私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.4
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<80> 牧人 |
■2004年03月03日 水曜日 00時21分51秒 |
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入学は無理やりに近かった。"脅されて入った"と認識してる。 意見なんて通ったためしがない。 願いなんて、持った方がばかをみる。 いままで全て否定されてきたんだから。アカラサマに。全て。 一年無気力に過ごして、鬱になって、内省と自己嫌悪の毎日で いえるわけが無い、絶対「誰が金払ってると思ってんだ」「お前出てけ」って言われる。今までずっとそうだったんだから。 無視する。食事は一緒にはとらない。食事できなくても、顔あわせない。一日中部屋にこもる事になっても、物音立てずに。 ささやかな抵抗も始めは認めてもらえなかった。 異常だの奇行だの、おまえ「が」おかしいって言われた。 だけどこの行動は本心だ。ささやかながら精一杯抵抗した。 表情が消えて、体重も減って、廃人同様になった。ひきこもり。 父親は、私の目の前には「いない」事にした。 もうかれこれ…5年もがんばった。初めて本音を表現できた…。
やめたいって親に言った。母親だけど。 もう存在自体否定されるかと思った。 案外あっさりしてた。 よかれと思ってやったけど、私のせいね。ごめんね。だって。
このままここに居たら、金がかかるだけで何も得られないよ。弟と比較されてしまうよ。一生あんたたちの足元で生きる事になるよ。飼い殺ししたいんだろ。・・・そんな理由から、早くここを離れたい、やめたい、どうにかしてくれ、と思った。
可能性として父親も「退学」の言葉を認識してるらしい。 ・・・誰から見ても廃人同然だったからな。はは。
気が抜けちゃった…。 話し合う前から、絶対に否定されると思ってたから、法に触れる事するの前提で 「顔をあわせる日は、平和な生活最後の日」って思ってたのに。
なんだか、なぁ。
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<79> 太郎 |
■2004年03月01日 月曜日 17時06分58秒 |
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もえつきたなぁ。本当に疲れた受験生活。親はわからないだろうなぁ。偏差値戦争がどれだけつまらないか。意味がないものか。燃え尽きた人間が面接に受かるわけがない。
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<78> mai |
■2004年03月01日 月曜日 09時49分50秒 |
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必死で受験勉強して、大学には入ったけれど、もうそこで燃え尽きたようになってしまった。2回生の時、カウンセリングのお世話になり、そこでは続けられないということで、精神科受診を勧められた。 当時のことはあまり覚えていない。ぼんやりしたような記憶・・・ 病院の待合室の空気が、とても淀んで(空気が汚いということではなく)、やりきれない思いがあふれているような印象があった・・ 自分も病人で来てるのに、あー、すっきり爽やかになればいいのになぁーと思ってた・・(実際の人生は、そんな爽やかなものばかりでは、もちろんないのだけれど・・)
学校ではサークルにも入れなかった。とにかく人に関わる・・ということが、とても恐ろしいものに思えてしまったのだ。数人の友人がいてくれたのは、恵みだった・・。入部を勧誘されて、友達につきあって入った部も、続けられなくなって退部してしまった。 原因は、人との関わりに劣等感をもっていて、関係がもてなかったからだと思う。
今から思えば、もうそこに来るまでの人生で疲れてしまっていたのだろう。 だから、できなくても、当たり前、と受け止めれば、また違っていたと思うけれど、当時は、できない自分を責めて、情けなく思って・・・ただ責めていた。それでは心が弱って当たり前だよね・・・
もったいない過ごし方をした・・と、当時をマイナスに思って、封印しようとさえ思っていたところがあった。 でも、親との関係に気づかされ・・・、あの頃こそ、今の自分にとって大切な時だったのでは・・と受け入れられるようになってきたようだ。 自分の一部として、実感として・・
ありがとう、心細くなった時に、同じ気持ちの皆さんに背中を押されてきたからです・・(学生の頃の話は、もうずいぶん前になりますが・・)
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<77> 衿 |
■2004年02月29日 日曜日 00時55分31秒 |
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小学校の同級生で、顔の右半分が歪んでいる子がいた。 目は「あかんべえ」をしたようになっていて、口は無理やり上に吊り上げられているような感じ。 「お母さんのおなかの中にいる時に病気にかかった」「ほんとはすごい可愛い顔だったのに、事故でああなった」 無責任な噂が飛び交っていた。 その子は、バレーボールをやっていて、性格も明るかった。 女の子の友達はいたけれど、男の子は、彼女の事を嫌がっていた。 私と彼女は、男子にバイ菌扱いされている仲間だったのだ。 原因は、多分彼女の顔。 子供は正直で残酷だ。 先生も、男子だけ集めて「そういうことをするのは止めなさい」と注意したけど、誰がそんな話を聞くだろうか?ホントは先生だってそうなるのは仕方ないことだって分かってたのかもしれない。
