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私たちの物語 - 基本的な生活習慣・過去ログ No.1
メッセージ数:20件

<20> サクラ ■2003年07月31日 木曜日 07時17分35秒
朝っぱらから、こうやって文字が打てれるのは薬のおかげ。
あと5分もすれば、支度をととのえて、仕事に行かなければならない。
今回の職場は、みんな善い人達だ。
彼らに「役に立ってる」と思われたいために、仕事へ行く。
でも、副作用でフラフラなんですよ。
休みたいんですよ。
でも休んでも家にはプーな父親がいて、気が休まらない。イライラしちゃう。
支度だって、弟が家を出掛けてからしか部屋を出られない。
なるべく家族とは会いたくないんです。
<19> ちさ ■2003年07月29日 火曜日 20時30分07秒
今日は病院へ行った。
早く起きられなくて、洗濯はできず。
朝ご飯は主人が用意してくれた。ごめんなさい。
帰ってきて洗濯。
掃除は相変わらずする気にならない。
母親は、何も教えてくれなかった。
料理、洗濯、掃除。
何もしなかった。
主人から今日は外で食べる、のメール。
食事の用意せず。
食欲はない。
基本的な生活習慣。誰に教わったのだろう。記憶がない。
きっとテレビ。
<18> ちょ ■2003年07月14日 月曜日 22時25分10秒
朝7時に起きてご飯を食べて母を病院へ送り、その後父を仕事先へ送り、家に帰って掃除。その後洗濯をし茶わんをあらいます。自分の身の回りの事を済ませ、一息。お昼の用意をしてまた病院へ母を迎えに行きます。茶わんを洗ったら部屋にこもり夕飯の用意です。お風呂に入り、また茶わんを洗い、眠る。くりかえしくりかえしきづいたら3年同じ事をしていました。あと1時間半ほどしたら25才です。でも明日も今日も3年前も同じ1日。
<17> しろん ■2003年07月13日 日曜日 21時41分00秒
朝、体中が悲鳴を上げるのを無視して起きる。
まだ父も母も兄も寝ている。
味噌汁を作る。ご飯も炊けた。漬物、のり、梅干を出す。
ご先祖さんのご膳も用意する。
家中のカーテンを開ける。父のお昼用のお茶を水筒に入れる。
父が起きる。食べて、会社に行く。一言、「しゃっきりしろよ。」
やっと一息。つかれた、ねむい。頭が重い。
母の信仰する宗教のお経を1時間半、一人で読む。
父の残り物を朝食にする。
電話の応対、回覧版、宅配便、家の周りの掃き掃除。
お昼近く、体調の悪い母が起きてきて、ほっとする。
でも「もう一回寝る」の言葉に失望。
1時半、体調不良の兄が起きるが、食べて、部屋にこもる。
掃除をする。家事をする。
母が起きる。
母の精神安定剤になる。苦しみ,悲しみ、恐怖、不安、要求、願望、夢、安心感。
そして、テレビを一緒に見てあげる。
昼寝。体力回復。夜用。
母の用事、買い物。
夕飯の支度。大人四人分...。
父が帰るまで食べない。
9時過ぎ、夕食。
10時過ぎ、後片付け。
11時、お風呂。父,兄寝る。
12時、母との時間。
1時、明日の準備。母、風呂。
2時、母に捕まらなければ寝られる。
「やっぱ、**ちゃんがいないとだめだよ。」口癖を言う母。
早朝、心の痛みを無視しながら血を吐く思いで起きる。無表情になる。

