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私たちの物語 - 基本的な生活習慣・過去ログ No.15
メッセージ数:300件

<300> ayako ■2006年01月07日 土曜日 13時08分09秒
今日から三連休。また休みだ。休みは嬉しいけど何だか時間の使い方に困る時がある。仕事すると疲れるけど、何もしないと手持ちぶさただと不安だ。今朝恒例の病院通いをした。病院へ行かなきゃならないとか何かしなきゃならないとかは私にとって心の重にだ。面倒だし、自分の行動があらかじめ決められているのが嫌。
休みの日は何も縛られずに過ごしたい。もやもやしてる心。今朝起きた時に思った。たまには何の目的もなくただただノンビリと過ごしたい。自分の好きな様に。
今は一人だからそれが出来てるはずだけど何か違う。宝クジが当たれば家でも買って引きこもるんだけどな。今年の宝クジやっぱ当たらなかった(涙)何だか行き詰まってる気がする。何かとは解らないけど。生理が近いせいで何だか憂鬱。イライラも頻繁。長い間考えてる生きる意味。まだ見つからない。仏教によると産まれてきたのはこの世で修行するためだそうだ。そう思う部分はある。でも信じ切れない
。宗教は人間が生きて行く為に作られたものだ。生きてる意味が解らないと混乱するから。自分のアイデンティティは?自分がこの世に正を受けた意味は?まだ解らない。意味もなくただ生きてるのは嫌。死んでるのと同じ事。たまに人と話すけど
早く死にたいと思う。長生きは良い事なのかどうかは解らない。無意味に長く生きるなら意味をなす事をして早く死にたい。この世が修行なら早く終わりたいものだ
。苦しみはない方がいいから
<299> NAC NAC ■2005年12月31日 土曜日 21時36分45秒
29日予定外の休日出勤となり浜松着が1日遅れた私。当然?大掃除はやっていない、ちゅうか「今年はやろう」とすら思わなかった。
偉い。ACの鏡だ。ついにふんぎった?
一応部屋に足の踏み場はあるが、「片付けられない」ACを極めつつあるのか、帰っても私はそのままだろう、彼女ができるまでは。
だからできないんだっちゅうの。
風俗行こうかな。
<298> こくーん ■2005年12月18日 日曜日 22時51分56秒
なかなか夜型の生活習慣が改まらない。
ちゃんと朝の光を浴びたいと思う。
人と違う時間割で過ごすのには、孤立感を感じる。
<297> アーネスト ■2005年12月07日 水曜日 18時24分09秒
自助会への参加が減ってきている。というか自分の問題に絞って参加できるようになってきているから、いいのだが。そのかわり、祈りと黙想をちょっと意識してやってる。今日はバイトの昼休みにやったのだが、疲れが嘘のように飛んだ。
<296> アーネスト ■2005年11月26日 土曜日 11時34分29秒
おそらく今日を以って自宅のインターネットが切断になる。
なので今日はネットカフェから。雑談BBSへのレス後、気になったので、わざわざ見に来たというネット依存ぶりだが・・。今日の夜くらいにはネットが退会になっているだろう。
<295> Mio ■2005年11月25日 金曜日 05時12分50秒
パワーストーンがすきで集めてるが、ピンクのローズクオーツが特に好き。
ハート型の大きなものを二つ買ってしまった。
二つ並べて・・・色や質感の違いなど眺めてると、ほのぼのしてくる。
石は人と違って、ぐちゃぐちゃ余計なこと言わないで助けてくれるところが好き
<294> アーネスト ■2005年11月23日 水曜日 18時50分54秒
やっぱりミーティングにはどんなに出たくなくても、思いついたらでもいいから「出ないければ」と思った。喋らなくてもいい。途中退出するだけでもいい。会場まで行って帰ってくるでもいい。とにかく行こうとする事が大事だと思った。もう理屈を越えて。今ある自分というのはMTGがあったからこそのものだから。別に真剣にステップをやってるわけでもないし・・・でも行かないでいると何か平衡感覚のようなものを無くしてしまうような気がするのだ。本当にミニマムなレベルで。勇気をもらえるとか、そういう高尚な目的でなくてもいいような気が、今はする。ステップを踏んでいないとバカにされるとか、劣等感を感じるとかそういうことは自分の気持ちの中には確かにあるけど、それでも・・・・という気持ちが今はする。私にはそこ来て座る場所があり、聞く権利がある。10日に一回でも、一ヶ月に一回でもいい。異変を感じたら、不安を感じたら足を運べるよう、MTGのことを思い出せるような自分でいられますように。
<293> アーネスト ■2005年11月21日 月曜日 19時19分01秒
教採の勉強、開始しよう。
正直、何から始めていいのやら、しかも苦手な理数系のものもある。
ただし!!後、せいぜい八ヶ月しかない。得意なもの、少し勉強すれば基盤を固められるものから、順にやっていこうと思う。苦手なものは完全に後にまわそう。

