって。「今日は行かない」と言われたら、「うんうん分かったぁ(内心一人でいられること喜ぶ私)」頭ぶつけられた日も星飛ぶほど衝撃だったのに、私はTさんからの誘い断れず、あの子の社宅でピアノの練習つきあわされ、歌まで「歌って!」というから歌わされた。今考えると眉毛つながった美人だったけど勝手なすごいやな奴だった。まぁ中学時代に引っ越してくれてラッキィだったけど。私自分は頭ぶつけてたんこぶ作ってまで痛いのに早く冷やしたいのに、それでも子供の遊びにずるずるつきあう、どうせ相手の都合で、ピアノの練習つき合いと。なぜこうもあの頃は、自分ないがしろにしていたんだろ?私が子供の勝手さ、弱いもの瞬時に見つけ、際限なく欲求満たそうとするのが、やっぱり怖いの。子供が恐怖、子供は怖い、ばかにする、人見分けてはいいようにどこまでもやる、だから子供殺したくなる。怖いの。私はその子の家からその日は早く帰れて、内心ほっとしながら、うちで自分で氷袋作って頭を冷やしていた。遊んでるときほんとに不安で不安でしょうがなかった。吐き気きたらどうしようかと。なのに顔は相手に合わせて何も心配事なさげに笑っている。早く帰れて、私ってぎりぎりのとこで助かるなあ、私ってこうやって相手に嫌われずにいるわりに、自分のおでこも大切に処理できる、つくづく計算高い、土壇場で助かる、せこい、ぎりぎりセーフで生きながらえる、ちょっと普通の人よりずるい性格してるとあの頃思っていた。はじめから遊ばないで保健室いって処置してもらう、帰ったら寝て安静にする。遊びにはつきあわない。これが当たり前だったのよ。皆あの頃のことなんか忘れて生きてる。あまりに自分ないがしろにしすぎて、二重構造のようにして生きていた小学校4年から6年まで。不思議だね。よく生きてきたね。あなたはせこいんじゃない、嫌われないよう気使って、でも最大限自分の世話も子供なりに賢く超えてきた
<272> ぺあ(FB注意) ■2007年08月27日 月曜日 12時00分16秒
痛いな。右耳痛いな。ひどく笑いたくなるな。痛いな。あの子の顔思い出すな。あの子も救わねばなんて思っていたな。自分せめて、傷つけたら、誰かに許してもらえると思っていたな。いつも怒っている父。いつもなぜかばかにされる母。姉のいらいら。Nさんの怒りの目。女子のつまらないから、いつも餌食見つけようとする顔。先生の疲れた顔。誰も、誰も、皆疲れて、不幸そうに見えて。私は生きているだけで幸せだったから、なぜ?だった。そっか、あのNさんが言うように、私はずるいんだって納得した。あの子の「悲しい痛み」とか言って、私の腕をつめとつめでつねる、あの痛みや魂ぐちゃぐちゃにされて、笑うしかない、あの惨めさ、最近思い出した。痛かった。でも、自分は怒りの感情を持てば・・・私は汚い、だからいじめられるんだと思った。当たり前の感情さえ認められなかった、誰も止めてくれなかったから、私は私の中に親を作って、自分の感情をチェックしていた、行動も。それはそれでよかったのかもしれない。それでも、いじめられた痛みは本当に忘れられない。
 ずっと人の奴隷なんだなって思い続けた。でもいつか・・・しゃかいてきに成功するって・・・未来の自分が過去を見ているように、現実を捉えて小学生、それ以前から生きてきた気がする。とても寂しかった。
 でも、私もまたものすごいプライドが高くて、意地っ張り、一回嫌だと思ったら、どんなに謝られても、優しくされても、死んでも聞かない・・・そんな性格(父に似ているかも)があるから、人間関係うまくいかないのかな。
 それから、死ぬことは負けたこと、早く死ぬ人はかわいそうなこと、死ぬのは、だめなこと、順位下になること、私はそう思っているようだ。長生きしている人は勝っていて、死んだ人は負け、私はそう思っているようだ。
<271> アーネスト ■2007年08月20日 月曜日 23時10分53秒
(FB注意)