でも、いじめられながら私も思っていた。 私は努力すれば、なんとかなるかもしれない。(例えばダイエットするとか) でも彼女は、整形したって、完璧に元に戻れるかわからない。 心の中で、憐れむ気持ちと「自分がああでなくて良かった」という気持ちが入り混じっていたように思う。 あのとき「世の中の人間は見た目で判断するんだ」と悟ったような気がする。 だって私もそうだもの。彼女を蔑んでいたんだもの。
時々、彼女のことを思い出すときがある。 あの子は今、どうしているのだろうか。 「中身」をきちんと愛してくれる人に出会えただろうか。
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<76> とら |
■2004年02月28日 土曜日 23時57分11秒 |
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自分のためにまた学校へ行く必要があるかなぁ。シスアドをとろうと思っています。資格があったほうがいいかなぁと思って。過去、高校時代に情報2種を3回滑っています。シスアドはその2種の問題と似ている。過去にリベンジをするべきナのかなとも思う。過去、Kと言うやつがいた。そいつはろくすっぽ勉強しないで(そう見えた)あっさり2種を受かりやがった。俺は一所懸命勉強したが一般教養がぜんぜんだめだった。数学とか。また勉強をしなければいけないです。過去サボった分、もう一回やってみようと思う。
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<75> NAC NAC |
■2004年02月28日 土曜日 20時24分35秒 |
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書き忘れた。 今回もたまたま私は前回と同じ不合格点数だったのだが、セクション分析が違っていた。 私は前回の反省も含め、前回「正解率0%」だった「ワークグループのグループ作業」を「あと80点取るため」と勉強して、見事「正解率100%」を勝ち取ったのだが、容量の変わらない私のしわ寄せは他のセクションに影響して、「数値の書式設定の正解率が0%!」という、またもやありがたくない称号を得てしまった。 ほんとどこかが埋まると、どこかがへっこむ男である。 やはり私がExcel上級をパスするには「最低でも3週間の勉強時間は必要」ってことだ。 早く引越ししてパソコン購入しなければ!!! 時間は待ってくれないのだ。
つづく
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<74> NAC NAC |
■2004年02月28日 土曜日 20時11分54秒 |
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いや〜まいった、まいった。 馬鹿もここまでくれば上等である。
今日私は「Excel上級」と「Word上級」、お昼を挟んで2科目連続で受けて、実力通り両方とも撃沈した。 前者は700点(奇しくも前回と同じ点数だが、内容は違う)、後者は257点! 我ながら「あっぱれ」と言いたい位の点数で、両方足しても1000点に満たないほど「いったいお前この1週間なにしてたの?」って感じで、もはや「酷過ぎる」を超越した結果だった。 私は先週の土曜日から後者の模試を始めたのだが、いきなり100点満点中30点台! 「あっだめだこりゃ。あと1週間じゃ(Excelリベンジもあるのに)絶対受からんわ。両方共倒れになるよりはリベンジだけでもやっておかんとな」 と私は端からWordを捨てExcel1本に絞った。 そしてこの結果。 かなり来た。 私は感触的に「800点台かなぁ?」と思っていたので尚更堪えた。 もう(お昼は)もぬけの殻状態。 私の魂は完全に幽体離脱していた。 みんなにも「生きた屍」を見せたかったくらいだ。 私は久しぶりに現実逃避したくなり、頭の中は午後のテストよりも「温泉行こうかなぁ」とか、「は〜あ。あたしゃ南の島でぷかぷか波に揺られたいねぇ・・・」 そればっかり考えていて、私はWordテキストを捲る気にもなれなかった。 これから起こるであろう私の行為(午後のテスト)は、「絶対ふられる」とわかっていて、敢えて直接ラブレターを出しにいくような「神風特攻隊」ものである。 私は何を血迷ってWord上級も一緒に申し込んだのであろう? 自分のやる気「勉強熱心」は認める。 されど、自分の科目理解度をきちんと、というか、全然把握していない「無謀」なだけだ。 いくら「自分で自腹切って申し込めば一生懸命勉強する」と言ったって、ものを理解・習得するにはそれなりの時間が必要だ。 私の記憶力は人並み以上にいいわけではない。 それも自分には「自宅で学習する」ためのパソコンすらない。 そんな条件で「短期間で合格しよう」なんて、どだい虫が良過ぎるのだ。 現実は甘くないし、「自分の容量にはそこそこ限界がある」ってことを、今回「3勝4敗(+48,000の余計な出費)」で身を持って知らされた。 毎度のことだが、「48,000あったらなぁ・・・・・」 私は確実にソープランドで豪遊するか、安いところで梯子するだろう。 