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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.5
メッセージ数:100件

<100> ayako ■2004年05月01日 土曜日 16時46分17秒
高校の頃の記憶と言えば・・クラスメトが変なやつら。休み時間に「チヨミHしたい」って言い出す女もいた。その女にコンドーム渡したりとか、彼氏の部屋でHしてたら彼氏の弟が部屋に入って来たとか言ってる女も居た・・。心底「バカな女達」って思った。男も女が妊娠したとか言い出したとか3人位で話してたりとか・・。「最低な男!」って思った。当時は私はブサイクでデブだったから彼氏も居なかったけど、女を大事にしてないのは解った。時を隔ててみたら「ありがちな話」だけどあの当時の私には許せなかった。「男の子は不潔。汚い」10代の男はどうしてこう性的なエネルギーが表に出てるなんだろう。ギスギスしてる。
女でもおかしなのが居た。いつも休み時間フラフラしてていつも私に変な事言ってくる女。居るのか居ないのか解らないし、特に仲のいい子は居なかったみたい。40人しか居ないけど小さな部屋の中で過ごしたら色々気ずくもの。私も歪んでたけどあの部屋の中の半数以上が歪んでた。卒業してから半年。親が勝手に私の連絡先をクラスの人に教えた。私は頭に来た。あんな奴等とは関わりたくないのに!その後無言電話が来た。ヤッパリ!私は親に怒鳴った。親は謝りもしない。それから2年後に、同級生の子に私と同じクラスの子が亡くなったと聞いた。実家に電話してきた子はそれを知らせたかったのだろう。親はそんな事一言も私に言わなかった、ただ「連絡を取りたいと言っていた」とだけしか言ってない。黙って教えた親が一番腹立たしい。無言電話してきたそいつもムカつく。学校は良い思い出なんてない。仲良くもないのにクラスの奴等が私の事アダナで呼んだりしてたのも許せない。お前らにアダナで呼ばれたくない!仲間にするなよ!
<99> Yoko ■2004年04月26日 月曜日 11時40分01秒
学校は大好きだった。
勉強も授業を聞いていれば理解できたし、休み時間になれば、一緒に走り回る友達もいた。でも、急に行きたくなくなる。何でだか、全然、わからなかった。きかっけは、宿題をやっていないとか、ちょっと遅刻しそうになるとか。いつもなら、平気なのに。みんなが“普通”にできることが、“普通”にできない自分。負けず嫌いだから、それが悔しかった。できない自分が許せなかった。
<98> NAC NAC ■2004年04月26日 月曜日 03時19分24秒
先日、私は(「午前に引き続き午後もモトクロス練習」の誘惑に負けずに)14:00から17:00まで3時間、通算4回目の「コーチング」に参加してきた。
いつもなら20人程度の参加人数だが、今回は公開セミナーということもあって50人ちょっとの大人数だった。
それだけ「有効なコミュニケーション方法」に関心がある証拠なのだろう。
(どこぞの怪しい「自己啓発セミナー」とは訳が違う。参加費も安いし)
今回は一部、会社の仕事絡みで参加しているグループもいて、意識の高い人たちはそうしたものを企業内に積極的に取り入れようとしての参加だ。
いい傾向である。

さて、セミナー終盤、今回も3人で一組となって「コーチング」のロールプレイング(それぞれがコーチ、クライアント、観察役を順繰りにやる)を2組やって、私は1組目は男性2人と組み、テーマは「今晩のおかず」、2組目は女性2人と組んで、テーマは「夢」で、いろいろと勉強させてもらった。