暑い。寒くて鬱ということはあったけど暑さとそれに伴う不快感で鬱というのは初めてだ。死にたいという気持ちを表明することにずっととまどいがあった。高校から自傷(?)が始まった。勉強中にシャーペンでうなじやふくらはぎをブスブスと刺す。これって自傷? 卒論の提出日か審査日の前日(たぶん、審査日の前日だったと思う。論文のサマリー(短い要約)を書いていたから)「このまま死ねたら気持ちいいだろうな」と思った。向精神薬のおかげで少しハイになっていたこともあるけど、甘美で危険な陶酔感によっていた。ふとカッターナイフで両腕前腕を切り始めた。浅く。初めて怖くなった。死にたかったが死ぬのは怖かった。痛いだろうなと思ったし、それ以上切らなかった。そのままでは気が気じゃなかった。死への恐怖に完全に怯えていた。死にたい、でも死ぬのは怖い。でも死にたい。友人3,4人に「リスカ(本当はアムカだけど)しました」とだけ書いてメールを送った。一人の友達がすぐに電話してきた。そして家の近くで、会うことになった。どこで会ったけな。その後、居酒屋で酒を飲んだ(僕はブラッディーマリーを飲んだ)。

そのときのことを責めていた。たかがアムカで何が自殺未遂だ!とか、もっと苦しい人がいるから、とか。本当は死ぬ勇気なんかないくせに、だったら本当に死んでみろよ!とか。死ぬことの勇気なんか勇気じゃなくてただの無謀だということは今は一応頭では理解してるつもり。でもいくじなし、と責めていた(そのときにMTGがあればよかったのに、と思う。そのときの気持ちをダイレクトに伝えられたから。でも未遂をするまで堕ちていなければばMTGに出なかっただろう、ともなぜか思っている)。
<270> アーネスト ■2007年08月12日 日曜日 22時26分54秒
(フラッシュバック要注意。気分が悪くなる恐れがあります。自信のない方は読まないでください。蔦吉さんへ もし内容が不適切でしたら削除をお願いいたします)



暴力の匂いを感じる人が嫌いだ。僕は男だが、過剰なマッチョイズムの人が大嫌いだ。その人に原因があるわけじゃない。僕は映画やテレビドラマ、漫画などの主に視覚メディアから「筋力=暴力=支配」という洗脳を受けてきたから、別にマッチョな人を否定はしない。そういう見方をする僕に問題があるのだから。

暴力を受けた、あるいは受けそうになった記憶を遡ってみると、例外はあるものの特に中学に、とある暴力的な教師と過ごした時間は、まるでサイレント映画のように音声がなく、モノクロでただフィルムの回る「キュルキュル」「カタコトカタコト」という音だけが聞こえる。

僕はステップ8までやったが、それでも依然として自分を責め続ける、むしろ自責感が強くなっていくような自分におかしさを感じた。コ・ディペンデントのCD(Iポッドに入れたもの)を聴いた。少しだけ否認が解けた。

僕が関わりを持つ人はダイレクトにしろ間接にしろ、婉曲的にしろ暴力的な人が多い。結論から先に言うと僕が「私は暴力を受けるに値する」という価値観を持っているからだと思う。暴力を受けたは受けたが・・・それは俺が悪かったんだろうくらいにしか思わない。自分でも狂っているのはわかっている。たぶん、あったことを矮小化しているのだ。頭の中ではサイレント映画が再生されている。事実を事実として認識している。でもそれはたいしたことではない、と矮小化している。今、自己評価は測定不能で、マイナスの針を振り切ってぶっ壊れている。

表面上は話しかたも知性的で優しそうで、いかにも受容的。表情は柔和。でもだんだん愚痴が暴力的になってくる。そういう人と2名付き合った。ある時はドライブ中に、車の窓から空き缶を思いっきり投げ捨てた。甲高い金属音が鳴り響いた。僕はハンドルを握っていた。いったい何をしているんだろう???まるでカージャックされているみたじゃないか・・・。

