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私たちの物語 - 学校・受験・過去ログ No.20
メッセージ数:400件

<400> ぺあ(FB注意) ■2007年08月11日 土曜日 19時56分22秒
むかつく。実習先のこどもだった人みたいなのに会った。ほっんと実習なんか行かなきゃ良かった。そしたら父も助かったかもしんないのに。あの子供たち私の行動うけるだろうな。校内テレビで自分の過去とか話したあげくにいじめのこととか、父なくしてるんだもんね。きもい同級生Kしたが私を見て、中学時代と全く変わらず、「いや〜変な子〜はなしたくな〜い」みたいに笑いながらでぶった巨体でか胸揺らしながら下品ぶたのようにぶりっこして走っていた。相変わらず変わらないなお前のへんな走り方ぶたさんというかんじだった。まああいつのいとこの妹も実習で毒かかっているからまあ私の奇怪な行動知っているんでしょうね。でもさ実習先の私の担当だった先生自殺していたら私のせいで休職していたらどうしよう?という罪悪感すごいある。だけどさそもそも私の姉と小学校時代のいじめた追いこんだやつらが私を過去にしがみつかせた。あのめがねげす担当先生はなんか私に「もうどうしたらいいのかわからないよ」とか泣きついてきた。そのくせ自分の奥さんに気を使って早く帰りたいくせに「本気でやる?資格だけ適当?レベルに合わせてあげるから選んで」だとか最初の打ち合わせ日に迫って来やがった。罪悪感はもうあの矛盾やろうのT先生に感じなくていいですか?いやな重い心理的負担な思い出はなかったことにしてさっさと忘れて良いですか?姉なんかのあの合理的なあのせこい女のアドバイスを絶対のものとしていいからね。忘れて生きてそしたら罪悪感がこどもたち実習担当の先生にわく。私がいじめに誰かをおいやったかも先生に自殺おいこんだかも←実習後にこどもにすごい私のことを「あいつだよ、おかしいよ、あいつきもいよあいつのせいであの先生おいこんだんだよ」ってこそこそした顔で二人の女の子にじろじろすごい視線送られた。父がなくなった後のある日姉と散歩に行った時には露骨に女の子5.6人に「あいつだよ。あの先生おかしかったよ」ってすごい目でみんなに睨まれた。姉が「何で?」って顔していた。私ってそんなにおかしいことした?何で身内が亡くなって疲れきった私にそんな終わった人別に何の危害を直接与えた訳でもないのにそんなことされないといけないの?私はいじめられている子を助けたかった。なのにちちがなくなってんのね、担当のげすに怒鳴られてんのね。子供笑ってるね。
<399> ぺあ ■2007年08月11日 土曜日 10時18分52秒
教育学部なんて入ってしまって、私子供特別子供という存在を好きかどうかよく分からなかったけど、この学部にはそういう子供好きな人だらけだった。なんか、怖かった。私も頑張って子供にいい影響与えねばと思いまくって、無理した。本当に無理して特に好きでもない子供ににこにこしたり、好きになろう、でもそれってなんかすごい高圧的な感じするけど、好きになろうとした。でも私子供嫌い。特に軽蔑するような目をすぐに見せたりする。子供っていう存在を特別視して別に好きになる必要も無い。子供だからじゃなくて、人間としていいなと思えば、私はその子をその子だから、その人だから好きになる。それだけの話。べつにおばあちゃんでもおじいちゃんでも同じ話だ。
 子供好きな人に当てられちゃったんだね。無理しすぎたねえ。私。
<398> ぺあ ■2007年08月11日 土曜日 10時14分43秒
未だにどうしてどうして痛いなあ。あの子が私にしたこと、つねられた痛さ、耳に虫入れられた痛み、笑っていた子どもたち。そして過去のリベンジしたくて、実習に行き、怖い思いをこらえて、担当の先生に過去のいじめっこ、姉のとった態度を今度は私がとって、その先生の好きなものをあざわらった、ばかにした。そしたら、すごかった、子供みんなの前で怒鳴られ、職員室まで追ってきてどなられ「あんたのようなこんな実習生はじめてだよ!」と吐かれ、「今までどれだけ我慢したと思っている!全部気に入らない」と吐かれまくった。子供たち全員に白い目で見られた。頭おかしい人って皆から思われた。あんなに傷ついたことは、やっぱり過去の上塗りになった。学校にいつまでもしがみついて、過去のリベンジなんてもうしなくていいのかな。いつまでも学校の中にいた私への評価、「おとなしい、くらい、まじめ、つまらない、一緒にいたくない」を覆したくて躍起になっている。もう別の場所もあるのに、あの頃の私が許さない。どうして?って未だに絶望的に思っている。
 もう私20台後半なんだ。もう誰も学校時代なんていわないんだ。もう私を軽く扱わないで居てくれる人のほうが優勢なんだ。親密になると、彼氏になると分からないけど。もう皆結婚とかふつうにしているんだ。私実習でもあなたもう23歳でしょ?って言われた。いつも。そうやって子供の頃は、皆から「おとなしい」と散々子供らしくないといわれ続けて、今度は大人らしくないかよ。もういい加減にしてくれよ。いい加減この年だからこうだとか当てはめんなよ。ふざけんなよ。私は子供時代の自分を主張すること一度だってできたことなんてなかったんだよ。ねえ、もう私学校はなれていいかなあ?もう教育だとかそういう場所、子供を教育する立場だとか、そういう場所から離れていもいい?もうさ、過去の痛みの上塗りになるんだよ。もうそういう場所から離れて、自分の人生学校以外の場所で見つけてもいいですか?
