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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.22
メッセージ数:440件

<440> so ■2007年11月03日 土曜日 09時35分14秒
母にモラルの抑圧とイメージの強制を行われ、父から無力感を味あわされた、不思議な少年は、もう、どう人とかかわっていいのか分からなかった。情緒は殺されていた。人と仲良くなる現実は、残されていなかった。不安と、怒号のなか、一人固まっていた。怒りの凍り付いた恐怖の中、母の声と、父の声におびえ、同級生に同じ声をきいた。「ちゃんとせなあかん、ありのままではだめだ」という
<439> ぺあ(FB注意) ■2007年10月31日 水曜日 16時32分36秒
 もうすでに遠ざかった子供時代。
学校。
 後何分でまたあの場所に行かなくてはならない・・・だから、もう少しここで息吸ってゆっくりしていよう・・・って時間数えて生きていたな。
 いじめ。
 いじめあったな。
 でも友人で優しい子もいたんだ。
 誕生日プレゼントを修学旅行のときにくれた子なんだ。
 わけの分からない時代に、おどおど生きるしかなくて、周囲の皆が瀕死なかわいそうな助けないといけない人に見えて、私はそういうもたれかかる人、私にストレスをぶつけまくる人に、固執して生きていた。
 私は、それを返さなかったよ。いじめられた。でも誰かを支配して誰かを水面下でいじめなかったよ。えらいよ。
 でも、どうしようもなくあふれ出てくる暴力願望はすごかった。本当に大切な大学時代の友人を階段から突き落としてやりたかった。包丁で刺してやりたくなった。何の前触れもなくよ。バイト先でも刃物で上司切りつけたくなった。殺したくなった。大切な彼氏でさえ、二人で屋上いたときに、何にも喧嘩もしていないのに、その人を屋上から突き落としてやりたい願望すごくあった。そして、そんな自分を私は心底恐ろしい子だと思っていた。
 許されなかった怒りの気持ち。子供時代の。くすぶり続けていたんだね。
 でもでもでもでもでもたとえ実習であんなひどいこと言おうが、私は、えらいと思う。私はいじめ返さなかったんだよ、誰にも。自傷してあんなに意識飛ばして生きてきたけど、誰にもいじめを返さなかった。いじめ。支配すること。その人を透明化させること。誰にも渡さないこと。恐怖だと思う。子供なんて大人の目だまして、すごいひどいこと、自殺や殺すまで、彼女たちは理性聞かないから、普通に無意識にものすごいことできると思う、どんどんエスカレートしていくのね。分かるんだ私には。子供は人の魂壊すこと、自殺に追い込むこと、その子自体を殺すこと、無意識に罪の意識持たないで、理性もないから、本能で弱い子いたぶって、皆で集団で集中してして、彼女たちもわけの分からないうちに、できるんだ。子供は、子供にとってとてもとても怖い存在、大人の目なんて本当にすりぬけて、ある子をターゲットに心壊すこと簡単に出来るよ。
<438> りる ■2007年10月31日 水曜日 00時07分08秒
「不登校」を問題視する声が、未だに世間では大きいけれど、
私は「不登校が、何で問題なの ? 」と思う。

どんな場所やワークでも、合わない人と合う人が居る。
「学校」という場だってそうじゃん。
学校に合う人もいれば、合わない人だって居るんだよ。
「学校に行かない生き方」を認めない社会なんて、本当に息苦しい。

私、両親の怒りが怖くて、自分が心底望んでいた「不登校」ができなかった
ヘタレな自分を、未だに情けない奴として、全然許せない。。

親に殺されたっていいから、思い切って不登校すれば良かった。
そうすれば私、もっと自分に自身が持てたのに…。
<437> りる ■2007年10月30日 火曜日 23時26分33秒
「学校に行かない生き方」という選択肢も、認めて欲しかった。

学校に行こうといかまいと、勉強なんて結局は自己責任じゃん。
第一、習う事の約90%は、机上の空論だし。
そんな所に行って、無駄な時間と労力使って、何になるの!!?

第一学校なんて ( 幼稚園もだったけど )、私にとって危険極まりない無法地帯だった。
幼稚園から高校卒業まで、ずっとN.Y.の暴力無法地帯に強引に放り込まれた、
逃げ場も隠れる場も無い、うさぎちゃん同然だったわけよ。私は。
( 短大はマシだったけど )

逃げる事も、怒ることも、泣くことさえも私は禁じられ続けてきた。
自分を守るためにそういう行動に出ると、いつも私ばかりが非難された。
ほかの者たちは、虐げられてそんな行動を取ると、そんな荷まで攻められやしなかったというのに…。

ずっとずっと、ボコボコに殴られ蹴られ、馬鹿にされて罵られてきた。
教師達だって、私の傷みを解ってくれたり、手を差し伸べてくれるどころか、
私を無下に踏みにじり、その上いじめっ子達ばかり贔屓して、
中にはいじめをけしかける奴らも居た。

私の子供時代、返してよ。
青春時代、返してよ。
「幼稚園にも学校にも行かなくていい時代」として、真ッさらにして返してよ…!!!

さもなくば、その頃の時代を通して私の周囲にいた連中全員を
殺してやりたい…!!!

