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私たちの物語 - 暴力・虐待・過去ログ No.1
メッセージ数:20件

<20> うりぼう ■2003年11月05日 水曜日 01時16分44秒
小さい時から、心ない人たちに囲まれていた気がする。

母にも何度か「お前なんか要らない」と言われたことは20年以上経つ今もはっきり耳に残っているし、母が私を預けた家でも、冷たくされ、いじめられ、寒い部屋に閉じ込められ、トイレにも行かせてもらえなかった。親戚の家では私にだけおやつを買ってくれなかった。北にある母の田舎で、みんなの前で私の話す関西弁が気に入らないとアル中の母の兄に殴られた。小学校〜大学でも「デブ・ブス・汚い」といじめられたり、無視された。酔っ払った父親にも殴られた。母にも悪いことをするたび、ものさしやふとんたたきでみみずばれになるまで叩かれた。

いつも誰も誰も助けてくれなかった。いつもひとりだった。
だからいつも私は「自分が悪いんだ」って思うことにした。
いじめる相手にも普通に接する努力をした。
親には大人になるまで本当のことは一度も話さなかった。
まだ話してないこともたくさんある。

必死で生きてきたのに、未だ苦しいままで、これから楽に生きるためには相当な努力をしなくてはならないなんて、どうしてだろう?私は何も悪くないのに、親が勝手に作って産んだのに、どうして私はこんなに苦しいの?死んだほうがましな気がしてくる。


<19> 埴輪 ■2003年10月31日 金曜日 13時37分44秒
虐待ってなんだろう。虐げる待遇、ってことでしょ・・・
暴力イコール虐待・・・?言い切る自信がない。規準はやっぱりわからない。

父親にこれから殴られるんだな、という すごい空気を察したとき
やっぱり、普通、頭とか顔とかを、腕でガードする。
お父さんは、その私の腕を、ガードをわざわざ どかせる。無理矢理はがす。
今思い出せるのは、ガードをはがされる恐怖。
目をつぶったりのけぞったりして、避けようとした気がする。
<18> 埴輪 ■2003年10月21日 火曜日 16時45分05秒
あん時、わき腹折れてたんじゃないかと、今でも気になる。
私は、もし病院に行ったらお父さんが責められるんじゃないかと心配したけど
当のお父さんはちっとも私のわき腹など心配していなかった。

お姉ちゃんがぬいぐるみのように吹っ飛ぶ時
私は何も感じなかった。
お姉ちゃんが、お父さんを怒らせるから悪いんだと思った。
私じゃなくてよかったと思った。
お父さんはお姉ちゃんを怒るときは、私のことは怒らない。
私のことを怒るときは、お姉ちゃんのことは怒らない。

お父さんが、唯一謝ってくれたのがわき腹のときだった。
でも、あいつ、笑ってたよな。
<17> MIKA ■2003年10月16日 木曜日 00時50分40秒
優しいのは悪い
繊細なのは悪い
と、キツイ言葉で悪者扱いされてきた。

自分自身で誇りの思っていた性格を容赦なく批判されてきては
『お前が悪い』と怒鳴られる。

怒鳴られたことに傷ついたと訴えても、
”どうして傷つくの?””それくらいで傷つくお前が悪い”と否定される。

自分は悪くないのに・・・
<16> maru ■2003年09月19日 金曜日 22時54分57秒
自閉症の、知恵おくれの、兄に、なぜか標的にされて、顔さえ見れば怒鳴られ殴られ続けた、ガキの頃。

俺は、可哀想な知恵おくれの兄を、
精一杯可愛がってたんだ。
俺がかばってやんなきゃって。
だから、近所の悪童どもが、「お前の兄ちゃん、キチガイだろ」と、俺を殴る蹴るして虐めるのに、精一杯逆らってきたんだ。

だけど、俺は殴られた。
母親も父親も、俺の味方になってくれなかった。
母親は「あんたがお兄ちゃんを嫌ってるから、あんたが心が冷たいから、純粋なお兄ちゃんにはそれが分かって、あんたを殴るんや」って言った。
父親は、荒れる兄貴に、バケツで水をぶっかけるだけだった。
俺は、ひたすら逃げた。
逃げ切れない時には、ナイフで兄貴を刺そうとした事もある。
兄貴にかすり傷を負わせて、その結果、ますます殴られて、俺の顔は歪んだ。
翌日「どうしたの?」と心配してくれた級友に、
俺は「コタツの角でぶつけてさ」と笑うしかなかった。
だって、言えないだろ?兄貴にやられたなんて。
知恵おくれの兄貴に。
家の恥。
一方で、家の天使。

ゲロが出るんだ。
お涙ちょうだいの、障害者物の映画とか、よぉ!