その私の感想は「『初対面で(当然)幾分警戒している』相手の感情を出させるのは大変な作業」ということだ。
設定されたテーマにもよるし、クライアントのその時々の気分にも左右されるが、コーチ役は「いかにして相手に気分良く喋ってもらうか」それに尽きる。
人のコーチングを観察していると、クライアントの表情や声の響きから「あぁ巧い聴き方するなぁ」とか、「そこはもうちょっと突っ込んで相手に喋らせた方がいいんじゃないの?」とか、同様に自分がコーチ役で後で批評を受けたりして、いろいろ参考になる。
つまり「自分の聴き方は『絶対』じゃない」ってことで、「人それぞれ、興味も違えば視点も違ってくる」ということだ。
「切り口をどこに見出すか?」
そのやり方は正直、コーチによっても違ってくるし、一概に「これがベストですよ」というものもないが、共通するのは、できるだけ自分の頭を柔らかくして「キーワードは相手の感情をリピートする」を念頭に、相手に興味を持って話を聴いてあげることだ。
最終的な結果は同じでも、聴き役が相手の感情を認めるか否かで「話してもらえる」信頼感は大きく違う。
2組目で私がコーチ役の時クライアント役だったAさんは「毎日の仕事に追われて『夢』みたいなものはない」と最初バリアを張っていたが、それでは「趣味は何かありますか?」と私は話を代えて、相手の気分が乗ってきたところでAさんの口から「将来こうしたいなぁ」というのがぼんやりと出てきた。
設定された時間が3分だったので、Aさんの『夢』の詳細まで私は踏み込めなかったが、話が『学生時代の山登り』になった終盤はAさんの目の輝きも活き活きしてきて、私も「これだ!」と話を掘り下げ、なんとかAさん自身に「自分で答えを出す」直前くらいの所までAさんの感情を持って行けた。
手前味噌であるが、上出来である。
セッション終了後、Aさんも「話を聴いてもらい、お陰ですっきりしました」と笑顔で述べていたので、お世辞半分としても「不快でなかった」ことは確かであろう。
観察役のBさんにも誉めていただいたし。
ただ自分なりの反省点としては、時間が3分と制限されていたので仕方ないと言えば仕方ないのだが、「もう少し早めに視点を代えれば良かったかなぁ」と言うところか。
「直観力」と「センス」、「機敏の良さ」が問われる場面でもある。

「コーチング」でコーチは殆ど喋らない。喋っても1割くらいで「9割方はクライアントが話す、または考えている」のが理想だ。
こう言うと「じゃ、カウンセリングと何処が違うの?」とよくある質問だが、「両方受けている」私なりの感覚では、「コーチングは今現在から未来に向かってのギャップを埋める作業」で、逆に「カウンセリングは今現在から過去に戻ってのリフレーミングをする作業」と認識していて、早い話「今現在からどっちに向かって修正するか?」の違いである。
まっ、カウンセリングは「心の奥で封印していたものと向き合う」分だけ痛みがあるのは確かだが、回復にはそれも致し方なし。

今回私はたまたま、男女別のセッションを経験したが、やってみて「男性はプライドの生き物」「女性は感情の生き物」と言われる所以が改めてよく分かった。
逆を言えば「男性のプライドは傷付けないように」「女性は事実じゃなく、流れる感情に沿うように」注意しなさいよ、ということだ。
私は深夜放送で毎週「スパイダーマン」を観ているが、特に登場人物のM.J(女性)のセリフと表情の細かい変化は「そうそう、女性って(良くも悪くも)こういう表現・捉え方するよなぁ。作者はよく観察してるわ」と一人感心しながらTVを観ている。アニメにしては上出来きの感情表現だ。
逆にそうした女性の感情に疎い男性の感情表現もよく描写されていて、違った視点で「スパイダーマン恐るべし」である。

なにはともあれ、「(私NAC NACのように)話したがる(別の表現では「感情を放したがる」)人は多いが、黙って話を聴ける人は少ない。だから揉め事や争い事も多いのだ」とあるコーチも言っていた。
それを聞いて、私も「確かに」と思った。

