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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.3
メッセージ数:60件

<60> NAC NAC ■2004年02月02日 月曜日 23時29分33秒
気が付くと「自分の殻に閉じこもっている」自分がいる。
まっ現実には、そうそう四六時中「開きっ放し」ってわけにもいかないが・・・
でもなんである。
もっと自分からアプローチしなければいけない。
せっかく自分の目の前に「自分より素晴らしいもの」を持った人がいるのだから。
自分の目の前に「大好きなお菓子、または美味しそうなお菓子」があって、手を伸ばさない人はまずいないであろう。
と私は思う。
誤解を招きかねない言い方だが、「不倫」とかとは違う。
まっ心が賢い人なら私の意図するところがわかってくれるであろう。
問題はその「アプローチの仕方とタイミング」である。
相手の機嫌を損ねずに、如何にして相手のいいところを自分の中に取り入れるか?
私の尊敬するA.猪木の「風車の理論」とはまた違う。
「風車の理論」は勝ち負けがつく。
だけど「相乗効果」「ギブandテイク」に勝ち負けはない。
なぜなら「共存共栄」だからだ。
「共存」は「依存」とは違う。
「共存」は、お互いが精神的に自立した者同士が築いていく関係。
「依存」はその逆で、(片方、もしくは両方が)精神的に自立できない者同士が歪んでくっつく、または無意識でくっついてしまう関係。
自ずと前者と後者の意識は違う。
「支えあう」と「依存」は違うのだ。
私にも上手く説明できないが、「違う」のだけははっきりしている。
逆にはっきりさせないで、曖昧なままにしておくから「嗜癖」に繋がるのであろう。
「無意識でも意識でも、相手を利用する」ところが時々自分で見受けられる私は、もう少し「相手にギブ」を与えなければいけない。
「愛情の出し惜しみ」を、私はしてはいけないのだ。
「50:50」
それに近づくことが私が理想とする「人間関係」である。
「30の私にもできること?」
それを明日(正確には今日)から意識して探していこう。
「意識する」
「鈍感な」私はまずそこからである。
自戒、自戒。
<59> とら ■2004年01月28日 水曜日 19時02分58秒
高校3年生の時、いじめにあった。集団無視だ。今でも、時々思い出して苦しくなる。似たような状況にあうと心が苦しい。まだ続いているみたいだ。
<58> NAC NAC ■2004年01月27日 火曜日 21時02分42秒
お馬鹿な私は、またもや書き忘れてしまった。
試験当日、私の知り合いも6人ほど試験を受けたが、WORD一般とExcel一般の両方受けたのは、私とWさんの2人だけだったみたいである。
他の5人は「WORDと単純に比較したら易しい?(と先生が言っていた)」Excelの方しか受験しなかったみたいだ。
「1個1個片付ける」
それが普通の人?には賢い選択かもしれない。
Wさんは私の通うスクールでも賢いほうだ。
いや賢い。
賢くなければ、両方は受からない。
それだけははっきりしている。
それに比べて私は並である(と自分では思っている)。
にも拘わらず、「自分は実力以上に熱意だけはあった?」ってことだろう。
「愚か者、失敗して身のほどを知る」ってことだ。
まいった、まいった。
とにかく私は、2/8にWORD一般をクリアしよう。
その為にも明日からまた勉強だ。
よしよし。

私は、このぐらい学生のときも熱意があったのならなぁ・・・
後悔先に立たずである。
<57> NAC NAC ■2004年01月27日 火曜日 20時43分57秒
WORD一般試験に落ちた影響で、私は昨日今日と模擬テストを10回前後やった。
そんな私の平均点は、100点満点中90点前後である。
が、所詮自分で何回もやった模擬だ。(ランダム試験)
取れて当たり前。
逆に95点以上じゃないのが、自分が「勉強が足りない」証拠でもある。
テストじゃ合格点をクリアすれば、誰も文句は言わない。
単純に「おめでとう」である。
だが、会社ではそうもいかない。
書類は常に100%が求められる。