俺は大人になって、福祉施設に勤めた。
今考えるとゲロが出る。
俺は、こんりんざい二度と他人の世話なんか、しねぇ。

けど、一個だけ役に立った事。
俺の兄貴の病気、自閉症ってヤツは、
ワケも分からず、パニックで、他人に暴力を振るう事がよくあるって事。
ワケ分かんねぇんだ。
キチガイなんだ。
(不適切な表現で、ゴメンよ。ははは。俺自身、キチガイやのになぁ。何なんだ、あの、差別語を禁止するって風潮はよぉ!)
俺のせいなんかじゃ、ない。
俺は、悪くない。
俺は、被害者、だった。
<15> ごんべえ ■2003年08月22日 金曜日 19時26分06秒
ことあるごとに駄目な奴だと言われていた。
なにをやらせても駄目だと言われた
生きてる価値が無いと言われた
商売人にはなれない、職人にはなれない、お前は何にもなれないと言われた。
いつからかわからないけど、気がつくと本当にそうだと思い込んでいる自分がいた。
具合が悪いというと何でお前が具合が悪いんだと怒鳴られた
ふざけるなと怒鳴られた
イライラさせてしまったのが凄くわかった
だからいつからか具合が悪くても言わなくなった
40度の熱があったときも何事もないように学校へ出かけた。
言葉による虐待だと思っている。

言葉による虐待、人に言ってもよくある事、誰でも経験することだと言う。
でも確かに痛かった。
傷ついた。
<14> mirai ■2003年04月06日 日曜日 11時52分04秒
今日は、復讐してやりたい気分だ。私を虐めた人たちに。私を尊重しなかった人たちに。私を貶めた人たちに。私を踏みにじった人たちに。私を無視した人たちに。私をバカにした人たちに。
土下座しろ、おらおら、と頭の後ろを足で踏み付けてやりたい。うなだれた頭を、今度は足で蹴り上げてやりたい。私の味わった痛みも苦しみも全部こいつらに分けてやりたい。ひーひー言って助けてくださいと言っても、助けてやらない。謝ったって許してやらない。こいつらが私にしたように、冷たい視線を投げかけて何ごともなかったかのように無視してやる。こんなことも我慢できないようじゃ、まだまだだ。お前等が悪いことをしたんだから当たり前の罰だろう。八つ裂きにしても飽き足らない。世間はもっと厳しいってことを教えてやろう。骨の随から叩き込んでやる。泣いても喚いても誰も助けてくれない、たっぷり地獄を味わうがいい。
すみません。鬼の私の心を、ここにおいていきます。
恨みも憎しみも、ここにおいていきます。
復讐は、しません。
<13> にょろにょろ ■2003年03月27日 木曜日 11時16分10秒
母親が靴べらを取り出した時、私は恐怖でどうにかなるかと思った。責めて布団叩きの方が痛くないとそう思った。昨夜叩かれた背中が未だ痛むのだ。その上からプラスチックのしなる靴べらで叩かれたら正気じゃいられないと思った。私は幼稚園だった。土下座というのを初めてしたのはその時だったんじゃ無いかと思う。
「お願いです。手で叩いて下さい」
私は言った。
「手で叩いたらお母さんの手が痛いでしょ」
悪魔のように母親は言った。
その後はいつも通り。
まるで儀式のようにいつもの玄関に立たされる。そして立っていられない程の痛みを受けながら私は自分が叩かれる数を数えなければいけない。数えてみたって幾つまでなんて約束は無いのだ。母親の気の済むまで。必死に立って耐えて叩かれ続けるだけだ。
涙声で数が数えられなくなると怒鳴られるだけだ。