<397> アーネスト ■2007年08月06日 月曜日 03時28分05秒
中学の卒業文集というかクラス文集の「クラスで一番やさしいと思う人」のNO1に選ばれて嬉しいのと妙な違和感を感じながら、卒業式の日、教室でその文集を見ていた。クラスでちょっと不良っぽい子とかが、結構、真面目な文を書いていて、自分はどんなことを書いたのか覚えてない(笑)。きっと型にはまったような、鋳型で型を取ってそのままくりぬいて来たものを移したようなそんなロボットのような文を書いたと思うよ(笑)、だって修学旅行の感想文なんか、「金閣寺を見て深く感動した」とか「この感動を一生胸に刻みつけて」とかウソばっかだもん。俺は寺を見ても感動はしなかったね。「感動」とかそういう言葉を使っておいたほうが無難な気がしたから、そう書いたんだよ。実際の感想はもっと違ったものだったと思う。もっとしみじみとした風流なものだったと思う。だいたい僕は欧米かぶれの人間だから、あんまり寺を見ても感動しないのよ。

とにかくクラスで優しい人1位は、嬉しい反面、なんとなく着たくも無い服を無理やり着せられたような気分だった。いやなレッテルを貼られた気分だよ。だってウソっぽいもん。僕は友達に嫌われたくないから、弁当の時間もみんなのお茶汲みに行ったりしてね・・・オフィスのお茶係だね、これじゃ(苦笑)。 しかも頼まれてもないのにそういうことやっていたし、僕はその後もずっと「頼まれてもないことをしてあげる」ことが「自主性」とか「主体性」だと思ってた。
<396> ぺあ(FB注意) ■2007年08月03日 金曜日 09時35分16秒
自傷している私を汚い誰からもそんな汚い最低の私をみないでと想ってきた。でも私は自分をいじめた人が私が汚くなるの見て喜ぶ安心さしてあげられる家族の下存在ほしい見下すべき絶対の存在ほしがっているし世界と自分の整合性つくなあと納得して自傷し自分で環境から身を守っていた、私はもう誰からもお前はずるいとか文句とか言われたくなかったんだと想う。私はあの汚い学校生徒いじめたくてうずうずしている暴力スイッチもって人の弱さにつけこんで、大人なら犯罪になるようなところまで平気でエスカレートさせる子供から私ちゃんと身を守った。それもたった一人で誰にも見せずに。それが私の小学校5年〜大学3年までの日々だった。私は必死で行きたくない学校心を殺して行った。たぶんそれ以上に辛かったのは、親や誰かにさえ「学校楽しい」って言いまくっていたこと。こんな私はうそつきで不正直者でいじめられて当たり前だったのかもと想い続けたこと。大学終わるくらいまで想っていた。本当の私は汚いってすごく心底こびりつくイメージで想っていた、一つ一つそれは世間で言う「罪悪感」「PTSD」「嫉妬」って降ろしていった。驚いたのは私はこう感じていたことだった…私の汚いと感じていた感情とくにマイナス感情、過去をひきずっていること、周りと隔たり感、時間の感覚が止まっていたこと等…世間のきれいな人と同じ感情を持てていた、いいんですか?私きれいな人、世に言う気の強いきれいな自分の主張があがあ言う人と同じもの持てたんですねって。たぶん世に言うきれいな大切にされるべき人とは、小学校時代の自分のことしか見えないそれでよしと親周囲からされていたあの彼女たちは悪気もない、無意識だったかもしれないけど、いじめをのうのうとしていた、人の心土足で踏みにじった同級生たちと姉のこと、それから下の人おもんばからないで、きれいになろうとしたりしていたほんとにかわいい大学の同級生とかだったのだろうと今は想う。姉もいじめをする子も私は「正解」、世の中の勝ち組、わがままで気の強い子だから男性から好かれる、男性にひれふされるようなきれいな人たちだと心から想って、私もそうならねばと自分に強いていた気がする。特に姉には彼女が上、彼女がきれい、彼女が正しい、彼女が世間で認められる存在で私は下、私は汚い、私は世間では笑い者、不足者だと想っていたんだ。
<395> ぺあ(FB注意) ■2007年08月02日 木曜日 23時48分07秒