自分がちょっとした不注意でミスしただけでも、上司の叱責が飛ぶ。
叱責だけならまだいい。
時には「誠にありがたい」嫌味さえも付いてくる。
「おまえは小学生かぁ? 小学生でもこんなミスはしないぞ」とでも言いたげな、上司のあの目線。
お〜やだやだ。
思い出したくもない。
が、相変わらず私は書類のミスが多い。
か、書類作りに人並み以上に時間が懸かってしまう、のどちらかだ。
たまに私は意気込んで、人よりも先に提出することもあるにはあるが、いい結果だった例はほとんどない。
大体は同僚の仕上げ具合を診てから、私は自分の書類整理に取り掛かる。
まぁそれだけ「自分は書類整理に自信がない」ってことで、お恥ずかしい限りだ。
単純に「自分にはその手の能力が欠けている、または足りない」というだけだ。
だから私はこうして勉強している。
というよりも、「必要に迫られて勉強させられている」といった表現のほうが、自分には適切だ。
なぜなら私は、この年になっても「仕事<遊び」な独身貴族?だからである。
「いったいおまえはいくつになったんだ?」
と、私は自分で自分に言ってやりたい。
だから私は、WORD試験に1回で合格しないのだ。
いい年して、受験料1万いくらの価値が、私はわからないのである。
もし私が本当に金銭的に貧しかったのなら、それこそ死に物狂いで「落っこちないよう、受験料を無駄にしないよう」勉強したであろう。
だが、そんなのは所詮言い訳であって、要は環境ではない。
自分の意識の問題である。
だから私はリベンジを果たすべく、今日、2/8に試験の予約を入れてきた。
他にも13と18、28日にも、計4科目分の予約を私は入れてきた。
単純に52,000円前後の出費である。
セコイ私は、何が何でも元は取らねばならない。
5万円分落っこちたら・・・
私は本当に「努力しない馬鹿」に成り下がってしまう。
だから自分で自分を、「勉強する意欲がある」うちに追い込むのだ。
「鉄は熱いうちに打て」
を、私は地で行っているに過ぎない。
私が講演を聴くI氏も言っていたが、「人間の熱意は1週間で冷える」そうである。
仰る通りである。
私はそうした「自分の意志の弱さ」を、今まで数え切れないほど経験してきた。
「30代の人間が持つもの、または磨かなくてはいけないもの」
そうしたものを、遅ればせながら私は学んでいかなければならない。
世間は非常だ。
一歩社会に出たら「自分はACだ」なんて通用しない。
大事なのは「ACである自分が、そんな社会の中でどう活きていくのか?」である。
なんとも自分には厳しい世の中である。
でも裏返せば、それだけ自分が「甘ちゃんだった」ってことでもある。
自戒、自戒。
自分はいろいろ勉強しなくては。
なにせ明日が待っているのだから・・・
<56> シャローナ ■2004年01月27日 火曜日 19時40分49秒
学校なんてもっと適当に気楽に行っとけばよかったな
<55> ななし ■2004年01月25日 日曜日 19時58分43秒
中1から中3まで部活の先生にノートを提出しなくてはいけなかった。自分の意見や感想を書いたけど、それはおかしい、というようなことが赤ペンで書いてあって、先生の意見が正しいんだ、って思わされた。子供だったから、いろいろな意見があるっていうことがわからず、自分の感じたことは間違っていて、先生の意見が正しいんだ、って思うようになっていった。その後も、学校での呼び出し、電話などによって、先生の意見や説得により、マインドコントロールされていき、先生の考え方が一番素晴らしいんだ、っていうところまでいってしまった。
<54> NAC NAC ■2004年01月25日 日曜日 17時30分13秒
気分は「ガチョビーン」である。
忌まわしき私の「浪人決定」の瞬間を思い出してしまった。
やだやだ、思い出したくない。
私が予備校に通うまでの、あの非常にブルーな2ヶ月間・・・
そう、今日私はWordの試験に落っこちたのだ。
1000点満点中800点未満で・・・
それも8人中私1人(たぶん)・・・
「めちゃくちゃショックー(半泣き)」である。
その私の落ち込みようは、「通天閣から(パラシュート付きで!)飛び降りたい」気分である。
はたして着地する前に安全装置は開くのであろうか?