その位、私は憎んでいるんだよ。お前らを。
<436> ぺあ(FB注意) ■2007年10月24日 水曜日 19時23分34秒
未だに痛いな〜やっぱり耳が痛いな〜。心も痛むな。痛い。痛い。悲しい。怖い。生きられない。何してもどうであれ、許されない私。
 気が弱くても、いじめられ、気が強くてもひかれて、からかわれて、いじられて、ばかにされて、かわいい女の子と比較されて、大切にされない存在。
 何やってももぐらたたきのように、叩かれる、出せば叩かれる、あっちこっち出せば叩かれる、打たれる。
 思い出したけど、私大学に入ってでさえ、先輩に胸けられたり(笑いながらされた)アルバイト先の上司に頭はたかれたり、サークルの子に紙コップ投げつけられたり、「お前は自意識過剰なんだよ!!!!」って怒鳴られてた。
 大切にされなくて当たり前の存在。
 ず〜っとず〜っと「もう慣れたよ」って言ってしまうくらい、大切にされなくて何してもいいぜって皆に言われる役だったなあ。笑ってしまうけど。ほんとうにそうだったの。だから、怖くて当たり前だよね。学校怖かった。
 同級生もまた怖い。
 大人になれば、子供の頃のように「性格矯正」もされないし、やっと人として一応敬意示されるけど。
 子供の頃なんて思いだすのはつらいから考えたくないけど、それでも、私のおどおどぶりに漬け込まれ、大人にでさえ「おとなしすぎる」「もっと意見いいなさい」ってず〜っと言われ続け、やっぱりそういう馬鹿にされ役、当たり前にされていた。いや、つい最近までやっぱりそうだった。
 私ね、おとなしい、意見言いなさいというアドバイスまともに受けて、其の通りしたの。おとなしくない、意見を言う子。そしたらそれはそれで「ひかれた」「嫌な目で見られた」「周り静かに過ごしたいから、そんなに声張り上げないで!」って言われた。当たり前だけど。
 それでも、どうして子供の頃あんなに頭ごなしに「おとなしくするのやめなさい」だとか、もっとうるさくなれだとか、暗いだとか、何にもあの子しゃべらないだとか言われ続けたのかな?高校生くらいから性格矯正終わったけど。それでも、子供っていうだけで、すべての面で査定されて、自分の得意技だけで生きられなくて、自分の居場所だけで生きられなくて、すべての面で査定され、居場所になりえないところでも生きて、ふつうの子供でいなくてはならなくて(きっと大人が勝手に作り上げた安心したい子供イメージなんだろうけど)。
 合わない人となんでああやって自分をそいで合わせて生きたんでしょうね?ランク付けされて、いっつも私は下だった。人気者でうるさい、明るい男子はいつも上、そいつのいう事なら誰もが聞く・・・・そいつの母親と私の母親が仲良しだから、いやなのよね。しかも、いっつも母にそいつと比べられて「H君は明るくていいな。あんな子供のほうが良かった」って言われていたもの。
 もういいけど。
 それでも子供にはもうなりたくないな。
 子供って最悪。
 性格矯正されて。
 勝手にずかずか境界線犯されまくって。
 意味分からずに、生きて。
 周囲から査定されて。
 将来でさえ勝手に心配されて。
 決め付けられた自己イメージを取り込まなくてはいけなくて。
 傷ついた甘えてくる大人を支えなくてはいけなくて。
 子供なんて子供時代なんてもう終わったのよ。つらかろうが、どうであろうが。だから、もう同級生なんて上だった奴ら、見下されていたことなんてもういいじゃん。生きていい?自分の居場所で生きてもいい?
<435> ぺあ(FB注意) ■2007年10月24日 水曜日 11時40分38秒
 今でも私は誰かを怯えている。誰かのわなにはまって、いじめられ役割り当てられて、そういう場所から出れなくされて・・・こいつ何やってもいいぜ〜っていわれて、エスカレートしていく集団の中で的になる・・・水面下で分からないように助けられないようにされる。
 そんなことが怖くて。
 だから、父が自死したことも私の強みになっている気がする「私可哀想な人だから」って。周りに思ってもらえるだけで大切にされるかもって思っている。
 今でもあの頃の一斉に向かう、これまでの態度変える、あの一斉の集団のエスカレートした暴力が怖い。エスカレートするんだ、その瞬間一部始終見ているんだ、恐怖だった。
 きっと戦争も、迫害もおんなじ。誰かを的にして、興奮の中できっと今まで溜めてきた怒りを周りがやっているからという理由で自分で考えもせずに、誰かを人間扱いしなくする・・・・人って簡単にこういうことするよ。
 出口の見つかった怒りのエネルギー、正当化された出口に向かう怒り、いらいら、言語化できないストレス、今までの自分の受けてきた理不尽なこと、惨めな思い、集団への恐怖、自分の自己防衛・・・・
 これが集団の暴力をエスカレートさせるんだ。
 とめたい。
 でも私自身が未だにこういう怒りや憎しみ、恨み、惨めさといるから。あるから。今はそれを抱きしめてあげることだけしかできないの。
 でも、あの恐怖は、本当に恐ろしい。
 戦争とか迫害とか暴力だとかは恐ろしい。
 必ず、支配とかとつながっている気がする。
 自由の匂いもしないし、明るくも楽しくも無い。