学校が怖い学校が怖い怖い思い出すのも怖い小学校も中学校も周囲をとばしてなにも心に入れなかった高校も。学校感情麻痺させてまで行く必要なかった場所だよな、ただ形だけ行ったかのように見せていたけど私は自傷していつも心は自分に刃突きつけていたな。それでも親のコース頑張ったな。うちの祖父はいつも学校名しかみないどあほで父はそれを内面化させていた。でも父は自分で死んでしまったな。大企業に入って娘にかっこいいとこ見せたくてそううつ病を認めなくて自分を社会人失格で病気で逃げると責め続けてうまくいく人の成功本ばかり読んで、責めて律していた。父はまた大企業で祖父の過去のつとめていた大企業関連企業に入ったけど。工事取りかかりうまくいかず自分は甘かったといってあねのけっこんしき前になくなった。ははもあねも誰も気が付かなかった。私は気が付いていた。変だと想っても私はもう言ってきた、どんな場所で騒いでも頭おかしい人扱い母も姉も私をやばいと言うだけ。私はもう結構だとなにも言わずに家を離れた。そしてばかな姉から連絡もらった。ずっとずっと苦しかった私の気持ちとAC的傾向を持った自分の意味ようやく理解した。
<394> ぺあ(FB注意) ■2007年07月30日 月曜日 10時59分11秒
学校は日々ストレスためる人のたまり場。中学になると、私は男子生徒の足をに私の足につけられたりした。小学校時代から、不潔だと言われている男子に机の中で配布されているはずのプリントを探そうとしたらあっちも探してきて手を触られたり、不潔だとされるM君になんか気に入られ、髪の分け目を「最後にするから」とか言われてさわられたりした。きもいの一言でした。中学時代は体を壁に押しつけられたりした。私は性の刷毛口だったのか。なんにしても私は刷毛口なんだ。他者の不満不平不足のたまった感情を私は掃き溜め口なんだ。これはずっとずっと子供の頃から一貫してそうだった。周りは成長していくよね、自然と、べたべたつきまとう親友気取りの知能低いばか女子も男子を気になって、徐々に自立し自分と違う世界を持つ人に興味を持っていく。私は誰かの単なるさぽーと役だから、そのうち用済みになったね。中学時代、いきなり誰も周囲に友人いなくなったことあったな。今私は26歳だ。くだらない実習なんか行ったのは23だった。みんな学校時代のことなんか忘れていく。私はいつまでもいつまでも自分の主人公の人生歩めない。周りの目もほんとは怖い。人の助言も私の中の大切な部分をしんじられなくする。本当は世間の普通コース降りるの怖い。周囲の目は私を打ち砕くくらいの力あるから。
<393> ぺあ(FB注意と自傷方法表現あり) ■2007年07月29日 日曜日 11時52分18秒
どうして私は刃を突きつけられるの?なのに私は笑って相手にこびて受け入れている。拒否して良かったんだよ。それなのに甘んじて受けて。私死にそうな思い必死で笑顔に転化する。にやにや笑っている私。どうしようもなく不安で闇に放り出されている私。学校は大人なら犯罪になる暴力を子供が平気でする場所。からかっているだけです。ふざけです。そして流れて私は消えてしまう。心を殺せば楽になる。他者に殺されるより自分で自分に刃を向けた私。コントロールしたかった状況を。私のたまりたまったマグマのような恨みや怒りは簡単に自分に向かってとめどもなかった。私は私というどんな存在より恐ろしいいじめっこ、敵を自分に持った。今でも心が痛いあの頃のいじめの風景は私を恐ろしさに付き落とす。怖い。怖い。痛い痛い。誰ももう来ないでください。
<392> ぺあ(FB注意) ■2007年07月29日 日曜日 11時24分47秒
