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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.7
メッセージ数:140件

<140> マイル ■2004年12月05日 日曜日 12時12分23秒
「小学1年の時の事」(フラッシュバック注意)

図工の時間に、それぞれ自分の船を作る事になった。
他の子は家からきれいな竹串とか持って来ていて、それで帆柱とか作っていた。
私は割り箸しか持ってなかった。それがすごく悲しかった。
船を作りながら、泣いていた。周りの子が、「なんか、ないてるよ。」と言っていたが、誰にも私の気持なんてわかるもんか、と思っていた。
何とか完成して、先生や周りの子がすごいね、とほめてくれたような気もするが、よく覚えていない。それよりも、あの時感じた孤立感が今でも強烈に残っている。

どうしていつも私だけ違うの?みんなみたいじゃないの?という孤立感、不公平感を、ずっと抱いてきたように思う。ACを自覚して、自分のこれまでを振り返ってみると、そういう事の連続だったのかな、と気付くようになった。この出来事だって、以前はほんの小さな事、と思っていたのに。
人といて、表面では合わせていても、心の中ではずっと一人で生きてきたんだな。
そう思うと、すごく苦しいし、悲しい。
<139> まりこっち ■2004年12月03日 金曜日 12時41分25秒
思えば学校の中ではいつもみんなに合わせてばかりだった気がする。
自分ではそれが普通のつもりだったけど、大学に入って一人になってみて
どれだけ自分が自分を押さえていたのか分かったような気がした。
みんながごく当たり前のようになんてことない話をしているけれど
私はそんなこともできなくて、いつも寂しいなって気持ちになる。
ご飯を誰かと一緒に食べたり、遊んだり部活頑張ってたり
みんないいなって思う。そういうことしてみたいって思った。

人に嫌われるのが怖くて、ずっごい気ー使ってて尚かつおもしろく
なくちゃみんなから仲間はずれになっちゃうって思ってて
頑張ってみんながウケそうなこと言ってたな。
よくあそこまでやってたと思う。すごいかも自分。

昔からそういう役割だったから、友達とどんな風に接していいか
分からなくて、友達はいないと思っている。
中学のときの友達?からたまにメールがきて
今度遊ぼうとかご飯食べよう!って誘われるけど
どうしてそうなるのかが分からない。友達って何??
どういうのを友達っていうの?
こんなこと言ったらその子たちに本当に申し訳ないと思う。
けど、私は自分が出せなくてずっと苦しかった。今もそうだ。
思うに、本当の私はわがままで、自分が中心じゃないと嫌だ!って感じで
(一人っ子だし♪)自分の思い道理にならないとムカ!ってするだろうし
甘えたりもしたいんじゃないかなって思う。自己中極まりなくてごめんなさい。本当の私を知って、誰か友達になってくれる人なんていうのかな?
そうとう心の人じゃないと無理かも?いろんな人と関わってぶつかっていけば、少しは自己中よりはマシになるかも???
あたし、友達と喧嘩とかしてみたい。喧嘩しても仲良くなれたらいいな。
↑妄想みたいなこと言ってうかもしれないけど、自分の気持ちを
相手にぶつけて相手もちゃんと返してくれてるってことだから
なんかそういうのってうれしいかもって思いました。

思ったけど、こうやって悩んだりとかして
私たちはバランスをとっているように思う。
社会の中に生きていくためには、ある程度の適応が必要だと思う。
自分がつらくなりすぎないように、ここで自分を見つめ直して
バランスをとっているのではないか?
普通ってなんだって聞かれたら困るけど
普通に生きるのってむずかしなって、友達も言ってました。
思いっきり書いてみたら、ちょっとすっきりしたかも!
みんな大変だな〜
<138> しろん ■2004年11月24日 水曜日 18時27分11秒
私には学生時代の淡い青春が無い。
小学生、引越し三回 イジメ 父出張三昧
中学生、引越し一回 イジメ 父親単身赴任
高校生、イジメ 受験戦争 母の嫁姑問題 父親海外単身赴任
大学生、一人暮しなのに両親が海外赴任で実家の祖母の世話役 兄就職失敗、詐欺に遭う 家族の責任を負う
現在、家族の世話中  母が病気(うつ) 兄は2年かけて今週やっと再就職
私はいつも良い子でなければいけなかった。恋愛なんて、サークルなんて、自分の為に時間を使う事なんて許されなかった。愛がほしい、恋がしたい、あれが欲しいなんて...言えない子。生きなくてはならなかった。家族を支えなくてはならなかった。強がった。見栄を張って、うそもついた。隙を見せなかった。人格なんか全く無視して誰かを演じた。楽しくなんかない。本当の感情なんか出さなかった。あれは私じゃない。私の青春まっしろ。過去は抹消した。
みんなわがままだった。大人気ない感情まで表現するんだから。ずるいよね。うらやましい。私は一人で良い子を演じて、私を殺した。青春したかったな。