 自分が今度はいじめられるだとか、必ず恐怖が付きまとっていると思う。
 だから、私は「幸せな人」ってすごいって思うの。幸せで恵まれた子供時代とか、学校時代を過ごしてきた子の「私高校めっちゃ楽しかった」とか聞くと、私にも幸せ許してもらっている気がするの。いいんだ、ありなんだって。
<434> ぺあ(FB注意) ■2007年10月24日 水曜日 11時28分11秒
学校。学校。学校。ランク付けされるところ。他者の心が読める子供がいるところ(だってびくびくしていればほんとに思いっきりそういうところをばかにされ、何やってもこいついいぜ〜って皆でかかってくるんだもの)、いじめは大人に見えないようにして子供の世界で横行する場所、そうして子供は「理性」がないからどんどん独特のノリでエスカレートするところ、恐ろしい場。私みたいに「味方」がいない子供には恐ろしい場だった。
 学校が社会で重要な位置占めていなかったならどれだけ救われるだろうか?私はずっと学校でいじめにあっていた。
 当時はいじめだとも思わなかった、ただ大切にされなくて当たり前の存在として子供の気まぐれに起きる暴力的な思いだとか思い付きだとか残酷な痛めつけだとか、残酷な言葉とかからかい、いたずら、が毎日私にされる・・・「こいつ何やってもいいぜ〜」「OOOOだからいっか〜」「何やってもいいよ〜」「おもしろ〜い」そんな言葉しかなかったから。
 大人のほうがくだらないことでいちいち傷ついたって騒ぐと思う。
 子供の頃なんて当たり前にされていたし、当たり前に親にも姉にも「そういう子」って言われてはからかわれていたもの。
 私の中には恨みがあって、きっと父が自死したときにも、「上になった」っていう思いもきっと私にはあった気がする。
 子供っていうだけでなんて理不尽なんだろう。子供なんて絶対になりたくないよなもう。
 ずっと私の見聞きするものはそのままだと思えなくて、他者とは違うと思っていて、「嫌ならきちんと言いなさい!」っていう言葉ばかり私には突き刺さった。
 いじめられた。
 そうだね。
 いじめ。
 いじめだったのかな・・・
 大学3年の頃初めて私は「いじめにあっていたんだ」って分かった。それまでずーっとあの頃大切にされなくて、人間扱いされなかったあの頃のことは、いじめた方が言うように「ただのからかい」だと思っていた。こんなことでは「普通の人」は傷つかないって自分を責めて生きていた。
 20過ぎてやっと気がついた、あれはいじめだったのかなって。あれは明らかにひどい扱いだったんだって、からかいでも悪ふざけでもない、私は傷ついたんだって。やっと認められた。あんなに本読んでも自分の感覚とつながらなかったんだ。
 そして23歳くらいでやっと思った。私のいじめは私の性格、私自身のせいではなかったんじゃないかって。
 あの子達は皆、それだけじゃない、私を囲んでいた大人たち皆私を「弱い、おとなしい、いじめられたしょうがない」みたいなことも言われていた。
 私もそう思っていた。そう思うほど、他者が怖くて、怯えて、それでまたいじめられた、そういう雰囲気を人は察するのがうまいし、そういう感覚をしみこんだような信念を持つ私には必ず「支配欲強い」うるさい、自分が正しいと思っている(きっと弱い人なんだろうけど)パワハラな人が集まった。ストレス溜まって、誰かにぶつけたい人集まった。そういう人しかいなくて、またひどい扱いうけて、いいようにされて、ばかにされる・・・・悪循環だった。喧嘩なんかできなかった、意見なんか踏みにじられた。「ば〜かじゃん」「お前何マジになってんの?」「こわ〜い」「そんなことじゃこの先やってけないぞ」「お前冗談わかれよ」「こいつおかしい」「友達なくすよ」そういう軽い言葉、からかい、あげつらい・・・・。
 (でも怒っただけえらいよな・・・昔は怒れもできず、自分の感情さえ許さなかった気がする)
 ずっとばかにされてからかわれの常習だった、家族の中で。家族ならまだいいよね・・・でも子供になればエスカレートは必ずするんだ。エスカレートして、私はいっつもある子にからかい半分に腕をつめとつめでつねられ、ねじられ、挙句に耳に蟻まで入れられた。恐怖だった。毎日が。大切なかんぺん(ちょっと古いかな)を皆に回されて、大切なもの遊びの道具にされて、ぶつけられて、盗られて下駄箱の中に「返して欲しかったら明日の朝6時にここまでこい」だとか手紙置かれたり、椅子を座る時に思いっきりひかれたり・・・・
 そういう一つ一つが私の心を壊した気がする。それが子供の単なる「悪ふざけ」でからかいで普通の子は何も気にしないことだと思ってきた。
 今でもあの頃のクラスへいく気持ちだとか、教室の中にいた私の思いだとか、何とか子供が気まぐれに暴力性のスイッチ触らないように、退屈感じないように先回りしてなだめようとしていた私の思いを考えると、涙がでてくる。悲しかった。ただそれだけ。悲しかったし、誰も私にはいなかった。
 家族のせいかも・・・・
 そう思った23,4の頃やっとやっと私は自分の性格をおかしいだとか、いじめられても当たり前だとか、思わなくなれた、やっとほんの少し私の人生に光明がさした気がした。私でも生きていける、大切にされる、ふつうなのかもしれないって・・・・。