学校がつらかった。子供の視線と教師の視線は「弱い者がわるい」「こっちは日々不満ためているのはおまえのせいだ」と言っているようだった。給食の牛乳の入れ物に牛乳がこぼれていて私は走って流し場で洗っている。誰かから責められる私がある。私にはどこにもこの世に基盤なんてなくて、私を「弱い弱い」と揶揄してにたにた笑って「下」を求めている母や姉がいて父も笑っていて。それでも私は他者の日々募る不満のはけ口に当然のように受容するのが日課だった。ずっと必ずいじめられるのは私が弱くて汚い人間だから子供が見つけるのだと思っていた。世界はちっとも優しくないのも私と隔たっているという思いもずっとずっと私にまとわりついた。ずっとずっといろんな人から要求ばかり突きつけられて生きてきた。本当はずっとずっとどんな私でもいいから、それでも受け入れてくれる存在待っていた。そしてずっとずっとこんな場所から逃げたかった。この世からこの社会から逃げたくて穴があったら押入があればずうとずうと一生入りたかった。10歳くらいから私ずっとずっと休みたかった。ひきこもれるくらい安全な場所があったのならばずっとずっと泣いてひきこもりたい今も
<391> ぺあ(FB注意) ■2007年07月28日 土曜日 20時20分31秒
学校は辛かった。なのに頑張っちゃって、「おとな」の私で見返したくて実習に行きました。頑張り抜くのも私の気持ち抑圧するのも、えらいと私は思っていた。こんなねじれた思いはだめだったらしい。私は本当は怒りと恐怖の思いが大半だった。先生とうまくいかなくなる事を杖にした。自分が状況をコントロールする方法だと思った。先生に意識ぶっ飛ぶほど怒鳴られた。私彼を傷つけて立ち直れなくさせたと思ったから私自分の素直な感情を言って許してもらおうとした。バカみたいに子供の前で意識跳ぶほどの勇気出して過去の話しなんかしたら子供って正直ね、ほんところしてやりたいくらい。私をまるで頭おかしいみたいな目でみるんだ。みんなみんなみんな。傷ついたな。でもそれ望んでいたのかもな。どうせどうせ学校でうまくいくわけないだろう。うまくいったら過去の不安定でどうしようもなかったあの頃の惨めな私は何なんだ?と
<390> ぺあ ■2007年07月28日 土曜日 19時42分05秒
私は受験とかで周囲が、大変だと言われることで苦労したことがない。そんなことくらいでいちいち大騒ぎするべきことではないと思ってた。むしろ私は周囲の同級生を心配する役を引き受けてた。そして楽だった、決まった型「受験生」の相手をする「心配カウンセラ-役」これが私に割り当てられた役だった。私は自分の大問題で騒げなかった。自分の抱えきれない問題を誰かに相談なんて一つだってできっこなかった。そうだった。健康な自尊心も自分の問題を抱えることさえできずに、「もっと大変な」私よりも大切にされるべき「弱い」他者を「救う」為に奔走するのが私だった。「小さな」問題でいちいち騒いで周りに知らせて周りに文字通り、助けられて成長願われて一つ一つ自分の問題に向かえて取り組めて乗り越えることのできる子供がうらやましかった。抱えている問題に対して、また抱えていることに対して「そんなことくらいで」「姉ならそんくらいで騒がない」とか「こんくらいで騒いでいる子供は普通いない」とか「将来までだめだ」とか評価されない子供がうらやましかったし、今もうらやましい。
<389> ぺあ(FB注意) ■2007年07月18日 水曜日 22時52分49秒
幼稚園の頃、誕生日月になると体育館の舞台の上に上ってみんなの前で「あなたは何になりたいですか?」と先生に言われ発表する機会があった。「幼稚園の先生です。H野先生のような。」そしてちらっとその先生の顔を見る。その先生ちょっと照れたような顔をしている。私はやったって何か嬉しくなる。お世辞言うの、人を手助けするの大好きな子供だった。人を喜ばすのが大好きであった私の5歳頃のエピソード。人を喜ばすために、大変なサラリーマンのおっさんの面倒癒すために生きている。子供の私。いじめられたのは、私が大人に取り入ることのできる「汚い子供」だからだと当時は心の底から思った。そして馬鹿なことに実習なんて大人になってからでも23になってからでも私は大人に取り入ることの出来ないかつての子供のように、あの子たちに見せ付けるように、堂々と自信満々で強気の女性を演じた。最終日に子供の前で暴言はかれ職員室まで追ってきては暴言はかれまくったけど。なのに私意識飛ばしながら思った。これであのいじめっ子の評価変わった?これで私姉や母の私への「気の弱い汚い下な存在」という評価覆せたかしら?