<137> ミルキー ■2004年11月22日 月曜日 06時15分42秒
私は中学生のとき、学年4クラス全員から無視されてた。
ひどい いじめだった。
私と話す人はまたいじめられた。
誰も助けてくれなかった。
でも、他にいじめられてる人をみると「やめなよ」と言って回った。
そんなことが出来た私は決して弱くなかった。
私はいつも特別な存在だった。容姿がちがうから。
私は他人の介入をいつも許した。
一つ一つのことに悲しくなった。
家に帰れば虐待だった。
自分に対してまじでよく生きてきたと思う。
<136> ゴンタ ■2004年11月15日 月曜日 12時42分11秒
中学2年の時、あのひとと同じクラスになった。
そのときは別の男の子に恋していたっけ。
でも恋に恋してた時期だった。それはすぐさめた。
あのひとと同じ高校に進学した。
1年の時また同じクラスになった。
一緒にバンドをやった。
バレンタインデーのとき好きだと告白した。
彼は嬉しそうだった。
それから付き合いだした。楽しかった思い出。
きらめく思い出。
でも、付き合いは1年間ぐらいで終わった。
今にしてみればわかる。
二人ともACだったんだもの。
途中で苦しくなって、私は逃げ出してしまった。
大学も同じだったけれど、ほとんど会うこともなかった。
あれから二十年近くたった。
今、私たちはACという不思議な縁で結ばれている。
遠くにいて会うことはない。
でも、メールと電話でお互いの心の成長を確かめ合う。
私は最初、どうしようもないほど彼へ依存していたけれど、どうやら抜けられた。
ここにたどり着くまで、好きなだけ依存させてくれた彼を、心から信頼している。
二十年も前の、苦しかった思春期にいつまでも残るきらめきを残してくれたひと。
たぶん、あなたを愛していると思います。
<135> 真名 ■2004年11月11日 木曜日 09時40分28秒
昨日、彼氏から借りたある歌手のCDを聴いていて、発奮した。
そうだ、私も自由になりたかったんだ、っていう事を思い出して。
すごく気持ちがわかる気がした。
私が高校に無事通えたのは、あるグループのヴォーカルの人に夢中になっていて、音楽に自分の心の救いを求めたからだったと思う。
そうでなければ、あの頃は乗り切れなかったと思う。
どこにも居たくなかった。
居場所なんてなかった。
寂しかった。
PTSDの真っ只中だったと思う。
自分の部屋の布団から動きたくなかった。
人のたくさんいるところに居たくなかった。
誰にも心を開けなかった。
でも、誰かに自分を理解してほしかった。
月1回くらいの割合で休んでたなぁ。
胃もよく痛んで、胃薬がお友達だったなぁ。
遅刻していくときはだいたい、優雅に2時間目とかから行ってたなぁ。
無理して行ってたんだけど、高校2年の時にやめたくなったなぁ。
朝、CD屋さんを一人でぶらぶらしていることもあったなぁ(笑)
わりと仲のいい周りの友達は、私のことを少しはわかってくれていたと思う。
その頃は余裕がなくて、感謝の気持ちを返すこともできなかったけれど。
ありがたかった。
他のクラスメートや先生や家族はほとんど私のことをわからなかったと思う。
どう思われていたかはわかんないな。
やる気ない、と思われていたかも。
本当にその通りではあったけれど。
母によく批判されていたけど、それは私が心の不調の理由を話せなくて話さなかったから、誤解されたままだった。
辛かったけれど、しかたなかった。
でも、学校まで車で送ってくれたこともあった。
その前に都内のホテルのラウンジでケーキセットを頼んで、あれは私を励ますつもりでしてくれてたことなんだな、って思う。
批判ばかりじゃなく、心配もしてくれたんだな。
胸がいっぱいになった。
なんとか無事卒業できてよかった。
数学の成績がギリギリだったな(笑)
でも、よかった。(ホッ