*もうずっとだ*  私の自由はいつ得られるの。 わたし、もう26だよ。
小さい頃からずっと良い子はこんなに損するの?だれが旅館の女将みたいな女になりたいといった。こんな、人のマイナス感情に過敏に反応する能力いらねぇよ。
ご近所の目が気になるから掃き掃除しろだぁ,回覧版早くまわせだぁ?
塩分減らせだぁ、イソフラボンだぁ?ネクタイがないだぁ、お茶いれろだぁ?
腹がへっただぁ?     ・・・・いい加減にしろ。全部押し付けやがって。
<16> maasan ■2003年06月17日 火曜日 21時06分28秒
生活習慣?うーん、体の調子によって何パターンかあるような気がします。仕事を行くことも含めると僕の場合3パターンあって使い分けているようなないような....。朝7時に起きて仕事に行くパターン、昼間で寝て昼ごはん食べてそれから仕事へ行くパターン、ただごろごろして、食べたくなったら食べ、出かけたいときでかけるようなパターン。3番目が多いです。欝のときは悶絶の苦しみなので動けません。ただ寝てる。
<15> ゆうこ ■2003年05月14日 水曜日 17時21分15秒
生活習慣、まったく備わってないです。子供のころ、母親に、「こんなことも知らないのか。みっともない。馬鹿が。幼稚園では何を習ってた」と冷笑された。食事の作法、挨拶、身支度、そういうものを母は、幼稚園か保育園で教わるものだと思い込んで、家のなかでは一切しつけをしなかった。「そういうの面倒くさかった」と言っていた。私は野生児みたいな子になった。5歳でチック症になり、情緒が安定しなかった。当然周囲の大人からは疎まれた。自分では、自分の何が悪いのか、わからなくていつも混乱していた。母は、私が傷つき混乱するのを面白がってみていた。他人と一緒になって私を馬鹿にした。母は、小学校の教師だった。一人娘の私の成績のことだけは異常に気にして、「頭がわるい子は恥ずかしいから」と塾に通わせられ、通信教材を山のようにあてがわれた。今、母と連絡を絶って、ノーマルな人達とつきあうようになり、やっと息ができるようになった。昔の、幼くて、無力で、いつも打ちのめされていた自分が可哀相で仕方がない。「この子、いつも怒ってる」と大人は言ったけど、怒っていないとつぶれてしまう気がしていた。本当は大声で泣きたかったんだと、何十年もたってから、やっと解った。
<14> なみ ■2003年04月22日 火曜日 19時05分55秒
私の生活の中心は今資格の取得をすることです。それで正職員になるか やめなければいけないか決まってしまいます。 自分のなりたかった仕事なのに、がんばっている姿を誰かはみている という言葉が、いつのまにか大きな重圧になってしまいます。 自分はがんばらなければいけないんだ、やすんではいけない、やすんだらだめなやつだとおもわれてしまう、だから やらなくちゃいけないんだ と思ってしまいます。仕事が終わってから勉強するのが当たり前で やって当然 と周りに思われていると考えてしまいます。私はどうしたいんだろう・・・ 私の生活って?仕事でつかれてもやらなくちゃいけないって だれがきめたんだろう。
 でも勉強止めたいっていえない。仕事と信頼をなくすることになるから。生活ができなくなるから。経済的に自立できないから 親に迷惑かけるから。
 おんなじこと何回勉強しても頭にはいっていかない。いらいらしているのが私の生活なのかな 一番大好きだった趣味も戒めのためにやめた。 でもそんな風にして自分の好きなことなくしても 悲しくなってきた。
 私 がんばってると思うけど、単なる自己満足で本とはなにもしてないんじゃないか て 不安になる。だって資格試験に合格してないから。 自分はだめ人間って思う。ほかに人にはそんな風に思わないのに。。 なんで自分のことになると こうなっちゃうんだろう・・
<13> にょろにょろ ■2003年04月03日 木曜日 20時58分52秒
生活週間…。時間感覚が何だか歪んでます。メビウスの輪の様というか、脳の状態によってなのかな。時間がスゴイ早い時と遅い時とがあるような感じ。