そう思うと私はえらいショックである。 自分の見通しの甘さで50,000がパーだ。 ほんと今回の勉強代は高く付いた。 そんなことを私は反省しながら、それでも午後のテストはやってくる。 もう私はヤケクソ状態で、「どうにでもなれ」って感じでテストを受けた。 難しい。 勉強していない私には余りにも難しすぎて、「問題が何言っているのか?」すら自分でわからないほど難しかった。 それでも12,000自分で投げ捨てるよりは、「少しでも次回に繋げよう。『今回は12,000払って問題の傾向を見た』ってことだ」と自分で割り切って?、「10点でも多く取れるよう」なんとか試験を時間いっぱい受け続けて、なんとか上記の結果になった。 最初は「いいとこ300点くらいかなぁ? 下手したら100点台かもしれないなぁ!」 と私は予想していたので、テスト終了後自分の結果を見たときには、「余りの酷さに」自分で思わず笑ってしまったほどで、不思議と私は落ち込まなかった。 これがExcel同様、Wordも「あとちょっと」だったら、「ものの見事に落っこちた」私の悲しみは2倍、不幸は4倍だったであろう。 そういう意味では、今回私のWordの成績がずば抜けて低くて正解だった。 自然に例えるなら、「室戸台風(Wordの駄目押し)で一気に全部(自分のブルーが)持って行かれた」感じで、あとは「台風一過」「夏の太陽がさんさんと照り続けている」感じだ。 これぞ不幸中の幸い? まさしく「災い転じて福となす」?だ。 これで「全然めげない」所が、今の私のこころをよく表している。 昔の私なら確実に、ここでしばらくゲンナリ来ていただろう。 だけど今の私は違う。 一昨日で私の3ヶ月間パソコンスクールは終わってしまったが、今後3月中に引越しして、「オフィス・プロフェッショナル」付きのパソコン(たぶん「デル」?)を購入して、きちんと勉強時間を取って、3月後半から6月に掛けて再度合格するまでチャレンジする。 もちろん「アクセス(データ処理)」もだ。
「鉄は熱いうちに打て」 だから私は、というよりは「私のインナーチャイルドが勉強したがっている」感じである。 ほんといいことである。 お母さんも応援するからね。 一緒に勉強しようね。
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<73> 太郎 |
■2004年02月25日 水曜日 17時47分28秒 |
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誰も俺の言うこと、する事は無視された。学校に行っているだけで目一杯だったのに、「学校に弁当を食いに行ってるだけか」といわれ、成績という名の「結果」だけ求めらるただの奴隷だった。馬鹿な学生だった。学ぶ意味のない学校生活だった。
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<72> 太郎 |
■2004年02月24日 火曜日 16時56分26秒 |
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学校(中学、高校、大学)時代、友達無し、彼女無し、家族崩壊寸前、やりたい事、やりたい仕事無し、ストレス大有り、嫌いな人間多し、好きな人いない、俺の人生真っ黒、他人憎し、人と比べて自分をいじめるのが快感に感じる今日このごろ、世間一般を無視して、他人の感情なんか無視してきた学校生活をしてきた。これをどう自分で責任をもつのかがわからない。
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<71> ノラネコ |
■2004年02月23日 月曜日 14時58分16秒 |
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高校の時、成績は良かった。先生からも大学の推薦話が出た。 でも、丁度バブルがはじけたし父もリストラされたから進学せずに就職した。
だけど今、弟が大学に進学しようとしている。 奨学金をもらってるから、まだ何とかなるのかもしれないけど、遠くに行くから、その下宿代など馬鹿にならない。 そのために、私の結婚式に両親は一円も出さなかった。 「今の時代、大学くらい行っておかないと」という母の言葉が胸にずっと引っかかっていたのに気付いたのは、先日メンタルクリニックに行ったときだ。 私は最初の仕事を辞めて、以来ずっと派遣でやっているのは、「大学を出ていなくて就職先がないから」なのに。 私や姉の時に「高校卒業したら自分でやっていけ」と冷たく言い放った(放任主義と言っていたけど)のに、この態度の違いは何だろうと思う。 やっぱり男だから、なのか。 男だから、大学にいかなければいけないのか。
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<70> NAC NAC |
■2004年02月23日 月曜日 12時40分28秒 |
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ごめんなさい。繊維じゃなくて「戦意」でしたね。 うっかりミスには気を付けます。
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<69> NAC NAC |
■2004年02月20日 金曜日 19時30分58秒 |