<134> 一教師 ■2004年10月21日 木曜日 20時04分23秒
息苦しくて辞めた
意味のわからないルールが多すぎる
強制が多い
評価し評価され続ける教師
どんなふうにみられるかという思考が
体にしみこむ
教えたいことは教えられない
教室の外に出られない
刑務所かと思った
もうやめたんだ
戻らなくていい
もう十分わかった
この仕事はむいていないって

<133> シャローナ ■2004年10月18日 月曜日 20時22分35秒
学校を卒業したと思ったのに何かしてない気がする
単位はとったけど自分が生きていく上での必要なこと大丈夫と思える自信
そういうのがない 自分の中の半分、土台になるようなところが
それは学校で身に着けることではないのだろうか
学校さえ出れば生きていけると親までもがそう信じて疑わなかったが
自分の中のある部分が抜け落ちてしまっているよう
そのきっかけとなったのは学校で落伍者とされたこと・・・
どうしてできない?何も答えられない
私のことなんか何も考えていないのに決め付ける
あの時に何かを切り離して置き去りにしたままなのか
合格点をもらおうと今も努力し続けてるけども何ももらえない
空しい 孤独 終わりが見えない
今も怯えてる 早くしないとつかまる また怒られる
早くできるようにならないと・・・
もしこのきっかけがなかったら親のいうとおりの人生を何の疑問も無く生きていただろう
この時なんとか学校生活をやっていくために切り離してしまった自分
それでやってこられたけど、それが自分の感覚を失うことにもなって
やってこられた人生を引き止めてもいる
今まで再び切り離すような努力をしてきたよう・・・

<132> NAC NAC ■2004年09月15日 水曜日 21時17分31秒
いつの間にか私の夏は終わっていた。
ただ気温だけが暑い夏で、Hさんとの熱い夏じゃなかったのは残念だ。
そんな私の義務教育時代、自慢じゃないが、私の記憶の限りでは夏休みの宿題を全部やって登校したのは1回だけだ。そしてその1回も「何か抜けてたんじゃなかったっけかなぁ?」と怪しいレベルである。
なぜ私は「宿題をちゃんと期限までに片付ける」いい子になろうとしなかったのだろう?
そもそも私の頭の中には「いい子」になるプログラムみたいなものが最初からインプットされていなかったのかもしれない。
当時の私の中では「宿題? そんなものどうでもいい。2学期になってからやればいいや」みたいな、私が親だったら迷わず拳固を落とすであろう、しょーもないガキだった。
お陰で社会に出てからも私は「提出期限ギリギリ、または過ぎてからレポート提出」なんてことはざらだった。
ホンマしょーもない社員である。
何で私は研削する側の人のことを考えられないのだろう?
やっぱ小さい時に我慢してでもそういう「提出期限を守る」癖をつけておくべきだった。
毎回毎回宿題をやってこない私を、当時の親はどう思っていたのだろう?
甚だ疑問である。
もしかしてそれでも親は無関心だった?
かもね。「かもねかもねそーかもね♪」と。
<131> 未羽 ■2004年09月13日 月曜日 06時09分39秒
『大学復帰について』*フラバ注意*

不登校に何時の間にかなってて、言われるまま受験してそのまま大学に来た。
けどそこで、セクハラされて、今、大学を訴えている。
やっぱりすんなりと卒業は出来なかった。
復帰の最終期限が迫っている。
復帰するとは言ってるけど、まだ迷っている。
本当は、まだ外に出られない。
怖くてたまらない。
でも、1年も休学するとなると、やっぱりその1年のビジョンが思い浮かばない。

私、どこへゆけばいい??
<130> 木の芽 ■2004年09月08日 水曜日 18時11分59秒
『学歴信仰』

親の言うとおりに、ずっと進んできたなあ。
「女は学歴がなきゃ一人で生きていけないのよ」と、母はよく言っていた。
それって、自分のことでしょう?
私は何でもかんでも親の言うことをそのまま信じてきた。
学校も、親の言うとおりに、そのまま進んできた。

