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私たちの物語 - 暴力・虐待・過去ログ No.10
メッセージ数:200件

<200> こっこ ■2005年10月24日 月曜日 22時28分45秒
 俺は今心が痛い。
俺は今心が病んでいる。
俺は今心がとまっている。
 俺は今本当の自分を探している。
<199> アーネスト ■2005年10月21日 金曜日 23時11分02秒
(FB注意)
暴力が持つ力って恐ろしいって思う。「行為者(暴力を振るった者)が絶対的に正しくて,被害者(暴力を受けた側)が全面的に悪い」という強迫めいた記憶・思想を,少なくとも被害者の側には植え付けてしまうと思う。そこでは暴力の是非とか,暴力そのものに対する是非や考えは,欠落し,シンプルな単純な事実として「自分が悪い(悪かった)」という短絡的な結論になってしまう。

実に不思議だ。テレビや新聞で暴力事件を見聞きすると「可愛そうに」とか「どうしてそんなことを」と怒りや同情の念が立つ。でも実際に自分が受けると,それは単なる恐怖以外の何者でもない。

僕は,覚えていないが8〜10歳くらいのときに,兄の友達が離婚したということを,知ってその当人に告げてしまったらしいのだ。そのことで兄が(どういうつもりなのかは知らないが)ナイフで私を脅したらしい。「てめぇそんなことしやがって!!」という怒りの表現なのか,「今度そんなことやったどうなるかわかってるよな?」という行動抑止のためなのか.........その辺は私には知りようがないが,とにかく,彼は私の「行動」が「間違っている」ことを知らしめるために,暴力という手段を使ったのだろう。

でもそこで私は拡大解釈を,恐らくはしたのだろう。刃物を向けられるという恐ろしい局面を切り抜けるために,とっさにインナーチャイルドに嘘をついたのかもしれない。私の存在自体はOKなのだ,間違っているのは私の行動なのだ,と。しかし,刃物=殺されるかもしれない,という恐怖心の中で,私は自分自身の考えを大きく歪ませる以外に方法がなかったのかもしれない。「まずい!!このままでは殺される。なんとかして相手の怒りを静めなければ『ならない』。次の瞬間には僕はナイフで切り刻まれるかもしれない。だからこの際,いや,この場限りでも,私の行動だけでなく私の人格自体,存在そのものを否定してしまおう」と。「全面降伏してしまおう」と。「僕が悪かったんだ。僕が悪かったんだ。僕がいなければ,僕が存在しなければ,お兄ちゃんの友達は傷付かずに済んだ。お兄ちゃんも友達を失わずに済んだ。僕なんか,永遠にこの世からいなくなってしまえー!!」そう思ったのかもしれない。

でなきゃ17年も15年も経って,何故未だに罪悪感や自責感が残ると言うのだい?
強い歪みが起こった事だけは確かだ。
<198> ひこうき ■2005年10月21日 金曜日 19時31分34秒
私は愛されていない。
ということを認めることが怖かった。

だから、虐待を受け入れ、私が良い子になれば
親も変わってくれるという幻想に囚われていたように思う。

親がしたことは虐待だった、ということを受け入れたら
芋ずる式に私は愛されなかったということを認めるに至った。

確かに嘆いたけど。(いっぱい泣いた。)
でも案外ここは楽ちんだ。

これからは、他人からのいいがかりを
私には無関係の他人の問題としてクールに処理することができる。
<197> アーネスト ■2005年10月21日 金曜日 00時59分17秒
(FB注意)昔から現実にマッチしないほどの恐怖が出ることがあって,それは自分が受けた暴力から来るものだと思っている。例えば怒っている人や,強面の人、行動・態度が荒々しい人、ドアをバターンと閉める人、思い荷物を机の上にドスンと置く人、乱暴に椅子に腰掛ける人,そういう人を見ると,暴力を連想する。仮にその人が自分を怒っていなくとも。

私は日常的に,暴力を受けてきたわけではない。ただ,何回か受けただけだ。それでも未だに強烈な記憶として残っている。兄の暴力は実際に私が受けた。今でも兄がドアをバタン!!としたり,すると反射的に背筋がビクっとする。これは父親の場合に起こらない。彼に「俺に対する怒りがあるのだろう?」をつい先日問いただし、ないとわかっても,相変わらず恐い。消えない。

