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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.21
メッセージ数:420件

<420> ぺあ(FB注意) ■2007年10月03日 水曜日 10時03分23秒
またやっちゃった。近所の先輩をしかと。私は教育実習で、境界線がない生き方のまっただ中にいた23のときだったが、まあひどい目にあった。とにかく担当が鬱病一歩手前ぽい人で、表情変わらないし怒りでふつふつしているような人だった。なんか来てまだ3年だとか私に言ってきて、俺つらいんだよっていうメッセージ出してんの。きもい!私はそのかわいそうな人とまた共依存っぽく独りなった。あの人よりいい授業したら、教師何年目かのベテランなのに俺って生徒にもあの先生の方がのびのびさせられているし、俺死にたいとか思わせる、自信壊してしまうとおびえきった。そのくせ、子供時代には、ばかにされて当然な私が、教師という権威もって、敬意払われることに、「じゃあ今までの小さな私にした様々な仕打ちは何だったんだ?」と憤った。今更なんなんだよ?って感じた。そしたら姉が私にいつもしていた、私の好きなものをバカにし見下し笑い者にする、態度によって私は自信なくし、好きなものも心の大切な自尊心も砕けたわけだけど、それを私は担当教師にやってしまったの。その人が、ある教育方法気に入っていて、それを授業せずにやっていた。そこに私はバカにした顔した。だってその方法やってた教授友人ばかにしていたから。そして子供にも訳分からないことして、「わかるだろ?これが大人の世界なんだよ」と押しつけた。私は学校でもさんざんされてきた、同級生に、石をこれは栄養物だとさんざん皆に言われ、食べてきた過去。私は見返してやりたかった過去の同級生、何一つ助けにもならなかった教師、姉、母親。そうして結果その担当の先生の子供が寝ないで待っていただとか個人的な理由でいらいらしたあいつは、私に最終日に子供の前で心ぶっとんだくらい怒鳴り散らし、今までどれくらい我慢してきたかを私に言った。あなたみたいな実習生はじめてですよ!ってにらまれた。私が唯一悪いと思ったのは、姉が私にしてきたことをその担当教員にしたこと。その人の教育方法鼻で笑う態度見せて、私の心殺されて自信なくすようなことを、私はその人にやったこと。怒っても良かったことなのかどうか子供の私は分からなかったから、私は試せそうな人で←子供があの人きもいとか言っていた、先生ムカつくおやじって思ってるだろ?って私に子供が言ったから、私はしたんだ。また、子供をみたら私のされてきたことをしてやりたくなった。訳分からない世界で、でも分かるだろ?分からないおまえがばか
<419> ぺあ(FB注意) ■2007年10月03日 水曜日 00時07分56秒
暴力や心をひどく傷つける嫌み、相手のいらいらぶつけが、私にいつ降ってくるのか分からなかった。ただ、私は他者の特に理性無い感覚だけの、異常にその場に応じたリアリティあることはっきり感じ言う子供の、暴力スイッチを入れてしまう子供なんだって思いこんでいた。それくらい常に私は他者のストレス刷毛口にされ続けてきた。おまえが優しいからいけないんだ、嫌ならはっきり言えよ、はっきりしない人嫌い!あんたが嫌だっていうからこっちはつけあがるんだよ!いくら言われてきたことか。母からは、あんたは弱いと大喜びでこづかれていた。姉にもね。弱い弱い弱いお姉ちゃんは強いそれに比べあんたはほ〜んと気が小さくて、いじめられてんの〜が母の口癖。姉はピアノの先生にも誰にもしっかり者でほめられる、私は姉にピアノの練習の邪魔されていたもんね。横からあいつが弾いたり、それだけじゃない「おまえの汚い音聞きたくない。へたくそ!」って言われた、そのときは父がかばってくれた。ほんとに寂しいよお父さん私はお父さんに最期八つ当たりしたかも、弱い存在喜んで見つけて八つ当たりするこのおうちで。
<418> ぺあ(FB注意) ■2007年10月02日 火曜日 23時57分00秒