今の自分の問題が、全て親のせいだとは思わない。
けれど、学歴信仰をいまだに捨てきれないのは、親の影響。
<129> モハメッド ■2004年08月18日 水曜日 01時21分09秒
「習う場所は学校だけじゃない」

 書を捨てよ町へ出よう。と言ったのは1970年代のことだっけ?
ワシも冷静にパチンコを楽しむようになって遊ぶことで社会が見えてきたようにも思える。生きるために誠実さを胸奥にしまいこんでいるパチンカーはいる。それは「目」がちがうからすぐわかる。
 しかし、暇と金を有り余るほどもっている奴はよくわからん奴が多い。いつでもギャンブルから離れる勇気の無い奴の目は気持ち悪さがある。
 まず絶対つき合いたくない奴がわかったことも、パチンコを打っていてわかった。逆にチンピラに見えとった奴が懐の深い気持ちの伝わる人たちだったこともよくわかった。ワシが警戒しすぎて仲良くはなれんかったけどな。
 遊ぶことで学べることはおおいんや。これはスポーツにも通じる。
<128> 埴輪 ■2004年08月13日 金曜日 23時49分34秒
後悔している。
<127> モハメッド ■2004年08月11日 水曜日 03時18分07秒
 「私の学校物語」

家族から切り離して国家の家畜養成所が学校だと、今では思っている。
ここでいい友達ができんかったら、拷問教室となるのだろう。
 ごく稀に物事を見通したまじめな先生がおるが、生徒が出会うことは稀であり、奇跡のごきものであるため、ワシはレッドデータブックに入れといたほうがいいと考えておる。
<126> NAC NAC ■2004年07月23日 金曜日 09時02分08秒
子どもを誘拐するような教師も出るくらいだから世も末だ。
もっとも精神的世紀末は遥か昔から始まっているのかもしれないが。
もっと「自分の支配性」を強く認識すべきだ、特に教師と呼ばれる連中は。
学校という一種独特の閉ざされた空間で大学出たころの青二才から「先生、先生」とちやほやされれば、よっぽど自分の意識を強く持って自戒の日々を過ごさない限り、誰でも自ずと感覚は狂って行くだろう。

「支配したい」
「でも支配できない」
だからガチガチの規則を設け否応なしに子どもを心理的に服従させようとし、あげくそれが適わない場合には暴力・誘拐へと凶行に走る。
そんな内面のモンスターを育てたまま一部教師は先生面して子どもを支配しようとするのだから、世も末だ。
「自分が教師に成りたかった」その本当のところの根っこには何が影響しているのか?よく向き合えってんだ。
「自分が支配されてきたから、今度は自分が支配する側になって同じ痛みを子どもに与えてやる」そういった対象を変えた復讐心が自分の内面にないのか? もう一度教師と呼ばれる人たちはよく見直すべきだ。
<125> なち ■2004年07月22日 木曜日 17時05分15秒
わたしはずっといい子だった。嫌われたくなかった。権力のある子、人気のある子の友達でいたかった。全ての人の顔色を伺い、はた目からは友達は多く見えただろう。元気で明るく、流行にも敏感だった。だから、いじめられた事もない。といっていじめることはしなかった。私は全てにおいていい子でありたかった。みんなから好かれる人気者になりたかった。人気者にはなったけれど、それは偽者だった。わたしの心は確実に乾いていった。不安な心は、視線恐怖症へすりかわり、中学時代から悩みを意識していた。そしていつ私の卑劣で臆病で異常な心がばれるかと、いつも人といる時はサバイバルだった。私は今でもそうだ。だれよりも人気物でいたい。
<124> kiwi ■2004年07月19日 月曜日 23時30分07秒
高校の部活動、走る文化部、楽しいと思える時間だった。
変わり者の集まりってことで有名だった。
その中におとなしい私がいることを不思議がられた。
別人になりたくて、普通に見せる演技を学ぼうと入部したんだけど、
逆に普通じゃなくてもいいんだって、肯定してもらえた。
ちょっと変った趣味を持っていたり。
外見や行動が変っていたり。
(まだ昼食はフランスパン一本まるかじりですか?)
(いくら好物だからって、伊予柑13個は食べすぎです。)
(まだあの雑誌読んでますか?)
(派手で奇妙なペンネームは生きてますか?)
(デーモンメイクでフォークダンスを踊るのは止めようよ。)
でも本当は繊細で、鋭くって、優しい人達だって、私は知っている。
母親を表す単語が、私のニックネームだった。
私はそれが嫌だったんだけど、嫌って言えなかった。
それは確かに母親を呼ぶ単語だけれど、つけた人の真意は
そうではなかったので、私はその名前を受け入れた。
でも久しぶりにその名前で呼ばれると、ちょっとドキッとする。
私の家のことは何も言ってないのに、不思議な人達!
楽しかったし、たくさんのことを教えてもらった。
貴重な時間だし、大切な仲間です。
<123> しろん ■2004年07月18日 日曜日 11時52分31秒
私は中学の時、透明人間だった。せっかく目覚めてきた自己の確立を否定して消さなくては転校生は務まらなかった。お前はよそ者だという風に周りは私を認めなかった。新参者は腰が低くなくてはけない。私は前回の引越しからやっと立ち直って築き上げた「私」をまた抹消させられた。男子にはゴキブリ扱い、女子には透明人間扱い。自殺も考えたが母が泣くと思って止めた。足の怪我で手術して入院した時、担任と母の前で大泣きしたのは学校という地獄から一時的にも開放されるという喜びからでした。悲しかったからじゃない。「これで休める、これで解放させる、良かった、助かった」心の中でホットしたよ。例え10日でもあれは至福の10日間。今も残る足の傷は神様があの時救ってくれた印。
サブリナパンツもミニスカートも履けないのはその代償ですか。
<122> ベビル ■2004年07月08日 木曜日 17時55分16秒