そしてあるとき、ある人は僕の前で、カッターをおもむろに手にした。刃をロックするストッパーをカチカチと緩めたり、締めたりしながら。僕は何が起こるんだろう???何をされるんだろう???と思った。予想していたことが起こらなかったことが重要だろうか??? 僕は「脅される」に値する???
ふざけないで欲しい。 

いつかは暴力のトラウマをテーマにしているグループを訪ねたが、女性限定だった。腹が立った。男性だって暴力を受ける人がいるのに。

頭では分かってる。「暴力はいかなる理由があっても許されるものではない」と。それでも暴力を受けた当人、僕は結局「自分が悪かった」というところで思考が止まっている。今はこのくらいで・・・。
<269> WINNIE ■2007年08月09日 木曜日 02時05分39秒
「毒になる親」と言う本があるけれど、故意に他人に毒を投げかける人もいる。私はそういう人が嫌いです。
<268> ぺあ(FB注意) ■2007年08月08日 水曜日 21時41分06秒
だからあなたの不幸話聞いて、やったぁと思いました。ばかじゃんざまあって思いました。あなたはお医者さんになるそうですね。すごい優しさと支配を勘違いしそうなイメージが子供の時から変わってなければします。でもはっきり言えばどうでもいいですけど、あなたのことを考えるのはあなたに罪悪感があるんです。私の恨みはすごかった。でもされていた時は、私は家族の辛そうな顔にとても不思議だった、なぜか父の背中の寂しさも姉の不満たらたらも母が二人にばかにされることにも私は自分を支え役、慰めの道化師として振る舞った、そして子供本来の世の中に対する生きている喜びを感じる自分と家族の姿とのギャップに私はあなたからの言葉、お前はずるいんだ、で自分の疑問不安不思議さを納得させてしまった。私はあなたの鼻の手術痕にもあなたがそれを一番気にしていたことにも自分の手術の怖さ、お母さんに対する不満にも不思議に罪悪感、自分がずるいせいだと思ってしまった。私は自分の顔好きでしたから。性格も。自分も家族も世界も何より自分が。だからあなたより恵まれているとは思いましたから。ごめんねぇとその子の不幸さに悪いすまない私のせいとの罪悪感持ちました。あなたのご家族のご不幸かわいそうです。罪悪感感じました。私のマグマの恨みがそうさせたのかとか私が子供時代何も不満吐かなかったからあの子のつらいサイン大人見落として、あの子はほかの子もいじめていたから、その子たちすべての怒りがご家族のご不幸につながったとか思いました。でもね私も周りから見れば不幸のようで私には楽になったことも合点したこともあるように、出来事だけじゃ渦中の方の本心は計れない。だからさよなら。あなたはあのとき確かに大変なこと抱えていた、でもそれが人をいじめていい事にはならないんだよ。そのつもりなく甘えていただけかもしれませんが。私はあなたとは関わりたくありません。もうそれだけです。ざまあじゃんやったと正直に思ったことは付け足します。素直な思いです。
<267> ぺあ(FB注意) ■2007年08月08日 水曜日 21時23分06秒
右耳に10才の時に、共依存兼良いようにされていた子から、蟻を入れられたんだ。わざとではない。顔につけてあの子はいたずらしようとした。私が払おうとしたら、耳に入ってしまった。青ざめて保健室行かないとと私は休み時間終わった後の草取りゆとり授業の集合している時に、その子に言った、「さっきさ、蟻入ったよね。」その子は私の顔に面と向かっていた。「〇〇〇〇の耳聞こえなくなるかも、鼓膜破れるかも〜そしたら耳聞こえなくなるかも」何度も、うっれしそうににやにや私の顔を真っ正面から見て言った、心からうれしそうだった。不思議ね、私の心がなぜかその言葉聞いたら、へなへな〜って萎えて、今までもその子が時あればつめとつめで皮むけるまでつねったり、時あらば、バカと言い私の頭はたいたり、〇〇〇〇うける〜と私の変なうける行動言いふらしたり、私のナップザックかんぺんみんなでパスパスと回していた。その子もね、私をかばってくれた事はあったんだ。係りの表作るときに、「〇〇〇〇は字うまいんだからあんた書けよ、早く書いてよ」って、私は体育で戻ったばかりで手が悴んでいた私をせかす子Mきちゃんがいた。私ほんといつも彼女たちの気まぐれの暴言のまと的な存在だった。恐ろしい時代だった。その子はかばったの私を。やめなよって。もしかしたらその子は仲良いつもりだったのかもな。ナップザック作り手伝ってくれたもんね。仲良いが私支配につながって甘えてつねる耳にあり入れても笑うだったのかも。今でも子供時代のあの寂しさつらさは忘れられない。女の子供を見るとほんとは私すごく怖いの。こどもは実習いったら怖くなった、ううん学校が怖い。私をいじめたと私が思っていた子はお兄さんを若くしてなくしお母さんをがけから車事故でなくしたらしい。聞きたくもない情報を私の辛いときに流したばか女がいてね。もうその友達だと思っていた子にも合わない。二度と。昔は仲良しだった、でもふとした時にいじめる側に回ったりしている時が少しだけあった。たぶん弱虫なのは私じゃなくその子だね。いつかねそういう今私にとって必要じゃなくていらない関係も過去も遠くにやってね、自由に楽しく話し合える友人つくりたいです。さよならNみさん、あなたは私をつねったこと右耳に蟻入れたこときっとおふさげのつもりで忘れたことでしょう。私はあの頃とても弱かったんでしょうか?いつまでも右耳がどうなるのか怯えていた20過ぎても。いつまでも痛かったとても。
<266> ('-'*)ネコムライス(FB注意) ■2007年08月08日 水曜日 16時18分13秒
親は子供を虐待する権利があるの?
何にも悪い事してないのにお尻叩かれたり。
冬寝てる時に布団の上から大量の水かけられたり。
大事にしてたガラスのコップを割られたり。
包丁振り回されたり。