何度も突き落とされた。何やってもげらげら笑う。思い出すのはつらいけど。今から16年前の小学校での集団の意地悪いからかい。私は忘れられない。 ずっとずっと恨んでいた、許せなかった。小学校3年から徐々にエスカレートしていったいじめ。忘れられないよ。私はいじめても何やってもOKって言われていた。こいつなら何やっても笑うと。何やっても私は半分以下。何やっても必死の訴えも誰もがげらげら笑っていた、母親でさえ姉でさえ大喜びで笑っていた。 私には何にもなかった。自傷しか行く末なかった。小さな心配事もげらげらみんなに笑われ大切にされたことは一度もなかった。 私も一緒になって笑っていた、意味わかんなかったし、世界と私の感情の歯車はかみ合わない、私は場違いな世界に生まれてきたんだってずっとずっと思ってきた。姉が母が父の自死姿見てかなりざまあって思ってる。特に姉なんかまじ良かったな、このばかぶすばばあって思ってる。姉はひどすぎだった。そのくせ私は良い姉だったとか押しつけるし。学校って私には恐怖だったな。その思いさえ今でも感じないよう自傷するけどね。学校、私のような子には守る盾もない。周りにはずるく見えるみたいだし。でも家では私笑われものだもの。学校いろんな背景の子いたけど皆私は母のような受け入れで接した、相手の責任全部背負って。相手の機嫌悪いのも、相手がかわいそうな家庭環境なのも全部私のせいにされ、そう私も自分にした。
<417> ぺあ(FB注意) ■2007年10月02日 火曜日 22時28分00秒
教育実習なんか行かなければ良かった、うちの姉のうざい言葉全部丸飲みして、私は生きてきたから。いやだいやだいやだ。あんなに意識飛ぶほど怒鳴られなければ私は父を救えたかもしれない。あんなにひどい目にあったのは子供時代のいじめ以来。怒鳴られ皆の前でふざけんなって怒鳴られて、子供にこの先生の授業分かる人手挙げて〜って言われひどすぎる。気持ち悪い。鬱病寸前のじいさん。あの子供も嫌。すんごい嫌だった。私は私の生き方で動けなかった。人を喜ばせて挙げるためだけに生きてる。教師?知らねえよ。うちの資格マニアうぜえばばあがとれって私のような世間知らずに押しつけたんだよ。うちの4つだかなんだかしんないけどうざいきもい姉がよ。自意識過剰のおかしいナルさんよ。
<416> ぺあ(FB注意) ■2007年10月02日 火曜日 10時14分30秒
 中学校の時の部活でペアを組んだ子、すごく怖かった。ねえ、吐き出すだけ吐き出したら、私にはすべてを小さく見える気がするの。もう私を脅かさない、私の心の大切な部分を渡さない、もう気を抜かされない。
 
<415> ぺあ(FB注意) ■2007年09月26日 水曜日 22時19分18秒
 吐き出すだけ、私は吐き出せているんだろうか?もう前に進む段階にいるんだろう。段階なんて作らなくてもいいんだよ。
 吐き出したいときに吐き出して、前に進まないといけない時は進もう。
 
私の願いはね、いじめた子のことなんか、思考のもう隅の隅に追いやって、普段は意識なんか全くしない。
 「ああそんなこともあったけかな」そういう風に思えるくらいになりたい。今の大切にしたい人を大切にし、今の現実にいる人をもっと思考におきたい。でも、私多分、今でも人が怖いんだ。だから、過去にしがみつく。自分は正常に育ってこなかったから、異常で、だから、他者と関わるの怖いんだ。だから、今を生きることもまた怖いの。周囲に人置く事も怖くてたまらないんだ。
<414> ぺあ(FB注意) ■2007年09月26日 水曜日 22時14分33秒
もういい加減あの過去のこと、しがみつくのやめようよ・・・。
私の中には、やはり、許しがたいことをした人に、「かわいそう」「助けてあげないと」私の恨みや怒りが=神様に見られて・・・その子に不幸が及ぶんじゃないか?心配。そう思っている節があるの。
 その子の結婚話しうらやましかった。高校時代からずっと付き合える人いるんだ。それだけで、自分のことすべて受け止めてくれる人なきがして、損な人と出会えるだけの度量なさそうだったけど、あったんだ、ってうらやましい。神様呪ってやるくらいの思い。
 いじめた人とか、明らかに性格悪い人なんて、距離置くのが普通だよね。でも、私はしない。むしろ、取り付かれていく。なぜなんだろ?優越感もある。こいつよりは、ましって、クラスのかわいくて、すごい子たちに圧倒されてしまう、自信のないこだったから。
 距離が置けない。それは、相手が今にも倒れそうなほどの重症で、絶対に私だけに助けを求めていると、変に相手からの辛そうなメッセージに敏感に助けないと!と反応するから。
 すんごく変なでも、相手から覆いかぶされるこの感覚は、言葉にはうまくできないの。でも、重いの。でも、私って頼られている〜って嬉しいの。この変な感覚は他の人には分かるまい。境界線ないから、孤独や嫌なもろもろを考えないで済むの。