ドクターの所へ行って脳はを測った事があるんだけど、何の問題も無くてむしろ安定度抜群取り替えて欲しいものだと言われていい気になったりしていたのだけれど。

脳派が良くても何だか一日のうちの力配分がいまいち上手く出来なくて眠る前につじつまを合わせて歯磨き飛ばしたり、お風呂飛ばしたりしてしまう。

これって発達障害なんだって聞いたのは最近の事。
生活習慣がちゃんと出来ないというのが発達障害だったなんて。
単なるさぼり病では無かったとちょっと安心。
毎日お風呂に入ったり歯を磨いたり、(朝は起きれるんだけどな〜夕方の方が鬱)
するのが出来るようになるのではなく当然になる日が来ればいいな。
<12> 風花 ■2003年02月13日 木曜日 11時03分44秒
朝6時に起きて会社に行く。
どんなに具合が悪くても行く。
行かないと母さんがうざったがって嫌な顔をするから。
夕方6時45分に家に帰る。
どんなに仕事が忙しくても残業を断ってでも家に帰る。
帰らないと母さんが夕飯の支度をしたのにどうしてくれるんだ〜って
半狂乱になって怒鳴りまくるから。
夜8時に風呂に入る。
きっかり8時45分までに風呂から出る。
母さんが9時から風呂に入れないと思いっきり罵倒されてしまうから。
何てもかんでも、それこそ箸の上げ下ろしから呼吸の仕方まで全て、
母さんの思う通りにしないと余りの怖さに生きた心地がしないから。
私は生まれからずっと、ずっと、ずっと、抑うつ状態です。
<11> ヴコースキー ■2003年02月06日 木曜日 17時01分22秒
「食って寝る」
 北極圏のイヌイットは眠たくなったら眠る。眠れないと起きている。腹がへったら、食糧貯蔵している部屋にいって生肉をナイフで削って食べる。こういう生活習慣なのである。文明に侵食された地域は、徐々にこの基本的な習慣を崩されていくだろう。自然の恩恵をうけて暮らすイヌイットに、近代的教育(アメリカやカナダ)を成人に達するまで自然から隔離した文明の地で受けさせて、イヌイットに返しても、彼らの誇りある生活習慣に戻れるだろうか?
 アメリカの最高裁で「子供を返せ!」「子供に近代教育を受けさせると子供は死んでしまう!」といってアメリカ国家と争って勝った、原住民のおばさんがいた。有名な裁判であるらしい。(年代等詳しくは知らない)
 
 俺たちの悩みは、食って寝る場所(金銭・経済のこと)を自分で獲得することを前提とした、それを解決するためのものなのか?それとも 食って寝る場所は確保されている、徴兵制がなく兵役義務もなく戦地に戦力として人殺し・強姦・虐殺に加担する義務もなく、国家の経済力の増強と多額の税金を納める義務も能力もなく、下らぬ民族主義に国旗ごと縛れるしがらみも持ち合わせていない。ということを前提として、平和的に今の生き難さを解決していこうとしているのか。
 ということを自覚していてもいいのではないか?
 俺は経済活動に復帰するのは、今はむずかしい、と思う。以前は収入のことで焦っていたところがあった。しかし、そんなことはどうでもいいのだ。遊んでみて本来的な孤独に満足できるのか?気のあう友人とはいるのか?どんな人だったら友人としてつきあえるのか? 現在は俺自身のことを中心に考えているが、徐々に友人の輪郭もはっきりしていきたい。
<10> マフマルバフ ■2003年01月13日 月曜日 04時58分41秒
トラウマと不眠症
 この時間まだ眠れないから書き込みをします。睡眠は年末が近づくにしたがい乱れていった。ただ、以前のように過去を感情的にふりかえるといことはまったくなくなっている。ぼんやりするか何か読んでいることが多く 随分変化していることを感じています 夜のしじまに耳を澄ますと いろいろな生活音や人の声がきこえてき、人口の密集した悪辣なこの環境でぐっすりすいみんをとれている人たちは すごい!とおもいます。
テーマに戻りますが、やはり深刻なトラウマを抱えてしまった者として これから先どう「生くるべきか」を冷静に考えたい。働くなり、とりあえず休息をつづけるか、最悪生活保護給付もあります。選択肢はたくさんあるのです。生活保護を選択するならば 社会の偏見は強く周囲から孤立するでしょう そういうときこのサイトを使って情報交換をし 互いをサポートすることだってできるじゃないですか
私もそうなったとき 書き込みますので話し合いましょう。
 ところで話は飛躍しますが 「屁をしてもひとり」と言う言葉がありますが 機密された部屋の中で 一人屁をこくとそのガスの臭気はこもり我が屁を我がはなで吸い込み浄化するまで我慢しますが それって結構隠微なストレスに発展しませんか 下痢寸前のときは かなりくさいんですよね 私は息を止めてすぐに窓をあけますが 風通して空気入れ替えますが。これが恋人などがいたりするときはどうするのでしょうか?俺は人の屁をすわされる好みません。ものすごく腹立ちます。銭湯でよくこれをかませられて 憎悪がつのることがあります。なんていうか孤独の屁といえど こういうことからも気づかぬうちにストレスは蓄積されますから 窓際で屁をこくのが良かろうと思います。何事も風通しのいい関係をもちたいですね。
生活保護需給を考えて迷っている人はこのサイトで私と話し合いましょう。

