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私たちの物語 - 暴力・虐待・過去ログ No.12
メッセージ数:240件

<240> L ■2006年10月27日 金曜日 04時13分48秒
私が性暴力のことを告白したら、私が信頼しきっていたその人は
「あなたの責任でないところ<も>あるんでしょうし・・・」と言った。

つらいね。
私の責任なんて、どこにもないんだよ。
そういうもんなんだよ。
そういうことは、するほうが悪いんだよ。
少しは勉強してよね。
私はまあ、いいとしましょう。
でも、これ以上、傷ついた人に追い討ちをかけないでください。


美しいものだけをえり好みして生きる人もいるけれど、
現実はそうじゃない。

それが私の生き延びた誇りと財産になるまで、誰が見届けてくれるんだろう。
独りでやっていくしかないんだろうか・・・。
<239> セキレイ ■2006年10月24日 火曜日 12時50分44秒
愛しているのなら、昔の傷を見せて欲しいと言われました。
求めに応じて胸を開くと、恋人はそこにナイフを突き立てました。
血が噴出し、飛び散り、半狂乱になり、
あまりの痛みに私は声に出さずに悲鳴をあげました。
声に出したら、あなたを傷つけると思ったから。
あなたは、その音になっていない悲鳴を聞きつけ、
そのために酷く傷ついた、と強く責められました。
まだ血の流れ続ける胸にあなたを抱いて、
悲鳴を上げたことを謝りました。
気がつけば血の海。
不思議なことに、あなたの目には入らない様子。
満足しているのかしら?血にまみれた腕の中のあなたの目を覗き込む。
それがあなたの求めているものなのかしら?

もう痛い思いはしたくない。
自分の身は自分で守らなくては。
そう思うと何も話さないことが最善のように思えました。
<238> 秋 ■2006年10月11日 水曜日 09時38分33秒
私は明らかに旦那の暴力を煽ってる。
いまだに理由がわからない。
すべてを破滅させたいせいなのか・・
暴力を振るう旦那に全てを押し付けて、自分は煽っておきながら
被害者を装う。
ただ自分でそういう状況にしておきながら、いざ暴力をされたら、
不思議と居心地がいい。やっぱり、自分はだめなんだなって思う。
自分でも変と思うが。

本当の被害者は旦那なのかもしれない。
自分でも本当にひねくれてると思う。
<237> ・・・ ■2006年10月06日 金曜日 05時55分12秒
世の中にはどんなに頑張っても値打ちの無い人間がいる。
世の中には普通の人間とクズ人間がいる。クズ人間はどんなに頑張っても、クズ以外にはなれない。生まれた時からそう決まってる。その証拠に他人から見下されたことしかない。「あなたのことを評価しているよ」なんてセリフはすぐ嘘と気づく。ほら、顔で「お前には生きる価値が無い。早く死ねよ」と言ってるのがわかる。くずはどんなに頑張ってもくず。くずくずくずくずくずくずくずくずくずくずくずくずくずくずくずくずくずくず。死ぬ勇気の無い人はダメな人だ。生きる資格の無い人だ。どんなに注意しても頭が良くならない。生まれつきバカなのだ。
そこに証拠がある。ここがクズの部屋だ。部屋を見るだけでクズだとわかる。汚いから。クズの部屋はきれいにならない。生まれつきのクズだから、もう絶対なおらない。
猫を蹴り殺してやった。ざまーみろ。
<236> ・・・ ■2006年10月05日 木曜日 19時35分39秒
生きている価値が無い。死にたい。
<235> ヒトラーの子供たち ■2006年10月05日 木曜日 00時59分13秒
私は生きてちゃいけないんだ。だって私は怪物だから。私は死ななくちゃいけない。みんな私が死ねばいいと思ってるんだ。だって私は人間じゃないから。どんなに頑張っても、人から愛されたり受け入れられたり愛されたりするはずがない。化け物だから。
なら殺してやる。
私に生きる価値がないのなら、お前らにも生きる価値が無いようにしてやる。お前たちもみんな死ね。私が苦しんだようにお前たちも苦しめ。地獄の底の方がまだ楽だったと思わせてやる。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
<234> もえぎ ■2006年09月08日 金曜日 05時45分16秒
どうして夫にやさしくできないのか。
気を許せる数少ない人なのに。
こんなに自分をさらけ出せる人は他にないのに。
気づくと冷たい態度にでている。
甘えているんだ。それはわかってる。