「相手に興味を持つ」
それが大事だ。
<97> 花 ■2004年04月22日 木曜日 23時28分39秒
止まれない場所。まじめすぎてはいけない。ゆとりがない。家と同じように、自主性やいろんなものが禁止されると思った。失敗は赦されないと感じてた。そんなルールーを破ろうと思うほど、あたしの中には情熱もなかった。でも、学校は違った。失敗はどんな時も赦されていた。まじめでなくて良かった。自由がよかった。伸びやかにやろうとする人が断然楽しそうに生きていた、それは悩みなんて人それぞれだけれど。うらやましかったのかも名今思うと。私はそんな人になれなかった。自由な時間が用意されれば、その使い方を知らず、ますます窮屈に、人との間を、息を止めて、笑った。おかしかった。なんとなくわかった。人の強さが。自分の弱さが。人の単純さが。自分の欠落が。それが人に見えるのが嫌で、ただ、引きつって怒りを抑圧して長いこと笑った。人のことなんかこれっぽっちも考えず、ただただ自分を見つめ続け、自分の事だけ考えた3年間。恐ろしく狭い視野の中で何一つ、認められず何一つうまくいかなかった。本当は10回やって3回うまくいったら、天国みたいなものなのに、全て勝とうとしたから、よゆうなかった。人は感じるものだね。いくら笑ってみたって自分にうまい嘘つかなきゃ人に伝わる。だから、人は目を閉じた時に全てが見えるって言うのは本当だと思う。
<96> 花 ■2004年04月22日 木曜日 23時05分44秒
学校という空間。ちょっと似ていて傷つくのが恐くて逃げ、てはミライを悲観する。悲観主義者になったのは、性格と、周りにいた人達の影響だろうな。みんなどうやって、生きているのだろう。幸せそうな人たちを見てみる。真似できるところは真似てみる。人まねしてみて、本当の自分が可哀想になった。どこにいるのかもわからない、出てこれない自分。可哀想だから、出てきてごらんよ。家庭じゃないから、いろんな人がいるから、心を開こう。じゃないと1人になるよ。幸せな人と自分の違いをみてみる。基本的にはやってること一緒なんだよ。学校だから。まず、自意識過剰さ加減が違う。7割の無駄を、気楽な気持ちですごすことができない。家庭でそういう会話もしないからわからない。完全を求めれば口数はすくなくなる。深く泳ぐ人でなければいけないとはいえない。浅く泳ぐ人とどちらが、価値があるなんていえない。
<95> たまき ■2004年04月20日 火曜日 14時00分35秒
あたしにとって学校はいかに目立たずに一日を終えるかという場所だった。
あたしの家族、祖父は元中学の校長、祖母は元小学教師、両親は高校教師。だからあたしは、先生仲間では有名人。入学してからずっと知らない先生から「お前のおじいちゃん元気か」とか、うざいほど話しかけられる。
だから廊下を歩くときはうつむいていた。特に職員室の前では。
勉強だって、態度だって、気をつけなければ目立ってしまう。悪くてもダメ、良くてもダメ。そこそこで、「おとなしい子」「まじめな子」と思われればしめたものだった。
でもちょっと鋭い子には「あの子は何を考えてるかわからなくて怖い」「裏で番はってるんじゃない」「ちょっとけむたいかも」なんて思われてた。でも、生徒にならどう思われようと平気だった。
多分あたしは孤立していた。友達もいたけど、ほんとに心を通じ合えるような子はいなかった。親はいつも「あんな子と友達なの」とか干渉されたし。友達と遠くへ遊びに行くことは絶対禁止だったし。そんなんじゃ、向こうのほうからそんなめんどくさいのと遊びたくない、なんて言われたし。
結局あたしも面倒になって、「別に友達なんていいや」って投げやりになってきたし、対人関係に関して構えていた。それでも変わった子もいるもので、そういうちょっと孤立してる感じがなんかクールでいい、ってよってくるのもいた。
今学校という場から離れてしまって、ずいぶんと楽になった。
昔の友達に久しぶりに会って、「なんか感じ変わったね、昔そんな人と思わなかった」って言われるくらい、自分でもずいぶんと解放された。
学生時代にどうすればもっと過ごし易かったかな、なんて考えることもあるけど、「考えても仕方ない、考えてその時が変わるわけでもない」そう思えるってことは、少しは自分を客観視できるほど大人になったってことかも。
<94> なち ■2004年04月20日 火曜日 09時25分38秒
中学時代に、とても苦しい思い出がある。わたしは、ある人気ものの友達と仲がよくて、いつも一緒にいた。わたしは彼女を独り占めしたかった。なぜなら、みんなが好きな彼女だからだ。その側にいるわたしも、認められたような気がしてた。そんな時、怖い奴が現れた。その女も、人気者の彼女を慕った。わたしは、逃げた。彼女を無条件に手放した。イザコザは、避けたかった。でも必然的に一緒にいることになり、その女からの嫌がらせがわたしに始まった。それは周りには分からないように、見た目は仲良く、そしてわたしにだけ分かるような嫌がらせだった。なんともネチネチとした、気味の悪いものだった。精神的苦痛をその女は喜びとしていた。だからわたしは、おおやけにいじめに遭ったことはないが、みんなの見えないところで確かに被害にあっていた。無言電話。カラベル。一時間おきに。毎日無言電話をされながら、その女はあくまでしらんふり。仲良さを繕う。気持ち悪い。
つらいのでここでやめます。
<93> えむ ■2004年04月18日 日曜日 00時53分15秒
小学校時代、私はいじめられていた。男子に「汚い。触るな!」とこづかれて、けれて、たたかれて・・・自習時間が特にひどかった。同じ女子からも放課後、「反省会」と称してつるし上げられた。私はいつも泣いていた。担任は気づいていたはずだった。だってクラスの勉強が1番できる子に「・・あなた、ドンくさいからいけないのよ」とののしられているのを聞いていても「聞こえないふり」してたよね。私・・あのときの絶望感って20年以上たった今でも思い出すと胸が痛いです・・あなたみたいな大人が子供をゆがますんだよ!私は今でも本当のところで他人を信じきれない自分を見ます・・・私を本当に愛してくれている彼のことでさえも。
<92> シャローナ ■2004年04月13日 火曜日 21時06分27秒
ようやく学校から解放されたような気もしている
卒業はしたが、解放はされていなかった そんな感じ
今思うのは、学校が常に正しいというわけではないということ
そう思えて楽になり、視野が限りなく広がったような気がする
<91> 衿 ■2004年04月13日 火曜日 20時54分57秒
私はとにかく担任に恵まれなかったが、最高にひどかったのは小学校5,6年の時の音楽教師だ。
彼は地元では名の知れた音楽家で、地元の埋もれた民謡を集めて編曲して発表したり、「司会制」という、子供に授業の進行をさせる(大人達から見たら)斬新な教育方法でちょっとした有名人だった。何度かTVが授業を取材に来て、その度に彼は誇らしげにTVの前で笑っていた。