うぉ〜
試験に落ちた私は、そんなことを考えている場合じゃない。
今回私は、Excelのほうは900点未満で合格したものの、これで2/8の午後に「Word一般リベンジ!」する羽目になってしまった。
余計に\10,250の出費である。
痛い。
財布が軽い私には、非常に痛い。
「くそ〜こんなんだったらもっと勉強するんだった」は、不合格者の常套句である。
よもや、私が使う羽目になるとは・・・
またもや「ショックー(半べそ)」である。
こうなった明日から徹底的にWordを勉強し直そう。
明日・・・
「Kさん、試験落っこちたんだってよぉ!」
何気なく私を遠避ける皆の冷たい視線・・・
うわぁ〜
やめてくれ〜
これでしばらく私は、合格するまで肩身が狭い思いをしなければいけない。
それも「勉強しない自分が悪い」せいで。
非常に痛い「自業自得」である。
「自分で『一寸先は闇』を体験する」ような環境を、自ら見過ごしてきてしまった。
愚か者のすることはいつも一緒である。
「後悔先に立たず」だ。
なんてお馬鹿さんなんだろう、私は・・・
はぁ〜
私はこんな気持ちで自助グループ出るのか〜
だめだ、いっぱい吐き出そう「このブルーな気持ち」
「今回のWord一般試験に私は不合格だった」
その事実は何も変わらない。
大事なのは「次に合格すること」である。
でないと私は、ほんとに「お馬鹿さん扱い」される可能性は非常に高い。
「自分で自分のことをアホ」は認められても、「努力しない馬鹿」の烙印を、自分で自分に押すのは精神的に非常に苦痛である。
そうならないためにも明日から勉強だ。
「見返す」
「試験に落ちた自分を見返す」
そう思って、
私は絶対に次回のWord一般試験に何が何でも合格する。
勉強する。
ただそれだけだ。

はぁ〜
今日私はAさんに慰めてもらおうかなぁ〜
私が落ち込んでいるこんな時に、「支配したがる」女王様は、いったいどんな言葉を私に対して、お使いになられるのか?
なんとも嫌な予感がする・・・
不幸は続くのだ。
<53> NAC NAC ■2004年01月24日 土曜日 20時03分44秒
明日は「マイクロソフト オフィス・スペシャリスト」の試験だ。
ちなみに私の受験科目は「Word一般」と「Excel一般」の2科目である。
それに合格(終了後即判定)できたら、2/5or28に上記各「上級」と「パワーポイント」と「アクセス」も、私は受ける予定でいる。
なにはともあれ、すべては明日だ。
なのに、こんなところで油売っていてもしょうがないのだが、
私の家には、驚くなかれ、今時パソコンがない。
このご時世に「天然記念物」ものだ。
だから私は、今日の夕方17:00〜18:00まで「模擬試験の復習」をやってきた。
Wordが94点、Excelが93?点だった。
私にしては「まあまあ」である。
でもその問題はもう2、3回やったのだ。
記憶力が悪くなければ「取って当たり前」の点数で、95点以上じゃなかったのが情けない。
ちなみに私の、Wordの初模擬テストは39点だった。
93点ではない。
「39点」である。
私が教育ママなら「学習能力のない我が子どもに、我が家の玄関を跨がせない」であろう。
それこそ「とっとと、勉強し直してこい!」である。
それは別な意味で、「強制寄付金?」の某W実業校の校長にも言えるだろう。
あのコメントが笑える。
「『寄付金をしなければ入学させてもらえない』そういう疑念をもたれる方もいるかもしれない」ときた。
疑惑の苦し紛れとしては「最高」だ。
さすがWの校長。
頭がいい。
言い訳も絶好調だ。
だけど彼には「世間並みの常識の一部」が欠けているのかもしれない。
私が受験生の親なら「350万で、我が子が(苦労せず)あのWに入れるなら・・・」と、まず考えるであろう。
考える、考えないは「お金が掛からない」自由である。
実際に私がそうするかどうかは、私がその場に立ってみないと何ともわからないが、私の年収が2,000万を越すなら、私はまず間違いなく「寄付して合格を確実なものにする」確立は非常に高いであろう。
逆に私の年収が800万以下なら「寄付で350万なんて、とんでもない!」である。
所詮「稼ぎが少ない人には無縁の話」ってことなのか。
は〜やだやだ、貧乏人は。
そういう私が「いくら嘆いたところでお金にならない」ので、嘆くのはやめよう。
私は「建設的じゃないこと」はしたくないのだ。
話は戻って、
そういうわけで私の書き込みはほとんどネットカフェからで、お金が掛かってしょうがない。
だから「アパート借りて、パソコン買って、Aさんと同棲しようかな〜」と、私はAさんにまだ何にも話していない(根性なし)のに、もう私の中では腹が決まっている。
来週から、18:00以降、私は一人で不動産巡りだ。
2月の第2週目までには、私は新居?に落ち着きたい。
一応明日のAさんとの懇親会?で、私はAさんの意見を聞いておこう。
それも彼女の「温度感知センサー付き!怒りの地雷」を踏まないように、言葉選びはAさんの顔色伺いながら慎重に慎重を喫して・・・・・
明日の今頃、私の運命やいかに!