<9> アッシュ ■2002年11月25日 月曜日 00時47分17秒
今日、またコーヒーを飲み過ぎて眠れない。。余計、自分がバラバラで、
骨なし人間に思えて仕方ない。
一体、今まで何をしていきてきたのだろ。
基本的な生活習慣・・・何とか世間に合わせているって感じ。
幼い頃、きちんと歯を磨くこと、体を洗うこと、顔を洗うこと、
おいしく楽しく食事すること、安心して眠ること、
そういえば、どれもロクに教えてもらわなかった。(親が無頓着)
おかげで、虫歯も多かったし、おしゃれも罪悪感、人との食事も、
苦しくて、緊張する。小学校の頃まで、足は表側しか洗わないものだと
思ってたくらい。今思うと、女の子としてのその頃の自分がかわいそう。
今、書きながら「そういえば」と改めて言葉が出てくる。
・・眠るときは、家の緊張感からか、よく腹痛をおこしたり、
耳がいたくなったり、体中に力が入って、解けなかった。
ああ、なんて辛かったんだろう。何気ない生活自体が、苦しかったんだ。
だったら、そもそも、楽しく、自分らしく、自然に生きるなんてこと、
できなくて当たり前。異常な事態の中での、正常な反応だったんだ。
・・・それから、私は、ひとつの事をするのに、すごく時間がかかる。
迷うし、いろんな予想をする。掃除、片付け、電話、仕事、すべて。
すべてに、罪悪感と、自己批判。
いつも、父がむっとしていて、時によっては、ものすごい怖い声で
怒ってきた。その映像が心にしみついている。
私は、楽しんではいけない、父より楽しくてはいけないって。
一回、その思いを父に言ったが、「俺はそんなつもりはなかった」という。
混乱の象徴。あれだけ気分しだいで怖い顔したり、しかったりしておいて、
そんなつもりはなかったって? じゃあ、私が苦しんだことは、
間違いなわけ?
書いてて改めて思う。。基本的な生活動作自体に、かなり罪悪感とか、
自己批判とか、トラウマが潜んでいるみたい。
それが習慣となっているのか。。。
人間として、基本の、衣食住にまつわるとこで苦しいものが沢山付きまとっているとすれば、これが苦しみの全体って感じかな。
私は、考えすぎで苦しいのか? 考えざるを得ない状況だったと言っていいのか?
久々に、自分の心の苦しさを、ごまかさずに感じてる気もする。
<8> あゆたん ■2002年10月05日 土曜日 21時13分25秒
 私には基本的な生活習慣が無いような気がする。夫は夜決まって入浴する。私は気が向いたり、気持ちが上向きの時に入る。朝起きて、なんとなく風呂入ってないのが気になって入りたいと思う。朝風呂はしない事にしてる。義母が隣の部屋にいて気になるから。脱衣場に洗濯機があるし、洗面に出入りするしかぎかけたら義母は何て言うだろう?朝風呂入る事で悪く言われるのでは?とか考えてそれに明るい中入るのはなんとなく・・。多分自分で朝風呂に入るのを批判してる、罪悪感がある。母からよく責められた。朝風呂に入ると怒っていた。悪い事してるんだって思った。朝風呂はいることって悪い事なのかな?友達で朝風呂派の子いたよ。あれは大げさだった。あんなに非難される事ではなかった。お母さんが言うのだから、悪い事なんだ行けない事してる・・。憂鬱。夜寝て、朝風呂。夜寝てしまう自分を責めた。そんなんでやる気が起こらない。
 気づけばしてる家事は料理が一番、そして洗濯、たまにトイレ掃除。掃除機っていつかけたっけ?洗い物溜めてたのが、そのつど洗いつつあるね。えらいわ!!この習慣はあゆたんが溜めてると気が重い事、そのつど洗ったほうがいいことに気づいてそのつど始めたからよ。あゆたん、できるのよ。ダメと思い込んでた。ダメじゃなかったんか。できる。できるってことはダメじゃない!!やればできる。母さんよりえらいわ!すばらしい進歩よ!義母よりも?頑張れば義母よりできるかも、あれくらいなら頑張ればできるかも!!もうのろいなんて言わせない!そんなの「私」じゃないんだ!批判詰まり子がそういったてあれの思い込みなんだって、軽く流せるわ!あゆたん、強い!強くなったね。すばらしい!あなたの進歩はすばらしい!
<7> マフマルバフ ■2002年09月20日 金曜日 02時41分40秒
電話
