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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.9
メッセージ数:180件

<180> こくーん ■2005年02月22日 火曜日 03時14分32秒
先生には敬語を使わないといけない。
私はいつも礼儀正しい生徒だったと思う。
大好きな仲の良い先生に対してもそうだった。
だから、時々、
先生と、いわゆるタメ口で肩をポンッなんて叩きながら、
楽しそうに話をしている生徒を見ると、
先生にはどっちが好きな生徒なんだろう、なんて思って悩んでた。

似たような悩みを大人になっても時々感じるんだよね。
<179> こくーん ■2005年02月18日 金曜日 03時06分55秒
人と長い間一緒にいるととても疲れてしまう私。
アンテナを全方向にはりめぐらせてしまうから…と気づいたのは大人になってからで(遅い)、
小・中・高の修学旅行および合宿、全て、途中で偏頭痛で寝込むか熱出すかしてました。自意識過剰…。
今も大勢でワイワイ…は苦手。
今の修学旅行は、個室・2人部屋なのだと小耳にはさみ、うらやましく思いました。
<178> ミルキー ■2005年02月17日 木曜日 02時36分26秒
私は 一生懸命勉強した。
成績はいつも良かった。
休み時間は、勉強するか、トイレで10分過ぎるのを待つか どちらかだった。
家に帰ると、勉強した。
沢山の色のボールペンを集めて、ノートを可愛くまとめた。
私の楽しみだった。

家では、洗濯と洗い物を進んでしていた。祖母に嫌われないために。
一生懸命笑顔を作った。話も合わせた。
でも、毎日 理由をみつけては、叱られた。

高校受験が終わって家に帰ったとき、自分の部屋が空っぽだったのを見て、私の努力は 全て意味の無いものだと悟った。
祖母は 出て行けと言い、母は祖母に置いてくれと言う。
二人で私の擦り付け合い。

冗談じゃねぇ。
私のこと何だと思ってやがるんだ!
ふざけるな!
<177> こくーん ■2005年02月14日 月曜日 03時31分31秒
保育園時代の思い出。
『大きくなったら●●になりたい』っていうのを書くことになった。
多分、自分は思いつかなかったんだと思う。考え込んでいた。
そこへ、耳に入ったのが、いつも皆と同じようにいろんなことができないグループと見なされている園児たちの方についていた、保母さんの言葉。
「ほら、いいから『およめさんになりたい』って書きなさい」

その目が自分に向けられるのが怖くて、慌てて『お花屋さんになりたい』って書いた私。
なんとなく、最近、よくこのことを思い出す。
私は、結局、本当になりたいものがわからなかった。
いや、わかってもそれは書いちゃいけないと思ってた。
小学校の頃には、本当の夢は叶わないから書いちゃダメだと思って、
「管理栄養士になりたい」とか「薬剤師になりたい」とか書いてた。
それは、私がなりたい職業じゃなくて、母が私にさせたかった職業。
でも、これを書けば、学校でもまるく収まった。
<176> pk ファイア ■2005年02月13日 日曜日 14時30分52秒
学校・・・そこにはいろんな人がいる。
中学校時代、僕の一番身近の友達はグループを作ってその中の
リーダーになることに必死だった。僕もただただ流されるままに
彼のまねをした。結局息苦しくて、自分でいられなくて灰色の生活だったな。
高校に入るとどうだろう?
これは本当だが、誰一人としていやそれは過言だけど、みんな楽しそう。
誰もいじめたり仲間はずれにしようとせず、ただただ自分らしく生きているな
と感じる人ばっかり。中学のときの薄っぺらいうその人間関係からくらべると
とても居心地がいいね。そういう中だと自分らしくいられるようになった。
素直に本当にわらえたりするようになった。人目はばからずしたいことをしたり女子と普通に接したりとか、中学からくれべるとだいぶよくなったかな?
でも、相変わらず内面が人を受け入れようとしなくて、自然な人間関係が
スムーズにできない。
<175> ゆえ ■2005年02月12日 土曜日 15時07分43秒
小学校の体育の時間。