夫を愛せない。
そしてこんな自分も愛せない。
<233> 泣っく泣っく ■2006年09月04日 月曜日 10時09分44秒
カウンセリング4年目(通算回数は単純計算で130回以上)にしてようやく「自分が乳幼児期に祖母から虐待され失感情症となったAC」とわかった(意識の上ではっきり認められた)自分。そして虐待されたことは分かっても、小さい自分がどのような虐待を祖母から受けたのか?その「虐待の扉」はまだまだ分厚い氷の中だ。
そしてお陰さまで今の私はそれを意識して、こうして最後の登頂前にベースキャンプでその氷がゆっくり溶けて行く様を、皆の力を借り自ら内面に少しづつ働きかけながら待っている状態でもあり、仮に雪崩が起きていきなり扉が開いたらたぶん、ではなく、100%自分は(許容量以上のものに心が押し潰され)深い鬱状態になるだろう。
甘く見ちゃいけない虐待の痛み。だから今の自分は来るべき時に備えて心の栄養を貯蓄する(自ら進んで得られる)「過去の−から未来+への反転」へと移ったのだ。といってもまだまだ先は永く、やっと回復成長のスタートラインに立ったとも言えなくもないが、それでもとにかくACとして自分の方向性が見つかり、その方向性が揺ぎ無き事を毎日の生活で私は実感している次第である。

それでも無意識は正直だ。「父親から虐待された? 母親から虐待された?」とチャイルドに私は問うてみても大して何の変化も起こらないが、「祖母から虐待された?」には猛りたいぐらいチャイルドは反応し、こうして意識の自分が泣くことになる。ほんと「言葉が出てこない」「内面奥から突き上げられる」強烈な痛みで、それこそ経験した(心が開いている)人にしか分からない痛みだろう。だからこそ小さい私は己が精神防御を図るため乖離し失感情症となった。今では十分納得できる図式だ。

「体重2,000gの乳児が受ける、または溜め込んで来た痛み」 それを開放するのは容易なことではない。「何故泣くのか?」その答えが自分でわかっていても、(変な言い方だが)分からないくらい、認めたくないくらいの強烈な痛みだ。
それは小さい子供、感情が未熟な子供にとって泣くことが唯一の「痛みを表すサイン!」であって、その「無意識に押し留めていた痛みを意識の上に昇らせて昇華させる」のが私はチャイルドの力もあり、こうして人より多く泣く(または泣ける)所以であろう。
で泣けば(痛みを認めれば)またチャイルドの方も信頼して「あぁこの人だったら痛みを受け入れてくれる(覚悟ができている)から出してもいいんだ」と更なる痛みを自分の意識の上に教えてくれる。
そうした意味で盆の出来事「2006浜名湖から」は自分にとって、またインナーチャイルドにとって画期的な出来事だった。具体的な日常変化は前にも増して私はよく泣くというか「涙がすらすら出る」(表現はちょっとおかしいが感受性が増したのか?)先日のカウンセリングでも何回も(予期せず)いきなり込み上げて来て、その都度私は押し留めることなく「母親の愛情が得られなかった私にとって擬似母親役でもある」年配カウンセラーの前で泣けたので、久しぶりに私はすっきりして帰れた。
これでお分かりのように、私の場合できるだけ痛んだ子供のまま感情を放出してあげることが、現状ハッスルしている(躁?)私に繋がっているし、そうして虐待の扉を開けるには「もっともっと子供の感情に降り立つことが必要」であることも意識の上で私ははっきり認識している。
が、はっきり言って私は怖い。「今まで気付かなかったもの」「無意識に見たくないから、認めたくないから30年間も封をして来た」のに今度は意識して自ら触れるのは、目を向けるのは(いくら30過ぎとは言え)かなりの覚悟が必要だ。まっぶっちゃけた所は年齢など全く関係ないのだが、そして何度も言うが、はっきり言って「怖いものは怖い」し「寂しいものは寂しい」 そうしてその都度自分の中にある否認システムに逃げ込まないことが大事であり、歪んだ無意識をコントロールする(理想だけども)訓練場所がグループ。もし私が本当に回復成長しているならその辺を意識してきちんとやっているだけ、それだけの話だ。

