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私たちの物語 - 暴力・虐待・過去ログ No.11
メッセージ数:220件

<220> がすと ■2006年04月26日 水曜日 02時14分04秒
お母さんは私を叩いた
私がそれを他人に言うと
パッと態度を変えて
この子は嘘をつくといった

怒鳴り散らし
怒り狂って 
叫ぶ私を殴り
皿を投げつけ壊し
破壊の限りを尽くす様に見えた
そんな人が
全く違うとばかりの態度で
ウチの子には困ってると言う
全く違う人の振りしている
おかしい
おかしい
とてもおかしい
おかしい

私は人前でひどい悪口ばかり言われた
おかしい
なんだかとてもおかしい

変だよお母さん
どうなっちゃってるの
どうなっちゃってるの?

なんかおかしい
おかしいよ

お母さんも

その他の人も

おかしい

おかしい




<219> ひこうき ■2006年04月09日 日曜日 11時14分42秒
(フラバ注意)

私は1年以上、父と顔を合わせていない。
たまに両親で口喧嘩はあっていたのだけれど
それも無視した。

今朝は親の口喧嘩に続いてドタバタ父の暴力の音が聞こえた。
私はかつてのように間に割って入ろうか?と思ったけど
もうそんな気にはなれなかった。

それで、私は「警察呼ぶよっ」って大声で宣言し、110番した。
警察官はなかなか来なくて、父は私や母を挑発してきたけど、
私が行くと事が大きくなるし、なにより自分が巻き込まれるのが嫌だったので
自室にこもった。母は巻き込まれていたのだけど。
なかなか警察は来なくて再度電話。
「今向かってます。住所はわかってます。」ってことだった。
30〜40分位待ったかな?
ベルが鳴り、私は出ていった。
私は警察官に「遅い!あの人どうにかしてください!」って父を指差した。
警官が数歩家に入ってきて父は興奮したまま玄関にきた。
父は「殴ってない。」と言ったが、
私は「叩いてました。」
母は「叩かれました。」と話した。

父は私に「(警察を呼ぶなんて)お前は親になんてことするんだ!」と
怒り狂っていて私に向かってきたので、警察官に止めてもらい、
私がいると事が大きくなりそうだったので自室に戻った。

私は警察は家庭の中には入らないって聞いてたから、あまり立ち入らないまま出ていかれることを恐れていた。それと警官に後で説教されるだろうと覚悟を決めていた。
たまにDVの報告とか読んで警官からの二次被害ってことも何度か聞いていたし・・。

警察官は2人来ていたんだけど、1人が父から調書を取り、もう1人が母から調書を取った。
父はその間、いつもの逆上して訳がわからなくなったままの自分でじゃべりつづけていた。大昔の話しまで持ち出されていて、私は『父は自分が不利になることまで言ってるよ。バカだなぁ・・』っていうのと、そこでウソが話されているのは聞かないまでも明らかで、私はそれを聞きたくないので耳を塞いでいた。
父は繰り替えし、「親をこんな扱いするなんて、あいつ(=ひこうき)にはいいことはない。」って悪い暗示や私に罪悪感を持たせるようなことを言った。

母と話していた警官と私が話すことになり「何が一番もんだいなのか?」質問された。
私は「父と話しても言葉が通じないことです。」と話した。
「それはどんなことか?」聞かれたので、「生きていたら様々な問題が起きて来るものだけど、父はその問題が起った時に問題を一緒に考えて対処するってことができない人です。家族の問題を自分の思い通りにしようとする。ものすごく頑固で、言い出したら聞かない。」
「では、どういう時に暴力をふるうのか?」聞かれたので「どういう時ということはない。私が高校に不合格して帰ってきた晩殴られた。殴って何が解決するという場合でない時に自分の気分で殴る。」と説明。
「ところで、お母さんは家を出ていかれるつもりらしいが、お母さんはあなたとお父さんだけを置いてはいけないので今はここにいると話されていたが、あなたはどうして家にいるんですか?」と聞かれた。私は今は仕事上家を離れられないこと、早く家を出たいのでお金を溜めていることを話した。
その上で、「被害届は出しますか?」と聞かれ、「出したらどんなことになりますか?」と質問した。「改めて警察署で両親から個別に話しを聞いた上で、処罰される。民事裁判になる人もいる。」とのことでした。
少し考えて母に聞いたが返事はなく、私は「今日は警察が来ただけで父は少しはお灸をすえられたかっこうになってるから少しは落ち着くでしょう。また暴力があったら、その時は被害届を出す。」と話した。
それから少し警官の身の上話しを聞いて、「お父さんも落ち着いてきたみたいですよ。」ってことになり、警察官は「お母さんは『私が娘を守るから大丈夫です。』って話されていたけど、もし父が刃物を持ち出したら危ない。最近は家族を殺す事件があちこち起きているし、こんなことがあったらまたすぐに110番してください。」と話された。

