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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.24
メッセージ数:480件

<480> まみ ■2009年04月06日 月曜日 06時47分40秒
ある女子数人からたどたどしい声をからかわれるいじめを受けていた。
中学の3年間ずっと。
それでも周囲から『イジメられている子』と見られたくなくて、
言葉の意味がわからない振りをしたり、愛想よく笑ったりしていた。
そうしている内に、これはいじめというほどの事じゃないんだと、
そう言い聞かせて、辛いよ苦しいよ、と叫んでいる自分の感情を
抑え込んで、なかったことにしていった。
そうやって自分をごまかしてきた。
でも、今はそのせいで、
必要以上に相手に好かれようとして神経をすり減らしたり、
微妙な話し言葉のニュアンスを理解できなかったり、
自己主張が上手くできなかったり、
自分が何を感じているのか、何を思っているのかが、
分からなかったりする傾向が強まってしまっている。
私は今、あれは立派ないじめで、
私は苦しかったんだという事実を認める。
こんな話をした時に受け止めてくれるような親もいなかった。
あの時の私は無力で、黙っているしかできなかった。
でも私は何も悪くないし責任も一切ない。
悪いのはストレス発散目的でからかってくる相手だけだ。
あいつらを憎くてたまらない、何もしていないのにどうして
こんな屈辱的なこと言われなきゃいけないんだ、と感じることのできる、
ごくごく自然な、怒りという感情。
3年間のうちに麻痺してしまったこの感情を、
私は肯定して取り戻していきたい。
<479> ぺあ ■2009年03月14日 土曜日 21時30分45秒
今日は、何だか、寂しい。
怖かったこと、寂しかったこと・・・
誰かに言いたかったな。
いじめられてるよ、怖いよってお母さんに言いたかったな。
もっと、自分のそのときの思いを、誰かと分かち合いたかったな。
相談できる人欲しかったな。
誰かに頼りたかったな。
誰もいないと確信してたけど。

神様、いつか、耳に虫を入れた、あいつのことを、屁の様に思い、どうでもいいと思い、いつか、今を、仲間と分かち合って、そして、面白いことを見つけられる日がきますよね。
罪悪感とか、社会の事とか、仲間の事とか、色々、考えて、気持ちが沈んだりするけど・・・神様、乗り越えられないことも多々あるけども、人を好きになることも、好かれることも怯えているけども、辛い立場にいる人にいつも負い目を感じているけども・・・神様、どうか、大丈夫って言ってください。
悲しい人の話に思いっきり感情移入するけども・・・でも、私は、こう思いたい。人は、皆、アダムとイブで、その人から、その人だけの新たな歴史、が始まっているんだよって。だから、もう、人生を規定しないで、歳上の人の苦労話に怯えないで、笑って、楽しく、いる、人を見習おう。私も、そうでありたい。
<478> あい ■2009年02月16日 月曜日 00時41分29秒
10代、20代の頃には、心が開かなかった。
友達は学校に大勢いる。弁当一緒に食べたり、おしゃべりしたりした。
表面上は友達。でも心の中の色々悩み、話したことない。
話せると思ったこともないし、話せる人を探そうとしたこともない。
もう、あきらめていた。自分のように家庭でいじめを受けている人なんて、
いそうもないと思った。話すことが辛い、恥かしい、惨め。
それが、私の学校時代。誰もにはなせないまま、だから、本当の友達は、
ひとりも出来なかった。社会に出ても同じだった。
今思えば、私の心が閉ざされていた。親を信じられないのが、人間不信になった原因だと思う。そこから、這い上がるのに、どんなに時間がかかっただろう。もっと人と信じられる、そんな時代がほしかった。
<477> ぶる〜むーん。 ■2009年02月10日 火曜日 21時21分25秒
今でも痛いよ。あの女にされた、いじめ。小学校5年生だった。
もう、あれから、17年もたった。でも、今でもいたいの。いたいの。心が死ぬほど痛いの。女の子を見ると、嫌悪感。子供を見ると、ものすごい怒りが湧いてくる。
<476> ぺあ ■2008年12月07日 日曜日 20時13分45秒
正直に書こう。強者になれた今。私は、仕事もしている。順調に育った大人に見える。でも、心は、かつての子供の頃出せなかった怒りで充満している。どんなに傷ついてきたか、あなたに分かるだろうか。耳の中に虫を入れられても、笑っていた、かつての10歳の私。ずっと苦しみ続けた。笑われながら、されてきた、心の領域を侵され、人形のようにされ続けた、小学校時代。そして、変な親を救わないといけないと思い続けた日々。人を背負い続けた日々。なのに、人に偽善者だと言われた日々。
壊してやるって思う。ずっと、外面は、順調人生を演出し、内側は自傷だけをして時をしのいできた、この二重人生。父の自死で終わったけども。頭おかしいって家族のスケープゴートに大学時代はなった。お前にこれだけ旅行もつれていってあげて、行きたい学校に通わせてやったのにって言われた。そして挙句、就職活動うまくいかないから精神おかしくなったっていわれた。それは、私が、かつての心の傷となったいじめや自分の思っていたことをはじめて手紙に書いて親に見せたことに発端があった。はじめて、自分の思いを外に出したのが、21の時。でも、それさえねじ伏せられた。母にも、これだけ愛してやったのにと言われた。
父が精神的に病気を持っていたことを知ったのは、父が自死してからだった。ずっとずっと、私は、何かがおかしいと思い続けた。そして、世の中の人すべてを私が助けないといけないと思い続けた。自分がどう思うか、どうしたいかなんて、ものは最初からなかった。そして、いつもストレスたまった暴力揮いたくてうずうずしている、子供のわなにはまり続けた。今でも忘れられない、Nさん、M。私の髪を触り、首も触り、性的な嫌がらせをした男子を。子供への憎しみ。怒り。私はこれをどこにもって行けば良いのか分からない。
<475> 百士 ■2008年09月24日 水曜日 11時34分07秒
いつもおとなしい私だったが、
明るい子みたいに、先生にフレンドリーに話し掛けた。
それなのに先生は怒った。「言うことがあるでしょう」って。
みんなみたいに接したつもりなので、何が違うのか分からなかった。
合言葉か何かがあるのかと思った。