 いじめ。って恐ろしい。いじめが役に立つなんて絶対に思わないでほしい。人生もっと辛いことあるだなんて言わないで欲しい。私も、もし自分のせいにし続けていたら、殺人者になっていたかもしれない。誰かを弱い子供を殺していたかも。そのくらい、心を壊すんだ。誰かをきっと今でもあの頃の「何も出来ない逃げられない支配されて心を弱められ、お前が悪いんだって洗脳して、心を破壊して汚い女」に誰かを水面下「その子の取り巻く大人だとか友達だとか」そういうものからは決して分からないように、その子もその人たちからも遠ざけられて、誰かの心の力を抜いて、萎えさせて壊して汚くて人生誰からも暴力ふるわれるくらい「どうにでもされても私のせい」っていう子を私、多分作りたい気持ちある。いじめて、心破壊して、その子のこれからの人生、そういう破壊された心を持つ人に集まる「パワハラ人間」しかいなくさせて、それくらい誰かを同じ目に遭わせてやりたい・・・・そう私きっと未だにどこかで思っている。いじめられた記憶ほど惨めで悲しくてどうにでもきないことはないの。思い出すのは辛いの。で、弱い人を見ると、同じ目に遭わせて恐怖味あわせてやりたいの。
 
<433> ぺあ ■2007年10月23日 火曜日 23時53分31秒
学校って私にとってほんとにつらい場所だったな。学校行く前の父の社宅で過ごしたあの日々は私にとって、楽しくて楽しくて毎日飛ぶようにすぎた子供時代だったな。ずっと自分を「弱い」と思い続けた。「壊れそうな」誰かを「支える」為に我慢して耐えて、気を使って神経使って誰かを「いい気分、上位」にさせるために、細々と動き、自分押し込んで生きてきた。誰かかわいそうな人を穴に落としたくはなかった。自分の周りには「不幸で誰かにもたれかかる」人しか集まらなかった。今でも学校時代はつらいつらい思い出。もうすっかり結婚適齢期になったのに、子供時代が離れてくれなくて、大人になりそびれた気がした。父がいなくなって時だけが進んで、いつの間にかこだわり続けた私だけが同じ事考えて20代後半。いいじゃん。それで。お父さんいなくなった。みた。終わった。そうして私の世界もまたある部分は終わった。こう書いているだけできっと私は再生してるよ。いいんだ、別に。もう。お父さんは。悲しいことより幸せな人の近くに今はいたい。悲しみより幸せの方が伝染したい。笑って楽しんでまた生きよう。
<432> ぺあ(FB注意) ■2007年10月18日 木曜日 15時30分12秒
 後悔ばかり・・・。自分責めてばかり。何やっても「いじめの対象」であった子供の頃。今、20代後半なんだけど。私の時代のいじめは集団で一人の「いじり役」見つけて、いたぶりまくるものだった。
 其の中で普通に接してくれた子がいて。そういう子の私への気遣いとか、普通の友人関係が一番心を暖めてくれた気がするの。
 でも、怒りは止まんない、止まんないから私は散々学校での中でのコントロール感回復させたくて、悪口や復讐や誰かを救うために学校に行ったんだ。もう会えないな。だって、「あの頃の友人はあまり好きじゃなかった」って言ってしまったんだもの。私がいじめられていたのは、小学生時代。中学校では、楽しかった、まあ、私の弱さに漬け込まれたことは多々あったけどね。それでも、いつもいじめられている子が私を守ってくれたりしたんだ。
 私は弱虫だった。昔に生きて、今に生きていないのは、何でなのかな?もう忘れてもいいことばかり。弱い弱いって言われ続けたけど、いつも誰かを傷つけるのが、誰かの世界観を覆すのが怖くて、怯えていたけど、父が自死して、父が躁うつ病だったのをはじめて理解して、ようやく、意味の分からない世界が「分かった」。
 もう忘れたい。でも、こんなことでしか理解できなかった私とこの家って悲しすぎる・・・・。もっと辛い人や虐待受けている人のほうが辛いのかもしれない。でもわかって、認めて、私も寂しかったの、分かって、認めて、わけの分からない世界で、私は何で他者の暴力の的になりやすいのかを考えて、自分を責めて、必死になって考えてきたの。
 わかって。
 もう「いい加減忘れなよ」「許してあげなよ」「もっと人の話し聞きなさい」「もっと明るくなりなさい」って言わないで。言わないで。言わないで。もっと〜しなさいって言わないで。言わないでよ。言わないで。
 そうして私はもう忘れるから。いじめられたことも。今でもあいつらの不幸願ってしまうことも、逆に不幸になったらどうしようと怯えている、この幼稚思考も、いつか成熟して、自分の願いが何かを動かしているかもなんていううぬぼれがなくなってほしい。
 傷つきたくなかった。
 でも傷つかないと分からないことも沢山ある。
 あの子の不幸さが怖い。信じられない不幸さ。お兄さんなくなって、お母さんまで事故死したって・・・。恨んでいたけど、でもすんごく笑えるし、すんごくざまあって思ったけど、でもなんか怖い。可哀想。あの子のいじめはひどいけど、それでもいいところもあったし、楽しかったこともあったから。悲しい。あの子の友人が私に聞かせてくれたけど、その子は全く同情していないんだ。普通に「彼女いる男性から奪って結婚している」。すごいなあ。私とは違うんだな。やっぱり私は不幸な人と共に生きて、自分も不幸に、同じレベルに、その子が喜ぶように生きてしまうんだなあ。そうやって、生きてきたから、自分の素晴らしさ、能力が飛び出さないように、していて、だからこそ、他者ののびのびとして、当たり前に自分の手でふつうに自分のやりたいこと、したいこと「していく」そのために、勉強して、ふつうにすんなり叶えていくことをふつうにやってのける人がうらやましくてしょうがないんだな。
