「意識と無意識の違い」
私は毎週Aさんと飯食いながら、「あ〜でもない、こ〜でもない」と(平均)3、4時間ちかくも話しているが、未だ手も握ったことがない(「平安の祈り」以外では)。 そんな私の意識「私はAさんを抱きたい。私はAさんと一日中SEXがしたい」は否定できない。 他の女性じゃ(例え「巨乳」だとしても)今の私のこころは満たされない。 そんな私の頭の中は、それこそ妄想でいっぱいだ。 「彼女に女性としてのエクスタシーを、私は思いっきり味合わせたい」 「自分のテクニックで、彼女をメロメロにさせたい」 (エロくてごめんなさい) まっ、それは30過ぎても「やりたい盛り」の私の感情としては当然だ。 だが、格好つけるようでなんだが、私の無意識は「彼女の心を抱きしめる。彼女の心とSEXする」だった。 私は自分でもびっくりした。 よもや「エテ公」の私に、そんな言葉が内面から浮かび上がってくるなんて! 「女性の感情とSEXする」 素晴らしい。 我ながら「Beautyful! Wonderhul!」って感じで、自画自賛である。 「相手の感情を抱きしめる」 なんて、昔の私は考えたことも、想像したこともなかった。 ただ「やりたい!」 それだけである。 だから「相手の感情を思いやれない」私の恋愛関係は、長続きしなくて当然だ。 「アドバイスせずに、ひたすら女性の感情を聴く」ってのがどういうことなのか? 昔の私はさっぱりわからなかった。 私がわかりつつあるようになったのは、Aさんと知り合ってからである。 だから私はAさんとの関係を大事にしなければいけない。 だけど私の意識は「やりたくてやりたくてしょうがない」だ。 「こころのバランスを取る」のは難しい。 逆を言えば「難しいからこそ、注意して築いていく」必要があるのだろう。 う〜ん、難しい。 そんな私の目下の悩みは、引越しに伴う「折りたたみベッドの大きさ」である。 シングル(税別\7,800)にするか、それとも同棲を見越してワイド(税別\13,800で厚さ13cmのクッション付き)にするか? 当然ワイドのほうがHするのに便利であろう。 だから私は10中8,9後者を選ぶであろう。 誠に卑しい動機ではあるが、それは逆に「自然の摂理?」でもある。 と、私は自分に都合よく勝手に思い込んでいる、今日この頃でもある。
つづく
そういや半年くらい前、私が某女性とカラオケで話したときに、「えっ、K(私)さんて『おっぱい星人なの? おっぱい星ってなくなったのよ』と言われて、私は『えっ何? 何言ってんの? おっぱい星? おっぱい星人? おっぱい星なくなったぁ? えっ嘘、なんで? どうしてなくなっちゃうの?・・・・・」 と、自分の頭がパニックになってしまったことがあった。 おかしい。 スケベな私は今までそんな話を聞いたことがない。 し、自分の野郎友達でもそんな噂を聞いた例がない。 ほんとにおっぱい星はなくなったのであろうか? だとしたら全国の「おっぱいフェチ」はどうするのであろう? 母乳が干からびて、彼らは自然となくなってしまうのであろうか? 嘘だ。 そんなわけはない。 現に私はこうして「なんやかんや」と活きている。 それに週刊誌の表紙とグラビアは「これでもか」と、巨乳のオンパレードである。 これだけ巨乳がいたら「自分の周りにも、巨乳が一人や二人いてもよさそうなもの」であるが、神様は平等ではない。 現実は厳しいのだ。
「ちなみにAさんは・・・?」 聞かないでほしい。 そこから先、私はノーコメントだ。 私はまだ死にたくない。
つづく
それにしても男は自分が巨チンでもないのに、なぜ相手の女性には巨乳を求めるのが多いのだろう? 未来永劫の謎である。 ふむふむ。
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