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悲しいかな、私の予想はものの見事に的中してしまった。 そう、自分の勉強不足で「2回目の不渡り」を発行してしまったのだ。 「1000点満点で最低合格ライン780点」を下回る700点で、私は試験に落っこちた。 残念だが仕方ない。 今回は明らかに自分の勉強時間配分ミスによる勉強不足が主因だが、以前自分が「Word一般」試験に初めて落ちたときほど私は落ち込んではいない。 あの時は模擬試験でも私はそこそこだったので、「よもや」という感じでショックも大きかったが、今回は模擬試験からしてボロボロだった。 「こんな勉強不足で試験受けちゃっていいの?」と自分で疑うほど私の模試は酷く、100点満点中5,60点台がざらだった。 やりながら自分で「はぁだめだこりゃ。あと2,3日は勉強する時間が欲しいわ」と端から繊維喪失状態だった。 だから試験終了後「大体600点台くらいかなぁ」と踏んでいたので、ショックも少ななかった。 試験結果700点は私の今の実力からいっても妥当な数字である。 試験に「棚から牡丹餅」はないのだ。 だから試験の点数はきちんと自分の勉強量を表している。 模試で9割以上取っていないと本番では覚束ない。 今回の結果は「もっと勉強しなさいよ」という神様のお告げであろう。 それにしてもまた\12,000近く私は溝に捨ててしまった。 ¥12,000あったら・・・ 私は間違いなく風俗に直行するだろう。 それくらい今の私は性に飢えている。 まっそんなことはどうでもいい。 それに私は風俗なんか入っている場合じゃないのだ。 また月末28日にも「Excel上級」リベンジと「Word上級」試験が控えているのだ。 明日と明後日の午後、私はみっちり勉強して今度こそ絶対パスする。 お金と時間は大切なのだ。
それにしてもセクション「ワークグループでのグループ作業」の正解率が私は0%だった。 テストでも実社会でも「グループ作業が苦手」な私であった。 ちゃんちゃん。
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<68> NAC NAC |
■2004年02月19日 木曜日 17時34分35秒 |
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明日のExcel上級試験はマジやばそうだ。 2回目の「不渡り」発行かもしれない。 くそー、うちにProfesyonal(綴りが間違っているかも)内臓のパソコンあったらなぁ。 でもそんな言い訳は試験のプラスにもならない。 明日私はこっそり隠れて勉強しよう。 なんまいだぶ、なんまいだぶ・・・・・
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<67> NAC NAC |
■2004年02月16日 月曜日 12時44分18秒 |
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2/13の「POWER POINT総合試験」 私は無事合格した。 1000点満点中、850点ちょっとだ。 ほっと一息である。 が、続けざまに今週末に「Excel 上級試験」が私を待っている。 でもなんやかんやと、私には心地よく忙しい毎日である。 今週もいっぱい勉強しなくちゃね。
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<66> ること |
■2004年02月15日 日曜日 15時24分29秒 |
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中学が今の自分の支えになってる。 中学の思い出が無かったら生きて来れなかった。 そう思って生きてきた。 でもいい事だけじゃ無かった。確か。 いじめられることで逆に目立ってクラスで人気者だった。 人気者だったせいか思い出は出来た。楽しかった思い出はある。 でもそれと同じぐらいいじめられた経験を持っている。 中学のみんなにはいろんなことで感謝していると思いこんで生きてきた。 でも楽しい思い出といじめは区別しなくてはいけないのかもしれない。 思い出すとボケたときのツッコミとかにも愛情があるのと ただ思いきり蹴りたいだけというのがあった。 自分は中学でいじめは無かったそう思って生きてきた。 でも違う。中学のときはいじめられていたと思って生きてた。 学校が楽しい毎日もあったけど行きたくない毎日もあったこと忘れちゃいけない。いじめられてたんだよ自分。その部分もちゃんと見てやんないと。
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<65> 衿 |
■2004年02月11日 水曜日 15時19分48秒 |
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でも、一人だけ、感謝したい人はいる。 高校1年の時の、担任。 第一志望に落ちて、滑り止めに受けた学校に通うことになったあたしは、何もかも面白くなくって、ある日、学校をサボった。 自分で「今日は休みます」という連絡を入れたのだが、当然担任にバレて、帰ったら親に叱られた。 翌日、学校に行くと、担任は「お前何処行ってたとや」と笑って言うだけで、その後おとがめはなかった。
生徒指導室に呼び出されるとか、放課後面談とか、そういうことがあってもおかしくないはずなのに。 ぐちぐち説教を覚悟して行った私は拍子抜けした。