「ありがとうございました」と先生に頭を下げる。
私は、友達と早く話しがしたくてそわそわしていた。
頭をちゃんと下げなかった。
そうしたら、怒鳴られた。
「何でちゃんとアイサツしないんだ!」
私はびっくりして泣いた。
私は驚くとすぐに泣いてしまう。
いつからだろう。
わからないけど、あの時もそうだった。
「泣く子は嫌いだ!」
とさらに怒鳴られた。
泣き虫な私は嫌い。
怒鳴る人は嫌い。
怖い人は嫌い。

でも一番嫌なのは、
世の中のわけのわからない決まりごと。
もう学校なんて大した物じゃないと、教師だから立派な人間だなんてウソだって知ってる。
だから、もういいよ。
学校なんていらないよ。
<174> ミルキー ■2005年02月12日 土曜日 08時36分48秒
中学校時代。
私は みんな死ねばいいと思っていた。

でも、実際には ベッドの両脇からヒモを結んで 自分の首に回してしばって、寝相が悪かったら 自動的に死ぬ装置を開発したりしてた。
死ななかったけど・・・
<173> ミルキー ■2005年02月12日 土曜日 08時29分18秒
私の中学校時代って何だったんだろう?
できる事なら なかったことにしたい。
学年全員に無視されてた。
嫌な事ばっかりだった。
今思えば、先生達の力関係もおかしい学校だった。
先生どうしのいじめとかもあった。
途中から威厳があって、まともな考えを持ってる先生が移動になってから、ちみちみした 先生がいばりだすようになった。
そいつが中学1年の担任だった。
2年のときは 小さな体育の女教師が担任だった。
こいつは 生徒からいじめられてたから、自分がいじめられないようにするために 他のやつと一緒になって私をいじめるようになった。
学級活動というやつで、私の悪口だけで1時間終わった日もあった。
2学期の終わりになると その担任は学校に来なくなった。
理由は知らない。多分ストレスだと思う。その代わりにやっぱり体育教師だった教頭先生が私達のクラスに来るようになった。
根性を叩きなおすと、校庭を走らされたりした。私のいたクラスはますます荒れた。他の若い先生いじめも始まった。私に対するいじめも ひどくなった。

中学3年で 違う学校から移動してきた先生が担任についた。
やっぱり体育の先生。でも この人は少しぬけてて のほほんとしてて 私は好きだった。みんなからウドと呼ばれていた。
中学3年の途中から いじめは無くならなかったけど、少なくなった。
みんなが受験で忙しかったのか、先生があまり 強制的な人じゃなかったのがよかったのか知らないけど。
でも、この先生 職員室で私の大嫌いな教頭に怒られてるのを見たことがある。
あの教頭は 本当に目障りだった。
いつも学校に入ろうかどうしようか悩んでいた私は、ちこくぎりぎりで入る事が多かった。
教頭は私に 内申書に書くからな!と脅した。
死ね!と思った。
<172> ロヴィン ■2005年02月10日 木曜日 14時56分06秒
数学の勉強をすると必然的に塾の教師のことを思い出す。鉄の棒で叩かれたこと,カッターで脅された事、狭い教室,膝の痛み、それが渾然一体となって私を不快にする。でも仕方ない。試験のためには必要なのだ。
<171> トラミ ■2005年02月10日 木曜日 04時07分20秒
例え大学に入ったとしても、今の精神状態では、休学したくなる(もしくはサボりまくり?)可能性は大いにある。
というか、出来る事ならそうしたい。
独りには、もう慣れてしまった。
新しい人間関係を築きたいとも思うが、それより先に、自分自身の問題を解決させてほしい。


釘をさされた。


私は大学生という肩書きが欲しい、という理由だけで受験します。
親から離れたい、という思いだけで、あの学校にしました。
その先の事なんか考えていません。
「そんな大学出て、どこに就職するの?」と言われても、
今現在の自殺願望を抑えるだけで精一杯ですから、よくわかりません。