訳わかんない。狂ってるよ。
私あの時あんたさえいなければ…って思って、包丁握ってあんたの前に立った。本気で殺したいと思った。私たちに辛い思いばかりさせるあんたなんか死ねば良いのにって。
アル中オヤジ。死ね!!
<265> なずな(*悪心注*) ■2007年08月06日 月曜日 03時27分08秒
 兄が妹をバラバラにして殺害した事件についての両親の手記に激しい憤りを感じる。
 「娘はどうして謝らなかったのか・・・」
 は?問題が違う!何を言ってるの?

 バラバラに刻むような反抗に至るまでに、サインはいくつもいくつもあったはず。それを逃していた両親の責任は大きいと思う。
 乳房や腹部などを切り取るまでの病的な残忍さ、妹への怒りよりは、三浪もしていた犯人の鬱積したストレスがたまたま妹にむかったとしか思えない。

 反対に妹が兄の局部を切り取ってのバラバラ殺人だったら、どうだろうか。
 すこし取り上げられ方が違う気がするのは私だけだろうか?
 この事件、犯人側の責任があまり追及されてない気がしてやりきれない。

 変な親。日本語が通じない感じ。
 似たような立場にいたものとして(まだ逃げ切ってないけど)
 謝っていればよかったのに・・なんていう考え、地団駄踏むほどの怒りがわく。

 絶対にあんだけの犯行にいたるまでにサインは出ていたはず。
 親であるのに見落としていただけでしょうが!!!
 
 まるで私の両親かと思うほど腹立たしい。私への兄の暴力を見てみぬふり。見たくないものは見ない、感じたくないものは感じない、そうやって逃げてきた両親が招いた惨事に見える。

 

 
<264> 秋 ■2007年07月31日 火曜日 11時47分50秒
▲FB注意

最近の一方通行バーチャル恋愛から回復気味の私
です。
小さい頃父は絶対で遊んだ記憶ってのが全くない。
父が中古車センターや園芸センターにいくので半ば強制的に
ついていったことくらい。
中学生になっても、それは続いたのだが、私の中にある感情が。
それは、父ってなんかかわいそうな人だな・・。っていう同情。
時に、「出かけるのに1000円あげるからいこう」
って言われたりすると、
お金うんるんよりなんか行ってあげたら父は、喜ぶかなとか
考えたり。
表面は、(お金もらえるからきたんだよ!)
ってつっぱりながらね・・・。
でも、下の妹二人は、父が出かけるぞって行ったら泣く始末。
よっぽど嫌だったんだろうな、当時。
誰も、こないと不機嫌になってまた怒鳴り散らすから
「私がいく!」っていう形が多かった。
気持ちや感情の押し付けが私自身の感情表現の屈折や歪みを
生んだことは確かだから。