彼はよく奇声を上げた。私や彼自身の部屋を滅茶苦茶にした。私はどうにもできずにただ泣いていた。殴りかかってきたこともある。やはり私は泣いていた。親に言いつければ復讐されると思ったのだろうか?それで言いつけられなかったのだろうか?あるいは親に言いつければ,母と兄がまた争そうと思ったのだろうか?その可能性はかなり高そうだ。というのも,先日、私は就寝前に,「母と兄が争そう」のが恐かった。と,ふと呟いたのだ。2,3回呟いていくうちにそれは恐怖として再現された。可視化できなかったが,恐怖はありありと甦ってきた。そして子どものように布団にしがみ付いて泣いた。3時に起きた時もやはり恐怖が出て,泣いた。

母と兄の争いというのは,やはり私の中で,記憶に蓋をし,抑圧しなければ,ならなかったのだろう。そのことでクレームを出せば,さらに過激な争いになったかもしれない。兄からのとばっちりが来たのかもしれない。とにかく蓋をしていた。
<196> ひこうき ■2005年10月20日 木曜日 18時50分08秒
私は何度か、暴力や虐待を受けたことがあることを認める。

彼らは虐待した後、「しつけのため」「ひこうきに悪い所があったから」「ひこうきを愛しているから」と、一見もっともな理由?を述べた。

わたしもそれを信じたかった。
だけどそれはきれいな夢。

私は、なぜかずっと虐待する人の心理を知りたかった。
彼らの言葉を信じようとして信じられなかった。
いつも違和感がぬぐえず、納得できず、訳がわからなかった。疑問が消えなかった。

やっとわかった。
彼らはこじつけのウソをついていたのだ。

彼らは単にイライラしてむかついていただけ。
彼らは彼らの感情に身を任せて流された。
私は彼らの言葉は、やってしまった後にこじつけた言い訳であったことを認める。
<195> ひこうき ■2005年10月17日 月曜日 04時41分57秒
父は、ふだん暴力をふるう人ではありませんでした。

私はとにかく自信のない子でした。
中1の時はクラスの女の子にいじめられたこともあったけど
2年以降はいじめられることもなく、3年は楽しい思い出があります。
私は当時、自信を取り戻すには成績を上げる事だと思っていました。
一番になりたいと思ってはいなかったけど、ある一定レベル以上じゃないと許せませんでした。

高校受験は合格ギリギリのラインの高校を志望しました。
先生に止められたけどランクを落とす訳にはいかなかったのです。

そして受験し、第一志望の公立高校に落ちてしまいました。
発表の日、私は落ち込んでいました。でも泣いてはいなかったと思います。
その日、大好きだったイギリスのミュージシャンの直筆サインが雑誌の懸賞で当たっていて、テーブルの上のサインをぼんやり眺めていたのを覚えています。
それは雑誌の10周年記念を祝う文章とサインだったので、そこには
「おめでとう!」みたいな英語の文章があって、また複雑な思いでした。
でも、そのサインは私にとって小さな希望でした。

その後父が帰って来て・・・どういう経緯があったのかは忘れてしまいました。
ただ、台所の扉の前で、私は父に何度か殴られました。
そのとき私に命中しなかった拳の跡が台所の扉にあり、板が割れていました。

その板は長い事、そのままにしてありました。
私はその板を見るのが辛くて・・・でも「変えて」と言い出せはしませんでしたけど・・・。
それから10年以上経って大人になった時、私は自分で建具屋さんに扉を作り替えてもらいました。

父はACだと思います。タイプ的には「いない子」です。
父は私の受験に一切関わっていませんでした。
相談した事もされた事もありません。勉強のことで注意されたこともありません。
なんにもなくて、いつもそっぽを向いて暮らしている人から、
私が最も辛い時に受けた一撃がそれです。

私には、父がなにを考えているのか分かりません。
たぶん、何も考えていないのだと思います。
ただ、その時の感情で、状況や私の気持ちを考えることはせずに、
イライラしてやったことだと思います。
たぶん、「頭が真っ白になった」と言うのでしょう。