先生はクラス全員を並ばせ、正しい言い方を一人ずつ言わせていった。
敬語を正しく使えと言う事だった。
はじめからそう言ってくれれば良かったのに。
クラスの子にも敬語を使ってる私が言えないわけないだろ。

最後先生は、「だから一人っ子は責任がないのよ」と言った。
親のことも侮辱されていると思い、この出来事は親にも話さなかった。

このころから、自分はいらない子だと思い始めた。
自分が失敗する度に、親が批判される気がした。
自分なんていなくなればいいと思った。
<474> 花音 ■2008年09月15日 月曜日 03時45分06秒
先生なんて生き物は信用していない。
先生なんて生き物が世の中で一番嫌い。
結局は自分の利益を考えて、
人に物事を教える人間性を持った人間なんていない。
あたしの苦しみをわかってくれない。

派手なやつらばかり構って、都合のいい大人だ。
あたしはだんだん暗くなって、ひねくれて、おとなしい子。
学校が大っ嫌いだった。燃やしてやりたかった。
でもやっぱり「まじめな子」で、できなかった。

学校でなんか、ありのままでいたことなんてない。
家でも、本当の姿でいたことなんてない。

信用できるのは自分だけで、仲間なんて要らなかった。
でも、寂しくて、嫌われたくなくて、
汚い格好をして、破れたズボンを履いて、
知らないことを知らないと言えずに、
話をあわせて、
いつの間にか本当のことを言えなくなっていた。

それでも、嘘をついてでも目立つグループにいたかった。
ダサい子なんかといたくなかった。
常にどう思われているかを気にして、
「いい子」の自分でいた。
それがせめてもの、プライドだった。

仲いい子が誰かと話すのも嫌だった。
とられてしまいそうで。
あたしだけの友達でいて欲しかった。

友達のお母さんは若くて綺麗だった。
デブでチビでオバサンなうちのお母さんとは違った。
自分の家が劣等としか感じられなかったよ。

自分の都合であたしはベンチ。
あんなやつらよりあたしは出来ていた。
あたしは選ばれなかった。

怖かったんだ。
みんなが。

先生、もっとみんなの声を聴いてよ。
<473> mgjkgkua ■2008年09月13日 土曜日 08時52分34秒
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<472> たばさ ■2008年08月15日 金曜日 23時34分04秒
たまたま宿題を忘れただけ。
前に並ばされた。
最後に私が殴られた
「女でもなぐるんだぞ」といった50代教師。

