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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.23
メッセージ数:460件

<460> ぺあ ■2008年02月13日 水曜日 14時41分04秒
 学校についての研究をしている、本を読んでいる・・・つらい。つらい。つらい。
自分のばかさ加減にも、実習での出来事一つ一つ思い出すことも、辛い。
 そして今の近所の人の目・視線も、過去の3年前の実習の子らの目も、怖くて怖くてたまらない。
<459> ぺあ(FB注意) ■2008年02月12日 火曜日 17時13分37秒
ここに書きながら、ようやく気がついた。私、子供と一緒に何か活動して、子供を好きにならないといけないって思っていた。
 でも、そういえばすべてつまらなかった。先生を目指す学生の中で、私も煽り立てられていたんだ。子供好きって皆言っていたから、それが「人間様」になるには必須だと思い込んだ。
 でも、つまらなくて、心のもやが消えなくて、私以上になれなくて、いつまでも「きったないきったない、いじめられてしまう私」のまんまで、そんな私がいつまでもどんなに、似た子供見つけても変わってくれなくて・・・私は私のままだったから、いつまでも姉や母に笑わればかにされ、過去の学校での感じていた評価、そして忘れられない小学校時代のいじめられてしまう私のまんまだったから・・・・きったないきったないっきたないこの世のものとは思えない人間というのが私の自己評価だった。
 変わらなかった。その自己評価は、恋愛を無理にしても、子供を好きになろうとしても、過去の見下した場所に大人な顔して行き直しても変わることはなかった。いつまでも私のまんまだった。
 くやしかった。はがしたかった。ただただ自分が嫌いだった気がする。いじめをやめて。なぜかいじめられる私の理由をいつまでも大人になってからも、神様に聞いていた。
 私は、間違っていなかったと思って、父が自死したとき。そうだったんだ。私の父は双極性気分障害があったんだ。って。いつも助けないとという切羽つまった思いの原因が分かったのよ。
 神様、私は一体何に依存していたのでしょうか?父に依存していたと思う。父が自死して、やっと楽になったなんて、なんてゆう皮肉なんだろうか?
 いじめ。どんなになってもやんではくれなかったいじめは、きっと私の心に痛恨のまんま残り続けるんだろうか?
 でも、もう、それ以外の世界を持ちたいです。
 私の好きなもの、音楽、楽器、映像、外国、食べ物、農業、民俗学・・・文学、色々ある。
 そしたら、もう私は違う世界に行きたいです。
 父を殺したのは何だったのだろうか?私だったんだろうか?そんなこと言ったら私の父は「ばかじゃん」って言うだろう。「違う」って。
 私は、もう終わらせたい。ずっとこだわってきたことや、過去のいじめを、もう受入れたら、「それは過去のこと」って頭の片隅に入れて、今の生活を大切にしたい。そういう生き方を選びたい。もう終わりにしたい。もう終わらせよう、いつまでもこだわっていじめの研究なんかもうしたくない。もう終わらせたい。もう、学校の世界を忘れてもいい。もう、特別思いいれのあるわけでもない子供に「教育しないと」「助けないと私の助けを待っている」だなんていう思い込みから、解放されたい。
 ただただ、私の世界を、居心地の良い私の大人になった私の場所を、私は行きたい。それは、もう学校や過去やいじめではないんだ。ましてや助けを待っている子供でもないはずなんだ。
<458> ぺあ(FB注意) ■2008年02月12日 火曜日 17時00分33秒
 神様・・・
私もういいかな?もう、すきでもない人を救おうと懸命にならなくても、人は大丈夫ですか?
 そして、いつか、人がどんどん先に行ってしまうことを、大丈夫な自分でいられますか?
 神様、もういいですか?もう背負わなくてもいいですか?
 もう、過去の同級生も、過去の友人も、共依存関係の多い私の人間関係も、もう罪悪感背負わないで生きてもいいのですか?私の空気を吸って、私の好きな、居心地のよい、場所で、自分の今の「居場所」で、私生きてもいいですか?
 そして、いつか、分かりたい。
 子供時代辛かったな。
 お父さんもお母さんも、優しくはしてくれた。でも、それでも、やまないいじめ、辛そうな背中の家族・・・・訳の分からない世界で、必死にコントロールしようとしている私。
 学校という世界。収容所みたいな世界。楽しいことを人工的に作る場所。性格矯正所。「先生様」に「ああしろこうしろ」いわれ、うるさい子供がアイドルで、おとなしい私や他の子は「きもい」の世界。
 そして女の子の嫉妬。エスカレートするいじめ。大人の目では決してわからない、ことごと。息ができなくなった日々。生きることもできなかった日々。いつか、こんな場所から抜けられる日だけを夢見ていた。子供時代。いじめ。学校。子供は怖い。そして、姉に「ああしなさいこうしなさい」と押し付けられる日々・・・。