そのうち、父と話していたもう1人の警察官が話しを終えて戻ってきた。
2人は帰ることになり見送る時、父と話していた警官が「お父さんは同じことを何度も繰り替えしていて話しが終わらない。家族が困るのはわかる。お父さんの話しはとりあえず「うん、うん」聞いときなさい。それからまたこんなことがあったら電話しなさい。何度でも来るから。」と言われた。感動した。

警察も変わったんだなぁ・・・ということもあるし、私は自分1人で抱え込まないで助けを呼ぶことができたこと。そして助けてくれる人がいることに感動した。
私が子供の頃から持ち続けた「私がこの場を治めなきゃ」という過剰な責任感を手放せた。
社会の変化と、自分の変化に、ありがとう!
<218> 匿名 ■2006年04月07日 金曜日 03時21分41秒
兄からの性虐待・・・・
誰にも言わず兄にはバラすぞと脅されていた
大人になり娘を産んだ私は
娘と虐待されていた自分とダブって見える
苦しいよ 
私はどうしたらいいの?
<217> 泣っく泣っく ■2006年03月22日 水曜日 09時50分50秒
当然今日はここからだ。

私は4年前にリストラ→「仕事命」の親父に散々詰られる&母親は無力→(当時の私は今と違って反抗する気力もないほど精神的に追い詰められていた為)終いには指先が震えて何事にも私はビクビクするほどの神経症となる(今の私からじゃ想像できないかもしれないが)→「このままじゃほんとに自分は狂ってしまう」→電話の声の直感だけで運良く私は今のカウンセラーに出逢い、少し安定してから複数の自助にも繋がって現在に至るわけだが、自分がACと気付いた当初「あの(歪な)婆さんなら(私のことを)虐待してもおかしくないな」と私は軽〜く思っていたのだが、それが月日を重ねカウンセリングのTFT療法の効果か、先月私は自室で一人夕飯食いながら何気なくTVを観ていると、画面では最近「包帯クラブ」を出した天道荒太氏のベストセラー「永遠の仔」の紹介がされていて、それを聞いた時瞬時に「虐待? 虐待? 私は祖母に虐待された!?」という声が内面奥深くから上がってきて、私は予期せず号泣してしまい、同時に手にしていた食べ掛けの丼をぶん投げたい衝動に駆られた(瞬間的幼児退行)が、大人の私は腹が減っていたのと後片付けが面倒という意識が働いてそれは免れた(思ったより冷静?)。そして泣きながら私は「何で泣くんだ? 俺が虐待された? 事実? 祖母に?」そう自ら内面に問いかけても答えは返ってこなかったが、私は泣いている自分が怖かった、まるで虐待された自分を認めるようで。
当然、内面から突き動かされるまま、翌日仕事帰りに私は地元の図書館(このような時でもセコイのが私らしい)で「永遠の仔」(上・下)を借りた。その本自体は以前読書とは無縁だった私でも「確か結構売れた本だったよなぁ」ぐらいは知っていたが、内容までは知らなかった、というか興味なかった(文化的側面が貧し過ぎた私)。
そうした私にでも印象に残るあの表紙・・・・・まさか後年自分が読むはめになるとは・・・・・こうして突き動かされて私が本を読むのは、私がACという言葉を知った東ちずる著「私がなぜカウンセリングにかかったか」以来で、故に私は運命というか必然性を感じざるを得ない。それもインナーチャイルドのお陰か。
寄り道せず家に着いて直ぐ本を開く。最初から内面を「ぐわん ぐわん」と揺さぶられる私。以後何度も私は同書に(正確には「湧き上がる己の感情」に)「あなたはどうなんですか? こういう気持ちじゃありませんでしたか?」と衝きつけられ、最初の場面は、自らも虐待された有沢が(周囲の声を振り切って)病院の中庭の木に廃棄のマットを立て(犯人に見立て)て、そこに被害に遭って恐怖から声(怒りの感情)を出せなくなり能面と化した顔の少年が(有沢の真剣な気持ちが伝わって)石を何回も投げるうちにやっと「バカヤロー」と自らの怒りを吐き出し顔をぐちゃぐちゃにした場面。
私は号泣してしまった。そして泣きながら私は(自分の過去に重ね合わせ)羨ましく思った「自分が傷付いた(感情鈍磨)時に誰か大人が、当然できれば親が、気付いてその場で自分の怒りを吐き出させてくれていたら、感情を出すのを促してくれていたら、私は乖離するまでには至らなかったんじゃないか? こんなに辛い思いをしなくても済んだんじゃないか?」って。そう思ったら私は余計に涙が出てきた。