私は試験も無事クリアして、(Aさん)「私も遊びにいっていい?」とくるか?
不合格の上に、「何で私に相談するの?」と、いきなり女王様の理不尽爆発か?
なんか私は嫌な予感が・・・
いけない、いけない。
人生、物事は前向きだ。
アパートのことは、試験に合格してから考えよう。
Aさんへの対処方法はそれからでも遅くない。
は〜くわばらくわばら。
今はっきりしているのは、明日の自助グループでも「私は泣く」「人前でも泣く」
それだけは最近私の中ではっきりしつつある。

つづく
<52> シャローナ ■2004年01月23日 金曜日 21時43分07秒
学校というところは、今思えば私そのものではあってはいけないと教えた場所に思う。だから私は私自身であるたびに自信を失っていった。恥を感じていった。自分はダメでおかしいと思うようになった。自分を隠し偽るようになった。勉強でいい点をとれば評価される。だからそれにしがみつくしかなかった。そんなのは一時的なものに過ぎなかった。そういう学校と親がタッグを組んでいたようなものだから、私は学年が上がるに連れてどんどん自分から離れていき自分が誰なのかわからなくなってしまったようだ。
<51> NAC NAC ■2004年01月22日 木曜日 20時58分23秒
講演なので、「学校」にした。
同一人物(Iさん)の毎週木曜、3回シリーズである。
今日はその2回目だ。
もうあと1回しか話を聴けるチャンスはない。
非常に忙しい方なので、こうした機会は「感情鈍磨の」私には非常に貴重である。
なぜなら、Iさんは(私よりも5歳ほど年上であるが)、その私との年齢差以上に、私よりも多くの人と出会い、私よりも多くの人の信頼を得、それ相応の実績を残しているからである。
素晴らしい。
もう単純に「すごい」 
だ。
私ごときが言うのもなんだが、「人と会う」のは、まぁなんとかなる。
会うだけなら・・・
でも、他人の「信頼」を得るのは非常に難しい。
ちょっとでもミスれば、すべて気泡と化す。
それだけ「信頼を得る」ってのは、他人に対して非常に神経を使う。
逆を言えば、細かい気遣いをし、配慮に配慮を重ねていくから得られるのだろう。
他人にあまり信頼されない、または「信頼されるよう」自分の内面を磨いてこなかった「精神的に大人でない」私には、その点では非常に耳が痛い。
だからこうして自分で自分に「おまえはどうなの?」と突っ込むわけだ。
他人は誰も突っ込んでくれない。
自分の内面は自分で探っていくしかないのだ。
それも時々、こうして人の力を借りて。

Iさんの話はお馬鹿な私でもわかりやすい。
話を聴きながら自分の感情が入っていきやすいのだ。
こ難しい話を「こ難しく」話すのは誰にでもできる。
その聴きなれない特殊な単語である「各業界専門用語」さえ知っていれば・・・
でも「こ難しい」話を、いくら素人、または自分の専門分野以外、そして同業界で自分の専門知識以下の人に話したって、当然聞き手側の知識なりイメージよりも、話し手側のほうが先に行っているわけだから、受け手側が想像し難くて当たり前だ。
もし、私が自分のインナーチャイルドと会話できなくて、先行く人に「インナーチャイルドと会話するのって、いったいどういう感じなの?」と聞いて、その人に答えてもらったところで、「自分で経験していないからなかなか想像し難い」のは自分でも想像できる。
それは、(自分には)ほとんど感覚の問題?だからで、
問題は、「自分がそれをどうやって相手の意識なり感情に訴えるか?」
「いかにして相手のイメージを引き起こして、膨らませるのを手伝うか?」だ。
私は野球は下手糞だが、いくら野球をやっている人でも、長島茂雄氏の話を聞いて「よしわかった」という人は稀であろう。