ニ浪する気はさらさら無いけど、無職では駄目ですか。
「鬱病の治療」という名目で、あと1年、私の人生から、先にくれませんか。


みんな、何の為に生きているんですか。
私には夢が無いです。
やってみたい事はあったけど、すべて「夢」でしかないので、
それにすがって生きられるほどではありません。

私は生きている価値の無い人間です。
いつ死んでも構いません。
人生に意味なんか無い、とそう思ったのは12歳の時です。
私たちはただの動物。生まれて死んでゆくだけ。
意味なんかある筈ないでしょう?
「それなりに良い人生だった」と思えるのが、意味のある人生ですか?
意味って何ですか?


今の私には、全てが無意味に思える。
だったら此処でこうして悩む必要も無いのだが。
私は異常なんです。
<170> ロヴィン ■2005年02月09日 水曜日 21時57分03秒
はぁ〜後少しで教職教養が終わる。そしたら俺の大嫌いな数学の勉強だ。そしたら英語。その次は論文。
<169> ロヴィン ■2005年02月07日 月曜日 11時12分07秒
中学の時に,整髪剤をつけていくとからかわれた。色気づきやがって,とか。小学校での悪さに走れなかったのだろうか?そういうことがあると,ひたすら黙って自分を押し殺していた。区大会で優勝した時も,なんか言われたな。
<168> ロヴィン ■2005年02月06日 日曜日 16時26分42秒
中学の頃の体育の授業が苦痛だった。特にサッカーやバスケが。動きがよくわからないから,適当に動く。周りに迷惑がかかる。怒鳴られる。いつも,1人で動いている感じ。チームの中でいつも孤立してる。でもそれが個性だと思っていた。でも,それは役に立たない個性だった。
<167> 一稀 ■2005年02月04日 金曜日 23時09分11秒
いじめのきっかけは私が作ってしまったのだと思う。
ただ親に、先生に褒められたくて一生懸命いい子にしていようと
私は生徒会に入ったり、成績をよくしたり、必死だった。
でもそれがあの子達には目障りだったんだ。
中2の時。周りはみんな今時の子ばかりで、私はいつも浮いていた。
掃除の時間、一人で掃除をしていたら
「何あの子、掃除の見本でも見せてるわけ?」
と言われた。今でも鮮明に覚えている。これが始まりだ。
それからひどかった。
学校に行けば机は無く、ベランダに置かれていた。何回か花が置かれていたことがある。
休みの時間になれば、私を囲み
「何で学校来てるの?お前なんか死ね」
と言われ続けた。
ある時、「死ね」といわれて、
啖呵を切って「じゃ、死んだやるよ」とベランダから飛び降りようとした。
これで楽になれる。苦しまなくてすむ。そう思っていた。
けど、何人かの男子に止められた。
それからは何もしてこなくなった。でも私は人を深く信じることが出来なくなった。
今一緒に笑っていても、どこかで嫌みを言われているのではないか。
そんな不安が募ってしまう。
もう、どうすればいいのかわからないんだ。
でも信じてみたい。今度こそ信用できる人が現れると思いたい。
こんな矛盾を抱えながら私は生きます。
精一杯生きたいと思います。
<166> 高齢処女 ■2005年02月02日 水曜日 23時19分15秒
 私は30年前、いじめられてた。私の目の前で、私をじろじろ見ながら女二人がひそひそ話をした。私に向かって、牛乳びんにくっつけた画鋲が投げられた。私は黙って下を向いて我慢した。言い返さなかったのは、言いかえされるのが怖いから。一回やり返したら、数倍になって私が悪者になった。お母さん、あなたは「いじめなんていつの時代にもあったでしょ」と言っていた。担任は見てみないふりをした。あそこの学校にはいじめはなかったことになっている。私は毎日学校に行った。いじめられる自分の性格に問題があると信じてた。
 歴史は繰り返された。職場でいじめにあった。このときも、死んだふりをして耐えた。今度もまた自分の性格に問題があると思ってた。
 今思うとがんばったんだな私。サーカスの象みたいに、他の世界を、他のやり方を知らなかった。自分が悪いと思って我慢する以外に知らなかった。悪かったのは自分の性格じゃなくって対処の仕方だった。
 実は今でも男が嫌いだ。どうしても好きになれない。周囲に壁をつくるのは
まだなおってない。
 