わかるだろうか、辛いのに辛いと言えない、寂しいのに寂しいと感じない、感情が凍結し、もはや泣くことすら選択肢にない子供の痛みが・・・・・それでも子供は生きるため何らかのサインを出している。わかってほしくて、気付いてほしくて・・・・・だからわかってほしい子供の痛みを。愛されなくちゃ活きられないんだよ子供は。

私は何度も泣き腫らした。数ページ進んでは泣き、また数ページ進んでは泣き、ずっとその繰り返しで一気に読むのは今の私には辛過ぎた。

なんで? なんでこうまで私は泣くのか? 泣かざるを得ないのか?

それは彼らの叫びが「傷付けられた子供の感情そのまま」だからだ。そしてそれは何らかの原因で乖離していた、小さくて弱くて誰かに守ってほしかった私が、本来なら感じるはずの感情であり、吐き出さねばならなかった感情でもあるからだ。だから重なる彼らの寂しさと私の寂しさが。だから共感し強震するのだ。
これもすべてカウンセラーのおかげだ。前に何度も書いたが、私がこうして心を開けたのも、数回目のカウンセリング時にカウンセラーに「Kさん(私)感情を出してもいいんですよ」と言われ、無意識に私の中に堰き止めていたものが決壊し、私は止め処なく号泣してしまった。泣きながら「なんで(こんなよくある言葉で)私は泣くんだろう? (これが本で読んでも自分で経験したことがなかったので意味がわからなかった)『ありのまま受け入れられる』ってこと!?」そう思ったら私は余計に涙が加速した。それだけ私は心の奥深い、意識の届かない場所で「こんな私でも大丈夫? お願いだからありのまま受け止めてよ」と叫んでいたわけで、そうした自分の声(インナーチャイルドの傷ついたままの心)に私は今まで気が付かなかった、下手したら一生気付かずに同じ過ちを何度も何度も繰り返して毒親の完全なるコピーと化していただろう。
そしてこれからの私は「今は亡き祖母による虐待が事実なのか? それとも私の思い込みなのか?」はっきりさせるため、より一層内面からの声に傾聴し傷付いたインナーチャイルドに安心してもらえるよう、彼が2,3才の頃に何かあったのならば必ずそこに立ち戻って、ゆっくりでもいいから嘆いていこうと思う。それが「傷付いた彼の感情に寄り添う」第一歩だ。
先日の自助グループでも私はこの話を「現時点では定かでないが」と前置きした上で話そうとしたが、「虐待された自分」を想像しようとすると内面の震えが止まらず、ほとんど嗚咽交じりで開放できなかった。結果自分の番以降ずっと私は押し殺して泣いていた。正直自分でも恥ずかしかったが、「でもこれがインナーチャイルドの感情だから小細工はいらない。彼が泣きたいのなら泣き疲れるまで泣かせておこう」と思い、私は泣き続けた。お陰で帰りの車中私は何か暖かいような感じがして「泣いたままで正解だった」と思った。それも自助グループの仲間が聞きっ放しの姿勢で私の感情を受け入れてくれたからでもある。

