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私はまだ小さい。母親に、何か怒鳴られて泣いている。そして、父が私の後ろで私を支えている。 理由は分からないが、母は私に怒鳴りまくっている。私は、それが怖くて怖くて、泣いている。すると、母は「泣くな!」と金切り声で叫ぶ。私はもうどうしていいか分からなくて、泣き止むこともできず、過呼吸を起こして、ゼエハア言っている。すると、なおも母は「泣き止め!」と言って私を叩こうとする。すると、父が私を後から抱きかかえて、母に「もうやめろって!」と言う。私は父の腕の中で、その後数分間泣き止むまで、過呼吸でうまく息ができなかった。ゼエゼエ言いながら、涙がどんどん溢れてきた。
私が覚えているなかで、一番古い、母の暴力の記憶だと思う。昔の家を思い出したら、その記憶が一番強かった。 この記憶から分かったことは、私は泣くことは恥ずかしいことなのだ、と教え込まれた。そして、自分を守るために、感情をあらわしてはいけない、そのままの自分では受け入れられないのだと思ってしまった。また、両親に対する警戒心、不信感を抱くきっかけにもなった。「この人たちの前では、いい子にしていなければ、いつ怒られるか分からない」。小学校に上がる頃には、夜に母が家に帰ってくる車の音や、私の部屋に近づいてくる音がすると、飛び起きて、緊張するようになった。
また、母は私を殴ったり怒鳴ったりした後にはいつも、打って変わって優しくなり、泣きながら私を抱きしめて、「ごめんねごめんね、お母さんと似てるところがすごくイライラしちゃったんだよ、本当にごめんね。」と涙声で私に言う人だった。私は、母に殴られたり怒鳴られたりするときよりも、この、抱きしめられている時が一番嫌でしょうがなかった。殴られている間は、心の中で「何で私のことを殴るの!絶対いつか殺してやる!」と思っているのに(5才の女の子でも、人を殺したいと思うことはある、自分でも驚くが)、一度母の腕の中に抱かれると、もう私は逃げ出せない。「ごめんね」と言われると、私の中の憎悪は行き場を失って、砂糖が溶けるように崩れていって、心の中の一番深くに沈殿していった。そのときの気持ちは、本当に不快でしょうがなかった。自分の魂を売り渡しているのだということが、子供ながらになんとなく分かった。
私は母から逃げられなかった。母の機嫌が悪いときは殴られ、怒鳴られ、それが終われば今度は抱きしめられる。殴られているときは、本当に逃げたくてしょうがないのだが、謝られると、もう許すしかなくなってしまう。こうして、母を憎むこともできずに、私は毎日、母のなすがままでいるしかなかった。恐怖、怒り、憎悪、困惑、悲しみといった感情は一度も表出することを許されず、しかし、確実に私の心の中のどこかで腐っていった。
ひどいことをされても相手を許してしまい、じぶんが我慢することで関係が続いていく共依存の傾向は、間違いなくここから来ていると思う。 私は、母に殴られている間、ずっと怒りを表現したかった。「やめろ!」と言いたかった。彼女が謝っているのを聞きながら、「絶対に許さない!謝ったら済むなんて卑怯だ!」と言いたくてしょうがなかった。 そして、母にもう二度と私を殴ったり、恐怖を感じさせることをしないと誓って欲しかった。父には、母から私を守って欲しかった。安心させてほしかった。
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