その当時は、あまりそいつのことも好きになれなかったが、今では、あの処置はとてもありがたかったと、感謝している。
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<64> 衿 |
■2004年02月11日 水曜日 15時14分12秒 |
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先生という人種が、どうしても信じられない。 小学校2,3年の時の担任は、ヒステリックな女教師。 信じられない量の宿題を出し、夜中までかかって毎日こなさなくてはならなかった。 少しでも悪いことをすると、すさまじい勢いで怒られた。 「私が前にいた学校の子はこんなことはしなかった」 それが口癖だった。だったらウチの学校にこなきゃいいじゃない。 延々と続く担任のグチにうんざりしていた。
中学1.2年の時の担任。 若くて、メガネで小太り。あだなはガチャピンだった。 ちょっとオタクだったけど、授業中にゲームやマンガの話をしてくれるし、気さくで親しみやすいので、男子生徒には人気があった。 でも、あたしはこいつが一番キライだ。 いじめられていて、クラスで孤立していたあたしを「めんどくせえなあ」という目で見ていた。 卒業式の時、コイツに言われたことが忘れられない。 「お前は対人恐怖症だと思ってたがなあ」 暗に「よく登校拒否しなかったよな」とでもいいたかったんだろうか?分かっていたならどうして何もしてくれなかったんだろうか。 無性に腹が立った。 「先生のこと、大っきらいでしたよ」 笑顔で、こう言ってやりたい。お前なんかだいっきらいだ。
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<63> NAC NAC |
■2004年02月09日 月曜日 01時34分30秒 |
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再チャレンジの「Word一般」試験は無事合格だ。 私はほっとした。 2回も続けて落ちたんじゃ、暗に「お前は馬鹿か?」の目線で皆に見られてしまう。 私の家にはパソコンがない。 だからといって、「自宅での勉強時間が取れない」と言っても、そんなの採点するコンピューター側には関係ない。 採点する側にとって重要なのは「どれだけスキルを習得したのか?」 その習熟度だけである。 とりあえず私の「Word」リベンジは成功した。 次に控えるのは2/13「Power Point総合」試験である。 今のところ(たった1回の)模擬試験では、100点満点中60点代である。 またもや「ヤバイ」状況であるのに変わりはない。 「一難さってまた一難」状態が、今月はあと最低でも4回は続く。 それも「すべて合格したら」の話だ。 落ちたら落ちた分だけ苦痛が先延ばしされ、尚且つ受験料も掛かる。 でもそうして自分を追い込まないと、「学習意欲の低い」自分は進歩しない。 「落ちる・落ちないは、(単純に)自分が勉強した・しないの結果」であって、要は「自分が課題に対してどのようにアプローチしたのか?」 そしてそれは、目標達成の為に自分が取った選択は、はたして適切な方法だったのか? それが自分自身に問われることになる。 「あくまで自分に原因を求めること」 それが自分を変化させる「キー(鍵)」でもある。
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<62> ななし |
■2004年02月08日 日曜日 13時18分52秒 |
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学生の時部活のキャプテンだった私。何か問題がおこると、私が悪くなくても、私が怒られ、殴られた。教師いわく、そうすることで、皆が悪いと思って部がまとまるから。いつしか私は、自分が悪くないのに、自分が悪いと思うようになっていってしまった。教師に反抗しようと思っても、呼び出されたり、家に電話がかかってきて、説教を何時間もされ、結局自分が間違っていて、教師の考えが正しい、という風になってしまった。私は、部内ではACの中でいうヒーロー役だったのかもしれない。本当の自分をだせなくなった。でも、ある時、本当の自分を出したいともがいていて、卒業してから教師に相談したとき、私はただ、教師に利用されていただけだ、ということを悟った。
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<61> NAC NAC |
■2004年02月06日 金曜日 17時44分06秒 |
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明後日の夕方は、私の「Word一般試験」のリベンジマッチだ。 2度の敗北は許されない。 ここのところの模擬試験で私は100点満点中90点以上ばっかりだ。 そんな私は「今度ばかりは大丈夫」と思うが、油断はできない。 試験時間を有効に使い、慎重に事を進めなくては・・・ 「前科1敗」の私は「学習しない猿」だけには成り下がりたくない。 結果は日曜即日開票だ。
つづく
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Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama. |
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