 父が躁うつ病で、それを知らされずに、隠されてきたから・・・彼自身も認めたくなくきたから。(でも、それは父のプライドだったし。私だって、もしも自分がそうなったら、やっぱり子供には言えないかも。一番辛いのは、その本人かもしれない。私には分からないから、父を責めてはいないの。ただ、見ていた子供からしたら、訳分からなくて辛かった)父から、何か、何か、変な空気感じていた。「助けて」「お前なら分かるだろ?」「分かってよ」こういうメッセージ。「お前しか分からないだろ?」
 これは嬉しい。父のこと好きだったから。でも、でも、わかんない。なぜ?なぜお父さんは寂しそうなの?私がどうにかできないの?私の感じている幸せは家族とは違う。わかんないけど、どう考えても、この幸せ感じる私ってずるいんだ。あの子も辛そう(あの子とはいじめる子)。世間は辛い人多い。幸せそうな人なんて見たこと無かった。だから、余計、病気とかそういうのも情報だけ聞いて震え上がっていたような子だったから。私は恵まれていると思った。なんか、天罰くだるかもとか思ったり。おごっているんじゃなくて、よく分からなかったの。何で、家族は辛そうなの?それが子供の私には辛くてね。母が父と姉の固定化された馬鹿にされ役、物心ついた頃から見てきた光景。母を守ろう、そう思ってきた。母は何にも覚えていなかったし、そうやってからかわれたり、おちょくられるのは、彼女的には全くOKだったそうだ。
 ねじれているんだ。辛くても家族には言えないんだ。辛いことこそいえないの。いえるのは、一般的に受入れられて、彼女たちを否定したり、あの人たちの価値観を覆さない範囲にとどまっていて、自分で処理できる範囲のこと。つまり、世間話程度。
 暗くて、自分ではどうにもできない問題は、死んでもいえなかった。笑うから。ばかにされるから。ずっとずっとその後もねたにされるから。評価しては、将来お前はこんな奴になりそうって勝手に分析されるから。親戚に面白おかしく話されるから。
<413> ぺあ(FB注意) ■2007年09月13日 木曜日 13時11分38秒
 いじめの話しを書いていこうと思う。
小学校3年の頃、ある女の子Kさんに「好きな子がいる」と言われて、私もその子の事が好きだった(気がした)。Kさんに「応援してる〜」って私は言った。でも、別な子Sさんには、「好きな子誰〜?」と言われて、「実は・・・H君」と応えた。
 ある日、私は男子と日直だった。給食時間中に、うるさかった人を給食の後片付けにさせる役があった。そのSさんと男子二人を日直の男子が当てた。
 Sさんは、私に「とめてくれなかったね!!」と睨んだ。私は、こういう態度怖かったのね、多分・・・。心底「悪い、ごめん」と思ったんだろうと思う。
 Sさんに、謝り、そして、次の日、体育授業終わった後、下駄箱の所で、「まだ仲良しだよ・・・」という印のように「ねえねえ、Mちゃん(Sさんのあだ名)私の好きな子言わないでよ〜」と笑いながら、私は言った。
 Sさんは、にやにやしながら「OOOO(私のあだ名)の好きな人ねぇ・・・。うん」とか言っていた。
 で、そのSさんは、私の台詞に触発されて、思い出したらしく・・・。また、他の女の子がいる中で私がそういう事を言ったので、「OOOOの好きな人って誰〜?え〜、誰々?」と口々に騒いだ。Sさんは、「OOOOのお父さんだよ〜」とかにやにやしていたけど。結局、クラスにそれをばらまいた。
 そうしたら、同じ人好きだったKさんが怒った。そして、もうそれから、総崩れね。
 あの日の恐怖はまだ覚えている。私、これからいじめられるようになるだろうな・・・。頑張って、友人関係保ってきたし、いい位置つけてきたけど、もういじめられるだろうなって思った。今でも覚えている。放課後、校庭に置かれた緑色の紐のフェンス、サッカーする男子。私の方を見る小学校3年のクラスの女子のKさん、K谷さん、他のうるさい女子。私の方見てにやにや笑っている。私は他のOさん、Tさんと帰りながら、「こっち見ているよ」とTさんOさんが言ったのかな。あの子達は、騒いでいる、「お前の好きな人情報GETしたよ!!」だとか、やだ〜みたいな雰囲気で私を笑っている。
 その日は帰ってからも、お母さんが買ってきてくれたケーキ食べれなかった。「OOちゃん、ケーキ買って来たよ〜」という声に、「うん」とあのテーブルについて・・・いつもなら「やった〜」なんて思うのに、食いしん坊の私が初めて、ケーキ食べられない・・・と思った。不安で怖くて、(私は多分小さい頃から今の今の今までそう、こういう気持ち独りで耐えていた。あの頃はもっとそうだった。誰も不安や怖さを受け止めてくれる人はいなかった)明日からいじめられるというのはもう感じていた。もう、学校に私の居る場所は、なくなるだろうなと思っていた。