去年の夏、あるいは今年の冬を思い出す。
勉強に集中できず、中途半端だった時期。やり通さないと
<292> 解放区 ■2005年11月20日 日曜日 19時07分11秒
日々の習慣に棚卸しが入ってきて2年あまり、やっと根付いたと思えば
ばかばかしい仕事とやらの忙しさで自助との繋がりが経たれ、棚卸しの
苦しさばかり残る有様だ。ただハイヤーパワー今のあなたの私への意志を
行うだけです。示してください。
<291> アーネスト ■2005年11月13日 日曜日 23時55分13秒
日々の棚卸し、少しやってみようかな。今までヤミにしてた部分を見るのはいやだけど、やっていないと、すぐにスリップする。その先にあるのは、引きこもり、過食、プログラムの放棄。そうMTGに出るだけが、プログラムじゃないから。MTGに出た直後の、パワーを頂いた感じはそれはそれで大事だけど、それだけをパワーの拠り所にしないように・・・・後は、結局そのパワーは長続きしないから・・・もって1日だろうと思う。しかも繋がって、1年経った私には、MTGはパワーをもらうだけの場所ではなくなってきた。少し厳しく見ていけば、棚卸しする場所。勿論すぐにはできないけど、そうなっていければ・・・・・。
<290> アーネスト ■2005年11月12日 土曜日 16時29分56秒
ネットを解約・切断するかもしれない。そうするとここのHPには学校やネットカフェでしか見れなくなる。でもいい。引きこもりが脱せるし、父親の優位性を少しでも減らせるから・・・
<289> いつか ■2005年11月10日 木曜日 23時27分56秒
苦しんでいる。
考え方が同じところで同じサイクルでグルグル回っている。
少しも外へ出られないんだ、こんな時は。
同じ考えから抜けられない、長い長いこんな同じような日々を過ごす私は、何の進歩もなく成長も無く、何のために生きているのか解らなくなる。
後で振り返ると、たったの一日かもしれない。
悲しいね。
こんな習慣は、どうにかしたいなあ!
<288> アーネスト ■2005年11月10日 木曜日 22時05分12秒
ここ2,3ヶ月で部屋の整理を何度しただろう。足の踏み場もないほどに散らかる私の部屋。まるで子供帰りしているようだ。片付けなさいと言って貰いたいがために散らかしているようだ。母親を求めるのか?あるいは父に母を投影するのか?
<287> ミヤ ■2005年11月07日 月曜日 00時59分23秒
離婚が成立してから3月、9月と2度の引越しをした。
しかしもうすでにどこか違う場所へ引っ越したくてたまらない。
今の住居に私の居場所を感じられない。
母が決めた所だからなのかもしれない。
毎日不安いっぱいで何度も何度も鍵を確かめ、外の音にびくびくする。
部屋にはダンボールに入ったままの荷物がまだたくさんある。
前の処でもまともな生活を送れなかったから、いらない物もたくさんあるような気がする。
眠れない夜に、ダンボールを開けて整理する気持ちがでたら・・・と思う。
荷物を整理して捨てることが過去の清算にもなると風水にあった。
片付けたい。片付けて欲しい。
毎日そう思いながら、ダンボールはそのままに住宅情報誌を見続ける。
現実は経済的にも限界で引越しなんかもう当分できそうにない。
<286> ひこうき ■2005年11月02日 水曜日 04時42分59秒
母に「家の中のことを他所で話してはいけない。」と繰り返し言われた。
その際、母はイライラしていた。
私はイライラに脅えて、ただ『家の中の事』を自分の胸の中にしまいこんだ。

あれは何だったのだろう?

・母は、母のお手柄を父に、さも父の手柄のように吹聴され・振る舞われるのが嫌だった。
・それが元で、母の所に『父の関係者=母の仕事に無理解な人達』からの干渉が相次いだ。母は不快だった。
・母は、そういった人達(父を含めた)を見下していた。
母は母を理解できない人達を見下すことで、自身を守っていた。

・でも母は、経済的な面で父を頼らざるを得なかった。
母は、離婚後の私と母の2人分の生活費をまかなえないと思っていた。
母はその基盤を作る努力はしていた。(そのことが母の手柄につながった。)
でも不足だと判断し、離婚は延期された。
(父が離婚を嫌がっているという言い訳もあった。)