見せしめ。
<471> 真名 ■2008年05月11日 日曜日 23時06分39秒
学校生活は全然楽しくなかった。
もう女子校なんて絶対行かない。
自分で選んだ道を進みたかった。
女しかいないなんて異常だよ。
<470> ぺあ(FB注意) ■2008年04月17日 木曜日 09時59分45秒
私怒っている。
シチュエーションを用意されると断れない。それが私が唯一生き延びる手段だったから。シチュエーションを感じ取って、世間大多数と同じように、もしくは「こうなるべき」方向へ進むこと。
だから、昨日、母親が眠っているところで、布団をかけようとしたんだけども、電灯暗くして、そしたら、テレビで見た、もしくは、ワイドショーの再現VTRで見た、「殺人事件の容疑者心理」の場面とかぶって。
私も殺人しないといけないのかしら?それを上から見ている「期待している目」(=いじめられた時の大多数の私がどんな反応するか期待してみている好奇心に満ちた意地悪な子供たちの視線や、家族の中でこうあるべき、これが普通の存在だと決め付けられた態度、行動から培われたものだと思う)
が、私に、「このシチュエーションだったら、普通そうするだろう。そうすると思った」という風な重圧をかけている気がした。
怒りや色んな思い、隠してきた思いが、ぶわって出てきてしまう。自傷思考が転換して、誰かを傷つける思考になってしまう。
で、殺したほうがいいんだろうか?
なんて。
するわけないけどね。
でも、そういう思考で自分をまたいじめている。でも、怒りの刷毛口を求めても要る。自分が怖くなる瞬間。
ダッシュで逃げるけど。
私、姉の結婚式行きたくありません。今日は、祖母の介護したくありません。自分の気分にいつか従って、自分の身だけを考えて生きてもいいって思えて、そういう日が来ると思う。

私、顔で笑って、本当に「ふつう」を演じて生きてきた。
「ふつう」を背負わされて。
でも、この「ふつう」は、父が双極性気分障害であること、叔父も祖母も。で、一段と強められたものだったんだ。
私が、いじめられた時も、世間からハミにされたときも、高校時代、どうしようもなく罪悪感や自傷でいっぱいになって、高校の教室に行くのでさえ、同級生の視線が突き刺さって、いじめようとしているような、私を変な人っていう目で見られているような気がして・・・父に「人が怖いの」って言った時の、父のすごいものを見るような視線。「人が怖い・・・?」私を怯えた視線で見た、あの父の視線。
悲しかったな。
学校と言う場で散々いじめられて、耳に虫だの、なんだの入れられて、それでも、必死で、その子の方が辛いのだから、私ならば我慢できると思い、ひたすら、相手に合わせて、笑ってきて。
中学校も、入りたくも無い運動部に、友人の誘い断れずに入って、今度は、その子に、ずっと、2人組みの中で、毎日失敗を、「失敗しないでよ!」「ちょっと〜やめてよ」って言われながら、過ごして。

毎日、死ぬ思いで、普通のふりして生きた日々。
ただただ、「普通」を思ってくださればと思いながら、生き抜いてきた日々。
で、高校時代、やっと安全な場に着いたと思った瞬間に、色んな、耐えて耐えて耐えて耐えて、死ぬ思いして、意識を混濁させて、現実世界で来る様々な刺激に心が持っていかれないように、してきた。夢想にふけるのではなく、自傷して、「お前は逃げている」って言われないようにしてきた。

