Top過去ログ一覧
私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.6
メッセージ数:120件

<120> ゆん ■2004年07月03日 土曜日 00時58分50秒
中学校が大嫌いだった。。
いじめられても私が気持ち悪いから、まじめだったりデブスだったり、理由はいくらでもあったからなんとのくしょうがないんだと思ってた。。
親や家族は私がいじめられてるなんて夢にも思わないだろうから家族にわ知られていなかった。
もともと昔から平均よりは体の発育が良かったし、前はズバズバ本音を言ったりする子だったから いじめられるというよりはお前がいじめる方だな!なーんていじめられてる私の前で言っちゃうしまつ(苦笑)‥お前の子供はいじめられて泣いちゃってますよ?(嘲笑)と言ってやりたかったな・笑

三年生の冬が一番の地獄だった‥。毎日泣いてた。。受験勉強なんてしてなかった。その時の私にとって大切だったのはどうしたら高校に受かるかではなく、どうやったら死ぬことができるかだった。。
学校が大嫌いで大嫌いで‥‥。あと一年なんだから我慢しなさい、とか人に言われたりしたけど。。
わたしにとっては一秒だっていたくないとこだった。。
手に入れた物もあったけど、失ったものの方が多かったような気がしてしまう。。

クラスメートなんか‥‥すきじゃなかった。。
大嫌いだ。。
だから、卒業式じゃ泣かなかった..

泣けるはずがないんだ‥‥‥‥。
<119> プレミオ ■2004年06月27日 日曜日 01時16分07秒
小学生のころ、いじめを受けていた。

ある日、いじめをきっかけにケンカになったことがあった。
朝礼が終わってみんなが教室に戻ろうとごった返している階段のところで。
人ごみの中での大喧嘩。
当然、後から先生に呼び出されて起こられた。

痛々しい過去。

でも、今思い出してみると、あまりに勇敢(大胆?)な行動を、子供のころの自分がしていたのだと、冷や汗+驚き。
なんでそんなにすごい(恐ろしい?)ことが出来たのか。
不思議だな。
<118> プレミオ ■2004年06月21日 月曜日 22時32分39秒
小学生のころ、いじめを受けていた。
いつも、周りが気になってしょうがない。

あの子は、自分の味方だろうか?
あの子は、自分の敵だろうか?

いじめを受けないために、とにかく味方になりそうな子に擦り寄る。
敵にならないように気を配る。

自分にとっての教室は、学びの場所でも、交流の場所でも、遊びの場所でもなかった。

戦場だった。


戦場で死んだ人は、戦死者だ。
戦争で生き残った人は、なんと呼ばれるだろうか?
逃げ出した人は、脱走兵。
傷つき途中離脱した人は、負傷兵。
最後まで逃げも離脱もしなければ、勇者、そう呼ばれるだろう。

自分は戦場を潜り抜け、生き残った。
逃げも離脱もせず、小学校の6年間を生き残った。

今、自分はサバイバーという称号を手にしよう。
勇者の証として。
<117> 黒ネコ ■2004年06月21日 月曜日 02時12分09秒
学校は地獄だった。
楽しかった時も会った。
友達もいた。楽しい思いでもあった。

けど、嫌な思い出の方が多かった。
人に順応できない自分・・そんな私に
人が集まる場所、集団行動する場所、学校は地獄のような場所だった。
周りがみんな敵に見えてた。
二度と戻りたくない。
<116> プレミオ ■2004年06月20日 日曜日 14時39分34秒
小学生のころ。
休み時間に、校庭の遊具でみんなと遊んだ。
でも、次第にみんなから遠ざかっていった。
いじめ。