そんな儀式が終わり、父親が帰宅する。
母親が耳元で言う
「今日は叩いた痣があるから、お父さんとお風呂に入っちゃ駄目よ」
彼女は自分がしている事が行きすぎていた事を知っていた。確信犯だったのだ。
<12> ブコースキー ■2003年01月31日 金曜日 22時52分41秒
「のらねこの悲しみ」
 1月31日22時、この寒い外気のなかで野良猫が一匹泣いている。
フギャーオ。フー、フギャー、フギャー。実に恨みがましい声である。俺が言語化してやろう。つまりこう言っているのだ。
「腹へったー」「腹がへって死にそうだよ」「何とかしてくれよー」「寒いよ、家に入れてくれよー」「近所でエサをくれるのはあんたの家しかないんだよー」
 いきづまった野良猫は、エサをくれるお家の門前でなくのです。門をピシャリと閉じて知らぬふりをしているそのお家の住人の苦渋が想像できるではないか。
 近所で最後までヒューマニズムを捨てきれなかったお家にすがるしか野良猫の選択肢はなかったのだ。猫語というものはすべて要求で充たされている。
 赤ちゃんの要求に等しい。それに反応する人間は赤ちゃんを育てている人か、未婚の女性か、心の底にどうしようもない悲しみをかかえている人だ。人の憐れを知っている人だ。または野良猫を育む自然が残っているという幻想をもっている人だ
。 実際最後までエサをやりつづける人は、借家住まいであったり、御自身が不遇であることが多い。猫の気持ちはよくわかる。つってね。
 俺の街並を煙草を2本吸い終わるぐらいの距離感で観察すると。約4分の1以上の土地は各宗派が入り乱れた寺社である。そして5百坪前後の邸宅が4〜5軒、中小企業の営利を目的とする土地が5分の1〜2。後は借家か持ち家が混在している。地主階級がいる、古い歴史がそのまま現在に引き継がれているのである。借家もピンからキリまである。アメリカのショットガン・ハウス(撃つと裏口に弾がぬける)どころではないのだ。物干し竿でエイッと突けばすぐ隣家に達する。バブルの爪あとも残っているが、これほど新旧の混在する町並みでありながら、野良猫は寺社や邸宅に鳴きつくことは絶対しないのである。
 何故か借家の人たちの門前に集まるのである。猫は人を見抜けるのである。だから野良猫が今日まで生き延びてこられた所以がわかろう。
 ・・・・ほな、フギャーヲ。
<11> ブコースキー ■2003年01月24日 金曜日 02時04分25秒
彷徨う魂 3
 ねむれないときの我が胸のなかでわきあがる葛藤は大事にしたいと思うので書き込むことにした。
寂しい 1 は我ながら恥ずかしい ケツがかゆくなることをかいたような気分だ。
おれはACの問題をそれなりに体験を通じて 問題とこれからの生き方を率直に言語化するためにこのサイトを利用させてもらっているのだ。
そのために 曖昧になりやすい愛だとか苦しいだとか寂しいだとかは、俺にとっては 考えることを放棄することにつながる可能性がある。今後このような言葉は使わないようにしたい。
 今が苦痛の連続で耐えがたいという若きACは その内心を吐き出すことが重要ですから、どんどん吐き出してあたりまえです。私の発言は気にしないで下さい。
<10> ブコースキー ■2003年01月23日 木曜日 15時08分29秒
俺は寂しい 1
俺はさびしい なぜかいつもさびしい これはいつの頃からだろうか
分からないから悲しい 物心がつく以前のことだから悲しい
幼児の記憶は母の記憶 母の胎内の記憶 分からないからかなしい
 
あなたは誰か好きな人はいますか? あなたは誰かを愛したことがありますか?
あなたはさびしいですか? あなたは寂しいですか? あなたは悲しいですか?
それはいつからのことですか? それはいつからのことですか?
あなたは誰ですか? あなたの本籍地はどこですか? あなたはどこで生まれましたか? あばたは誰かを憎んでいますか? あなたは何をしたいのですか? あなたはだれですか? あなたは誰ですか?

あなたが獲得したいものはなんですか? あなたが獲得したかったものは何ですか? あなたが獲得しなければならなかたものは何ですか?