高校時代、ふっと、色んな思いが出てきた瞬間、人の視線が怖くなった。
あの時の父の私を見る目。「こいつビョーキかも」という怯えた視線。

誰もが、私から離れたあの頃の家族の冷たい目。
皆皆。
誰も私にはいなかった。
それが、24歳で、父が自死して、父の双極性気分障害を知って、うちが、なぜあんなに「ふつう」「世間で言うちょい勝ち」「世間並み」にこだわっていたか分かったよ。
姉にはいじめられた時、姉は中学校に行っていて、姉は女子中学校で、ストレスたまっていて、私に「お前の話し聞くと耳が腐る」「死ね」「ぶす」「自意識過剰」
散々言われてきた。
で、「そんな昔のこと忘れた」だの「お前暇かよ」だの、言われる。父のお葬式の時に、なぜか「今までひどいこと言ってごめんね」とか言って、私に、やたらと、頼んでも居ないのに、手が荒れていると、クリーム買ってきたり、貸してやった洋服を戻すときに、ふぉっしょんのアーモンドチョコをつけてきて、手紙まで、ご丁寧に、すごいかわいいのでつけてきて、「いつもお世話になってます」みたいなこと書いてきてんの。
ばかじゃん。

もういらねええよ。
てめえのうざいウェディング姿見なくてせいせいした。
良かったあ・・・・・・・・・・・・・・

あんたの旦那とお二人で、あんたのその自意識過剰生かして、楽しんで、式でも挙げてくれ。100着もドレス着たのに、だれも観客居なくて残念ね。まあ、あんたの鈍感な精神じゃ、私が結婚式行かなくても、1ヶ月もたてば忘れるんじゃない?だって、居ても居なくても同じでしょ?私は、あんたにとっては、「一観客」「私のうっつくしい姿見ている観客」で、後はどうでも良い存在ですもんね。
まあ、もうどうでもいいけど。
私の式にもくるんじゃねえよ。
って言ったら、多分、「お前式も挙げられねえだろうが。相手いねえし」とか言われるな。もう、姉の言うだろう言葉がインプットされているんだよね。そのたびに傷つくの。
彼氏と分かれたときも、私自分の正直な思いを言おうと思ったのに、頭に出てきたのは、「おめえ馬鹿ジャン。おおばかだな。きっしょ〜」っていう姉の言葉だった。
過去に言われた言葉なのに、どこまでも私を萎えさせる。姉。
<469> ぺあ(FB注意) ■2008年04月16日 水曜日 15時32分25秒
 いつか、いじめられた過去を、「そうゆうこともありました」ってなる時がくるのかな?
 どうしても、痛い。
 どうしても許せない。
 皆死ねばいい。
 あいつもあいつもあいつも。

 このとぐろを巻いたような痛みや憎しみは、どこでも手放せないよ。
私は、心の狭い人間なんだろうか?
 悔しい。痛い。今でも痛い痛いいたいいたいいたいいたいいたいいたい。
<468> 真名 ■2008年04月15日 火曜日 05時40分45秒
もし、大学に行ってたとしたら、国文科に入りたかったな。
<467> zpwxwhry ■2008年04月11日 金曜日 18時36分03秒
gtQpnG <a href="http://ispaetdudtud.com/">ispaetdudtud</a>, [url=http://qvscvvjltqfz.com/]qvscvvjltqfz[/url], [link=http://rhxpujrmfeeg.com/]rhxpujrmfeeg[/link], http://mibywoublcas.com/
<466> ぺあ(FB注意) ■2008年04月08日 火曜日 12時08分18秒
いじめられた頃の記憶。
腕を毎日毎日、Nさんに、つめとつめでひきちぎられるようにつねられたこと。
毎日、小学校5年生の頃、その子に頭はたかれて、腕もつねられて、皮がむけてしまって、毎日「ばか」だの「チビ」だの言われていた。マラソン一周他の子よりも遅ければ、「遅い!お仕置き」って、またつねられた。
あの頃、私、あまりにも、おどおどして、怯えていて、下向いていて、自信なさそうにしていたので、「先生として鍛えてあげる」とか中学の頃も言われていたな。
でも、一番ひどいいじめは、やっぱり小学校5年の頃の、Nさんからの毎日続く、いじめだった。
丁度、その前の年に、父が単身赴任先から、鬱で倒れ、家に帰ってきて、毎日眠っていた。そして、ぶつかっているのかな?その小学校5年の頃、今度は、躁状態になって、髪型を角刈りに変えて、サングラスかけて、母には毎日せせら笑って、オオバカにしていた。「お前は暇人」だの、「ばか」だの、「知能低い」みたいにして。
 ずっと、父が自死するまで、父が双極性気分障害だったってことを私は知らなかった。もう、それから10年もあとのことになるんだけども。
 悲しいのだろうか?
 でも、結局、父にとっては、仕事で認められること。世間から外れない人でいること。人に見下されないこと。が一番大切なことであって。
 双極性気分障害、心の病の社会、ましてや大企業では、ものすごい偏見の目で見られて。
 父が双極性気分障害であったこと、実は、母はうっすら分かっていたけども。父が、それを言った途端に、「俺のことをそんな目で見るなあ!!!」と怒りを爆発させるので、見なかった。誰も知らなかったの。勿論、一緒に住みながら、自分のことにしか興味のない、希薄な関係の祖母も祖父も、自分の子なのに、知らない。兄弟も。
 でも、祖母も叔父も、双極性気分障害なの。叔父のことは、父だけが知っていて、父がお世話していたの。誰も、この家の人は知らない。
 で、結局、うちの父は、自分はそうであることは、死んでも認めずに、いなくなったんだ。
 父にとっては、もしかしたら、社会で認められないこと、偏見にさらされる心の痛みよりも、自死の方が楽だったのかもしれない。死ぬことなんて、父にとっては全然大したことではなかったんだろうか?
 こうやって、生きて。こういう人の下で、影響受けまくって育った、私って一体どんな子なんだろうか?
 