 さよなら。
 もう終わり。
 気持ちわるい男子に足をつけられたり、髪触られたりしたこともあった。
悲しいことも、自分の中にいれた。相手の気持ちに私も同感した。それしか生きる方法知らなかったから。
 暴力を我慢の限界以上に耐えたために、今度は自分が自傷をし、暴力を他者にしたいしたい欲求ばかりがきた。
 弱い自分を殺した。責めた、いじめた。いじめられたけども、今度は自分もそういうところを必死で壊した。
 でも、今弱そうに見える子に、そんなことしたくない。したい思いは、私が心から傷ついていることなんだ。
 神様もういいでしょうか?もう背負わなくても、そんな学校に執着しなくても、もう忘れて逃げて、自分の世界をただただ行きたい。もう、いいかなあ?もうもう、いいのだろうか?もう学校の子供を救うために奔走しなくても、「裏切り者!」って指差されない?もう、いいでしょうか?生きて・・・いいですか?もう、うそつき、ずるい、お前ばかり幸せになりやがってって誰もこない?もう、いじめっ子を喜ばせなくてもいい?もう、生きてもいいでしょうか?もういいですか?もう背負わなくてもいい?もう「世界中の人が不幸で私の助けを待っている」なんていう思いこみのもと、変な駆り立てられたような、助けなきゃ願望してて、私のことだけ考えて生きてもいいですか?もう、やめようかなああ。もう、終わりにしようかな。もう研究も終わりにしようかな?私生きたいな。もう、リセットして、あんなことばかりに支配されていきるのはいやだなあ。もう学校のこと、子供のこと(助けを待っている人)、いじめられた過去のことに支配されて生きるのはやめたい。もう終わったんだ。父が自死して分かったから、父のことも、父がどれほど嫌な目にあったかとか、人の世の偏見のことも、私も同じ立場にいたら、どれだけの思いをするか?とか分かれないけど、分からないといけない。でももう、学校時代は終わらせたい。皆卒業した、結婚している、子供産んでいる。私も、もう終わりにしたい。いじめられた過去のこと、救わないとと懸命になった研究。でも、どれも楽しくない。子供のことは好きじゃない。特に虐待を受けた子供の家に訪問した時に、一緒に遊んだけども、「猛獣狩りに行こうよ」とか歌ったけども、わるいけど、一時も楽しくなかったから。むしろ、早く帰って本でも読んで、考え事したいとしか思わなかった。そうか、私大学時代もずっと、「子供を好きにならないと」って思っては、子供とのキャンプとかいったんだっけ。つまんなかったな。ほんとに、心の底から、子供といるのはまったくつまらなかったなあ。それを全部私のせいだと、あの頃はよく泣いていた。早く心のもやもやを解消したかった、でもそれが父のことでようやく分かったなんて・・・なんてゆうことなんだろうか。
<457> ぺあ(FB注意) ■2008年02月01日 金曜日 10時39分02秒
 子供が、嫌だ。殺したくなる。だから、ダッシュで逃げる私は・・・。
この前は集団の男の子の、ボールぶつけに出会って、恐怖だった。あの子達の雰囲気、誰かをいたぶろうとする心意気、集団、暇つぶしに、誰かを傷つけて面白がりたいという、思い・・・・・
子供はやっぱりどんなになっても恐怖の対象だ。子供好きに無理してもうならない。子供のあの特有の暴力と、誰かの安全を脅かすところと、まったくの無自覚なところは、本当に本当に私は嫌なんだ。もう、大丈夫って、そこから、出たときに、自分に言ってあげたけども、また、その子たちの餌食になりたい自傷願望も出てきて、しまった。
<456> ぺあ ■2008年02月01日 金曜日 10時35分34秒
ずっと、子供の思いで、大人な役割背負って、変に捻じ曲げながら思っていた。
だから、大草原の小さな家とか、水木しげるの子供時代の本とか読むと・・・あまりのうらやましさに、その人たちが、壮絶な死に方しちゃうんじゃないか心配になってしまう。
 いつも私の根幹には、人は平等だっていう思いがあるんだろうな。不幸も幸福も、どんな人にも同じ分だけあるっている。
 でも実際は違うんだろうなって思うけどもね。
 私はいつも人が心配、好きな人を助けなければという強迫観念は、ものすごいものがある。そのためには、自傷までしてしまう、その「かわいそうな、私助けだけを待っている」人の思い、誰も自分が大切なんだろうという、その人の思いに応えてあげたくなってしまう。
 自分の人生を生きることに、多分私は、親は喜んでくれないっていう思いがすごく根付いているんだ。かわいそうなお父さんやお母さんを守ってあげないとって思っていた。私だけがわかっているって。本当なら大人な、父と母が自分でヘルプを求めないといけないのに、何一つしなかったのにね。全部背負っている心で、私は、まだ子供だったのに。父は自分のプライドのため、母もそうだ。だから、大人の友人や必要な人に助けを求められなかったのにね。なのに、いつまでも責任背負って、罪悪感に苦しんで、自分を生きてはいけないと思っている私・・・・