なぜなら長島氏は、「感覚」「感性」という自分の言葉で喋っているからである。
彼と同じ「感覚」「感性」、または同様の実績を残した、または残しつつある人でないと、あの独特な感覚表現は理解し難いであろう。
逆に、単純に比較してはなんだが、王貞治氏のほうが、まだ(私のような)素人にもわかりやすいだろう。
「(自分の理論理屈が通じ難い?)相手の感覚・感性には、同じように、自分の感覚・感性で応えるしかない」のだ。
話が横へ逸れつつあるので、もとに戻るが、
「相手のことも考えて、相手にわかりやすく、イメージを掴みやすく(ここが重要)」話すのは、それだけ話し手にとって大変であり、同時に話す前から「既に相手を気遣っている」ということになる。
誤解を招きかねない言い方でなんだが、別に私は「長島氏が王氏と比較して、相手を気遣っていない」と言うのではない。
ただ「ピカソ同様、分野は違えど『天才と呼ばれる人の感性』は、私のような凡人には理解し難い」というだけだ。
王氏のそれだって「100%相手に伝わる」わけではないだろう。
し、どだい「相手の話が聴ける」人は、「最初から100%なんて望んでいない」のではないだろうか?
「人の話が聴けない」私には「どうやったらお互いの意思疎通が量れるのか?」よくわからない。
あくまで想像である。
が、「相手も自分も気遣っていない」よりは、「相手も自分も気遣うほうが非言語的にも伝わるのは確か」なのは自分でもよくわかる。
ただ、その基本となる手段を、私は「機能不全家族」で学んでこれなかったのだ。
自分で学んでこれなかったのは、自分で学び直せばいい。
ただそれだけである。
自分の学習意欲は誰にも邪魔できない。
本人の「もう一度(「私はこれ以上不幸を引き摺らない」よう)学び直したい」意欲だけである。
ちなみに?、私は今日も週1でカウンセリング(これで、かれこれ単純計算で28回くらい)通って、「あ〜でもない、こ〜でもない」とカウンセラー相手に勝手に喋っているが、それだって、なかなか「自分の感情全て」カウンセラーに伝わるわけではない。
それでも、自分のカウンセラーには「大筋で9割以上確実に伝わっている、または聴いてもらっている」と、自分では勝手に思っている。
残りの1割は、
・単純に「感情鈍磨の」自分の「感情を適切に表現する」ボキャブラリーが少ない
・自分の感情と言葉が一致していない
・自分が出す単語なり、感覚の認識の深さ?が、私とカウンセラーでは微妙に?食い違っている?ところがある。し、カウンセラーはどんなに私の話を聴いてくれたとしても「カウンセラーは私ではない」ので、微妙な誤差はあって当然だ。
だから「そんな誤差」は、今の私にはどうでもいい。
今の私は「大筋6,7割で、カウンセラーに自分の感情を聴いてもらえればいい」と思っている。
逆を言えば、それだけ「自分で自分の感情を聴けるようになった!」ということであろう。
し、「自分の感情の『肩の力』が抜けつつある」証拠でもあろう。
それもこうして、「自分の脆い感情を他人に害されない」安全な場所で、「自分の感情の湧きあがるまま」書き込んで、自分で自分の感情の流れを、起伏を読み返し、改めて「自分の感情に肉付け」して、フィードバックするからであろう。
「相手の感情を揺さぶり、イマジネーションを引き起こさせる」テクニック。
それはお互いを理解するのに役立つ「コミュニケーションの壷」と置き換えてもいいだろう。
そういう諸々を、今日私はI氏の講演から感じた、学ばせてもらった。
それだけで「感謝」「感謝」である。
は〜よかよか。

中国語で「感謝」は何と言うんだったかな?