<431> ぺあ(FB注意) ■2007年10月17日 水曜日 19時17分09秒
 未だに右耳が痛いんです。痛むんです。
でも、いじめた子がうらやましい。だって、結婚したって聞いたし、ずーっと付き合ってくれる友人もいるし。
 私は、ずーっと昔からの友人はいない。校内放送であんなこと言ったから、もうこの地域では過去の友人には会えない。ずっとずっとコントロールしたくて、状況分かりたくて、悲鳴のように叫びまくって、頑張り続けていきてきたけど。やっと事実が分かってからもう2年近くか。私、未だに痛いな。右耳が。未だに他者への暴力願望あるんだ。ほんとに。前より減ってきたけどね。未だに恐怖なことは多いんだ。私ってかわいいって鏡で見て思うと、かわいいなら勉強はできてはだめって抑制して、神様に欺かないように、他者に対して、すべてもらってしまうようなずるい子にならないように、抑制機構をかけて、自分を自分でだめにしては、周囲と均衡をとろうとするんだ。
 恐怖なの。分からないことは恐怖だし。色んな幸せもらってしまうのも恐怖。不幸な人を見るのも恐怖。だって、きっとその人は私を「お前はずるい!」って殺しにくるくらいの嫉妬で私を妬むから。怖い。
 かわいくて、美人でそれでも友人もふつうにいて、楽しんで、彼氏もいる、しかも両親はACでもなく、普通で元気で・・・兄弟とも仲良しってそういう人結構いるのに、私からしてみたら「恐怖」。だって、ずるいじゃん?だって、許されていないんじゃないの?だって、私ずるいって言われたよ。ずるいんでしょ?怖い。怖くてたまらない。だから、自死したから父がそうしたから、私はまだ「許されているよね?」って思っている。不幸な人、不幸で私を「ずるいんだよ!」って睨んで妬んで、すごいエネルギーで私を引きずり落として、自分が優位でいたい人、たっくさん私学校でそういう感覚感じていた。姉にも感じていた。だから、不幸な人、障害を持って私に「不幸で不幸で」って泣く人に、私は「これで許された?」私はずるいだけの人じゃないんだよ、あなたを上にしてあげられた?って思っている。思っている。幸せをのびのびと感じて、普通に楽しんで彼氏もいて、男性からもてて、家族好きで、しかも勉強もできて、学歴も高くても自由にのびのびしていて・・・こういう人が本当にいたの。そうしてそういう人に天罰がこないの。うらやましかった。自由で自分に決定権があって、何も怯えていない。私は彼氏作ることさえ怯えきっている、勉強できること、きれいになること、文学を読むこと、高尚になること、得意なものができること、すべてに怯えきっている。欠陥つくらないと、完璧すぎては早死にするだとか、周りの世界観を裏切るだとか、怯えきって生きている。怯えきって、周り伺って、ようやく誰かの幸せを見て、自分にOK出して生きている。
<430> ぺあ(FB注意) ■2007年10月12日 金曜日 22時25分10秒
 学校。もう私は子供助けなくていいですか?いじめられている子助けられなかったら、助けてあげるのが経験者の責務な気がして。
 でも、もう辛いです。あんな勉強もしたくないな。
 もう忘れて関係なく、普通に大人として働いていきたいな。もうやめたいな。学校に関わることはやっぱりもうしたくないのかもしれないな。
 だって、もう分かったから。もう十分だから。もう理解したから。もう私と同じような子を救わないとって頑張る思いはすんごいあって、圧倒されるけど、本当の静かな願いは、別なところにある気がするんだ。
<429> ぺあ(FB注意) ■2007年10月10日 水曜日 11時09分05秒
 どうしても忘れられない。小学校時代のいじめ。恐怖だった学校。呼吸さえうまくできなくなった10歳の頃。
 どうしてもどうしても周りが皆結婚して子供作っていても、どうしても忘れられないよう。そして未だに怯えきっている。忘れるために、研究もした。いいたくもないのに、言った。何か変わると思った。それでも分かったのは、うちの父が躁うつ病で自死したことだけだった。
<428> ぺあ(FB注意) ■2007年10月08日 月曜日 14時17分37秒