家の父は他人から、優しい人だと思われていると思います。
たしかに表面上はそうかもしれません。
だけどそれは表面上に限った事です。
<194> 泣き虫っ子 ■2005年10月15日 土曜日 22時15分29秒
 男の自分と女の自分、映画監督みたいな自分と俳優の私。
 俺は戦うぜ。って言っている。
私だって多重人格になってもいいくらい。お願い、もう私を泣かせないで。
 苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。
幸せな状態って分からないから、ずっと我慢してきたよ、
<193> Ai改めMio ■2005年10月07日 金曜日 19時57分47秒
やっぱりあそこには戻りたくない。当分は。
そのこと考え出したらパニック。頭が真っ白。どきどきバクバクして何にも考えられない。私にはほかに選択肢がないように思ってしまう。
帰らなきゃそうがないのかなって・・・。
ここに住むのは難しいが、生活用品や必需品足りないものそろえるために
1度は戻らなきゃ・・・。お金さえあったら・・・
怖い、怖い、父の鬼のような形相が頭に浮かぶ。
実際は追いかけられてないのに追いかけられてる感じ。
あーー。怖い、一人じゃ心細い、こんなに参ってるのに平気な人たちが本当に怖い。
前戻ったときは・・・そのときも震えながら戻ったが
みんな出かけてて意外に静かだった。
母もわりと機嫌がよくって、父もしばらくは少し大人しかったので
少しは状況もマシになったが・・・
1週間もしたら、(たぶん)もとの状態に戻り、そして・・
「どうせあそこに逃げ込めばいいんだろ!」とばかりに(そうは言わないが
その後種種の症状大爆発、やりたい放題だった。私は帰って激しく攻撃された
本当に怖かった。
体調崩しまた逃げ出せなくなり、夜逃げのように今回も飛び出してきた
雨の夜に、目立たないようこっそりと・・・何も悪いことしてないのに。
本当は縁きってすっきりしてもいいのに。
こんな目にあう筋合いもないのに。
人並みに幸せになってもいいのに。
パニック、混乱、辛い。
<192> Ai改めMio ■2005年10月07日 金曜日 17時31分32秒
(連続投稿すみません。)

こちらではゆっくり休むのがいっぱい一杯。。
とんでもなく交通の便が悪かったり・・色々事情があってすむのは難しい。人の家だし、落ち着かない・・・。
着のみ着のまま飛び出してきたので・・そのうちまた用事もあるし・・・
自宅に戻らないと・・・でもそれ考えただけで落ち着かず怖くなってパニックぽくなる。親のこと思い浮かべるだけでフラバっぽくなる。
でもそろそろ戻らんないと・・色々用事あるし。
その後のことも少しは考えないと。ゆっくり休んだら少しは楽しいことしたい
<191> AI ■2005年10月03日 月曜日 18時47分23秒
(FBご注意)
誰も家まで助けに来てくれない。前、保健士に家庭訪問して貰った時には、また例のごとく連動して動いた父が、その日に限って突然外出した。滅多に出かけないのに。助けに来てくれる人はいない。だから、元気な時にどうにか援助を求めて自力で動くしかない。動いたら援助が得られる事もある。得られない事もある。
でも動いたらそれに連動しての親の反撃が必ずある。
父の生まれつきの病気はかなり酷い。前入院しても治らなかった。
こんな壮絶な中で生きていかなきゃいけない、死にたくないから。
生きてればきっといいことある、って信じられるか?
私が動いてきた事は必ず私の力になってる、と言われたけど本当だろうか。
信じられない。
「あなたはそんな中で耐え忍んできた強さがある」と言われるがそんな事言われても全然嬉しくない。
生きるために、病気になっても耐えるしかなかった。耐えたくなくても耐えるしかなかった。でもあんな親の病気の巻き添えで死にたくなかった。
虐待って言うのは精神や思考の自由を縛り支配する。そこが一番残忍だと思う。
私にはあの親の血が流れてるが、私はSじゃないし残忍じゃない。
だからやっぱり狙われたのか。
<190> AI ■2005年10月03日 月曜日 18時37分50秒
(連続投稿すみません。FBご注意ください)
私が回復へと向かうたびに親からの反撃、攻撃は激しくなり足引っ張られる。
まるで、アリ地獄・・。諦めきれない、でも諦めるしかないのか。
私にこんな風に執着してるのは、弟や親類合わせてもたかだか5〜10人。
私を自由にするもんか、幸せにするもんかと激しい攻撃するのは、それがどんなに強烈であっても、壮絶であっても、世界のたかだか10人以内。
他の人たちはこんなこと絶対思ってない。
世界中のこんな少数のために、人生あきらめたくない。
回復意欲がない、とかそういうんじゃなくて・・・
危険な環境で心の中に向き合うのは危険だと思う。
でもある公的機関のカウンセリングやっと取れたのがちょっと救い。
でもまた私がそうやって動くと連動して激しい反撃、苛め始まるだろうが。
凄まじい人たち。自由にラクになりたい。無理か。
生まれた時から人権なんてなかった私は、普通の人みたいなささやかな望みなんて無理か。
<189> AI ■2005年09月29日 木曜日 16時30分48秒
本当に疲れたな。疲れ果てた。誰も助けてくれないのかな。
しんどい。
<188> いつか ■2005年09月23日 金曜日 14時04分25秒
どうして、虐待してるって気がつかないんだろう。
精神的に虐待ってのは、本人も気がつかないんだろう。
まあ、私もそうだったが、虐待されて育った人は虐待する人にかんたんになってしまうんだ。
支配して、人と自分の境界が解らないから少しでも自分と違ったり、意見されたりすると攻撃が始まる。
そんなに簡単に回復できない。
誰も私の安全を脅かすことはできない。
そして、私は誰も脅かすことはしないように努力している。
人は人。
これだけたくさんの人がいて、皆違うんだから、それを楽しめたらいい。
誰でもNOと拒否される人は居ない。
それでなくては生きていけないじゃん!
欠点だけ繰り返し詰って、そこから何が生まれる?