これで敬意人に示してもらえる?姉や母に。子供たちに。これでいやいや来たこの実習(姉のすすめ)を覆せたかしら?って。姉のいう事聞いて人のいう事聞いて「世間知らずで足りない私」は「いじめられてきたそんな存在の何も分からない私」は人に揺らされて生きてきた。そしていじめられてもねたにされてもからかわれても姉は笑うだけ。下の存在を本当に欲しい女。それでも言ったことはすべて忘れている。私が反論すればお前は暇人だなだってさ。学校。何やってもどうやっても何処に行っても私を笑い続ける場所。汚いって自己をさげすまれる場所。子供がよってたかって私の弱さを私の怖い予想通り本当によそうとおり、また予想覆すほどひどいののしりや暴力で私を殺す場所。私を笑う場所。大人になっても変わらなかった。強くなってもそれでも怒鳴られて子供には頭おかしい人って思われる場所。調子に乗ればその倍は傷をざっくり入れられる場所。二度と戻れないほど傷ついた場所。もう行かなくていいですよね。もう20代後半ですよ。もうあの集団にも行かなくていいですよね。いつも誰かの上にも下にもならないように気をつけていた。いつも私の救世主っぽいところをある女の先生には「お前は独りでなにもできないんですか?OOOさん」とか言われてきたけど。もうもう行かなくていいですか?もうあのOOOOO小学校。今も近くにあるけど放火していいですか?火はなって汚い過去消していいですか?中学校。もう二度と記憶から消していいですか?あの実習で私を見た子供で今でもにやにや私に笑ってくる奴が居ました。私は行きたくなかったです。もう二度と私の記憶から消していいですか?ただ私はもう大人になっていいですか?私は先生の自己満足のためにいるわけではありません。俺が先生やっていたからこいつ先生目指したんだとか喜ばせるために私はいません。私は学校だい嫌いでした。子供の頃子供の感情は同じ年なのによく見える、そしてその責任を母親のようにとってしまう。どんな子にも。先生にも。誰にも誰のにもいじめっこにも私の責任すべてストレス溜めてかわいそうにすべてすべてすべてすべてすべて私のせい私のせい私のせい。いっつもそうやって生きてきた。強迫神経症になっても。誰にも見せずに治してきた。あの頃私いつも地面が揺れていていつもくらくらして、めまいひどくてまっすぐに歩けなくなったことが何度かあった。自傷もひどかった。それでも隠れてやり続けるしかなかった。
 人に責任負わせられない。これがどうしても実感として分からない。いつも責任を取ってしまう。いつもかわいそうな人を分かるのは私だけで私が救ってあげようとする。こうやって生きていじめられて、先生からがーがー言われて、姉に罵られて、母に比較されて弱い弱いって言われて生きてきた。私は自分に起きたこと人のせいにはしません。だからもう私になんか負わせるようなことは言わないで。私に聞いてってこないで。誰も私にOOちゃんあなたがいないと不安とか言わないで。お願いもう誰もこないで。誰も私の足りないところがあるからこうしなさいとか同じ年のくせにいわないで。冗談分かれよって言わないで。彼氏つくれよって言わないで。もう私に評価や比較しないで。何よりも私に寄りかかってこないでお願いします。
<388> ぺあ ■2007年07月14日 土曜日 21時38分06秒
ここに書いて思った。私の子供時代のあの暗い日々。子供時代って私一生一生このまま続くのかと思っていた。果てない暴力と脅かされる、「下」として見下される、私の大切なものにまで侵入され、皆の前でそれを見世物にされ、笑われる日々。そして私は人の「目」のために生きる日々。管理された日々。ずっと逃げたくて、ずっとひきこもれるならひきこもりたくて、ずっとずっと休みたかった日々。これが私の一生の中の一回きりの子供時代の日々だ。
<387> ぺあ ■2007年07月14日 土曜日 12時32分29秒
