(FB注意) 暴力が持つ力って恐ろしいって思う。「行為者(暴力を振るった者)が絶対的に正しくて,被害者(暴力を受けた側)が全面的に悪い」という強迫めいた記憶・思想を,少なくとも被害者の側には植え付けてしまうと思う。そこでは暴力の是非とか,暴力そのものに対する是非や考えは,欠落し,シンプルな単純な事実として「自分が悪い(悪かった)」という短絡的な結論になってしまう。
実に不思議だ。テレビや新聞で暴力事件を見聞きすると「可愛そうに」とか「どうしてそんなことを」と怒りや同情の念が立つ。でも実際に自分が受けると,それは単なる恐怖以外の何者でもない。
僕は,覚えていないが8〜10歳くらいのときに,兄の友達が離婚したということを,知ってその当人に告げてしまったらしいのだ。そのことで兄が(どういうつもりなのかは知らないが)ナイフで私を脅したらしい。「てめぇそんなことしやがって!!」という怒りの表現なのか,「今度そんなことやったどうなるかわかってるよな?」という行動抑止のためなのか.........その辺は私には知りようがないが,とにかく,彼は私の「行動」が「間違っている」ことを知らしめるために,暴力という手段を使ったのだろう。
でもそこで私は拡大解釈を,恐らくはしたのだろう。刃物を向けられるという恐ろしい局面を切り抜けるために,とっさにインナーチャイルドに嘘をついたのかもしれない。私の存在自体はOKなのだ,間違っているのは私の行動なのだ,と。しかし,刃物=殺されるかもしれない,という恐怖心の中で,私は自分自身の考えを大きく歪ませる以外に方法がなかったのかもしれない。「まずい!!このままでは殺される。なんとかして相手の怒りを静めなければ『ならない』。次の瞬間には僕はナイフで切り刻まれるかもしれない。だからこの際,いや,この場限りでも,私の行動だけでなく私の人格自体,存在そのものを否定してしまおう」と。「全面降伏してしまおう」と。「僕が悪かったんだ。僕が悪かったんだ。僕がいなければ,僕が存在しなければ,お兄ちゃんの友達は傷付かずに済んだ。お兄ちゃんも友達を失わずに済んだ。僕なんか,永遠にこの世からいなくなってしまえー!!」そう思ったのかもしれない。
でなきゃ17年も15年も経って,何故未だに罪悪感や自責感が残ると言うのだい? 強い歪みが起こった事だけは確かだ。
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