先日 午前0時をすぎたところで電話の呼び出し音が0.2秒鳴って切れた それだけで俺は一気に脈拍が上がり 体が硬直した 時間帯といいどこかのバカがいたずらでもしないかぎりこんな電話はかかってこない おそらく親族の○○だろう 盆がすぎ秋祭りも終わり 後の行事は暮れのこと この間隙にこういうことはありえる 昨年ははがきであった 電話であれはがきであれ何であれ 人を心配させ落ち込ませ長い拘束力をともなう そしてトラウマの諸症状を蘇らせてしまうことにもなる 当人に注意しても駄目だ それができていたら今の俺はないだろう もっと早く回復しているだろう 回復するチャンスはいくらでもあった そのチャンスをことごとく潰してしまったのは俺だけの原因ではない 家族関係はややこしいものだ 自分の問題だけに集中して取り組めないのもACの特徴ではないだろうか 俺がACの問題は個々人に帰するというのはそこだ しかし それでも 自助グループのミーティングのなかで それぞれの問題を出して話合い 互いにサポートできるところはやっていったほうがよいと思うのだが そういうことがグループの中で合意ができていないと難しい 京都Gにはどういう問題の人が集まればいいのだろうか
意見のある人は月曜日きてください なを当分の間「親の立場でないAC」というダブルクローズドでやります よろしく・・・・・つづく 
<6> マフマルバフ ■2002年08月27日 火曜日 19時01分45秒
ネグレクトと私の感性
社会に出てからは基本的な生活をどうしていいのか分からなかった 自分がどうしたらいいのかさえ分からない 家族とは音信不通 お金を送っても返事もない この無言の抑圧が分からなかった 生きる意味がつかめない 地方出身者のあったかい言葉には救われるものがあったが その真意すらのみ込めなくなっていた 孤独感から自問自答の日々がつづく 何かがおかしい それを説明できないいらだたしさ 俺が家を出た後父親が家族に対してまた暴れるようになったことを知り 自分にはどうにもできない無力感から抑うつ・・・兄が車で遊びに来た頃はひどい無気力状態になっていた 過去を思い出すのは悔しいが事実だ 自分の悩みと家族の悩みを併行して考える癖がつき・・・後に帰省した折 父親の変貌に恐れるようになっていた トラウマの影響からくると思われる苦しみがつづく 過去の不連続性に気づく 生活の立て直しも同時にやらなくてはならない誰にも頼ることの出来ない子供のハンディとその立場が分かってもらえたら嬉しいです。
<5> マフマルバフ ■2002年08月22日 木曜日 23時14分37秒
rijinnsyou
バラバラに寸断された過去という意味でrijinnsyouを理解していたけど よくわからないといのが本音です 小学校低学年でそういう違和感はあったように思うのです 詳細は長くなるので話しません そうしなければ確かに耐えられなかっただろうと判るのです では現実的な日常の部分ではどうか 人に対してあったかいようでいて氷のように冷たい感情も併せ持っている 距離を詰められない限り必殺技はだしませんが 親しくはなれないとか 声楽が上達しないのは単に不器用だけではないと思えるのです まま歌える時もあるけどもう一度やるとできないあの感覚でやればいいとわかるのだけど安定しない ピアノの音が遠い〈一時的難聴?〉とか
近所の人と話していて 会話に気をとられて何を話したか その時の空模様とか花瓶に花がさしていたかどうか何時ごろのことだったかを覚えていないときがあり 次に話すときはそこら辺に充分注意するのだが少し時間が経過するともう現実感がないなど・・・これは自覚的に体験を〈同一人物である〉重ねていく中で少し解消している 問題は常時人と話す時間が無いからではないかとも思う 人に話し掛けられまた話し掛ける状況が常態化するとまったく気にならないことがあったが 残念ながらそういう状況をつくれずにいる。蔦吉がどう思うか意見を聴きたい いつでもいいです。      
<4> マフマルバフ ■2002年08月10日 土曜日 06時17分47秒
寝る前にビールは飲まないと決めていたのに風呂上りにプッシュー開けてからではもう遅いグビグビプハーうめーこれでもう眠れるチャンスをつぶしたようだ 浅い眠りのまま寝付けなかった 淡々と日常をこなしていけばいいのだろうが どこかでまぬけをやってしまう それは感情の変化があるときに緊張が発生しているからだろうと思う そこはわかるのだがリラックスに切り換えられないところが問題だ
考え続けてしまうのだ いろいろ試しているがうまくいかない 朝刊が配達されたので起きることにした 残念無念 この後どうすべきか 公園を裸足で散歩して讃岐のきしめんに葱をたっぷりいれて食べて朝寝をしよう 桑田圭介の東京でしたかねボーカルがいいですね 
<3> 蔦吉 ■2002年08月02日 金曜日 15時55分56秒
生活習慣、というか。
主に「時間」と「お金」の話なんだけどさ。