 全く、その感じは当っていたんだ。
 次の日から、私はもういじめの標的にされた。あの子たちにとっては、日ごろの溜まっている憂さばらし、うっぷんばらしの的が決まったわけだ。
 私は人からこういう役、こういう人と決め付けられたら・・・そういう人になってしまうの。覆せないの。悪いことに、そうじゃない自分を持っているだけで、その人に対する裏切り行為だと考え、自分をそいでいくのだ。
 そうして、中心に居るKさん、K谷さんがそういう扱いを私にしたことで、皆みんな私をそういういじめても、何やってもOKに思っていった。
 悲しかった。今でも悲しい。全部覚えているよ。26になっても。今でも生きられない。みんな結婚しているのに、私は人が怖い。人を信用なんかできない。人と結婚なんかできない。自分のことずっとずっとずーっと「ずるい汚い女だ」って心のこそから思っているもの。どんなに時が経っても、父が自死しても、私にはあの頃のいじめの経験の記憶の方が鮮明なの。小学校3年から6年までの心を殺して、そんな自分を周囲と同じように笑っていた、あの時期が。
<412> ぺあ(FB注意) ■2007年09月13日 木曜日 12時46分11秒
 新聞のいじめ特集を読んでいたら、私のいじめられた経験を、心の叫びを書きたくなった。
 新聞には、『受けた側がつらいと思えば、それは「ふざけ」ではなく、「いじめ」である』と、生徒に言った先生のお話が載っていた。
 私は、小学校3年生から徐々にいじめられていった。そして、役割に忠実な私に目をつけた子に5,6年の頃はいじめられていた。
 辛かった。
 母は、「そんなことくらいで傷ついたら、世の中やっていけないでしょう!!」と怒る。「もっともっとも〜っと大変なことなんか、社会に出たら、たっくさんあるんだよ!!」これが、母の言い分なんだ。父には、「過去は変えられません。変えられるのは、未来だけです。」そう言われた。

 私には、あの子供の頃うすうす感じていたから、言わなかったけど、学校でぼろぼろになった私の心が、親から何か笑われたり、馬鹿にされたり、そういう目で決め付けられたら、もう生きられないだろうと・・・感じたから、とにかく親に隠して、見つからないように必死でしていたのだけど、それでも、「もし正直に言えていたら、どれだけ心が助かって、普通に成長できていたかもしれない」と悔やみ、自分の勇気のなさをいつもいつも責めていた。
 でも、大人になって、無事終わったから、告白したら、こういう風に言われた。今でもこんなに傷つくから、あの頃の判断は正しかったのかもな・・・そう思った。
<411> ぺあ(FB注意) ■2007年09月08日 土曜日 11時06分59秒
 実習もそうだったけど、自分の価値観は、全くのおかしい代物で、相手のいう事すべて遵守しなくてはならない。たとえ、意味不明で、現実遠のいても、それでも、おかしいのは、全部私。そして、相手は精神的にもう病んでいるから、私だけが守ってあげないと、あなたの世界観全部「その通りです」と忠誠誓わないと・・・相手は倒れてしまう。という恐怖。思い出したくもないけど、教育実習もまさにそうだった。おかしくない?という心の声は、自分で全部消去。とにかく、従えば、いい。コントロールして、自傷する。苦しくないといけないと、思わされて、意味不明に苦しんで頑張る。
 ねえ楽しかった?まったく、全然。過去の嫌な雰囲気も空気も勢いも学校って相変わらずありました。また、子供のおふざけもやっぱ、理性なんかんじと、相手値踏みしているかんじは、恐怖以外の何者でもない。怖かった。とってもとてもとってもとってもとってもとってもとってもとっても怖かったよ〜。怖かったよ。怖かったよ。怖かったよ。怖かった。何しろ、実習に行く1年前から、実習で失敗する悪夢沢山沢山見ていた。いきたくないけど、辛いことするのが、大人生活では当たり前なことだと思った。姉の世界観肯定するためにも、姉の私よりも世間よく分かっている人の言う事を、守った。
 自分で納得できたことも、考え抜いたことも、私は子供の頃から一度もないんだ。
 だって、納得できないことだらけ。家族の中でも、明らかにおかしくても、なかったふり。うわっすべりの、でも、合わせて、生きればいいと思ってきた。うわっすべりで、空っぽな人生だった。それでも、家族で問題解決したことないし、皆レッテル貼って、とき過ぎるの待っているだけだし。
 私は、考えて、相手を傷つけると怯えきっていたし。自分の自我を持つことは、父に母に反乱起すこと。父と母を姉も否定してしまうと、ただ怯えきっていた。