そういえば私は常に、「おとなしい」「もっと自分の意見主張しましょう」の連呼されてきた。どこを見ても「もっと自信持ちましょう」の連呼。教育実習で過去の否定だらけ批判だらけの私への評価を覆して、やりたかった。うるさく、自信もち、明るい、意見主張型の人間を演じました。「よくはなすから聞いてくれそうな年上の彼氏のほうがいい」だとか意味不明な助言くれやがった若手の浮気しまくる教師だとか、「ちゅうさんから全く変わらない」だとかうっさい元担任だとか、極めつけは私の意識をとばした担当。学校ってなに目指しているんだか、私の時代は女でも意見いいまくって子供らしく騒いで、うるさい子を皆目指さしていたのかなんなのか?でもさ子供時代くらすの子供にも、私はおとなしいなにもはなさない、気持ち悪い、何考えているかわかんない、もっと騒げばだとか勝手なこと言われ続けたけど、ねぇ私はずっと父の寂しさ不幸さ突然の怒り、母の怒り、姉と母のからかい続ける毎日の中、うるさく私の中からの欲求に従って生きれましたか?自信なんていっつもいじめられて私の感じたこと見聞きしたこと否定されて大したことじゃないと言われ続けてきた。私が自信ある子でいれますか?ふりするしかなくなるでしょ?うっせんだよ。自傷して私の中からわき出る思いを殺していきてきた、周りには期待に応えてふりし続ける。今も和式便器におしりつっこんだり、そこらへんのものの角を私の性器につっこんだりそんな想像をして常に不快感を自己に与えている。知らない間にいじめっこの心が私に向かってこないように、私が知らないうちにみんなトイレからでて私の悪口ひそひそしないように、すべていつも気を抜けない、家にいても暗い自己や泣きたい気持ちに絶対に死んでも気がつかれないように。私の涙に気がつかれないように。本当の汚い私におやや姉が祖父が気がつかないように。末っ子はねているかわいく皆の思いくむ〜ちゃんとしてカバーをかけている。だまされるな、学校にあいつらの勝手なパンチにあいつらの何も知らないくせに性格にまで完璧に引き延ばそうとし、けちつける、私の家庭わかってます?あんただって十分おとなしくて自信なさげだろうがよ。おとなしいことを罪悪に感じずっと器楽している高校時代も休み時間一人練習しながら冷や汗かいて、ここで少しはなさないと、疲れたくらい言わないとって頭でふつうを探って心なんか無視して生きてきた。もうまっぴらだ。
<427> ぺあ(FB注意) ■2007年10月06日 土曜日 11時15分24秒
教育実習で受けた傷は自分で癒します。また、父のなくなったことも自分で癒します。誰のせいにもしません。実習で皆子供の一斉に頭おかしいという目で見られたことは私の心を砕きました。それでも、そうされて仕方なかったことを私はしたことを認めます。校内放送で全校生徒に自分の過去をとめどもなく話し、「友達嫌いでした」「今大学ではじめて自分の居場所見つけられました」そう話して、「私おとなしくてコンプレックスだらけでうるさい人をうらやましいと思っていました」とか言いました。今から数年前の出来事ですが、未だに私の頭を離れないのは、その演説で誰かがいじめられて自殺したかもしれないから?(ほんとにそんなことありえないのにね)私の担当が私に意識とぶほどの言葉の暴力を子供の目の前で行使し、職員室まで追ってきて「お前は次失敗するよ!!」って他の先生の目の前で意識とばなかったけど、すごい狐目で怒鳴りつけ、恐怖に陥れたから。そのくせ実習終わってから、「言い過ぎた、ごめん。でも俺の子供昨日俺の帰り待って居たんだよ・・・」とか言ってきたから。私は憎んでいる。恨んでいる。それでも私は悪い。かつて学校でされたことを理解して学校にいったから、教師になる気よりも過去の私の傷を癒したかっただけのために行ったから。癒えるどころかさらに傷にからし塗りたくられたけど。でも自閉症を知った。それは私の乖離と同じようにして自分を守ってきた方法が出てきた。その本ほどいっつも乖離していたわけではないけども。それは良かった。今日はここまでね。でも、もう問題ある人や怒鳴った人のその後の心配、私がそうさせてしまった自殺していたらどうしようとは思わなくていいんだよ。あなたは実習で傷ついたことを自分で癒すんだ。
<426> ぺあ(FB注意) ■2007年10月06日 土曜日 00時25分31秒
学校は弱まって、他者の不幸をなすりつけられて当たり前だと家族から思わされ、不幸な人をなんとかストレス和らげないとと思いこんでいる私にとって、荒野に丸裸にされて子供のありとあらゆる不平不満怒りを吸い込む機会を待っている場だった。あの子たちの気まぐれと感情見え見えなむき出しの野生的な本能、私をいじめ役にして一斉に高まる私へのいたぶりは、心を守って支える場所をこの世に持たない私には、ぐっさり突き刺さり続けたんだ。毎日後15分で学校という心を私を弄ばれる場に行くんだと思い続けた。そう、土曜の学校の終わりがくれば後28時間はまだ休めると心躍ったし、家族が皆お出かけと聞くとさらに、感情出せる場ができるから、私には神様ありがとうなんて幸運なのという思いだった。9歳からいじめられはじめた。でも一番はNさんに顔に蟻をつけられて耳に入った10つの時の出来事がつらすぎた。その前までずっとSさんKさんとクラスが離れたと私のせいだと散々責め始め、私が反抗しないでだまっているのに味占めて、私を毎日たたき、つめとつめで私のことつねり「悲しい痛み」とかいって遊びにしながらね。私の皮膚はべろんべろんになった。毎日毎日事あるごとに、お前はいい母親いてずるいだの、傘届けてもらってだの、歯の矯正が痛くてお前にはこの痛みわかんねえよとはいて、私を壁に押しつけて「男子にこんなことされたらどうする?」って迫ってきて。毎日「ばかちびばか」と頭はたかれ、赤白帽子でたたかれ、これを投げられ、毎日だよ毎日毎日。