TVを見ている人たちは「なんていい先生なんだろう」と思っていただろう。
でも彼は最悪の教師だった。
好きな生徒にはとことん目をかけてくれるが、嫌いな生徒は徹底的に叩き潰す。
「司会制」だって彼が気に入らなければ横槍を入れられ、きちんとできるまで何回でもやり直しさせられた。泣いてもさらに追い討ちをかけるように攻め立てた。私も教壇の前で泣いたことがある。
通知表の点数も彼の気分次第だったそうだ。
彼が受け持っていた合唱部で活躍している子にはいい点を与えるが、ひとたび部活をやめてしまうと一気に点数が下がったそうだ。
授業で歌う曲もすべて彼の自作の曲。卒業式も入学式も運動会も彼が楽しげに指揮をとっていた。


そもそもTVの取材だって、学校が休みな筈の日曜日に、お気に入りのクラスの生徒を呼びつけて音楽の授業をしていたのだ。
みんな演技をしていただけだ。バラエティやドラマと何が違うんだろうか。
あの時「TVは事実を映すんじゃない。嘘を作り上げて事実に見せるんだ」と知った。

実際彼を慕う子供なんかいなかった。有名なマラソン選手を「あの子は先生の教え子なんだ」と自慢してたけど、その選手が彼の話しをしてるところなんか見たことなかった。

よく「心温まる話題」としてのぼる小学生の慈善活動や、作文発表が私にはうそ臭くみえて仕方ない。
ほんとにみんな自分でやりたいと思ってやっているのかな?先生の見栄のために駆りだされてるんじゃないのかな?ほんとはこんなことめんどくさいって思ってるんじゃないのかな?

そうじゃないのかもしれない。でもそうなのかもしれない。
少なくとも私にはいい話題に見えないのだ。
<90> NAC NAC ■2004年04月09日 金曜日 05時32分46秒
そういや大学は浪人したにも拘わらず滑り止めしか引っ掛からなくて、入学して1,2週間は授業にも出ず電車で気の向くままぶらぶらしていたなぁ。
大学の新入生オリエンテーションにも出なかったし。
まっ早い話ショックで鬱状態だったんだけどね。
友達できたのも暫く経ってからだったよなぁ。
仲良くなりたいと自分では思っても、高校の時とは違って「互いに触れ合わない」距離の付き合い方しかできなくて、今でも続いているのは1名だけだ。
バイクのサークルにも同学年はいなくて、自然とサークル活動にも足が遠のき、そのうち後輩と揉めたこともあったな。
文化祭も協力して出たのは1回だけだったし。
なんか人間関係がうざったくて、自分と向き合う術すら知らなくて。
あの頃の自分はおかしかった。
「自己中の狭い世界で生きているのに気付かない」おかしさで、「集団の中で自分の居場所を見付けられない」もどかしさ。
学校でもバイト先でも。
それに輪をかけて自分のそうした感情に言葉が伴わない。
心の奥底で常に矛盾しているような葛藤を抱えていた。
そしてその機能不全さは自分がACと気付く30過ぎまで続いていて、今現在は修正中だが、やはり「もっと早くACという言葉に出会ってカウンセラー行ってたらなぁ。検索不能な生き辛さで10年近くも無駄に年を重ねずに済んだのになぁ」という思いは拭い切れない。
やはり「社会に出る前に家族という集団の中で人間として学ぶべきものを学べなかった」のが後々尾を引いてしまっている。
不幸にも身に付けてしまった嗜癖。
そんなのは本来いらないはずで、あっても少なくていいものだ。
必要なのは愛情を経験した理解者であり、子どもを巻き込んで犠牲にする親ではない。
歪んで間違ったものの押し売りなんてもうたくさんだ。
<89> 衿 ■2004年04月02日 金曜日 21時27分59秒
学校時代なんて思い出したくもない!
最悪だった。
「あの頃は良かった」なんて思えない。どうしてみんな昔を懐かしめるの?
修学旅行も、遠足も、体育祭も、文化祭も、全部全部苦痛でならなかった。