<410> ぺあ(FB注意) ■2007年09月07日 金曜日 22時42分09秒
小学校高学年の頃の思い出。とても辛かった。
それを、ずっとひきずった。中学校時代は、いじめられはなかった。
 ただ、いっつも人のお世話役であった。
 何で?中学校なんかに行っちゃったんだろう?何で、あの場所で、担当教官に、過去小学校高学年の時にされてきたこと、姉にされてきたことを、やってしまったことへの、ざんげで、私のほうがおかしくなれば、救われるかもと思ってやった。
 学校って怖い場所だなあって心の底から思った。
 小学校時代の恐怖を23にもなって、実習生と言う身になってさえ、味わわないといけないんだなあと心の底から思っていた。
 怖い場所。とっても怖い場所。子どもも私にとっては恐怖そのものなんだ。
あの集団主義も。恐怖。
 ねえ、私って間違っていたのかな?私は、ずっと追及すべきと、頑張ってきた。でも、何も何にもならなかったな。父には死なれるし。何にも何にも何にも何にも何にも何にも何にも何にも何にもならなかった・・・・。
 頑張ればいつかきっとかなうって・・・祖父からの続いてきたこの家の教えじゃない?努力が重要って。
 でも、私頑張ってけど・・・父を助けたかったけど、理解したかったけど、残ったのは、これか。
 あんな実習いかなきゃよかった。
 あんな教師や生徒にあうくらいなら、いかなきゃよかった。行かなければ、私父のこととめられていたのかも。少なくとも、この地域で肩身狭い思いしたり、高校生くらいの年の子に怯えないですんだのに。
 あのせこい姉の資格取れなんていう忠告なぜ聞いたんだろう?
ほんとは、司書や学芸員のほうが数倍ほしかったな。
 あの学校では傷ついただけ。誰かを救うために、自分を傷つけねばという誤った考えのおかげで、私はあのむっつりが言うように「一人ずもう」していただけなんだろうな。まあ、もう二度と関わりたくないけどね。でも、ほんと気持ち悪い。なんで、罪悪感とかをなすりつけられないといけないんだろう?
 大の大人に。「あなたのほうがいるほうが、うちのクラス明るくなるんだよ。もう俺どうしたらいいのかわからないよ」とか23の実習生に言って来るの。はあ?って感じじゃない?もう私ももう二度と罪悪感なすりつけたりしないから、自分の運命受け止めるから、もう二度と関わりあいのないように、また、自殺したとか、あんたのせいでいじめにあっただとか、言われないようにしてください。あいつが、自殺していたらどうしよう?うつっぽい顔していたし、明らかにパワーゲーム身に付けていた、担当教官。きもかった。あいつが、自殺していたらどうしよう?って不安なの。実際したのは、うちの父なのに。うけるよね。まったく。
<409> ai ■2007年09月04日 火曜日 23時49分49秒
中1までは学校が楽しかった。休み時間友達とふざけ合ったり、行事に取り組んだり…勉強も部活も上手く両立できてた。上手く手抜きしながらやれてた。でも、勉強も部活も上を求められるようになってきた。上がれば喜ばれ、落ちれば失望される。それが怖かった。せっかくできた私の居場所を失いたくなかった。友達と遊ぶこともなくなり、勉強と部活にだけ打ち込んだ。でも、どんなに頑張っても結果が出ない時がきた。自分の限界だった。それを認めたくなくて、病気に逃げた。いいわけが欲しかった。一度優越感を味わうと、そこから落ちるのは屈辱だった。病気でいることで、傷付つくことから自分を守った。部活で負けても、受験に失敗してもいいわけ出来るように。高校に入学してからも、勉強についていけない理由を病気にして逃げた。出来ない自分を認めたくなかった。病気を理由に高校も中退できた。本当は勉強についていけないから中退したのに。周りにそう思われたくなかった。いつも回りに虚勢を張ってた。それが自分を守る方法だった。傷付くのが怖かった。勉強が出来なくなったとたん離れていった親と先生、勝てなくなった私を見捨てた部活関係者。すごく虚しかった。私はチヤホヤされて踊らされた。バカみたい。大切な友達は失った。私は本当にひとりになった。
中学は私の居場所だった。家で孤独だった私の大切な居場所だった。でも、それは偽物だった。必要とされたのは勉強の出来る私、部活で勝てる私で、何も出来なくなった私の居場所は無かった。それは私が選んだ。大切な友達との関係を疎かにして、勉強や部活ばかりやってた私のせい。でも、あの頃はそうするしかなかった。