そういう教養も、私は身に付けたほうがいいだろう。
大学のドイツ語はちんぷんかんぷんだった私・・・
<50> hyper ■2004年01月20日 火曜日 22時22分27秒
学校では面白いことなんてなかった。友達はいなかったし、リスカしたら
何も知らない先コウが家に電話して、親に育て方が悪いだの、なんだの無責任
なことぺらぺらほざいた後、私に死ねと言った。クラスメートに恵まれなかったのは確かだが、先コウが人格までとやかく言う権利なぞない。まだ忘れることができない。もう2年がたったのに。。町であったら顔面殴りつけたい。
<49> 太郎 ■2004年01月20日 火曜日 17時31分39秒
学校時代は楽しくもなかった。友達もいなかった。成績を争うパワーゲームの連続だった。負ければ親になじられ、先コウには馬鹿にされ、知っている名前のやつから白い目で見られ、誰も助けてくれる人はいなかった。これといった学校の話題は家では一切言わなかった。言えば殴られるから、蹴られるから、飯抜きにされるから、自分を守る為に学校の話題は言うことができなかった。もちろん家のことは学校では話題にもしなかった。全部筒抜けの町でプライバシーもなにもなかった。人間不信、親不信、それだけだ。
<48> なな ■2004年01月12日 月曜日 05時38分04秒
嫌な人達が居た。
あの時期が人生の中からなくなればどんなにいいか。
彼女達のせいで人間不信になり、女は嫌いになった。
今でも、いわゆる「女のコ」は嫌いだ。
世の中に友達なんて要らないと思った。
人に、本当の自分なんて絶対に見せないって思った。
つけ込まれないように。
<47> i ■2004年01月07日 水曜日 19時01分59秒
学校時代は最悪だった。親との戦い。学校との戦い、塾での戦い、受験の戦い、でんぶ負けてしまった。俺にはなにもない、努力した結果も、友達もなにもない。
<46> まんまる ■2004年01月06日 火曜日 05時41分34秒
学校って所は時代が違う事もあるが、
親となって向き合うと、自分の子どもの頃より耐えられないことが多い。
今の子達はよくやっていると思う。
辛い気持ちの受け止め方ってマニュアル化してるし、
すごいコントロールしてる。
成績が良いか、友達はいるか、親に感謝しろ・・・。
懇談会のたびに反吐が出る。
「私達のためにご飯を作ってくれてありがとう」
「私達を生んでくれてありがとう」
なんて強制されて、個人の心の奥の領域まで踏み込んでくる。
あんなに頑張ってるのに「もっと、もっと」とせかされて・・・。
うちの子どもはやることさえ怯えてしまった。
流れに取り残されないように、疑心ながらも追い立ててしまったから。
<45> まんまる ■2004年01月05日 月曜日 13時58分17秒
うへっ、もうすぐ学校が始まる。
またあいつらと付き合うのか・・・。
「人間」の感覚無いよな、教師は。
子どもの心を壊しても、なんとも無いんだから。
せっせと、機械のように動いてる。
自分のプライドを守るために。
子どもの心は、みる気もないね。
こんな人間に子どもを預ける勇気はまだない。
かといって、せまい懐に閉じ込めておくわけにはいかない。
このジレンマはどうやったら良いのか・・・。
<44> I ■2003年12月28日 日曜日 19時01分06秒
学校に行っている間は、グチを聞いてくれる人間はいなかった。みなたんたんと受験戦争を戦っている姿にあせってしまった。就職戦線もそうだった。おれは人と同じような事ができないと21のとき感じた。そしてものすごく疲れる人生を送っている。
<43> ばろん ■2003年12月23日 火曜日 23時58分28秒
小学校の頃、班の副班長をやらされていた。班長日誌というのを班長と副班長が毎日交替で書かなければならなかった。わたしが書いた日誌の欄に担任の教師はこう書いた。「あなたは思ったことしか書けないボロ班長ですね。」と・・・今でもそれを思い出すとあの教師をぶんなぐってやりたくなる。
<42> まんまる ■2003年12月22日 月曜日 19時56分16秒
教師との会話は疲れる。
宇宙人と会話しているようだ。
人間(子ども)を追詰めていることが理解できていない。
もう、疲れた・・・。
<41> ミミ ■2003年12月18日 木曜日 12時14分28秒
みんなの前で私の頭を出席簿で軽く叩いた教師がいた。顔は笑っていたけど、私に対する憎悪が流れ込んできた。今でも殴りたい。

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This script written by Shintaro Wakayama.