まっ力余って傲慢になる前に、我を忘れず虐待された過去を嘆きましょうね。答えは必ずそこにあるし、また底にしかないんだから。だったら目瞑ってでも呼吸止めてでも、痛みがある場所に自分から飛び込むしかないでしょ? 
いくら意識で逃げて言い訳して誤魔化して摩り替えてみた所で、無意識の傷付いた子供はちゃんと意識のあなたを観ているよ「あぁこの人は自分をケアしてくれるんだろうか?」ってね。小さい時のあなたも親を観てそうじゃなかった? それがインナーチャイルドなんだから。

だから重ねて言うけど、今の自分の痛みと小さい自分の痛みと、どっちがあなたにとって辛いの? どっちが耐え難いの? そうした無意識をきちんとケアできてるなら、又そうしたいなら、答えはもうはっきりしているでしょう?

では内面奥からの答えが分かって「泣き叫ぶ小さい自分を助けるべく」無意識の底なし沼に飛び込む覚悟ができた人から「よ〜いドポーン」だよ。
意識の自分が覚悟して飛び込んだのが分かったのならちゃんとチャイルドの方で、その小さな体で「大きなくせに弱い自分」を必ず受け止めてくれるから「ママありがとね。自分の痛みをわかってくれてありがとね」って。
以外に行けば竜宮城かもね!かなり深いけど(ただし「内なる傷付いた子供との約束守ったら」の話だけどね)。あとはグッドラック「魂が導かれるままに」だよ。

最後に「チャイルドをケアすればやがて自分がケアされる」そのまんまだね。
そして虐待された記憶・感情を遡る道は依然遠く険しいよ。まっぼちぼちだね。  
<232> 純 ■2006年08月28日 月曜日 22時09分35秒
今日小児科で、子どもを叩いている母親を見た。その叩き方が慣れた手つきに見えて辛かった。あの子は毎日たたかれているのではないだろうか?小さな胸を痛めつけていることに母親は気がついているのだろうか?

痛かった自分の幼少を思い出さずにいられなかった。なぜ私は殴られ、罵られ、家族の中のごみにならなきゃいけなかったのだろうか?

殴られ、蹴られて裸足で逃げ出したことを思い出す。誰も助けてくれなかったことが悲しかった。母に慰めて欲しかった。人を愛せないなら産んで欲しくなかった。

今日会った子が強く生きてくれることを願わずにはいられない。
<231> L ■2006年08月20日 日曜日 03時36分11秒
普通の家族なんてないのはわかってる。
でもABUSEがあったということは、あまり人には知られたくない。

自分自身の心の問題を見ない人たちは
そういう話を、不思議なくらい、忌み嫌う。
自分の傷を否定する人たち・・・。
ヨロイを脱げない、臆病で凝り固まった心の人たち・・・。

彼らは、自分は「気の毒な」「傷ついた」人とは別だと、
そういう風に、どうしても思いたいんだろう。
(私から見たら「お宅の方が大変だと思いますよ〜」という人もいるのに)

でも、そういう人が世の中に多いから、私もあんまり自分の話はしたくない。
相手を選ばないと、偏見で見られるだけ。
理解されず、逆に怖がられたりして、余計に傷つくだけ。

人は
「なんでそんなプライベートなこと、わざわざ人に言うわけ?」
「同情されたいだけじゃないの?」
と言うかもしれない。

でもさ。
わざわざなんかじゃないんだよ。
日常で普通に・・・少なくともその関係の間では普通に行われていることを
黙り通すのって・・・大変なんだよ。
隠しながら生きてきたんだけど、時々、重たい。
事実を隠して、嘘をつき通して生きる感覚って、つらい。

でも・・・やっぱり、「痛すぎる」事実は、どんなに親しい人も言えない。
言えないということが、わかった。
現実の壁はなかなか厚い。

でも、なんでこんな思いをして、その上、烙印を押されるの?
あんたたちは、自分はちょっとはマシな人間だとでも思ってるの?
気の毒なのは、あんたたちの方だと思うんですけど。