どうも小さい頃から、「「時間」と「お金」が自分のものではない」ような感覚がつきまとったまま生きてきた、と思う。
時間とかお金とか、そういう人生のリソースってのが、ぜんぜん大切に思えないというか。
なんだか時間もお金も、自分の時間であり自分で稼いだお金であっても、自分とはどこか無関係なところでダラダラと右から左へ流れていくもの、みたいな感覚があって。

トーマス・マン『魔の山』の、サナトリウムの中の人生。たぶん、そんな感じ。
「1分1秒がとてつもなく長くて、1週間があっという間に過ぎていく」みたいな、それほど極端な時間感覚の歪みみたいなものがハッキリとあるわけじゃないんだけど。でもそれ、分かるなぁと思う。
まるで時間が存在しないような感じ。だからたとえば、“ちょっと買物に行く”“郵便局までハガキを出しに行ってくる”くらいのことが、午後丸々半日がかりの“大仕事”になってしまうこともある。

きっとこれって「離人症」だったんだと思う。
いろんな本読んでて、こないだ気づいたんだけど。

4、5歳くらいの小さい頃から、食卓で気がついたら「ポーッとしてる」、何も考えない頭の空白状態に陥ってることがよくあった。
そしてそのたびに父も母も私のことを「ポーッとしてる」「ポヤーッとしてる」と、単なる“うすのろ”みたいに揶揄し怒鳴ったものだった。「○○(私の名)はいっぺん脳波取ったほうがええんとちゃうか!?」という、父の口から何度か出た言葉も、本気でしかるべき専門機関で脳波取りに行って相談しよう、ってんじゃなくて、単なるからかいと苛立ちの入り混じった“レッテル貼り”以上のものではなかった。父も母もあれこれ口では「脳波取った方がいい」だの「お前は自閉症かもしれない」だの言いながら、本当に私を専門機関へ連れて行ったことは一度たりともなかったから。

そんなことを思い出しながらネットで「離人症」で検索して引っ掛かった、精神科医の香山リカのメルマガを読んでたら、離人症の感覚について「時間が過去・現在・未来というひとつの流れとして感じられず、無数の今だけが存在する」って言葉に出会って、なんかすっごくそれ、自分に当てはまる!って思った。

バラバラに寸断された無数の今、今、今、今……今が過去になったとたん、なんだか突然、自分のたしかに生きてきたその過去にリアリティってものがなくなってしまう。
たぶん、私が“人間関係リセット魔”であることも、それが大きく関わっていると思う。
時間と距離とともにちょいと疎くなってしまう単なる「去る者」じゃなく、あれだけ仲良くていつも一緒にいて、バカ話もマジ話も熱く語り合ったはずの友人さえもが、その時間軸が過去になったとたんに、あまりにも極端に、ガラリと、「自分に関係ない物事」になってしまうのだ。