体操着入れを汚い男子の机にすりつけ、そいつの体に私を体当たりでつけようとする、トイレに閉じこめる、掃除が終われば私の机だけを裏表逆にして私見てる、Mさんと一緒にひそひそ見ていた。すごかった。中学では幸い一緒のクラスにならずにすんだのは本当に私にとって助かった。でも私の部活の人に「〜さん小学校時代おちょくられていた。かんぺんを新しいの持ってくると皆でなにこれ〜って回される」とか告げ口して、私の大切にされることを阻止してひきずりおろしたかったみたいだ。そうね、あのころ毎日私は永遠に続くこの世界をただ、なぜ?って見続けた。ただただ意味がわからなく、でも私にはこの世界しかなく、誰にも大切にされないのは当然で、私の性格の弱さを憎んだ殺したかった新しく姉のように生まれ変わりたかった、永遠に続いた私にはもう自傷しかないと中学の時発見した。自傷はふりとして好都合だった。
<425> ぺあ(FB注意) ■2007年10月05日 金曜日 12時18分55秒
今でも父の書斎にある虫眼鏡を私の性器に突っ込んでやりたくなる。
ここに書いていて漢字を間違えると、姉の「ばっかじゃ〜ん」っていう声が再現される、あの子達の散々笑い続けた顔が再現され続ける。
 今でも私が小学校3年あたりに行方不明になった女の子を探してとかいうポスター見ては自分いじめに使っていたことを思い出す。お前が殺したんだとか自分に言えばなおOK。右耳がいたむ。いたむ。いたむのに、あの子の憎悪した顔、本当は性格よいだろうこと・・・高校時代付き合った人と結婚したから、かわいそうな子だから、私に優しいときも結構あったから、医者目指しているから、お兄さんとお母さんが死んだから・・・から私はあの子よりましでずるくて、そんなことで私はもう傷ついたら悪い、かわいそうって思ってしまう。私が罪悪感を背負うの。父の使っていた肩たたきも性器に入れてぶっ壊してやりたい。耳にもう一回ありいれてやりたい。性器にコーどとか入れて、あのいじめられた時の心のねじりまくった痛みわけわかんなさもう一回再現してやりたい。耳が痛いよ。右耳が痛いよ。痛いよ。痛いよ痛いよなのに私が誘発したのかもとさえ思ったこともあるよ。痛いよ。
 どんな時でも私はここに帰ってくれば作られた顔で笑って、母や父の許容範囲でしか生きれない、だってあの人たちのほうが弱くて不幸で何もできないからね。
<424> ぺあ(FB注意) ■2007年10月05日 金曜日 12時11分11秒
 私の人生において、たったの一回きりしかなかった、中学時代も、誰かの誘いでやめさせてもらえない部活。あの頃も意識とんでいたし、小学校時代のいじめによる後遺症もあり、過呼吸もあったのに、よく毎日遅くまでやりたくもない部活して、友人との語らい(こう見せれば良い程度のやりたくもないこと)やっているように見せかけて、部活する普通の子に見せかけて、生きてきた。
 思えばすべて見せ掛けだった。本当に全部。先生に普通の子と安心してもらえるために。自分の中の芽なんかなかった。全部見せ掛けで生きさせられた、全部この自意識過剰なうざい見栄っ張りなおやじと母親のために。
 高校時代、愕然とした、つまり私は本当の私を奪われてきて、でも親の目のために自傷までして学校生活送らされてきた、でも本当はそんなことしなくても良かったんじゃないかって。たった一回きりの人生なのに、何で見せ掛けでいきたくもねえ学校に笑って自分にまで嘘ついていかないといけなかったんだろうか???
 またその心理的後遺症のおかげで高校は楽しげな皆をよそ目に自傷と罪悪感に苦しみ続けた。悪夢と金縛りは毎日。テレビの殺人ニュースは「すべて私がやりました!」って家族の中で笑っている合間に頭で連呼し続ける。お風呂に入れば、殺人事件の被害者、この近所で行方不明になったきもい女のポスター現在の顔とかCGでつくっている本当に気持ち悪い(そうだ、あのいじめた鼻変形した汚い心と顔の持ち主の憎悪の顔にも似ているな)顔の女の子を、私が殺しました、って自分に言い聞かせるの。そうやって長い長い夜を誰にも言えずに自分を汚いと自傷しながら生きてきた。手首切ったこともあった。あまりに自傷君が消えてくれないから。もう生きるのつらいなって思った。自殺した息子を書いた作家の本読みながら自殺した男性の名前呼んで、彼なら私の思い分かってくれる、あなたに会いたいって思いながら生きていた。
 思い出したよ。
 キスされたことも意識飛ばすのは私がこの世に自信ないから。自分の感覚信じて生きさせてもらえなかったから。だから、大人な行為は周りに相手の欲求にすべて合わせて生きる。そうしてきたから、嫌っていう思いは私にはご法度だった。嫌を疲れたを怖いを感じるなら私は相手に悪いから、相手をつぶしてしまうから自傷と意識飛ばしをはじめる。
 本当に恐ろしいことだよね。
 今だに自分をここが一番弱いんだなって狙うもう一人の私が居る気がする。狙って、潜んで、私の重要な場面でばっって出てきて私を潰そうとするんじゃないかっていう恐怖があるんだ。
 恐ろしいよね。私は何度もこの家と学校で二重人格の危機を迎えてきたんだ。
 何回かもう無理ってあったもの。それでも大学まで其の先の学歴まで進めたのはどうしてなんだろう?