<465> 真名 ■2008年03月19日 水曜日 01時55分36秒
学校には昔から興味がなかった。
友達に会えること?
それくらいしか、興味がない。

どこの学校に行ったとか、レベルがどうとか、内容とか、先生とか、部活とか、校則とか、そんなのどうでもいい。

友達に逢えたことくらいが私にとって意味のあった場所であって、他の面ではほとんど意味を成さない場所だった気がする。

簡単な計算と、漢字の読み書きくらいしか必要ではなかった。
逆に言うと、必要なこと以外勉強しなかった。
あと、好きなこと。
英語は好きだった。

こんな事を書いていると、恩師たちに申し訳がない気がしてくるけど、私のような学校に興味のない者もいるのです。

こんな私だから、大学はやめてよかった。
高校までで十分だったと思う。

まあ、なにはともあれ、中学高校時代の友達は、いい!
あの頃と変わらないまま話せて。
よく知ってるから落ち着くし、楽。
<464> (FB注意) ■2008年02月25日 月曜日 17時55分17秒
学校で私にされたことは、犯罪じゃないわけ?
耳に虫入れられた。毎日ぶたれた。人のイラつきに敏感に反応して生きていて、その態度にまたいらつかれて、ぶたれてつねられた。毎日。それは犯罪じゃないの?子供だからって言う理由で許されるの?私が弱いからっていう理由で許されるの?
 で、私が実習でやったことって許されないの?そんなに私は悪いのですか?
<463> 真名 ■2008年02月19日 火曜日 19時58分32秒
つづき

私は期待やコントロールは嫌だったけれど、純粋に気にかけてほしかった。
学校は楽しいの?とか友達のこととか。
うちの親は全くそういうものに欠けていた。
私なんて興味も関心もないのも同然だった。
お兄ちゃんばかりが部活で試合をしたり、遠征に行ったりして目立っていて、親の関心は兄のほうに注がれていた。
ひどく寂しく、孤独だった。
おばあちゃんだけが唯一私の話を聞いてくれていたように思う。
高校時代は父親と対立したり、母とけんかしたり、とにかく親とうまくいかなかった。
いじめの後に起こった、家庭内トラウマのせいで、私は外の世界や自分自身や大人たちを信じることができず、誰に対しても心を閉ざしていた。
心を開きたかったけど、どうしてもそれができなかった。
理解してくれる人が誰もいないと感じる中で、今思えばよく生き延びたと思う。
今だったら、とってもつらくてやっていられないかもしれない。
若さのせいだったのかもしれない。
いや、少し心を許せるおばあちゃんがいてくれたからかもしれない。
精神科に通いたいと思ったが、親に打ち明けることができず、学校に行くしかなかった。
でも、うつ状態で朝起きられず、夜も眠れず、眠れば必ず恐ろしい悪夢を見たから本当につらかった。
フラッシュバックなど、他のPTSDの症状もあった。
そんなわけで、学校はたびたび休み、わざと遅刻していくとか、保健室に通うとか、他の子たちから見れば奇異な行動をとっていたと思う。
まだ精神科の病気なんてほとんど耳にすることのない時代だったからね。
学校には友達が何人かいてくれたけど、心を開けなかった。
でも、私の調子もいつも心配してくれていた友達に、本当に感謝している。
高校でもまったく話せる友達がいなかったら、私は学校をやめてしまっていただろうし、その後の人生ももっと険しいものになっていただろうから。

