カウンセリング4年目(通算回数は単純計算で130回以上)にしてようやく「自分が乳幼児期に祖母から虐待され失感情症となったAC」とわかった(意識の上ではっきり認められた)自分。そして虐待されたことは分かっても、小さい自分がどのような虐待を祖母から受けたのか?その「虐待の扉」はまだまだ分厚い氷の中だ。 そしてお陰さまで今の私はそれを意識して、こうして最後の登頂前にベースキャンプでその氷がゆっくり溶けて行く様を、皆の力を借り自ら内面に少しづつ働きかけながら待っている状態でもあり、仮に雪崩が起きていきなり扉が開いたらたぶん、ではなく、100%自分は(許容量以上のものに心が押し潰され)深い鬱状態になるだろう。 甘く見ちゃいけない虐待の痛み。だから今の自分は来るべき時に備えて心の栄養を貯蓄する(自ら進んで得られる)「過去の−から未来+への反転」へと移ったのだ。といってもまだまだ先は永く、やっと回復成長のスタートラインに立ったとも言えなくもないが、それでもとにかくACとして自分の方向性が見つかり、その方向性が揺ぎ無き事を毎日の生活で私は実感している次第である。
それでも無意識は正直だ。「父親から虐待された? 母親から虐待された?」とチャイルドに私は問うてみても大して何の変化も起こらないが、「祖母から虐待された?」には猛りたいぐらいチャイルドは反応し、こうして意識の自分が泣くことになる。ほんと「言葉が出てこない」「内面奥から突き上げられる」強烈な痛みで、それこそ経験した(心が開いている)人にしか分からない痛みだろう。だからこそ小さい私は己が精神防御を図るため乖離し失感情症となった。今では十分納得できる図式だ。
「体重2,000gの乳児が受ける、または溜め込んで来た痛み」 それを開放するのは容易なことではない。「何故泣くのか?」その答えが自分でわかっていても、(変な言い方だが)分からないくらい、認めたくないくらいの強烈な痛みだ。 それは小さい子供、感情が未熟な子供にとって泣くことが唯一の「痛みを表すサイン!」であって、その「無意識に押し留めていた痛みを意識の上に昇らせて昇華させる」のが私はチャイルドの力もあり、こうして人より多く泣く(または泣ける)所以であろう。 で泣けば(痛みを認めれば)またチャイルドの方も信頼して「あぁこの人だったら痛みを受け入れてくれる(覚悟ができている)から出してもいいんだ」と更なる痛みを自分の意識の上に教えてくれる。 そうした意味で盆の出来事「2006浜名湖から」は自分にとって、またインナーチャイルドにとって画期的な出来事だった。具体的な日常変化は前にも増して私はよく泣くというか「涙がすらすら出る」(表現はちょっとおかしいが感受性が増したのか?)先日のカウンセリングでも何回も(予期せず)いきなり込み上げて来て、その都度私は押し留めることなく「母親の愛情が得られなかった私にとって擬似母親役でもある」年配カウンセラーの前で泣けたので、久しぶりに私はすっきりして帰れた。 これでお分かりのように、私の場合できるだけ痛んだ子供のまま感情を放出してあげることが、現状ハッスルしている(躁?)私に繋がっているし、そうして虐待の扉を開けるには「もっともっと子供の感情に降り立つことが必要」であることも意識の上で私ははっきり認識している。 が、はっきり言って私は怖い。「今まで気付かなかったもの」「無意識に見たくないから、認めたくないから30年間も封をして来た」のに今度は意識して自ら触れるのは、目を向けるのは(いくら30過ぎとは言え)かなりの覚悟が必要だ。まっぶっちゃけた所は年齢など全く関係ないのだが、そして何度も言うが、はっきり言って「怖いものは怖い」し「寂しいものは寂しい」 そうしてその都度自分の中にある否認システムに逃げ込まないことが大事であり、歪んだ無意識をコントロールする(理想だけども)訓練場所がグループ。もし私が本当に回復成長しているならその辺を意識してきちんとやっているだけ、それだけの話だ。
まっ力余って傲慢になる前に、我を忘れず虐待された過去を嘆きましょうね。答えは必ずそこにあるし、また底にしかないんだから。だったら目瞑ってでも呼吸止めてでも、痛みがある場所に自分から飛び込むしかないでしょ? いくら意識で逃げて言い訳して誤魔化して摩り替えてみた所で、無意識の傷付いた子供はちゃんと意識のあなたを観ているよ「あぁこの人は自分をケアしてくれるんだろうか?」ってね。小さい時のあなたも親を観てそうじゃなかった? それがインナーチャイルドなんだから。
だから重ねて言うけど、今の自分の痛みと小さい自分の痛みと、どっちがあなたにとって辛いの? どっちが耐え難いの? そうした無意識をきちんとケアできてるなら、又そうしたいなら、答えはもうはっきりしているでしょう?
では内面奥からの答えが分かって「泣き叫ぶ小さい自分を助けるべく」無意識の底なし沼に飛び込む覚悟ができた人から「よ〜いドポーン」だよ。 意識の自分が覚悟して飛び込んだのが分かったのならちゃんとチャイルドの方で、その小さな体で「大きなくせに弱い自分」を必ず受け止めてくれるから「ママありがとね。自分の痛みをわかってくれてありがとね」って。 以外に行けば竜宮城かもね!かなり深いけど(ただし「内なる傷付いた子供との約束守ったら」の話だけどね)。あとはグッドラック「魂が導かれるままに」だよ。
最後に「チャイルドをケアすればやがて自分がケアされる」そのまんまだね。 そして虐待された記憶・感情を遡る道は依然遠く険しいよ。まっぼちぼちだね。
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