卒業式だけが、ほっとした。
もう、こんなところに来なくていいんだと。

もっと楽しい青春時代を過ごしたかったな。

<88> きーそん ■2004年04月02日 金曜日 16時21分49秒
小・中・高と、覚えているのはいたたまれなくなる事ばかり。
穴があったら入りたい。いや、埋めてしまいたい。
でも、思い出せない事のほうが多い。
毎日、どうやって過ごしていたんだろう。

さわやかでキラキラした青春時代をすごせなかった事は
どんなに悔やんでも悔やみきれない事の一つだ。
悔やみきれない

<87> とら ■2004年03月23日 火曜日 19時05分28秒
PCスクールに通いだした。自分より年下の人に教わるのは妙な気分だ。僕は質問が苦手だ。教わったとおりに素直にやってしまうので疑問を持つには自分を強いなければならない。そうなるとより掘り下げた質問をさぜる得なくなっちゃうんだ。教わるってそうじゃないかなとおもうから。第一、わからないってことがとても恥ずかしい。自分が知らないってことを伝えるのは勇気がいる
。学生時代に正直に質問したときクラスメイトから馬鹿にされた。それからくやしくて質問するのが苦手になったんだ。今でもきずになっているんだ。僕は
とろく見えるのでよく馬鹿にされた。実際はよく理解しないことは口にしないようにしていたんだけどね。知ったかは良くない。自分で自分の評判を下げるだけだから。学校のでの立場ってけっこういやだったんだ。
<86> ayako ■2004年03月22日 月曜日 16時53分42秒
学校は大嫌いだった。何であんなつまらない話を何時間も聞いてなきゃならないの?心惹かれる教科もなかった。私の居たクラスはレベルの低いクラス。1年の1学期問題が起きたら先生が「おまえ達か?」といの一番に言い放った位。実際はヤンキーみたいのが居ただけだった。万引き位のレベル。1クラスしかもともと無いからクラス変えもない。クラスメイトは私には皆変なヤツにしか映らない。私に干渉してくる女。「**さんと**さんていつも一緒ねレズみたい」とか一緒に居なければ「ケンカでもしたの?」と言って私と仲の良いKに寄って話したり。気持ち悪い。
他人と自分の区別が出来ない人だったし、自閉的な女だった。Kとは仲良くしてただけ。変な女。私に八つ当たりしたり、怒りをぶつけてた。K曰く友達はI。Iは友達というよりKと仲良くしてあげてる感じがした。卒業してから担任は「あの年頃の子は皆干渉したがる」とか言ってたけど・・。一部普通の人は居た。卒業アルバムの私は顔がパンパンで目が殆ど無かった。高校生活は嫌な思い出しかないからアルバムは上京してから捨てた。21の時にKと会って話したらKは少し社会性が身についたらしく表面的にはまともだった。けど、しばらくすると「**は変わってないわね!」と連発してきた。逆切れもしてきた。やっぱり変わらず変な女だった。
Iとも会った。Iのほうがもっとまともになってた、彼氏は変なヤツだけど。
私にはまともな青春時代という物がない。男の子はいじめられたせいか皆不潔に見えた。あんまり記憶もない。私もボーイフレンドがいて一緒に帰ったりとか、一緒に勉強したかったな・・もう取り戻せないけど。あの頃は自分が生きる為に一生懸命だっただけ。仕方ない。あの頃があるから今の自分があるんだと思う。容姿のコンプレックスはまだぬぐえないけど・・
<85> シャローナ ■2004年03月16日 火曜日 00時20分28秒
学校の試験勉強はいつも切羽詰まっていた。いつも一夜漬けなのでそんなかんじだった。とにかく詰め込む。やってもやっても不安。終わらないときもしばしば。そんなときは朝が来るのが恐ろしかった。ここで死んじゃったらテスト受けなくて済む・・・なんてことも考えたこともあった。
そんなやりかたでも私は記憶力が良かったのか、なんとかクリアしてしまっていて、自分でもこんな勉強の仕方にも疑問をもたなかった。そして両親も勉強さえしていれば夜更かししようが歓迎なのだ。