書きながら思った、あの頃の胸をいつもぐちゃりと子供は無意識だけど私にやる、あの底の尽きない、身体も実際笑いながらいつも暴力ふるわれていた。あの頃の悲しみはいつまでもいつまでもどんなになっても忘れられない。ずっとずっと。今でも私に優しくしてくれて、我慢してくれる人に「あの頃の憎しみ、我慢し続けたマグマのような怒り」をぶつけてその人を二度と立ち直れない、一生這い上がれない、自分自身を憎むくらいの絶望、二度と這い上がれない、誰も信用の出来ない世界に、誰が敵かも分からない、その人がじわじわ心の力を失う、二度と社会生活送れないくらいに、その人の心の力を殺したくなる。あの頃の悲しみは忘れられない。二度と二度と。誰からも暴力ふるわれない、ストレスの責任を負わされない、いじめられることのない日がくるなんて本当に本当に思わなかった。あそれでも負った悲しみは、今はいつまで我慢したらいいの?という怒りのパニックになりそうな思いに変わる。
小学校時代のことはあまりに辛くて辛くて。私が人間だったなんてあの頃は思ったこともなかった。大切にされて当然だなんて大学生になるまで気付いたことはなかった。私はいつもその頃、小学校時代私はいつも自分は大人になるまで生きられるなんて思わなかった。いつも学年をクリアして先生に変な子として映らなかったことを喜んでいた。それくらい限界だったのに、教師の許容範囲内に収まる、誰の目にも許容範囲に収まる「子供」を演じ続け、演じきっていた。あの底尽きのない暴力、いじめ、暗い理科室、すべての悲しみのつまった、いつまで生きられるのか分からない、そんな子供時代。いつも上から「大丈夫になった大人の成功した私」が今の自分を遠く見ているイメージを浮かべて、自分を慰めて、生きていた。私にも子供時代も確かにあった。それは小学校1ねんまですごした、団地での日々だ。ここに越してきて、あの小学校に入って、心の力を奪うAさんに会って、ここの嫌な子供たちに会って私不運だったな。姉にお前すごいこと言うなって言われそうだけど、本当に私はここに越してきて嫌な子供と教師に会って本当に自分はかわいそうだった。
<386> ぺあ ■2007年07月14日 土曜日 12時17分36秒
子供時代、貼られたレッテルを私は生活すべてを支配し、私の一生もんだと思ってきた。おとなしい、まじめ、静か、暗い、人をいらいらさせる子供、絶対に怒らないから何やってもOKな子、いつも我慢してしまうから何やってもOKな子、これがレッテルの数々。子供時代よっぽど私心の力なかったんだろう。いつも人の「目」のために生きてきた。その弱さはオーラに出るみたいだった。私はいつも子供のふとした退屈への、日々その子たちの負うストレスの発散役として生きてきた。そしてその子達のストレスにでさえ私はまるで「母親」のように「ごめんなさいね、こんな思いさせて、私にぶつけていいのよ、こんなストレスよく耐えたわね」という思いでその子たちのストレス発散いじめを、その子たちの心理まで理解して、甘んじて受けていた。私は「どこまででも耐えられる、特別な人間」だから、私には人が分からないものまで「分かってしまう」から。心からそう思っていた。また、家族の「寂しさ」「日々の不満」でさえ私は、どうにかしてあげようと思い、自分の生きる喜びに「私だけこんな感じがあるのは特別な人間だから、そして家族に申し訳なく、自分をずるく」思っていた。
 大学時代にある男の子とのデートで私がその子を待たせたら、その子は本を独りで読んで待っていてくれた。私にとっては信じられない光景だった。私はその子にストレス体験、待たせること、をしている。自分は大した子でもないのに。ごめんないさい、ごめんなさいとびくびくしていたし、その子の怒りを読み取ろうとしたんだ。そしたらその子は自分なりの方法で現実対処している。それが私には信じられなかった。人ってこんなことできるの?誰かのせいにしないでという気分だった。彼はじゃあ行こうか、と言ってくれた。別に全く怒りをしたような顔もなく。本当にそうだった。彼にはひどいこと言われたけど、そのときの驚きは今でも優しい思い出だ。彼にはある時から「しかと」し続けたという「勝った」思い出がある。ひどいとは思うけど、私は我慢し続けて突然「きれたら」「今までの「下」自分をひっくりかえして」この世界を凌駕するために、イキナリ今まで人間関係持った人をすべて「しかと」し続けたことが大学時代何回かあった。