<455> ぺあ ■2008年02月01日 金曜日 10時29分42秒
学校も、過去の同級生も、過去の教師も、私に関わった全員を許せないときと、でも楽しい時もあったじゃないかという懺悔な思いと、いつも両極端を言っている。
願わくば、もう解放されたい。もういいじゃないかって思いたい。もう、もう、もう、もう、もう、学校時代の辛いこと、教育実習のあのときの恐怖や、担当教員に対しての罪悪感や怒り、恨みは、もうなくなって欲しい。ただただ、私は、実習の時からそうだったけども、大学時代ずっとそうだったけども、ただただ私は、無罪放免になって、誰かにひきずられることもなく、ただただ、のびのびと、自分の人生を生きたいだけだったの。ただただ、膜から出たかっただけなの。でも膜から出られたのは、私の頑張りではなく、父が自死したからだったけども。
<454> かえる ■2008年01月14日 月曜日 11時46分32秒
学校での作文や図画工作で、クラスメイトとは違う自分なりの表現のかたちがあるんじゃないか?って疑問がいつも心の中にあった。なんだか、みんないちように同じで、つまらないと思ったし、それがほんとに自分の個性なのか?他の誰かの受け売りや既製品の模写にすぎないんじゃないか?…真似事はつまらんよ。真似する人にはなりたくない。私の被害者妄想でパクられたと思ったのか?作品を一つずつお互いに持ち、友達と一緒に写ってる写真を見て、嫌な感じがした。さも自分で考えました、別に何て事ありませんって顔の友達の神経を疑った。そして、高校時代、美術系で絵がうまかった二人の友達のことも思い出した。二人ともとても個性的な画風だった。きっと今、その作品を見せられても、私は彼女のものだとわかると思う。私の好きなタッチ、絵じゃなかったけど、彼女らしさが物凄くでていたから、それで十分価値あるものに思えた。…今、あの二人はどうしているんだろう?私は今も二人には絵筆を握っていて欲しいと思う。かわりゆくものとかわらないもの。両方、どちらにも魅力を感じる。
<453> ぺあ ■2008年01月07日 月曜日 13時33分21秒
学校、許さない。焼け付くような怒りしかない。実習なんかいきたくねえよ。がきなんか嫌いだよ。学校でどれだけ心を殺されてきたことか!!!
 その原因をいつも自分に求めていた。でも外野には何にも分からなかった。そう、うちは無自覚なDV家庭。父は双極性気分障害だったんだ。ずっと、父の方を信じていた。ずっと。だから、子供から暴力受けても、この子は精神かわいそうなんだと、ただただその子が自死しないために耐えた。こういうのは、言葉じゃなくて、感覚でしか分からなかったの。でも、確かに弱いおどおどした私に多くの人が漬け込みました。いらいらすんだよ、お前。こいつ、何やってもいいぜ。おとなしすぎます!!あなたは口がないんですかああ!!!お前のせいだ。
 今度は強くなって学校へ帰った。そしたら、他の先生から、白い目、冷ややかな目・・・・。あなた23でしょう?中学生じゃないでしょう?OOOO先生は頭の中でしか生きていませんね。ベールがあって、仲良くなれません。はあああ?はあああああ?おまえらが壊したんだろうが!そして。自分をそのときは責めた。
 ただただただただ、現実を分かりたかった。なぜ私はあれほど、心を乖離させ、麻痺させて、いじめなのかなんだか、分からない悲しみを背負ったのか?あれは、普通の人にもやることなのか?あれは、何だったのか?ただただ分かりたかった。
 でももう分かってしまった
 24歳で父が自死して、分かった。私のこの自信のなさ、おどおど、そして他者が自分よりも数倍も傷ついて、瀕死で助けを求めて、断崖絶壁で世間から外されるから、私のような分かっている子供は、その子の怒りを受けて、全部うんうんっていってあげないといけない・・・・・・
 こういう感覚は、父がこの家の中で私ははぐくんできたものだったのだ。
 ずっとずっと、こういう弱さに子供に漬け込まれ、いじめられ、耳に虫だとか入れられ、そして、今度は、大人にも、多くの悲しみをぶつけられ、結局いじめられ結局お前が悪い、こうしなさい、ああしなさいってお節介なくせに、人を変えることに執着している、先生役のような人につかまってしまっていた。
 それが分かるために・・・・は24歳で父が自死するのを待たなければならなかったのか?
<452> みゅー ■2008年01月07日 月曜日 03時36分47秒
あたしは別に、今じゃなんてことない「語学系」の専門学校行ってました。今は、つぶれちゃってないんだけど。専門学校自体、今は「少子化&皆、大学に進学化」で「カツカツ」らしいの。
おととしぐらいの新聞で、夕刊のヘッドラインに、思いっきり「専門学校 寒波!」って書いてあった。その時には、あたしが通ってた「英語専門学校」は、既につぶれてたんだけど、「あ〜、そういえば卒業してから毎年「¥O振り込んで〜!」的な封書来てたけど、あれシャレじゃなかったんだ・・・。」って思った。