高校は私の肩書きだった。校名のおかげで親や親戚は喜んでいた。それが嬉しかった。でも、ただそれだけだった。高校時代の思い出なんて何もない。
学校には何も思い出がない。偽りの自分を演じてた舞台でしかない。懐かしいなんて思わない。いろんなことがあったけど、それは全て演じてたことでしかない。
<408> ゆうこ ■2007年09月02日 日曜日 22時07分25秒
あの人たちは私の目の前で仲良くして、それを私たちに見せつけて満足する弱い人間たちなのか。
それとも私たちがあの輪の中に入っていかなくちゃダメなのか。ごめんだね。自分たちと一緒にいても楽しくないの。それはいいんだけど私たちが楽しく遊んでるととこを横目で見て「ばかじゃねえの?」みたいな顔をするのはやめろ。俺たちとお前らは違うみたいな。うっとうしいです。
私とお前らはちがうんです
<407> halu ■2007年09月01日 土曜日 21時40分05秒
生まれつき顔に大きなあざがあった・・・子どもの頃それでよくからかわれたりした・・・私自身幼馴染の子がいて楽しく生きてたから小さい頃はあんまり気にしてなかたけど、幼稚園に入った頃から他から顔に大きなあざがあってかわってるって見られはじめた・・・気にしいの私が出てきた頃だ・・・学校行っても、通学しても、電車乗ってもどこ行っても、顔の大きなあざを見られているようで嫌だった・・・また母親も不憫がって私を姉より甘やかした・・・不憫がって甘やかされるより、普通に接して欲しかった・・・今となっては母としては精一杯の対処方法だったのだろうと思う・・・友達と一緒にいると迷惑かかるって思ってなかなか友達に近づけなかった・・・表面上は友達付き合いもしてたんだけど・・・友達に遠慮してたし、友達に好かれること・・・愚痴聞いたり、行きたいところについていったりしないと友達関係が持続しないと思っていた・・・高校・大学は一人で悩んで頭痛くなって寝込んで・・・友達や家族に好かれようと良い子を演じて・・・辛かった・・・働き出して、お金に少し余裕が出来てから顔の大きなあざを取った・・・世界がかなりかわった・・・やっぱりね、小さいときから外見や環境、家庭生活など平均的な感じや普通じゃないと生きていくのは困難だって思っちゃう・・・私は外見も環境、家庭生活も平均的じゃなかった・・・姉は外見は平均的だったんで、私よりまだ普通に生活出来てた・・・今、二重にプチ整形とかも良いな!って思う。
<406> ぺあ(FB注意) ■2007年08月26日 日曜日 13時35分01秒
いじめについて、昨日テレビを見た。
いじめによって、精神的にバランス崩した子が、23で自死された話しが出ていた。その子のお姉さんもまたその後、同じ場所で自死されたとあった。
 その番組のナレーターのすごくかわいい子もまた、いじめの話しをふられると、涙ぐんで、詰まっていた。すごく分かった。なんか、自分見ているようで恥ずかしかった。
 その子は、「死にたい」という友人や、過去の記憶からパニックになる子に「一緒に死のっか」と言ったり、ただ抱きしめてあげるそうだ。
 助ける方もまた辛いんだなって思う。
 自死するのを、とめる、助ける・・・ことができるのは、心通い合った、家族なのかな、また、同じくらい辛い思いして、今もしている人なんだと思う。そういう人にもまた、助けが必要なんだ。
 学校で私はいじめられて、19の頃は、もうどん底にいた。精神的な。いつもくらい顔していた。周りは、浪人生だからだと思っていた。そういう身分に身を隠して、本当の悩みを見せずに、私は生きてこれたと思う。それが良かったのかどうかは分からないけど、とりあえず生きてこれた。それでも、いじめによる過去のあの悲しみは、計り知れないものがあった。人間以下で扱われたのに、大人になれば、普通に敬意示されて、友人にも優しくしてもらった当たり前、それが本当に異世界にいるようで、不思議だった。
 いじめ。いじめを繰り返さないことって、並大抵なことじゃない。他に支えてくれる人がいないとできない。私もまた、ものすごい暴力性を内に秘めて、それに怯え、人を殺しそうだと怯え、その怯えが、人に変なように思われ、ぐるぐるしていた。
 いじめってすごいと思う。いじめって、すごいもの。人が人を支配することは恐ろしいと思う。いじめだけで人を破壊できると思う。
 でも、いじめた子がいつも私をつねっていた、気持ちが今は少し分かるの。あの子も幼稚園の頃いじめられていたの知った、鼻に手術跡があって、あの子はそれをものすごい気にしていた、また、あの子のお母さんはうつ病だった。あの子は、小さいことから、保育施設に預けられていた。いじめるほど、辛かったのかもしんないね。