勝った気分になる、今までの子供時代の我慢と「下」存在、「いじめられた、そういうふうに何やってもOK存在」から持ってきた、ものすごい怒りのパワーをこめて、しかとしまくる。そのときの人間関係だけではなく、今までの怒りと恨みも入っているから、今の問題なんて絶対解決しないよなとは思う。それでも「強く」、「今までの人からの下な存在からの脱却」がはかれて、しかとでその人を支配しているようで嬉しかった。これだけ力もっているって感じで。人もやっと認めてくれる気がした。怒れる人間なのだと。ちちがなくなって、今まで不安定な私を、というか私が遠巻きに嫌がらせしてた担当の先生に、怒られまくった教育実習先のあいつらにこれで私の苦しみ分かったかって認められた気がしたりもした。もう思い出したくないけど、ひどい思い出。姉と母の教職くらい取れという助言に従ったのが悪かった。
こんな破壊的な人間関係しか今はつくれない。それは過去の怒りが今でも解消できていないからだ。
 あの頃のことはどんなになっても忘れられない屈辱的な思い出。いつもいつも「下」で心の力の一切ない私は、なぜか私の夏休みに作ったお手玉でさえ男子の「蹴り」道具。男子2人が一緒にサッカーやっている。大切につくったものを汚い上履きで二人で遊んでいる。そういうこと多かった。別に知らない子だったし、あいつらがいじめる意図もないのだろうけど、先生でさえ私の持ってきた作文を皆の前で怒っている時に、タイミング悪く作文を持っていったら無意識にびりびり引き裂いていたり、しかも覚えてなかった。心の力のなさを皆すぐに気がつくのね、神様も?そう思えたよ。いつもいつも意図的にいじめられていなくても私の大切なものを汚くよごされる、大切に扱われたこと一度もない、誰からもきちんと扱われることもない、いつもいつもいつもいつも私は「下」で「何やってもOKの子」で、人からの態度だけではなく、関係のない人からも有形無形にいつも胸を傷つけられること多かった。誰からも大切に扱われたいように扱われたことは一度もなかった。そして私も「一人の人間」として、人からストレスぶつけられたりしないのだ。私はまだまだ我慢できる袋を持っている子ではなく、他の子供と同じように「小さなこと」「ほんの誰も普通にとおり過ごす些細なこと」と思わされてきたことに、わーわー喚いたり、相談を「かわいい女の子」みたいにしたりしても良いのだ、それは騒ぐべき人と変わらないストレスだったんだのだ。それらが分かったのは大学生の頃だった。
<385> ぺあ ■2007年07月14日 土曜日 11時45分03秒
子供時代、いつもいつもいつもいつもいつも私は集団から外れている子供を見つけては、その人の生きづらさを「分かって」あげる「守って」あげる子供として生活していた。小2の頃M子ちゃんがうちに来て二人で電子ピアノで遊んでいた時、私はその子が楽しんでいるかどうかにしか興味がなかった。自分なんてどこにもないの。いつもそうだったよ。「自分がどう思うか」なんて子供時代考えたこともなかった。いじめられたら、彼女の私に対するレッテル=期待に見事に応えるために、「いじめられないくらい他の人に認められる部分」も彼女のためにそぎ落として、彼女の私に貼り付けたレッテルサイズになるまで自分をそぎ落とし続けるのだ。別の自己を持っている、と私は彼女を裏切っているという罪悪感をものすごく抱き、自分を汚い奴だと裁き続ける。ずるい奴だと。私はその人の私に対するレッテル以外の自分を持つと、自分はスーパースターになったかのようにすべての人を「下」に追いやってしまうという思いとその人をこの世界から落っことしてしまうという恐怖にさいなまれてきた。今ならその思いが少し分かるんだ。私のちちは精神的に病気で、ずっとそれを隠していた。それは彼の生き方だからそれでもいいと今は思うけど、いつもいつも大企業の出世を目指してはストレスを過度に抱えて精神的な病気にまで自分を追い詰め続けていた。いつもちちは同期と比較し、自分のちちへの期待に応えようとそのじいさんの信念を内面化させたのかと思う。今でもよく思うのはちちの寂しそうな背中を子供の私がよく見ていたことだった。