ある日、自分ひとりでもいいからと、遊具に上っていた。
そしたら、ある男の子から、「遊びたいならどっかほかのとこへ行け!」と蹴飛ばされた。

自分はひとりになっても、みんなの邪魔なのだ。
孤独の上に積み重ねられた、拒絶。

それから自分の居場所はなくなった。
休み時間は、校庭にある木を眺めてすごすようになった。
自分は孤独だった。
でも、木は何も言わない。
自分を拒絶しなかった。
それが心地よかったのかな。たぶん。
<115> 埴輪 ■2004年06月13日 日曜日 22時09分34秒
今春大学を卒業した。
フリーターを名乗る気はないけど、非正規雇用の仕事をしている。
卒業と同時に、全ての競争から降りられた。
レールのないところを歩くのは怖いけど
ようやく人と比べないで生きようとしている。
私、競争大嫌いだった。
マラソンは早かったけど、あれは恵まれてた。
さほど努力しないでもわりとよかった。だからどうでもいいんだけど。
最後の最後で死にたいほど苦痛だった就活。
私の肌にあわなかったんだろうな。集団行動。
よくやった。
競争大嫌い。
お疲れ。引きこもりたかったよね。よくがんばった。
<114> くろうさぎ ■2004年06月11日 金曜日 06時44分15秒
学校、いい思いではない。かといって悪いことが起きたということもない。しょうがないから行っていた。
中学は高校受験のため。高校はみんな行くから、なんとなく。
高校は希望していたところとは違うところだった。参考書を買って、無理のない計画を立ててすこしづつ準備した。計画通りの仕上がりだった。希望した高校に入れるほどの学力はついてた。受験高校を決める段階で担任から猛反対された。根拠は毎月受けていた偏差値テストの成績だった。偏差値テストの出題範囲とは無関係に自分の計画で勉強してきたので、偏差値テストの出来はそんなによくなかった。でも、受験前の時期はそれなりの得点で安定していた。それを見ようとも、僕の話を聞こうともしなかった。一番低いところに合わせられた。それについて家族の誰も擁護してくれなかった。
母は金がないんだから公立へ行け。父は無関心。兄はそんな程度の低い学校へ行きやがって。
高校は男子では1番の成績で入学した。退屈な日々だった。退屈を感じるときに考えたことは、あのときもっと自分が強かったら。なんで偏差値テストに併せて勉強しなかったんだろ。
<113> プレミオ ■2004年06月08日 火曜日 22時06分26秒
中学、高校。
自分が通っていたのは有名な私立学校だった。

すごくいい?
とんでもない。

そこは点数だけがすべてを支配する世界。
点数が悪ければ、存在価値を否定される世界。

そして、なくなっちゃった。自分の存在価値。
<112> プレミオ ■2004年06月08日 火曜日 21時58分35秒
小学生のころは、他の子と自分が違うのが嫌で嫌で仕方なかった。

なんで自分はこんなにも他の子と違うんだろう?

違うから友達になれない。
違うからいじめられる。

でも、一番違うところがひとつあった。
自分が嫌いってとこ。
<111> プレミオ ■2004年06月08日 火曜日 21時56分30秒
小学校。いじめにあっていた。

でも不思議なんだよね。

いじめられていたという記憶はあるのに、具体的にどのようにいじめられていたか思い出せないんだ。
思い出す必要もないからなのか。

封印された過去。
<110> 牧人 ■2004年06月05日 土曜日 10時14分52秒
不本意な入学だった。
もともとやりたいことが見つからず、受験勉強はどれから手をつけても無意味に思え、高校からも社会からも手を切り、一人うずくまったまま、混乱の末なんだか"辿り着いちゃった"のが今の大学だ。
高い金を出してもらってるのに、自分は目的も無く。親のメンツのためとりあえずそういう名前のところに入ってるとか思い。大事だと言われるこの数年を目的も無くだらだら過ごしてるのは恐ろしく無駄だと思うけど、かといってやりたいことも無いので、どうしていいかわからない。
そのうち考え方が、
「目的、無いんでしょ?なら無理に何かする事は無い。お疲れ様。後はもう居なくなってもいいと思う。」ってなった。
「そうだよな。これ以上親に無意味に余分な金出させなくて、双方納得するよな。」「誰が金払ってると思ってんだ!!…別に望んで出してもらってる訳じゃないのに、そんな家畜意識植え付けられる道理は無い…。」
だんだん、早く迷惑をかけずに死ぬ事を考えるようになった。
でも実は高校の頃から、忙しい合間をぬって"身辺整理"する事が心の支えになっていた。シュレッダーを二個買って、過去貰った手紙、日記、入念に処分した。誰かがこの部屋を荒らしても、心残りになるようなものが見つからないように。普通に生活してても「近々引っ越すの?」てくらい、モノが無い。
それはさておき。

今の学校は心理学科がある。カウンセラーも研究所もある。
ついでに、学生はタダである。授業もいろいろある。
入学したての頃から、広報で何度もその存在を確認させられた。
心理学・精神医学の授業は琴線に触れまくりで、恥ずかしかったけど何故かいつもぼろぼろ泣きながら授業を受けていた。カウンセラーに成りたいわけじゃなかったが、しいて言えばここに入ったのは心理関係を深く知ったり考えたりする事ができるからだったので、それだけは、まるで"お話会"へ行く時のようにわくわくしていた。

一年の時は「なるべく関わらずに此処を去りたい」と思っていたので、全く深くかかわりそうな機関や施設を利用せず、あまり見ず、浅く浅くがんばっていた。けど、どかんと2週間くらい休むようになって、なんかもーダメ、やだ、消えたい、…どうせなら行ってみよう心療内科。ってなって、少しずつ、実際に自分を治療する事に興味を持つようになった。

ちょっとはしょるが、けっこう皆この機関を利用してるらしい。
していない子も、興味はあるらしい。
授業を取ってる子は、自分の事を知りたいから来てる人も多い、と聞いた。