そして俺が獲得したかったものは! 俺が獲得しなければならなかったのは?
俺が獲得しなければならなかったのは!・・・学歴ではなく社会的地位ではなく・・母でもなく父でもなく妹でもなく弟でもなく 車でもなく 金でもなく
パチンコの17連チャン怒涛の両替金11万でもなく ・・・・・俺が獲得しなければならなかったのは。 俺が獲得しなければならなかったのは・・・。
愛だ!愛だ!愛だ!愛だ!愛だ!あいだあいだあいだあいだあいだまいちゃんはいまいずこあいだあいだ口説くのがへたくそなあいだあいだだいあだいあダイヤダイヤダイヤモンドあいだあいだいあだいあだ愛だ!
<9> マフマルバフ ■2002年10月01日 火曜日 01時38分31秒
静かなる日々 3
とうとうラーメンと缶詰を買ってしまった 別に誓いをたてたわけではないが久しぶりにラーメンを食った まずい インスタントラーメンはまずいことがよくわかった 風邪をこじらせて動けなくなってしまったこともあるが 味覚が過敏になっている 静かで安全で落ち着ける日々を獲得すると少しだが自分本来の感覚を取り戻しているようにも思える 寝相もよくなっている 起きたら足の脛に擦り傷があるという不愉快なこともない 風邪で寝込んでも自分の体調を管理できているという実感もある 特に理屈をもって生活しているのではない 今でもドアを誰かがノックするとびくりとする 他人の静かな日々の権利を壊さないように注意しているにすぎない バランスの良い関係ができているだけ 自己との格闘をやめ 意固地な対応をやめ 嫌なことは嫌だと素直に認めただけのこと 昨年の胃潰瘍の長期治療に今の環境は最悪であるから住む場所を変えただけ その環境に馴染むのに1年間を費やした 蔦吉のリカヴァリーノートに好きなように書き込めたのも役立った
トラウマからの回復をどうしたらよいのかまだわからないが その大前提としての静かで安全感のもてる場所を確保できた 今「心的外傷と回復」を読んでいるがどこまで実践できるかは分からないが自己治療はつづけます もし共感のもてて私もやりたいという人がいたら 私のメールに連絡下さいね はなしあおうぜ 人生をたのしもうぜ それこそが「おはなし治療」だ
<8> マフマルバフ ■2002年09月12日 木曜日 00時15分33秒
静かなる日々 2
少しは落ち着いてきている こうした時の自分の変化にはなかなか気づかなかった
「人に干渉されたくない」こういう考えは常に意識しているのだが 自分が人に干渉するという視点はかけていた 迷惑を受ける側の立場しかないものと思っていた
過去に人に干渉するほどの余裕はなかったとも言える 身の内にある毒かもしれない 人をコントロールしようというような心理ではないと思う 不要な干渉が人間関係を壊すという体験がないことによるものだと思う 俺が何をどうしたいのか他者と折り合うこと それを知らなければいけないことだと思う それを考察した上での言動でなければ 対応とはいえないだろう 「あーっくそう眠れん」こういう時の言動は慎まねばいかんのだ。ひとつ勉強になりました。
<7> マフマルバフ ■2002年09月04日 水曜日 23時48分00秒
静かなる日々
過去のトラウマを考えてみた ジュディスLハーマンによる複雑性外傷後ストレス障害(もう少しなじみやすい訳にできないか)・・・遠ざかっている問題もある 意識もしない 努力の結果だ 自分が自分の力で自分のために何かを獲得していくことで 何かが消えていくのかもしれない 傲慢なもので置き換わるものではなく 謙虚に満ちた基本的人権のようなものだ とりあえず静かなる日々の獲得 干渉も非難もない そういう落ち着ける日々が獲得できなかった これが引きこもってしまうものではない 特に希望にみちているのでもないが・・・それがわかればいい
今 現実の中で何かがガラリと音をたてて変わるわけでもない しかし 確かに遠ざかっていくものはあるようだ トラウマは遠ざかるものかもしれない ・・・よくわからんが とりあえず 楽しみながら生きていこう 他人がみれば傲慢そのもの生き方に見えるかもしれないが ここまでいたってきたのだ 謙虚に傲慢にいこう ・・・・つづく。
<6> マフマルバフ ■2002年08月28日 水曜日 16時49分42秒
野良猫の一生
○○マンションにノラが多数捨てられている 3〜4匹 猫はえさをくれる人を見抜くのがうまい 各猫の性格はわからないが一匹ふてぶてしいのがいる 昔のノラは人が近づいたら一目散に逃げていた ところが今のノラは近づいても簡単に逃げない右に退避するか後退か 曲がり角まで逃げてそこから様子をうかがっている 猫同士仲が良いがこれから食欲が旺盛になるとテリトリー拡大して その最中に車にはねられるのだろうな ペットを無造作に捨てる人は毒になる親の素質があるのではないか 私は捨て猫をみても関わらないようにしている エサをやるとそこに目印の小便をしていくからだ そして猫嫌いの人と確執が発生するのが嫌だからだ
<5> マフマルバフ ■2002年08月24日 土曜日 03時51分43秒
あわれな男
父親が酒に酔って母親に包丁を投げつけた瞬間を見たのが私のその後の人生に大きな影を落としていると思う何か積極的になろうとグイと行動を起こそうとする時などに怖気づくときがありトラウマの影響を考えざるをえないだいたい両親の口論から父は酒をのみはじめるのだが最初は母が機関銃のように喋りまくりオッ今日は母ちゃん押しまくっとるがんがんいいまくれば今日は母ちゃんが勝利を収めるのではないかというような日でも茶碗をパリーンと投げ割ると様相は一変します私らはその時点で逃げる体勢にはいりますが母ちゃんが父を言い負かし勝利することはなかったですね。遠い日の昔のことです。あわれな男でした。
<4> ゆき ■2002年08月13日 火曜日 18時53分19秒
何回叩かれたか、何度殴られたか、覚えてない。
父親に対する感情は、4つごろのとき、殴られて壁際まで体が飛ばされ、
流れ出た鼻血の赤さに驚いたところで止まっている。
母は金切り声を上げていたがそれはわたしを助けようとしてのことではなかった。
けっして割って入ろうとはしなかったのだから。
母は殴られて血をながす子供よりも殴る父のほうが大切だったのだ。
そんな家だったのにわたしは健気にも殴られるのには理由があるのだ、わたしが
悪いのだと思い込み、そういうわたしを矯正しようと父は殴るのだ。母も黙認しているのだと思っていた。
理想の家族だと思っていた。
なんて痛々しい幻想だろう。
<3> 蔦吉 ■2002年08月04日 日曜日 22時48分38秒
うちは体罰アリの家族だった。
小学生までは父も母も私を平手打ちにしたものだった。
平手打ちは「儀式」みたいにおごそかに執り行われた。まず、「そこへ座れ(座りなさい)!」そして正座すると、もったいをつけるように言葉も発せず、おごそかにパン!と音を立てて頬に張り手が飛んだ。…そしてお決まりのお説教が大声でくどくどと続いて、説教も終盤になってくると、「あやまりなさい!」で、ともかく無理矢理にでも私に「…ごめんなさい…」を発音させて、おしまい。
自分が何についてあやまっているのか、本当の罪悪感とはどういうものなのか、両親による平手打ち+お説教コースの最中についぞ一度も分かったためしなんかない。