気分の悪い文章に尽きフラバ、不快感注意


クラスで事件が起きた。ちょっと悪ふざけしすぎて怒られた。私は反省しなかった。今は悪いことしたなあという事がわかる。でもその当時は何故悪いのかが分からなかった。どうして悪いのかなあ・・・だから反省しなかった。犯行グループのなかで私一人だけがあやまらなかった。それどころか、「どうして悪いのかわかりません」なんて馬鹿だから言っちゃってた。そういう子供。そういうところは今も変ってない。この事件は学級便りでしばらく取り上げられ、皆で考えてみよう、みたいな感じになっていた。最後の学級便りに、私の発言が取り上げられた。そして担任のコメントは、PTAに向けられたものだった。うる覚えだけど確かこんな事・・・「小学生のうちからこのような考えが根付いている事に、恐ろしさを感じる今回の一件でした」とかだったかなあ。とにかく私はやばい子供として公にされた。名前は伏せられていたけど、家でも話題になっていて皆知っているに決まっている。小学生の信じられないような事件があちこちで起こっている。やばいのは子供じゃなくて世の中でしょ?誰が私をこんな馬鹿にしたんだよ。人を思いやれない馬鹿にしてしまったんだよ。思いやろうとしたときには、どうしたらいいか分からなくなってたよ。担任もどうして悪いのか教えてもくれなかったし。それとも教えなくても普通わかるだろってことなんだろうか。私にはなんかが欠けていた。同級生を刺したあの子の悔しさや、誰にも分かってもらえなかった思いを、どうして「最近のガキはおっかねえなー」で済ませられるんだよ。いや私だって知ってるわけじゃないけど。でもわかる気もする。とにかく子供のときから親にも先生にも、どうしようもないやばい子供として見放されていた。しるしとして、その30代半ばの女担任は私にこういった。「ベビルは大人になったら一升瓶抱えて道路の真中に根っころがってそう」先生、かろうじてそうならなかったけど、ずっと悪い人、いやな人として生きてきたよ。おしかったね、先生の予言は。
<121> くみ ■2004年07月04日 日曜日 01時21分30秒
変な高校だった。
山の中腹にある高校。
場所も変だけど、もっと変なのは先生達。
あの環境に居たら、まともな思考も
上手く機能しなくなっていくというのは生徒にも伝わってきた。
それにしても「正しい髪の結い方」って何??
写真を撮って教室に貼っておくのは、異常だよ。
「化粧してない」って言ってるのに、「してるだろ」って怒って
推薦取り消すって何??
意味が分からなかった。
顔でも何でもこすって化粧してないか確かめればよかったじゃない?
本当に3年間拘束された気分だったよ。

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This script written by Shintaro Wakayama.