私はこのごろ、同じ夢をみます。
一番つらい頃、同じような夢が続きましたが、
そのときは、医師が薬をメジャー・トランキライザーをどんどん増やして、
昼も夜も頭がぼっーとなって
何もできなくなって・・・

たぶん、それで
出たがってた痛みと苦しみは、抑えられてしまったのでしょう。
霧の中に沈んでいきました。

このごろ見る夢・・・
その夢の中では、いつもいきなり、誰かが上から覆いかぶさってきます。
動けない・・・
痛い・・・
逃げないと・・・
でも動けない・・・

何から逃げようとしてたんだろう。

体の自由が奪われる恐怖は、私の体にしみついている。
暴力はこわい。
腕力にものをいわせる人、こわい。
大声ですごむ人も、こわい。
身がすくむ。

気が滅入ると、誰もかれも危険な人間に見えてくる。

以前、ある場所に行ったら、職場の子どもに性的虐待をしておきながら、
「これってアディクションだから・・・」と長い言い訳をする人がいた。
虐待の、その詳細を聞かされた。
・・・もう、吐きそう。
私も虐待された気分。
アディクションって言葉は、言い逃れの為にあるんじゃないと思うんだけど、そういう使い方ってありなの?
男性って何でそうなの?
愛がなくて、相手がいやがってても、そういうことしたいっていうのが、どうしても理解できない。
気持ち悪い。
私は、とても許せなかった。
同じ空気を吸うのも気分悪いんだけど・・・
それでも受け入れなきゃならないの?

暴力も「仕方ない」ことなの?

親に対して思う。
虐待の世代間連鎖だったら、あんたの代で鎖を断ち切ってくれたら良かったのに。
子どもなんて作るな。結婚するな。
暴力やめるつもりないんなら。

あんたは平然と
「おれは、子どもが欲しいわけじゃなかった。ただセックスがしたかっただけ」
「結婚したら、タダでやれるから結婚したかっただけ」
なんて、いつも言うけどさ。
そういう言葉自体、暴力なんだよ、この下衆!
もろにセクハラ。虐待。
そんなことしてまで、力を感じたいわけ?
馬鹿じゃないの?
病気じゃないの?

そんなあんたの血が私にも流れているかと思うと、自分に火をつけて燃やしたくなる。灰になりたい。
つい「生まれなくてもよかったのに」と思う。

私の家族は、私以外の全員が、この家族には何も問題がなかった、と思ってる。何の虐待もなかったと思ってる。
そんな良い家族の中で、問題を起こす人間が一人だけいて、それがワタシ。
親は、ワタシを忍耐強く見守った。
きょうだいも、ワタシのご乱行とご乱心を寛大に見守った。
ああ、なんて良い家族。
・・・そういう共通のストーリーができている。

ワタシは、以前、頭がおかしくなって、
ありもしない虐待を言い出して、家族みんなを悲しませた。
でも、今はだいぶん、よくなった。
そういうストーリーです。

痛い・・・

たぶん、ニコニコして「良い家族関係」を演じてるから
私のどこかが窒息しかけてるんだと思う。

でも、今度この演技を崩したら、
私はもう、抹殺されるかもね。
わかってくれる味方もいないし、無力だし。
ははは。

それに、
私は家族が好き。
引き裂かれそう。
愛憎入り混じってる感じ。

ほんと、痛いわ
<230> あ ■2006年07月17日 月曜日 19時10分35秒
お父さんがいつもはすごく優しいんだけど
ちょっとしたことですぐ過剰に怒り出して
お母さんを殴ったりけったり踏みつけたりするんです
お父さん 小さいころ あまりお父さんの両親に愛もらってなかったらしくて
喘息もちのお父さんは邪魔者あつかいされておじの家にあずけられてたらしいんです
なんかもう お父さんもお母さんもかわいそで
今も1階でそうなってる
あたしは何もできないから
どうすればいいんだろう
こわいんです だれかにたすけてほしいけど
もしお母さんとおとうさんが離婚しちゃったら
お母さんすごいお金のかかる病気もってるから
お母さん薬ないと死んじゃうし
もうどうすればいいのかわかんない
<229> こくーん ■2006年07月07日 金曜日 23時18分01秒
最近帰宅途中に、ゴルフクラブを持った中年の男性とよくすれ違う。
ご本人は陽気にクラブを軽く振ってみたりして、歩いてくる。
その人が悪いわけじゃない。
悪いわけじゃないけど、すれ違って、しばらくの間はとても怖い。
すれ違う場所が広いときは、かなり距離をとるので、相手の人も私が警戒しているのに気づいているかも。
大丈夫だってわかっている。
ただのゴルフ好きのおじさんなんだ。