確かに、ぎっちぎちのスケジュールで、バカでも入れる専門学校だったけど、でも、あたしにも、それなりの「夢」ってものはあった。
でも、結局「自信のなさ」や、就職活動しながら「なんだかイマイチ、ピンとこない・・・」って「違和感」みたいなもの感じてた。
「大人」とか「社会人」とか。そういうものに、あたし自身を当てはめようとしても、なんかこう、しっくりというか、「こんなんで、いいのか?!」って気持ちで「あたし」と「社会人」ってものに、ピントが合わなくて「ズレ」みたいなものを、ずっと感じ続けてた。で、今も前ほどじゃないけど感じ続けてる。

この「家族」は「父親」以外、みんな「遠慮のかたまり」で。「父親」は「いて、いない存在」だったし、今もそうだから、「母、兄、あたし」と、はっきり要求や、欲求みたいなもの、み〜んな言えない。ずっと、そういう事が続いてて。
でも、あたしにとっては「両親」的な存在の、主治医の先生がいたことと、5年間とその前から、あたしがずっと続けてたことが、今これから、あたしが「自立」するのに、どっちを選ぶか。どうするか。そういう「選択」っていう、新しい「迷いの道」が出来てきたんだ。

「死」の方へ走っていたあたしは、そのころから少し前から、色鉛筆で「絵本」を描いていました。某有名服飾雑貨店で、今は廃盤になっちゃったけど、絵本を描くのにちょうどいい大きさの、スケッチブックがあって、ずっと描いてた。廃盤になるまで描いたのは、約20〜30冊近く。廃盤になってからは
無地のノートに、線画で2匹の動物の「対話形式」で1ページに3〜4パターンの「絵本」というか、「あたしの中の、「焦り屋のコ」と「なだめて冷静なコ」の会話」かな。
それが90冊ちかく。今は先生のところにある。絵本もノートも3回に分けて病院に持ってった。本当は手放したくなかった。「あたしの子供」みたいな存在だったから。でも、なにを血迷ったか、手放して先生に預けることにした。
先生は、「これは、あなたの「分身」みたいなものなのに、本当にこんなことしていいの?」って言ったあと、「でも、これはいつか、あなたの様な想いをしてる人たちに役にたつかもしれないし、この絵を使って、あなた自身が、こういう人たちを助けられる仕事が出来るかもしれないなぁ」って言った。
でも、あたしは「あたしは、まだこんなだし、自分の事だけでいっぱいいっぱいだから、そんな事は出来ないよ。普通に仕事した方がいい」って答えた。
先生は無理には勧めず「あなたが、そう思っているなら、いいんですよ。」って言った。

でも、この何週間かPCが無かった頃のように「日記」「雑記」「絵」書いてて、「普通に仕事しながら、ちょっとでもなんか出来ないかな」って、そういう「いい迷い」みたいなものが、出てきたんです。
あたしにとっては「病院」っていう、本当の学校よりも長く通ってる「学校」にいたことで、そう思いました。
幸か不幸か、その絵本たちが、実はあたしの「本当は生きたい」っていう気持ちの表れだったようなんですが・・・。
<451> ぺあ(FB注意) ■2007年12月10日 月曜日 14時06分01秒
教育実習のこと思い出すだけでつらい。
いつも責められてきたことも。
学校自体が私はいじめだと思う。
どうかこういう学歴社会を早くなくしたい。

何がもっと積極性もちましょうだよ。何がおとなしすぎますだよ。何がもっと自信持ちましょうだよ。
うっせんだよ!!!!
あんたさ、気分障害を隠しているけども、明らかにおかしい雰囲気の中、でも見ないで見たら傷つくっていう大人と、世間知っています、妹だけを馬鹿にしていらないアドバイスうっざくふっかけてくる、この家の中で誰か自信持てますか?誰かうるさくできるんだよ!!!
先生っていう仮面かぶっているけどさああ、あんたになんのけんりがあんだよ。
 私ね、大学いって、本当に思った。
 大学の教育の実験とかいって。
 3週間ね、子供と一緒に、合宿する、そういう実験やったのね。皆で過ごすの。
私、本当にあきれたというか、ものすごい不快だったのが、子供が眠った後でね、大学生と教師が、ミーティングを開くのね。
 で、そこでの話しは、あの子はどんな性格だ、どうだとか全部皆で話し合って、ノートにその子の情報を書き込むの。で、あの子はもうちょっとこうしたほうがいいだの、もっと勇気出せば、意見いえる子になるのに、だとか、とにかく、性格改善を皆で話し合っているの。それも真剣に。子供のためにだとかいうきれいごとの大前提を並べて・・・・・・

私さ、そんな大人たちが2時3時までかけて、話し合っているのが、すごく嫌だった、私が過去の「あんたはおとなしい、自信なさそう」どれだけ言われて言われて、そうして、そのままの私じゃなくて、「明るい、おとなしくない」そしてランク上の人間になろうと、必死で自分の感情を殺して大学時代演劇とかやってきたから、結果は何にもなんなかったけどね・・・・ただ、声大きくて迷惑だとか言われただけ・・・・。