 優しい人が一番幸せだと最近は思う。人をいじめる人は、辛い人なんだなって。
<405> ぺあ ■2007年08月25日 土曜日 21時20分47秒
いじめが辛かった。でもいじめって不思議だね。あの子もまた辛かったって分かるけどね。それでもそれだけの事をされる人間だという屈辱惨めさは、悲しかった。いじめは、される方じゃなくて、する方に問題ある。私も安全な場所に立って、数年たったけど、もし今いじめられている子がいたら、一緒にいじめてしまうかも、ちょっと変だよねとか、ちょっと意味ありげに笑えば、私は安全な位置もらえて、仲間になれるから。私は正直に言おう。私はあなたをいじめたいみたいです、周りがやっているからです、私がいじめられるのは怖いから、荷担することは仲間に入れるからです…と。正直になることで、人って進めるんじゃないかな。いじめられている子供がいたら、私はなんてアドバイスするかなあ?まだできないな。同じくらい苦しんでほしいと思ってしまうなあ。私は乗り越えたようで、まだどっか苦しいんだな。でも、あなたらしさ大切にできる場所をこの世で見つけてごらん、好きだと思えること、自分も好きって思えることを見つけたら、強いよって言ってあげられるかも。辛いことは、全部後のために記録しなとか。いじめる子一人一人頭の中で拳銃でうちまくり、けちょんけちょんに殺してやりなとか。自分が自由で安心して自信持てる人や場所があれば、それを一番に思えば強いよとか言ってあげられるかな。戦争についてさえ、意見一つもてない子供のような周り窺う、世間の流れに流されるだけの大人が多い中、私は違うことは違うって意見言えるだろうか?暴力的な和は時に人を殺す。文化も時に人を殺すんじゃないかな。自然から学ぶことを大切にしたい。
<404> アーネスト ■2007年08月22日 水曜日 04時17分09秒
学校が嫌いだったと気付けて楽になった。それから自分が知的スノビズム、単なるインテリ気取りだと気付けたことも楽になれた。
<403> ぺあ(FB注意) ■2007年08月15日 水曜日 09時53分27秒
ここに実名書いてあげたい。あのものたち。むかつく。ぶすら。心がね。あの子達は表向きは友人。確かに友人ではあった。それでもあの子のやったこと許さないよ私は。その怒りが大切なんだよね。正当なところへ向けるべき怒りをもつの。そしたらもう「無実」の人私にとって「大切な」人、傍観者を憎まないですむから。あの担当教官を憎まないですむから。あれは私にも責任あったから。つらいけど。だから、私は許さない。Nさんをいじめた女の子を一生かけても復讐してやるから。でもね、誰か言ってた「いじめるような奴らは刑務所行きが落ちだって、そいつらの人生はそっちに向かってるんだ」って。あのこの擁護も幸せ願いもやめましょう。私も私の人生の責任取るから。あの子たちにはあの子達の責任取らせましょう。そうしましょう?
心理的ゲームずっと頭の中でやっている。現実の人は忘れていくのにね。私は私の空想の中で現実のいじめを終わらせたり、復活させたり。いつまでも記憶と伴に生活を閉めている。生きていいのか私分からないんだ。自分のために生きてもいいのか分からないんだ。人の嫉妬の目は怖いんだ。怖くて怖くて、自分のせいにしてしまうんだ。
 自分が傷つけば、誰かに何かやらかしても、失敗しても、帳消しにしてもらえると思っていた。
 何か不都合あれば、私が傷つけば帳消しになるんじゃないかと思っていた。こんな考え方って、まるで古代の生贄信仰のようだね。私の前世は怒れる神様に生贄にされた村の娘なのかもなあ・・・そう思ってしまったよ。
 教育実習。本当はいきたくなかったんだ。怖かった。とても。それを大切にできなかった。あの頃は。そして杖見つけた。その杖は担当の先生と仲悪くなることだった。そしてその先生に子供の前で意識ふっとぶくらい怒鳴られた、忘れない。許さない。職員室までおっかけてきて、その全員の前で怒鳴られた。それでも私のせいでもあった。あなたのような実習せいははじめてですよ。あっそ。私はこんなとこ全然着たくなかったんだよ、うちのばかなせこせこ姉のせこい助言のおかげと過去のいじめの決着つけたかったんだよ、このむっつり北国オトコめ。いきたくなかった。行かなくてもよかった。そう思えたのは最近。父を見ていて、私は大人になったら「つらい」こと「頑張って」しなければいけないと心の底から思っていた。楽しいのは悪で楽しいのはそういう大人を否定してしまう恐怖があったから。うちの姉の資格を何でも取っておこうというせこい根性とたちの悪い「私正しいのよ」といううるせえ4つも上のくせしておこちゃまの根性の押し付け助言のおかげで私は過去通った生きたくも無い場所に行ってしまったというわけ。実習さえなければ父の自死とめられたんじゃないかって思っているの。あの全員の目が白い目で頭おかしいと思われた恐怖はもうぬぐえなかったんだ。父をとめなかった。そう思う。それでも訳の分からない世界を必死で生きていたの私は。