大学=華やかで、楽しくて、遊ばなきゃ損・・・というイメージを、いろんな所から押し付けられていた。特に、メインである学業目的が無いときは、せめてソレやってなきゃ何のために大学きてんの?と思ってた。

今は、病院の庭で日常生活の練習をしながら過ごしているような気分。

講義は治療。自分で学び、セルフヘルプしていく。
表面は少ししか違わないかもしれないが、内面はかなり変わってきた。
直接は関係しないが、頼っていいなと思えてきたから。
カウンセラー、解ってる人は、皆どういう悩み・苦しみを味わってるか、わかってる。話を聴かれるばかりじゃ、やっぱり不安になるけど、講義で彼らの事がちょっと見えてくる。知る事は本当に癒しだ、と実感。出席してる人は、皆気兼ねなく友達同士でこの話題深められるしね。


授業が私にとって絶妙のカウンセリングだ。


<109> ゆう ■2004年05月25日 火曜日 21時28分38秒
中学からいじめに遭っていた。いじめに遭っていた友人が不登校になってしまったから。その友人にノートを貸す私、クラスでいじめられている私、友人を助けなかったと先生に辛く責められている私、家で暴れている兄弟を見て泣けずに我慢している私、ストレスいっぱいの私。どれも全部その時の私。こんないろんな面を一度に持ってあとに傷が残らないわけがない。
教師になりたい夢も崩れ去り、これからできることを精一杯していきたい。
できれば学校への不信もとれるといいな。だって学校の中に陰ながら助けてくれる先生がいることに最近気づいたから。
<108> GorCk ■2004年05月24日 月曜日 23時26分38秒
大学というものは本来、勉強意欲のある学生がくるものではないだろうか?
なのに授業中といったら私語が溢れている。
先生方が可哀想だし、なんといっても迷惑だ。
注意したいが、注意してしまうとクラスの雰囲気が悪くなる。
ましてや自分の評判も落ちるだろう。
まぁ私には勇気がなくて注意することはできないだろうが、
たまにブチ切れそうになることがある。
どうやってストレス解消しようか・・・。
<107> ようこ ■2004年05月21日 金曜日 14時36分32秒
私はじぶんを父親から植え付けられた自己否定感で、最低な人間だと思っていた。感情もなかった。小学校のとき、ばいきん扱いされたときもそうされるのが私にふさわしいような感じがしてたし、嫌だとか感じないような勝手な訓練がされていた。
中学時代、私は常に他人より下の人間だと思っていた。
そして、わざとぶつかってこられたり、からかわれたりした。
一番、今嫌だと思うのが、やくざの娘だと言われていた人に、大通りの歩道で
スカートをめくられた。
車はたくさん通っていた。彼女はしばらくのあいだ、スカートの手をはなさなかった。私はその手をどけることができなかった。めくられたままになっていた。
友達は、私のパンツをみて大笑いしていた(派手だった。。)。
なんで、私は手をどけれなかったのか。
なんで、その状況で友達は笑えたのか。
そのときの私の精神状態からしたら仕方のないことなんだけど、くやしいし、
腹が立つし、許せない。
<106> うさぴょん ■2004年05月16日 日曜日 12時23分22秒
うぅ・・だりぃ。次の試験も落ちる気がする。誰の目も気にすることないんだけど。
ものすごい、孤独感。狂っちゃいそう。寂しい。寂しい。寂しい。
あたしは、一人ぼっち。家を出て一人で暮らしているけど、一人ぼっち。
眠りたい。学校に戻りたくない。
<105> うさぴょん ■2004年05月15日 土曜日 21時09分31秒
だりぃ。とにかくだりぃ。
毎日残業なのに、土日は学校だなんて、耐えられない。
ツカレもするって。
分かってるんだけど、つらいよ、、宿題が。とほほ。。。
<104> ユリ ■2004年05月13日 木曜日 22時32分37秒
衛生看護科の高校時代のこと。思い出したらもの凄くイライラしてきた。
看護婦さんになりたい人達が集まってきているわけだから、
当然、皆やさしい人たちなのだろうと私は思っていた。
でも、今になって振り返り、よく考えてみると、偽善者も結構いたと思う。
だって、なんで仲間はずれとかするの? 退学してしまった子もいた。
さすがに、あからさまなイジメは無かったけど、やり方が陰険。
精神科の授業で、精神病患者のビデオを見て、笑った奴がいた。
私の友達だった。思わず「なんで笑うの?」と口走ってしまった。
だから私は嫌われるのかも知れない。
看護科の授業のビデオでは、身体障害者で自立して生活している人が、
「心身障害者と呼ばれたくない、私は心までは病んでいない。」と、
心の不自由な者に対する差別発言をしているのに、気が付かないバカ教師。
自立している身体障害者に感心・感動しているバカ生徒たち。
心が不自由だったり、自立した生活が出来ていない人間は、ダメなのかよ。
なにが教育だ。人間の価値をそんなものではかるな。バーカ。
偽善者養成講座か。
良い人間、良い看護婦。いつも笑顔で、優しく天使のように。
こんな教育を3年間も受けた私は、めでたく役割人格を身につけた。
こんなのもううんざりだ。なんのための?誰のための笑顔?
強制された優しさなんて、にせものだ。
だから看護婦なんかやりたくないんだ。
どこだかの採用担当者が言ってた。自分のとこの採用基準は、
「ちゃんと挨拶が出来るか。明るく対応出来るか。」だって。
人の心の痛みがわかる人がナースになるんじゃないの?
人の苦しみに寄り添うのがナースなんじゃないの?
ニコニコしてればそれでいいのかよ。うわべだけ取り繕って、
うまくやれる人だけが求められる社会なんか、クソ喰らえなんだ。
<103> ∩みづき∩ ■2004年05月11日 火曜日 13時25分08秒
中1の物語です。
私はごく一般の公立中学に通っていました。
最初はいじめなんて全くありませんでした。
しかし、授業妨害、先生に反抗と時が過ぎれば過ぎるほどひどくなってきました。
そしてついに、いじめは私に向けられました。
別に、みんなと仲が悪いとか、そういうのはほとんどありませんでした。
私は班長になり、みんなを注意しなければいけない立場になりました。
しかし、まじめに仕事をしていたのは私だけ。
私語、手紙、宿題を授業の中でしていたのを注意していました。
音楽の時間が一番ひどく、立ち歩いたり、私語をしたり。
先生にも「お前なんて教師じゃねーんだよ!」といって反抗したり。
とてもひどいものでした。
真面目に聞いてたのは私くらいでした。
その真面目が気に入らないのか。
みんなが私に、何も話し掛けなくなりました。
男子は「うざー!」「なんかへんなものがいる!」「粗大ゴミ」
と、何回もいうようになりました。