<423> ぺあ(FB注意) ■2007年10月03日 水曜日 22時38分21秒
私ようやく気がついたのだけど、私は小学生と中学生の時に、性的いたずらに遭っているんだ。小学生の時には、隣の男子に椅子の上に手をおかれ、座って気がつき、あいつの顔を見たら「何だよ!」ってすごいにやにやしていて何も言えなかった。不潔といわれた男子に髪のてっぺん分け目に沿っていじられて、「これで最後だから」と言われ、髪や首を定規でなぞられた記憶がある。ある男には、手を机の中でにぎられた、これはいたずらじゃないけど、気持ち悪かった。それから中学の時斜め左のNという男子に足を私の足にくっつけられすごい気持ち悪い顔でにやにや見ていた、Nかわというやつには体を壁に何かの時に押しつけられた。何もなかったかのようにでもにやにやされて、された。私はずっと小学校の時は最悪だけど、それ以降は彼らが私のことを好きだからだと思っていた。私は誰かの世界観サイズに自分をそいで彼らが肯定され否定されぬよう、私がすべて相手のサイズ通りになる、どんな人に対しても。だから私は誰かに対して必ずサイズ変わるから、裏切り者のうそつきと思ってきたし、そういうふうに言われること、気がつかれることに怯えていた。また、私が今子供虐待方法を頭で考えたり、こうすれば痛手負わせられると頭のどこかで考えたり、弱いものを殺す寸前まで恐怖に陥れて、支配してやりたくなる思いには、私自身が私の弱さを利用され続け、それでも私が悪いと言われ、他者の責任おって生きてきたことに起因する。弱いことはいけないことだった、いじめられて仕方ないことだった。私の弱さは笑われ見下されバカにされ壊されてきたし私自身それを丸飲みし、殺してきたからだ。だから弱くてもいいよって言われている体現している人見ると、壊したくなるんだね。
<422> ぺあ(FB注意) ■2007年10月03日 水曜日 15時54分28秒
なぜ学校には弱い、自信を打ち砕かれている人を瞬時に見つけられる、そういう人を見る目がある人がいるんだろう? もしかして彼らも過去に自信打ち砕かれ弱められてきたからなのか? 私は見るからに弱々しい顔していたみたいで、彼らに簡単に餌食にされた。Nさん、Yさん。態度を人によって変える人たちだった。弱々しい顔して自信なさげな私が悪い、むしろ私が彼女たちをいじめさせていると思ってきた。彼女たちの背景を自分なりに想像し、どちらも家庭にフラストレーションたまるような子にみえた。 私は背骨が折れそうで、小さな小さな背中でどれだけの人をものを支えさせられてきたことか。私にはこの今ある実家の場に7つの時から来たけど、ろくなことなかった。友人にもほとんど恵まれなかった。何もかも背負わされ罪悪感に覆われた子供時代だった。かつては意味わからなかったけど、不幸そうな父を背負い、祖父も祖母も母もそれだけじゃない自信なさげな人も、不幸そうでしかも人の心を殺そうとする暴力性抱えた子の、ごめんなさい、あなたをこんなめにあわせて、もう大丈夫お母さんが守ってあげるから、こんなつらい現実から…役、お守り彼らの怒りを吸い込んでずるい私が全部受ける役を引き受けさせられて生きてきた。ひどい子供時代だった。悲しいのに家族の前で私を楽しまそうと喜ばせようとしている父の母のこの家族の安定のために、私は私の感情をみせられないどころか、隠してトイレで独りで悲しみや怒りを処理する私に私は家族にうそつきで家族の知らない一面なんか持つこと自分に許さず生きてきた。こういう私にどれだけ学校で、弱い、いじめられるという彼らにとっては好都合な理由でいじめられてきた。私はずっと私はいじめられてもしょうがない生まれつき人をいらつかせる汚い女なんだと思ってきた。
<421> ぺあ(FB注意) ■2007年10月03日 水曜日 10時29分27秒
続き ばかみたいに、子供にされてきたことと同じことして、孤独感訳わからなさを味あわせたかったこと。先輩の妹は私が教えた子。父の葬式のあと、その子とそれ以外の子何人か私の家の近くで遊んでいた。そして私を見て、何あれあの先生やばくない?あいつだよとひそひそ見ていた。私校内放送でも自分の過去、同級生きらいでした。コンプレックスありましたとか言ったからね。言った後の私を見るあの、いかがわしそうなものを見る突き刺さる視線に私は傷をかきむしられた。そんな経緯あるから、変な先生頭おかしい精神不安定っていう視線で見られて当たり前だった。でも父が24で自殺して、私が赤ん坊の頃から躁鬱あってあのときのこともあれも全部私のこの感覚はもって当たり前の感覚だと分かって。かえってきたくもないこの実家の近所で父のこと親戚に隠しながら知ってるの姉と母と私だけだからね、葬儀社にも秘密にしてもらってやった葬式だったから子供の視線に傷ついた。そんな子供の姉だからあの一家許せないとしかとしてるの私。無視。

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This script written by Shintaro Wakayama.