それでも、自分にバットが振り下ろされる瞬間が思い起こされて、怖い。
怖いのです。
<228> あゆ ■2006年06月27日 火曜日 04時12分33秒
ほんとうだよ
ほんとうなんだよ
おかあさんがぶつんだ

おばちゃん
そんなかおしないで
とbぽけないで
そうじゃなくて
おかあさんがへんなの
ぶつの
おばちゃん
こまったかおしないで


おばちゃん
わたしのはなしきいてるの・

ちがう話になってる

おばちゃん

おばちゃん

ほんとうなんだよp

おかあさんがおこってなぐりかかってっくるの

ほんとうのことなの
ぶつの
おかあさんが
きゅうに起こってぶつの


おばちゃんおかあさんがおかしいの


おばちゃん
しらんぷりしないで

ほんとうなの

おばちゃん

」ほんとうなの

<227> 泣っく泣っく ■2006年06月26日 月曜日 03時57分07秒
ACと機能不全家族という言葉に出会わなければ、またカウンセリングや自助グループに4年も通い続けなければ、私は「自分が乳幼児期に祖母から慢性的な虐待を受けていた」と気が付かなかった(自分の無意識から引っ張り出せなかった)ACである。
ここで、私の家族は相変わらず30年経っても機能不全のままで、これから先余程のことがない限り負のスパイラルは未来永劫続くのだが、私の意識は変わった。虐待なんて所詮人事(無関心)から「まさか自分が虐待されてたなんて!(ビッグサプライズ)」→無意識にしまい込んだ傷を何とかしないと自分も親になって同じことを無意識に繰り返す可能性はデータ的に120%!(危機感)に。
そうとはっきり自分で自覚したから、余計に私は虐待関連にアンテナ張り自然と目が行ってしまう。
そこで昨今の虐待ニュース。ワイドショーなんかで「心の闇」と安易に称し、犯人・容疑者の同じ映像をしつこく流しているが、「彼らと同じものを抱えている可能性が非常に高い」私は、その「心ここにあらず」の彼らの表情及び2面性に過去の自分「他人から見て(どう見たって)意識・感覚・感情がおかしいにも拘わらず『自分は狂っているかも?』の疑念すら起きなかった」自分を重ねて見てしまい、「俺も一歩間違えば(運良くカウンセラーに繋がらなかったら)こう(犯罪者)だったかもしれないんだ。そしてこれからも絶対こうならないという保障は全くないんだ」と否が応でも自戒させられる。
そして私が一番恐れるのはその無意識だ。仮に現(独身)時点で虐待のケアが大分進んだとしても、いざ子育ての場面になったら「自分はどういう刺激から無意識にどういう反応をするのか?」私は皆目検討もつかない。そういう意味では結果的に結婚しなかったというかできなかったのは、不幸中のせめてもの救いだ。

「自分が親になってたら?」そう思うだけで私は恐ろしいものを感じる今日この頃である。
<226> アーネスト ■2006年06月18日 日曜日 21時31分48秒
昨日、久しぶりにリストカット、アームカットしたくなった。
刃を軽く当ててみたがそんなことをしても意味がないと思ってやめた。そう、それだけでもすごい進歩なんだと思う。昔は「自分だけ」って思ってたから・・・よい点を見るように
<225> 泣っく泣っく ■2006年06月11日 日曜日 02時42分35秒
先日のカウンセリングで私は1月ぶりにTFT療法でやってもらい、祖母からの虐待に向き合おうとしたのだが、結果はまだまだ私の(インナーチャイルドの)心理的抵抗が強くて映像は出て来なかったものの、私は涙は堪え切れなくて確実に「虐待の扉」のところまで来ているのだが、肝心の「祖母への怒りが何故か出てこない(鍵を掛けられている)」現状ではその分厚く高い扉を開ける見通しは全く立っていない。

「傷口に対してあまりにも真正面過ぎたのか? 踏むべきステップを踏み越してしまったのか?」 カウンセラーとも私はその点を話し合って、次回(さ来週)から「祖母への怒りが出てこない・何故泣くのか自分ではっきりわからない」現状より視点を変えて、「インナーチャイルドへ慰めの言葉を掛け続けてあげる」方向でいくことにした。

虐待された子供にとって必要な言葉とは?