では?
母は飛び出す勇気が足りなかったのか?でも蛮勇という言葉もある。
母子家庭に優しくない社会。男女の賃金格差の激しい社会。そういうものもあった。
母は本当の貧しい暮らしを避けた。
そういえば、母は「『母子家庭になって、ひこうきにピアノを習わせ続ける事はできないな。』と思った」と言っていた。
当時の私は、私の存在を申し訳なく思っていた。
今の私は、そういう子どものせいにする言い方って、酷いなと思う。
母が、貧しい暮らしが嫌だったのではないか。
私は3才のころからピアノを習わされており、『ピアノを習うこと』は、『親にさせられたこと』にすぎないのだから。

母のイライラはそういう自分のアンバランスさに由来していると思う。
母はそういうアンバランスさを公にされ・問題に直面させられるのを避けたかったのだと思う。
<285> ひこうき ■2005年11月01日 火曜日 17時21分19秒
子どもの頃、私はいつも苦しかった。
でも誰にも相談できなかった。
私は一人っ子だし、ただ1人で問題を抱え1人で解決するしかできなかった。
母は、「家の中の事を他所で言うのはみっともない。」と話していた。
父や祖母が、自慢話をべらべら話してくるのがはしたなく思えたのだろう。
母は、自慢話はもちろん、困ったことを他所の人に話したことはない。
私が聞いていた。(母も幼い頃、祖母の話しを聞いていたそうだ。)

私はただ一度、小3・4の頃に仲良しだった子が家庭内の事(その子の父が酒を飲み、包丁を持ち出して暴れた話し)を私に打ち明けてきたことがあって、
その時だけ、うちの家も仲が悪く両親が離婚しそうなことを話した。
2人で打ち明けて彼女の犬も一緒に空き地でほっとしたのを憶えている。
それから程なくして彼女の両親は離婚し、彼女はお母さんにつれられて遠方に引っ越して行った。
2人で文通していたが、両親の事はお互い書かなかった。

私はその時以外、誰にも親の事を話したことはなかった。
そういことが自分自身の恥部のように感じて、誰にも話さなかった。
親との間に境界線が引けていなかったんだな。
<284> アーネスト ■2005年10月28日 金曜日 17時39分36秒
もっとフィーリングで行動できたたら,と思う。
ラクな方というか葛藤を避けたりという意味ではなく,(多分、自分の中では葛藤を引き受ける準備はできてるから),思い切って葛藤を解消する方向=その意味でラクな方に行きたい。
<283> ひこうき ■2005年10月20日 木曜日 17時32分11秒
私がつらいとき苦しいときに弱音をはけず、固まってしまうのは、

子供の頃、そうなったときに
母は、私にもっと頑張るように指示・激励し、
父は無関心、もしくは更に追い討ちをかけるようなことを言う
というようなことが繰り返しあったからです。

つまり私が弱音をはくと、もっと辛い状況になった。
だから表現しなかった。

そうして私は自分の辛い状況を感じなくなった。
だけどお腹が痛かったのは、確かに辛かったから。
自分は比較的、強い人間だと思っていたのは誤解だった。
そうあらねばならないと思い込まされていただけで・・。

私が泣かなかったのも同じ理由。

私は不安な時、悲しい時はいつも自分の部屋にこもった。
おふとんの中がいちばんくつろげた。
<282> NAC NAC ■2005年10月19日 水曜日 22時57分53秒
今日はたくさん書き込みしたのでこれが最後だろう。23:00には家路に着きたい。

最近TVで私は「片付けられない女」の特集をちらちら見た。そこは「ゴキブリ以外の生物がいても驚かない」乱雑さを通り越して既にごみ山と化しており、私も部屋を片付けられない方だが、それでも足の踏み場と寝床スペースは十分にある。
そんな特集で感心したのは、(やらせかもしれないが)母親が娘(といってもいい年だが)の話を聴いてあげたら、あら不思議! 部屋を片付け(といっても結局一人じゃどうしようもなくて、ごみ処理業者に一切お任せなのだが)始めたのだ。
冒頭の通り、それがやらせかどうか?は定かでないが、翻って「もし私が親に話を聴いてもらえたらどうだろう?」
少なくとも今より部屋が散らかしっ放しということはないだろう。
でも、だからといってそのままでいいというわけでもないが。
因みに10年以上引きこもっている弟の部屋(もう何年も私は入ったことがないが)は、多くの引きこもり者と同じで捨てられない・整理できないでいっぱいだ。
私自身も捨てられないものがある。それは古くて殆ど乗らなくなったバイク数台。
バイクに興味がない人から見れば「乗りもしないのにガラクタばかり」なのはわかる。
でも捨てられない。
一度私の断りなしに親に勝手にバイク数台を処分された時、私はキレて親を蹴っ飛ばした。大人気ないと思ってもキレた方が楽だった。そしてそれでも怒りが治まらなくて私は台所の壁にパンチ穴を8個ほど作った(今その後はつくばエクスプレスの時刻表で被ってある)。
親は金で代弁すると言ったが、いろいろあった思い出は金では買えない。
自分で思うに私にはそれしか思い出がないからだ。家庭団欒を経験していればここまで私はのめりこむ事もなかったろう。
のめりこむには必ずそれなりの訳がある。
でも私の親はその奥にあるものを感じとることができず、表面的な所だけしか見れない。「理解しよう」という観る、「寄り添う」という看るとは違うのだ。