先生もだんだん信用できなくなりました。
「あんたのおせっかいなところが、クラスでの原因だったんじゃない?」
だとか、
「サラッと水に流していこう!!!くじけちゃだめよ!」
と。負担になることばかり言われました。
日記に相談を書いても、「がんばれ!」とか「good」
ですまされることが多かったです。
今は転校しましたが、私だけ冷たい態度でみんな接してます。
「はぁ?意味わからんし。」「常識なんじゃけーやらんと!」「わけわからん。」
「ブルーにならんでや!」と。
この毎日の生活で体を壊してしまいました。
<102> あき ■2004年05月09日 日曜日 12時35分23秒
4月から短大生になった。学校が嫌いだったという事を短大になってようやく気がついた。今までも今でも友達はいる。何でイヤなのか嫌いなのか考えてみた。人からどんなふうに思われているのか不安なんだと思う。自分の考えに自信が無いのだと思う。月曜日になるのが苦痛だ。思い出してみれば学校は、楽しいところだと言い聞かしてきた。けれど、短大になって楽しいところだという思い込みが崩れた。人と会うことが苦痛だし苦しい。軽いうつ状態なのかもしれない。今後、どうやって学生生活を送ればいいのだろうか。苦しい。
<101> Yoko ■2004年05月07日 金曜日 13時44分12秒
学校というか、保育園時代のこと。
1歳のときから、保育園に預けられた。
私は、早生まれのくせして、普通の子より頭一つ背が高くて、それに体も大きかった。
だから、保育園の先生にはいつも「大きいんだから」他の子に何をするにも手加減しろって言われ続けた。
きっと、1、2人で10人ぐらいの子供たちの面倒を見るのは大変で、自分たちの都合のいいようにしようとしたんだろうね。
そういうつもりで言ったんじゃなくても、「大きいから〜してはいけない」っていう言葉は、ずっと私を否定し続けた。
大きいから、体重重いから、きっと先生にまとわりついちゃだめなんだと思った。
今、考えてみれば、重いって言っても、20キロとかせいぜい30キロなんだよね。
大人から見たら、大したことない。
でも、怒ってはダメ、感情を出してはダメ、小さい子には(それが自分よりも早く生まれていて、当然、その分成長が早い子でも)優しくしなきゃだめって教えられた。
全部、大人の都合じゃない。
私、好きでみんなより大きかったわけじゃないんだよ。
保育園で取っ組み合いの喧嘩もした記憶がほとんどない。
そんな子に、どうしてそういう言葉を言い続けられるんだろう?
怒られたことも、悪いことしたっていうより、自分たちの言うことを聞かないからって方が多かったでしょ?
子供は大人の言いなりにならなきゃいけないの?
自分の好きなことやってはいけないの?

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.