 


 


 

<165> mm ■2005年02月02日 水曜日 17時41分50秒
私は小学校の時、いじめられてた。もう、大分忘れているけど。避けられて笑われて、毎日が辛かった。好きなものもないし何も考えられなかった。私が何をしたんだろう?何かするたび笑われて、近寄るなと言われてずっと心が重かった。鎖でぐるぐるにまかれて、おもりをぶら下げた心臓のイメージがいつも頭の中にあった。親や友達には、絶対気づかれたくなかったけど、でもいつか誰かが助けてくれるって思っていた。あの時誰が助けてくれた?小学校を卒業して、私は人に嫌われないように、目立たないように自分の心を隠していくようになったのかもしれない。自分でもきづかずに。あれからもうずっと、自分が傷つくのが怖くて仕方ない。だけど、私のこと分かって欲しいよ。誰からも嫌われたく無いなんてもう思わない。私らしく生きたい。今は好きなものがいっぱいある。夢もある。これからはいじめられた事、昔の自分、今の自分から目をそらさないようにしようと思う。自分のことちゃんと分かっていきたい。私は私なんだって自信もっていえるようにね。
<164> ロヴィン ■2005年02月01日 火曜日 07時11分38秒
中学:部活→学校→塾
高校:部活→学校→少し遊び→受験
大学:部活→学校→遊び

一体おれは何をやってきたんだろう?今振り返るとそういう疑問が出てしまうからすごい辛いけど。ある意味、充実した思っていたものを真っ向から否定する作業だから。でもホントおれは何をやってたんだ? 共通しているのは1人で過ごす時間が全く無いこと。かといって友達といたかというと答えはNOだ。僕は部活に属していたけども,深い交流はなかった。むしろ親といたりする時間が多かったのかもしれない。1人で,本当に孤独を味わったのは大学からで,それまでは例えば本を読み耽ったり,音楽に聞き入るようなことはなかった。もっとそういう時間が早くから持てれば,といつも思う。下らない承認欲求ばかり追い続けた青春時代だったと思う。人がどういおうが,本当にやりたいことを穴倉に閉じこもって模索することが,恐らく思春期に必要だったのだと思う。親からもうらう承認を他人に求めたからエライことになった。
<163> ミルキー ■2005年01月26日 水曜日 06時06分09秒
私は学校なんて大嫌い。
どこの学校も大嫌い。
先生も嫌い。同級生も先輩もみんな嫌い。
嫌なことばっかりだった。
シューズに毎日何かが入れられてた。
がびょうだったり、芋虫が入ってたときもあった。濡れてたときもあった。
遅刻してないのに、なぜだろう?
部活で早い人とかがやってたのかな?
いずれにしても、馬鹿げてる。
暇人め。
先生いわく、N君も我慢してるんだから、ミルキーちゃんも我慢しなさいとのこと。
私は、トイレに入っていたら、上から水かけられたりした。
学年全員から無視されたりした。
汚いとか言われた。死ねとか言われた。外人は外国に帰れとか言われた。
ずっと孤独だった。
誰も助けてくれなかった。
そして 私も私を助けなかった。
先生は私の髪の毛をパーマかけてると言い出した。
私は天然ですと言い張った。だって本当に天然だったから。
次の日から 朝早くおきて、毎日ドライヤーで伸ばしてから学校に行った。
髪の毛痛んで、茶色くなった。
今度は染めてると言われた。
染めてないと言った。
先生は私に 不良のレッテルを貼った。
そして、生徒達は私を無視し続けた。
家に帰ると、また祖母に出て行けと言われ続けた。
高校受験が終わって家に帰ってくると、私の部屋の家具は全部なくなっていた。勉強用の教科書もプリント類も全部。
なんにもなかった。
ぽか〜んとそこに座って、私はなんで生まれてきたんだろう?って思った。
私が祖母の家から出て行くということは、母の家に戻るという事だった。
祖母にいじめられるより、母に殴られ、弟との愛し方の差を見せ付けられるほうがよっぽど嫌だった。
<162> ロヴィン ■2005年01月24日 月曜日 01時26分06秒
これは自分が就きたい職業のことでもあるし,あまりにも甘えているから書きたくなかったんだけど...。中学の頃って感覚鈍磨なのかなんのなのか,変な思春期を送ってきた。第二次性徴も特に意識することなかったし,反抗期はなかった。そんな,人間が中学の教壇に立とうとしている。今、論作文を書いているけど,上手く書けない。経験に基づいたものが書けない。経験そのものがないから。でもやっぱ言い訳だな。早く寝てまた明日から頑張ろう
<161> HO ■2005年01月21日 金曜日 04時12分03秒
汚い言葉が多いと思います。注意です