 性格をああしろこうしろってさ、大人の目から見た子供の理想像ってあるんだろうね。積極的で自信もあって、おとなしくなくて、子供らしい反応して、素直で、でも今度それが過ぎると、落ち着きないだとか、もっと周りを見ましょうだとか、もっとおとなしく落ち着きましょうだとか言うんだろうね。うっざ。
 でもさ、大人の目の中に安心して入る子を作って、そんで、結局は放り投げるの、ただそんだけ。
 でもね、私はね、大人の目の中に安心して入る子って・・・・そんな調整された子って。
 子供って、自分の見方でしか見れないし、家族を一番に思っているし、世界はここしかないって思うしかないんだけど、だから、自分を変えざるを得ないんだけども・・・・だから、おとなしくなってしまったり、おどおどしていたり、それってでもその子の家庭環境だとか、生育とか表しているんじゃないかな、いや人間誰もがそうなんじゃないかな・・・・・
 私はね、世界は、地図のない世界の中で一番信頼できるのは、自分の感覚や自分が好きなものだったり、居心地の良いものだったり、だと思うの。
 朝日新聞のなだいなださんのアルコール依存症の官僚の話し読んだ時に、その優等生が、学校から出たら、世界の真ん中に立っていたっていう言葉が印象的だった。自分は羅針盤を持っていなかったって。どんなに頑張っても上がいるって。でも、私は思うんだけども、そのその人から見た上な人っていうのは、多分、日本のためにだとかそういう使命感を持ったり、意志を持つような環境で育ってきたり(兄弟が小さな頃亡くなったりした医師の話しを思い出した)、仕事に対して好きだっていう感情をとても持っていたりする人なんじゃないかな。自分のこれだっていう感覚を持って、望む人こそ、優等生は勝てないんだろうなって思ったりもした、そして、父もおんなじこといっていたな、父も優等生だった。でも、学校の成績なんか関係ないって言っていた。会社に入れば、上には上がいるんだよって嘆いていた。父はアルコール依存症にはならなかった、でも本当に悔しかったみたいで(出世できなくて)それを自分にぶつけては、感情のコントロールしようと躍起になっては、躁鬱の気分障害に悩まされて、自死してしまったんだ。私の勝手な見方だけども。父はそうするしかなかった、祖父は父に「お前は何が不満なんだ、かわいい奥さん、娘がいて!」って言った。そして私も父からいっぱいの無言のでも確かに「お前は何が不満なんだ、こんなにいいもの食わせてやって、こんなに欲しいものもらって、行きたい学校に行かせてやってるのに!」っていう言葉を常にもらっていた。
 学校で「普通ちゃん」演じて、父の母の願う、その年の中道をいっているふりをしながら、人の暴力を浴びて、浴び続けて、浴びせられやすくて、でもそれを自分に理由付け、して、父の怒り、母の悲しみ、姉のいらいら全部私のせいだとおもって、生きた私は、何が不満なんだってこられたけども、私は生きられなかった。お金あった、でも固まった普通ちゃんな私の中には、意識を飛ばしながら、息絶え絶えの本当の私がいた。意識飛ばして、半分は演技、姉や父母に普通だと思ってもらえるように、半分の自己は自己をいじめている。
 父が自死してやっと分かった。彼は躁鬱双極性気分障害。
 そして、思った。社会はあてになんない。会社も。何にも。姉も母も父も。学校なんかその最たるもの。同級生も。
 
<450> ぺあ(FB注意) ■2007年12月10日 月曜日 13時40分39秒
高校時代、私の周りの子は私のあまりにも自分を責めたり、悩み続けていたりする姿に辟易して皆、去っていった。
 もしくは、意味不明、気持ち悪いって。
で、大学時代は、「あんたがつらいとこっちもつらいんだよ、同じ体験を私も再体験しているんだよ」って怒鳴られた。
 でも、友人関係ならば自分で人間関係切れるじゃない、いやだって思えば。でも私は小さな子供の私はそうじゃなかった。
 いつも悩んで、自己を罰し続ける躁鬱双極性気分障害の父、母・・・
 私は「嫌なんだよ!」なんて小さな私は思えなかった。
本当は異常な世界だったのかもしれない、自分のお世話のできない大人の中で。私小さなまだ年端も行かない子供に甘えてくる、父。
 そんな状況を背負ったのは、まだ4年生の私。ずっと背負わされてきた。そしてどうにかしないとって。自分のそのままの成長を踏めずに、大人のかわいそうな人たちのママさんのようになって。

 私は子供だった、そしてこの人間関係を切ることができなかった。
私が悩んで苦しむことで友人を傷つけていたとしたら、それはいいよ。私はその何千倍傷ついたと思う?あんたらの比じゃねえんだよ!!!!
 子供よ?父だよ?私が世界の見かたを変えるしかないじゃねえかよ!!

 そして、そんな私に漬け込んだ、NA。なにが医者だよ!お前は正真正銘魂の殺人者。刑務所でもはいっとけ。いや、それも無駄だな。このぶたが。あんたは正真正銘のぶすだよ。
<449> ぺあ(FB注意) ■2007年12月05日 水曜日 11時38分13秒
学校。
死ね。学校。学校にいた同級生しね。皆、いじめたNAには男でも手配して、レイプでもされて、あの時の壊れた私の世界とおんなじように、てめえはレイプでも、いっちばんきったない方法でやって、生かしたままどこまでも恐怖を味合わせて、死ぬ薬だよ〜って笑いながら、あいつの太ももにでも注射して、結婚相手の前で、心壊して、殺人事件の殺人犯として、恨みを持った子たちでしゃべるで頭刺し続けたいわねええ。
 石だよ〜っていって、皆で言って、飲ませたい。
 外科医になってんならば、医師自己紹介は「魂の殺人者です。人の精神を追い詰めて、殺すの大の得意で〜す」って言わないと絶対にだめだな。
<448> ゆな ■2007年11月27日 火曜日 15時01分15秒
幼稚園のときから人の顔をうかがって行動していたような気がする。
絵を描くときとか周りを見渡して似たような絵を描いてた。
卒園文集に将来の夢を書くところがあったけど、思いつかなくて友達と同じ「おはなやさん」って書いた。
思えばこの頃から自分の事は後回しだったんだなぁ。
みんなが楽しければ私ぐらいつらくても別にいいって。
おにごっこでおにをやるのがいやだったのは誰かをおににしないといけないのがいやだったから。
今もそうだと思う。

新学期の自己紹介で「隣の人のいいところを言いましょう」って言われて、隣の男子が「おまえのいいところってなんだ?」って聞いてきて私は答えられなかった。一応ピアノ習ってから(楽譜は読めるけどほとんど弾けない)「ピアノ」って答えてもらったら、音楽の授業で伴奏を頼まれた。(もちろん無理)
この時点で私はあの先生にとって出来の悪い子って認識されたと思う。
歌のテストで最後まで残されたことがあった。
声が小さくて聞こえないって。
私は一生懸命歌ってた。聞こえないならどうすれば大きな声が出るか教えて欲しかった。
初めて自殺を考えた時でもあった。
同じ時期に体育で「二人組みになりましょう」がよくあった。
二人じゃなくても3人組や4人組とか。
私はいつも隅で泣いていた。
誰も混ぜてくれないって思っていたから。
実際は無理やり入れられて、避けられてた。
この時期が一番助けて欲しかったかな。











