朝。家では誰もが無口。おはようという声も低い。母は私の食パンを焼いてくれない。弟と父と、二人のパンはすぐ焼く。朝は嫌いだ。登校班も皆朝から元気よく、自分のそして家族のテレビの話を楽しそうな、弾んだ声で話し合う。私の家では、当たり前の会話がなかった。当たり前の会話って、人の嫌がる事をネタに笑う事だと思ってた、ありがとうなんて気持ち、生まれない。素直に言えない。世話してもらうかわりに、私は自分で決める自由を失った。何でも親が決める。親が好きでない事はさせない、認めない。どこまでも上のレベルを要求する。最低限の身の周りの世話はしてもらっていた。御飯もレトルトじゃなく、母の手作り。だからこそ、まずいと言えない。母の作る料理で、好き嫌いがあってはならなかった。最近、ようやく甘いおかずは口に合わないときずいた。少し言葉を選んで言う練習をしてみよう。 毎日の生活。自分を主張すれば、母にうとまれた。理由もわからない。自分を主張する事は、相手を嫌な気持ちにさせるとばかり思っていた。でも、家庭の外では、自己主張がない人こそ、うとまれる。相手がどんなやつか、いつまでたってもわからないからだ 。あらぬ疑いがかかる。誰かの心の悪の部分を刺激して、その人のイメージを作る。なかなか消えない。この、善意なのか悪意なのか、敵か味方なのか、はっきりしない世の中では、自己犠牲の精神は不必要、食うか食われるかの戦い。そして、たまに休戦。その時、私は人の優しさを受け入れる事ができるのだ。いつも人は優しいと感謝してると、後でどんでんがえし。冷静に自分の立場と相手との距離感をつかまなくては、失敗する。特に自分は接近してても、相手は遠くで構えてることに注意が必要。愛しすぎて、相手を妄想の目でみてしまう、恐い事。 無力感は、自分の真の欲求に応えてもらえなくて、うまれる。愛してほしい。ありのままの自分を愛して、受け入れ、ほめて欲しい。そして、心から叱って欲しい。i want somebody to love iwant somebody to hug iwant somebody to share our feeling there are many sadness through life,but i can live with your heart 誰かこの孤独から私を救って。いいえ、自分を救えるのは自分のみ。救う人は、私にとって脅威ともなる。別れの時は必ずくるから、ひとりで立てるようになりたいの。誰の力にも頼らず、頼ってもいい所を確保しとく。頼る人を、それぞれのスペシャリストに分散する、そうすれば、お互い不安定な関係にのならないだろう。
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