それにしても何かある私の奥底に。それが祖母による虐待かどうかはこれからカウンセラーの力を借りてはっきりさせるが、そこに「精神崩壊を防ぐため本能的に乖離しなければ生き残れなかった」何かがあるのはこれではっきりした。
正直私は怖い。というか、自分のトラウマと向き合おうとして怖くない人はまずいないだろう。その衝撃を心理的外傷を、意識の上で覚えていたら生きられないから無意識に仕舞い込んだのであって、そのてん頭では受け止めようと思っているが、実際自分で受け止められるかは全く自信がない。ショックから私がしばらく鬱になるのは仕方ない・当然だとしても「そのまま立ち直れないんじゃないか」という不安が大いにある。一方で(とりあえずその疑いに関してだけは)思い込みだけだったのなら、以前の自分の痛みにさえ気付けなかった感情鈍磨から、自分では未経験の痛みを持つ人の痛みを察せられるようになった自分を認めてあげたい。

今日私はこちらにお邪魔する前1時間ほど催眠療法を検索していたわけだが、素人が調べた感じでは催眠療法も今やってもらっているTFT療法も狙いは同じみたいなので、私はこのまま今のカウンセラーにお世話になるだろう。料金も相場と比べたら割安だし、信頼関係もそのままだし、これからどんなことがあっても(今までの経験蓄積から)受け止めてもらえるだろう安心感がある。

先は永いや。短くとも私の今年前半はこのような低空飛行が続きそうなので、カウンセリングと自助グループでちょこちょこ心の栄養を補給しながら覚悟して行くしかないやね、インナーチャイルドの痛みと共に。

最後に、私の痛みを聴いてくれてありがとうございました。
<216> まる ■2006年02月16日 木曜日 17時55分23秒
<214> 痛い ■2006年01月07日 土曜日 03時06分28秒 様
私と同じ状況の人、初めて見つけました。

同じ父親なんじゃ?と思うほど・・・
NET始めて、4ヶ月ですが、同じ状況の方、初めてだったので、
このサイトも、初めて来ましたが、書き込ませて頂きました。


<214>様、あなただけじゃ、無いです。
<215> ぺん ■2006年02月09日 木曜日 00時41分55秒
初めて投稿します。私は、外では気が弱いのに家に帰ると突然キレて家中の物を壊す父、そしてその父の元に嫁いで3年目に統合失調症になり、30年経った現在も未治療のままになっている母の間で育ちました。記憶が曖昧で、色あせた写真が何枚か頭の中にこびりついているようにしか子供の頃の事を思い出せませんが、毎日父がキレると見境なく母を殴り蹴り、家中のガラスを割り、そして母が、意味不明な理由で私の髪をつかんで引っ張り回し、蹴り倒していました。なんで殴られるのかが全く分からなかったので(母は病気なんだということは誰も教えてくれませんでした)私はただ自分は母に嫌われているんだとしか思う事ができませんでした。そして、父が母を殴る間だけは、私は殴られなかったので、子供の頃の私は、父は悪い母から私を守ってくれるナイトだと思っていました。そう思わなければ、どこにも救いのない本当の現実を知ってしまったら、幼い私はきっと生きていられなかったのだろうと思います。
書いていて、自分のことなのに何か作り物の物語をただ書き連ねているような気持ちになります。私は現在大人になって家から離れています。鬱病の治療を受けています。虐待されたことは何度も人に話したのに、でも、今でも毎日悪夢にうなされ発作を起こし、生活に支障をきたしています。たぶん、いっぱい話したつもりでも、まだ自分がそこから解放されるには全然足りないんだろう、回復したい。元気に生きてみたい。そんな思いで書かせていただきました。
そんななかでも、人付き合いも人一倍苦労するし、しんどいけど、仕事しようとがんばってる自分、倒れまくってるけどまた起き上がる自分をほめてあげなきゃなあ、と「アダルトチルドレンと家族」を読んで、泣きじゃくった後に思った。
自分に向き合うために、これから利用させていただこうと思います
<214> 痛い ■2006年01月07日 土曜日 03時06分28秒
こんな年になって、また殴られた。今日は30回ぐらい。
なんで、会話が出来ないのだろう。なんで、いつも怯えているのだろう?

幼い頃から、気付けば殴られていた。妹や、幼い弟は何もされないのに・・・。
間違っていなくても、口ごたえ・屁理屈を言うといって殴られた。
悪くなくても、謝れと。謝らなくて殴られたこと、何回あったろう?

