ここに書きながら、ようやく気がついた。私、子供と一緒に何か活動して、子供を好きにならないといけないって思っていた。 でも、そういえばすべてつまらなかった。先生を目指す学生の中で、私も煽り立てられていたんだ。子供好きって皆言っていたから、それが「人間様」になるには必須だと思い込んだ。 でも、つまらなくて、心のもやが消えなくて、私以上になれなくて、いつまでも「きったないきったない、いじめられてしまう私」のまんまで、そんな私がいつまでもどんなに、似た子供見つけても変わってくれなくて・・・私は私のままだったから、いつまでも姉や母に笑わればかにされ、過去の学校での感じていた評価、そして忘れられない小学校時代のいじめられてしまう私のまんまだったから・・・・きったないきったないっきたないこの世のものとは思えない人間というのが私の自己評価だった。 変わらなかった。その自己評価は、恋愛を無理にしても、子供を好きになろうとしても、過去の見下した場所に大人な顔して行き直しても変わることはなかった。いつまでも私のまんまだった。 くやしかった。はがしたかった。ただただ自分が嫌いだった気がする。いじめをやめて。なぜかいじめられる私の理由をいつまでも大人になってからも、神様に聞いていた。 私は、間違っていなかったと思って、父が自死したとき。そうだったんだ。私の父は双極性気分障害があったんだ。って。いつも助けないとという切羽つまった思いの原因が分かったのよ。 神様、私は一体何に依存していたのでしょうか?父に依存していたと思う。父が自死して、やっと楽になったなんて、なんてゆう皮肉なんだろうか? いじめ。どんなになってもやんではくれなかったいじめは、きっと私の心に痛恨のまんま残り続けるんだろうか? でも、もう、それ以外の世界を持ちたいです。 私の好きなもの、音楽、楽器、映像、外国、食べ物、農業、民俗学・・・文学、色々ある。 そしたら、もう私は違う世界に行きたいです。 父を殺したのは何だったのだろうか?私だったんだろうか?そんなこと言ったら私の父は「ばかじゃん」って言うだろう。「違う」って。 私は、もう終わらせたい。ずっとこだわってきたことや、過去のいじめを、もう受入れたら、「それは過去のこと」って頭の片隅に入れて、今の生活を大切にしたい。そういう生き方を選びたい。もう終わりにしたい。もう終わらせよう、いつまでもこだわっていじめの研究なんかもうしたくない。もう終わらせたい。もう、学校の世界を忘れてもいい。もう、特別思いいれのあるわけでもない子供に「教育しないと」「助けないと私の助けを待っている」だなんていう思い込みから、解放されたい。 ただただ、私の世界を、居心地の良い私の大人になった私の場所を、私は行きたい。それは、もう学校や過去やいじめではないんだ。ましてや助けを待っている子供でもないはずなんだ。
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