最近、旦那と会話でお店屋さんごっこをしたりする。
じゃあ○○○やさんねとか言って。
退行かもしれないけど、すごくたのしくて。
旦那も小さい時父親と遊んでもらえなかったんだな・・と
ぽつり。
公園で父親と遊んでいる女の子見ると、いつも目で追ってしまう。
それは私が父にあわせるのではなくて、
そのお父さんが女の子の目線でやさしく話す姿を・・。
<263> ぺあ(FB注意) ■2007年07月31日 火曜日 01時20分21秒
なぜ私は小学生いや幼稚園児の頃から、集団からはずれている子の責任を感情的に取ってきたのだろうか?なぜ私は私がまるで母親のように、「かわいそうだからあの子」という親や教師の要望くみ取ってきたのかなあ?Nさん。この子からの日々の不満を全部請け負う義務があると思っていじめられ続けたのはなぜなのか?死ぬのが怖かった、なんか良いことして←良いことになってない、ただ耐えることに何の価値もないし、相手の為にも全くなっておらず、私の恨みがたまっただけ、将来来るであろう、もしくは世の中にあるよく人が苦しんでいる病気、不幸、突然の悲しみ=私は子供の頃からテレビで病気の特集みながらおびえていた、に遭わないようにするために、いじめを受け入れていた気がする。また私は状況をコントロールする、たとえなにもできない私でも人の感情読みとるのだけは得意だから、だからこの場だけでもコントロール感持てるし、バカなこの女に私もだまされている振りして支配してバカにしてやるか、気が弱いと揶揄ばかりされる私にもお腹で笑ってやるそんな気持ちもあったと思う。それがいじめを受けている最中の思いだった。いじめられていくあの周りの勢いに飲み込まれるあの感じは、小さな私をとてもおびえさせたけど。
<262> ぺあ(FB注意) ■2007年07月29日 日曜日 11時33分27秒
どうやったら消えるのかな?どうやったらいじめられた記憶忘れられるのかな。どうやったら普通の人みたいに前に進めるのかな?どうやったら私は小さな私の子供時代を抱きしめてあげられるのかな。どうやったら私はふつうの人になれるのかな?どうやったら私はいじめた女の10歳の頃の顔同級生の顔あの頃のどんな時代よりも最近の大学時代よりも恋愛(?)よりも強烈に頭に残るというより迫る記憶以上の今現在のようなものを過去のものにできるのかな?いじめくらいでってみんな思うのかな?それでもこどもへの怒り恨みはものすごいものがある。それから弱そうなとこを私に見せる人たちへの怒り恨み悲しみ暴力ふるってやりたい思いは私は押さえる必死で。
<261> ぺあ(FB注意) ■2007年07月28日 土曜日 22時50分47秒
耳が痛い耳が痛いあの子が笑っている私の右の耳にあり入って顔にありつけて私をあの子あの頃私の自尊心をじくじくじくじく奪っていったあの子にいたずらされた。耳にあり入った。いや保健室の先生のとこ行こうとした私にあの子はにや―って笑った。耳聞こえなくなるかも。鼓膜破れて耳聞こえなくなるよ。うれしそうなあの子の顔。10歳の私は思考が止まった。私がそこから動けず時がとまったように感じた。もう26なのに。今でも痛い隠し続けてきた思い必死でひとりぼっちで処理してきた思い。痛いよ。痛いよ痛い今でも子供も人へも私はマグマのような怒りを持つ。そして私ほんとはあの時からずっとずっと人が怖いの。必死で必死で人助け役担ってきたのよ!!

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This script written by Shintaro Wakayama.