自分に優しくなれないから、人にも優しくなれないんだろう。
<187> AI ■2005年09月21日 水曜日 23時10分13秒
私も弱ってきた。いかに危険な所?ときずいた時にはとき既に遅し・・
私も色んな症状抱えるようになって・・親に無理やり背負わされた症状だ
弱っちゃって中々家を出られない、逃げ出せない。
こんなこと言うだけで色んな人から批判的?お説教されてきたからここで書くのも安全?とひやひやものだ。
私の運命、私の人生・・もうどうにもならないのかもしれない。
誰も助けてくれない。辛い。疲れた。もうだめ。早く死ね、親。
<186> AI ■2005年09月21日 水曜日 22時55分57秒
書くのが辛くなってきたから簡単に。。両親は健在。思うが、暴力癖のある人って並外れて体が丈夫なのか。いい年なのに、全然弱ってくれない。私はあの化け物のお陰でどんどん弱っていった。心も体も。今も親の症状からくる、様々な嫌がらせや経済暴力、精神暴受けている。いつも監視されてて、自由は制限されてる気分。実際そうだし。「親」を主語にしなくてもいいけど・・・父の野放しの症状が余りにひどくて・・・深い部分で、見えない領域で親達が、私に回復せず弱い状態で留まらせたい、自立させたくない、と思ってるのがよくわかる。「そんなの被害妄想」みたいに言う人もいるけど。多分絶対そう。母は、キ印の父と二人でいるのが苦痛で、私にその負担を押し付けてる、っていうか・・・とにかく、自分達の症状のはけ口として、私を手元においてキープしたがってる。
「そんなのほっとけ」といわれても、ほっとけないくらい、執拗な苛めがあるので、それで消耗する。自助とか、ヒーリングとか・・回復プロセス始めたら必ず今まであらゆる「足元から引き摺り下ろし作戦」が親類ぐるみであったんだ。それが本当に怖い・・・私の人生潰しても自分を守ってラクしたい人たち。だからキープする。そう思うと本当に怖い。怖くて震えてしまう。パニックになり、何も考えられなくなる。いえに火をつけたやったら、呆れて私を手放すか?なんて時々考える
いえという牢獄に閉じ込められてるなら、刑務所に行ったって一緒じゃん・・とか思うこともある。でももともと大人しくて?そんなに暴走できない私。辛い。救われるのか。誰も助けてくれない。
<185> AI ■2005年09月21日 水曜日 22時36分09秒
東京でやっていけなくなり、実家に戻った。
軽鬱で寝込む私をまた母と弟が罵倒した。恐怖と緊張が当たり前になってたので、実家が危険な所、という認識が全くもてなかったのだ。
<184> Ai ■2005年09月21日 水曜日 22時31分30秒
大学生活もまあまあ楽しめたと思う。女子寮に入れられたので、そこの女子ばかりの人間関係は結構大変だった。下らない苛めの標的にされた。
でもそこは、母や弟みたいに凶暴な人間は一人もいなかったので、まあまあ安全だった。好きなことも沢山やった。一生懸命バイトも頑張った。
地方出身者の私にとって、東京は中々ハードな街でもあった。淋しくて淋しくてベッドに閉じこもって過食もしていた。飲み会とか・・・ちょっと楽しいイベントが終わった後淋しくて死にそうになった。バブリーな時代に乗り切れない自分・・・
疎外感も常にあった。今思うと、誰も私を疎外してなかったのだが。
情緒不安定だった。今思うと軽鬱だったのだろう。でもその頃はACなんて概念も全くなかった。こんなにデブでブスで駄目な私でもどうにか何とかやっていかなきゃ・・と思ってた。何に必死だったのかもよくわからないが、何か必死だった。いつも私は必死に生きてきた、必死に。
留年してしまった。どうにか卒業したが、それも良く頑張ったと思うが・・・
何か頑張るのももう限界だった。
就職活動なんてどうしてもできなかった。
健康な人々の中に入って競争して戦うなんて、できなくて当然だった。
就職説明会とか頑張って行っても足がすくんで帰ってきた。
希望の職種はあったが、簡単に採用されなかった。
<183> AI ■2005年09月21日 水曜日 22時20分48秒
暴力の嵐の中で育ってきた。私にはまともで安全な環境なんて、一度もなかった。
母、弟からいびられながらもどうにか大学まで行った。
自分で言うのも何だが、そこはとてもいい大学だった。
両家の子弟が多くて・・・本物のお嬢、お坊ちゃん大学だった。