<447> ぺあ(FB注意) ■2007年11月15日 木曜日 23時04分27秒
小学校3年から、いじめられ始めた。
きっかけは、好きな子が同じだった子に嘘ついて、「応援するよ!」って言って、他の子が私の好きな子ばらし、そのリーダー各の子の怒りを買ったわけ。

その辺から私の人の世界観を壊せないというAC的行動が、もっと私を固定化した「いじめられっこ」に追いやっていった。
「あいつ何やってもいやって言わないからさ、奴隷にしよっか」塾帰りにはこんな事も言われていたそうだ。
 「裏切り者」「お前が死んだら喜ぶからさ、喜びの歌即興で作りました〜」そしていくうちに、本当にいじめられっこになっていった。
 毎日毎日子供の気まぐれだけど、明らかに残酷な仕打ちに私の心の中の「自分は大切」という思いがしおれていった。
 そしてその頃父の鬱と躁もひどくなっていった。
 家族の中でもまたいじめが横行していった。母への。そして私は「おどけ役」
 いじめが一番傷ついたものとなったのは、小学校5年の頃。Nさんという口びるが生まれつきくっついて(書きながらあの頃の人を操作させようと、人の気持ちが暴力というものに向かわないように、びくびくしながらおびえきりながら、操作させようと躍起になっていた頃思い出した)来た子で、何だか、ものすごい怒りをもった子に狙われ続けたこと。その子には毎日ぶたれ、つねられ、それもつめとつめでひねるようにつねるから、毎日ね・・・・私の腕はぼろぼろだった。皮が。その子は笑いながら「悲しい痛み〜」とか言いながら、つねるのね。本当に今でも16年も前なのに、今でも傷むの。心の底から痛いの。
 その子は私が中学に入って、ものすごくありがたいことに同じクラスには一回もならなかった。そのことだけは何かに感謝している。救われたもの。あんな瀕死な状態でなおあの子に何かされたら生きていけただろうか?(でも普通のときは話しもあう友人でもあった気はするけどね、家庭科の時間ではナップザック一緒に作ってくれた。本当にいじめと友情って境目が難しい。でもあの子にされた耳にありをいれられたことは今でもずっと心に何かを残してしまったんだ)その子は、今で言えばストーカー?みたいなものだったのね。きっと、私のこととても好きっていう感じもあったもんね。でもその子のやったことはひどいの。その子は私が中学に入ってからも「あのこ小学校時代皆のおちょくられ役だった」とか言いふらして、またそういう風になってほしかったらしいし。塾の体験入学を友人と行ったら、その子もいて、その子と私の友人と帰り帰りながら、その子は私の友人とかに向かって私にも向かって、「OOOO(私)が塾入ったらいいな〜おもしろいからね(超意味ありげに)」って言った。その子が中学でも、他の同じクラスのおとなしい子と仲良くなって、いじめているのも見た。私にはそう見えた。その子の発言に「うっさい」みたいなこといっていたんだ。その子の表情が暗かったし。
 もうその子についてもあの学校時代についても忘れたいな。中学校でいい友人ができたし、高校でもでき、大学なんてもっと素晴らしいだいっすきな人に会ってきた。なのに、そこにいつも戻るのは、私は11歳のあの子に耳にありを入れられてから、過呼吸とか、まっすぐ歩けなくなったり、強迫神経症になったりしたのに、ひとりで治してきたの。でも、治ったの?それがわからないの。過呼吸はなおったの。でもあの頃から息が深く吸うことはできなくなった。お腹の辺りでなぜか鼓動が心臓の鼓動がするようになった。いつも耳の中にぐちゃって何かされたようなまさしくPTSDみたいなものがある。そして、中学校に入ってからは今まで自傷思考がとまらない。それに対しての自分への怯え、世界の信頼の出来なさ・・・・ぼうっとしていたり、何かに没頭すると、「危ない危ない」なの。没頭することはできない、いつ暴力に身を晒されるか分からないから。また自分の意思を他者に見せることで他者から、弱いところを悟られて攻撃の対象になるのではないか、弱みを見せることでばかにされ、皆の笑い者になる気がするんだ。
 大学卒業してもどんなに好きな人に会っても、私の中では11歳の頃のあの絶望から抜けられないんだ。自傷も他人傷つけることもしたくてたまらないんだ。苦しいの。
 もしかして高校時代も大学時代も浪人時代も周囲の人から何か理由「大学に落ちた」とか「将来の仕事がまだ見つからない」とかそういう理由でしのいできたけども、そういう理由で落ち込んでいるように見せて、その陰に隠れてきたけども、私うつ病だったのかな?パニック障害?何なんだろうか?
 また、私、教育実習のときも、全く授業と言う授業ができなかったの、集中できないの。なぜならば、弱いところを授業することで、いつ他者から授業に没頭している間に攻撃されるかわからない・・・・警戒心のすごさ、それからい授業することで担当の先生を追い越したら、その先生が自死するんじゃないかと言う不安があったの。恐怖だった。そう思えば、大学時代の演劇もそう。演技している間にこの舞台に立っている間に、いつ攻撃に晒されるか分からないって思っていた。それから、言葉がすんなり出てこなかったの、舞台の上でなお。それは、他者にそのままのストレートな思いを出せば絶対に笑われて傷つくから、本当の思いを頭で何回か練習しないといえなかった。何でテンポが遅れるのか?って言われていたの。私はただ怖かったから、って思う、人に素直な思いぽんぽん言ったら、絶対にいじめのねたにされるから。怖かったから。今でも右耳がいたいから。怖いから。大学のシラバスで教職の単位を取るkと主、学芸員の単位を取ることも怖かった、だって、翌日には世界は壊れているかもしれないし、そのまま世界が永続する気がしなかったし。それに、私の意志をそのまま出せば、父を見捨てるこの家族の今までの問題見ないふり家族をある意味自分の意志を持ってしまうことで操り人形でいられなくなってしまう、父や母の都合のいい現実だけを見ている子供ではいられなくなるから。それは父と母を否定することなんだ、見捨てることなの。それに意志を出せば、笑われる、また弱みをつかまれ、漬け込まれる。そして、やっぱり教職の単位を取ろうとすると、右耳がいたんだ。私の世界が誰かが私の意志を濁らせ、「あ〜あ〜」って言って邪魔をする。私自身が邪魔をする。私が弱い弱い私が教職を取ろうと授業を選ぶ、そうすると、もう一人の守り神のような過去のいじめや色んなことから守ってくれたもう一人の私が「があがあ」って言いながら見ないように邪魔する。意識混濁されるの。怖いの。世界が崩れそうで。
だから、私は永続しない、安心できる安住の地でもない場所で優雅に自分の意志で何かを選ぶなんていうたいそうなことができなかった。私のできたのは、人の意志を汲み取ること、人のお気に入りになって、その人の欲望を満たすためだけに生きること、そして他者のプライドを傷つけないように、その人の下にいること、我慢すること、人のどんな人でも子供でもその人のその人の言ったとおりに動くこと、その人を正解だと思うことだけだった気がする。