女なのに、腹も胸も露出するような形で引きずり出され、寒い外に追い出されたこともあった。
父親に殴られた傷を、クラスメートにやられたと学校で嘘をついてしまった。

怖いから、必死で勉強していい大学に入った。
人格否定されるから、いい会社に勤めた。
いつも、いつも、社会的に見て自慢できるような私じゃないと、否定され、罵られ、殴られ、死ねといわれる。

きっと、私だけじゃないよね。
いつか忘れたい。
いつか、父親が一メートル以内に居ても、反射的に吐き気を催さなくなる自分になれるよね?
<213> chihi ■2006年01月05日 木曜日 18時02分49秒
父と母の暴力は醒めない夢のようだ。


幼い私をいつまでも追いかける
<212> アーネスト ■2005年11月30日 水曜日 13時59分37秒
(フラッシュバック注意)


10歳の自分に何ができただろう?
逃げることも告発することもできず・・・それでも今の自分の頭のなかでは「10歳の私は黙ることを選んだ」という半ば自己批判に陥っている。未成年のころの自分が果たす責任とは?自家中毒。
<211> アーネスト ■2005年11月23日 水曜日 19時54分11秒
(フラッシュバックの恐れがあるかもしれません。読む際はご注意願います)


今の私の課題の一つは、自分の兄(=私の暴力を振るった人)を連想させる人、兄を投影してしまう人、あるいは兄本人と、自分との線引きをしっかりできるようになりたいというコとだ。暴力の何が嫌なのか、この何日間か考えてきて、それを表わす言葉が見つからなかったのだけれど、少し形になってきたので書いて見ようと思う。私は暴力の侵入性が嫌なのだと思う。こんなことを書いている自分も、中々他者へのコントロールが止められないのだけど。暴力、レイプ、過干渉、過度の躾、コントロール、これらに共通しているのは「両者の合意なしに」事が進められることだと思う。暴力を受けるときも、「今から殴るぞ」と言われるわけではない。脅迫の場合は「そんなことしたら殴るぞ」ということで、これもまぁ暴力を用いたコントロールだし、合意のないセックスは強姦だ。多分、「自分が望んだわけでもないのに、(気がついたら)していた」、あるいは「させられた」という感覚、侵入された感じが嫌なのだと思う。他者が「自分を怒りの捌け口にしようとしている」という意識がどうしても消えないのだ。捌け口。そう、私の場合、躾という名目での暴力は、あまり受けた覚えがない。明らかに理不尽な状態だった。『自分には全く関係のない』、『自分には全く属することのない』、『自分は明らかに火種になっていないような』場合でも暴力を受けた。暴力を振るった側の、全く個人的な事情のためだけにだ。それは、言い方を変えれば、腹がたったから、『たまたま』足元
にあったゴミ箱を蹴っ飛ばした、というのと同じような扱いを受けたことになる。それが僕には耐えられないのだ。今でも団体競技とかで熱くなって、怒ったり、声を荒げる人を見ると自分に怒りを向けているのだとほぼ反射的に思う。自分も確かに怒りを制御できないことがあって、ドアを蹴破ったりしたこともあるから、強い怒りというものがどんなものなのか、一応わかっているつもりである。でも、それを人に向けてくることが一向に許せない。
<210> アーネスト ■2005年11月14日 月曜日 01時57分12秒
友人との話しの中で。彼も私が思っていることを言ってくれたのだが・・・・
本当に私は、兄と中学に通っていた塾の教師。この二人には暴力を受けたのだが、その臭いを持つ人に反応してしまう、というか、投影してしまう。頭の中では「あれは過去の出来事だ。今起こっていることではない。過去の出来事で負った痛みが今反応してるだけなんだ」って思っても、つまりその時、例えば痛みを感じないようにするとか、身を硬くするとか、そういった防衛反応が今も出てしまう自分がいやになることがある。今はそれが怒っているわけではない。大丈夫だ、と言い聞かせてもやはり体が反応してしまう。仲間は、いつかそれを手放せる日が来るよといってくれた。それを信じたい。後、そういう反応してしまう自分を責めすぎないように心がけたい。
<209> アーネスト ■2005年11月10日 木曜日 02時37分14秒
(FB注意)<208>の続き