「おまえのためなんかに金はビタ一文出したくない!」
「一円でも弟達のために金は回してやりたいから!」
絶叫する母はいつも鬼婆だった。母が希望したエスカレーター式の女子大への進学をいやがったので、母は根に持ちきっと私に報復した。
母はいつもそういう人だった。いつも、私を何故か断罪し、絶叫しながら攻め立て、血祭りにし、罪悪感や恥を植え付け、必ず思い通りに支配して動かそうとする
それに逆らったら、情け容赦なく二人の弟と一緒に暴力を振るい、それでも私が逆らったら、「どうにかやっていけるだけの最低限の小遣いを脅しながら与える」
いつもそうしてきた。
で、私の大学受験のときもそうだったので、私はなるべく受験費用を抑えて、塾も殆ど行かず、ラジオ講座で地道に必死で勉強し、一浪したらまた余分にお金かかっちゃう・・・と思って、現役合格した。いい大学に。
母は得意になって吹聴した、「うちの娘は私のしつけや教育の甲斐あって、こんな良い大学に入った」と。「あんな人間のくずみたいな父親そっくりなのに、私がきちんとしつけたからこんな良い子になった」も、いつもの母の台詞だった。
強欲でブランド志向の強い母を満足させる大学に入ってしまったのだ。
「極限状況までどんなに追い詰めても馬車馬のように頑張って、ちょんと結果を出し、自分の所有物として見せびらかせる都合のいい娘」
母にとっては私の利用価値だけが大事だった。
入学と同時に家を出たら・・家さえ出られれば私も少しは幸せになれるかも、とあの頃、若かった私は考えていた。



<182> nano ■2005年09月19日 月曜日 12時51分37秒
もういやだよ、どうしてそんなに困らせてくれるの、
解放して、救って...
家庭は、やすらかにそれぞれの想いを話せるところ。
安全に一人一人の意見をきちんと受け止めてくれるところではない所。なんとも思わないただの住むところ。私の場合、二番目の居心地の悪いところでした。
返してほしい......



<181> アーネスト ■2005年09月18日 日曜日 12時25分42秒
(FB注意)




殴られたのは自分が悪かったと思っているの?そんなバカなっ!!!!
なんで父親にはその怒りを伝えることができて兄にはできない???
母親がイライラして兄と上手くいかなかったのは絶対に僕には関係ない。僕が誘因だったとしても,兄も母もそれを僕にぶつけることはできない。許されない。

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This script written by Shintaro Wakayama.