そして私が中学生になって母の身長を上回ると…母は「まぁ、誰に向かって口聞いてるの!?アンタ何様?お父さんに言っとくで!」私に手を上げるかわりに父に「告げ口」するようになった。で、間抜けにもその日の夕食も終わった頃、「ちょっと降りてこい!」と呼ぶ声がして、「座れ!」パーン!…父によるお決まりの儀式。

そしてそんな父の陰から「そうよ、○○ちゃん、お父さんの言うとおりでしょ」とコマネズミのような卑屈な、そうして勝ち誇ったかのような陰険な目でこっちを見ている母の姿があった。

なんだ、女にとって結婚ってのは、男と一緒になるってのは、ふてぶてしくなったガキやら自分にたて突く者を殴ってくれる獄吏を、用心棒をひとりキープしておくことなのか。

中学生の私には体罰そのものにも増して、そっちの方が理不尽で、くやしかった。
<2> パヴァロッティ ■2002年08月03日 土曜日 03時35分15秒
私は何を考えるかは自由です。
大切なのは自分だ自分がが何ができるのか できることを
少しずつやってみることが大切だと思います。
<1> Kee ■2002年08月02日 金曜日 05時14分17秒
私は何度でも、どこにおいても、声を大にして訴えたい。
思っても何もしないというのは、考えていないと同じことなのです。
そして、何もしないというのは、暴力です。

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This script written by Shintaro Wakayama.