元々、機能不全家庭で身につけた「自分に正直になること=痛手を負う」という歪んだ考えが、その塾で更に歪んでしまった。今度は「正直になること=エキスパンダーで殴られる事、カッターナイフで脅される事」と更に恐れが強くなった。実際には間違っていたのだけれど。どの段階か、わからないけど、早めに自発的に質問をしたとすれば、相手に、学ぶ意思を示す事ができれば ―そうでなくとも殴られたり、脅されたりしたこと自体には今でも甚だ疑問だが― 理論的には、「正直=恐怖」という感覚は少しは和らいだ可能性もある。小学生レベルの私の頭脳が露呈したとして、そして更に私が向上心を見せる事ができれば、もしかしたらそのまま上手くいったかもしれない。あるいは、私が向上心を見せなかったら、クビになっていたかもしれない。実際に「○○(私の名前)は、そろそろクビだな」と言われた覚えも2,3度ある。あの頃の私には選ぶこともできなかった。勉強どころではなかった。家に帰れば機能不全家庭が待っているし、あの時期は家以外に安全な場所を切実に求めていたから。話しは逸れたが、可能性としては、入塾拒否、あるいはそのままがんばるという2つが、論理的にはあったと思う。私が正直になったとして。とにかくそこにい続けたことで、正直になれなければなれないほど、更に激しい叱責あるいは暴力が来ると思っていた。正直になることも怖かったし、正直になれないことも怖かった。結局、葛藤を処理しないまま、「正直になれば暴力を振るわれる」という短絡的な結論付けをしてしまった。それは、元々、家庭で学んだものだったのだろうが、それが、「分からないことは質問せよ」という命令と、「さもないと暴力を振るうぞ」という、断片的な、実際にはそうでなかった歪めた見方で見てしまったのだと思う。
<208> アーネスト ■2005年11月09日 水曜日 20時20分19秒
(FB注意)
体罰を経験すると罰する人は正しくて、罰せられる人は間違っている、そんな気になる。TVや新聞で表沙汰になるような事件に発展しなくても。私はそうだ。中学の塾教師に鉄製のエキスパンダーみたいなもので後頭部を殴られたことがある。その時も必死に解離してた。殴られてるのは自分じゃない、自分じゃないって。彼が、私が何か失敗をして、窓辺に置いてあったカッターナイフを手にとり刃を出したり、引っ込めたりする動作したことがあった。私は本気で殺されると思った。殺しまではいかなくとも、確実に斬りつけられるだろうと思った(そう思ったのは授業中だったから。さすがに人前で殺人はしないだろう)。確かにボクは悪い生徒だった。分からない事があっても質問しなかった。自分の数学の頭脳は、小3くらいで、既にかなりのつまづきを見せていたから、多分、質問してもそれは小学生レベルだったのだろう。とにかく質問しなかったのはまずかった。それはいつか仲間の力を借りて、埋め合わせをしようと思う。でも体罰は、見合わなかった。ただ恐怖心を残しただけだった。その恐怖心は、クラスで良い子を、部活で頑張るマジメな子を演じることでなんとか消し去ってきた。今でも、何か質問したり、要求しようとするとそれが甦ってくる。だから、どうかこの思いでを過去のものにさせるよう手助けを御願いします、神様。そして私が今と未来に接していく人間に、この感情が投影されないように私は努力します。でも私の力だけではどうにもなりません。神様、あなたのパワーの助けを必要としています。
<207> アーネスト ■2005年11月07日 月曜日 05時01分13秒
仮に再び暴力に合うようなことがあったら、私は逃げる。もう120cmの子どもじゃない。自分で自分を守る事ができる。昔みたいに無抵抗にやれることはない。腕力もある。
<206> 豆だいふく ■2005年11月06日 日曜日 07時12分03秒
<フラバ注意!>


運動会、遠足、林間学校etc…楽しい学校行事に参加するためには、まず母からの屈辱的な行為に耐えなければならなかった。参加する前日の夜まで許可が下りなかった。その度に彼女の前で約1時間以上土下座をした。「こめつきバッタ」のように泣きながら頭を下げた。

兄は自分のストレスを発散するために私に勉強を教えた。毎回まだ習っていない単元の問題を解くように言われ、5秒以内(カウントダウン付き)に解けないとひっぱたかれた。それが毎回夜中の3時4時まで続いた。母は次の日の自分の体調を考えスヤスヤと寝ていた。私も眠りたかった。

兄が寝ている時に電話がかかってくると、電話のベルの音で目が覚めてしまったといって私が怒られた。「おとしまえ」をつけろと言われた。お前がつけないのならば、今からその電話の相手のところまで行って「おとしまえ」をつけるよう伝えて来いと言われ、外に放り出された。私はただただ「許してください」と玄関の前で泣きながら土下座を続けた。