昨日今日と午前中私のインナーチャイルドは「泣きたいのに泣けない」状態で、そうわかっているのに、感じているのに「子供を自由に泣かせてあげられない」自分に対して私は少しブルーだった。
このようにインナーチャイルドと対話できるようになってから「自分の中で意識では寂しくなくても無意識では何か寂しさを感じる・思い出す?」その落差・違いが私の中で顕著になって来ていて、それは私が相変わらず感覚麻痺・感情鈍磨っていう面も少なからずあるだろうが、TFT療法の効果か?少しづつ虐待の周りの氷が溶解し始めている証ではないか?と勝手に私は思っている。
それに対して秘策なるもの・特効薬は見あたらないが、引き続き時間の許す限り私は多くの自助グループに出ることで仲間の嘆きを聴き、その痛みを想像することで自分の無意識に閉まった感情・記憶を刺激し引き出して言葉付けするしかない。

ここで、この前オープンのグループに私が参加した時のことだが、仲間の嘆きで気付かされたことを一つ。
その仲間はアル中なのだが、計4回ほど彼の生い立ちを聴いてて(私にとって)他の仲間の話よりもすーっと入ってくるので、聴きながら私は「何でだろう? この感覚?」と思いを廻らせていたが、「彼の話は特別刺激的な内容でもなく、専門用語を使うわけでもなく、(私からすると)平易な? そう、肩肘張らずにゆっくりとした、わかりやすい、伝わりやすい!?=自分は最近『嘆こう嘆こう』と硬く躍起になって何か見失っていた? もっと違う意味で彼のように(広く純心?で)リラックスしなくちゃ」という点に気付かされ、「もっとこの人の話を聴いてみたい」と(迷走していた)私は思わされた。
このように遠出して多くの仲間の話を聴くことで、自分に足りない何かが診えてくることもある。すべては傷付いたままのインナーチャイルドのために。
<224> 彦丸 ■2006年05月31日 水曜日 10時32分36秒
明らかにおかしな人が、たまたま家族だった、と。
<223> 彦丸(FB注) ■2006年05月31日 水曜日 10時00分02秒
試しに言ってみればどこででも、結構気持ちよく融通をきかせてくれるもので
外でいやな思いをするのは子供の頃から、電車内でいきなり蹴るような、明らかにおかしな人からだけ。
 疲れきって隙ができるとたまにあるけれど、周囲の人から見ても異様なので、助けを得られる。

 怖かったのはずっと、家の中だった。
権限とか、立場とか、しがらみとか、他者が立ち入りがたい関係性をいいことに好き放題…
長く暮らした元家族にしても、元夫にしても、思い返せば
外にいるときすら異様なものを見る目が刺さっていることもあったのだが、本人たちは気付かなかったのかもしれない。

母は、躾という言葉を使って何度も何度も、お灸が消えるまで私の指を焼いた。
余所のひとは、入浴中うっかりひねった蛇口から勢いよく出た高温のお湯で私に火傷させたけど
 旅行中ずっと真っ青な顔をしていた。
一瞬浴びた熱湯のほうが、痛くなかった。

世の中で一番恐ろしいところは家だった。
<222> 彦丸(FB注) ■2006年05月29日 月曜日 10時14分18秒
まだ時間に余裕のあった母が作ったぬいぐるみ
お洋服も毛糸編みの手作りだ。
 年中抱いていた記憶がある。
木綿にプリントされた熊の親子。雑に詰め込まれたパンヤ。
母がかなり忙しくなった頃祖母の気まぐれで与えられたぬいぐるみ。
 こちらをよく抱くようになった。
…古いストッキングと毛糸よりも、木綿の肌触りが私には心地良いと今感じる。