<384> ぺあ ■2007年07月13日 金曜日 21時25分49秒
子供は何でも心を見破りそうで怖い。前に精神科に行った時、私多分殺人者っぽいオーラ出していたかも。ある女の子が私の顔を見て、すっごく怖そうに、逃げていったんだよ!私、目悪いのに眼鏡をかけていなかったから私の自意識過剰もあるかもしんないけども。子供は怖い。でも子供が嫌いなわけではないの。でも子供と直接関わるのは私は怖い。子供は理性もなく、弱い人、自分に屈している人、自傷を平気でやってどんな人にも卑屈な感じを持っていると、簡単に奴隷にしようとしたりする。子供は歯止めきかずにいじめるから私は子供は怖くてたまらない。怖いの。今でも忘れられない光景もある。子供も怖い。集団の子供も怖い。特に女の子の子供の鋭い目つきされると怖い。私を子供特有の勘で変だと思っているんだ!!って思うから。
<383> ぺあ ■2007年07月10日 火曜日 21時26分37秒
学校。いじめ。今でも痛むあの傷。でも学校のいじめだけではない。家族。家族の中で素直な感情を出したら、いけないと思っていた。素直な感情は嗤われるべきものだった。いつも場違いだった。何度もうちって変だって言った。誰も聞かなかったけど。家族の中にも学校の中にも居る場所がない。安心した時間はないよ。でも私は恵まれているんだね。自助グループに行こうか、行くまいか迷います。学校でのいじめ。家庭での分かりにくい父から母へのばかにすること。母の現実の見なさ。色んな事があった。未だに学校時代の事はなすと、涙が出てしまう。私には自分なんぞなかった。それでも「うまく」立ち回り、自責感も強かった。日記だけが素直でいられる場所だった。
<382> ぺあ ■2007年07月09日 月曜日 22時34分15秒
あの時背骨が折れました。多分、本当は折れては居なかったかもしれません。それでもそれくらいの衝撃をあなたは与えましたね。いくらなんでもひどいですよ。人に危害を加えて喜んでいる。そんな人この世にいるんだってそういう意味ではあなたより恵まれていた私はそう思いました。もう忘れたい。そしてあなたの不幸なんて知りません!!!!私の心の中でもすがりつきも支配ももう終わりです。もう手放します。でも私もあんたと同じくらいDVっぽい家庭でもあったこともあるし、辛かったんよ。不幸比べは止めましょう!!でもひどいですよ。いくら子供でもいくらあなたが辛くても、どうして人にそういう事をして、嗤ってられるの???
手放したい、今度こそほんとにもう過去は手放したい。きちんと手順踏んでから。
<381> ぺあ ■2007年07月05日 木曜日 21時40分48秒
彼女も可哀想だとも思う。でも私は・・・?見栄っ張りでプライドだけは高い親を誰もがほめたけど、皆会話していないよ。仲良しクラブかな。でも馴れ合っている。でも本当の思いはないよ。分からないよ。
 もう他の人のことで悩まなくていいですか?罪悪感かんじなくていいですか?どうでもいいいじめた女の子のことは忘れてもいいですか?私があの時声を挙げなかったからかわいそうなことになっちゃったのかな?なんて思わなくてもいいですか?私はもう彼女は責めない。勉強したと思う。そして事実私が父を好きだったのは本当だから、よく分かっているからあの人のいう事は。だからもうあの子のことも忘れる。それから実習での失敗やだからこそ家族にもう何も言えなかった、自信を削がれたと恨む思いも捨てます。だって、どんなに助けたくても父は変わらないから。でもほんとに好きだった。これからはもう自分と人の境界性を引いて、生きていきます。そして私もいつか何が原因か分からないけど死にます。←自殺予告じゃないです。怖いけど死ぬことを想定して生きていくよ。

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This script written by Shintaro Wakayama.