たぶん絶え間ない親の心理的虐待から自分を守るために身についた「生活の知恵」だったんだ、とは思う。ことあるごとの私の人生への侵入、“思いどおりの魅力的な子ども”にならない私へのイヤミと当てこすり、レッテル貼り、「アンタはなんでそんなこともできないの?」「お母さんはとっくにできてたわよ?」「他のオトモダチはそんな要領の悪い子いないでしょ!」「なんちゅう依怙地な子なの、ああ恥ずかしい」………そんな日常を、とりあえず“過去になってしまえば関係ないもの”としてやり過ごすための、生活の知恵。

それがアダになったというか裏目に出たというか、あまりにも自分の周囲が時間の流れとともに「自分には関係なくダラダラと流れていくもの」だから、虐待的な親を切り捨てたって私にはコレがある!って言える人生のリソース・支えが、私にはあまりにも乏しいのだ。

「離人症」を編み出すことによって、あんた、よくサバイバルしてきたよ、って。小さい頃の私に会ったなら、そう言ってあげたいんだけどね。
<2> pavaroti ■2002年08月01日 木曜日 05時39分27秒
生活習慣
7月30日は8時30におきて瞑想していたタオルケットの上に座ってボーっとするだけ
FMの音楽番組はボリュームを絞って聞いていたが邪魔なので消した。クーラーは苦手なので暑いままに汗の流れるままにした。昼食は巻きのしっかりしたレタスの葉2枚にかにのかまぼこを巻いて食べた冷やしたウーロン茶がうまい。静かだ 3時過ぎに職安と中央郵便局に荷物をとりに・・帰って横になると西日の直撃で頭がぼーとして空っぽになった。何も考えない。たまに煙草を吸う。少しもだらけたきもちにならず徐々に充実感しみこんでくるようだ。夜に散歩がてらパチンコホールに入ったすぐに誰かに話し掛けられ機嫌よく対応 店員の若い女性に笑顔でぺコリ それから銭湯の水風呂に全身つかり露天風呂のベンチに横になる。これを繰り返す。頭と体はすっきり。この日は充実感があり平常に過ごせた。これでいい。
翌日はある人にACのことを聞かれたので話したがうまく説明できず「ややこしいな」で逃げられた。この日は何かと出費が重なったが頭も精神も軽い。鏡を見ると少年のように目が澄んでいる。(独断ですから)夜食は苦瓜ににんじんと青ししとうを炒め赤味噌を料理酒で溶いて味付けし 極太もやしを炒めただけの質素な食事だった。ご飯は2杯 充分であった。焦りや考え込むようなことがなくなている。人とはまだ接触しないようにしています。ここまで。
<1> pavaroti ■2002年07月30日 火曜日 22時18分24秒
生活習慣
これは俺にとって切実な問題です。基本的人権にも繋がることで 回復の問題でもある。何もせず何も考えず誰からも干渉されずに一日を静かに過ごしたい これを何日も実行できたら何かが見えてくるかもしれない。そう思えたんです。
まず自力でそういう居場所を確保するのに四苦八苦した。これが大変だった。そして実行したけどうまくいかなかった。下手に努力し抗うのをやめたら少しうまくいくようになりました。鬱積してくる不満はこのサイトに書いてみた。書いてみると傲慢不遜なものが書かれている自分が見えました。日記とは違い誰かが見ていると思うと知らないうちに構えるんですね。この独り善がりの自我がいけないのかと不覚にも今ごろ気づきました。食事も自分の胃の具合を確かめながら自分に不誠実にならないように三度の食生活は抑制が効いてます。睡眠はとれたらいいぐらいの考えです。焦るものはでてこないし 横たわりたいときは横たわり ひたすらぼーっとする。退行現象がこわかったですけど出ません。自分に対する信頼のようなものが生まれてきます。うーん。今日はここまでじゃ!

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This script written by Shintaro Wakayama.