 忙しく体調が悪く私が思い通りにならず始終カリカリしていた母。
 自我が育っていない人間を愛玩する祖母。おもちゃだな。
仕事の邪魔に、しょっちゅう遠い祖母の家へ私は行かされていた。
幼い頃家を飛び出した祖母の習慣と馴染まない母は、帰った私を気に入らない。

父と母からの手紙があった。もう捨てたけれど、父から離れる時にごちゃごちゃ放り出したままの荷物を片付け、見つけた。
 ○○が悪いことばかりするので、お父さんとお母さんは二人で刺しっこしてしにます
 ごはんはある分だけたべなさい
…そんな。

 恒例のように始まる”躾”タイム。
 怒りくるって何度も熊のぬいぐるみに小出刃を突き立てる、母。
 ニヤニヤした父の顔が浮かぶが、定かではない。

壊れたクマと私。
<221> なきむしっこ(FB注意かもです) ■2006年05月08日 月曜日 22時34分57秒
された暴力:子どもの頃はからかわれ役だった。言葉の暴力を姉から受けた。姉はその時中学生くらいだった。本当に小さな頃はかわいがってくれたけども、それでも友達と一緒の時はからかったり、私を置いて逃げたり。私は「待って、待って」って泣きながら追いかけた。
姉が中学生・高校生になると「ブス」「バカ」「話しかけんな、耳が腐る」と言われた。「ばか」って言われるのは当たり前で、そういわれない日のほうが珍しかった。だから大学生に姉がなった、母親のいう事に素直に「ハイ」って言ったときは逆に気持ち悪く思ったほどだ。
 もしも私の家族に男兄弟いたら多分暴力とかあっただろうな。そして私は子どもの頃ものすごく素直で人のいう事なんでも素直に聞き入れて、人を神様のように崇めていた、その人の言葉こそ真実だって思ってたくらいだから・・・
性的被害とかにあいやすかっただろうと思う。実際にあっていなから良かったと思う。そんなことされないのが普通だろうけども。ここにくるとそういう感覚が狂ってしまうから。子どもは愛されるのが普通だから。
 学校での事:小学校4年からいじめがはじまった。椅子を私が座る瞬間にひかれた。足をかけられた。皆の見ていないところで、腕をつねられる、頭を赤白帽子ではたかれる。腕をつねるときに「悲しい痛み」とかその女が言って、私の腕をつめとつめでつねるから私の腕には皮のむけた跡があった。それを別の人に見せると・・・先生に言ったほうがいいよっておお驚きされた。sの反応に今では救われたな。私はされていることを受けるだけの子で、されたことはいつも自分の中で理由をつくっては受け入れてしまう子だったから。私が悪い、ああこんなよもあるんだ。これも又試練。そして残った私のぼろぼろな心。それでも納得して前に進んだこともなかったし、自分で行動起こして物事変えたことなんてなかったから、私はいつもただ受け入れるだけ。そんなことしていたら、中学生の時、発情した男子に足を触られたり、廊下に押し付けられたりした。それでも私は「あなたたちそんな時期なのね」って母のような目で接しているの。
 高校のときもうすっかり男子がいやになって、好きだと勘違いされたら話すときに顔赤くなったら、その男子は私を好きと思い込む。で私はそんな思いこんだ男子の期待裏切れないからそいつの言いなりにというか思いなりになって、好きなふりをするだろうと思った。どうせ何も私なんてできないんだから、そして好きでもないやつに無理やりされるような女だと思ってたから。だから、自分で自分をいじめるためにも暇つぶしのためにも、きっと私はそういう人の思いなりの人になるんだろうと思ったの。セックスだって人の言いなりでやられるんだって思った。それでもいいかも。だって同じようなことじゃない?いじめだっていつもされるがまま。なのに私は自分の気持ちを言えない。言うほど認めているやつらではない。言ったらきっと未来の私が笑う。言ったら恥ずかしさで死ぬ。今思い出してきたの。あの息苦しい、期待に応えているだけの日々。私の子ども時代。周りの子どもの成長道具。ストレス発散。性の発散。「甘酸っぱい初恋」(バカじゃねえの)の道具。「愛のある家族、憩いの家族」の道具。全部私は道具だった。

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This script written by Shintaro Wakayama.