先週末、私はコーチングの一般向けセミナーに参加して来たのだが、題目は「感情と行動を一致させる」で、まさしく私のために開かれたようなものだった。
その中で私が「まさしく」と思わされたのが、ハイラム・W・スミスの「欲求の車輪」というやつで、人間には4つの欲求があり、
1.生命(生きたい)
2.変化(変化を味わいたい)
3.自尊心(人によく思われたい)
4.愛(愛し愛されたい)
を充足させるため人間は行動し、4つ全てが充足していれば人生は車輪のようにスムーズに回るが、どこかが欠けていれば、その車輪のへこみを全力で満たそうとする(それが繰り返されると嗜癖となる)。
ここで大事なのは「ニーズ」だ。
これを読まれている皆さんは「ニーズ」というと主に経済的な「顧客や市場が求めているもの」といった説明をする方が多いと思われるが(私もそうだった)、コーチングでいうところの「ニーズ」とは最高の自分であるために必要なこと、例えて言うならスポーツ選手なら最高の結果を出すために専属のコーチやトレーナーなどで、尚且つ緊急度があり、満たされなければいけないもの・満たされれば消える欲求だ。
私の場合どうか?
現状の自分から観て最高の自分とは(実際には「ニーズリスト」100項目からまず10項目、次にその中から4項目だけ選ぶのだが)「すべてを語る」「聞いてもらえる」「受け入れられる」「無視されない」状態をさす。
そのために必要なこと、共通していることと言えば、間違いなく私の場合は「親から愛されること」「家族団欒を経験すること」 これが私の「ニーズ」だ。
これらは私が今後生きていく上で緊急度があり、満たされなければならないもので、満たされれば心の空洞感が消える。
ACと気付く前の自分は当然「自分は親から愛されていない」などどは疑いもしなかったので、ACと気付いた当初は「親から愛されたい」などと話すのは、私にとって最も恥ずかしいことだった。
でもそうした話すことが恥ずかしいのが「ニーズ」であり、「こころの叫び」「真の欲求」なのだ。
そうしたところを自分で意識していないと遠回りしてしまう。遠回りするだけならいいが、へこんだ車輪を回すのに力尽き、いつまで経っても最高の自分に近付けないんじゃもったいないよな。
そこで自分の行動とニーズを検証する必要があり、自分の行動は長期的に見て自分のニーズを正しく満たすものであるかどうかを検証するのだ。
言うは易し、行なうは難しだが、わかっていても行動が変えられないのは「思い」のせいで、その「思い」を作るのは経験。
果たして自分の「思い」は「事実」なのか?
まずは感じて気付かないとね。
他山の石じゃないんだ。症状は違っても必ず共通点がある。それがACだ。

<281> ぬり ■2005年10月01日 土曜日 21時02分01秒
 女らしくない自分がいやだ。
 自分を心の中で「ゲイ」だなんて思っていると自分いじめしている気分で、一種誰からもいじめられずにすむし、人生の落とし穴を最初っから入って、本当の私がゲイとか同性愛者になったわけじゃないから平気な気分になる。
 私はね、占いで同性愛者傾向にあるっていわれてから10年間も自分を気をつけて見張ってきた。
 だって、私は彼氏がほしかったから。
 でも、実際に私は幸せになるなんて・・・なんかずるい気がしたから・・・
ずっと自分の思いを抑圧して、女らしさも、女らしくなる格好も自分はういつかゲイとかになって人の期待裏切ったらいやだから・・なんて考えてしてこなかった。
 そして、もう私は限界になった。
 私は只本当の自分から逃げている。
 只本当の自分の人生を怯えている。傷つきたくない、汚くなりたくない、惨めな姿さらしたくない、人の下に落ちたくない一心だったから。
 もうやめたい。自分いじめと、本当の自分の思いから逃げるのは。落とし穴におっこちてもいいじゃん、はじめからあきらめて人生なんか、占いなんかに決められてたまるか。

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This script written by Shintaro Wakayama.