でも、この頃私はいまだに学校を卒業してないような気がしている。
そんな夢もよく見ることがある。
私はいくら勉強しても、こんなやり方ではやったという実感や喜びがほとんどない。なにも残っていないようだ。なにかやり残しているような。
今も夜眠れないのは、このころの名残かと思った。
眠れない、焦っている、朝が来るのが怖い、どうでもよくなり・・・そんな勢いで毎日を過ごしている。
一種のPSTDじゃないかとも思う。こんな勉強を中・高校とほぼ6年もやっていたのだから。そして何も考えずに社会人になってもそんな生活してたと思う。異様だ・・・
<84> 埴輪 ■2004年03月15日 月曜日 14時57分30秒
劣等感でいっぱいだったんだ。
挙句思いついたコミュニケーション手段は「自分を卑下する」。
それでダメなときは尊大にふるまう。
どれだけ出会いを不意にしてきたことだろう。
<83> バンビ ■2004年03月12日 金曜日 11時41分00秒
やっぱり、やめたくないわたしがいたんだ
でも、一人になりたくない私もいたんだ。
何十年も経って気づくなんて、いや、本当はあの時にそういう自分の心に気づいていた。
本当は、とめてほしかった。
お母さんあなたにね、もっと心の奥底からとめてほしかった。
世間体ではなく、将来のためではなく、あの時の私を見てほしかった。
寂しかったの。あなたに本気で心配してほしかったんだよ。
学校楽しかった、勉強嫌いでなかった、卒業したかった。
駆け引きしたんだよ。
あなたの心とね、今もあなたは、何かあったら言うよね、
あの時辞めてなかったら今頃はってね、
その言葉を聴くたびに心が苦しくなる、痛くなる。
どうして、解ってくれないのかってね。
自分の子供がその年になって、この前、私みたいに辞めたいって。
向き合ったよ、いろんなことを聞いてあげた。
素直に思っていることを聞いてあげたよ。
私が、してほしかったようにね。
私には、最高のパートナーがいるから。
ひとつだけ、乗り越えられたよ。
あの時に帰れるなら帰りたいもう1度ね。
<82> 太郎 ■2004年03月03日 水曜日 19時08分12秒
学校生活は楽しくなかった。俺の人生はなにもいいことがないのも学校が楽しくなかったからだ
<81> NAC NAC ■2004年03月03日 水曜日 18時36分37秒
私の人生は、なかなか「はい、どうぞ」というわけにはいかないらしい。
ここのところお蔭様で上り調子できた私にもついに、というか、やっと試練がやってきた。
私はパソコンスクールを2月いっぱいで終了して(試験勉強は継続)、4月から9月まで「CAD」を勉強しよう(無料で自己負担はテキスト代のみ!)と意気込んでいたのだが、諸般の事情で断念せざるを得ない状況になってしまった。
ほんと私は残念であるが仕方ない。
その募集条件に今回私は満たなかったのだが、それは後から職員が気が付いて私は知らされたのだ。
その募集条件は私がどんなに努力しても致し方のないもので、私はショックであるがすんなり諦めた。
自分の努力でどうにもならないものを、いくら自分で嘆いてみたところで状況は何も変わらない。
人生「予期せぬ突発事項」はいくらでもあるし、今回もその一つだ。
問題は「(CADという)選択肢を失った自分が今度は何を目的に何を選択するか?」
ということである。
ちょっと私は考えなければならない。
まっ、ちょっとどころの話ではないが、改めて私はゆっくり考え直すとしよう。
急いだって碌なことはない。
「ピンチの時ほど落ち着け」ってことだ。
もうすぐ私の捻挫も治って「アパート探し」も再開するし、パソコン購入して「あ〜でもない、こ〜でもない」と試験勉強していれば、自ずとその後の道は開けていくであろう。
ほんと「前向き」だけが今の自分を支えてくれる。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.