<402> ぺあ(FB注意) ■2007年08月15日 水曜日 09時38分58秒
学校で、私は「弱いもの」として常に危険に晒されていた。あの頃のことを思うと、胸がきゅーっとする。いやだいやだと罪悪感でいっぱいになる。自分の舌を口の中をかきむしってやりたくなる。上あごの皮を削ってしまいたくなる。あの頃の恐怖を自分で起してやりたくなる。怖かった。それを認めたい。傷ついた。それだけなんだ。あの頃の惨めな私のままでいたいみたいだ。なぜなんだろう?上になってあげたくない。いいこぶりっこしたくない。あの子達を認めてあげたい。とっくに忘れた人たちにもなぜこうして固執するのだろうか?どうしてなの?痛いの。あの頃の耳の痛みは今も痛むの。痛くて痛くて痛くて痛いんだ。助けてほしかったんだ。それだけなんだ。悲しいの。なぜなの?あの頃いつもなんで私いじめられるんだろう?あの頃私は何で自分に生まれてきたんだろうって思っていた。他の子の怒りを吸ってしまうの。吸ってしまい、それでも私はそうされて当然の人で他人の荷物持ってそれでもなおかつ休むこともできない子供だったんだ。誰にも分からないようにする子供だったんだ。それだけなんだ。
 学校時代。悪夢だったなあ。いいこともあったよ。それでも、やっぱり辛かった。傷つけられた記憶は次の暴力を生む。幸せな記憶はその人を励まし続ける。そう思う。
 子供といえどもあの全体主義の雰囲気、大人の目には決して見えないおそろしい世界なの。だから、どうか大人は聞いて、大人の論理じゃなくて、ただその子の声のうちをただ黙って真剣に聞いてあげて。聞くの。その子に説教も心配も要らない、ただその子のうちを聴いてあげて、待ってあげて。信じて待ってあげてください。
<401> ぺあ ■2007年08月14日 火曜日 22時04分52秒
今でも10歳の頃の9歳の頃の同級生覚えている、あの頃が私の人生の中で鮮明に覚えている。今でもあの頃と同じ気持ち抱いて生きている。何で?26なのに。皆結婚とかしているのに、なぜ私だけが止まったまま生きているんだろう?うらやましいな。周りの子は周りの人と気持ち交流して、大人になっていくのに。私は誰にも背を向けたまま表面上何も問題ないふりして、生きていた。そして、いつまでも止まっていた。あの頃の感情なのに、今の感情。もういないのに、過去の人を同じような思いで恨んでいる。その子は進んでいくのに。怖い悲しい。あの先生のせいじゃないの分かっている。父が亡くなったのは、あの担当教官のせいじゃあない。あいつのせいじゃない。人のせいにすれば、私もその人にその人の人生背負わされるもの、違うよ。違うんだよ。恨むべきは、過去の姉と、過去の私の心を無自覚でもひねりつぶした奴ら。私が許せないと感じているのは、そいつらなの。そいつらと同じことした、私を怒鳴るのは当たり前だよね。その時怒るべきことだったのかどうか、私は実習生として確かめただけなの。そしたら怒られちゃった。傷ついちゃったものすごく死ぬほど傷ついた。そして父がなくなった。それは実習にいったからじゃない。でも実習で白い目で皆に一斉に見られたことは、私が父に家族におかしいよって言えなかったのの一因なんだ。でもそれは彼らのせいじゃない。だから、私も人の責任負わない。それなのに、迫ってくる。あのせんこうがうつになっていたら休職していたら、自殺していたら、そう思うと怖い。あのクラスがあの学校の中でいじめに会ってしまった子がいたら私のせいだと思っている。いつまでも人を心配し続けて、罪悪感一杯で生き、そして実際に何でもなかったら、そいつを恨む。悪循環。なのにやめられない。そんなにひどいことしていない。なのにやまない罪悪感と、人への恨み。時々ふっと自分の人生の責任だけでよいと楽になる時もあるの。そういう友人見ると、勇気づけられるの。それでもやまないのは、私は自分を自分で縛り続けているから。

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This script written by Shintaro Wakayama.