 そのおかげで、私は教育実習で失敗し、あんなひどいことをクラスいや学校全体の前で言われ、さらし者になり、サークルの男、留学生とかにレイプされそうになったこと。男性と付き合えば私のこのただでさえ低かった評価があがって、少しは家族にも見直される気がしたの。姉や母にも。「大切な人」に私だってなれる気がしたし、そんな姿を過去の学校の私を見下したすべての人に見せ付けたかった。
 今思えば、本当にうちの家族、とくに姉との関係はパワーゲームそのものだ。どっちが世間に受入れられているか、どっちが世間に認められているか、どっちが男にもてているか、どっちが恋愛経験豊富か?どっちが親友多いか?どっちが、学歴高いか?
 だからいじめられるようなことをされているというと、姉は大喜びしてたんだな。
<446> ミン ■2007年11月14日 水曜日 14時35分03秒
学校から一人で帰るのが寂しかった。一人で帰るのを他の子達が、あの子友達いないんだよね、って目て見てるように感じて惨めだった。本当は誰も気にしてなかったかもしれないけど…。寂しさを見せないようにしたり、一人の方が楽だといった態度を取り続けるのに必死だった。朝はいつも遅刻してた。一人で行く理由を作ってたのか?職員室で新聞紙ひいて正座させられても平気だった。寂しさを感じるより、ぜんぜんマシだったから?帰りは本当に寂しかった。早く卒業したかった。高校は最悪の時期だった。
<445> ミン ■2007年11月10日 土曜日 22時21分00秒
親が離婚したことを誰かに知られるのが怖くてずっと隠していた。
保護者の名前を書かされることが多くて、皆は父親の名前を書いているのに母の名前を書かないといけないことが何より辛かった。その用紙を席の一番後ろの子が回収しにくるのも嫌だった。そんなことをさせる先生を気がきかないと思っていた。回収の子に見つけて何か聞かれたら、皆に言いふらしたらといつも心配していた。人の家庭と比べて恥ずかしくて。馬鹿にされるのが怖くて。学生の頃。何年も。辛かった。
<444> ぺあ(FB注意) ■2007年11月06日 火曜日 20時31分07秒
学校時代のことを思い出すのは本当に辛い。
特に小学校時代の早く過ぎて欲しいと願っていたあの頃のことを思い出すのは本当に辛いことなの。
言わないと分からないでしょう?って本当に本当に多くの人に言われてきた。そうなんだ。言わないと分からない。でも言ったら、相手がつぶれるって思う気持ちが強すぎて、死にそうだった。それは、自分が異常だからそうなんだって思って生きてきたし、いじめられるのは弱いからだって思い、自分が本当にいじめられてからは本当に自分を汚らしい人間未満のような存在だと思って生きてきた。
頑張って、言いたいことを言おうと頑張って生きてきた。でも思うのは、自分は結構言えないタイプなのかもしれない。とにかく、相手が大切で傷つけたくなくて、相手になってしまうのよね。
言いたいことはっきり言いなさいって多くの人に言われる毎日だった。言わないとわからないでしょう?って言われる毎日だった。いまの私ならばあの頃、そういう風に言われてばかりの私になんていってあげるだろうか?
「いやって言ってもいいよ。いやだって言っても平気だよ。大丈夫。いやだって思ってもいいんだよ。あなたはあなたを大切にしてもいいんだよ。」って繰り返し言ってあげたい。いやだっていえなかったのは、私の能力が足りないからじゃない。私は逆に相手の心理を汲むという高い能力を既に持っていたんだよ。でも、いやだっていったら、相手がつぶれる気がした。相手が死ぬかもしれないとも思った。いつも心的な絡みつきに悩まされてきた。耳の聞こえない子が近づいてくれば、その子が苦しそうならばそれは私のせいだとおもったし、耳の聞こえる自分をずるいって思ってきたの。本当にね。
 自分は楽しい?あなたはそれしていて楽しい?無理していない?
この家で演出抜きに生きるのは無理だし、泣けないのも当たり前だと思う。いいの、私がうそつきだからじゃないの。私は正常だから、そうなんだよ。泣けないよね。初めて生まれて、初めて世界見た場所が、ここだもの。でも、あなたはここだけじゃもうないし、もう母を裏切っている、今まで演じるように生きてきたことがばれる気がして、他の居場所素直な気持ち出せて居心地の良い場所見つけられなかった。親を否定するのは怖かったから。何でだったのかわかった。親は父は自信なくて自死を考えていたような気分の不安定な人だった。そういう彼を見ていて、傷ついたのは私。
私は人間。
私には限界がある。
私は子供だった。
私は人の問題を背負わない。
絡みつかれない。
相手の問題は相手に押し戻す。これをきちんとやるべきだ。境界線をきちんと作りたい。自分は無理しないでいたい。これをきちんとしたい。そうじゃないと、いつまでも私の人生を生きられないから。
<443> ぺあ(FB注意) ■2007年11月05日 月曜日 21時24分20秒
あんたいつも辛そうだったよって大学時代の友人に言われた。私にも原因なんて分からなかった。でも、今なら分かる。ACだから、父が躁鬱だったから。それを隠されて否定されて、見聞きしたものに自信を持てずに生きて来させられて、そんな弱いところに漬け込まれていじめられて育ってきたから。でも一番辛かったのは、弱いけど、いじめられているけども、家に帰れば泣きたい気持ち殺して、家族サービス用の私を演出して生きていたことだった。つじつまあわせ人生だった。そうやって周囲に気を使いまくって生きてきた。それなのに、私は大学時代もずっと自分を家族に嘘ついていきてきた汚い女なんだって責め続けてきたし、そんな私にもっとああしなさいこうしなさいという過干渉な子が近づいてきては、ああだこうだ法外な要求ばかり役にも立たないのにさせられた。
<442> ミン ■2007年11月04日 日曜日 19時36分00秒
高校までは最悪だった。勉強はできないし、する気も起こらなかった。
先生(と呼ぶのもキモイ)はエコヒイキする奴で相手にもされなかった。
友達も最初いたが、好かれると突然イヤになり無視した。
人の悪口も言った。少しのことで裏切られたと思った。
そんな私からみんな離れていった。
自分が悪いとわかっていても、寂しかった。どうしようもできず、周りのすべてを憎んでた。遅刻も多かった。よくサボった。
学生時代が楽しくて、いい仲間がいた人が妬ましいと思う気持ちがある。
<441> ぺあ(FB注意) ■2007年11月03日 土曜日 21時41分20秒
学校なんか、破壊しつくしたい、死ねばいい。何が恩師だよ、きもいんだよ、うっせーんだよ。ふざけんなよ。
明るくて暗くなくて、自己表現できればお前ら満足なんだろうよ。
お前も一人の人間だとわかってから、人を評価しろよ!!!
 はいはい、いっつも私はこうですね「もっと意見言いましょう」「おとなしすぎます。」「でも私も昔おとなしかったけど、今おしゃべりだからまあいいかもね」「やっと明るくなった!」「おとなしい」
はいはいはいはい。そんなにおとなしいこと悪いですか?そんなにもっと自分の意見言わないといけないんですか?そればかみたいに大学時代やってきましたよ。おとなしくならないように。常に明るく。自分の意見いつでも言って。