高校卒業後は専門学校に行ってヴォーカルの勉強をした。
就職なんて考えたことなかったし、自分が何をやりたいかもわからない、自分が何なのかさえ分からない、という状態だったので、とりあえず、その時に一番ピントくるものを選んだ。
親は大反対だったけど。
音大にいく勉強なんてしていなかったのに「音大に行け」なんて無理なこと言っちゃって、うちの親って馬鹿だと思った。
4大行ってほしかったんだろうけど、もうその頃には「親の言う通りにはならない」っていう考えが定着していたから、無理だったね。
だいたい無目的に勉強して何の意味があるの?って思ってたし。
私はしたくないことのためにお金も時間も力も無駄にしたくないと思った。
だから無謀な選択に思われても、自分のしたいことをしたかった。
結局親が折れて専門学校に行くことができた。
カリキュラムに納得がいかなくなって1年で辞めたけど、後悔していない。
まぁ、その後フリーターになって、いろいろ悩んだりして大変だったけど、自分の人生の選択としては間違っていなかったと思っている。
1年間充実した時間を過ごせたし、友達もできて明るくなったし、自分が何なのか少しずつ解り始めた。
まぁ、トラウマを封印してしまったことは自然にしたことだったと思ってるけど、忘れている時間があったことは逆にいいことだったのかもしれない。
今一番好きなことは歌を歌うこと。
歌を歌うと感情がよく表現できて気持ちいい。
<462> 真名 ■2008年02月19日 火曜日 19時21分11秒
小学校時代はまあまあ楽しかった。
学校の友達とはほとんど遊ばなくて、近所の子とか近くに住んでる1つ下のいとこと遊ぶことが多かった。
背は高かったけど、性格がおとなしくて、恥ずかしがり屋で、引っ込み思案だったから、クラスの女の子の輪に入るというのができなかった。
でも、そんなこと気にしないでマイペースだったと思う。
嫌われたということもなく、そこそこ話しかけてもらっていたように思う。
男子とは話しやすかったように思う。

小学校の6年の12月から受験勉強をさせられて、がんばったけど、中学受験は嫌だった。
近所に住む友達と地元の中学に行きたかったから。
父親の見栄で受験させられてしまった。
受かる気なんてなかったから、苦手な算数は6問くらいとばしたんだけど、受かってしまって入った。
嫌だと言ったけど、説き伏せられ一生懸命勉強した。
嫌だったけど、入れられちゃったから楽しく学校に行こうと気持ちを変えた。
今思うと、従順で素直な子供だったと思う。
私は父に利用されたんだなと思う。
でも今ではどうでもいいこと。
運動部に入れとか、相変わらず父は私のことをコントロールしてきて、しかたなくバスケ部に入ったけど、もともとスポーツなんて好きでもなく得意でもない私が続くわけもなく、胃痛がするようになって、程なく部活をやめたのだった。
中2の時にいじめにあい、暗い学校生活になってしまった。
学校を休むことはなかったけど、人を信じることが怖くなったし、自分への評価も下がった。
コントロールされて私立に入ったけれども、学校に入ってからは親は全く私のことに関心を払わなくなった。