ねえ、こんな風に他人を虐げるってどんな気分?
ワクワク?スッキリ??自尊心UP???
どんな気分だったか知りたいな。


<205> 豆だいふく ■2005年11月05日 土曜日 11時47分38秒
<フラバ注意!>



母は私が小中学生の頃頻繁に私の教科書をハサミで切り刻みゴミ箱へ捨てた。
その後彼女はとても満足そうな顔をしていた。

母と一緒に電車に乗るのがとても怖かった。電車の中で彼女の逆鱗に触れたならば最後、沢山の乗客の前で怒鳴られ罵られ、途中の駅のホームで引きずり降ろされた。そして「○○(私)のせいで車内で恥をかいた」と言って置きざりにされた。実に楽しそうだった。

食事中や団欒中私以外の2名の質問に対して、パーフェクトな解答を5秒以内に発言しないと、右からパンチ、左から平手が飛んできた。まるでゲームのようだった。

ねえ、楽しかった?お二人さん。
<204> アーネスト ■2005年11月03日 木曜日 07時08分47秒
喧嘩で殴りあったというならまだわかる。喧嘩両成敗だ。でも一方的に,しかも教育という意味で殴られたのだからたまったものじゃない。コブシじゃなくて言葉で伝えるという方法があるだろう
<203> アーネスト ■2005年11月03日 木曜日 03時44分28秒
暴力は嫌い。体が小さければ、年齢が下なら,何をしてもいいなんて理由はどこにもない。反対に年上の人,自分よい年齢が上の人から不当な行為を受ける義務も責任も私にはない。私だって他の人と同じように1人の人間だ。
<202> アーネスト ■2005年10月31日 月曜日 00時25分21秒
(EB注意)
兄には復讐されるんじゃないかと思っている。かなりパラノイア気味ではあるし,兄に失礼だけど。それだけ怖かったんだ。17、8年間置きざられた私のインナーチャイルド。暴力を受けたままで傷付いたままのインナーチャイルド。

やはりあれは夢じゃなかった。確かに彼は私の部屋に襲撃した。胸倉を掴まれ他。泣いても叫んでも誰も来てくれなかった。母には伝えたかもしれないがケアされた覚えはない。怖くていえなかったのかもしれない。でなきゃなんでステップ5の後でFBが起きるのだ??
<201> アーネスト ■2005年10月25日 火曜日 20時03分13秒
(FB注意)
ココ最近、ずっと暴力というものについて考えている。なぜいけないのか?自分なりの答えを考えている。仕事柄、体罰というものついても考えを出す。昔は体罰ってある意味美化されていた。しつけとか愛のムチとか。俺は反対だけど,なぜ反対なのか,何を守るために反対なのかその答えが出ない。

身体的暴力も言葉の暴力も,強制力を持っていると思う。動いたら殺すぞ、そんなことをしたら言いつけるぞ。人の心にただ恐怖感を残すだけだ。例え正当な怒りを表現するためであっても,暴力は許されない。

私の兄は,私が彼の友人の両親が離婚した,とことを私が口外したいう理由で,刃物で私を脅した。勿論、私も間違ったことをした。非はある。彼の辛い気持ち、悲しい気持ちもわかる。私だってそんなことをされたら怒るだろう。悲しいし辛いだろう。でも刃物までは使わない。絶対に。そんなことをしたって,辛さが減るわけでもないし,相手に辛さ、悲しさが伝わるわけじゃないから。

私は恐怖で,身動きが取れなかったのだろう。もし親に言いつけたら、また同じことが起こると思ったのかもしれない。あるいは,言われたのかもしれない。とにかく理由があって親には言わなかったのだ。だから自分が悪かったということにしたのかもしれない。もし無事に解決されていたらどうなっただろう?例えば母親が間に入ってくれたら?恐い思いをしたが,それは自分のせいではなく,また相手も分かってくれれば、「俺が悪かった。お前の言動にはむかついたけど,ナイフは使うべきじゃなかった」と言われれば、納得できただろう。

だからそのことで処置された覚えはない。守ってもらえていないし,謝ってもらえてもいない。7歳の気付いたままの状態で,今も生きている。

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This script written by Shintaro Wakayama.