 その結果、人間関係悪化したよ。うるさいって言われたよ。

そんなに、教師は明るくて、おとなしくなくて意見言う子供好きなの?それが成功すると思ってんの?ばかじゃねえの?でも、きっとうるさくて自分の意見をばんばんいえる子供だったら、もっとおとなしくなりましょう、もう少し周りのことも考えましょうって言うんだろうね。
 だから、適当に聞き流そう。
 でもさ、私の父が気分障害でさ、それ知らなくて、母に当たって、その雰囲気察知して何とかしようとする、自分のことよりも人ばかり心配することばかり家族の中で子供の頃からされていたらさ、明るくなりますか?自分の意見言えますか?おとなしくて、周りの顔色ばっかり伺うのは当たり前だろうが!!!いっつもいっつもないものねだりしやがって。
 学校生活。常に教師の目、親の目、姉の目、周りの子供の目に映る自分を意識して生きてこざるを得なかった。自分なんかいなかった。

 瓦解できたらな。摂食障害になったらな。何かに依存できたらな。鬱でも何でもなったらな・・・・・・
 そしたらばかみたいなこの世界を壊して、ぐちゃぐちゃにして、私を誰か抱きしめてくれるんだろうか。私の冷静な顔の裏のどれだけの悲しみを敏感なゆえの苦しみを分かってくれるんだろうか?

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This script written by Shintaro Wakayama.