高校はエスカレーターで行けたけど、途中父への反抗心が芽生え、反抗したこともあった。
非難され、悲しかった。寂しかった。
高校を他に受験するなんて頭になかったし、そんな気力も体力も残っていなかった
<461> ぺあ(FB注意) ■2008年02月18日 月曜日 15時30分57秒
今日、学校帰りの子供の列に出くわした。
暴力願望が出てきた。自傷と供に、他人を二度とこの世の生き物以外にさせてやりたいくらいの思い。
 許せない。子供。子供時代。どうしても頭が「子供嫌い!」と私に押し付ける。
 暴力願望は、子供と老人と障害のある人だった。
 今はそれほど怒りは来ないけど。でも、子供の姿に涙が出てくる。過去のいじめと、「子供だからからかっているんだよ」とか「子供だからねえ」の一言で済まされる残酷な言葉で暴力の数々。
 姉の子供時代の押し付け、私がいじめられたりからかわれている姿に大うけしていた姉、大喜びでにやついていた姉、「てゆうかお前やられるタイプ、私は絶対にされないタイプ」とか言っていた姉。大喜びの過去の母、同級生、皆。私がからかわれるのが、いためられたり、皆のいじめられ役、いじられ役しているのが、そんなに嬉しいんだっていうくらいの人びと。
 今日ね、習い事行きながら、自助グループもそう、日常もそう、ここもそう、もう変な人間関係で苦しんだりしないこの日常に、私、もうすぐ死ぬのかな?もうすぐ、神様や誰かに「ばかが見る〜今のはちょっとしたいい気分味あわせてやってこれからお前に不幸振らせてやる、大不幸」ってされているのかもしれないって本当に不安になった。こんな日常がくるなんて、あの頃は想像もしなかった。いじめられまくって、姉や母に大うけされて、人になんか大切にされたことなんてほとんどなかった私が。ばかにされたり、卑しめられたり、皆の慰み役になるのは当たり前、こんな風に人間関係に悩まない日がくるなんて、やっぱり私はずるいのだろうか?って思った。
 姉に対して、どういう態度とれば良いのか分からなかった、でも、もう姉のしたことにくどくど言うのはやめた。許せない。子供もそう。子供だから、私にした残酷な数々のこと、もう皆自分の生活で忘れている、子供時代のことなんか、どれだけひどいことしても、「子供だったから」で済まされてしまう過去。
 いつまでも引きずらなければいけない私。
 だから、子供が許せないの、今現在の子供なのにね、本当は怒りの矛先は私にしたあの子達なのにね、今の子供ごめんね、でもやっぱり子供は嫌。いとこの家にいった時、丁度私はまだ実習に行ったばかりで、教育毒に侵されていたから、「子供には優しい場所提供してあげないと、今の子供かわいそうだから、いじめられているかもしれないし、将来の大人になった時に、いい場所だったと思える場所を提供してあげよう」とかいう「救世主願望」で、いとこの友人の中学生に、「こんにちは」って明るく挨拶して、その子に笑いかけて、こんにちは〜って面白がらせて、息苦しい日常に風穴を開けてあげようとしてあげたの。面白いでしょう?こんにちは。このことで、この子の将来が少しは生き易くなるかもとか思いながら。
 変な顔で「はあ?」みたいな風に、いやもっと、気味悪そうに、気持ち悪い〜みたいな目でガン飛ばしされた。無視された。何こいつみたいにね。

 傷ついた。嫌だなって私も思った。子供ってやっぱりすっごい嫌い。多分私はいつもこうなんだろう。息苦しいでしょ?私が何とかそれに風穴あけてあげるわ。私分かっているから。私は分かっているから。そしてこれは世界平和や社会のためにもなるし、この子が大きくなった時も、このこと覚えていて、少し救われるに違いないって思うの。
 勘違いなんでしょうね。
 世の中全員が今の子供が辛いかわいそうっていう思いと、今面白おかしくさせてあげて、将来の思い出したときに、安らいでねみたいな風に思うの私。
 でも、こういう人は皆かわいそう、分かっていない、幼児、私に助けを求めている、私は大丈夫、私は分かっているという感覚は、人への不信感でもあったの。人が皆自死しそうに見えていたの、私。本当はそれは私の祖母であり、父であり、この父方の家の人たちであったんだけども。
 ずうっと、私こういう思いいれでもって生きては、人に「おせっかいばばあ」とか「むかつく」とか「おどおどしていて見ているといじめたくなる、かわいがってあげたくなる」とかいわれていた。
 

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This script written by Shintaro Wakayama.