学校では

何だこいつら。どいつもこいつも平和ボケしやがって。気持ち悪ぃんだクソが。いっぺんメチャクチャ恐ろしい目にあわせてやりてぇよ。とか思っていた。そのくせ冗談言って皆を笑わせてみたり。人に優しくしてみたり。
いつもしかめっ面で、誰も俺に話しかけるんじゃねぇ。と思っているように見せかけて実は寂しかったり。
ヒガミからくる憎悪と人恋しさとで自分でも混乱していた。

皆で何かを一生懸命に頑張る。みたいなノリについていけなかったのもそのせいだった。人と人とが仲良く認め合って、輪になって何かに打ち込む姿を見ると向いてね〜。と思った。皆が違う星の生き物に見える。絶対に無理だった。
そういうことは軟弱だと思っていた。ダサいぞ。女々しいぞ。気持ち悪い。と。

中学生のとき教師に「お前は人を信頼できないんじゃないのか?」と言われた意味が最近になってやっと分かった気がする。

信じるってなんだろう。例えば、僕が人に物を貸すとする。僕は必ず返ってくるとは微塵にも思わない。むしろ返ってこないと思ってる。人に内緒話をする。僕は絶対にコイツは誰にも喋らない。とは思わない。話の流れで、しょうがないから話すだけ。
人が、僕に対して悪意を抱いてないとは思わない。常に予測できる全ての災難に対して身構えている。覚悟してる。
そういうことか?でもそれ当たり前だろ?そもそも人を気軽に信用するやつを俺は信用しないよ。くだらねえ。軽々しく信じるとか口に出すやつは死んじまえ。って、最初は真剣に考えてそう思った。

でも彼が言っていたのは、自分が人に受け入れられていると思っているか?ということだったんだろう。僕の勝手な解釈かもしれないけど。

そんなこと考えてもみなかった。楽しそうな、仲良さそうな集団を見ると、体がバラバラになるような寂しさと、惨めな気持ちに襲われる。そういう気持ちを「向いてない」で片付けてた。僕はただ群れるのが嫌いなんだ。と決め付けて、軟弱だと見下して憎悪を抱いてた。本当は寂しくて仕方なかったくせに。

だから人の輪に入れなかった。とことん心を閉ざして、それでも僕と向き合ってくれるやつとしか話さなかった。それでも運良く僕はいじめられなかったし、僕の周りには面白いヤツらが集まってくれたから、ますます少数精鋭を気取ってカッコつけて自分の問題から目をそらしてた。

僕は人を信用していない。

「人は、僕が思っているほど僕を嫌っていない」と思えたらどれだけ楽になれるだろう。
「人は、僕に対して恐ろしいことをしようとは思っていない」と思えたらどれだけ安らげるだろう。

どれだけ笑えるだろう。
どれだけ泣けるだろう。

それが人を信じるということだと思う。

長くて、テーマから離れてしまいました。ごめんなさい。

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This script written by Shintaro Wakayama.